Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
August 11, 2021

連日、この2枚のF60号の制作に取り組んでいます。
毎日、新たな気づきがあり、それが嫌みのないしつこさを保ちながら、僕に向かって連続して訴えかけてきますので、描いていて楽しいです。
僕らの仕事は、日曜日や祭日、お盆休みなどはありませんので(そもそも我家のお盆は新盆で7月ですし)、集中して描けているので、まあよいかなと思います。
この夏の思い出といえば、まずはこの2作品の制作のことでしょうか。
読書の方は、「デイヴィッド・コパフィールド」(岩波文庫全5巻)を読み終わった後、しばらくは何を読んでいても面白くなく、手持ち無沙汰の状態が続きましが、トーマス・マンの「魔の山」(岩波文庫上下巻)の2014年以来の再読に入りました。
最初は、なかなかのってこなくて、特にセテムブリーニが登場したあたりでは、またこのイタリア人の饒舌に、この後長々とつき合うのかと(しかしこのセテムブリーニとナフタとの論争こそが、この物語の肝ですね)、少しばかりげんなりしましたが、少しずつリズムがつかめ始め、まもなく上巻が終わるところです。
感想を書くと長くなりますのでやめますが、しかし、それにしても改めて、海抜1600mの国際サナトリウム「ベルクホーフ」を取り巻く環境及び場面設定や、マンの常に手、指、腕に注がれる極端なまでの性的な偏向など、極めて特異な物語ですね。
でも、マンを読むと、いつもなぜか条件反射的に、自分の生活を律することができるような感じがします。
これは、「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読むとわかりますが、マン自身が厳格な時間主義者(とでもいう言葉を思わず使いたくなります)だからでしょうか。
近くに借りている畑に最近、鹿が入り、とうもろこしを食い荒らしました。
畑を借してくれている農家さんのお話では、下の川から上がってきた鹿で、そこで20頭くらい群れて棲息しているそうです。
昨年、僕はとうもろこしを種から21本育てて、明日収穫すると予定していたまさにその前夜!になって、ハクビシンに電気柵をくぐられ、3本残して全部やられました。
そこで今年はとうもろこしをもう植えませんでしたので、難を逃れましたが、やられた方の気持ちは痛いほどよくわかります。
もう何て言いますか、しばらく「えっ」と、畑を見ながら茫然自失、最初何が起こったのかわからない感じがしました。
「ああ、(全部倒されて)畑が平らになったな」というのが、しばらく経った後の実感でした。
それでも野生動物たちも生きるために食べ物を求めて必死ですから・・・、プロの農家さんにとっては死活問題で、駆除するなど、いろいろな考え方があるとは思いますが、どうか殺さないでください。
野生動物といえば、森の中で暮らすようになってから、これまでに少なく見積もって、朝夕の愛犬の散歩時に、森の中の道で猪にばったりと70回くらいは遭遇していますが(猪といっても大きいのだと、本当に優に子牛くらいはあります)、あれはいつでしたか、ある年の冬に、この冬は出会った回数を記録していて、猪に一冬で22回出会ったのですが、その中に雪に覆われた凍土の中で必死に生きる3兄弟のうりぼうがいて・・・、この3匹からは実に様々なことを学びました。
特に群れのリーダーである長男(と僕が勝手に思っていたうりぼう)から。
今朝、大事に育ててきたクレマチスの朝霞(あさがすみ)が初めて咲きました。
この花は、僕がこれまでに見てきた花の中で、もしかしたら最も美しいかもしれない。
うーん、ちょっとこの和紙で作ったような造形はあり得ない・・・、早朝から心が洗われるような気がしました。
それから、この夏、クレマチスの挿し木に初めて挑戦してみましたが、16ポット作ってやっと2つだけ成功しました。
おそらくプロの育苗家の方たちからみたら、お話にならない拙いレベルかと思いますが、どの部分を切り取って、挿し木に使えばよいのかが、少しだけわかってきました。
どうしてクレマチスに強い興味をもち始めたかというと、日本で見られるクレマチスの野生種であるカザグルマとハンショウヅルが、我家の庭に自生しているのを見つけたからです。
初めは見つけた花の名前もわからなかった僕ですが、この原種の思わず息を飲むような美しさに、すっかり魅了されました。
借りている畑のそばに小山があり、そこに村のお墓があって、当地の短い夏の燃え上がるような青空(標高が高いためでしょうか、この青は、決して抜けるような青空ではない)と、沸き立つ白い雲を背景に、鬼百合が咲き乱れて風に揺れています。
愛犬の散歩で通ると、この風景は思わず、その場でしばらくの間、立ち止まって見とれてしまうくらい、恐ろしく美しいです。
そしていつも、T.S.Eliot の EAST COKER の詩の中の篝火を囲む死者の舞踏のシーンを必ず思い出します。
さらにその思考の流れは条件反射的に、マティスのダンスへと、「男はつらいよ」第38作「知床慕情」の中の踊りのシーンへとつながり・・・・。
まあ要は、このような特になんていうこともない平凡な夏ですが、最近、少し年をとったせいか、取り立ててどうということもない、取るに足らない物事に、深い味わいを感じるようになりました。
以上です。
2021年8月11日
和田 健
追伸:
本日、F60号2枚にサインをしました。
Today’s Studio Photo (TSP) として、これまで主に制作過程の記録を残す形で、いわば日々の制作の引き出しの中を整理してきましたが、ちょうど50回になったこともあり、TSP の掲載は、一応、今回でやめようかなと思います。
それから、例えば上記のクレマチスの朝霞など、我家の日々の暮らしの様子につきましては、妻(古いフランスピアノの修復師です)のサイトの中の「日々いろいろ」のコーナーに、それこそいろいろと掲載されておりますので、よろしければ合わせてご覧になってください。
http://francepiano.blogspot.com/search/label/日々いろいろ
それでは、常軌を逸した連日のこの大雨と、猛威をふるうデルタ株の感染拡大から、皆様がどうか守られますように!
2021年8月18日
和田 健