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絵画日々のメモより

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 10 June 2015 by kenwada

「樹木の魂は、どこにあるのか。」のシリーズの制作過程に関するメモ。
1~18の順番には個人的な大切な意味が有り、並び替えや編集等はしたくない。
(原文のまま)

1 最初、handが固かった。
新聞紙で、手を動かす、ぐるぐる、練習・体操してから、描くこと!
全ては準備!
ぐるぐるぐるぐる肩回し、腕回し。(2014年8月21日)

2 冥想。(2015年1月)
(音楽名人、クネヒトに冥想を教える。のメモ辺りから取り入れた)

3 コの字、逆コの字の囲い込み。(図有り)(2015年1月14日)

4 強弱強弱の枝分かれ、同じところから、違うところから。(2015年1月14日)

5 斑点打ち。(2015年1月14日)

6 四角の囲い込みと、何かの脱力。(2015年1月13日)

7 「カ」の字と、漢字の要素の取り込み。(2015年1月13日)

8 あともう少しのところまで来ている。(2015年1月14日)

9 樹木には、あらゆる形、あらゆる図形、すべての幾何が含まれる。
樹木は、すべての幾何を受容する。(図有り)(2014年12月7日)

10 イブ・サン=ローラン方式。
一つ一つ心を止めて、丁寧に味わいながら。(2015年1月14日)

11 大きなコの字、大きな逆コの字。(図有り)(2015年1月27日)

12 線を引くときは、思いっ切り、躊躇しない。(2015年1月27日)

13 大きな三角、その中に小さな三角。(図有り)(2015年1月29日)

14 どっかりと胡座をかいて座り込むような絵画・作品制作に対する情熱と愛情。
画板を作ったりする愛情。(2015年1月30日)

15 線の強弱強弱、かすれ。縦軸、横軸。
縦三角の中塗り。小さい丸。菜箸の細い方で。(図有り)(2015年2月17日)

16 最後は、「児童画」のようになってきた、
ある種の「記号絵」のようになってきた。(2015年2月19日)

17 パンパン、パンパン、描いていったらよい。
墨はあとから上からいくらでも消せるから。(2015年2月19日)

18 その囲っていった線や図形の中のどこかに、「樹木の魂」はある。
図形による囲い込みで、樹木の魂をとらえる。
ただし、その囲い込みには、空間・隙間があるということ。
(図有り)(2014年12月7日)

その他のメモの中から

19 井上有一展(虎ノ門)を観て。
「ブッコウ国師げ」、大変感銘した。右回転、左回転。かすれ。
大きさにとらわれない。
初めに大きさを切って、描くのを廃止する。
筆、画材、墨、和紙、唐紙、全ての活用
→ 新しい表現様式を見出す。(2015年4月30日)

20 希望がないということ。
イブ・サン=ローランには、現実に対する開き直りが基本的にある。
開き直りがあれば、一つ一つ心を止めて、丁寧にじっくりと味わいながら、
物事を進めることができる。
これまでずっと真逆の思考をしてきた。
つまりそれは修行によって到達できる、悟り得る、一種の心境や地点のように考えていた。
ここに人生の「パラドックス」があった。
人生に、現実に、しがみついているから、それができなかった。
人生にしがみつくな。
開き直りの最大の土台は、「人生に対する希望がない」ということなんだな。
もちろん誰もそんなことは教えてくれない。
「お前、人生の秘訣は、できる限り早く希望をなくすことなんだよ」なんて。
希望のない状態を希望するということ。
小林秀雄さんが講演「正宗白鳥の精神」(新潮CD)の中で言われていた
あることが、ようやく理解できた。(2015年5月12日)

21 上から消すこと、上から消すこと、上から塗りつぶして消すこと。
消し跡は美しい。描いた跡は美しくない。
それに関連して、描くからダメなのではないか、描くから。
ではどうするかというと、描かない。描かないで遊ぶ。
そのイメージは、子供が砂場でスコップ片手に無心に遊んでいる感じ。
(2015年5月)

22 今年上半期の読書の流れ。
「ガラス玉演戯」と小品「我意」(ヘッセ、新潮世界文学)ともに圧倒的。
→数学関係の本数冊、
「ある数学者の生涯と弁明」(ハーディ、丸善出版)は、すばらしかった。
「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン、新潮社)も面白かった。
→「夜と霧」(フランクル、みすず書房)新版の池田香代子氏訳で読んだ。
→「確実性の問題」(ウィトゲンシュタイン全集9、大修館書店)
今まで、何度も跳ね返されてきたウィトゲンシュタインの厚い壁の中に
初めて少し入れた気がした。
最初に「論理哲学論考」や「哲学探究」から入るからダメなんだよ。
総合理解をする上で、「ウィトゲンシュタイン家の人々」という
サイエンス・ライターが書いた本の中のある一文と家族についての記述が、
思わぬ形で役に立った。
138 には痺れた。
「地球が最近百年間存在していたかどうかという研究は存在しない。」
「断片」195の「判じ絵」は、まさしく僕が日常的に行っていること。
→「断腸亭日乗」(荷風全集第21巻、岩波書店)
小津安二郎さんが「全日記」の中で頻りと読んでいたことを、
何故か思い出し読み始めた。面白い。
→「シッダールタ」(ヘルマン・ヘッセ全集12巻、臨川書店)
岡田朝雄氏訳で読む。
「おまえは下って行くのだ!」
私の人生は実際奇妙なものだった、と彼は思った、
それは奇妙な回り道をした。p.76
高慢な気持ちでいっぱいだったのである。p.79
彼が自ら定められた人生を生き、自らを生きることで汚し、
自ら罪を背負い、自ら苦汁を飲み、自ら自分の進路を見いだそうと
することから、どんな父が、どんな師が、彼をくい止めることが
できたろう?p.96
何びとも教えによって絵を描くことはできない。
(2015年6月)

23 サイ・トゥオンブリー展(北品川)を観て。(2015年6月9日)
・細かいことにかなりとらわれないというか、荒々しい。
・丁寧、こわごわはまるでない。
・このど迫力は凄まじいな、これは自由だな。
すごく精神の自由さ、闊達さを感じる。
・紙は全部出してきている。
・何物にもとらわれない精神の自由さ、大胆さ、図太さ、特に力強さ!
・何故に恐れというものがないのか。
全人格がこれほどまでにストレートに反映した絵画。
・灰と黒でもっていく発想はなかった!
・collage→二つ折り、ホッチキスで止めるだけ。

人間というものを見ず

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 21 January 2015 by kenwada

2015年1月7日水曜日、人間というものを見ず。

夕方になって、そう言えば、今日、人間を見なかったな、と思う。
出会わなかったのではない、見なかったのである。
しばらく経ってから感じたのだが、
これはこれでなかなか貴重な経験なのではないだろうか。

例えば、ホテルに泊まったのでは、ダメである。
廊下やエレベーターやフロントで誰かに合う。
それではと部屋にこもっても、少しカーテンを開ければ、
外には人間が歩いている。
車が通る、車が通れば運転している人間がいる。
考えてみると、この現代社会において、都会に住もうが地方に住もうが、
動いている車を1日中1台も見ないというのは、難しいことである。

今、僕は標高1100メートルの山の中で制作しているが、
この村の8丁目から南側に、人はいないようである。
ざっと考えて、半径1キロメートル以内に、
僕以外に誰も人間がいないというのは、素晴らしく清々しい気持ちがする。
同じ山の中でもスキーや温泉に行ったりしたのでは、
間違いなく人間を見るだろう。

脈絡も無くふと思ったのだが、植村直己さんとか冒険家は、
意識下の無意識的領域で人間というものを見たくないので、
時々我慢ができなくなって、ああいう冒険に出かけるのかも知れない。
北極点到達とか◯◯山登頂などは、意識の領域で目標としてただ感じて
いるだけで。

僕のいる村は、その四季の中で、何と言っても冬が圧倒的に美しい。
現在、積雪は30センチメートルといったところ、
樹木に木の葉はなく、
見渡す限り、一面の白、白、白である。

人間というものは見ないが、実に多くの野生動物は見る。
コガラ、シジュウカラなどの小鳥たち、日本リス、
猪(昨年僕は11頭の猪に出会った)、キジ、キツネ、
そして黒猫は、年末年始の間に右後ろ足を骨折しビッコをひいて現れ、
この野生動物たちの世界で逃げ足が無い厳しさを骨と皮ばかりに痩せた姿で
訴えてくる。

人間というものは、常に人間に触れていたがるものだけれど、
時として、人間というものを見ず、小鳥をはじめとする様々な野生動物や
風に揺れる樹木や冬の美しい陽光や遠くの山々や灰色の雲から顔を出す
夜空の月を見ることの方が、太古の構成要素である原始的な何か大切なものに、
心の根底で結びついているのではないかと思う。

空海が四国や熊野の山の中で修行に明け暮れ、ついに悟りを得たのも、
その巨大な宇宙的な本能や圧倒的な直感によって、人間を見ている内は
真理に達しないと、早々と見抜いて考えたのだろうか。

人間というものは見ないが、本の中の人間についてはよく考える。
今回僕が制作の傍ら読もうと思ってもってきた本は、ヘルマン・ヘッセの
「ガラス玉演戯」で、1月1日に復刊ドットコム版で読み始めた。
1月3日には、音楽名人がクネヒト少年とリートの試験をするくだりで、
早くも僕の中で史上最大の読書体験になることを予感し、
例によって図書館で借りてまず読んでみて、どうしても手元に置いておきたいと
思ったものを買うというパターンで、復刊ドットコム版が高くて買えず、
新潮世界文学版の古本を買った。

読書というのは、実に不思議なものだなあ、と思う。
今自分に必要なことが、誇張なしに次から次へと芋づる式に本となって目の前に
現れてくる。
ちなみにどうして「ガラス玉演戯」にたどり着いたかというと、
昨秋、僕は、トーマス・マンの「魔の山」(岩波文庫上下巻)を読んで、
非常な感銘を受けた。
僕は、これは時間について書かれた本だなと思った、
もちろん病気が主要なテーマになっているけれど。
そこで次に、このような本を書くトーマス・マンなる人物は、
実際にどのような時間の過ごし方をしているのだろうと思い、
「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読み始めた。
今第2巻まで来たけれど、これが実に面白い。
その生活を理解する鍵は、会食、面会、講演後も不断なく続けられる読書と、
家庭内で身内を相手に頻繁に行われる自作品の朗読にあるように思う。
日記の中に、トーマス・マンがモンタニョーラのヘルマン・ヘッセ夫妻を訪ね、
ヘッセがマンに「ニュルンベルクへの旅」と「ガラス玉演戯」の校正刷りを
渡す場面*¹があって、ああ、「ニュルンベルクへの旅」*²か、よかったなあ
と思い、たまらなくなって、年末に2回読み返した。
何度読んでも、美しい、圧倒的に美しい。
これ程率直に赤裸々に芸術家の心情というものが綴られている作品を僕は他に
知らない。
で、そうなると今度は、「ガラス玉演戯」が気になり始めたが、何しろ長いので、
しばらく本を横目で見ながら、踏み出すタイミングを待っていた。
しかし、この村は、ハンス・カストルプやヨーゼフ・クネヒトについて
考えるには、おそらく最適の場所なのではないだろうか。

ああ、早く間に人が入って絵を売れるようになりたい、
それだけはなりたい、
心の叫びとして。
絵は、作家が自分で売らない方がよい。
絵は、作家が会場にいない方がよい。
そうなったら僕は、搬入、展示の準備作業以外、極力会場には行かないだろう。

2015年1月8日木曜日、午後12時25分、僕は一昨日の午後以来、
ほぼ45時間ぶりに人間を見た、
最初に見た人間は、大切な書類を運んできてくれた郵便局の配達の青年だった。

今年は、僕にとって、どんな年になるのだろう。

2015年1月8日記
和田 健

*¹「トーマス・マン日記 1933-1934」(紀伊國屋書店)
p.561 1934年10月5日の日記より
原文では、「ニュルンベルクへの旅」は「ニュルンベルク紀行」
*²「ニュルンベルクへの旅」ヘルマン・ヘッセ全集第12巻(臨川書店)所収

後日記:
2015年2月12日、「ガラス玉演戯」読了。
この驚愕の書物について、一体何と言えばよいのだろう。
カスターリエン、初めてクネヒトに冥想の手ほどきをした前音楽名人、
クネヒトを迎えた老兄の「金魚のように静かに振る舞う用意があるか」、
マリアフェルス本寺と修道院、夕方になるとピアノをひくヤコブス神父、
俗世、そしてラストの三つの履歴書、最初の履歴書「雨ごい師」から、
弟子マローについての記述、「何よりも彼は、信望を得たい、一役演じたい、
印象を与えたい、と欲した。天職を授かったものではなく、才能を授かった
ものの虚栄心を、彼は持っていた。」
最後の「インドの履歴書」の「迷い」は、もがくこと、あがくことと解釈した。
この書物全体を通して綴られている人間のありようを、その精神のありようを、
そしてその対極に位置する才能というものについての対し方を、
僕は今初めて、ヘルマン・ヘッセから直に教えられ学んだのだと思う。
この作家のような人間がそもそも存在するということに対して、
語りかけてくるその知性に対して(この人は物語を語っているのではない)、
その透徹や明晰、明朗さに対して、僕は畏敬の念をいつまでも抱き続けるだろう。

今後のこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 19 May 2014 by kenwada

そもそもの出発点は、
「Cy Twombly は何故 scribble(殴り書き、走り書き) するのか」
「Cy Twombly は何故全体を見ないのか」
この2点をこの機会に一つ徹底して解明してみようと思い立ったことにあった。
結局、何としてもこの2点を解明しないことには、僕の無意識絵画は、
この先もうどこへも進めないという気がした。
すなわち、僕の作品が同じことを周期的に繰り返す勘に頼った線の細いものと
なり、そこに年月の経過とともに、ある程度の上達を認め得るものにしかなら
ないと感じた。
そこで、まずは国立国会図書館に行き、必要な資料をいくつか集め、
それらを全部読み込んでいるうちに、これは、フロイトとユングを通過しない
ことには、とてもではないが、この無意識の問題のハードルをクリアすること
は到底できないと感じ、以下の4冊を読んでみた。
1、精神分析入門上(日本教文社)
2、精神分析入門下(日本教文社)
3、ユング自伝1(みすず書房)
4、ユング自伝2(みすず書房)
これらの読書は、僕の頭では、かなりの集中力を必要とし、頭を抱えながらの
格闘となったが、読んでいて非常に楽しかった、だから途中でやめなかったの
だと思う。
周知の通り、フロイトの精神分析入門には、これまでに3回の大きな翻訳が
あり、最初が昭和44年初版発行の日本教文社版、次が昭和46年初版発行の
人文書院版、そして平成24年初版発行の岩波書店版である。
まずこの3冊を読み比べてみて、僕は自分のテキストを日本教文社のものに
決めた。
あとは、ノートを取りながら、人文書院版と岩波書店版で適宜訳語をチェック
しながら進めた。
例えば、夢判断(日本教文社)→夢判断(人文書院)→夢解釈(岩波書店)
濃縮(日本教文社)→凝縮(人文書院)→縮合(岩波書店)と言うように。
一番身近な患者である自分を題材として取り上げ、その自分の代理物、
代理満足であるところの作品の理解を通して、実に様々なことを学ぶことが
でき、それらと昨年以来続けている小林秀雄全集の読み込みとが混じり合って、
今、僕の頭の中で一つのものが形成されようとしている。
思えば、フロイトやユングも読まず、無意識絵画を押し進めていたこと自体、
無謀であったが、それはそれで読まずにどこまで独自に行けていたかという
到達度の確認のような一種の楽しさがあり、「絵画」という表現であり、
作為・人為であり、手腕であり、構図であり、構想であり、いかなる意味合いに
おいても利益を伴った自己主張であるところの「絵画」の否定へ、
つまりはそれらは、specialityであり、断じてoriginalityではないということ、
そこから、僕の考えてきた「表出」が次第に輪郭をもった形となって表れ、
人間の無意識的領域からその無意識的願望なり、潜在的思考なりを表出する、
これこそが描くことを通して唯一originalityに至る道であると確信するように
なった。
つまり、表出は人為であるのに無為であり、走馬灯には利益はなく、中心を
もたない。
小林秀雄さんが、全集の中で、現実に対する「注意力」(*1) と呼び、
講演の中で「注意」(*2)と呼んでいるもの、僕は個人的に「心の蓋を取る」
と呼んでいるが、そこからCy Twomblyが筆圧を解き放っている理由、
全体を見ない理由も判明する。
History Behind the Thought (*3) というCy Twomblyのインタビューを読むと
よくわかるが、Cy Twomblyは、制作の前、アトリエの中の海の見える窓辺に
座って2、3時間瞑想する、要はぼんやりする、静かな境地、これと小林秀雄さん
の「季」(*4)という素晴らしい散文との関係から、音を聞くこと、これが独創を
引き出すということ、つまりは独創とは思い出すということ、山の中で聞く
小鳥の囀る声は何の無理もなく音楽より明らかに美しい、音を聴いてはいけない、
すなわち音楽と絵画は人為という意味で全くの同義語である。

それでは、これに対して、例えばゴッホである、その絵画に漲る魂の問題をどう
考えるのか。感傷とか、情感などではない、万人が描く美しい風景画ではない、
ルーブルのあの夥しいイタリア絵画の大作群の嘘臭さ、真実らしさ、
それに加えて、吐き気を催す程の圧倒的なまでの徒弟制度の匂い、
真逆なまでに見事にそれらのない、僕が平身低頭したあの魂を、
オーヴェール・スュル・オワーズのあの独房のような最後の部屋を、
サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスのあの鉄格子の部屋を、
あれは再来なのか、燃焼できなかった人生の再来なのか、
であるとすれば過去の魂は満たされていたのか。

Cy Twomblyがscribbleする理由については、彼の「レパント」の海戦を観ても、
おそらくは何らかの形の母性回帰であり、母性への憧憬であり、scribbleすること
により、心の震え、飢えをその生涯に渡って執拗に満たしていたのではないかと
直覚する。
つまりは、成長過程における何らかの外傷ということになろうが、外傷のない人生
というものが存在するのだろうか。
1921年にわずか7試合に登板しただけの大リーグの投手であった父親との
父子関係はどうであったのか。サイ・ヤングのCyは名前として重かったのか、
それとも父と同じ名前であることは快かったのか、その幼児期において、
父とキャッチボールはしたのか、したのならその時、
父は何と話しかけてきたのか。
死後の世界で父子はキャッチボールをしたのか。
父は息子の自傷行為のようなscribbleを観て、何と話しかけてきたのか。

さて、ユングである。
自らが白人であることを俯瞰するこの巨人の述懐は、近年の中でも、比類のない
読書体験となり、僕の孤独を救う以上に破ってくれた。
この自伝の核心は、ユングのみた家の夢(*5)である。
夢の中で、彼は自分の知らない家の中にいたが、それは「私の家」だった、
と言っている。
ここへ来てようやく、この「私の」がプロローグで2回繰り返される
「私の神話」、「私の真実」と重なり、この人の思想のすべてが、
この「私の」の中に含まれていることを理解した。
この夢の中で、地下室からさらに狭い石の梯子段を降りて行った
岩に彫り込まれた低い洞穴を彼は、
「人間の原始的なこころは、動物のたましいの活動と境を接していた」(*6)
と書いている、震えた、ここなんだと思った、直覚的にここにすべてがある
と思った、僕が個人的に「地獄の底は上皿てんびんの皿だった」と呼んでいた
もの、僕が長い間探し求めていたもの、そのすべてが間違いなくここにある。

僕が、パリ時代に毎日アカデミーで大きな画布に向かって描いている時、
ふと浮かんだ疑問、どうしてこんなに毎日描いていて飽きないのだろう、
その時、咄嗟に心をよぎったこと、
「僕の先祖の中に、何らかの物理的な理由によって、絵を描きたくても
描けない人が、おそらくいたのではないだろうか」は、
数年の時を経てようやく、
「われわれの心は、身体と同様に、すべてはすでに祖先たちに存在した個別的
要素からなり立っている。個人的な心における「新しさ」というのは、太古の
構成要素の無限に変化する再構成なのだ」(*7) に出会った。

自分の生まれつきやくせと戦った、自分の個性と気違いと戦い抜いた、
37で死ぬまでの「ゴッホの日記」の中の魂の問題も同じことだろう。
ゴッホの気質の中に「新しさ」は全くない、
「新しさ」はゴッホの絵の中に魂の問題として、
自分の再構成はこれでしかないという悲しみの問題としてあるのだ。
それが「花咲くアーモンドの枝」(*8)だろう。
もう体に力が入らなくなった、
自分の人生が終わったことを誰よりも理解したゴッホの、
そしてそうなって初めて祖先の魂と和解できた、
低い洞穴の底へ辿り着いた因果の平穏なる永眠。

古の昔より、人間は一秒一秒時を重ね、現在までしかない、つまり明日はない、
ということ。希望という名のもとの明日という嘘臭さ、真実らしさにも決着が
つき、絵画については大きく前進した。
「逆行による改善」(*9)を求めよ。

無意識からの「表出」を理論的に体系づけていく中で、「表出主義」として
考えられるものにしていくことを今後の仕事としたいが、それはユングの言う
「努力をし困難と闘ってのみやりぬける超個人的な仕事」(*10)であり、
世の中がその答えを僕に求めなければ、僕はやり残したことを抱えて死に、
その無念さによって、再生することになる。
お前じゃないよと。

2014年5月19日
和田 健

(*1) 小林秀雄全集(新潮社)第13巻「人間の建設」2001, 所収
 「信ずることと知ること」p.401
(*2) 小林秀雄講演(新潮CD)第二巻「信ずることと考えること」より
(*3) Cy Twombly Cycles and Seasons, Distributed Art Publishers, Inc.,2008, 所収
(*4) 小林秀雄全集(新潮社)第12巻「考へるヒント」2001, 所収
(*5) ユング自伝1(みすず書房)p.228
(*6) ユング自伝1(みすず書房)p.231
(*7) ユング自伝2(みすず書房)p.51
(*8) サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院に入院していたゴッホは、
  外出制限のある中で1890年2月にこの絵を描いた
(*9) ユング自伝2(みすず書房)p.52
(*10) ユング自伝2(みすず書房)p.162

「樹木の魂は、どこにあるのか。」 連載開始にあたって、この秋のことなど。

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 15 December 2013 by kenwada

フランス時代に描いた「樹木への手紙」の第二章版とも言うべき
「樹木の魂は、どこにあるのか。」をスタートします。
自分でよく考えた末に決めたタイトルです。
末尾の?はあえて取り、読点としました。
「樹木への手紙」No.1からNo.84については、僕の前のサイトである
La Galerie de Ken WADAのCatégories: Lettre aux arbres
に掲載してあります。
または、右側のYouTubeから観れますので、よろしければご覧下さい。
現在、「樹木の魂は、どこにあるのか。」はNo.15まで制作が進んでいますが、
12月31日掲載のNo.13で一応、attraper, captureできたのではないかと
思います。
また、今回は、僕が普段どのような樹木に対して交感しているのか、
実際の樹木の写真も3回に分けて掲載致します。

以下、雑感。

ちょうどフランスで「樹木への手紙」を描いている時に、母が倒れて、
僕はすっ飛んで帰って来た。
都心で「樹木への手紙」が描ける訳がない。
どこかの公園へでも行って、「剪定後の樹木への手紙」でも描くしかない。
でも今、僕の目の前には、フランス時代と同じか、あるいはそれ以上に美しい
冬の樹木たちが惜しげもなく、その裸体を冬の陽光にさらしている。
原生林の、雑木林の、手つかずの、人為のない僕の大好きな樹木たち。

僕は、神はいると、かなりはっきり感じるようになった。
あの時、僕はちょうどフランス時代で一番よい時だったし、例えば母の意識が
戻ってリハビリ病院に入って一段落した頃にでも、フランスに戻っていれば、
今目の前にこの自然はなかっただろうと思う。
でも僕は仕事やフランスを捨てて、母を選んだ。
物事には順序がある。
そうしたら、あの時以上に美しい、そしてここが実に不思議なところ
なのだけれど、僕の住んだフランスのウール・エ・ロワール県の風景に
極めて似た自然が目の前に広がっているということについて、
神がいると感じられないのなら、一体何について神の存在を思うのだろう。

この10、11月は僕にとって、標高1100mの初めての森の中での生活の
「夏の熱狂」が終わり、精神的に厳しい季節だった。
特に10月になって、森が引いていってしまうようになった時、
そのあまりの引力の強さに頭から体ごと何度も森の中に吸い込まれそうになって、
両手足に神経根炎のようなものが出て、ピリピリと痛くなり、つらかった。
森というのは、外から見ているのと、中で暮らしているのとでは、
その引力の桁が違うという体験をした。

この10、11月、僕は勉強していた。
まあ猛烈にやっていたと言ってもいいと思う。
体調が悪くても、勉強したり、写真を撮ったりはできるから。

この夏、トルストイの「復活」を読んで、その圧倒的な読後感から、
ちょっと一息つきたくなって、いつもドストエフスキーやトルストイばかり
読んでないで、少し他のものも読もうと思い、手にしたのが、
数学者の岡潔さんの著作「春宵十話」(光文社文庫)で、大自然から受ける
純粋直観の力をじかに情緒(こころ)に放り込むに多大な示唆を得て、
計算や論理は数学の本体ではない、に普段僕が感じていることと重なる部分を
不遜にも確認できて、思わず、あ、僕はいけるかもしれない、
と勇気をいただいた。
あとは自然の流れで、「人間の建設」(新潮文庫)に行き、
そこから思想家の小林秀雄さんの新潮社の全集、新潮CDの講演集へと進んだ。
そこから僕が得たものは、制作上の多大の示唆も含めて、簡単にまとめられる
ものじゃないけれども、最初に中軽井沢の図書館(とても立派な図書館です)で、
小林秀雄さんの全集を手にした時、しまった(というのは気づくのがあまりにも
遅すぎたという意味です)と思い、すぐにその場で見繕って5冊借り、
アマゾンで2冊注文して計7冊手元において、もうこの際、順番なんかどうでも
いいやと思い、第6巻の「ドストエフスキイの生活」から始めて、
第10巻「ゴッホの手紙」、第8巻「「罪と罰」についてⅡ」へと進み、
ちょっとペースが速いかなと思ったが、構うものかと思い、
第11巻「近代繪畫」のモネは別にどうと言うこともなく通過して、
セザンヌの「プランの魂」が震えるでぶっ飛んだ。
妻とエクサン・プロヴァンスのセザンヌの家からアトリエまで、
そしてサン・ヴィクトワール山を描いた場所まで歩いたことを思い出し、
我々はセザンヌの並外れた日常の体力について盛んに話し合ったのだけれど、
そうか、セザンヌはプランの魂を震わそうとしていたのか、そうだったのか、
しまったとまた思い、遅学者の悲しみの中にポトンと落ちた。
その後、第3巻の「「罪と罰」についてⅠ」へと、ノートをとりながら、
これらに必死でとりかかって、自分の制作上の方向性は大きな意味で
決して間違ってはいないことを僕の心の中で「確信」できたし、
自分に何が足りないのかについても気づくことができた。

何かに惹かれるようにして、小林秀雄さんが、生前住まわれていた
鎌倉の「山の上の家」をはじめ、三軒のお宅跡を訪ねたけれど、
手帳にメモした住所と駅前の観光案内所でもらった簡単な地図を頼りに、
多分この道を行ってここだなと次々と三軒のお宅跡が
当たり前のようにわかったことも不思議な感じがした。
「山の上の家」の門前で、感謝の気持ちを伝えさせていただいて、
礼をして帰った。

僕はこの後、小林秀雄さんの全集の読み込み、CDの聴きこみ、
そしてこの勉強の自然の流れで、柳田国男さんへと行くのだと思う。
帰国して間もなくの頃、長塚節さんの「土」を読み、強い印象を受けた理由も今、
ようやくわかった。

そんなことをしている内に、木の葉もすべて落ち、
樹木が一年で一番美しい冬を迎えた。
やっぱり、樹木は冬が一番美しい。
潔くて寡黙できりりとしている。

新緑だの紅葉だの葉っぱをつけた樹木なんかダメだね。
着飾っていて、何ともいえずいやらしい。

何かが始められるなと思うまでエスキース72枚。
その後、ピタッと止まってしまって、苦しんだ。
寝ている時に画想が浮かんで、朝7時半にNo.1を描いて、
これで何とかいけるかな。
わからない。

樹木の魂は毎日ひしひしと感じているので、
それがあるとかないとかいう問題ではない。
十分に気をつけていないと、それを隠そうとしにかかる自分こそが問題なんです。

これまでに、僕がすでに自分の心の中で確信したこと。
・自然は、互いに全く関係のない重層した輪の連鎖の中で、
すべて描くことができる。
・自然とは、逞しくて、生命力と死に満ち溢れていて、
均整がとれていなくて、不格好なもの。
・これらを土台として、言葉に依らない絵画を何とかして生み出すこと。

今、僕がいただいた勇気から、確かだと考え、信じ始めている方向性。
・デッサンは、絵画の本体ではない。
デッサンは、絵画の本体であるという、この常識中の常識が、
言葉に依るあらゆる絵画を生み出す諸悪の根源になっている。
つまり、デッサンというのは、イデオロギーな訳だ。
最初の段階で、みんなこのイデオロギーにつかまってしまうから、
自分流に信じることができない、世間流に信じる、
言葉に依る絵画が極自然に大量に生み出される、
何しろイデオロギーだから、それに加えて、世間に大量に存在することを
背景として、本人も自分は正しいと感じる、
それがまた会や団体を作って、ガードされながら、
飽くことなく繰り返されるという永遠たる図式。
小林秀雄さんが、1974年の講演で、「今のインテリには反省がない」と
言われているのは、まさしくここのところにある。
以来39年、飯の種は状況を変えない。
その人は、デッサンができるという知識を描いたのであって、
それは少なくとも僕にとっては絵ではない。
絵というのは、何かができるという芸ではない。特技ではない。
さらに言えば、もう一つ。
おそらく、遠近法等のデッサンは、維新の頃から盛んに我が国に導入された
のだと思うが、ヨーロッパに7年いて、つくづくわかったのだけれど、
彼らは論理の人だから、これに合う。でも我々は、論理の人ではない。
我々が我々の根源に基づく、西洋の人たちには、なかなか掴みにくいものを
土台として、それを魂と言っても、情緒(こころ)と言っても、
直接の自分の経験と言っても、デッサンの否定と言ってもいいけれど、
そこに圧倒的な表現力をもつ観ている人の存在を根底から揺さぶるような
言葉に依らない絵画ができる可能性があるのではないか。
少なくとも何故すぐにないと言うのか。
疑ってみる余地が大いにあるのではないか。

以上です。

エスキースから考えたこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 15 August 2013 by kenwada

Esquisse 1

Esquisse 1

Esquisse 2

Esquisse 2

Esquisse 3

Esquisse 3

Esquisse 4

Esquisse 4

現場に座ってのエスキース作りは、僕の創作活動の生命線である。
絶対に現場でなければならない。
パソコンに取り込んだ写真の前では不可である。
様々な気象条件に左右されながらの現場でのエスキース作りは、すごく楽しい。
目の前の自然から実に多くのことを教えられ、考えさせられながら少しずつ学ぶ。

上2枚は、アトリエから歩いて3分くらいのところに流れている
沢を描いた6枚のエスキースの中の2枚。
この沢の美しさを表現することは難しい。
Alberto Giacomettiが、
「本物の画家は美しい風景を求めて旅行など決してしない。」
と言ったのは、正しくその通りである。
アトリエの裏の沢で十分である。
Esquisse 1がその時の4枚目、Esquisse 2が6枚目。
ちなみに、Giacomettiの言葉は、この後、「どんな世界一周旅行よりも大きな旅行
が人の顔の中にある。」と続き、矢内原氏の顔と格闘するのだけれど、この話は
また今度。
いやまた今度ではなく、以下はこの話の周辺なのかもしれない。

下2枚は、自転車で付近の牧草地に出かけて、その回りの森林を描いた6枚の
エスキースの中の2枚。
Esquisse 3がその時の5枚目、Esquisse 4が6枚目。

さて今回考えさせられたことは、以下の2点である。
1、我々人間の脳は、ある風景なり、人物なりを見た時に、「主」に見えたもの、
感じたものが実は「従」で、「従」に見えたもの、感じたものが実は「主」
なのではないか、ということ。
2、言葉に依らない、ということ。

1点目は、Esquisse 1を描いていて、最初目を奪われた沢の上を覆う木や枝、
葉を表現していたのだけれど、4枚目に水の流れだけのEsquisse 1を描いて、
パン!と初めて風景が”見えた”。
あれ、どうしてなのだろう?と思い、描いたのがEsquisse 2でその発展系。

Esquisse 3の時も、この風景の前に大きな木が3、4本立っていて、
最初そこに目が奪われそれを表現して今ひとつの後、実は後ろの山なのでは
ないかと思い、描いたら一発で見えた。
どうしてなのだろう?

人間は普段朝から晩まで何かの風景なり、人物なり、机でも椅子でも何でも
いいのだけれど、何かを見ながら生活しているが、実はパッと見て「主」と
して見えているところが実は「従」で、パッと見た時に「従」に見えたところ
にこそ「主」たる部分が隠されているのではないかという仮説です。

無意識絵画の創造に取り組んでいる時に、描いている筆の先だけは見ない、
ということをやっていて、これを個人的に「四隅に目を飛ばす」と呼んでいる
のだけれど、それと何か関連がある気がする。
この訓練として、例えば相撲中継を観ている時に力士だけは見ない、
というのを取り入れていて、いつも画面の土俵の回りに座っている人の手の動き
だとか、何着ているとかだけ見るようにしている。
あるいは、そんなことばかりやっているからそうなるのかもしれないけれど、
見えたものの中の主が従で、従に見えたものが実は主であるというのは、
そこに一般的な何かが存在していると直感的に思えてならない。

2点目の言葉に依らない、というのは、Esquisse 1を描いた時に、頭のどこかに
沢を描いていて山を描いたらやっぱりまずいよな、というのがあるのだと思う。
こういうのは幼少時の学校教育とかがすごく関係していると思う。
山と答えなければいけないところを海と答えると×になるというような。
次の( )に当てはまる言葉を答えなさい、
で答えられると点数が取れてよいとされてきたような。
Esquisse 1を描いていて沢を描いて、ああ、それでよし、パッと見えたと思った
のかもしれない。
主も従もなく、( )に当てはまる言葉が描けただけなのかもしれない。

このことに初めて気づいたのは、ウィトゲンシュタインの「青色本」と
「哲学探究」を読んでいた時で、
『私が誰かを買物にやる。
かれに「赤いリンゴを五つ買ってきてくれ」(青色本では六つ)』
という紙片を渡す話に強い衝撃を受けた。
結局、沢を描いていて一瞬でもこれは沢だなと言葉で思ってしまった瞬間に、
もうこれは誰が何と言っても、あなたが描いているのは沢なんですよ、という
ある種の規制が入ってしまうのではないだろうか。
山を見て山という言葉に置き換えてしまった瞬間に山でしかなくなるのだと思う。
言葉の枠をはずすこと、そのためには、風景を見た時に言葉を用いずに、
いつも「一体これは何だろう?」と思う練習をするといいと思う。

このことに気づいたもう一つの理由は、「身ぶり」ということで、
昨年、大江健三郎氏と仏人作家のパトリック・シャモワゾー氏の対談を聴いた
時に、このキーワードが出てきた。
確かに7年海外にいてよくわかったけれど、言葉が不自由だと人間何とか
必死で伝えようとして、この身ぶりというのが出てくる。
風景を前にした時に、身ぶりでそれを表現する、それもできるだけ大きな
身ぶりで表現する、という練習を加えていこう。

Grenn Gouldが森の中の沢だか滝だかに向かって大きな声で歌いながら指揮の
ような動作をする映像があるのだけれど(動物園で動物に向かって歌いながら
指揮する映像もある)、
あそこは笑うところではなくて、あれも結局同じことなのだと思う。
自然のエネルギーを言葉に依ってではなく、身ぶりに依って吸収した方が、
得られるエネルギーがはるかに大きいということを、彼は実感して日常化していた
のだと思う。

先日書いたトルストイの「コザック」の再読を始めました。
僕の本は、中央公論新社版のものだけれど、あの32、33ページの
「あれはいったいなんだね?」
「山でさあ」
山々は・・・・山々は・・・・山々は・・・・
の表現には驚かされる。
超弩級の才能があるからできることなのだろうけれど、
でも言葉に依る小説家が言葉に依らないことが書けているのに、
もともと言葉に依らないはずの絵画の人が、言葉に依らないことが描けない
としたら、自分に対して情けないし悔しいと思います。

長くなりました。
以上です。

ニワトリが出て来て口々に何かを言う

Posted in Essay 2012-2026 with tags , on 4 May 2013 by kenwada

(僕は脈絡のない話というのが好きだ。話に脈絡があるというのは、その時点で
完結している、終わっている。従って、おそらく脳の発展には至らないだろう。)

テレビでマニー・パッキャオの幼なじみのトレーナーが言っていた。
パッキャオの試合でラウンドの間にコーナーの横からいつも顔を出して、
フィリピン語で話しかけるあのおなじみのセコンドだ。

俺たちは昔足にナイフをつけて戦う闘鶏のニワトリのようなもんだった。
そして今でもニワトリのようなもんだ。
これには驚いた。
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
赤いニワトリと白いニワトリ。
太ったニワトリとやせたニワトリ。
代々木上原のニワトリ、代々木八幡のニワトリ。
おしゃべりなニワトリ、シャイなニワトリ。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
you can’t connect the dots looking forward. *¹
未来を見つめながら点と点をつなぐことはできない。
これには泣いた。
ロンドンのテムズ川沿いのニワトリとパリの屋根裏のニワトリ。
大群のニワトリ、一羽のニワトリ。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
アップルの社債。
北青山のニワトリと南青山のニワトリ。
頭の禿げたニワトリ、毛のふさふさしたニワトリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今わたしは、たえず魂の年金を楽しんでいます。
賑やかなニワトリと物静かなニワトリ。
街の中のニワトリ、山奥のニワトリ。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真家の撮った写真はつまらない。
構図に光量、必殺のノスタルジー、いかしたune oblique、決定的瞬間。
小説家の書いた小説はつまらない。
起承転結、希代のストーリー・テラー、暴力とセックス、市場調査。
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竹橋のフランシス・ベーコン。
I realized when I was seventeen.
I remenber it very very clearly.
I remenber looking at a dog-shit on the pavement and suddenly
realized, there it is—this is what life is like. *²
17歳で道端の犬の糞を見て、人生の何を悟ったのだろう。
犬の糞の中に死を見たのか、無が見えたのか。
未来を見たのか、宇宙が見えたのか。
その時、その道端にニワトリが歩いていなかったか。
列をなして何羽も何羽も大群のように、あるものは狂ったように
列をはみ出し、歩道に乗り上げ、人の家の戸口に勝手に入り、
あるものは何かをしきりにわめきたてながら苦しそうに
反対方向に歩いていなかったか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
毎日のランニング。
腹の出たニワトリと腹の出ていないニワトリ。
金満家のニワトリ、物乞いのニワトリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
俺たちは今でもニワトリのようなもんだ。
ニワトリが出て来て何かを言う。
ニワトリが出て来て口々に何かを言う。

            2013年5月3日

*¹ Steve Jobs, the Commencement address, 2005
*² Words from the interviews with Francis Bacon by David Sylvester, 1975

検証 ー「犬の爪跡」ー

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 3 December 2012 by kenwada

以下のエッセーは、今年の3月に書いて没にしていたものです。
12月1日に掲載したエッセー「クリント·イーストウッド方式」と
少し関連があるように思いましたので掲載します。
これを書いた後、5月の個展、11月の二人展と経過して、
少し思うところはありますが、原文のまま掲載します。
しかし今読むと、Pollock の When I am in my painting っていうのは
それだけでゾクゾクしますね。

無意識というのは、「記録」である。
無意識というものを隠れ蓑に、実は意識の集大成なっているのではないかという
問題に悶々としていたのだが、また無意識そのものを見つけた。
我家の台所の床は、32×32cmの正方形の床板が組み合わされて
できているが、これに愛犬がつけた爪の跡である。
これは全くの無意識である。
しかしこれを果たして絵画と言えるか?言えない。
それでは何か?「記録」である。
「記録」が絵画と言えないのなら、絵画というものをすべて排除したい。
何故なら無意識である記録の方が美しいから。

犬の爪跡、2012年3月
紙に墨、水彩、白鉛筆、32.0×32.0cm
The claw marks of my dog on the floor in the kitchen, March 2012
India ink, watercolour and white pencil on paper, 32.0×32.0cm

トレーシングペーパーでは無理なので、サランラップを用い正確に爪跡をなぞる。
そしてカーボン紙で水彩紙にこれまた正確に写す。
これを観ると、結局真に無意識的なるものは、絵にならないことがわかる。
ただの凡庸とした「記録」にとどまることがわかる。
これは絵画ではない。では何か。何度も言うけれども「記録」である。
逆に言うと、絵画になっているということは、そこに何らかの意識が働いている
ということになる。
どのようにして意識の枠をはずすか?
どのようにして構築の枠をはずすか?
どのようにして何らかの働く意図をはずすか?
すべて絵画にする以上無理なのか。
結局、無意識を隠れ蓑にした意識の集大成でよいのではないだろうか?
「無意識から湧き上がるイメージを重視したスタイル」くらいで満足すべきか。
そこに現実的な妥協という名目の一致点を見出すべきか。

Jackson Pollockが言っている。
「絵の中にいるとき、私は自分のしていることを意識していない。
「知り合う」ための時間を過ごした後、やっと私は自分のやっていたことを
わかるようになるのです。」
以下原文。
(When I am in my painting, I’m not aware of what I’m doing.
It is only after a sort of ‘get acquainted’ period that I see what I have been about. 
-My painting, 1956)
これは痛いほどよくわかる。
そうだよな、そうでなくっちゃ、そう来なくっちゃなと思う。

La Galerie de Ken WADAに載せたロンドンの壁の写真(10枚)のような
無意識の集結としての美しさは存在する、確かに存在する。
・苔むした樹皮の美しさなども無意識の集結である。
・目を閉じて描いてみたらどうだろうか。
・絵画制作時の枠外にはみ出した部分(枠外は美しい)を組み合わせる。
・これとギブロス疑似聖刻文字(前15~14世紀)、甲骨文字(前14~11世紀)等の象形文字。
(こんなものを3500年前に描かれていたら我々のすることなんか何にもない気がする。)
・自分へ「よく考えること」。

クリント· イーストウッド方式

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 1 December 2012 by kenwada

二人展をしている最中にクリント· イーストウッドの最新主演作「人生の特等席」
の記事を新聞で読みました。

パリのモンマルトルに住んでいた頃、日曜日になるとサン· ラサール駅の近くに
ある映画館にフランス語の勉強を兼ねてよく通っていました。
日曜日の一回目の上映に行くと、5ユーロ(当時)で観ることができたからです。
モンマルトルの部屋から、ほとんどのお店が閉まる閑散とした日曜日のパリの
街を映画館までぶらぶらと30分くらいかけて歩いて行くのが好きでした。

この映画館では一人で随分いろいろな映画を観たけれど、2004年に
クリント· イーストウッドの「ミリオンダラー·ベイビー」を観た時には強い印象を
受けました。
イーストウッドって若い頃はかなりの(失礼ながら本当にかなりの)
大根役者でした。
それが当時74歳にもなって何て演技が瑞々しいのだろう、いくつもの心の襞を
何でこんなにも優しく大らかに体現できるのだろうと思いかなり感動しました。
その後モンパルナスの映画館で2008年に妻と「グラン·トリノ」を観た時にも
同じ観点から「この人は全然違う」と感じました。

早くに独立して監督主演をしながら賞レースとは無縁の一種形容のつかない
B級のような映画を撮り続けることで、結局人生の最後になって役者としても
監督としても一番瑞々しいのは彼だったということは、僕に大きなヒントを与えて
くれました。

僕はこれを個人的に「クリント· イーストウッド方式」と名付け、早くに独立して
個展を繰り返す自分と重ね合わせて「制作ノート」にその概要をメモしたのは
2007年のことだったと思います。

作家は個展を繰り返すことでしか前に進めない。
でも個展を繰り返すというのは大変なことですので、そんな時は、
自分に「クリント· イーストウッド方式、クリント· イーストウッド方式」と
繰り返し言って自分を励ましています。

ところで「人は何故個展をするのでしょうか」
これは根本的な大問題です。
これについては日を改めて一度きちんと書いてみたい。
書けた内容云々ではなく、この問題には一作家として正面から取り組んで
みたいのです。

さて二人展の最終日、いつも応援して下さるアートディレクターのK氏がご来場、
弾む会話の中でさりげなく井上有一作品集を出されました。
わからないように気を使われながら、予め本をご用意下さったのは
明らかだと思います。
僕が二人展の最終日にこの本と出会ったのは単なる偶然ではないと思います。
浅学な僕は凄く恥ずかしいのですが、井上有一という方を知りませんでした。
作品集を観て、これは「世界レベル」だな「ワールド·クラス」だなと感じました。
「島国王者」じゃないということです。
島国王者とは別名「地域の名士」とも言います。
これについては話しがそれますので、また別の機会に書きます。

氏の一連のコンテ書作品を観て、自分のやってきたこと、考えてきたことの
方向性は間違っていないなと思いました。
要は思考の行き着く先は同じことになるということで、
地球をある地点から右回りに半周しようが左回りに半周しようが、
同じ地点で出くわすということです。
僕の場合はJean DUBUFFET からJean-Michel BASQUIATと来てこの考え方に
辿り着きました。
以前のエッセー「ドラクロアの三角形を回す」にも書きましたが、
DUBUFFETという人は凄い才能をもった人で、パリのポンピドゥーで街や公園、
すなわち地図なんか全部上から叩きつぶしてしまえばいいんだよな、
と彼の作品を観て衝撃を受け、そうだよなそう来なくちゃなと思い、
ロンドンのテート·モダンでも必死で観ました。
パリ市立近代美術館でBASQUIATの大回顧展を観た時、DUBUFFETの系譜を
はっきりとそこに感じポンピドゥ−ーでBASQUIATの作品を再度観て確かめて、
自分で独自に発展させてきた考えをもとに
「これは、いったいカ(か)なのだろうか、力(ちから)なのだろうか」という
作品を今年の3月に8枚作りましたが、それは、カの字を紙面いっぱいに
何個も何個も書きなぐった作品で、一連の無意識の問題は結局これですべて表せる
と思いましたが、常規を逸しているので、それをここに載せてもいいものかと
思い、載せなかった、自分のその気の弱さこそが最大の致命的なところなのだ
ということです。

今年の12月から来年の4月にかけての仕事は、今連作している「私の構図」です。
16まで描いたところで、これはとてもこれだけでは終わらないと思い、
次第に構想が大きく膨らみ始め、第2章「拡散」、第3章「溶解」として終わろう
かと思いましたが、そんな起承転結なんか新聞記者じゃあるまいし、
DUBUFFETみたいに上からぶっつぶして、とことんやってみようと、病い、暗黒、
地獄の底、再起、再生、、、などをテーマに描いてみようと思います。

今回の二人展の垣内さんの再出発は、まるでドストエフスキーの「罪と罰」の
最後の場面、最終ページそのもので、僕はちょうど先月、何度目かを読み終えた
ところなのですが、僕の目標はいつの日かソーニャを描くことなんです。
タイトルまでもう“Sonia Painting”と決めてあるんです。
「私の構図」が描けなければ、とても「ソーニャ」まではいけないだろうな。

ちなみに1866年の「罪と罰」から1880年の「カラマーゾフの兄弟」への
ベクトルで、総合小説、複合的な視点、小説としての完成度の観点から語られ
ることが多いみたいだけれど、僕のベクトルは逆方向で、僕はこの二作品から、
芸術は結局は「原石勝負」なのではないかということを強く感じました。
野球でいったら、とにかく足が速くて肩が強い、ということです。
ボクシングでいったら、ディフェンスは悪いし、フットワークはべた足、
でもとにかくパンチがある、ということです。
もちろんスポーツと芸術は違う訳だけれど、例えです、例え。

もう一つ12月から来年にかけての仕事は、
「マントノンの思い出 ーあるいは世の中の極めて胡散臭い物事に対する
自分なりのささやかな反論ー」と題する散文だかお話だかを書いてみたい。
実は少しもう書き始めました。
マントノンの生活から1年以上が経ち、書くにはもういい頃だと思います。

以上です。

最近思うこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 23 July 2012 by kenwada

1.  ゴッホの例を持ち出すまでもなく、「絵画」とは、要は人生のその時点における
その人の「純密度」のことである。
従って純密度が上がれば絵画の質も上がるし、純密度が下がれば絵画の質も
下がる。

2.  毎日描いているとつくづく感じることだが、
「デッサン」とは、要は「漢字」である。
「漢字」とは、要は「デッサン」である。
これは漢字の起源を考えてみれば、当たり前のことである。
数々の象形文字、とりわけビブロス疑似聖刻文字の美しさ。
こんな面白いものを紀元前15~14世紀に描かれていては、
すなわち3500年も前に描かれていては、
もう抽象画家のやることなど何もないのではないかと感じさせる美しさ。

3. そこで問題となるのは、漢字文化圏の人間である日本人には、
当然のことながら、漢字に対してイニシアチブがあるべきはずなのに、
どうしてFranz KlineやJoan Mitchell、またはPierre Alechinskyらが
やっているような仕事がなかったのか、あるいはまたは少なかったのか
ということは、ちょっと考えておかなければいけない。
実際に書道の手ほどきを受け来日して書道の映画作りもしたAlechinskyの例を
持ち出して比較しての話ではなく、彼らの仕事の中に漢字に対する
イニシアチブを、極「一般的」に感じる。

4.  最近、立て続けに「傾いた世界8」を潰した。
このところの調子自体は悪くないので、
自分にはできないかもしれないと思った。
「傾いた世界」なんて、自分には見えないのではないかと思った。
いくら線を引いても形が出てこない、見えてこない、
見えなければ、描けない。
当たり前の話しである。
見えなければ、どうなるか。
終わりである。The end.
これも当たり前の話しである。

この問題を考えていて行き着いたのは、
もっと大胆に試みたらいいのではないか、ということである。
もうそういう時期に来ているのに、それを相も変わらず塗っているから、
その義務感、自己に対するケチさから離れられないから、
一種の自家中毒のような矛盾を自分に対して起こしている
のではないだろうか。
何のことはない、苦しんでいたのは、自分に対して自分が吐き気を
催していることに、自分が気づかないという、間の抜けた話しである。
しかしながら、これらのことが無意識下で進行していて、
今日ようやく気づけたということ自体が、確実に一つの「傾いた世界」である。
「義務の中にいるな」ということは、ロンドンのMaggy ROBERT氏から教わった。
氏からは、抽象画にもっていくために色と形を変えることについての、
究極のエッセンスも学んだ。
感謝しても仕切れない。

5.  最近読んだ本で一番面白かったのは、
ジャン・ジャック・ルソーの「告白」(岩波文庫上中下巻)。
こんないい本が絶版だなんて。
最初、図書館で延長しながら借りて読み、さらにアマゾンで買って読んだ。
一人の男が徒手空拳で読書と出会った人々から受けた影響だけを頼りに、
18世紀最大のフランスの思想家に登り詰めるお話。
僕は、「どうやって仕事を作るか」という観点から読んだが、
何カ所もハッとするところがあった。
同じくルソーの「孤独な散歩者の夢想」(岩波文庫)も素晴らしい。
重要なヒントをいくつももらった。
それから、この一年で3回目になるヘルマン·ヘッセの「車輪の下」(新潮文庫)。
この中で主人公のハンス·ギーベンラートが神学校の試験を終え、
魚釣りに行く場面は例えようもなく美しい。
圧倒的に美しい。
これを読むといつも小川の岸辺で「川面」や「ユール谷の風景」のシリーズを
粘っては格闘しながら描いていたフランスのChimayという
まるで隠れ家のようなひっそりとした場所、僕にとっての自然の教室であり
道場でもあった大切な場所を思い出す。

6.  話しは変わるけれど、ある人が絵を始めた時点で、
絵の資質があるかどうかは、
結局は「色と形に反応するかどうか」だけだと思います。
これは、例えばその人と一緒に横に並んで絵を観ている時に、
絵を観ずに、集中してその人を見ていると比較的容易にわかります。
一緒になって目の前の絵を観ていてもわかりません。

7.  当たり前の話しになりますが、「子供の時から絵が上手い」ということと、
「作家として自分の作品の世界を展開·伸張できる」という能力は
全く別のものです。
ところが、ここの大切なポイントがどうも混同されているように思います。
例えば、どこの小学校にも昔から必ずクラスや学年の中に
字の上手い子がいます。
でもその子に向かって、
「すごく字が上手いね。きっと将来いい小説家になるね。」
と言ったら、その子も意味がわからないし、
周りで聞いていた人も???でしょう。
ところがどういう訳か、これもまた昔から必ずといっていい程、
どこの小学校の学年にもいる絵の上手な子に、
「上手な絵を描くね。きっと将来は画家になるね。」
と言うことはよく見受けられます。

8.  このことについて一歩進めて考えてみると、
確かに極まれに「子供の時から絵が上手い」、「作家として自分の世界を
展開できる」という両者を兼ね備えた人がいます。
この例の一番わかりやすい代表者は、何といってもピカソです。
でも天は二物を与えないので、例えば、マティスは法学部からの転向、
ボナールも法学部からの転向、ゴーギャンは株式仲買人から、
ゴッホは宣教師・教師から、カンディンスキーは法学·医学からの転向
というように(まだまだ枚挙に遑がありませんが)、
全く違う分野からの転向組が多いのも事実です。
この事実は何を意味しているかというと、簡単に言うと絵画にはかなりの知力が
要るということです。
少なくとも、マティス、ボナール、ゴーギャン、ゴッホ、カンディンスキーという、
この言ってみれば“オール・スター”5人が揃いも揃ってそうだということは、
そこに何か共通に含まれる要素があると考えた方がいいように思います。
以前、平山郁夫さんの本を読んでいた時に、
氏のおじさんが甥が絵が上手いのをわかっていたけれど、
大学受験の直前になるまで、(一般の)勉強をさせるために芸大受験を
勧めなかった、というエピソードを読んですごいおじさんだなあ、
と思ったことを思い出しました。
氏のおじさんはここのところが痛い程わかっていたのだと思います。

ドラクロワの三角形を回す

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 19 June 2012 by kenwada

今回は、色の勉強について書きます。

昨日、今描いている「傾いた世界3」の制作をしている時、
青色と金色の素晴らしく美しい対比に気づき感動しました。
特にスマルトブルーについては、際立って美しい対比をみせます。
断るまでもなく、青色の補色は橙色ですが、
この二色の対比については、今後研究してみる価値があると思います。

当たり前のことですが、絵を仕事にしている人で、色の勉強をしていない人は
一人もいないと思います。
ですが、この色の勉強をどのようにするか、進めるかというのは、
根源的な問題に関わる非常に大切なことだと思います。

僕の場合は、フランスのパリ時代に、毎日アカデミーに通って
裸婦のデッサンや油彩をしている内に、
やはりこの色の勉強をクリアーしておかないと、
勘に頼ってやっているだけではどうにもならない、もうこれ以上前には進めない、
という感じになりました。
これも当然そうなることで、めずらしくはない。
そこでまず、アカデミーの帰りにRennesの図書館で、
色の本をあるだけ7、8冊借りてきました。
それをモンマルトルのアパルトモンの部屋で、じっくりと一冊ずつ見て、
まず自分に一番合う本を慎重に一冊決めました。
そして今度はその本をパリの大きな本屋で買ってきて、辞書を使いながら
徹底して全部読み、さらに繰り返しては読み、基礎(原理原則)を頭に入れました。
「Manuel de la COULEUR」というSolar出版から出ている本で、
本当に素晴らしい本です。
こういうのは、学生時代の勉強と似ていて、何冊も問題集をやるよりも、
自分に合う一冊を繰り返した方が力がつく(効果がある)と思います。

基礎ができたところで、実地の応用に入りました。
僕はこの応用をHenri MATISSEの絵で勉強しました。
MATISSEを選んだことは、今でもいい判断(正解)だったなと思います。

話がそれますが、僕はMATISSEのことを天才と呼んではいけないと思っています。
MATISSEのことは、いつもきちんと大天才と呼ばないといけない、そういう人。
彼は天才ではなくて大天才。
ちなみにフランス絵画史の中で、Eugène DELACROIXという巨星がいるので、
時代をDELACROIX以降と限れば、
最大の芸術家は誰か?という問いに答えるのはとても簡単で、Claude MONETです。
最大の天才は誰か?という問いに答えるのも簡単で、Henri MATISSE。
では最も才能があったのは誰か?この辺りからが骨のある答えがいのある問いになると思います。
僕は晩年の作品をのぞき、ワイン商から画家に転じたJean DUBUFFETだと思います。

MATISSEはその晩年に至るまで、実に基本通りに、
これでもかというくらい几帳面に基本通りに色を使いました。
ですから色の勉強をMATISSEの絵ですることはとてもよいことだと思います。
初めは、Centre Pompidouの実物の作品や画集の絵を前にして、
赤だから隣は緑、黄色だから隣は紫、青の横だから橙、
・・・と一つ一つやっていく訳です。

この「読み解き」ができるようになった頃と並行して、ちょうどアカデミーの方でも、
Modèl vivant(モデルポーズ)を前に、制作が追いつかない、
昔学校の美術室に貼ってあったり、画家のアトリエによくあるあの円形の12色相環
ではとてもでないが、スピードが間に合わない、という問題が出てきました。
あのようなものは部屋に飾る分には見た目もよいのですが、実践的ではありません。
そこで、僕が使い出したのは、ドラクロワが手帳に書き留めていた三角形です。
これも確かパリの図書館で借りてきた本で見ました。
咄嗟に「あ、これはすごい、使える!」と感じました。
以降、個人的に「ドラクロワの三角形」と呼んで、今日まで僕の頭の中の宝物になっています。
ドラクロワの三角形を使用し始めてから、アカデミーのモデルポーズを前にした
あの緊迫した状態の中でも何とか対応できるようになりました。
ドラクロワの時代に、これを手帳に書き留め、実地の表現等にすでに使っていた
というのは、印象派の遥か先を行くすごいことだと思います。
その流れをたどっていくと、ベラスケスからやっぱりと言うべきかレンブラントに
たどり着きますが、この話はまた別の時にします。
ドラクロワには、この他にも、画家にとって大切なことは、毎日、庭の洗濯物を
見ることだという至言もありますが、これもまた別の時に。

ドラクロワの三角形について説明します。
正三角形ABCを書き、Aに赤、Bに黄、Cに青を置きます。
辺ABの中点が橙、辺BCの中点が緑、辺ACの中点が紫です。
また自分で、3本の垂直二等分線の交点が黒、
正三角形ABCの外周に大きな円を書き、円周外側が白と加えていきました。

MATISSEの絵の読み込みをしていると、
実はMATISSEは三角形ABCを微妙にスライドさせて、
三角形A′B′C′のような三角形をいくつも作っていることに気づきました。
すなわちAの赤、Bの黄、Cの青を何種類ももっていて、三角形をいくつもつくり、
線分A′Cのような新しい線分で組み合わせを増やしてくるのです。
この辺り、実際に紙や黒板上で図示しながら説明できないのがもどかしいです。
これを個人的に「チャンネルを回す」と呼んでいます。
このチャンネルを回すという感覚をつかめたことは、以降とても大きかったと思います。
昔のテレビのチャンネルのイメージで、
右回り、左回りにチャンネルを自由自在に回してくるのです。
これがわかってから、三原色の赤、黄、青の種類をできるだけ多くもつように、
すなわち三頂点の位置を少しだけずらしながらできるだけ多くの三角形を
書けるように準備しました。

MATISSEで勉強した後、次にPierre BONNARDの絵で色の勉強をしました。
MATISSEの生涯基礎基本原則通りに比べると、
BONNARDは補色の位置を微妙な距離をおいて離していたり、読み解きに時間がかかります。
どんなにすごい人でも、すぐにさっさとわかるという人は、僕はいないと思います。
でもこれに没頭して、少しは前に進めたかな。

以降は、美術館や画集でたくさんの新しい絵を観て読み解く、この繰り返しです。
でももう基礎ができているので、絵を集中して観ていて、読み解くことが
最終的にできないということはなかったように思います。
やはり最初の本で基礎を学ぶところ、
それをMATISSEの絵で実地に応用するところ、この辺りが大変でした。
僕は色の勉強をこのようにしてきました。

2012年6月16日(土)
和田 健