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「カラマゾフの兄弟」の再々読 その2

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 15 March 2021 by kenwada

2021年3月11日、奇しくも東日本大震災のあの日から10年目の夜に3度目の「カラマゾフの兄弟」を読み終わりました。
まあ、それはいつかは読み終わるわけですが、前回の記事の後に考え続け、自分の読み込みが甘かったなと思いました。
反省とか修正とかそういう不遜な気持ちではなく、その後このように僕は考えましたということを、たとえ取るに足りない僕の意見であっても、きちんと書いておかないで、このままいい加減にしておくのは、やはり一度書いた以上は無責任だなと思いました。
そこで、前回の僕の第二部の夢想の続きを以下に書きます。
前回に書きました前段の説明のようなものは飛ばして、いきなり本題から入ります。
それから今回もタイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります。
したがって例えば、「カラマーゾフの兄弟」ではなく、「カラマゾフの兄弟」になります。「ドストエフスキー」ではなく、「ドストエーフスキイ」になります。
また引用した本文中のページ数は、その都度、直接文中に括弧書きで入れました。その方が、欄外にまとめて注記するよりも読みやすいかなと思ったためです。

まず長男ドミトリイ(ミーチャ)。
ミーチャが大芸術家になるだろうという僕の考えには基本的に変わりはありません。
問題は、作者ドストエーフスキイ自身が、これだけ第一部の終わりで第二部への具体的な布石を打っている以上、やはりそれに基づいて状況を整理しておかないといけないなと思いました。
そこでまず以下の4つに整理いたします。
1. 脱走が成功して、なおかつミーチャがグルーシェンカ(グルーシャ)とともにアメリカに逃げる場合。
2. 脱走は成功するが、ミーチャが一人でアメリカに逃げる場合。
3. 脱走せず、あるいは脱走が失敗に終わり、ミーチャがグルーシャとともにシベリアに20年の懲役に行く場合。
4. 脱走せず、あるいは脱走が失敗に終わり、ミーチャが一人でシベリアに20年の懲役に行く場合。
考えられる場合の数は、一応この4つでよいのではないかと思います。
それは例えば、ミーチャが護送中に急死してしまう(あり得ないことではない)とか、何らかの事由で、船がアメリカではなくメキシコについてしまうとか・・・、おお、その方が断然面白そうだ、ミーチャにはアメリカよりもメキシコの方が、英語よりもスペイン語の方が似合う!僕はメキシコで実際に一ヶ月間暮らしたことがありますので実感としてよくわかるんです!とか始まると、また脱線しますので、場合の数はこの4つ。
それから、ミーチャがシベリアでの20年の懲役中に脱走する可能性は、彼の気性から考えて否定できないと思います。「もし僕が途中でか、あちらへ行ってからでも、鞭打たれるようなことがあったら承知しないつもりだ、僕はそいつを殺してそのために銃殺されるだろう」(下巻、p.490)とあるからです。ただそうした3のa、3のbの場合のようなことまで考慮に入れていきますと、これはちょっと収拾がつかなくなりますので、ここではやめておきます。
この中で、まず最初に、愛し合う二人の結び付きの強さから、4は考えられないと思いますので却下、ここは特に異論はないと思います。すなわち、ロシア国内でしたら何としてもグルーシャはついて行くと思います。そうです、まるで「罪と罰」のソーニャのように。
そこで具体的に、1から3の3つの場合について考えればよいことになります。

まず1。ミーチャ自身がエピローグの中で、「僕がグルーシェンカと二人であちらへ着いたら、さっそくどこか遠い寂しい土地へ行って、熊といっしょに百姓を始めるんだ。きっとまだ人里はなれた土地が残っているだろうからな」(下巻、p.493)とアリョーシャに語っていますので、やはり普通に考えて百姓をするのだと思います。そして労働と英語の稽古の三年間の後、ロシアに戻って来て、「どこかの片田舎で百姓を始めんだ(原文ママ)。そして一生アメリカ人で押し通すんだ、・・・これが僕の計画なんだ」(下巻、p.494)と彼の「決心」は続きます。
うん、そうなるとこれは芸術家になる可能性は非常に少ないな。ロシアの片田舎で絵を描き始めたミーチャが、その才能故に目立ってしまったりすると、「もしわかったらまたシベリアへやられる」(下巻、p.494)からです。片田舎の農家の納屋をアトリエにしてひっそりと描き続け、やがて村人に見つかってしまい発覚してしまうが、村人の中に芸術に理解の深い人がいて・・・、また脱線!やめておきます。

次に2。これは注意深く読むとわかるのですが、カテリーナ(カーチャ)のグルーシャへの激しい憎悪が、この状況を仕組むことは大いにあり得ると思います。すなわち、グルーシャを幸せにしてたまるかという嫉妬、意地悪、あんな奴売女なんだから、という訳です。このカーチャという女性は、高徳の淑女として出てきますが、要は大変なお嬢様なのですが、非常に多くの問題をもっています。ほとんどこの女性を追うだけでも一つの小説として「カラマゾフの兄弟」は読めるのではないでしょうか。そして作者ドストエーフスキイ自身が、「重要な小説は第二部になっている」(上巻、p.11)と明言している第二部で、この女性とイワンの関係を書こうとして、そのためのいくつかの布石をあらかじめ打っていることは、ほぼ明白だと思います。
そうなるとこれは、ミーチャはアメリカに行かないのではないでしょうか。行くわけがない、そんなミーチャではない、「ここから三つ目の駅」(下巻、p.478)で脱走が成功して自分一人だと、グルーシャがそばにいないとわかった時点で、カーチャの激しい憎悪を察知し、またまたミーチャは激怒、絶叫、髪をかきむしり、その時、彼が乗っているものが、すなわち、港までの脱走の移動手段が、馬車なのか鉄道なのかは判明しませんが、そこから間違いなく飛び降りるのではないか。彼がそのまま移動を続けて、どこかの港から船に乗ってボーッとアメリカに行くというのは、ちょっと考えられない。したがって2は、結局3に吸収されるのではないか。

そこで3。これは「死の家の記録」が非常に参考になります。当時の囚人たちのあの状況の中で絵を描くということは、客観的にみてちょっと考えられない。したがって、「罪と罰」のラストシーンに広がるようなシベリアの限りない美しさの中で、自然美に目覚めたミーチャが、自然からの啓示を心にため続け、徐々に堆積してきたものが、非常に遅いスタートになるけれども20年後に絵を描こうという気持ちをもつようになるかもしれない。

以上より、「彼はその時まだやっと満二十歳であった(中の兄のイワンは当時二十四、長兄のドミトリイは二十八であった)。」(上巻、p.34)、「ドミトリイ・フョードロヴィッチは二十八歳で」(上巻、p.125)とありますから、ミーチャが芸術家になるのは、早くとも20年後48歳の時ということになり、大芸術家になる資質は埋もれたままで長い時が流れ、僕の第二部の夢想は早くもこの時点で頓挫することになりそうです。

長くなりましたので、イワンとアリョーシャは次回にします。

2021年3月15日
和田 健

「カラマゾフの兄弟」の再々読のことなど その1

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 9 March 2021 by kenwada

2021年1月24日に読み始めた「カラマゾフの兄弟」(中山省三郎訳、角川文庫)の再々読は、下巻の公判の尋問場面まできて、もう少しで終わりです。
素晴らしい読書体験の時にまれに起こる残りのページ数が減っていってしまうことが残念であるような、全部読んでしまうことが何だかもったいないような、ここからペースダウンして読もうかなという、今あの感覚に包まれています。
もうこれだけ世界中で広く読まれてきて、数えきれないほどの研究者がいて、日本にも多くの専門家がいて、僕などの初学者が言うようなことでは、全くありませんが、広く知られていますように、作者ドストエーフスキイ自身が、この物語の主人公はアレクセイであること、そしてこの小説には第二部があることを、冒頭部分ではっきりと明示していますので、第二部が構想されていたことは、まぎれもない疑いようのない事実であり、それについてアレクセイがテロリストとしてうんぬん、という今の研究の成果や流れのようなことには少し目を通してみました。
ですが、僕は一応画家ですので、その第二部は決して面白くない訳ではありませんが、あまり興味をひかず、僕はまるで正三角形の頂点ABCならぬDIAのようなこの三兄弟がそれぞれ芸術家に、具体的には画家になったら、さぞかし面白いだろうなと思い、以下勝手に第二部を夢想してしまいました。(タイトルや人名等の表記はすべて角川文庫版によります)

まず、長男ドミトリイ(ミーチャ)。
彼はおそらく間違いなく大芸術家になるでしょうね。間違いない。近代の絵画史で言ったら、フィンセント・ファン・ゴッホ級の大芸術家になると思う。確信できるものがある。この小説の第一部(すなわち角川文庫版でいう上中下巻)の主人公は、やっぱりミーチャだな。これは傑出しているというか、圧倒的というか、2004年に初めて読んだ新潮文庫版や2009年に再読した時の光文社古典新訳文庫版でもそう思いましたが、世界文学史上において、これ以上に書けている人物像、人間描写というものが、具体的に他にあるのでしょうか?少し考えただけでもダンテの「神曲」の中の登場人物をもってこないと十分に対抗できないように思います。
まるで今すぐにでも本人が紙面から躍り上がって飛び出してくる感じがします。
再読の時に、この三兄弟を抽象画で表せるだろうかというのをずっと考えていて、描き表す色で言えば、すなわちパレットに用意する色は当然赤。

ところで、ここで話はそれますが、ふと思って、果たしてゴッホは、「カラマゾフの兄弟」を読んだのだろうか?
これは非常に興味深い問題だ思う。ゴッホは書物が手に入るとまるで貪るように読んでいるので、活字への異様な飢えを感じますので、もしかしたら読んでいるかもしれない。「カラマゾフの兄弟」の刊行が1880年だから、1890年に亡くなったゴッホが(問題はフランス語に翻訳された初版本がいつ出版されたかですが、調べてみましたら1888年に出ているようです)、時系列的には読んでいる可能性が、あくまで可能性としてはあるかもしれない。
そこですぐに以前よく読んでいた「ゴッホの日記」(岩波文庫上中下巻)にあたってみる。
ない!
トルストイ、ボードレール、モーパッサン、聖書、ゾラ、ゴングール、フローベール、バルザック、ユゴー、ダンテ、ボッカッチョ、ディケンズ・・・、様々な名前が出てくるけれども、確認できる範囲ではない。
それなら話は、なおさら興味深くなってくるのだけれども、ゴッホがもし「カラマゾフの兄弟」を読んだとしたら、ミーチャに何を感じたか?自分と同じものを感じたか?炭鉱で牧師をしていた若い日々をふと思い出しはしなかったか?
「ゴッホの日記」が出たついでに、僕の長年の懸案であることをもう一つ。
ゴッホと弟テオは、この膨大な手紙のやり取りを、何故、パリ時代からフランス語で書いたのか?ということ。
普通、兄弟の手紙のやり取りは生まれ育った親密な母国語で書くでしょう、ましてや絶大な信頼を寄せる兄弟間で、つまりはオランダ語で。
これも僕にとっては非常に興味がある。

次に、次男イワン。
ドミトリイが大芸術家なら、この第一部の病気さえ治ったら、彼は完璧な芸術家になるでしょうね。
具象画、抽象画、人物画、風景画、どんな絵を描くかはわかりませんが、具象画なら、まず完璧に遠近法をマスターしてきた上でかくだろうな。
抽象画ならそれこそ同じロシアの後輩のワシリー・カンディンスキーのようになるだろうな。
完璧。隙がない。
色で言えば、再読の時は青と思いましたが、何故か再々読で変化して黄色。

さて、ここまでは僕にもわかるくらいだから、誰にでもわかることであって、問題はこの後、三男アレクセイ(アリョーシャ)。
これは難しい!アリョーシャは色で言えば黄緑。これは変わらない。
縦横斜め、誰がどこからどう見てもこの三兄弟の中で、一番温和で性格のバランスがとれていて、まるで天使のような優しさや誠実さに溢れていて・・・。
最初はモネの数々の作品のような詩情あふれる限りない優しさに満ちた絵を描くかなと思っていたのだけれど、違う!
モネにはもっとミーチャ並みの凄まじい、ぶっ飛ばすような頑丈なハート、まるで肉に食らいつくような闘志、執念、粘りがある!
そこで僕の直感による予想。
直感というのは大事ですよね、言わば今までのその人の人生のすべてがその一点に凝縮して集中される訳ですから。
僕はアリョーシャは絵が描けないのではないかと思う。
おそらく手帳に描くようなスケッチとかそういう類いのものは、さらさらと抜群にうまいのではないか、思わずまわりにいた誰もが覗きこんでしまうような。
ただうまく言えませんが、絵は描けないのではないか。
何故そのようなことを思うのだろう。
つまり先に直感による仮説を大胆に提示して、後からそれについて考えて少しでも肉づけしていく手法。
と言いますのは、わかること、手の内にあることばかりやっていても仕方がありませんから。
仕方がないというのは別に投げやりな意味ではなくて、脳が伸びない変化しないという感じの意味です。
もちろん間違えるかもしれない。
でも僕が僕に直感を提示して間違えて、僕が恥をかく訳だから、僕は別に誰にも迷惑はかけない。
何故、アリョーシャは絵が描けないと思うのだろう?
わからない。
・・・・
おそらくアリョーシャには罪がないからだな。罪がなければ絵は描けない。この命題は成立するか?
直感の直感になってしまうけれども、ここは何かすごく大事だな。

最後に立命館の井田先生という方の分析が非常に勉強になりましたので、ここに添付してご紹介させていただきます。

1月にMITのOCWに熱中していた時に、世の中にこんなに素晴らしい講座が、無料で誰にでも公開されていて、コメントを読めばわかるように、世界中の若者がそれを使って猛勉強していて、現代において果たして大学に行く意義は何なのか、と自問していましたが、昔も今も◯◯大学の◯◯学部の◯◯教授に是非教わりたいという時に進学する意味はあると思うのですが、僕の考えは間違っていますでしょうか?

さて一昨日、2021年3月7日からフィラデルフィアでシャイム・スーティン/ウィレム・デ・クーニング展が開催されました。
行きたい!観たい!
この展覧会を初めて知った時、キュレーターの企画の段階で、もう勝負あったな!一本取られたな!という感じがしました。
そうきたか、その組み合わせできたかという感じ。
これからは美的センスって何ですか?って人にきかれたら、これですと答えよう。
そして僕も、ミーチャ/フィンセント展企画で対抗しよう。
天才スーティンのことを、そしてスーティンがどれだけの天才であるかを、もっともっと多くの人に広く知っていただけたらと思います。
日本でも決して知名度が低い訳ではありませんが、この程度の認知度におさまっているのは、ごく単純な理由からで、それは彼の作品にまとめて大量に接する機会が少ないからです。
例えば、ジャン=ミシェル・バスキアの系譜をたどれば、(ここはよく勘違いされていますが)天才というのは決して一人で突如としては出てきませんので、まずジャン・デュビュッフェの影響をあげるのは簡単であって、その先に僕は、スーティンがいると思う。
もう絵と言うよりは、脳が歪んでいます。
僕はフランス時代にまずポンピドゥー・センターで衝撃を受けた後、2007年10月から2008年1月にかけてのパリ8区の Pinacothéque de Paris の展覧会、その展覧会名もそのまま SOUTINE で洗礼を受けました。
その時、ちょうど100作品まとめて展示されていました。
片やデ・クーニングは、もちろん大芸術家には相違ありませんが、僕はどちらかというと天才と言うよりは、偉大なる努力家、年代順にレンブラント、ゴッホ、デ・クーニングときて、やはり何か共通するものを感じませんか?
オランダに連綿と続く、並外れた桁外れのハード・ワーカーの系譜・・・。
パリやロンドンでは、あまりデ・クーニングがまとめて観れなくて(実際に所蔵点数が少ないように思います)、僕は初めてニューヨークに行った2016年4月に、The Met で開館時間の30分前から並んで、よーし、今日はデ・クーニングを浴びるほど観るぞ、と思って全て回って、そうしたら1枚しかなくて、係員にデ・クーニングのフロアはどこですか?僕は、デ・クーニングのフロアはなくとも、少なくともせめて専用の展示室はあると思っていたから。そうしたら調べてくれて1点ですって言われて、その1点は観ました、あとはどこにあるのですか?ないって言われて、The Met に、このアメリカ最大の美術館に、デ・クーニングが1点しかないって言って、そうしたらそれはすごく理解できるって言ってくれて、でもその時、1点でも観れたら幸せなんだなということを、上記のスーティンの話と矛盾するようですが、何だかしみじみと感じました。
せめてオンラインで少しだけでも触れてください。

https://www.barnesfoundation.org/whats-on/exhibition/soutine-de-kooning

最後に僕のサイト史上、第二問目のクイズ。
下の写真の自転車に乗っている偉大な芸術家は誰でしょう?
ということで、もうほとんどクイズになりませんね。
答えは写真をクリックしていただくとわかりますが。
しかし、それにしても素晴らしい写真だな。
僕はアトリエに貼っています。

Photograph ©2020 The Estate of Dan Budnik. All Rights Reserved.

2021年3月9日
和田 健

Today’s Studio Photo No.8

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 8 March 2021 by kenwada

Painting 1, Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
March 3, 2021

よし見えてきたぞ!
前回の Today’s Studio Photo No.7 が2月19日で、今回の No.8 が3月3日か。
この間、毎日制作していたので12日間として、それは制作過程として必ずあることなのだけれども、なかなか見えてこないできつかった。
72 Yellow Pieces の誕生。
この後、余程ぼーっとしていなければ、すなわち油断しなければ、もう放さない、大丈夫かなと思う。
まだまだ、ここから長い道のりですけれども。
ただもう見えています。

先月23日に、陛下のご会見をすべて観た後、YouTube で「美術家 篠田桃紅 102歳」を観ていて、篠田さんが「墨は絶対に絶望はさせない、いい気にもさせない。」と仰られていて、ああ、絶望だけはさせないんだなと、非常に印象に残りました。
つまり、僕はその時、少し絶望しそうになっていたものですから。
「墨」の字を「絵画」や「アクリル」に置き替えても同じですね。
今、これを書いていてもう一度念のために調べて、今月1日にお亡くなりになったことを初めて知りました。
今日まで全く存じませんでした。
当日の僕のメモです。
「物の形を写すのではなく、形を生み出したい。」
「筆の柄が長ければ長いほど、多様になるし、デリケートになる。」
「
書道と絵はアレンジとクリエイトの違い。」
「規則の中でやれなくなっちゃった。」
メトロポリタン美術館で初めて作品を観た時の誇らしかった思いは今も忘れません。
ああ、日本人で The Met に入っている人がいるんだなと。
最期まで現役を貫かれて、長い間、本当にありがとうございました。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。

https://www.youtube.com/watch?v=yq8tIHOm0SQ

2021年3月8日
和田 健

VIRTUAL ART FAIR 2021 のお知らせ

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 4 March 2021 by kenwada

Untitled 2020 No.19 ーfrom the series Green and White Paintingsー
Acrylic on canvas, 36.0×29.0 in. (91.0×72.7 cm)

皆様、こんにちは。
ロンドンを拠点に活動を展開している CONTEMPORARY ART STATION が開催する VIRTUAL ART FAIR 2021 に、2021年4月1日から2021年6月1日までの2ヶ月間出品いたします。
僕にとって、キャリアで初めてのバーチャル展覧会への参加になります。
昨年制作した緑と白のシリーズ作品 Untitled 2020 ーfrom the series Green and White Paintingsー を8作品ともすべて展示いたします。
世界中から37名のアーティストが参加予定ですが、詳しいことがわかり次第、また後日お知らせいたします。
コロナ禍でもくさらずに制作を続けてきて、この度、お声をかけていただけてよかったです。
これからは、こうしたオンラインでの展覧会やアートフェアが、これまで以上にますますごく普通になってくるでしょうね。
どうぞお楽しみに!

Dear friends,

It is my pleasure to inform you that I will participate in VIRTUAL ART FAIR 2021 organized by CONTEMPORARY ART STATION.
The Art Show will be held by the London-based organization from April 1st to June 1st, 2021.
This is my first participation in Virtual Exhibition/Art Fair in my artist career, that’s why I’m very excited.
My eight artworks from last year “Untitled 2020 ーfrom the series Green and White Paintingsー” will be displayed at the Virtual Booth.

Warmest regards,
Ken WADA

Today’s Studio Photo No.7

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 21 February 2021 by kenwada

Tableau Ⅱ, Acrylique sur toile, 97.0×130.3 cm (38.5×51.5 in.)
19 février 2021

Le surlendemain, c’est-à-dire le 21 février, d’abord, j’ai bien réfléchi. Et ensuite, j’ai peint les jaunes sur les noirs. Mon travail est toujours comme ça. Autrement dit, je pense que le métier d’artiste demande toujours à casser son travail précédent. Donc il lui demande beaucoup de courage et en même temps le bon jugement. Je sens que quelque chose de nouveau va naître dans les deux tableaux. Je vais continuer ce voyage!

Today’s Studio Photo No.6

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 17 February 2021 by kenwada

Tableau Ⅰ, Acrylique sur toile, 97.0×130.3 cm (38.5×51.5 in.)
16 février 2021

Je sens tellement bien une sorte de chaos sur les couleurs, c’est-à-dire, un chaos dans la forêt des couleurs. Malheureusement, je ne peux pas dire ce que c’est. Mais je le sens bien. Je vais ajouter les jaunes et noirs sur les deux toiles demain encore. Le résultat? Je ne le sais pas. Je pense que les artistes ne savent pas toujours le résultat. Pourquoi? Parce que le résultat est invisible et ne peut pas être expliqué par la bouche.
En plus de cela, les couleurs et les formes changent trop vite chaque jour pour les artistes que le cerveau des artistes ne peut pas les attraper par tous les moyens. Au contraire, si les artistes attendent longtemps, par exemple un an ou deux ans pour les attraper, elles disparaîtront.
Après tout, finalement, je pense que les artistes ne peuvent jamais comprendre la peinture. Ce n’est pas facile pour les artistes, mais en même temps c’est très intéressant pour la vie des artistes. En d’autres termes, je pense que la peinture est un très long voyage pour les artistes qui recherchent les couleurs et les formes. Donc je recherche, je peins, je continue à trouver un chemin où je peux sortir de la forêt. C’est mon métier! Merci pour votre lecture!

P.-S. Parce que le voyage pour les artistes est vraiment long, les artistes doivent répondre quotidiennement oui ou non à sa question. C’est-à-dire, la peinture demande aux artistes directement dans leurs ateliers presque tous les jours, “voulez-vous continuer ce voyage ou l’arrêter parce qu’il est si long?”

Today’s Studio Photo No.5

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 14 February 2021 by kenwada

Tableau Ⅰ, Acrylique sur toile, 97.0×130.3 cm (38.5×51.5 in.)
13 février 2021

Tableau Ⅱ, Acrylique sur toile, 97.0×130.3 cm (38.5×51.5 in.)
13 février 2021

J’ai peint deux tableaux aujourd’hui. J’ai ajouté trois jaunes différents sur les toiles. Je panse que c’est un peu mieux, mais c’est toujours à mi-chemin. Probablement je vais ajouter deux sortes de noir demain.
Prenez bien soin de vous!
Bon week-end!

Today’s Studio Photo No.4

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 13 February 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
February 11, 2021

Today’s Studio Photo No.3

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 12 February 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
February 10, 2021

2021年2月10日、F60号を2枚。
今日は、最後までかたくならずに、いい加減に、無造作に描けたので、まあ一応よいとしますか。
右上が抜けているけれど、まだあくまでまったくの途中経過ですから。*¹
結局、絵画は塗ってみるまでは、どうしてもわからない。
これまでの経験や引き出しから、ある程度、これこれこうなるというようなものはあっても、それはあくまでも予測であって、最終的には、色と形は塗って、出現したものを目で観て、直接確認してみるまでは、事前にはどうしてもわからない。
さらには、その新たに現れた色と形を脳が認識し、脳に定着させるのにどうしても時間がかかる。*²
そこでどうしたらよいかということは、その対策も含めて、Carolina Herrera さんの The New York Times の fashion 動画を観て、その中にヒントをつかみ、徹底して繰り返し観て、そのノウハウを学びました。
5分弱の動画でしたので、1日に2回は観ていたとして、あの頃、半年間でゆうに200回くらいは観たと思います。
この動画です。

https://www.nytimes.com/video/fashion/100000003103871/carolina-herrera-show-new-york-fashion-week-nyfw.html

Fashion を学ぶことが、Painting に直接役立つことを教えてくれたのは、フランス時代の2008年に Yves Saint-Laurent 氏が亡くなった時に、テレビで特集されていたドキュメンタリー映画を、偶然観たことがきっかけでした。
確か、テレビ局は Arte か France 5 だったと思います。
う〜ん、すごい人だなー、こういう風に一つ一つ丁寧に服を作り上げて行くのか、これは、絵画にすぐに取り入れられるな、役立つ内容が満載だな、すぐに勉強しないといけないなと思い、フランス語のフッションの本を一冊買ってきて全訳して勉強しました。
またあの頃は大好きだった今はなき、 International Herald Tribune 紙を定期購読していましたので、パリやミラノをはじめとした大きなコレクションの記事は必ずチェックしていました。
International Herald Tribune 紙を毎日読んでいる人と読んでいない人とでは、生涯にわたるアートのセンスがまるで違ってくるというのが、僕のささやかな持論です。
ただ観ているだけで、アートの素養が身についてくる新聞なんて他にありません。
ちょっと待ってください!
今これを書いていて、まさかな、もしかしてな、と思いました。
早速、検索。
信じられない!観れるんだな、まさしくこの動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=cOfg9HmHNqM

僕は1年365日、群馬県の標高1100mの森の中で生活していますが、改めて、もうこうなれば観れないものなどない、読めない本などない、勉強できないものなど何もない、という感じだな。
1月は、MITのOPENCOURSEWARE(OCW)で、すき間時間にずっと勉強していましたし(経済学と数学の講義を受講しました。これまでの経験から絵画と一見何の関係もない分野の方が、やがて巡り巡って絵画に結びつくことが身にしみてわかっているためです。この OCW については話したいことがたくさんあります。特に数学の Professor Strang について、素晴らしいというよりか、もうこうなれば愛ですね、愛、美しい!)、それには世界最高峰の大学ではどのような授業を展開しているのだろうという、純粋な知的好奇心のようなものもありましたが(特に大切な一般教養の部分において、どのような授業をしているのかという興味、ここが実は肝心、要でここで他校との差がついているのではないかという関心です)、もうこうなれば、と言いますのは、世界中の誰もがいつ、どこにいても、無料で、最高の講義が実にオープンに公開されていて勉強ができて、それであれば、少なくとも、少なくともですね、芸術家が、例えば森の中でもどこでもよいのですが、地方の自然豊かなところに住まない理由というのは、具体的に一体どのようなものなのだろう?
MIT の動画ではありませんが、コロナ禍などのずっと以前に、Strang 教授がこの動画の中で言われていることは、僕は非常に、もう一度繰り返します、非常に今日に通じる重要なことだと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=9IZfzPZ5k3A&gl=JP&hl=ja&uid=e0XEmlRAGRKnI3RxQSCP-g&app=desktop&warned=yes

さあ午後は「カラマーゾフ の兄弟」の再々読です。
初読は、2004年に新潮文庫の原卓也氏の訳で。
再読は、2009年に光文社古典新訳文庫の亀山郁夫氏の訳で。
11年2ヶ月ぶりの今回は、青空文庫で初めて知った角川文庫の中山省三郎氏の訳で、1月24日に読み始めました。
したがってタイトルも「カラマゾフの兄弟」に変わります。
この作品の入力や校正をしてくださった青空文庫の方に感謝。
青空文庫がなければ、この素晴らしい訳に出会うことは、まずなかったと思いますから。
上巻は、アマゾンで簡単に手に入りましたが、中巻と下巻を入手するために、メルカリに登録しなければなりませんでした。
今ちょうど、イワンの「大審問官」のところ。
相変わらず、難解。*³
でも久しぶりに読み返してみて、新たに気づくことだらけです。
特に、ニコライ・スネギーレフ二等大尉の部屋の描写と、彼が息子と毎晩大きな石のところまで散歩に行く、そして、その大きな石のところで決まって親子でUターンして戻ってくるところの偏向性。
初読はどうしても話の筋を追いますから、誰が犯人だろうかとか、そういうことです。
しかし改めて、この小説は面白すぎませんか?
生前、アルベルト・ジャコメッティが言っていました。
確か、アネット夫人と矢内原さんとの三人の会話の中であったと思います(間違っていたらごめんなさい)。
矢内原さんがバルザックの作品では、どれが好きかというようなことを訊かれて、最初に夫人が答えられて、次にジャコメッティが、確か「あら皮」と答えたあと、じゃあ「罪と罰」はどうかとさらに訊かれて、ジャコメッティが「小説はあまり面白くない方がいい」と答えた内容でした。
すごいことを言う人だなあ〜、と感じたことをよく覚えています。

後日記:
*¹ 翌日、右上詰まりました。
*² Yves Saint-Laurent 氏のこの film を12年半ぶりに観て、長年悩んできたこの問題が、信じられないことに一気に解決しそうです。
そうか、そういう風に運んで考えていけばよいのか、という感じです。
やっぱり偉大な人を撮った優れた film は時間をおいて、繰り返し観ないとダメだな。
その間に、僕も成長はしていないかもしれないけれど、多少は変化はしているので、観る視点、気づきが微妙に変わる。
この動画は、僕は人類の文化遺産だと思う。
*³「大審問官」を二日かけて読みましたが難しい。
でも少し取っ掛かりがつかめてきました。
この部分の全体構造をまず初めにガッチリと押さ込めばよかったんだな。
角川文庫版でたかだか36ページ分なのですが。
今日、もう一度読んでから、先に進もうと思います。
ここは何か、いい加減にしない方がいいと思います。

母 5

Posted in Photos 2011-2021 with tags , , , , , , , on 9 February 2021 by kenwada

母 5
母の写経「佛説摩訶般若波羅蜜多心経」
2010年5月

My Mother 5
My Mother’s Sutra Copy
May 2010

Ma Mère 5
Le Sutra de Ma Mère
mai 2010

Sonoko WADA, 2010, India ink on Japanese paper, 24.2×33.0 cm

This is a sutra copy written by my mother on May 24, 2010.
My mother always copied sutras with Indian ink and an ink brush every morning after chanting sutras and housework.
Every morning!
This is a Buddhist training of copying Buddhist scriptures to another paper.
Then, when 50 or 100 sutras used Japanese calligraphy were collected, she took them to the temple of the WADA family in Takao, Tokyo.
And the chief priest of the temple burned them as a Buddhist tradition.
Then, the next day, my mother would start copying sutras from the first one again.
My mother always finished one piece a day.
And after another 50 or 100 days, my mother took them to the temple.
She continued to copy sutras every day until she collapsed in February 2011 due to subarachnoid hemorrhage.
Every day!
It’s been exactly 10 years since then this month.
She now has dementia, but she is well and lives calmly in a wheelchair with my family at home.
She is 86 years old this year.
Although my mother didn’t say anything to me about hand-copying sutras, she taught me a lot of important spirits and hearts that I need as an artist.

February 9. 2021
Ken WADA