ドストエフスキー(1821-1881)の「未成年」(1875)を読んで 第三回「一市民の一読者である僕からみたドストエフスキー」その2

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(第二回から続く)

③さてさて三点目になりますが、今回もまた然りなのですが、ドストエフスキーの物語の中で死ぬ人の数の多さですよね、この問題は以前からかなり気になっていましたので、「未成年」の物語の流れに沿う形で、ちょっと念を入れて調べてみました。

ただし、ヴェルシーロフが二十五歳のときに亡くした妻 (上の9) ですとか、三月ほどまえに死んだ役所の課長のアンドロニコフ (上の37)、つまりは、アレクセイ・ニカノローヴィチ (上の134) で、この方は重要ですので人数に入れるかどうか迷うところではありますが、それから、ソコーリスキー老公爵のもう二十年もまえに亡くなった妻 (上の47) ですとか、オーリャの亡くなった七等管の父 (上の370)、すなわち、ダーリヤ・オニーシモヴナの夫ですね、この人たちまでを数に入れてしまいますと、もう収拾がつかなくなりますので、ここでは物語の本筋に直接関係のある、原則として物語が語られ始めてから死んだ人物を中心に限定させていただきます。

そうしますとですね、物語が語られ始めてからまず最初に死ぬのは、まだアルカージイがモスクワ時代の逸話に出てくる捨て子のアリーナ (アリーノチカ) (上の201から205) ですよね。
ひどく貧しい指物師とその女房のダーリヤ・ロジヴォノーヴナの間に結婚八年目にやっとできた、ついこのあいだ亡くした同じ名前の乳呑み子 (上の202) も数に入れたいところではありますが。

それでは、番号をつけて、( )の中に死亡した原因を入れて整理していきます。
1人目、アリーノチカ (口中にできた小さな白い発疹による病死)

次が、クラフトですよね、「ところが拳銃で自殺してたのよ!」(上の333)。
2人目、クラフト (拳銃自殺)

さらに、これは物語が語られ始めた時点ですでに亡くなっていましたが、「リーディヤ・アフマーコワは産後二週間ほどして死んだ」 (上の358) は重要ですので、ぜひ数に入れさせてください、要はカテリーナ・ニコラーエヴナの義理の娘ですね。
「哀れにも恋の炎に焼かれた娘がマッチの燐を飲んで自殺をはかったというのである。」(上の143) とあり、「黄燐マッチ」(上の313と上の358) のドストエフスキーのほのめかしが気になりますが、「肺病で死んだ」(下の380) ことになっています。
3人目、リーディヤ・アフマーコワ (肺病)

また、カテリーナは最初から「まだ若い将軍未亡人」(上の47) として登場いたしますので、夫であった「当主のアフマーコフ将軍」(上の138から) は、「一年半まえ」(上の138) から物語の開始時点までの間に、すでに中気の二度目の発作で亡くなっているのですが、アフマーコフ将軍の「先妻」まではともかくといたしまして、この将軍もぜひ数に入れさせてください。
4人目、アフマーコフ将軍 (中気による発作)

次が、かわいそうなオーリャで「あなたが話していたあの若い娘が、部屋で首を吊ったんだよ」(上の367) です。
5人目、オーリャ (首吊り自殺)

上巻で死んだ人はここまでですが、皆様、大丈夫でしょうか?
これでも「未成年」は、ドストエフスキーの他の作品に比べて、人殺しの少ない作品だと思うのですが、だんだんと気持ちが暗くなってきますよね、でもここは一度徹底して調べてみましょう。 
下巻に入りますと、まずはマカール・イワーノヴィチの「ある除隊兵の話」(下の205) ですね、この話の中で兵士が「五日目になるととうとう首を吊ってしまった。」(下の206) とありますが、この兵士までは数に入れなくてもよいと思います。
そして次が、 短編の挿入の箇所 (下の217から242) です、短編の挿入はドストエフスキーお得意の手法で、他の作品でもみられますよね、思わず僕はおっ、短編が来たぞ!という感じで、楽しみにしながら読みました。
と言いますのも、ドストエフスキーはその長編であまねく知られているわけですが、短編を書かせても超一流です。
具体的には「キリストのヨールカに召された少年」「百姓マーレイ」「百歳の老婆」の三作品をあげます。
まだ、お読みになっていない方がおられましたら、この機会にぜひ一度手にとってみてください。
いずれも、「作家の日記2」(ちくま学芸文庫) の中に収録されています。
ちなみに、皆様にご紹介する以上はということで、三作品とも再読してみましたところ、ご参考までにこの主題に関して、それぞれの小品で死ぬ人の数は「キリストのヨールカに召された少年」が判別に多少迷うところがありますが6人、「百姓マーレイ」は0人、「百歳の老婆」が1人でした。
それから、これはおそらくなのですが、ドストエフスキーは短編の制作になりますと、一瞬のうちに頭の中で描き上げてしまうのだと思います。
これを僕は個人的にドストエフスキーの「脅威の直感思い込み理論」と呼んでいるのですが、脳が非常に絵画的な発達をしており、スケッチが速い!
締め切りに追われて十分な推敲もままならないままに、直感で書き進めていったところに逆に生まれてくる箴言、今回の「未成年」でもものすごいのが一つ無神論者のところで出てきます (下の187) が、それは最終回にさせていただきます。

さて、挿入されたこの短編に戻りまして、これはマクシム・イワーノヴィチという大金持の商人の話なのですが「なんでももらったその年に嫁さんをいじめ殺してしまったとかいうことだ。」(下の218) の「嫁さん」までは数に入れないにしても、「いまわのきわまでマクシム・イワーノヴィチを呪いつづけ」(下の220) て死んだ後家の若い夫はぜひ数に入れようと思います。
そして、まだ若い後家と五人の子供たち、上から順に八歳の男の子、四歳の女の子、三歳の女の子、二歳の女の子、一歳の女の子があとに残され、一歳の子をその始まりとして五人ともみんな死んでしまうという凄惨な内容です。
6人目、若い後家の夫である商人 (借金をした上でみじめに死ぬ、具体的な病名等は書かれていない)
7人目、 一歳のまだ乳呑み子の女の子 (百日咳)
8人目、 四歳の女の子 (百日咳)
9人目、三歳の女の子 (百日咳)
10人目、二歳の女の子 (百日咳)
ただし、8人目、9人目、10人目のうち「一人は往来で馬車にひかれて死んだ」(下の223) ことになっています。

さらには、今度は一人生き残った八歳の男の子が「そしてざぶんと河へとびこんだ!」(下の231) で死んでしまいます。
11人目、八歳の男の子 (水死による自殺)

それから、この男の子の最期の場面の絵を描いたピョートル・ステパーノヴィチが、「その夜いっしょに飲んでいた男に殺されて」(下の236) 死にます。
12人目、ピョートル・ステパーノヴィチ (男に殺害される)

さらに、マクシム・イワーノヴィチとこの若い後家との間に生まれた「玉のような男の子」(下の240) が亡くなります。
13人目、赤ん坊の男の子 (急に熱を出して病死)

そしてこの後が、「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老に、さらに言えばゾシマ長老の若い兄が最期に見たものにつながる系譜の重要人物マカール・イワーノヴィチですね、アルカージイの「戸籍上の父」 (上の9) です。
「わたしは急いでそばへかけよろうとして、ぎくりとした。老人はもう死んでいたのだ。」(下の360)
「『心臓破裂だ!』とヴェルシーロフは言っていた。」(下の360)
14人目、マカール・イワーノヴィチ・ドルゴルーキー (心臓破裂)

さてさて、物語もラストシーンの大活劇?を経て、第三部第十三章の「エピローグ」(下の587) を迎え、ドストエフスキーが誰々はその後こうなったと物語の整理にかかります。
その中で読者にとって判明したこととして、まず「のっぽ」のアンドレーエフが「のっぽはピストルで自殺したのである。」(下の597)
15人目、アンドレーエフ (ピストル自殺)

次が、重要な登場人物である二人の公爵のうちの一人、ニコライ・イワーノヴィチ老公爵ですね、「夜更けに、寝床の中で、卒中で死んだのである」(下の597)。
読んでいるとかなりの高齢のように感じられますが、老公爵と言いましても、「老人とはいえ、彼はまだ六十をこえていなかった」(上の46) とあります。
下巻で「n’est ce-pas?」を連発する弱々しい彼は、とても五十代には思えませんね。
16人目、ニコライ・イワーノヴィチ老公爵 (卒中)

さらに、もう一人の公爵であるセルゲイ・ペトローヴィチ公爵、若公爵の方ですね、「健康を回復しないままに、判決を待たずに、病院で死んだ」(下の600) とありますね。
彼は「監獄の貴族収容所」(下の161) に入っていましたが、「その朝彼は病院に移され、夕方にはもう脳炎をおこしたのである。」(下の282)
要は、彼は「熱病」(下の282) にかかり、「脳炎」という流れで死にます。
そして、リーザは彼の子どもをお腹に宿したまま流産します。
17人目、セルゲイ・ペトローヴィチ公爵 (脳炎)

以上です。
結局、僕の選別方法による考察では計17人になりました。
ここで問題となっているのは、いや誰々も入れて18人だとか、いや誰々は含めずに16人だとか、そういうことではもちろんありません。
この17人という数が、一人の小説家が文学作品を成立させるために必要な数として、果たして妥当なものなのか、多いのか少ないのかなどということは、僕にとっては手に余る問題であり、まるでわかりませんが、あくまでも専門外の一般的な感覚で考えましたら、僕はこれはやはりかなり多い数なのではないかと感じます。

要は、ドストエフスキーにとって、なにゆえに人が死ぬということが、作品の成立にとって必要なのかということですよね。
ドストエフスキーにとっては、死ぬということが、作品の構成上、逆に生の喜びを引き立てているとでも言いますか、生きることに光を当てている、スポットライトで照らしているということではないですよね、それでしたら、若い後家の五人の子どもたちが全員死んだりはしませんから、そういう要素は「罪と罰」のラストシーンを除けば、僕はあまり感じないのです。
それではなぜなのか、う〜ん、これは非常に難しいな、端的に言いまして、なにゆえに彼の作品ではかくも多くの人が死ぬことが必要なのでしょうか?
少なくとも一つ感じることは、ドストエフスキーはロジックでものを書いていませんよね、小説家として生業として書いていて、普通もう少し怖さを感じると思うのですよね、編集者とかからも「こんなに人が死んでいたら誰も読まないよ」とか言われると思いますし、やっぱりもう少し萎縮すると思うのですよね、でもそれは一切ない。
そんなよくある次元ではまるで生きていない、もうまるでものが違う、それは日々の日常のことですから、決して簡単なことではないですよね、それではそれがなぜできるのか、う〜ん、なにか自分の思想を極めようとするところの、追求しようとするところの、思い込みであり直感であり、なにかの執拗な気質なのだろうな。
まあ、これはあくまでも一般的なイメージとしての話ですけれども、と言いますのは、何事にも例外というものがありますから、それでも例えば、大学の文学部ですとか、カルチャーセンターの小説講座ですとか、そういったところからドストエフスキーが生まれてくる感じはまったくしませんね、非常に特異であり異質です。

もう長くなってしまいましたので、僕がこれまでに考察してきましたその他の事柄を簡単に説明させていただきまして、終わりにさせていただきます。

④少しだけ上述しましたが、マカール老ですね、「悪霊」のチーホン僧正に始まり、「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老、ひいてはゾシマ長老の若い兄が最期に見たものにつながる一連の系譜です。
なにゆえにドストエフスキーは、この一連の系譜を物語の中に取り入れてくるのかにつきまして、今回新たな気づきがあり、思考を深めました。
この神の存在の一連の系譜は、いかにも専門家の格好のテーマになりそうですので、出版後すでに151年も経ち、研究し尽くされていることと思います。
例えば、そのモデルは⚪︎⚪︎僧であるだとか、どこまでがドストエフスキー自身の言葉であり、どれとどれが⚪︎⚪︎僧の言った言葉であるとかですね。
僕の言う新たな気づきとは、そうではなくて、なにゆえに作品中に絶えず組み込むのかということについてです。

⑤月日、時間に執拗にこだわると言いますか、必ず日時を特定してくるドストエフスキーの手法です。
どこがって、もう全部が全部そうですね。
この1870年代にすでに確立していたミステリー風の手法、及びその先進性は、彼の日常生活、時間に対する日頃の偏執からもたらされたのではないかという考察。
あくまでも、その一例として、
「なんともふしぎな話だよ、アルカージイ。きみはそこに三時から四時までいて、タチヤナ・パーヴロヴナは不在だった、と言ったな?」
「ちょうど三時から四時半までです」
「ところが、おかしいじゃないか、わしは三時半かっきりに、それこそ一分とちがわずに行ったのだが、タチヤナ・パーヴロヴナは台所でわしを迎えたんだよ。」(上の599)
をあげておきます。
もう一つ、ドストエフスキーが登場人物のおおよその年齢を、常に特定してくることも絶対に見逃せません。

⑥ヴェルシーロフの「千人」(下の389、395、396、403、405)) 思想です、これと五回にわたる象徴としての「靴屋」(上の255、256、359、360及び下の389、562) が、トランプ遊びの神経衰弱に例えますと、裏を返した時に、引き当てるカードになっているのではないかという考察。

(最終回に続く)

2026年9月25日
和田 健

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14.6×19.3 in. (37.0×49.0 cm)

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ドストエフスキー(1821-1881)の「未成年」(1875)を読んで 第二回「一市民の一読者である僕からみたドストエフスキー」その1

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 20 September 2026 by kenwada

(第一回から続く)

それではいよいよ本論に入ります。
僕はなにもロシア文学や歴史の専門家でも研究者でもなんでもありませんし、わからないところを教えてくださるような方も全くいませんので、つまりは、僕はただの一市民の一読者ですから、その僕がテキストだけを頼りにどこまでドストエフスキーを分析できるかというのが今回のテーマです。
また同時に、小説家というものが、なにも専門家や研究者のために書いているのではないだろう、それはやはり一市民の一読者のために書いているのではないかという僕の思いもあります。
それでは、拙い文章になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

①まずはやっぱり、なんと言っても相変わらずのドストエフスキー劇場、うーん、なんて言いますか、ちょっと物語の組み立て方や場面転換があまりにも劇場版であるとでも言いますか、劇場仕立てなのが、今回はかなり気になりました。
なにかドストエフスキー自身が劇場にいて「未成年」という劇を一観客としてはらはらしながら、なおかつ同時に制作責任者として観ている感じがどうしてもします。

これにはあれでしょうか、1875年に「祖国雑誌」という雑誌に連載されたことが多少なりとも影響しているのでしょうか?
僕は文学のことはまるでわかりませんが、どうも作家が雑誌や新聞などに連載するとあまりよくない、要するに読者を飽きさせず惹きつけておくために、その回の終わりを思わず次回も読みたくなるような魅力あるものに自然にしようとして、多少今の若者の言葉で言うところの盛ってきますよね、あれは、よくないですね、まあ、生業ですのでやむを得ないのでしょうけれども。
しかしですね、具体的には 、いいですね、そうです、なんでも具体的に書きましょう!
「彼女はわたしの袖をつかんで、二人のいる部屋の隣の暗い小さな部屋に案内すると、やわらかいじゅうたんの上をそっと仕切りのほうへ連れてゆき、垂れているカーテンのすぐそばにわたしを立たせて、カーテンの隅をちょっとずらして、わたしに二人を見せた。(下の493、494)
これはちょっといくらなんでもドストエフスキーは、やり過ぎなのではないでしょうか?
もうこうなりますと、なにか覗き見的な趣味が感じられますね。

また、ラストのシーンですよね (下の581から586にかけて)、ヴェルシーロフが「彼女の頭めがけてピストルを振上げ」て、にぎり直してカテリーナの顔にねらいをつけて・・・これってどうなんでしょうか、なんだかもうここまでいくと率直に言って劇画の類いだなと思いました。

結果として、どの場面も室内室内また室内で、アルカージイが通りを走ったとか、馬車に乗ったとか、通りで誰々に出会ったとかをのぞけば、今回は外の景色の描写はほぼ皆無であり、ドストエフスキーは「罪と罰」でマルメラードフの部屋を書いて以来、室内の描写をさせたら天下一品、それこそ右に出る者は確かにいないとは思いますが、開放感からはほど遠い感じを受けました。
その点、先輩作家のゴーゴリは風景の描写をさせたら「死せる魂」におけるごとく天下一品、これもまた右に出る者はいませんね。
なにか両者のベクトルが内向きと外向きの真逆の向きになっている感じが強くしました。

②二点目は、今回もまた然りなのですが、特定の人種に対する執拗なまでの攻撃ですね、具体的にはユダヤ人に対する攻撃なのですが、これはやはりよくない、僕はこれは非常によくないと思います。
ドストエフスキーといえば、単なる文豪ではありませんよね、これだけの作品群を遺されたのですから、ドストエフスキーといえば、やはり大文豪だと思います。
大文豪である彼が、十字架に磔にされたキリストの見た風景をキリストの視点で思い描ける稀有な才能をもった彼が、これだけユダヤ人を中傷すれば、これは当然のこととして、それはドストエフスキーの生きていた時代においても、あるいは彼の死後においても、そのことがどれだけの影響を与えるかをドストエフスキーは確実に見抜いていましたよね、計算していましたよね、ドストエフスキーはある意味でとても正直な人間ですから、それを感じない訳がない。
つまりはそこに僕はドストエフスキーの甘美を感じるのです、確実にわかっていて甘い喜びを覚えていたと思うのです、僕は。

また、同時にこういうことも考えられます、すなわち、ドストエフスキーほどの知性を持ち合わせるということは通常あまりないと思われますので、これをそれほど頭のよくない人は、ということはほとんどの人がということになりますが、逆手にとって主張の拠り所として借用してくるということは多分に考えられます。
すなわち、大文豪のドストエフスキーがこう言っているんだからということですね、ユダヤ人攻撃の根拠として掲げてくる可能性はかなり高い、と言いますか、すでにあったのではないでしょうか、それであれば、これは本当に非常によくない。
上巻の4箇所にユダヤ人に関連した記述が出てきますよね、具体的には 、いいですね、そうです、なんでも具体的に書きましょう!
「まだモスクワで、『理想』が生れたその日からと思うが、質屋にも、高利貸しにもなるまいと決意したのである。そんなものはユダヤ人と、ロシア人の中でも頭も気骨もないやつらにまかしておけばよい。担保だの利息だのということは──凡俗のするしごとだ。(上の173)
「多くのユダヤ人どもの有害なよごれた手から」(上の190)
「そこで、当然、全般的な酸化というような現象が起る。つまり大勢のユダヤ人どもがやって来て、ユダヤ王国をつくるわけだ。」(上の455)
「左隣に、これも終始はなれずに、どうやらユダヤ人らしい、実に嫌味なしゃれ者が坐っていた。(中略) そしてふと気がつくと、このジュウめが片手をのばして、悠々とその一枚を自分のまえへ移動させているではないか。(後略)」(上の616)
この「ジュウめ」の原語はおそらくですが、差別用語なのではないでしょうか?

それから細かく読んでいくと感じられることなのですが、フィンランド女のマーリヤとタチヤナ・パーヴロヴナの間であらそわれた簡易裁判所の訴訟事件 (下の176から)、これは明らかに茶番ですよね、マーリヤは物語の最後には(20+200=)220ルーブリで買収されてスパイまでしている、そもそもの最初からマーリヤの登場は「まず手はじめに、女中のことを述べよう。これは意地わるい、しし鼻のフィンランド女で、女主人のタチヤナ・パーヴロヴナを憎んでいたらしいが」(上の325) 云々と、どうみても好意的には書かれていない、これをフィンランド人へ蔑視ととられてもドストエフスキーは仕方がないと思います、ここのところ。

それで次は、ポーランド人です。
アンドレーエフがレストランで近くの席のポーランド人の発音を挑発しますよね (下の321から)、メンバーはラムベルトと「あばた面」のセミョーン・シドールイチ、書き手の「わたし」ことアルカージイとトリシャートフ、アンドレーエフの5人でしょうか、これもよくない。
さらによくないのは、その後のアルカージイの台詞です。
「きみはぼくらに恥をかかせた、ポーランド人などに給仕みたいにぺこぺこあやまって、なんたるざまだ。」(下の334)

さらには、フランス人に対してもあります。
「ラムベルト、きみは──幼稚だし、フランス人なみのばか者だ。」(下の446)
「ばかを言え、このフランス人め、ぼくは──スパイじゃないぞ、だが頭はいいさ!きみなぞにわかるまい、ラムベルト、彼女は彼を愛してるんだぞ!」(下の514)
ちなみに、ラムベルトはロシア人です。

最後の極めつけの仕上げとして、ドストエフスキーが標的にしてきたのがドイツ人です。
「もっともあのドイツっぽのビオリングは、金も惜しかったらしいがね。」(下の557)
「まあね、あのドイツっぽはあの女におちつきとやらをあたえるんだってさ。」(下の557)
「要するに、『上流階級』を装っていても、粗暴なドイツ兵の地金が出たのである。」(下の561)
「こういう激怒にかられるとこのドイツ人という民族は、かなり聡明な人間でも、往々にして靴屋の職人なみのなぐりあいの喧嘩をしかねないのである。」(下の562)
もう容赦ない感じですね。
ドストエフスキーのような気持ちの優しい、愛にあふれた人間というのは、往々にして裏を返すとナショナリストになるのかなあ。

ちなみに、この「靴屋」ですが、これもかなり気になって、なにか靴屋になったらいけないのかなという感じですよね、と言いますのは、他でも四箇所でこの「靴屋」が象徴として使われていて「そうですとも、おまえを靴屋の弟子にやるくらい、アンドレイ・ペトローヴィチは簡単にできたはずですよ!」(上の255) 云々とタチヤナ・パーヴロヴナはアルカージイに息まき、「たしかにぼくは、ヴェルシーロフに靴屋の弟子にやられなかったことだけで、どうしても満足ができないほどに、根性が卑しいのですね。」(上の256) とアルカージイが答える場面があり、それから、セルゲイ・ソコーリスキー公爵が言い張ることとしてワーシンの口から「しかし自分ではたらいてパンを得なければならず、しかもほかにできるしごとがないとしたら、靴屋の弟子になることがなぜいけないのだ?看板に、何某公爵靴店と書いたら──それこそ品があっていいじゃないか」(上の359、360) と続き、さらには、ヴェルシーロフはアルカージイに「いよいよわしもささやかな靴屋にでもなって生涯を終る時代がきた、などというみじめったらしい考えは毛頭もたなかったよ。」(下の389) と出てきますので。

長くなりましたので、ここで一旦区切らせていただき、続きはまた次回とさせていただきますが、なにかドストエフスキーの特定の人種を攻撃するというこの問題の中にこそ、今の日本の若い世代の方が、ここから逆に成し遂げられることが含まれているのではないかと思います。
例えば、ラグビーの日本代表ではないですけれども人種の融合や連帯ですよね、つまりは、若い方が「未成年」を熟読した上で「新未成年」を書く、できないことはないですよね、そこにこそ未来への道標があるような気がいたします。
そして、それは世界全体にとっても、現在の潮流、時勢、時代の流れをとめるために、決定的に大事なことなのではないでしょうか?
日本には天才が生まれにくい土壌があり残念ですが、苦しみながらも試行錯誤しながらも、今の日本の若い世代の中から必ずやそうした天才が生まれてきて欲しい、僕は切実にそう思います。
それはなにも小説家に限ったことではありません。

(第三回に続く)

2026年9月20日
和田 健

100% ART FIGURATION & ABSTRACT ART 2026 AWARD!

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 17 September 2026 by kenwada

皆様、こんにちは。
スペインの Artcertificate が主催する国際アートコンペティション「100% Art Figuration & Abstract Art 2026」に応募したところ、僕が今年の8月に制作した作品「無題 2026 No.3」が、COUP DE CŒUR (HEART STROKE) 賞を受賞しました。

主催者側の発表で、今年は世界中から180人以上のアーティストが参加して、800作品以上が応募されたそうです。
このコンペティションでの受賞は、これで6年連続になりました。
これからも、地道にコツコツと描き続けていきますが、このコンペティションへの応募は今回をもちまして終わりにさせていただきます。

2026年9月17日
和田 健

Dear friends,

It is my pleasure to inform you that I was awarded the HEART STROKE AWARD of the International Art Competition “100% Art Figuration & Abstract Art 2026” for my work.
Artcertificate in Spain organized the competition which brought together more than 180 artists from around the world and more than 800 works in all categories.

Warmest regards,
Ken WADA

Chers mes amis,

J’ai le plaisir de vous annoncer que j’ai reçu le PRIX COUP DE CŒUR du Concours International d’Art “100% Art Figuration & Abstract Art 2026” pour mon œuvre.
Artcertificate en Espagne a organisé le concours qui a réuni plus de 180 artistes du monde entier et plus de 800 oeuvres toutes catégories confondues.

Bien amicalement,
Ken WADA

Ken WADA, Untitled 2026 No.3, August 2026
India ink on paper, 11.8×15.7 in. (30.0×40.0 cm)

ドストエフスキー(1821-1881)の「未成年」(1875)を読んで 第一回「はじめに」

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 15 September 2026 by kenwada

皆様、こんにちは。

昨年2025年の8月に、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(岩波文庫版全14巻) を読了してから、ドストエフスキーの「白痴」(河出文庫全3巻) や、ギュスターヴ・フローベールの「ボヴァリー夫人」(新潮文庫) を読み終えたのですが、もちろん素晴らしい作品だとは感じましたが、それよりは同時期に読んでいたプーシキンの作品に特別な才能を感じ、なにか自分の中でドストエフスキーやフローベールにもう一つ燃え上がるものを感じず、つまりはジャストミートせず、改めて読書という極めて個人的な行為は、その時その時のタイミング一つだなあと、つくづく感じさせられました。

それからもう一つ、プルーストを読んで以降、どの作品を読んでいても短いなあ、短編だなあと感じるようになってしまい、「え?ボヴァリー夫人ってたった一冊しかないの?短いなあ」とかぶつぶつ言うようになって少し困惑しているのですが、別になにも困ることはないか、これもプルースト後の心境の変化なのでしょうか?

そのようなモヤモヤとした気持ちの中で、2026年7月27日に読み始めたドストエフスキーの「未成年」(新潮文庫上下巻、工藤精一郎氏訳) でしたが、2026年9月2日に読み終わりました。
まずこれは端的に言って小説なのでしょうか、もちろん小説なのでしょうが、僕にはなにか小説と言うよりも、これはミステリーやサスペンスもの・・・、なんて言えばよいのでしょうか、どこかある種の推理小説に近いものを率直に言って感じました。
そうなんです、まるで推理小説のようにエンディングまで物語を引っ張ってくることが、非常に気になりました。
そして、このくらい読みにくい小説になると、思わずスイッチが入りましたが、同時に物語に慣れてしまえば別にどうということもない感じもいたしました。
それは特にどの点に関してかと言いますと、まずは同一登場人物に複数の名前があるということですよね。
多くの読者が老公爵や若公爵のそれぞれの複数の名前あたりから混乱し始めると思うのですが、これなどはまだ序の口 (笑) で、なんとあのアルフォンシーヌにさえ、「アルフォンシーヌ・ド・ヴェルデン」(下巻のp.285) と「アルフォンシーヌ・カルローヴナ」(下巻のp.463) という二つの名前があるのですよね。
これにつきましては、我々は日本人だからロシアの小説に出てくるまずは名前が難しいのかとも思っていたのですが、ところがどっこい、そうでもない、同国人であるロシア人自身にとってさえも結構大変なのではないか、と言いますのは、老公爵が二度にわたって「わたし」の名前を間違えますよね、「失礼ですが、公爵、ぼくは──アルカージイ・アンドレーヴィチではありません。アルカージイ・マカーロヴィチです」(上巻のp.82)、「こちらはわしの若い友人、アルカージイ・アンドレーヴッチ (またアンドレーヴィチだ!)・ドルゴルーキー」(上巻のp.406)。
ドストエフスキーはここは完全に笑いをとりにきましたね、ドストエフスキーを読んでいますと、時々こうしたくすりと笑える箇所があって、ちゃめっ気やユーモアを感じますが、まあ、名前の問題は、これは慣れてしまえば別にどうということもない。
問題はこの「記録」の一人称の書き手である「わたし」ことアルカージイ・マカーロヴィチ・ドルゴルーキーがずっと物語を語っていく訳ですが、例えばアンドレイ・ペトローヴィチ・ヴェルシーロフが登場しては引っ込む、カテリーナ・ニコラーエヴナやアンナ・アンドレーエヴナがなにか言っては場面がめまぐるしく変わるということで、もぐらたたきではないですけれども、登場人物の思想や個性をつかむことがなかなか読者にとって容易ではない、僕はそのように感じました。
ちなみに今回、一番生き生きとイメージできましたのは、脇役なのですがお目付け役?のタチヤナ・パーヴロヴナでした。
とにもかくにも、僕はこの夏はどこへも行かずに、と言いますか、僕は別に夏に限らずどこへも出かけていないのですが、もうずっと「未成年」と一緒に過ごしていたなという感じで、「未成年」を毎日少しずつ読み進めるのを楽しみにして、つまりはここへ来ましてようやくジャストミートし、久々に本を読んだなとでも言いますか、まあ、それなりに面白かったです。
僕の場合は作品にヒットしますと、その冒頭部分から自然にメモを取り始めますので、自分でもすぐにそれとわかるのです (笑)。

これで一応、ドストエフスキーの五大長編を読み終わりましたけれども、別になんの感慨もないなあ、特にこれといったような達成感もありませんでした。
読んだ順にその回数は「罪と罰」を八回、「カラマーゾフの兄弟」を三回、「悪霊」を一回、「白痴」を一回、「未成年」を一回です。
もちろん、その一回一回には、本を読むことの楽しさや読解の喜びがありましたけれども、さて全体を通してとなると・・・、第一、ドストエフスキー本人はこれらをもって後期五大長編とするなんて構想をもっていたのでしょうか?
なにかそうするようにとでも指示した書き遺したものでもあったのでしょうか?
違うのではないのかなあ〜、制作者側の立場からすると、一作品一作品に集中しながら、あくまでもそれは自然の流れでそうなっていったのではないのでしょうか?
今から五大長編を書いて死ぬぞ〜なんてドストエフスキーが考える訳がない、現に事実として「カラマーゾフの兄弟」の第二部をすでに構想していましたよね。
アンナ夫人の書かれた「回想のドストエフスキー」(みすず書房1、2巻) を読むとよくわかりますが、五時の夕食時のにぎやかな家族団欒に、まず最初に息子のばあやに「ばあや、一杯どうだ」(みすず書房、2巻のp.88) とウオッカの杯をすすめて、非常に子煩悩で夕食後も子どもたちといて、話をしてやったり、寓話を読んでやったりして、その後、要は十一時ごろから執筆を始めて三時か四時まで仕事をする・・・、まだまだ書くつもりでいたと思いますし、そこまで集中し切っているドストエフスキーが自分の死後には、この五作品をと指定してくるような余裕はまるでなかったと思います。
つまりは、五大長編などというのは、あくまでも後世の人が定めた概念だということですよね。

それから、これはあくまでも僕にとってはということですが、究極のNo.1作品は、やっぱり「罪と罰」なのかなあ、なにか原石のような魅力とでも言いますか、野球選手に例えましたら、足が速くて肩が強い感じですね、その他の部分は磨いていけば、これから少しずついろいろなことができるようになるだろうけれども、でも足が速くて肩が強いことだけは最初から教えられない、なにかそんな感じがいたします。

以下、一市民の一読者として、と言いますのは、読書というものが万人にひらかれた自由で平等な権利であるという意味ですが、別にお金がなければないで図書館で借りてきて読めばいいだけの話ですし、僕には読書 (とりわけ古典) の中に埋没するという行為のみが、世の中でほとんど唯一の格差や差別のない真の意味での自由な世界であるように感じられるのです。
僕の中にそのような気持ちが強くありますので、そこで今回もでき得る限りテキストにそった形で、と言いますのは、一市民の一読者にとってはテキストだけが唯一の頼りだからですが、本文に忠実に考察していきたいと思います。
従いまして、引用ページの記載方法につきましては、なるべく簡略に上巻の50ページでしたら (上の50)、下巻の100ページでしたら (下の100) という形でお願いいたします。

それから、僕の読んだ下巻は、令和六年一月二十日発行のすでに二十二刷でしたが、誤植が一箇所あり気になりましたので、ご報告までさせていただきます。
アルフォンシーヌのやたらと長いフランス語の台詞の中にあります「vous savez, n’estce pas?」(下の117) は「vous savez, n’est-ce pas?」のミスプリントではないでしょうか?
しかし、それにしましても、このフランス語の台詞は長いですね、おそらくドストエフスキーの全作品中で最も長いフランス語の台詞なのではないでしょうか?
少し大げさに言いますと、一瞬、あれ?フランス語の本になったのかなと思うくらいですよね。
つまりは、僕の言いたいことは「(ロシア語にしてしまうが、彼はフランス語で話したのである)」(下の113) や「(もちろん、フランス語でである)」(下の572) の手法を用いることなく、なにゆえ長々とフランス語で書いたのかということです。

ちなみに、この「n’est-ce pas」ですが、ニコライ・イワーノヴィチ公爵、要するに老公爵ですね、彼が (下の526) あたりから「N’est-ce pas, n’est-ce pas?」と連発してきて、品がよいとはお世辞にも言えなくて、なんだか思わず笑っちゃいましたけれども、とにかくしつこいくらいに繰り返してきますね。

それから、誤植の一ページ手前のところのフランス語の台詞 (下の116) で、やはりあれ?と思ったのですけれども、なにゆえ、これだけの悪党のラムベルトが、まあ、ありていに言って手込めにしているようなアルフォンシーヌを vous で呼ぶのかというのもよくわからない、当然、どうみましてもここは tu で呼ぶと思います。
ドストエフスキーは必ずそこに意味をおいてきますからね、必ずそこになんらかの意図がある、なんとなくそうなっちゃったなんてことは絶対にしてこないですから、この暗示、示唆、ほのめかしの裏の読み取りですね、ドストエフスキーの真意が僕にはわからない。

うん?これはあれなのかなあ、ラムベルトがとにかく「『それに加えて、この男はおそろしく無教養だ』」(下の316)、 また「きみはまったく無教養だ。」(下の348)、さらには「ラムベルト!きみはおそろしく無教養だよ、おどろくよ」(下の515、516) であるため、vous でしかフランス語を話せない、動詞の活用もろくにできないお粗末なフランス語であり頭だということを、ドストエフスキーは皮肉をこめて嘲笑しているのかなあ、であるとすればこれはちょっと陰湿だなあ、と言いますのは、それでしたらもっとはっきりと、ちょっと聞き取りにくいくらいのお粗末なひどいフランス語だったとか書いた方がよいのではないでしょうか。
または、これはあれかなあ、ラムベルトが似非上流階級を気取って、見せ掛けだけの vous で話している可能性もあるな。
現に気取りのない「のっぽ」のアンドレーエフは、「as-tu vu Lambert?」(下の312、330) と、tu で話していますから。

それからもう一点、これは誤植ではないので細かいことで恐縮ですが「この階下の三つの部屋になにかあったことに気づきはじめていた。」(下の136、137) は意味がとれません、上の「『墓穴』」に母と妹のリーザが移っていたのですから。
これは「階下」ではないですよね、同じフロアですから、現にその後に「わたしと隣りあいに住んでいながら」(下の138) と出てきますので。

それからさらにもう一点、またまた細かいことで大変恐縮ですが、細かいことの積み重ねが大切なんです、次第に大きな意味をもってきますから。
最初にラムベルトが出てくるくだりなのですが、ホテルの部屋で「彼 (ラムベルト) はフォークをつかむと、ぼくの太腿に突き立てました。」(上の65) とアルカージイが言いますよね。
ところが、これが下巻に入りますと、二度にわたり「ほら、いつだったか居酒屋できみがフォークをわき腹に突きさしたじゃないか!」(下の110)、「おぼえているかい、ラムベルト、ぼくたちモスクワで料理屋に行って、きみがフォークでぼくの脇腹を突き刺したことがあったな?」(下の315) に変わります、刺された箇所が「太腿」から「脇腹」へと変わり辻褄が合いません。
ここから感じられることなのですが、おそらくですが、ドストエフスキーは「祖国雑誌」に連載していく上で、前回までの分を読み返して入念にチェックしたりはしていない、締め切りに追われるように、時間のない中である程度切迫した状態で、次回掲載分を書き進めていったのではないでしょうか。
そのため、三回目の「脇腹」は二回目の「わき腹」から、まだそれほど紙数も経過していませんでしたので、ドストエフスキーの頭の中にまだ残っていて、「居酒屋」が「料理屋」に変わったくらいですんだのですが、二回目は一回目の「太腿」からだいぶ間隔が空きましたので、それで「太腿」から「わき腹」へと頭が飛んでしまい、ついでに「ホテルの部屋」も「居酒屋」に勝手に変更してしまったのではないでしょうか?

さてさて、それではいよいよ次回から「一市民の一読者である僕からみたドストエフスキー」ということで本論に入らせていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

(第二回に続く)

2026年9月15日
和田 健

第15回俳句「晩夏から初秋にかけての22句」『廃校のグランドかなし夏休み』

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 計490句 with tags , , , , , , , , on 10 September 2026 by kenwada

皆様、こんにちは、和田和園です。
今年は、八月下旬から小楢の団栗が我が家の屋根を叩き始めました。
また、森のきのこの初収穫が9月1日、山栗が落ち始めたのが9月2日で、さらには、森の木々の黄葉もすでに始まっていて、例年になく秋が来るのが早いような感じがしています。
皆様、どうぞお体を大切にして下さいね。

1 廃校のグランドかなし夏休み

2 蜩が鳴いて暮れゆく晩夏かな

3 友帰り疲れまどろむ夏の宵

4 ひっそりといつの間にやら嫁菜咲く

5 朝またぎカサブランカの息を吸う

6 蝉時雨近年急に増えにけり

7 縁側に釣鐘人参匂う夜

8 軒下の猫は正座し秋の雨

9 愛犬と庭のさかりの野菊かな

10 台風の雨にえぐれし小道かな

11 こほろぎや鶏(とり)に食われず鳴きにけり

至福なり
12 縁側で蟋蟀聞いて過ごす夜

13 妻見つけつまみ出されし竈馬(いとど)かな

14 団栗が屋根を打つ音夜(よ)のしじま

15 犬連れて気づけばそこに初紅葉

16 温暖化いつまで続く秋ついり

17 風情なし気候変動秋の雨

18 昨日今日明日も雨の九月かな

19 大雨に打ち倒されし野菊かな

20 山霧の暗き真昼を犬とゆく

21 露草や雨に濡れれば増す青み

22 踏まれても踏まれても増え蓼の花

2026年9月10日
和田和園

Untitled 2026 No.6

Posted in Works 2026 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 27 August 2026 by kenwada

無題 2026 No.6
2026年8月
北軽井沢 作品 No.617
紙に墨
37.0×60.0 cm

Untitled 2026 No.6
August 2026
Kitakaruizawa Works No.617
India ink on paper
14.6×23.6 in.

Sans Titre 2026 N°6
août 2026
Kitakaruizawa Œuvres N°617
Encre de Chine sur papier
37.0×60.0 cm

Untitled 2026 No.5

Posted in Works 2026 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 26 August 2026 by kenwada

無題 2026 No.5
2026年8月
北軽井沢 作品 No.616
紙に墨
24.0×55.0 cm

Untitled 2026 No.5
August 2026
Kitakaruizawa Works No.616
India ink on paper
9.4×21.7 in.

Sans Titre 2026 N°5
août 2026
Kitakaruizawa Œuvres N°616
Encre de Chine sur papier
24.0×55.0 cm