Archive for artiste peintre

COUP DE CŒUR AWARD!

Posted in Exhibitions 2012-2021 with tags , , , , , , on 6 April 2021 by kenwada

スペインの Artcertificate が主催する International Art Competition ABSTRACT ART 2021 で、COUP DE CŒUR 賞を受賞しました。
主催者側の発表で、世界中から300人以上のアーティストが参加して、700作品以上応募されているということでしたので、今朝連絡をいただくまで、忙しくて全く気にしていませんでした。
今年の新作の黒と青の作品を3点提出したのですが、その内、2点も受賞して大変ありがたいことです。
本当にありがとうございました。

2021年4月6日
和田 健

Cher mes amis,

J’ai le plaisir de vous annoncer que j’ai gagné le prix coup de cœur du concours d’art international Abstract Art de 2021!
Artcertificate en Espagne a organisé le concours qui a réuni plus de 300 artistes du monde entier et plus de 700 oeuvres toutes catégories confondues.
Merci beaucoup!

Bien amicalement,
Ken WADA

COUP DE COEUR

Untitled 2021 No.3

Ken Wada

COUP DE COEUR

Untitled 2021 No.4

Ken Wada

VIRTUAL ART FAIR 2021 が始まりました!

Posted in Exhibitions 2012-2021 with tags , , , , , , , , , , on 3 April 2021 by kenwada

いやー、これは面白い!
ここまでのクオリティーで展覧会がオンラインで開催できるのでしたら、コロナ禍のこの時代、もうこれからはこの様式が、少なくとも今後しばらくの間は定着するのではないでしょうか。
僕にとって初めて参加するオンライン展覧会、VIRTUAL ART FAIR 2021 が、2021年4月1日から始まりました。
18か国から37人のアーティストが参加して、2021年6月1日までの2ヶ月間、開催されます。
日本人は僕一人だけなので、頑張らなきゃ?いけませんね。

始まったばかりですので、感想もまだまだこれからというところですが、ぱっと思うところを少しだけまとめますと、アーティスト側にとってのメリットは、作品の搬入・搬出にかかわる輸送業者との手続きが不要で輸送コストもかからない、オープニング・レセプションに出席するために現地に出向かなくてもよいなど、まあそういった脱炭素、非移動、非接触、というあたりでしょうか。
それから、うまく表現できませんが、世界中誰がどこにいても平等に観れるという、何かピュアでフェアな感じがするんです。
つまり、僕の言いたいことは、垣根がないと言いますか、フラットであると言いますか、お高くとまっていないとでも言いましょうか、さらに言えばリベラルな感じさえしますが、例えば皆さんは、ギャラリーを訪れた時に、何か冷たいクールな感じがして敷居が高いな、僕などが入っていいのかな、入るのに何だか躊躇するな、緊張するな、勇気が要るなと思ったことはありませんか?
僕などは、これまでに何度もそのような思いをしました。
もう様々な業種、業界で、これだけイノベーションが行われ、世の中が大きく変わってきているのですから、そうした旧態依然とした因習、風習、しきたり、まあ言い方は何でもいいんですが、もうそういうのは絵画の世界でもやめて、是非フラットにしませんか、ということなんです。
そこでパンデミックの作年から、僕が具体的に構想していることを、下に英語で少し書きましたので読んでください。

話が飛びましたが、逆に、オンラインの展覧会には、もちろんデメリットもあります。
まずは、何と言っても実物の作品を観たり接したりすることができない、作品を観てくださった方の生の声や感想を聞けない(ただしオンラインでもチャット交流はできるようになっています)、他のアーティストとの交流や出会いがない、展覧会を通して、その国や街の文化を知る貴重な機会を失う、というところでしょうか。

でもこれからさらにあと数年は覚悟しなければならないコロナ禍の時代において、みんながそれぞれの制約の中でこれだけ我慢を重ねながら、明日への希望を何とかつなぎとめて必死に生きている、そうしたこの特異な状況の中にあっては、この方法が昨年から世界のアート関係者が模索してきた解の一つであるように思います。
今回のパンデミックに、いち早く反応したニューヨークのギャラリーの動向をだいぶ注視してきましたが、やはりこの解を軸として動いています。

まずは何はともあれ是非一度ご覧になってみて下さい。
展覧会の会場内の様子と、展覧会のeカタログと2種類用意されています。
入場無料です。

僕はB-16ブースで、昨年制作した新作8作品(いずれも未発表)を展示しています。
おっと、いけない!
よそみして、ぼやっとしていると、会場内で迷子になりそうです!

https://www.contemporaryartstation.com/enter-art-fair

2021年4月1日
和田 健

Dear friends,

It is my pleasure to inform you that VIRTUAL ART FAIR 2021 organized by CONTEMPORARY ART STATION opened on April 1st, 2021.
The Art Show is held by the London-based organization from April 1st to June 1st, 2021.
This is my first participation in Virtual Exhibition/Art Fair in my artist career, that’s why I’m very excited!
You can find my eight artworks from last year “Untitled 2020 ーfrom the series Green and White Paintingsー” on view now at the Virtual Booth(B-16).
It’s included 37 participating artists from 18 countries in the Art Fair.
Admission free.
Please enjoy both the Exhibition Space and the Online Catalog!

Have a nice weekend!

Warmest regards,
Ken WADA

https://www.contemporaryartstation.com/enter-art-fair

P.S.
I found such an online exhibition to be a great solution in this difficult situation of the COVID-19 pandemic.
So, please imagine and follow what I’m thinking about right now.

There is a small gallery in the forest…,
The walls of the gallery are green…,
The season is spring…,
A lot of butterflies are flying in the garden…,
Many flowers are in full bloom…,
New green leaves are very beautiful…,
And when you open the door of the gallery, you can hear the sound of a doorbell.
Then, you can find a mysterious cat at the entrance…,
And the cat guides you through the rooms…,
My artworks are hung on the walls…,
You can see the paintings and labels well by clicking…,
There is a small sofa in the living room…,
And you can also drink a cup of tea/coffee there…,
There is a donation box at the exit, and if you like this solo show, you can donate voluntarily.
Of course, you are free to choose whether to donate or not.
But now the artists are in this pandemic, have no income and their lives are very difficult, so the donations will help their lives.

Then, I have already considered the autumn version of this gallery.
It means, my idea is to hold a solo exhibition at this gallery in the forest at least twice a year, in spring and autumn.
Unfortunately, I don’t have this kind of computer technology, so I would be very happy if anyone could create such a virtual gallery.
I would like to work with him/her, and we do it all virtually!
It’s my current projects and inspiration.
Thank you.

Untitled 2021 No.7 ーfrom the series Black and Yellow Paintingsー

Posted in Works 2021 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 2 April 2021 by kenwada

無題 2021 No.7
ーシリーズ黒と黄のペインティングからー
2021年3月
北軽井沢 作品 No.424
画布にアクリル
97.0×130.3 cm

Untitled 2021 No.7
ーfrom the series Black and Yellow Paintingsー
March 2021
Kitakaruizawa Works No.424
Acrylic on canvas
38.5×51.5 in.

Sans Titre 2021 Nº7
ーde la série Noir et Jaune Peinturesー
mars 2021
Kitakaruizawa Œuvres N°424
Acrylique sur toile
97.0×130.3 cm

Untitled 2021 No.6 ーfrom the series Black and Yellow Paintingsー

Posted in Works 2021 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 1 April 2021 by kenwada

無題 2021 No.6
ーシリーズ黒と黄のペインティングからー
2021年3月
北軽井沢 作品 No.423
画布にアクリル
97.0×130.3 cm

Untitled 2021 No.6
ーfrom the series Black and Yellow Paintingsー
March 2021
Kitakaruizawa Works No.423
Acrylic on canvas
38.5×51.5 in.

Sans Titre 2021 Nº6
ーde la série Noir et Jaune Peinturesー
mars 2021
Kitakaruizawa Œuvres N°423
Acrylique sur toile
97.0×130.3 cm

Today’s Studio Photo No.9

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , , , , on 25 March 2021 by kenwada

Painting 2
Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
March 25, 2021

Painting 1
Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
March 25, 2021

う〜ん、苦しい!
これだけ苦しかった記憶は、ちょっとない。
前回の Today’s Studio Photo No.8 で、もう見えたようなでかいことを書いておいて、その後、まるで将棋で王手、王手で詰まれる時のように、ものの見事に一手一手と追い込まれ、あっ、まずい!追い込まれていくな、とは痛切に感じたけれど、切り返しの一手が打てず、打開の一手が見出せず、袋小路へ袋小路へとうまい具合に誘い込まれ、挙げ句の果てに全滅した。
その誘導の仕方が、実に狡猾で、まず外堀を埋めてから、退路を断って、退路を断ってを繰り返して(波状攻撃で)くるので、首根っこを押さえつけられて、ぐうの音も出なくなる。
3月14日がどん底で、地に落ちて、全部黒で消して、最初からすべてやり直して、そんな全部消すことは、よくあるのだけれど、今回はそれとはちょっと違う!
絵画とは改めて、恐ろしいものだなと思う。
例えば「僕/私は、絵画に習熟、熟達、熟練しています」なんて言葉が仮にもし存在したとして、それを読んだり聞いたりしたとしたら、そんなのはすべてこれほどわかりやすい真っ赤な嘘もないくらいの大嘘です。
そして、そんなことがわかる(判断できる)ようになってもどうしようもない。
僕の今までの人生の経験から、どのような職種であっても、5年、10年と集中して仕事をしていけば、例え No.1 にはなれなくとも、一人前という言葉があるように、もう少し習熟してくるものだけれども、絵画は一切、それを受け付けない、お前に生意気なことだけは絶対に言わせないよって向こう(絵画)から言ってくる、決して高を括れない。
そういう仕事が好きな人にはいいですけれど、人間というのは、長い間同じことを続けていれば、普通、少しは一人前な口をきいたり、自然と高を括りたくなるものなんです。
Painting 1 は、今日の制作の終わりに黒でつぶしました。
つぶすかどうかの判断のポイントは、線が追えなくなった時、色と形が追えなくなった時=描いていて楽しくない時です。
絵画とは、異様なまでに情け容赦のない、そして何かある種形容し難い潔癖さのかたまりのようなものです。

「カラマゾフの兄弟」の再々読 その4

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 18 March 2021 by kenwada

最後に三男アレクセイ(アリョーシャ)。アリョーシャにつきましては、初回に書いたことと、ほとんど変更はありません。僕は、リーズとの恋愛は破滅すると思います。一緒にくっついてきそうな善良な「人はいいけれどなんら定見のない」(中巻、p.91)ホフラーコワ夫人については、作者ドストエーフスキイ自身も何か微笑ましいおしゃべりな夫人として見ている感じがしますが、でも毎日、こんな風になんとかですわ、なんとかですわ、なんてやられたらたまりませんが。しかしそれにしてもドストエーフスキイは、脇役のこうした生き生きした姿や点描を書かせたら、それこそ天下一品ですね。もう見事と言うほかありません。つまり、僕の言いたいのは、こうしたホフラーコワ夫人やスネギーレフ二等大尉、「罪と罰」の僕の大好きなマルメラードフ、そういったクラスの脇役でなくとも、もっと小さな役、例えばミーチャがピストルを質入れする若い官吏ペルホーチンですとか、極端に言えばその息子の台詞のない!ミーシャにいたるまで、まるで彼の手にかかると何か魔法のように、いつも躍動感にあふれた生き生きとした人間描写の登場となります。
このホフラーコワ夫人の娘のリーズには非常に大きな問題があります。具体的には、下巻のp.148、149あたりで展開されるユダヤ人の復活祭の子供の話です。今まで全て本文を引用しながら話を進めてきましたが、ここでは引用するのもためらわれます。ドストエーフスキイは何故このような話をここへ挿入したのでしょうか。これはよくない。ドストエーフスキイのこうした負の側面については、どのように考えられているのでしょうか。全体として圧倒的なまでのそれこそ前代未聞の崇高にして深遠なるテーマを与えてくれるために、こうした負の側面があってもよいということにはならない。和田さん、そんな小さなことには目をつぶりなさいよ、何といっても彼は世界の大文豪なのですからとはなりません。この理屈が通ることは、決してあってはならない。ましてや文学だとか絵画であるとか芸術分野でその理屈が通ることはあってはならない。むしろそれに対抗するのが、芸術の本来の役割であるはずですから。この論理が一旦まかり通ると、それは現在、世界中で繰り返されているように、大きな平和のためには、小さな平和は犠牲になってもやむを得ないということにつながります。それから僕がよくないと思う別の意味として、後世の作家がこの手法を形として、要は悪のエピソードを挿入する形式として、取り入れようとする危険性を伴うのではないか、と考えるからです。

次に、第一部で二十歳のまるで天使のようなアリョーシャについて、ドストエーフスキイが冒頭部分で思わずギョッとするようなことを言っています。僕は、結局この物語の最後まで、冒頭部分のドストエーフスキイのこの言葉が忘れられませんでした。
「問題は、彼もおそらく活動家なのであろうが、それもきわめて曖昧で、つかみどころのない活動家だというところにある。もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、むしろ奇人に近い人物だということである。」(上巻、p.10、11)
ドストエーフスキイはこの物語を「単にわが主人公の青年時代の初期の一刹那のことにすぎない。」(上巻、p.11)と言います。
「第一の小説は今を去る十三年の前にあったこと」(上巻、p.11)ですので、彼は三十三歳になったアリョーシャの何を二十歳の時点ですでに看破しているのだろう。二十歳のこの上なく天分に恵まれた瑞々しい青年もやがて四十歳になり六十歳になります。心酔する六十五歳のゾシマ長老の「娑婆」(上巻、p.144)で生きなさいという教えに従い修道院から去るところ、「われわれが彼を置き去りにして以来、アリョーシャはひどく変わっていた。彼は法衣を脱ぎすてて、今は見事に仕立てたフロックコートをまとい、短く刈りこんだ頭には、柔らかい丸い帽子をかぶっていた。それらがひとかたならず彼の風采を引き立てて、すっかり美男子に仕立てていた。」(下巻、p.44)という変貌や、大変な非常事態ではあるけれども、一度は神につかえた身でありながら、三つ目の駅長に「だから、イワン兄さんやカーチャが僕にそうしてくれと頼んだら、そのときは出かけて行って賄賂を使うつもりです。」(下巻、p.492)とあるところ。
その辺りから、さらに考えてみようと思います。

僕がこの物語に惹きつけられるのは、父フョードルはもちろん言うまでもないとしても、ミーチャ、イワン、アリョーシャと、三兄弟がみんな不完全で病んでいることにあるのかもしれないなと思います。そのことが逆に、誰でも一人一人何とか必死で生きているんだなという、人と人とのつながりの連鎖の実感のようなものを、妙にリアルにまざまざと僕に感じさせてくれるのです。
それは、僕は今年五十八歳になりますが、これまで生きてきて出会った人は、本当にただ一人の例外もなく、みんな病んでいたことに深く関係し通底しているのかもしれません。僕は誓いますが(無論僕は当たり前のこととして)、今までの人生で、病んでいない人に出会ったことは一度としてありません。

最後に、第二部のスタートで当然予想される3組のカップルの設定、すなわち、ミーチャとグルーシャ、イワンとカーチャ、アリョーシャとリーズの内、この後、何とか、それもあくまで何とかです、幸せになれそうなのは、これはあくまで僕の推論になりますが、罪人同士であるミーチャとグルーシャであることを、ドストエーフスキイはすでにはっきりと認識しているのではないかということに、何か深いものが感じられるように思います。
すなわち、人間は、自分は罪人であるということを深く自覚した者同士でなければ、決して幸せにはなれないということに。

僕は、今、ドストエーフスキイは第二部の冒頭をどこで始めるかということを考えています。別に深い意味はありません。文字通りその場所です、起点です。どの場所で第二部の物語をスタートさせるか、これを集中して考えています。
「だが僕は間もなくこの町を去ります。たぶん長いあいだ帰って来ないだろうと思います。」(下巻、p.511)というアリョーシャのエピローグ(このエピローグのイリューシャの埋葬の部分ですが、何て言いますか、物語の音階のようなものとでも言えばよいのでしょうか、意識的に一オクターブ上げて書いているような感じがしてとても気になります。このラストの章だけ、何故トーンが異質であり、メルヘンチックでさえあるのか、2つの理由から考察してみました)の言葉と合わせて、僕には非常に興味があります。
それは誰だって、第一部の冒頭部分を精読すればするほど、第二部が読みたくなります。それはわかり切ったことです。
ただ僕には、もう一つの理由があるように思います。それは作者であるドストエーフスキイが五十九歳の若さで亡くなってしまった、せめてあともう何年か生きていてくれたら、この第二部が読めたのにという思いが、人間ですから誰しも当然湧き上がってくるように思います。さらに言えば、本当にせめて初めの十ページ分くらいでもよいので遺稿があれば、第二部の物語の方向性や全体像が大きくわかったことでしょうね。そのことはどうみても間違いありません!
そこで僕の関心、ドストエーフスキイは、どこの地点から第二部を始めるか?
それによって、その後の物語のベクトルが自ずと決定され、全体の構造が描かれていく訳ですから、始点Aを間違いなく完璧に設定してくるでしょうね。
そこでキーポイントになってくる問題は、十三歳のコオリャ・クラソートキンですね、コオリャの居場所だと思います。コオリャはどうしてもアリョーシャに再会しなくてはなりませんから。
しかしそれにしてもドストエーフスキイという人は、すごい全体構想を組み立ててくる人だな。異常な熱意、そして細心の注意を込めてこの生意気な「年端のゆかぬ」(下巻、p.11)十三歳の少年を書いている。この子が第二部の核になると、まるで公言しているようなものだな。
つまり、ドストエーフスキイは第一部を書きながら、同時に頭がすでに第二部に行ってしまっている感さえある。と言いますか、「本当は僕は第二部が書きたくてしょうがないんだよ、そのための第一部なんだよ、わかるかい?」という気持ちが、本からはっきりと漂ってくるようです。
二十六歳になったコオリャの生活の拠点を、ドストエーフスキイはどこに設定してくるか。ここをドストエーフスキイたる者がぬかる訳がない。僕には見えませんが、彼は、もう完全にこの点を押さえてしまっている。彼が完全に押さえてしまっているということだけは、よく伝わってきます。で、それはどこなのか?
ちなみに、第一部の舞台であるこの小さな町は、全編を通じてただ一度だけ名前が出てきますが、「スコトプリゴエフスク」(下巻、p.126)といいますが、もう長くなりましたので、この辺りでやめます。

僕の話は拙く、大変お粗末でした。

2021年3月18日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読 その3

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 16 March 2021 by kenwada

次に次男イワン。実はここが一番難しい!これは考えれば考えるほどわからなくなる。
まず第一部のイワンのこの病気ですが、「震戦性譫妄性」(下巻、p.252)です。おそらく現在の言葉でいう振戦せん妄のことだと思われます。調べてみましたが、アルコールの離脱症状(俗にいう禁断症状)のひとつで、長期間の飲酒歴のある重度のアルコール依存症者が、飲酒を中断または減量した際に生じるそうです。そこでまず、大酒飲みのミーチャがこの病気にかかるのでしたら少し理解できますが、たいした酒飲みでもないように思われるイワンが、何故この病気にかかっているのかということが解せません。ですが、まあその点はすっ飛ばして、現在イワンは、アリョーシャいわく、「いま一人のほうは瀕死の床にたっています」(下巻、p.511)と、ほとんど死にかけています。
ですが、イワンは死にません。そのことをドストエーフスキイは、きちんとほのめかしています。それは「彼はモスクワから帰ると早々、カテリーナ・イワーノブナに対する燃えるような、物狂わしい情熱におぼれきっていたのである。けれど、後日イワン・フョードロヴィッチの全生涯にその映像をとどめた、その新しい情熱については、いま物語るべき機会ではない。これはまた、別な小説の主題を形造るべきものである。が、その小説にいつか取りかかるかどうか、それは作者自身にもわからない」(下巻、p.204)とあることからわかります。
一体にドストエーフスキイという作家は、ほのめかす、におわすのが、本当に好きな作家ですね、僕はそう思います。「何はともあれ、あらかじめ何か先手を打っておこう」(上巻、p.12)という記述もあります。つまり、イワンはカテリーナと暮らしながら、グルーシャの言うその「傲慢な唇」(下巻、p.499)に翻弄され、「争ったときとかひどく怒ったときなどは(そんなことはたびたびあった)」(下巻、p.205)ように、喧嘩の絶えないカップルとして、次第に疲弊していくのではないでしょうか。
イワンを考える時に、僕にとって非常に鍵になるスメルジャコフの分析があって、それは一度目はスメルジャコフ本人の口からイワンへ、二度目はイッポリット検事の論告の中でスメルジャコフから聞いた話として出てきます。これは読み落としてはいけない箇所であって、明らかに意図的にドストエーフスキイは二回繰り返しているように思います。
一度目の分析であるイワンのスメルジャコフとの三度目の最後の会見では、「とてもだめなことですよ、あなたはあまりに利口すぎますよ、なにしろあなたがお金のお好きなことはよくわかっています、あなたは自尊心の強いかたで、このうえもなく名誉を重じていらっしゃます。それに美しい女はことのほかお好きなんです。が、なかでもあなたの一番にお好きなのは、誰にも頭を下げないで、安らかに、楽しく暮らすことなんです、ーそれが何よりお好きなんです、だからあなたは、永久に自分の生涯を棒に振ってまで、そんな恥さらしなことをわざわざ法廷へ出てなさるおつもりはありませんよ。あなたは三人の御兄弟のうちでもいちばんフョードル・パーヴロヴィッチに似ておいでですよ、ことに精神はあのかたにそっくりです」(下巻、p.248)とあります。
ちなみに、この後のイワンの言葉は要注意です。「「おまえはばかじゃなかったな」イワンはなにかに感動したようにこう言った。彼の顔は急に赤くなった」(下巻、p.249)です。僕の考えでは、イワンはこの時、生まれて初めて自分のことを正確に指摘されて当を得たのではないでしょうか。簡単に言うと、自分よりも頭のよい人間を初めて目の当たりに見たのかもしれません。これに対して、スメルジャコフはさらに、「わたしをばかだと考えていらっしゃったのは、あなたのうぬぼれですよ。」(下巻、p.249)と、本質をつく形で切り返します。
イッポリット検事の論告の中に出てくる二度目は、「つまり、「三人の息子たちの中で、その性質からいって、最もフョードルに似通っているのは、あのイワンです」と、彼はわたくしにこう言いました。」(下巻、p.373)です。
ところが、イワンは翌日法廷へ出てきます。
「ついでに兄ドミトリイ・フョードロヴィッチに対するイワンの感情について、ほんの一言だけ述べておくが、彼は全然ミーチャを愛していなかった。」(下巻、p.191)とありますように、全然愛していなかったミーチャのために出廷します。出廷前日には、出廷するという「堅い決心」(下巻、p.251)ができたことで、歓喜、幸福、快感さえ覚えます。
何故か?何故イワンは出廷したのか?僕の考えは、スメルジャコフの言う自尊心の強さを再認識できたからではないでしょうか。そのことが、「彼は自分の内部に無限の強さを自覚したのである。」(下巻、p.250)や、「だが、おれはなんという自己反省の力を持っていることだろう!」(下巻、p.251)につながります。
結論として、イワンは、前々回に書きましたように、完璧な芸術家になる素質はもっていながら、つまりその点は僕の意見は変わらないのですが、絵の具で自らの手を汚す芸術家にはならずに、ただし並外れた非凡な審美眼はもっている、ないしは育っていくと思いますので、芸術家を食い物にするという言い方は非常によくない、芸術家を使うという言い方もよくない、何と言ったらよいのでしょうか、今の言葉で言ったらアート・ディーラーとして頭角を表して成功し、富裕になるということは考えられると思います。何かをクリエイトする人間になるためには、もっと進んで恥をかけるマインドが必要だと思います。
長男、次男ときて、初回の僕の第二部の夢想は、ここへ来て今や完全に崩壊しました。

また長くなりましたので、アリョーシャは次回にします。

2021年3月16日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読 その2

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 15 March 2021 by kenwada

2021年3月11日、奇しくも東日本大震災のあの日から10年目の夜に3度目の「カラマゾフの兄弟」を読み終わりました。
まあ、それはいつかは読み終わるわけですが、前回の記事の後に考え続け、自分の読み込みが甘かったなと思いました。
反省とか修正とかそういう不遜な気持ちではなく、その後このように僕は考えましたということを、たとえ取るに足りない僕の意見であっても、きちんと書いておかないで、このままいい加減にしておくのは、やはり一度書いた以上は無責任だなと思いました。
そこで、前回の僕の第二部の夢想の続きを以下に書きます。
前回に書きました前段の説明のようなものは飛ばして、いきなり本題から入ります。
それから今回もタイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります。
したがって例えば、「カラマーゾフの兄弟」ではなく、「カラマゾフの兄弟」になります。「ドストエフスキー」ではなく、「ドストエーフスキイ」になります。
また引用した本文中のページ数は、その都度、直接文中に括弧書きで入れました。その方が、欄外にまとめて注記するよりも読みやすいかなと思ったためです。

まず長男ドミトリイ(ミーチャ)。
ミーチャが大芸術家になるだろうという僕の考えには基本的に変わりはありません。
問題は、作者ドストエーフスキイ自身が、これだけ第一部の終わりで第二部への具体的な布石を打っている以上、やはりそれに基づいて状況を整理しておかないといけないなと思いました。
そこでまず以下の4つに整理いたします。
1. 脱走が成功して、なおかつミーチャがグルーシェンカ(グルーシャ)とともにアメリカに逃げる場合。
2. 脱走は成功するが、ミーチャが一人でアメリカに逃げる場合。
3. 脱走せず、あるいは脱走が失敗に終わり、ミーチャがグルーシャとともにシベリアに20年の懲役に行く場合。
4. 脱走せず、あるいは脱走が失敗に終わり、ミーチャが一人でシベリアに20年の懲役に行く場合。
考えられる場合の数は、一応この4つでよいのではないかと思います。
それは例えば、ミーチャが護送中に急死してしまう(あり得ないことではない)とか、何らかの事由で、船がアメリカではなくメキシコについてしまうとか・・・、おお、その方が断然面白そうだ、ミーチャにはアメリカよりもメキシコの方が、英語よりもスペイン語の方が似合う!僕はメキシコで実際に一ヶ月間暮らしたことがありますので実感としてよくわかるんです!とか始まると、また脱線しますので、場合の数はこの4つ。
それから、ミーチャがシベリアでの20年の懲役中に脱走する可能性は、彼の気性から考えて否定できないと思います。「もし僕が途中でか、あちらへ行ってからでも、鞭打たれるようなことがあったら承知しないつもりだ、僕はそいつを殺してそのために銃殺されるだろう」(下巻、p.490)とあるからです。ただそうした3のa、3のbの場合のようなことまで考慮に入れていきますと、これはちょっと収拾がつかなくなりますので、ここではやめておきます。
この中で、まず最初に、愛し合う二人の結び付きの強さから、4は考えられないと思いますので却下、ここは特に異論はないと思います。すなわち、ロシア国内でしたら何としてもグルーシャはついて行くと思います。そうです、まるで「罪と罰」のソーニャのように。
そこで具体的に、1から3の3つの場合について考えればよいことになります。

まず1。ミーチャ自身がエピローグの中で、「僕がグルーシェンカと二人であちらへ着いたら、さっそくどこか遠い寂しい土地へ行って、熊といっしょに百姓を始めるんだ。きっとまだ人里はなれた土地が残っているだろうからな」(下巻、p.493)とアリョーシャに語っていますので、やはり普通に考えて百姓をするのだと思います。そして労働と英語の稽古の三年間の後、ロシアに戻って来て、「どこかの片田舎で百姓を始めんだ(原文ママ)。そして一生アメリカ人で押し通すんだ、・・・これが僕の計画なんだ」(下巻、p.494)と彼の「決心」は続きます。
うん、そうなるとこれは芸術家になる可能性は非常に少ないな。ロシアの片田舎で絵を描き始めたミーチャが、その才能故に目立ってしまったりすると、「もしわかったらまたシベリアへやられる」(下巻、p.494)からです。片田舎の農家の納屋をアトリエにしてひっそりと描き続け、やがて村人に見つかってしまい発覚してしまうが、村人の中に芸術に理解の深い人がいて・・・、また脱線!やめておきます。

次に2。これは注意深く読むとわかるのですが、カテリーナ(カーチャ)のグルーシャへの激しい憎悪が、この状況を仕組むことは大いにあり得ると思います。すなわち、グルーシャを幸せにしてたまるかという嫉妬、意地悪、あんな奴売女なんだから、という訳です。このカーチャという女性は、高徳の淑女として出てきますが、要は大変なお嬢様なのですが、非常に多くの問題をもっています。ほとんどこの女性を追うだけでも一つの小説として「カラマゾフの兄弟」は読めるのではないでしょうか。そして作者ドストエーフスキイ自身が、「重要な小説は第二部になっている」(上巻、p.11)と明言している第二部で、この女性とイワンの関係を書こうとして、そのためのいくつかの布石をあらかじめ打っていることは、ほぼ明白だと思います。
そうなるとこれは、ミーチャはアメリカに行かないのではないでしょうか。行くわけがない、そんなミーチャではない、「ここから三つ目の駅」(下巻、p.478)で脱走が成功して自分一人だと、グルーシャがそばにいないとわかった時点で、カーチャの激しい憎悪を察知し、またまたミーチャは激怒、絶叫、髪をかきむしり、その時、彼が乗っているものが、すなわち、港までの脱走の移動手段が、馬車なのか鉄道なのかは判明しませんが、そこから間違いなく飛び降りるのではないか。彼がそのまま移動を続けて、どこかの港から船に乗ってボーッとアメリカに行くというのは、ちょっと考えられない。したがって2は、結局3に吸収されるのではないか。

そこで3。これは「死の家の記録」が非常に参考になります。当時の囚人たちのあの状況の中で絵を描くということは、客観的にみてちょっと考えられない。したがって、「罪と罰」のラストシーンに広がるようなシベリアの限りない美しさの中で、自然美に目覚めたミーチャが、自然からの啓示を心にため続け、徐々に堆積してきたものが、非常に遅いスタートになるけれども20年後に絵を描こうという気持ちをもつようになるかもしれない。

以上より、「彼はその時まだやっと満二十歳であった(中の兄のイワンは当時二十四、長兄のドミトリイは二十八であった)。」(上巻、p.34)、「ドミトリイ・フョードロヴィッチは二十八歳で」(上巻、p.125)とありますから、ミーチャが芸術家になるのは、早くとも20年後48歳の時ということになり、大芸術家になる資質は埋もれたままで長い時が流れ、僕の第二部の夢想は早くもこの時点で頓挫することになりそうです。

長くなりましたので、イワンとアリョーシャは次回にします。

2021年3月15日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読のことなど その1

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 9 March 2021 by kenwada

2021年1月24日に読み始めた「カラマゾフの兄弟」(中山省三郎訳、角川文庫)の再々読は、下巻の公判の尋問場面まできて、もう少しで終わりです。
素晴らしい読書体験の時にまれに起こる残りのページ数が減っていってしまうことが残念であるような、全部読んでしまうことが何だかもったいないような、ここからペースダウンして読もうかなという、今あの感覚に包まれています。
もうこれだけ世界中で広く読まれてきて、数えきれないほどの研究者がいて、日本にも多くの専門家がいて、僕などの初学者が言うようなことでは、全くありませんが、広く知られていますように、作者ドストエーフスキイ自身が、この物語の主人公はアレクセイであること、そしてこの小説には第二部があることを、冒頭部分ではっきりと明示していますので、第二部が構想されていたことは、まぎれもない疑いようのない事実であり、それについてアレクセイがテロリストとしてうんぬん、という今の研究の成果や流れのようなことには少し目を通してみました。
ですが、僕は一応画家ですので、その第二部は決して面白くない訳ではありませんが、あまり興味をひかず、僕はまるで正三角形の頂点ABCならぬDIAのようなこの三兄弟がそれぞれ芸術家に、具体的には画家になったら、さぞかし面白いだろうなと思い、以下勝手に第二部を夢想してしまいました。(タイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります)

まず、長男ドミトリイ(ミーチャ)。
彼はおそらく間違いなく大芸術家になるでしょうね。間違いない。近代の絵画史で言ったら、フィンセント・ファン・ゴッホ級の大芸術家になると思う。確信できるものがある。この小説の第一部(すなわち角川文庫版でいう上中下巻)の主人公は、やっぱりミーチャだな。これは傑出しているというか、圧倒的というか、2004年に初めて読んだ新潮文庫版や2009年に再読した時の光文社古典新訳文庫版でもそう思いましたが、世界文学史上において、これ以上に書けている人物像、人間描写というものが、具体的に他にあるのでしょうか?少し考えただけでもダンテの「神曲」の中の登場人物をもってこないと十分に対抗できないように思います。
まるで今すぐにでも本人が紙面から躍り上がって飛び出してくる感じがします。
再読の時に、この三兄弟を抽象画で表せるだろうかというのをずっと考えていて、描き表す色で言えば、すなわちパレットに用意する色は当然赤。

ところで、ここで話はそれますが、ふと思って、果たしてゴッホは、「カラマゾフの兄弟」を読んだのだろうか?
これは非常に興味深い問題だ思う。ゴッホは書物が手に入るとまるで貪るように読んでいるので、活字への異様な飢えを感じますので、もしかしたら読んでいるかもしれない。「カラマゾフの兄弟」の刊行が1880年だから、1890年に亡くなったゴッホが(問題はフランス語に翻訳された初版本がいつ出版されたかですが、調べてみましたら1888年に出ているようです)、時系列的には読んでいる可能性が、あくまで可能性としてはあるかもしれない。
そこですぐに以前よく読んでいた「ゴッホの日記」(岩波文庫上中下巻)にあたってみる。
ない!
トルストイ、ボードレール、モーパッサン、聖書、ゾラ、ゴングール、フローベール、バルザック、ユゴー、ダンテ、ボッカッチョ、ディケンズ・・・、様々な名前が出てくるけれども、確認できる範囲ではない。
それなら話は、なおさら興味深くなってくるのだけれども、ゴッホがもし「カラマゾフの兄弟」を読んだとしたら、ミーチャに何を感じたか?自分と同じものを感じたか?炭鉱で牧師をしていた若い日々をふと思い出しはしなかったか?
「ゴッホの日記」が出たついでに、僕の長年の懸案であることをもう一つ。
ゴッホと弟テオは、この膨大な手紙のやり取りを、何故、パリ時代からフランス語で書いたのか?ということ。
普通、兄弟の手紙のやり取りは生まれ育った親密な母国語で書くでしょう、ましてや絶大な信頼を寄せる兄弟間で、つまりはオランダ語で。
これも僕にとっては非常に興味がある。

次に、次男イワン。
ドミトリイが大芸術家なら、この第一部の病気さえ治ったら、彼は完璧な芸術家になるでしょうね。
具象画、抽象画、人物画、風景画、どんな絵を描くかはわかりませんが、具象画なら、まず完璧に遠近法をマスターしてきた上でかくだろうな。
抽象画ならそれこそ同じロシアの後輩のワシリー・カンディンスキーのようになるだろうな。
完璧。隙がない。
色で言えば、再読の時は青と思いましたが、何故か再々読で変化して黄色。

さて、ここまでは僕にもわかるくらいだから、誰にでもわかることであって、問題はこの後、三男アレクセイ(アリョーシャ)。
これは難しい!アリョーシャは色で言えば黄緑。これは変わらない。
縦横斜め、誰がどこからどう見てもこの三兄弟の中で、一番温和で性格のバランスがとれていて、まるで天使のような優しさや誠実さに溢れていて・・・。
最初はモネの数々の作品のような詩情あふれる限りない優しさに満ちた絵を描くかなと思っていたのだけれど、違う!
モネにはもっとミーチャ並みの凄まじい、ぶっ飛ばすような頑丈なハート、まるで肉に食らいつくような闘志、執念、粘りがある!
そこで僕の直感による予想。
直感というのは大事ですよね、言わば今までのその人の人生のすべてがその一点に凝縮して集中される訳ですから。
僕はアリョーシャは絵が描けないのではないかと思う。
おそらく手帳に描くようなスケッチとかそういう類いのものは、さらさらと抜群にうまいのではないか、思わずまわりにいた誰もが覗きこんでしまうような。
ただうまく言えませんが、絵は描けないのではないか。
何故そのようなことを思うのだろう。
つまり先に直感による仮説を大胆に提示して、後からそれについて考えて少しでも肉づけしていく手法。
と言いますのは、わかること、手の内にあることばかりやっていても仕方がありませんから。
仕方がないというのは別に投げやりな意味ではなくて、脳が伸びない変化しないという感じの意味です。
もちろん間違えるかもしれない。
でも僕が僕に直感を提示して間違えて、僕が恥をかく訳だから、僕は別に誰にも迷惑はかけない。
何故、アリョーシャは絵が描けないと思うのだろう?
わからない。
・・・・
おそらくアリョーシャには罪がないからだな。罪がなければ絵は描けない。この命題は成立するか?
直感の直感になってしまうけれども、ここは何かすごく大事だな。

最後に立命館の井田先生という方の分析が非常に勉強になりましたので、ここに添付してご紹介させていただきます。

1月にMITのOCWに熱中していた時に、世の中にこんなに素晴らしい講座が、無料で誰にでも公開されていて、コメントを読めばわかるように、世界中の若者がそれを使って猛勉強していて、現代において果たして大学に行く意義は何なのか、と自問していましたが、昔も今も◯◯大学の◯◯学部の◯◯教授に是非教わりたいという時に進学する意味はあると思うのですが、僕の考えは間違っていますでしょうか?

さて一昨日、2021年3月7日からフィラデルフィアでシャイム・スーティン/ウィレム・デ・クーニング展が開催されました。
行きたい!観たい!
この展覧会を初めて知った時、キュレーターの企画の段階で、もう勝負あったな!一本取られたな!という感じがしました。
そうきたか、その組み合わせできたかという感じ。
これからは美的センスって何ですか?って人にきかれたら、これですと答えよう。
そして僕も、ミーチャ/フィンセント展企画で対抗しよう。
天才スーティンのことを、そしてスーティンがどれだけの天才であるかを、もっともっと多くの人に広く知っていただけたらと思います。
日本でも決して知名度が低い訳ではありませんが、この程度の認知度におさまっているのは、ごく単純な理由からで、それは彼の作品にまとめて大量に接する機会が少ないからです。
例えば、ジャン=ミシェル・バスキアの系譜をたどれば、(ここはよく勘違いされていますが)天才というのは決して一人で突如としては出てきませんので、まずジャン・デュビュッフェの影響をあげるのは簡単であって、その先に僕は、スーティンがいると思う。
もう絵と言うよりは、脳が歪んでいます。
僕はフランス時代にまずポンピドゥー・センターで衝撃を受けた後、2007年10月から2008年1月にかけてのパリ8区の Pinacothéque de Paris の展覧会、その展覧会名もそのまま SOUTINE で洗礼を受けました。
その時、ちょうど100作品まとめて展示されていました。
片やデ・クーニングは、もちろん大芸術家には相違ありませんが、僕はどちらかというと天才と言うよりは、偉大なる努力家、年代順にレンブラント、ゴッホ、デ・クーニングときて、やはり何か共通するものを感じませんか?
オランダに連綿と続く、並外れた桁外れのハード・ワーカーの系譜・・・。
パリやロンドンでは、あまりデ・クーニングがまとめて観れなくて(実際に所蔵点数が少ないように思います)、僕は初めてニューヨークに行った2016年4月に、The Met で開館時間の30分前から並んで、よーし、今日はデ・クーニングを浴びるほど観るぞ、と思って全て回って、そうしたら1枚しかなくて、係員にデ・クーニングのフロアはどこですか?僕は、デ・クーニングのフロアはなくとも、少なくともせめて専用の展示室はあると思っていたから。そうしたら調べてくれて1点ですって言われて、その1点は観ました、あとはどこにあるのですか?ないって言われて、The Met に、このアメリカ最大の美術館に、デ・クーニングが1点しかないって言って、そうしたらそれはすごく理解できるって言ってくれて、でもその時、1点でも観れたら幸せなんだなということを、上記のスーティンの話と矛盾するようですが、何だかしみじみと感じました。
せめてオンラインで少しだけでも触れてください。

https://www.barnesfoundation.org/whats-on/exhibition/soutine-de-kooning

最後に僕のサイト史上、第二問目のクイズ。
下の写真の自転車に乗っている偉大な芸術家は誰でしょう?
ということで、もうほとんどクイズになりませんね。
答えは写真をクリックしていただくとわかりますが。
しかし、それにしても素晴らしい写真だな。
僕はアトリエに貼っています。

Photograph ©2020 The Estate of Dan Budnik. All Rights Reserved.

2021年3月9日
和田 健

Today’s Studio Photo No.8

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , , , , on 8 March 2021 by kenwada

Painting 1, Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
March 3, 2021

よし見えてきたぞ!
前回の Today’s Studio Photo No.7 が2月19日で、今回の No.8 が3月3日か。
この間、毎日制作していたので12日間として、それは制作過程として必ずあることなのだけれども、なかなか見えてこないできつかった。
72 Yellow Pieces の誕生。
この後、余程ぼーっとしていなければ、すなわち油断しなければ、もう放さない、大丈夫かなと思う。
まだまだ、ここから長い道のりですけれども。
ただもう見えています。

先月23日に、陛下のご会見をすべて観た後、YouTube で「美術家 篠田桃紅 102歳」を観ていて、篠田さんが「墨は絶対に絶望はさせない、いい気にもさせない。」と仰られていて、ああ、絶望だけはさせないんだなと、非常に印象に残りました。
つまり、僕はその時、少し絶望しそうになっていたものですから。
「墨」の字を「絵画」や「アクリル」に置き替えても同じですね。
今、これを書いていてもう一度念のために調べて、今月1日にお亡くなりになったことを初めて知りました。
今日まで全く存じませんでした。
当日の僕のメモです。
「物の形を写すのではなく、形を生み出したい。」
「筆の柄が長ければ長いほど、多様になるし、デリケートになる。」
「
書道と絵はアレンジとクリエイトの違い。」
「規則の中でやれなくなっちゃった。」
メトロポリタン美術館で初めて作品を観た時の誇らしかった思いは今も忘れません。
ああ、日本人で The Met に入っている人がいるんだなと。
最期まで現役を貫かれて、長い間、本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

https://www.youtube.com/watch?v=yq8tIHOm0SQ

2021年3月8日
和田 健