ニューヨークの展覧会が始まりました!

Posted in Exhibitions with tags , , , , , , on 13 December 2017 by kenwada

12月7日からNYCのギャラリーで展覧会 “Tripping the Light Fantastic” が始まりました。僕の3作品が展示されています。
今回は来年1月18日までの6週間のロングランですので気長にいきます。
年をまたいで続く展覧会というのは、初めての経験です。

NYCにお住いの方やこの年末年始にあちらにお出かけの方は、どうぞ応援してあげて下さい。場所は大きなギャラリーがひしめくことで有名なチェルシー地区の真ん中にあり、僕などにはもったいないような広くてきれいなギャラリーです。スタッフの対応もフレンドリーで気取ったところもなく、温かい雰囲気のギャラリーですので、どなた様もお気軽にご入場下さい。Director のAngela さんの厳しい鑑識眼のもと、この一年間のハイライトであるクリスマスシーズンに厳選された様々な作家の作品が展示されております。芸術家の生活は大変厳しいものがありますので、僕の作品でなくても構いません。どの作家のどの作品でも構いませんので、一点お買い上げ下されば、それがその作家にとって物心両面の大変大きな支えとなります。また同時に今回の展覧会ではお買い上げ頂いた金額の10%がThe Children’s Heart Foundation に寄付されます。皆様の芸術家へのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。
その他の詳細につきましては、11月6日に「ニューヨークの展覧会のお知らせ」と題してこのサイトに掲載したことと重複しますので省略致します。

Tripping the Light Fantastic
A Holiday Exhibition is on view at the gallery. The exhibition features a variety of works, and for every work of art purchased, 10% of the proceeds will be donated to The Children’s Heart Foundation
The show opened to the public Thursday, December 7th, 2017, with an opening reception  that evening from 6-8pm, and will run through Thursday, January 18th, 2018.
Please note that the exhibition will not be available for viewing on December 13 – 16.
My three artworks are exhibited at the gallery.

Agora Gallery
530 West 25th Street, New York, NY
10001, USA

My Gallery’s Artist Page
https://www.art-mine.com/artistpage/ken_wada.aspx

Agora gallery’s Homepage
http://www.agora-gallery.com

以下のサイトは今年6月の同ギャラリーにおける展覧会の時に、ニューヨークのイベント情報誌「よみタイム」に掲載された僕の紹介記事です。
http://www.yomitime.com/060917/1802.html

Untitled Sketches No.45 —As an Attempt to Image Poem

Posted in Images with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 12 December 2017 by kenwada

無題スケッチ No.45 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、聖ルフィーノ通り
映像、60秒

Untitled Sketches No.45 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Via S.Rufino, Assisi, Italy
Image, 60 seconds

Sans titre Croquis N°45 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Via S. Rufino, Assise, Italie
Image, 60 secondes

ハトは世界中どこへ行っても、僕の一番親しい近い友達。
僕はハトは人間の心の中の悲しみに気づくことのできる動物だと思う。
冗談などではなく、本当に。

これで「無題スケッチ」のイタリア編を終わります。
僕の拙い映像詩にお付き合いいただき、ありがとうございました。

No matter where I go all over the world, a pigeon is my closest friend. I think a pigeon is an animal that can notice the sorrow in the human heart. I really think so, not a joke.
Thank you so much for watching my Image Poems.

Untitled Sketches No.44 —As an Attempt to Image Poem

Posted in Images with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 11 December 2017 by kenwada

無題スケッチ No.44 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、聖ダミアーノの小道付近
映像、37秒

Untitled Sketches No.44 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Near Santuario di S. Damiano, Assisi, Italy
Image, 37 seconds

Sans titre Croquis N°44 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Près de Santuario di S. Damiano, Assise, Italie
Image, 37 secondes

聖ダミアーノの小道の横、
オリーブ畑と糸杉に囲まれた丘の上から街を見下ろし観想する聖フランチェスコ像。
聖人が1226年に亡くなって791年後の今も変わらず平和な小鳥のさえずりに包まれていました。
僕には聖人の像は彼が亡くなったポルツィウンコラの方角を向いているように見えました。

アッシジは祝福された街でした。
もうアッシジ駅に降りた時からキラキラ光る透明感溢れる空気、冷たいキリッとした空気が違いました。
そんな所があるのかって?
地球上、どこへ行っても空気なんて同じようなもんだろ?
違うんですね、あるんです。
その晩、ホテルで渡されたアッシジのガイドブックを読んでいて以下の文章を目にし、駅に降りた直後の自分の感想が正しかったことが確かめられた思いがしました。

『1962年10月4日、アッシジを訪れたヨハネ23世は、「なぜ神はアッシジにこの美しい自然と透明な空気、張りつめたような清浄感を与えたのだろうか。その答えは明らかだ。言葉を必要としないこのメッセージによって、世界中から訪れる人々に信仰を通じた隣人愛を悟らせるためなのだ。」と語った。』

言葉を必要としないこのメッセージ」・・・・素晴らしいですね。
思わず使い古されたこの本を買って(親切なホテルの方は20%引いてくれました)アッシジを後にしました。

Untitled Sketches No.43 —As an Attempt to Image Poem

Posted in Images with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 10 December 2017 by kenwada

無題スケッチ No.43 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、聖ダミアーノ
映像、62秒

Untitled Sketches No.43 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Santuario di S. Damiano, Assisi, Italy
Image, 62 seconds

Sans titre Croquis N°43 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Santuario di S. Damiano, Assise, Italie
Image, 62 secondes

聖フランチェスコが初めて神の声を聞いた聖ダミアーノの聖地。
遠くの救急車のサイレンの音が残念だが、N0.41 にも書いたように「映像詩」は、
それらすべてを含めて一つの音楽・詩を構築するのだという考え方。
この静寂の中、一刻を争う緊急事態で運ばれている人が同時にいる。
それを不都合だからとカットしてしまい、きれいな別の音声に編集してしまってはいけないでしょ。
人間の巧み、人為などというものをはるかに超えて、
冒瀆に近いものを、ある種の征服欲に近いものを感じます。
建物の内部に入ってそのあまりにも簡素、質素な祈りの部屋に心を打たれました。
感覚的には日本語の「庵」、ぼろぼろの庵に近い壮絶なまでのつつましさ。

St. Francis heard the voice of Christ and where he wrote the Canticle of the Creatures.
«Go, Francis, and repair my house which is falling, into ruin»
St. Clare died here in 1253 after living in this place for 42 years.

Untitled Sketches No.42 —As an Attempt to Image Poem

Posted in Images with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 9 December 2017 by kenwada

無題スケッチ No.42 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、ボルゴ・聖ピエトロ通り
映像、3分25秒

Untitled Sketches No.42 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Via Borgo S. Pietro, Assisi, Italy
Image, 3 minutes 25 seconds

Sans titre Croquis N°42 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Via Borgo S. Pietro, Assise, Italie
Image, 3 minutes 25 secondes

これまでの42本で一応ベスト。個人的には最も「映像詩」に迫れたと思う。ベストでこのくらいという人はどうぞ腹を抱えてお笑い下さい。
僕はこの時間にこのタイミングで聖ピエトロ大修道院の鐘が鳴るなんてことを知らなかったし、右下の猫も手足一本画面からはみ出さずによく頑張って?くれました。そして僕がストップボタンを押そうとしたまさにそのタイミングで鐘がピタリとやんだ。ノーカット、ノートリミングで掲載します。
運。

僕はこの映像をパソコンに取り込んで観た時に、T. S. Eliot のThe Dry Salvages を思い出した。
And under the oppression of the silent fog
The tolling bell
Measures time not our time, rung by the unhurried
Ground swell, a time
Older than the time of chronometers, older
Than time counted by anxious worried women
Lying awake, calculating the future,
Trying to unweave, unwind, unravel
And piece together the past and the future,
Between midnight and dawn, when the past is all deception,
The future futureless, before the morning watch
When time stops and time is never ending;
And the ground swell, that is and was from the beginning.
Clangs
The bell.
美しいですよね、恐ろしく美しい。
僕の頭の中で右上から鐘が鳴っている空間ができる。
もちろん大詩人と僕の映像では比べられない訳ですが、僕が言いたいのはそんなことではなくて、結局僕たちは本の中に頭を突っ込んで文字を読み取ることで詩を感じる訳です。同じように映像の中に頭を突っ込んで画面を観ることで詩を感じることはやはり可能なのではないかということです。原理的にはそうですよね。だって僕は別にThe Dry Salvages にいる訳ではないのだから。同じようにこの映像を観る人が今、Assisi にいる訳ではないのだから。だけれども作者はそれぞれの場所にかつていた訳で、その思いを文や映像で伝える、そしてそれを読んだ人や観た人が詩を感じる。う〜ん、あと少しのところまで来ているのだけれどな。頭が悪いので、この先が難しい。何かと何かを結びつければ、あとはできると思うんだよね。あと何かと何かを結びつければできるという自分の感覚が頼りです。観想でいけるのではないか。あとは何かを考えるというよりも、見つめる、という方に近いのではないか。

Untitled Sketches No.41 —As an Attempt to Image Poem

Posted in Images with tags , , , , , , , , , , , , , , on 8 December 2017 by kenwada

無題スケッチ No.41 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、ソレッラ・アコウア通り
映像、35秒

Untitled Sketches No.41 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Via Sorella Acoua, Assisi, Italy
Image, 35 seconds

Sans titre Croquis N°41 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Via Sorella Acoua, Assise, Italie
Image, 35 secondes

「撮影」は何度でも撮り直しができるし、夜明けだとか夕焼けだとか好きな時間、瞬間にその場に待機することもできる。
でも僕の目指す「映像」は運、基本的に一発勝負の運。
僕の大好きな小鳥たちのさえずる声、その時その場を通った僕の苦手な自動車の排気音、さらにはこの映像のようにトラックが付近の作業現場にバックしてきて入る音もすべて含めて一つの音楽・詩を構築するのだという考え方。

絵画も運の要素があって面白いけれど、映像はもっと運。
撮っていて両者には共通点があるとつくづく思います。
少なくとも映像は書道には極めて近いものがあると思います。

ちなみにイタリアで日本でよく表記されているようにアッシジまたはアシジと言ってもほとんど通じません。
アッシージと太字の小さなにアクセントをおいて思いっきり引っ張って発音すると一回で通じます。
映像とは関係ないけれど。

Untitled Sketches No.40 —As an Attempt to Image Poem

Posted in Images with tags , , , , , , , , , , , , , , on 7 December 2017 by kenwada

無題スケッチ No.40 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、聖ルフィーノ大聖堂
映像、39秒

Untitled Sketches No.40 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Duomo di San Rufino, Assisi, Italy
Image, 39 seconds

Sans titre Croquis N°40 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Duomo di San Rufino, Assise, Italie
Image, 39 secondes

塔の時計の針の狂う午前7時、
聖ルフィーノ大聖堂前、
聖ルフィーノ広場(Piazza San Rufino)。
誰もいない。
神聖な場所の静寂。
遠くから微かにハトの鳴き声が聞こえてくる。
画面向かって左側の小窓に灯りがともり隙間から賛美歌が漏れてくる。
やがて左側の小さな木戸が開き、修道女が三人急いで出て来て大聖堂の中へと小走りに入って行った。
その出入りする修道女=小出しの演出を画面の中に欲しがっているようじゃダメだな、映像詩は撮れない、映画じゃないのだから。
映画ではダメなんです、何故って映画は「人間の巧み」だから。
industria umana, human industry に反旗をひるがえすとともに、
別の地点に静かに穏やかに朗らかに入らなければならない。

僕に勇気を与えてくれた「聖フランチェスコの小さな花」第13章。
石のテーブル。
聖フランチェスコは兄弟マッセオに言われた。
「まさにそのことなのだ。わたしが大きい宝ものというのは。人間の巧みによってそなえられたものがなにもないということなのだ。」(田辺保訳)
«E questo è quello che io reputo grande tesoro, ove non è cosa niuna apparecchiata per industria umana» (I Fioretti di San Francesco)
“And this is that which I esteem great treasure, where there is nothing prepared by human industry” (The Little Flowers of Saint Francis)