Archive for 画家

未曾有のパンデミックの一年の終わりに思うこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 27 December 2020 by kenwada

©︎Photo by Koto Takei       2020年10月16日、アトリエにて。

今年は、お世話になっているニューヨークのアゴラ・ギャラリーのディレクターが、5月にコロナで亡くなりました。
同じく5月に、長年の大切なパリの友人のお母様がコロナで亡くなりました。
また年末になって、長年にわたって交流を続けてきたイギリスの画家から、コロナで9ヶ月間に8回入院していた、現在も長期にわたる肺のリハビリテーションプログラムを続けているという手書きのクリスマスカードが我が家に届きました。
Painting nearly died, の文字を目にし胸が張り裂けそうな思いがしました。
昨日まで4日連続、国内の1日あたりの新規感染者が過去最高を記録しました。
もうたくさんなのに、イギリスで変異種が猛威をふるい始め、南アフリカでも変異種が現れました。
今年は、コロナ禍で結局、僕は一度も展覧会ができませんでした。
さぞかし同じような苦しい思いをした同業者の方も、どれほど多かったことでしょうか。
希望やモチベーションは何もありませんでしたが、僕は毎日、絵画の制作を続けました。
我が家にはテレビがありません。
森の中で唯一受信できる NHKラジオ第一放送R1 で、高校生くらいの女の子が「弟や妹がまだ私の下にいるので、コロナで進学を諦めようと思います」と話しているのを聞いて、涙が溢れました。
この子を何とか進学させてあげられないのでしょうか。
政府予算で1機164億円もかけて探査機を飛ばし、オーストラリアにカプセルが着地した時、ラジオで「勇気をもらいました、涙が出るほど感動しました」という年配の方の声に接し、とても不思議に思いました。
ラジオで少年院から出てきて更生した福岡の女の子が話しているのを聴いて、この子はトーマス・マンが25才の時に書いた「ブッデンブローク家の人びと」よりも物語を語る才能が明らかにあるなと思いました。
この子に何とか専門教育を受けさせてあげられないのでしょうか。
それとも、この天才を埋もれさせてもよいのでしょうか。
何故かこの子たちに、ソフィアでピカソのゲルニカを直に観せてあげたいと、できもしないのにすぐに強くそう思いました。
家から一番近くのコンビニの駐車場に、緊急事態宣言解除前の GW から、県外ナンバーがいつもあふれているのを見るたびに、日本人のモラルもだいぶ変わってきたなと痛感しました。
前総理は、そこのところを履き違えたな、読み間違えたなと思いました。
現総理は、お金を出してまで移動を支援しました。
コロナの問題が起きた春先から、信頼できると自分で感じた何人かの科学者の言うことだけを読み、最大公約数をくくるように努めてきました。
コロナの問題で、移動、旅行が感染拡大を広げる最も有効な手段であることは、現在、科学的にはっきり証明されています。
でも科学者でもない僕は日々の情報収集をしてメモを取りながら、この悪魔=COVID-19 がどこかへ行くのをじっと見ている、ただ待っているしかありませんでした。
何もできず、非常な無力感にとらわれました。
Google の COVID-19 感染予測 (日本版)の来月1月上旬の東京都のみの感染者数を見て、我が目を疑いました。
来年もおそらく展覧会はできないと思います。
できたとしても極めて制限された形での実施になると思います。
コロナの問題が起きてから、それにいち早く反応したアメリカのギャラリーを中心とした Online での展覧会を含む一連の活動の展開をいつも注視してきました。
一番すごいな、大胆と言うか、ついにここまできたかと思ったのは、アートフェアそのもの自体をバーチャルでやってしまおうとする今月の RAVE Miami のイベントでした。
それでも、この非接触、非移動の日常がどこへ行くのか、僕にはわかりません。
今年はコロナ禍で、日本ではアルベール・カミュの「ペスト」に久々に光が当たりました。
是非、僕の大好きなカミュの最高の作品だと僕が思う「最初の人間」も読まれてください。
僕は今、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」(新潮文庫)の再読を、Oxford Bookworms Library のやさしく語り直された素晴らしいテキストと照らし合わせながら読んでいます。
貧困から文豪にまで登り詰めた彼の作品の中のユーモアに、何かすがりつくようなコロナ禍の中の希望のようなものを感じ出しました。
そうです、暗闇の中のユーモア!
変異種の渦中のイギリスでは、今、人々に何が読まれているのでしょうか。
何も根拠はありませんが、やはり自国のディケンズのユーモアに接したいのではないでしょうか。
何もできない僕は来年、様々な思いを抱きながらも、それでも今年以上に絵画の制作をしようと、せめてそれだけは何故だか強く思います。
今取り組んでいる Black and Blue Paintings を仕上げた後の、それ以降の来年度の Painting の構想や展開について、この年末に熟考していこうと思います。
皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

2020年12月27日
和田 健

Happy Holidays!

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 24 December 2020 by kenwada

Dear Friends,

May your holiday season be safe and peaceful — and your New Year be bright!
Please take good care of yourself!

Peace, Joy, Thanks!

Warmest regards,
Ken WADA

Today’s Black and Blue Paintings! No.1

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 16 December 2020 by kenwada

2020年12月15日、全然ダメ、没、お話にならない、形が見えてこない、見えてこなければ描けない。
思考、考察用の簡単な枠を作ってみた。
まあ、あえて強いて言えば、効いたのは、6の縦棒と10の受けの丸、下向きの重力を作る。
重力が下向きなのは当たり前だけれど、当たり前に接すると安心感が出るため。
次に、15の une oblique (斜線)。あとは観るところがない。
16枠平均で出ていったらいけない。間が抜けていないといけない。ポイントを作らないと。回転かけて踊っていないと。小さいのを入れて大きさを変えてこないと。四角四角でいったらいけない、四角・丸・縦棒・横棒・かすれの組み合わせでいく。
即、青で全消しした。
思考、4の4で16枠は、画面が少し騒がしくないか、にぎやか過ぎる。
そこで、3の4または4の3の12枠あたりでどうか。
または、3の3で9枠だと、どのくらいの間抜けが得られるか。
3パターン作ってみて、思考、考察をする。
もう一度、「祭姪文稿」を観よ、「祭姪文稿」を。あの中に全宇宙がある。
おい、諦めるなよ!諦めたら、終わり、The End!

2020年12月16日
和田 健

I Started My New Series “Black and Blue Paintings” This Morning!

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 7 December 2020 by kenwada

2020年11月25日に、シリーズ F Paintings 4作品の4枚目(Untitled 2020 No.24)にサインをした後、中1日おいて11月27日から新シリーズ「Black and Blue Paintings」に入りました。
そうです、今度のテーマは黒と青の組み合わせです。
そして青の下地作りをした後の今朝の最初のペインティングで、これはすごい!
思わず興奮するような無限の可能性を感じました。
作家としては、First Painting で多くの可能性が感じられると、当たり前のことですが、何とも言えないうれしさがあります。
このような最初の段階で、黒の形がどうのこうのとか言っていても、愚の骨頂というか何も始まりませんので、黒と青の面積比と黒のかすれの分量を大局的につかんで、あとはもう絵画を「勝手にどこにでも行って遊んでおいで」って突き放して、黒と青のコンビネーションの美しさを味わうくらいにしておきます。
そして、このことがこれからの制作に向けての大きな滋養になります。
これから下地の青色の種類も模索していかなくてはならないし、それとその上に描く黒の形との組み合わせで、素晴らしく楽しい仕事になる予感がします。
ただし、ここがペインティングの面白いところで、いいスタートを切ったからと言って、必ずしも最終的にいいゴールにもっていけるかどうか、一概に何とも言えないと言いいますか、全く見通しがたたない。
だから絵画はいくら描いても飽きがこないのです。えらくなれないから。Stay Humble.
いつだって絵画は手強い生物(なまもの)で、勝手に向こうから、相手の方から、ものすごいスピードで変化球を投げてくるから。
それを何とかして打たないといけない、全く打てなければ、対応できなければ、何故自分は空振りし続けるのか、その理由を考えないといけない。
そしてやがて打てないまでも、何とかかすれるようにはなってくる。
いいタイミングでチップして、バックネットにファールが飛んで、真後ろに突き刺さる、おっ、タイミングが合ってきたぞっていう、あの感じ。
さあ、ここからまた勝負です。
確か先日、今年はシリーズ F Paintings までと書いていた気がするけれど、もうそんなことはどうでもいいや。
それで、この黒と青の組み合わせは、すでにどこかで格闘したことがある、引き出しとしてもっているという感じがし出して、よく考えてみたら、2013年のシリーズ Drakness の12作品でした。
よろしかったらご覧ください。
https://kenwada2.com/category/darkness-2013/
あの時、初めて漢字の要素を具体的かつ直接的に作品に取り込んだんだよな。
あれからまもなく8年か、今度はどこまで前へ進められるのだろうか。

2020年11月30日
和田 健

Untitled 2020 No.24 ーfrom the series F Paintingsー

Posted in Works 2020 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 5 December 2020 by kenwada

無題 2020 No.24
ーシリーズ F ペインティングからー
2020年11月
北軽井沢 作品 No.417
画布にアクリル
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.24
ーfrom the series F Paintingsー
November 2020
Kitakaruizawa Works No.417
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.

Sans Titre 2020 Nº24
ーde la série F Peinturesー
novembre 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°417
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.23 ーfrom the series F Paintingsー

Posted in Works 2020 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 3 December 2020 by kenwada

無題 2020 No.23
ーシリーズ F ペインティングからー
2020年11月
北軽井沢 作品 No.416
画布にアクリル
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.23
ーfrom the series F Paintingsー
November 2020
Kitakaruizawa Works No.416
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.

Sans Titre 2020 Nº23
ーde la série F Peinturesー
novembre 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°416
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.22 ーfrom the series F Paintingsー

Posted in Works 2020 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 1 December 2020 by kenwada

無題 2020 No.22
ーシリーズ F ペインティングからー
2020年11月
北軽井沢 作品 No.415
画布にアクリル
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.22
ーfrom the series F Paintingsー
November 2020
Kitakaruizawa Works No.415
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.

Sans Titre 2020 Nº22
ーde la série F Peinturesー
novembre 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°415
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.21 ーfrom the series F Paintingsー

Posted in Works 2020 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 27 November 2020 by kenwada

無題 2020 No.21
ーシリーズ F ペインティングからー
2020年11月
北軽井沢 作品 No.414
画布にアクリル
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.21
ーfrom the series F Paintingsー
November 2020
Kitakaruizawa Works No.414
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.

Sans Titre 2020 Nº21
ーde la série F Peinturesー
novembre 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°414
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm

ARTIST OF THE FUTURE AWARD!

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 22 November 2020 by kenwada

皆様、こんにちは。
Contemporary Art Curator Magazine というオンラインのアートマガジンのArtist of The Future Award を受賞しました。
インスタグラムのフォロワーが42万人を超えるインターナショナルの現代アートの大きなサイトですので、アートがお好きな方は、もうすでにご存知だったり、あるいは一度や二度、サイトを観たことがあるかもしれません。
ありがとうございました。

2020年11月22日
和田 健

Dear friends,
I wish you and your loved ones are safe and well from the coronavirus (COVID-19).
As you might have already known well, CONTEMPORARY ART CURATOR is an online contemporary art magazine, it covers visual art, photography, street art, art events and art films.
It is my pleasure to inform you that I won the magazine’s Artist of the Future Award!
Thank you.

Warm regards,
Ken WADA

I quote the following text from the magazine’s article.

Contemporary Art Curator Magazine is proud to announce the Artist of the Future Award!

A highly-anticipated Award to the most outstanding and talented artists working in the art world now.

Artist of the Future Award honours most talented artists that will most likely shape the future of the art world and showcase the distinct voices of a new generation of artists.

Artist of the Future Award awarded to the talented artist who has shown extraordinary originality and the innovative and original style. Winning these Award is a mark of excellence at the highest level!

Follow the link to see the winner:
https://www.contemporaryartcuratormagazine.com/artist-of-the-future-award/ken-wada

http://www.contemporaryartcuratormagazine.com/home-2/artist-of-the-future-award

ブッデンブローク家の人びと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 20 November 2020 by kenwada

この秋、渡邊一夫氏の「フランスルネサンス斷章」(岩波新書)を昭和25年発行の初版で読み、次にトーマス・マン、渡辺一夫の「五つの証言」(中公文庫)へと進み、アンドレ・ジードの序文を読んだ時に、そう言えばまだトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」を読んでいないなと思い、10月8日に読み始め、11月17日に読み終わりました。
これでトーマス・マンの3大作を読んだ順に、「魔の山」(岩波文庫、上下巻)、「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房、全3巻)、「ブッデンブローク家の人びと」(岩波文庫、上中下巻)と今ごろになってすべて読み終わりました。
何事も非常に遅い僕の人生の歩み、そのものですね。
順番をつける問題ではありませんが、一番面白かったのは、「ヨセフとその兄弟」です。
「ヨセフとその兄弟」についての印象は、以前当サイトに少し書かせていただきましたので、ご紹介いたします。

ヨセフとその兄弟

「ブッデンブローク家の人びと」は、これは何と言っても、何故25才の青年がこのような親子4代にわたる物語を書くことができたのか、もうこの一点に尽きます。
このことだけを上巻、中巻あたりまで、メモを取りながら、ただひたすらずーと考えていました。
通常あり得ない、他のいわゆる文豪の方たちの若い時の作品に比べてもあり得ない、何か違和感すら覚える、異様な感じがする、天才だから書けた、それでは僕の疑問は解決しない。
そこで以前、マンの時間の使い方に焦点を当てて、「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読んだ経験から、自分なりの仮説をたててみました。
以下、全くの初心者の私論です。
逆に世の中には、相当数のマンの研究者、専門家の方がいると思いますので、大学のドイツ文学の先生方の間では、当然数えきれないくらい議論が交わされ研究され尽くしたであろうこの問題について、現在どのような統一の見解が出されているのでしょうか。
仮説1は、「トーマス・マン日記」を読むと、主に夕食後に家族を前にして日常的な習慣として繰り返し行われる自作の朗読というキーワードが浮かび上がってきます。
おそらく幼少期から兄ハインリヒは当然として、兄弟間で、または家族で、毎日のようにこの自作の物語の朗読会を繰り返していたのではないか。
それによって、ごく幼い頃から物語を語る能力が養われ、25才にしてすでに十二分に熟成されていたのではないか。
このことは、「ブッデンブローク家の人びと」の中ではハンノの唯一の友人であるカイ少年の姿にも重なります。
仮説2は、このブッデンブローク家の物語がほぼ実話なのではないか、その部分の強みである程度書き進められたのではないか、そうであっても驚異的ですが、そんなことを思いながら読み進めてきたのですが、下巻の参事会員が妻が少尉といる階上の深い静けさに耳を澄ませるシーンなどは、やはり何か違和感がある、つまり仮説1+2では割り切れないものを感じました。
また中巻でフィシャー街に参事会員が華麗な夢のような邸宅を新築したあたりから、次第に精気を失っていく様子の細やかな描写も上手すぎる。
家を新築したあたりから人生が下り坂になっていくという現象は、世間でよくみられることだと思いますが、25才の青年がここまでこと細やかに、それを俯瞰して総合的にとらえられるというのは、何か少し不自然な感じがする。
そこで僕の仮説3が出てきて、マンは何らかの意味で、ものすごく早く社会に出た/接触したのではないか、というものです。
意味でというのは、例え家の中で生活していても、もう社会に出ているような何らかの意味合いが、そこに事実としてすでに生じていたのではないか、ということです。

後の「魔の山」への萌芽もたくさん感じました。
トラーヴェミュンデの全てのシーン、特に下巻で参事会員が激しい雨の中、療養ホテルで雑談にふける場面。
これだけ多くの登場人物がいて、主人公は誰だということになれば、さかれているページ数から言えば、一応、参事会員トムことトーマスになるのだと思いますが、僕がすごくひかれたのは、その妹のトーニことアントーニエです。マンはこの世に素晴らしい一人の女性を送り出しました。この女性は美しい、圧倒的に美しい。特に下巻でメング通りの実家が売却された後、「往来のまん中で、多くの通行人が見ているまえで、ぽいぽいと泣き出した。これからさえずろうとする小鳥のように頭を反り返らし、・・・通行人の姿は目にはいらなかったし、・・・流れる涙を拭こうともしなかった。トーニらしい、人目をはばからない、子供のようなすがすがしい泣きようであって、人生のたびたびの嵐と難船にも失なわなかった泣きようであった。」2度の離婚を乗り越えて、トーニだけは、いつどの場面で出てきても、いつだってトーニはトーニなんですよね。いつだって愛らしい上唇を少し突き出して、上半身を反り返らせて、感じやすい善良な心をもち、いつまでたっても少女のようなお転婆娘で・・・、現代の一人の女性として、これからの未来の女性像として考えても大変な魅力です。

そして読者にとっては、あれっていうくらい、トーマスが実にあっけなく亡くなり、まるで余ったページの付録のように、何故その後、ハンノの一日の話がだらだらと続くのかなと、正直なところ最初はそう思いながら、下巻の最後の部分を読み進めて、ところがところがですね、圧巻はここからでした。
これはその辺りの優等生や秀才には、間違っても書けない。
学校の授業のこのシーンはすごいですね。
マンは余程、劣等生と言うか、反抗的と言うか、学校、校長、教師、そういったありとあらゆる権威と名のつくものに対する憎悪、吐き気、敵対心、そして恐怖。
それとともに級友たちの実に生き生きとした描写。級友たちに注がれるユーモアに富んだ温かい眼差し。こちらは同級生の横の関係であり、同列だからですね。
この第11部の第2章は、並行してどこかに別に執筆しておいたものを、小説の構成上、最後になって、ここにどんと入れたのだろうか。
1901年の小説が2020年にまるで鮮度が失われていない、すごいなあ。

それで、どうしてハンノ少年までチフスで死ななければいけなかったのだろう。このマンの意図はわからない、これではちょっと救いようがないではないか。副題の「ある家族の没落」と言うよりも、壊滅、死滅のようなものに近くなってしまう感じがする。それ以前に、すでに「ヨハン・ブッデンブローク」商会は、精算して、解散しているのだから、何も死ななくてもよいのではないか。この少年は現実的な能力の乏しいままに、それでもなおピアノに寄り添いながら、ひっそりと生きていくという選択肢を何故取らなかったのだろう。

最後に、一番美しかったシーンは、上巻でトーニがトラーヴェミュンデの海沿いのシュワルツコップ家でモルテン青年と過ごす「たのしい夏の何週間」の日々でした。
一番絵画としてとらえられたのは、これも上巻でトーマスがフィシャー街にある「入り口のドアがせまく、小さなひっそりとした花の店」で、アンナと話す場面です。
中巻の記述では、「貧弱なショーウィンドーの緑色のガラス板の上に二、三の球根植物の鉢がならべられている小さい店」となっていて、この緑色のガラス板の上という描写にひかれます。
アンナは最後、弔問客としてトーマスに告別に来ますね。

リューベックには行ったことがありませんが、何故かトラーヴェミュンデの場面で、フランスのノルマンディーの海岸を、特に僕の大好きな Manche 県の静かな恐ろしく静かな海岸を思い出しました。

The sea of Normandy 3, 2009, Gouville sur mer, Manche, France
Watercolor on paper, 31.8×41.0 cm

これから気になったところ、印象に残ったところを、部分部分で読み込んでみます。
これこそ読書の醍醐味ですね。

2020年11月20日
和田 健

後日記:読後から10日が経ちましたが、何故ハンノは死ななければならなかったのかについて、未だに考えています。
日本語と英語の論文や分析を合わせて10本くらい読んでみました。
いろいろなことがわかりましたが、何故ハンノが死ななければいけなかったのか、そこに迫るものは日本語で一つだけありましたが、疑問は依然として残りました。
それとは別に、ハンノとカイとの関係は同性愛としてとらえられているのですね。
日本人では伊藤白さんという方がゼゼミに焦点を当てて書かれた論文が非常に面白かったです。
1959、1960年製作のドイツ映画「Buddenbrooks」も観てみました。よくこれだけストーリーを作り替えてマンの遺族の方が、了承したなというのが、僕の率直な感想ですが、トーニ、トーマス、クリスチアン、ゲルダと役者が皆素晴らしかったです。

©The Buddenbrooks (1959 film) – Wikipedia
向かって左からゲルダ父、ゲルダ、トーマス、クリスチアン、トーニ、コンズル夫人

イメージしてきたこととピッタリだったのは、トラーヴェミュンデでトーニがモルテン青年と過ごすシーンはやはり美しいなということ、おお!アンナの花の店に光が当てられて、アンナが重要な役をしているぞとか、主役ではないけれども、やっぱりこの物語はキャラクター的にトーニが主役になってしまうなとか・・・、そこでやめとけばよかったのですが、何故かこの物語を日本で作れないものかと突然奇妙なことを夢想して・・・、トーマスはなんといっても絶対に佐田啓二さんですね。亡くなったとか、そういうことは関係ない、佐田啓二さん。トーニは南果歩さん、クリスチアン役のために・・・、やめます。
もう一つトーマス・マンを読んでみようと、「ファウスト博士」を注文し、11月25日から読み始めました。同じ作家の46年後の作品ですね。今のところ奇抜な出だしで全体の状況がつかめない、けれども楽しい、「ブッデンブローク 家の人びと」のような違和感は読んでいて感じない、というところ。
岩波文庫の古書が高かったので、より古い岩波現代叢書の方の古書で、Ⅰ、Ⅱ巻合わせて650円でそろえられました。Ⅰ巻が昭和27年のうれしい初版で350円、Ⅱ巻が昭和38年第7刷の美本で300円でした。

2020年11月27日
和田 健