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TSP No.31 ー歯車ー

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 5 June 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
June 4, 2021

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
June 5, 2021

僕は、もう20年間も一つのことを思い続けているのですが、何で人間は一旦、組織の歯車の一員になると、そこまで平気でやっちゃうのでしょうか?
一度、歯車が回転し出したら最後、もう本当にとことん行き着くところまでやってしまう。
そういう自分も、かつては死に物狂いで回転する歯車そのものでした。
一人一人をよく見てみれば、実はそれぞれもっといい人なのだろうに。

僕/私は関係ない、ではないんです。それは嘘です。
これは誰にでも起こり得ることで、一旦そういう状況になると、人間は決して悪意などからではなく、むしろどちらかと言えば善意から、誰でもごく簡単にいい歯車であろうとするからこそ、本当に怖いのです。
またこれは政治理念や信条、政治体制に関係なく起こります。
保守だろうが革新だろうが、右派だろうが左派だろうが、関係なく起こります。
民主主義だろうが共産主義だろうが、関係なく起こります。
職種にも社会的地位にも人種にも、関係なく起こります。

疑問をもつことから遠ざかろうとする純真な善意の堆積が悪になるということ。
ここに人間の一番難しい問題が秘められているように思います。

例えば、変なたとえですが、どんなに忙しくても、朝トイレの中で5分間くらい、やっぱり僕/私のやっていることは、まずいよなと本当は思う瞬間が訪れても、
「ああ、今忙しい、早く出勤しなくちゃ。職場に着いたら、これとあれをまずはすぐに片付けて、それから・・・。」
先程のトイレの中で感じたことには、しっかりと心の中で蓋をして、すぐに切り替えて「さあ、今日も頑張るわよ。」ってなる。
「だって、僕/私には家族がいるのよ。しっかりしなきゃね。」ってなる。

今回の日本政府やIOCのオリンピックの強行開催も含めて、いろいろなことをみていて、世界中のすべての問題の根源は皆同じところにあり、つくづく人間のそうした決して逃れられない宿命的な性(さが)そのものに、全世界の「悪」の根本的な原因があるように思います。
それは一体、何なのだろう・・・?
猪突猛進、がむしゃら、必死、真面目、野心、真剣、一生懸命、無我夢中、上司、部下、おべっか、へつらい、お世辞、追従、卑下、使命感、給料、雇用契約、達成感、やりがい、生きがい、ノルマ、仕事、勤務、出世、昇進、肩で風を切る、男/女盛り、名誉、立派、表彰、評価、職場、仲間、同調圧力、集団心理、連帯意識、組合、競争、一番、派閥、一人前、家や車のローン、見栄、プライド、意地、面目、面子、誰々の顔をつぶす気か!、スノッブ、そしてお決まりのドイツ車・・・。

皆さんにものすごくわかりやすい例で言うと、その時、心の中に蓋をしないで、そのまま外に出て来てしまうと、今のテニスの大阪なおみ選手のようになる。
お馬鹿な質問に、この後、何十年間も答え続けていかなきゃいけないのかと、そりゃ思いますよね、人間ですから。
結局、ドロップアウトするか、死のうとするかしかなくなる・・・。
同じような状況に追い込まれている真っ直ぐな人も、決して少なくはないのではないでしょうか。

何の面識もないですけれど、なおみさん、絶対に自殺したらいけませんよ、理由はありません。
自殺したらいけないことに理由はありません。
ダメなものはダメ、絶対にいけないものはいけない、それだけです。
生きていさえすれば、必ず、事態は好転します。
ただものすごく年月がかかるんです。
死ぬとその後の自分の人生は見れません。

「ただ生きていること自体が目標」でいいじゃないですか。
「今、僕/私の人生はとてもつらくて、ただもう毎日生きていること、それ自体が目標で、もうそれだけで精一杯なんです。」
僕には身にしみてよくわかります。
顔を上げてください。

あまりよく眠ることができず、日曜日の朝から暗い気持ちで起きた僕ですが、いつもの庭仕事の後、小さなラジオから流れてくる今朝のNHKラジオ第一放送の「音楽の泉」のバッハは、ちょっとこの世のものとは思えないほど、あまりにも美しかったので、ご紹介いたします。
▽楽曲「2つのバイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043」
バッハ:作曲、(バイオリン)アルテュール・グリュミオー、(バイオリン)ヘルマン・クレバース、(合奏)ソリスト・ロマンド、(指揮)アルパド・ゲーレツ
(15分34秒)<ユニバーサル・ミュージック UCCD9832>
解説は、奥田佳道さん。

決して逃れられない人間の性⇄対抗軸、魂の救済としての芸術は成立するか?
わかりません、僕には。
ただ、今読んでいるディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」は、人間のそうした一面を、身にしみて完全に理解した上で、よくよく念を入れて書いているな、つくづく人間というものを観察しているなと思います。

2021年6月6日(日)
和田 健

追伸:いきなり単刀直入に結論から入りますが、「デイヴィッド・コパフィールド」のユライア・ヒープが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフの原形になっている可能性はないのでしょうか?
岩波文庫版全五巻の第四巻の第四十二章「悪事」(p.162)のところまできて、昨晩、ハッとそう思いました。
ドストエフスキーの知人・友人に宛てた手紙等に、何かその証拠や根拠となるような文献は、残っていないのでしょうか?
つまり、今まで僕はスメルジャコフは、ドストエフスキーが自らの人生経験で出会った具体的な人物から、当然描き出してきたと思っていたのですが、ディケンズの小説の中の登場人物から、着想やインスピレーションを得て、組み立ててきたという可能性はないのでしょうか。
それとも、それは言わば、僕の妄想、無謀なこじつけ、勝手な臆測、いい加減な推測のようなものなのでしょうか?

2021年6月7日(月)
和田 健