非常につらい一年のスタートとなりました

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 14 January 2022 by kenwada

皆様、こんにちは。

新しい年が始まりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今日は大変残念なご報告をしなければなりません。
以下、これまでの経緯も含めて、できるだけ簡潔に淡々と書いてみたいと思います。
簡潔に淡々と書けるかな?

実は、僕には、右眼に滲出型加齢黄斑変性の持病があって、2015年11月に最初に網膜に異常が見つかり発病して以来、一旦治ったりを繰り返しながら、次第に悪化してきました。
今まで一度もこのサイトに書かなかったのは、やはり自分の病気のことを書きたくなかったからですが、部位が眼なだけに、画家としてとてもつらいです。
2018年には、東邦大学大橋病院で硝子体手術(眼球注射)を3回し、それ以降は平癒していたのですが、3年8ヶ月ぶりに昨年12月上旬から、また自覚症状が出始め、12月26日から特にひどくなり始めました。
自分でもいくらなんでもあまりにも悪化の進行が速すぎる、もうなんて言いますか、これまでの経験から言っても、信じられないくらいのスピードでした。
1月2日の夕方に、初めて失明するのではないかという恐怖に襲われました。
ちょうど年末年始にあたり、どの病院もしまっていたことも運が悪かったです。
1月4日になって、スーパードクターのいる高崎の眼科を受診し、眼底の大量出血で、即緊急手術になりました。
その時の診察で、右眼の視力は、矯正で0.15でした。
その晩は、高崎の安ホテルの部屋から一歩も出ず、廃業の絶望と、失明の恐怖で、何も食べられませんでした。
人間は極度の不安になると、本当に何も食べられないものですね。
それでもせめて何か飲まなきゃと思い、部屋にあった小さな袋入りのインスタントコーヒーを、お湯を沸かして2杯飲みました。

僕はこれまで、廃業だとか、引退だとかは、もう絵の構想も浮かばず、ボロボロになって辞めるものだと思っていましたので、制作意欲が高まっている今、引退するのは、本当に悔しいし、悲しいです。
でも、冷静に考えれば、この眼では引退でしょうね。
先生からは、10%〜20%の人は、もう一つの眼にも加齢黄斑変性が出るので、そうなった場合は、あなたは、日常生活ができなくなると言われました。
まだ認知症の親の自宅介護もしていますし、残った左眼を家族のためにも大切に守らなければいけません。

僕は絵が得意でも上手でもありませんが、絵を描くことが好きなんですよね。
本当に好きなんですよね。
一瞬にして状況が変わるそのスリリングさや、ダイナミックさ、一筆にして変化していくスピード感が、他のことでは決して得られないものがあるんですよね。
ですので、例えば車に乗っていても、これまでいつも低速運転です。
毎日、すごいスピードの乗り物に乗っているので、せめて車に乗っている時くらいは、ゆっくり運転したいという感じですね。

人間、得意なことなら、誰でも見つけられます。
得意なことは、放っておいても自然に目立つからですね。
でも好きなことは、なかなか見つけられません。
好きなことは、いつも目立たずに、ひっそりと息をひそめて、その本人の中に住んでいますから。
何か地獄のようなつらい思いをした時に、心の底から浮かび上がってこないと、なかなか気づきません。
本人でも、えっ、まさか、僕/私が、それを好きなの?という感じです。
部屋の片隅に忘れられて、もう何年も埃をかぶっている置物みたいなものです。
得意なことは、部屋の中の目立つ場所に、いつでも堂々と立っていますから、誰でもすぐに気づきます。
まわりからも上手だね〜とか、すごいねえ〜とか、小さい頃から言われたりしますしね。
スポーツでも勉強でも何でもそうです。
そして、多くの場合において、得意なことをイコール、好きなことと思い込み信じ込むようになると言いますか、自然と両者を同じものだと何も疑わなくなります。

以上、まあ大体そのような訳で、最悪のスタートのこの年始から、僕は苦しみ、悩み抜きましたが、今は辞めたくありません。
先生の治療を信頼して、もう少し粘って結論を出さずに、頑張ってみます。
それでもどうしてもだめだったら、その時は辞めます。

皆様も少しでも物のゆがみが気になりましたら、迷わずにすぐに眼科を受診してください。
眼科に行って受付の方に断れば、加齢黄斑変性のチェックシートを無料でもらえると思います。
またチェックシートなどなくても、部屋の中には、縦線や横線がたくさんありますので、升目のあるカレンダーなどあるとさらによいのですが、30cmくらい離して、チェックしてみてください。
その際、必ず片目ずつ見ることが大切です。
これが基本のキになります。
そして、もっともっと多くの方に加齢黄斑変性のことを知っていただきたいです。
本当に恐ろしい病気です。
あまりにも進行が速いです。
僕の場合は、本当に1週間で劇的に悪化しました。

以下、これを全部英訳するのは今の眼の状態では無理ですので、要点だけ英語にしておきます。
そうしないと海外の友人や知人が読んだ時に、何を言っているのか全くわかりませんからね。
日本語を読める外国人は、あまりいませんから。
それで、これまでもでき得る限り、英語も併記してきました。
また現実問題として、欧米では加齢黄斑変性は失明原因の第1位ですので、資料を読んでいても、実用的でかつ具体的だなと思います。

それでは皆様、どうぞご自分の眼をくれぐれも大切に。
そしてまだ始まったばかりのこの一年が、皆様にとってどうぞよい年でありますように!

2022年1月14日
和田 健

Dear friends,

Very unfortunately, I have to inform you of bad news.
In fact, I have a right eye disease ; age-related macular degeneration (AMD) since 2015 and have already received three eye injections in 2018.
Do you know that there are two types of AMD?
In my case, I have wet AMD, so the disease gets worse horribly fast.

Since the end of last year, wet AMD has deteriorated badly, but because it is a Japanese custom, the hospitals were closed during the year-end and New Year holidays, so I could finally make the fourth injection in my right eye on January 4, 2022.

Right now, I’m barely in my daily life.
That’s why I can’t make a painting now, but I would like to treat it and continue my paintings’ road.
Because I really love painting and I’m happiest when I’m painting.
I truly love its dynamism, speed of change and thrilling.
In other words, I am very happy and enjoy to be surrounded by colors and forms/shapes every day.

Everyone, AMD is a very scary disease.
The exact cause is unknown. But currently, the following causes are mainly considered in medicine.
・Having a family history of AMD
・Being Caucasian 
・Smoking
・High blood pressure
・Being overweight

Please take good care of your eyes.

Have a nice day!

Warmest regards,
Ken WADA

Thank you very much for introducing my artwork!

Posted in Exhibitions 2012-2022 with tags , , , , , , , , , , on 2 January 2022 by kenwada

皆様、こんにちは。
昨年12月に開催された Spectrum Miami の主催者の公式ホームページ上で、昨年末から僕の作品が紹介されています。
アートフェア自体は、もう終了しましたので、スタッフの方々の温かいご配慮に心から感謝です。
本当にありがとうございます。
以下のリンクからご覧いただけます。
https://redwoodartgroup.com/product/untitled-no-5/?ref=wc-product-embed

2022年1月2日
和田 健

Dear friends,

You can see my painting on the organizer’s official website of Spectrum Miami 2021.
Thank you very much for their warm consideration!
https://redwoodartgroup.com/product/untitled-no-5/?ref=wc-product-embed

Warmest regards,
Ken WADA

I wish you a happy New Year.

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 1 January 2022 by kenwada

明けましておめでとうございます。
本日午前9時より制作を始めます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
皆様にとって、素晴らしい1年でありますように!

2022年1月1日
森の中のアトリエにて
和田 健

Dear friends,

I wish you peace and love as I look forward to a brighter 2022.
May the New Year bring much light and warmth into your life!

Warmest regards,
Ken WADA

ヨゼフとその兄弟たち

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 22 December 2021 by kenwada

Ancient Night Sky, Watercolor on paper, 22.0×27.3 cm, December 2021

皆様、こんにちは。
僕が住んでいる群馬県の標高1100mの森の中は、一面の銀世界となり、今朝はマイナス12℃まで冷え込みましたが、雪かきをしたお陰で体も温まり、加えてこの年末にかけて、全く個人的な読書に関することで、静かに少しずつですが、盛り上がってまいりました。
僕が、初めてトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房版全3巻)を読んだのは、今から6年前の2015年9月24日から2016年1月22日にかけてでした。
それ以来、僕のわずかな読書歴の中で、この本は現在に至るまで、僕の心の中で第一位の座を譲ることは、一度たりともありませんでした。
すなわち、僕がこれまでの人生で読んだ全ての本の中で、一番感銘を受けた本というのは、いつでも「ヨセフとその兄弟」でした。
全3巻それぞれの初版が発行されたのは、今から30年以上も前の1985年から1988年にかけてですが、この筑摩書房版の入手は、現在、お金に余裕のある方はともかくとして、大変困難な状況です。
そして初読以来、6年が経過いたしましたが、さあ、もうそろそろ再読のタイミングも熟しただろうという感覚があり、今回は、筑摩書房版よりもさらに30年も古い1958年から1960年にかけて初版が発行された新潮社版全6巻で、タイトルも「ヨセフとその兄弟」から「ヨフとその兄弟たち」に変わり、2021年11月15日から再読し始め、現在第1巻の「ヤコブ物語」を読み終わり、第2巻の「若いヨゼフ」に入ったところです。
ちなみに現在、こちらの新潮社版の入手も、同様にかなり困難な状況ですが、メルカリで全6冊を何と1400円(信じられない!)で、出品している方がいて、ご自分の蔵書の中からマン関連の他の書物3冊も一緒につけてくださった大変良心的な方でした。
これはですね、もうどうみても決して偶然などではなくて、何者かに「さあ、また読みなさい!」と、明らかに言われているようなものですね。
さて、どうしてこれほどの偉大な文化的な遺産とでもいうべき書物を、出版社の方々は、長い期間にわたって、いわば絶版状態にしているのかという、これからの日本の若い方の一般教養のためにも非常に大事な問題(え〜と、こうした点をいつまでもクリアーできないで、そのままにしていることが、現在にいたるまで、ヨーロッパの国々に、文化的な教養に関して、大きな差をつけられている象徴的な事実の一つになっている感じがいたします)は、今はひとまず、おいておいて(よい問題では、全くありませんが)、それでは早速、本題に入ります。

まず、いきなり結論から入りますが、3000年前のこの頃の人たちは、「神とは何だろう」ということについて、実によく考え抜いていたな、ということです。
再読ですので、この物語が、この後どのように展開していくのかは、もうわかっていますので、つまり、ストーリーを追う必要はありませんので、まあ再読の味わいとでも言いますか、ゆっくりと読んでいますが、「神とは何だろう」ということについて、3000年前の人たちは、実によく考え抜いているという、この素朴な事実が、改めて非常に印象的でした。
これに対して、現代の私たちは、どうでしょうか。
「神とは何だろう」なんて、通常、あまり考えないのではないでしょうか。
つまり、現代の私たちは、多くの場合において、神を信じるか信じないかですとか、あるいはまた、神はいるかいないかですとか、そういった二者択一論的な観点で、考えることがほとんどなのではないでしょうか。
または、◯◯教を信じるか信じないかですとか、あなたならどうしますかどう思いますかとか、ほとんどの場合において、そのような切り口で考えることが、多いのではないでしょうか。
しかし、アブラハムにしろ、イサクにしろ、ヤコブにしろ、彼らはそんな観点に立っては、全く一度たりとも考えていない、そんなことはまるで考えていない。
彼らは、常に、自分たちの神を創り出そうとして、自分たちにとっての神とはなんだろうと、その創造に向けて日々、ひたすら奮闘、努力している、ここのところですね。
ここに決定的な違いがある。
すでにできあがった神を信じるか信じないかではなく、自分たちの神を創造しようとしている、これは決定的な違いです。

それでは、いくつか本文中から具体的な例をあげてみます。(すべて原文ママ)
まずは、ヤコブの言葉です、
「私の先祖や私たちは、羊を飼いながら、神様とは何だろうと幾度もいくどもさんざん考えてきたんだ。私たちの子供や孫たちも私たちに倣ってこれを考え続けて行くだろう。」(第1巻「ヤコブ物語」から。以下同じです。p291)
次は、彼とはヤコブのことですが、
「自分独自の神を作ろうという彼の事業」( p.372)
とあります。
ヤコブには、またこんな印象的な言葉もあります。
自分たちの神を創造しているのですが、まだその神が小さい*1ということですね。
神が小さい、なんて素晴らしい言葉ではありませんか!
「ひとえにただその信徒たちの数がまだ少なく勢力も弱く、自分たちの神のためにそういう神殿を建てるに至らないからだけのことではないのかという疑念が混入してきた。」(p.236)
それから、こんな言葉もあります。
死にゆく、ヤコブ最愛の、心の妻ラケルの最期の言葉です、
「これからあなたは、私なしで、神さまとはどういうものかを考えて、きめていらっしゃらなければならない。どうぞ、うまくおやりになって。御機嫌よう。」(p.373)
さらに、マンはこのようにも記しています。
ヤコブがラケルが死ぬことを悟った時の言葉です、
「神よ、あなたは何ということをなさるのか。」
というヤコブの悲嘆に続いて、
「こういう場合、返事は与えられぬ。そのような黙殺に会ってもなお神の存在を疑うことなく、人間の理解を絶するものの尊厳を悟って、かかるものの存在を自分自身の生長の糧にする能力こそ人間精神の誉れといってしかるべきなのだ。」(p.372)
すごいですね、このトーマス・マンという人は、ちょっと並外れていますね。
もう何て言いますか、超弩級です。
絵画史に当てはめると、この人は、まさしくレンブラント・クラスでしょうか。
もう何て言ったらよいのでしょうか、ものが違うとでも言うのでしょうか、いわゆる世間で文豪と言われている他の方たちと比べても、傑出している感じがいたします。
例えば、序章の「地獄行」の最後のくだりです、
「では降りて行こうではないか、ためらうことなく。(中略) ほんのちょっと、三千年がところ降り下るにすぎない。(中略) 出発にあたって顔をしかめていた諸君も、さあ眼を一杯に開き給え。もうわれわれは現場に到着しているのだ。見給えー平和な丘陵地帯の上には、明るい月しろが懸かって、ものみなの影をくっきりと色濃く映しだしているではないか。触れ給えー夏にも紛う春の夜の、穏かなすがすがしい大気に。」(p.51、p.52)
として、三千年前の風景を、いとも鮮やかに私たちの目の前に広げてみせるその手腕の見事さ、スケールの大きさ。
導入部のこの記述だけで、思わず、もうこの小説の勝負はあったな!という感じがいたします。
そしてさらには、ヤコブという人間の素性に加えて、ヤコブが受けた、担った祝福そのもの自体についても、実に様々な角度から光を当てて炙り出しては、一つ一つ吟味し、考察を加えていく段階にいたっては、もうこんなこと他の誰も真似できない、マンの独壇場の感さえあります。
祝福については、
「蓋し、祝福を受けた人間の生活が幸福ずくめで、浮沈のない繁栄の連続だと考えるのは浅薄な迷信にすぎないからだ。もともと祝福というのもは、祝福を受けた人々にとってもその存在の基礎を構成するにすぎず、この祝福が時折いわば金色に洩れ光る時間以外の大部分の時間は、苦悩と試煉の闇に覆われているものなのである。」(p.318、試練は試煉になっています。)
とあります。

その他にも、ざっと全体を見渡しますと、
リベカの計略によって、エサウからヤコブが祝福を盗み取るところ。
デナの物語と、ヨゼフの兄たちのシケムの町の身の毛もよだつような殺戮と略奪。
やはり、この場面は、全体を通して、異質です。
レアの息子たちのしでかした、この事件の意図するものは、一体何なのか?
この間、幕舎内にとどまるヤコブの一連の心理の描写と言いますか、底意の照射には、すごいものがあります。(p.167 他)
「と、忽ちヤコブは、この伯父から極めてうさん臭い印象を受けた」(p.220) とありますが、 土くれから作られた畑を耕すために生まれた「太陽の男」ラバンに対して、血筋からいっても、また性格からいっても、羊飼いの素質を受けた「月の男」ヤコブという25年間の対比というよりはむしろ対決。
「そして、いうまでもないことだが、羊飼いには暇な時間がいくらもある。一日のうち少なくとも幾時間かは、いや、それどころか半日だって、何もしないでじっと瞑想に耽って暮す。」(p.254)
「牧羊生活は、上品であり瞑想的であって、神やラケルのことを考える暇を与えてくれた。」(p262、263)
という羊飼いの生活。
これだけひたすら長い間ラケルを、ひたすらラケルだけを待ち焦がれて迎えた新婚初夜に、悪魔のような残酷なぺてん男ラバンによって、レアにすり替えられたヤコブの絶望なんていう生易しいものではない錯乱状態。
また、人間というのもは、各々の寿命を感知しているという、
「けれども、時間というものはたっぷりとあることをその肉体で感知していた彼は(彼には百六年の寿命が与えられていたのだ)じっと時機を窺っていた。」(p.308)
というヤコブについての記述や、「まだら羊」(p.333) の一件も特に印象に残りました。
「わずかに四十一歳でみまかることになっていたラケル」(p.259) とありますように、かわいそうなラケルは、41才で亡くなりますからね。

さあ、この後の物語を楽しみましょう。
自惚の強いヨゼフが調子にのって、文字通り穴(=井戸)に落ちるところ、そして、ヨゼフはエジプトに売り飛ばされて・・・、さあ、そのあとが、そのあとで、また大変です。
特に、ポティファルの妻とのくだりで、ヨゼフは人生最大のピンチを迎え、またまた穴(=2度目は監獄)に落ちます。
マンの並外れた集中力は、この場面の一連の詳細な描写において、その極致に達していた感がありましたので、再読するのが楽しみです。
それにしても、以前にもこのサイトに書きましたが、旧約聖書は、ぎっしりと無意識の詰まった、いわば無意識の宝庫ですね。
そして、第1巻を読んだだけで、もうすでにこの物語は、やはりマンの作品の中で、代表作の「ブッデンブローク家の人びと」や「魔の山」を明らかにしのぐ、やはり最高の作品ではないか、無尽蔵の汲めどもく汲めども尽きることのない味わいや、それでいて、何か全編を通底している大らかな明るさや、ユーモアに富んだ賑わいのようなものを確かに感じます。
端的に言いまして、第1巻の中程あたりですでに、あと5巻しかないな、当たり前ですが読めば読むだけ、少しずつ減っていってしまうなあなどと思ったことは、生まれて初めての読書体験です。

若い方へ、公立図書館で借りて読むという無料の手があります。
是非一度、一生の間に、是非とも一度、お読みになってください。

2021年12月19日
和田 健

*1 神が小さい、ということにつきましては、群馬県の山奥で暮すようになってから、実に様々なことを感じたり、考えたりするようになりました。
これは、旅行や一時的滞在では、なかなか難しいかなと思います。
もちろん、不可能ではありませんが、何事もやはり生活しないと見えてこないものがあるように思います。
現に、僕は東京時代には、あまりそのようなことは考えませんでした。
やはり地べたをはってとでも言いますか、畑を耕したり、山登りをしたり、自転車に乗って移動したりと、まあ要は何でもよいのですが、この地域には、実に多くの小さな神社があることに気づかされます。
草深い名もない山奥の「えっ、こんなところにも!」と、これは何て言いますか、ちょっと都会の人には、実感として伝わらないくらいの数の多さです。
つまり、自分の神ですね。自分たちの小さな神です。
あるいは、土着信仰と呼んでもよいのかもしれません。
神というのは、信仰する自分にとって、あくまで信仰する自分たちにとって、ご利益がなければ意味がないですね。
以前、小林秀雄さんが、このことについて、新潮CDの講演で話されていて*2、ここのところの意味がわからず、「ふ〜ん、そんなもんか」と思っていましたが、最近、少し意味がわかりかけてきました。
これに対して、現代の私たちの神はどうでしょうか?
どの宗教の神にしても、あまりにも立派すぎて、大きすぎはしないでしょうか?
すでに出来上がった完成された神を追いかけてはいないでしょうか?
何かここのところに、この今の世界の混沌とした難しさを解く鍵が秘められているように思うのです。

*2 僕の「絵画日々のメモ」のノートにあたってみましたが、これはおそらく新潮CDの第2巻「信ずることと考えること」のCD-2ですね。
「神とは、自分との私的な関係。僕の個人の願いを聞き届けてくれなくてはいけない。救ってくれなければいけない。」と、2013年にノートしていました。
え〜と、確か講演の最後の質問コーナーのところで、学生の方が、ここのところをもう少しわかりやすくと、質問したのではなかったでしょうか?
それに対して、小林秀雄さんが、「僕は決していい加減なことを言っている訳ではないんだよ。だけど、これについては、これ以上、わかりやすくは答えられないなあ。」と言われたのが、とても印象に残っています。
・・・・・・・・・
早速、もう一度聴いてみました。
八百万の神、要するに宗教ではなくて、信仰。
僕の考える「小さな神」という解釈の流れで、まあ、大筋としては、いいのではないでしょうか。
CDを聴き直す前に、土着信仰という言葉が出てきたことは、よかったな。
そこまで、思考がたどり着いていた訳だから。
ここからまた考えてみます。

Untitled 2021 No.25

Posted in Works 2021 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 19 December 2021 by kenwada

無題 2021 No.25
2021年12月
北軽井沢 作品 No.447
紙にアクリル
89.0×90.0 cm

Untitled 2021 No.25
December 2021
Kitakaruizawa Works No.447
Acrylic on paper
35.0×35.5 in.

Sans Titre 2021 Nº25
décembre 2021
Kitakaruizawa Œuvres N°447
Acrylique sur papier
89.0×90.0 cm

Untitled 2021 No.24

Posted in Works 2021 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 16 December 2021 by kenwada

無題 2021 No.24
2021年12月
北軽井沢 作品 No.446
紙にアクリル
90.0×90.0 cm

Untitled 2021 No.24
December 2021
Kitakaruizawa Works No.446
Acrylic on paper
35.5×35.5 in.

Sans Titre 2021 Nº24
décembre 2021
Kitakaruizawa Œuvres N°446
Acrylique sur papier
90.0×90.0 cm

地域の皆様が、「ライだよ、森の童話」を置いてくださいました!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 13 December 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。
誠実な温かいお人柄のお二人が、ご夫婦で経営しているレストラン「アタゴオル」の素敵な雰囲気の店内に、「ライだよ、森の童話」を置いていただきました。
是非、おいしい煮込みハンバーグ定食(前菜のサラダとスープにドリンクまでセットでついています)を、どうぞ食べにいらしてください。
この他、町内の応桑にある「長野原町へき地診療所」の待合室にも、先生(往診を繰り返しながら地域医療と在宅医療に情熱を燃やされる、今時稀に見る素晴らしい方です)のご好意で本を置いていただきました。
北軽井沢のこの小さな物語が、少しずつ皆様に知られて読んでいただけるようになると、いいですね。

レストラン「アタゴオル」
群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原大カイシコ1053
0279-84-3663
国道146号線沿い、浅間牧場の交差点から間もなくです。

Spectrum Miami 2021 Video!

Posted in Exhibitions 2012-2022 with tags , , , , , , , , , , on 10 December 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。
昨日、ギャラリーから、スペクトラム・マイアミ の動画が送られてきました。
ディレクターから自由に使ってよい、とのことでしたので、早速、YouTube にアップさせていただきました。
先日のギャラリーからの報告通り、オープニングに、ずいぶんお客さんが入っていますね。
かなりの集客と熱気です。
大音量の音楽をガンガン鳴らしているところは、2018年のアートエクスポ・ニューヨークの時と同じですね。
あの時は、フロアに専門の DJ がいて、オープニングの間、ずっと音楽を担当していましたが、フランスのアートフェアでは、グラン・パレのような特別に大きな会場のアートフェアでも、そのようなことは、まず考えられませんでしたので、お国柄の違いに、とてもびっくりした思い出があります。
僕の作品は、2:55 に少しと、主に 4:04 あたりです。
マスクをしていない人が、結構多くて、ギャラリーのスタッフの方も、オミクロン株のこともあり、かなり神経を使っただろうな。
僕は今回、大変残念ながら渡航できませんでしたが、何か現地に行ったような気に少しだけなれました。
マイアミ、半袖の人もいたりして、暖かそうですね!
いろいろとお世話になり、本当にありがとうございました。

さあ、また森の中で、ひたすら制作の日々がコツコツと続きます。
改めて考えてみますと、僕は1年365日、森の中で暮らしていて、この動画の中の世界とは、全く無縁の生活を送っているような感じがいたします。

2021年12月10日
和田 健

Spectrum Miami 2021 Started!

Posted in Exhibitions 2012-2022 with tags , , , , , , , , , , on 4 December 2021 by kenwada

皆様、おはようございます。
12月1日(水)の現地時間午後5時から、Spectrum Miami が予定通り始まりました。
ちなみに、マイアミと日本との時差は、現在マイナス14時間です。
ギャラリーから、素晴らしいオープニングだった、何千人もの人が来て、すごい熱狂だ、人々は外出に飢えているようだ・・・、との報告。
ただ、マスクをしている人が多くなく、それが少し怖い、オミクロンが今私たちを襲いませんように・・・、との切実な願いが書かれていました。
とてもきれいなディスプレーで、大変うれしいです。
なお、Spectrum Miami は、12月5日(日)まで、マイアミの Mana Wynwood で開催されます。

2021年12月4日
和田 健

Dear friends,

Spectrum Miami 2021 started at 5 pm on December 1st.
I received an email from the gallery yesterday.
I am very happy to know that the opening night was great and thousands of people came in and lots of art was sold, lots of enthusiasm….
Then, what a beautiful display on the white wall!
Thank you very much for the digital presentation as well!
Finally, I pray from Japan that the Omicron won’t hit them now!
The Miami Show will continue at Mana Wynwood until December 5th.

Have an artistic weekend!

Warmest regards,
Ken WADA

Breakfast by John Steinbeck No.3

Posted in Works 2021 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 1 December 2021 by kenwada

ジョン・スタインベックの朝食 No.3
2021年11月
北軽井沢 作品 No.445
紙にアクリル、グワッシュ、色鉛筆
88.0×92.0 cm

Breakfast by John Steinbeck No.3
November 2021
Kitakaruizawa Works No.445
Acrylic, gouache and colored pencil on paper
35.0×36.5 in.

Le petit déjeuner de John Steinbeck N°3
novembre 2021
Kitakaruizawa Œuvres N°445
Acrylique, gouache et crayon de couleur sur papier
88.0×92.0 cm