Archive for May, 2021

TSP No.27

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 30 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 29, 2021

TSP No.26

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 29 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 28, 2021

セザンヌのドローイング展が始まります!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , , , , , , , on 28 May 2021 by kenwada

2021年6月6日から、MoMA でセザンヌのドローイング展が始まります。
先日も全く同じことを書きましたが、いい展覧会がありましたら、即、みんなで情報を共有し、ただちに Online で観て、お互いの意識を少しでも高めていきましょう!

https://www.moma.org/calendar/exhibitions/5293?sc_src=email_673453&sc_lid=57308386&sc_uid=ipz0HfgJ5P&sc_llid=89937&sc_eh=b1697101d524ca3d1&utm_source=Emarsys&utm_medium=email&utm_campaign=MKT+-+Newsletter+General+20210527+NON-LOCAL

エクス=アン=プロヴァンスにあるセザンヌの家から、あの有名なアトリエへ、そしてまたまたサント=ヴィクトワール山を描いたポイントまでの道のりを、セザンヌの足跡をたどりながら、歩いたことがあります。
実際に歩かれるとよくわかりますが、あの重い絵画制作のための道具類の荷物を背負って、制作以前に、ただ歩くだけでも、とてつもない並外れた体力です。
それも毎日ですから。
確か僕の記憶に間違いがなければ、昼食のたびに毎日、さらにアトリエから家まで歩いて往復していたはずです。

全く同じことを、アルルのゴッホの「黄色い家」から、あの有名な「アルルの跳ね橋」の絵の現場まで、ゴッホの足跡をたどりながら歩いた時にも感じました。
まず制作よりも何よりも、すごく遠いんです、驚異的な体力です。
時には、「四日間を大体二十三杯のコーヒーとパンでつないだ」(「ゴッホの手紙」岩波文庫下巻、p.13)ゴッホにとって、そこまで自分を追い込む鬼気迫るようなその執念、気迫は、同じく人間離れのしたその体力とともに、一体、どこからきているのだろう?

僕の考えは、色と形、ゴッホの場合は特に色をですね、フランス語でいう attraper したい、英語でいう catch したい、つかまえたい。
そしてそれをキャンバスの中に封じ込めて再現したい。
そのことに対する異様なまでの飢えや渇望、そして再現できたと感じた時の熱狂や狂喜が、やはりまず第一に常にあったのではないか。
そしてそれとともに天才特有の集中力や没頭。
それら全てが、ないまぜとなり、ぐるぐると渦を巻いているように思います。

セザンヌのアトリエで買ったカタログと、僕も同じポイントから描いたサント=ヴィクトワール山の小さな水彩画は、今でも僕の宝物のような思い出ですね。

Mont Sainte Victoire, Aix en Provence, 2008
Aquarelle sur papier
12.7×17.8 cm
Japon, Collection particulière

2021年5月28日
和田 健

TSP No.25 ーI NEVER give up!ー

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 25 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 25, 2021

人間は、少しでも気持ちが受け(身)に回ると、その瞬間からどうもダメですね。
先日、全く異業種の超一流のある方の言動を見ていて、そう思いました。
すなわち、僕の仕事の場合でいうと、「わかならいことがあったら、訊いてください、何でも教えますよ、僕から吸収して学んでください」とか、「ああ、僕ももう何年も頑張ったな」と、自分の足跡を振り返ったりとか、どうもそういったことを言い始めた瞬間から、次第に少しずつダメになっていくようです。
(注:一応、念のためにお断りしておきますが、ここで僕が言う気持ちが受けに回るという言動と、常に情報を公開し共有して、オープンマインドで生きるということとは、全く意味合いが異なります。)
つまり、少しずつダメになっていくのだけれども、そのターニングポイントは一瞬で訪れるということです。
その点、ものすごく皮肉なことに、僕の場合は、振り返りようにも振り返る足跡もなく、毎日、森の中で制作仲間や、引き立ててくれる先輩や、かわいい後輩も誰もいず、たった一人で絵を描いている。
しかもほぼ毎日のように上手くいかないので、全くの万年一年生、新入学生、まるで今日、さっき、絵画を始めました、みたいな気持ちで絵を描いている。
そしてそれがもう20年近くも続いている。
それって、実はすごく貴重なことなんじゃないだろうかと、つまり、ほとんどの人は、その前にくだらないから、アホくさくて、辞めちゃうのではないかと、この間、一瞬ですけれど、ふっとそう思いました。
もしそうであれば、僕のような人生、生活であっても、生きていて何らかの意義があるのかもしれません。
わかりませんよ、そう思いたいだけで、実は全く何の意味もないのかもしれませんから。
わかりません、それはね、たとえ本人であっても、自分の人生に意義や意味があるかどうかなんて、わからないです。

僕は、この夏のオリンピック開催に断固として反対します!

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 24 May 2021 by kenwada

皆様、こんにちは。

僕は、無名の一芸術家ですが、無名だろうが有名だろうが、一人の人間として、この夏の東京オリンピック開催に断固として反対いたします。

二、三日前から、まさかのまさかのまさかのまさか、「あっ、これは日本政府はやる気だな、着々と体制を整え始めたな。」と、思う恐ろしい瞬間があり、まさかこのコロナの感染状況で、そんな稚拙な決断はしない、最後はきちんと中止するだろうと、これまで思ってきましたが、だんだん不安になってきました。
一体、なにゆえの政治力学が働いて、何としてでも開催しようとしているのか、どうしても僕にはわかりません。

5月13日に、「今思うこと」の中で、「イスラエルのワクチン接種率62.64%に対して、日本は現在2.59%、とても先進国とは言えない。」と、だいぶ遠慮して書きましたが、正しくはおわかりのように「開発途上国とさえ言えない」です。

中止になれば、誰よりも何よりも、選手のことを思えば、本当にかわいそうです、無念だと思います、死ぬほど悔しいと思います、どこにも気持ちのぶつけようがないと思います。選手の中には、人生の意味や目標を見失ってしまう人も、おそらく出てくると思います。

それでもなお、国民の健康と命を守るために、大局的見地に立って、物事を俯瞰しながら、全体の状況を冷静に判断し、進むべき道を見つける、立派な名前のIOC会長が、何を言おうと、どんなに開催圧力をかけてこようと、一国のリーダーたる者は、断固としてNO!、いいえ、ここは絶対にダメです、開催はしませんよ、と突っぱねて今言ってください。

誰もが情報を共有できる世の中で、誰もがインドやブラジルの惨状を動画で、すぐに確認できる時代で、お墓を掘るのも間に合わないあの地獄のような状況で、例えば、男子サッカーが、ブラジル代表に勝って、「あのブラジルに勝ったぞー!」って喜ぶんですか?
僕は、Z世代の若者たちは、そんなことでは喜ばない、もうちょっと性格がよい意味で cool であり、フェアなように思います。

オリンピックとお前の仕事と何の関係があるんだ?お前は、黙って絵でも描いてれ!
全くです。何の関係もありません。
でも、いいですか、自分の国が明らかに間違った、誤った方向に進もうとしている時に、一国民として声をあげる、意見表明をすることは、とても大切なことではないでしょうか。

オリンピックを開催するということは、大相撲の本場所を開催するとか、プロ野球の試合を実施するとか、僕の仕事の場合でしたら、グループ展をするとかいうのとは、訳が違います。

もう時間はありません。

2021年5月24日
和田 健

TSP No.24 ーあとは、睡眠にまかせるー

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 23 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 19, 2021

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 23, 2021

すべては眠っている間に、実はすでに決まっているのではないか?
最近、時々そう思うようになりました。
まだいいデータが集められていませんが、睡眠前にアトリエで、その日の制作の色と形の最終形を、もう一度観て確認してから寝た方がよいか、それともあえて観ないで、制作後は作品をぶん投げておいて、その日の制作の最終形を観ない時間を少しでも長く作って、翌日を迎えた方がよいかに関心があります。
おそらく後者の方ではないかと思いますが、まだまだ関心を持ち始めたばかり、新たな研究テーマのスタートです。

TSP No.23

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 22 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
Paint 1, May 22, 2021

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
Paint 2, May 22, 2021

TSP No.22 ー結果をみて描かないー

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 17 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 14, 2021

よし、少し迫れたぞ!
迫ること自体は、毎日集中して制作していさえすれば、おそらく誰にでもできることであって、特にそれ自体は、どうということはありません。
もちろん、そこに仕事の喜びを感じるのは自由です。
難点は、少し迫れたと思ったその瞬間以後のことであり、まさしく、ここにこそ難しい問題の核心があり、思わず「固まってしまう」のです!
つまり、いい色と形が表出した時、それを残したくなってしまうという人間の心理です。
次に容易に壊しに、楽々と破壊しにいけなくなってしまう、思わず固まってしまって。
画家は、人間ですからね、何と言っても。

そこで当然、まず、判断するための時間が必要になる。

それから、人間だから、やはり美しいと思ってしまう問題も出てきます。
Painting は、僕の仕事だから、美しいと思ったら、それを壊したくない、それを味わいたいと思い、立ち止まって、思わずまた「固まってしまう」。硬直。
でも同時に、仕事を味わうことはとても大切で、それがないと作家として、やがて干からびていくので、そこの両立。

打開策として、「結果をみないで描く」という感覚を、最近(ここ二週間ほど)つかみかけています。
これを言葉で説明するのはかなり難しい。

打席に立って、ピッチャーの投げるボールを見ないで打つ感じ、というのが一番近い適切な表現かもしれない。
投げるボールをよく見てしまえば、それは誰だって、瞬間的に脳が結果を予測しますので、思い切りスイングすることは難しくなります。
「ああ、このフォークは打てないな。」とか。
脳は自然と判断するものだから。

言いたいことが、何か少しでも伝わりましたでしょうか?
それとも、全く何も伝わらなかったでしょうか?

いずれにいたしましても、言葉で説明することはかなり難しいです。
自分の方から、キャンバスに向かって、「差し出す」「投げ出す」という感覚です。
脳に判断させない、脳の判断を断ち切る、脳に判断材料を与えないという感覚です。

翌日記:

昨日は、上手く言葉でお伝えできませんでしたが、その翌日、制作は進みました。
このことからも思いましたが、やはり上手く表現できなくとも、言葉で書き表していくことは非常に大切な行為ですね。
数学者の岡潔さんが、ご著書の中で、「僕は書くこと(数式とかではなく文章そのもののこと)によってしか、思考を進められない」というような意味内容のことを言われていましたが、たとえそんなものすごいレベルにいなくとも、そこに真実があるように思います。
そういう意味では、今のSNS全盛の世の中は、とても危険ですね。
twitter などは、情報の入手、共有、拡散には、おそろしく速い。
でもだからと言って、短文投稿ばかり繰り返していると、思考は深まらない。
人間は、どこかで毎日長文を書く練習ではないですけれど、習慣を身につけて繰り返していかないと。
上手く伝わらなくてもいいんです、作文的には0点でも。
人間は真面目に思ってしまったことや、真剣にとらえてしまったことは、なかなかおいそれと言葉や文章に置きかえられないものなのではないでしょうか。
その間に、(ここが肝心なのですが)自分のわからないところで、伝えようとしたこと自体で、すでに一歩進んでいる。
これを今の人たちに、理解してもらうのは、かなり難しいでしょうね。
僕の文章を読んで、YouTube などのコメント欄によく見られる「長くて草」とか、思っている人がすごく多いのでしょうけれど、なんて言うのか、そういうのは要するに、誰にでも簡単にすぐに真似できることなんです。
なんて言うのか一つのジェスチャーであり、お手軽なリアクションなんです。
何かをクリエイトするとか、オリジナルなものを生み出すとか、イノベーションするとか、すべてそうしたものは、「長くて草」と真逆のベクトルで肉薄していくものなんです。

昨日の思考が少し深まりました。
こんな感じです。
花屋の店先で、「わあー、この花きれいね。」と誰かが言う。
隣の人が、「そうねえ、本当にきれいね。」と相槌を打つ。
これなら、誰でもできるんです。
それに対して、これは先日、実際に体験したことなのですが、森の中で山桜が咲く。
犬の散歩をしていた時に、ふっと足下に、山桜の花びらが一枚だけ舞い落ちてくる。
「えっ」と思わず拾い上げて見た時に、そのあまりの透き通るようなまでの純潔さに、「うっ」となって何も言えない、言葉が出ない、見つからない。
小林秀雄さんではないですけれど、ソメイヨシノではないんですから。

言いたいことが、何か少しでも伝わりましたでしょうか?
それとも、ますますひどくなり、今日も何も伝わらなかったでしょうか?
下降。

でも下降は、間違いなく芸術の極めて大切な要素です。

2021年5月18日
和田 健

今思うこと、コロナ、オリンピック、ペイントデザイン、読書、展覧会

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 13 May 2021 by kenwada

まず日本のコロナ(の状況)。
結論から言うと、ダメ、アウト。
東京にいるとかえってわからないと思いますが(まあそんなことは、あくまでもないとは思いますが)、地方の森の中にいると人出や人流については、逆に本当によくわかる、伝わってくる。
東京都が緊急事態宣言下のGWに、最寄りの交差点にあふれる県外ナンバーの車や人を見て、日本人のモラル=良心は大きく変化したことを改めて感じました。
昨年の同じく緊急事態宣言下のGWに比べて、確実に車も人も増えました。
小池都知事が、これだけ移動しないでくれと言っても、と言いますか、僕にはほとんど叫んでいるようにさえ聞こえますが、もう何を言っても聞かないという様相を呈してきました。
これと変異株の感染力の強さを考え合わせれば、ある程度の感染爆発は避けられないと思うと、先日僕が友人に送ったメールは残念ながら現実のものとなりました。
今後、僕は47都道府県すべての緊急事態宣言になると思います。
もちろん、そんなことは当たらないに越したことはありませんが。
反面、例えば年をとって決して老い先の長くはない親に会いたくとも我慢して、宣言時の約束事をひたすらきちんと守っている人がいることも是非お伝えしたい。
今怖いのは、インド型のL452RとE484Qで、もう国内に入っていると思う。南アフリカ型のE484Kに比べて、やはりどうしても国内に入りやすいのではないか。
ワクチンは、ファイザーのCEOが先日の会見で触れていたことを、はっきりさせないといけないと思う。すなわち、3回目が必要なのかどうかと、来年以降、年に何回のペースで接種していけばよいのかについて。
今後、国内でもモデルナが始まり、アストラゼネカとJ&Jはしばらく打てない、人間の気持ちとして。

次に、オリンピック。もうこれはIOCやJOCが、早く決めないと、これ以上結論を引っ張ったら、先日の池江璃花子選手に対するSNS問題のように、何よりも誰よりも選手たちが大変なことになる。
もうほとんど開幕二ヶ月前です。一日でも早く決めないと。

次に、自分の本業である絵画。これは、最近日経の電子版で、MLBのトレバー・バウアー選手の「ピッチデザイン」という言葉を目にして非常に興味をもち、ユーチューバーでもある彼のYouTubeを徹底して観て、これを「ペイントデザイン」という形で取り入れられないか、ということを考えています。
つまり画家も、常に血圧や心拍数を測って、常時血液検査をし、制作と栄養(食事)、休養(睡眠)のバランスを考え、筋肉(肉体)と中枢神経を整えていくことで、パフォーマンスが上がっていくのではないかということ。それらをすべてパソコンで管理して欠点を見出していくスタイルの導入。
これは毎日制作している人でしたら、誰もが実感していることなのですが、だんだん体がほぐれてきて、調子が上がってきますので、ITを駆使して、その日のペイントの何ペイント目から何ペイント目にかけて、彼/彼女のピークが来ることを分析して(例えば25ペイント目から30ペイント目にかけてとか)、そこに一番必要な制作箇所をもってくるとか、逆に捨てキャンバスを用意して、そのペイント数までウォーミングアップしてから描き始め、いきなりピークパフォーマンスに合わせてくるとか、相手が打者でないだけ、キャンバスなだけ、やりやすいと言いますか、より対応できる気がする。
もちろん画家はアスリートではないのだけれど、もうこのサイトで何度もふれたように、Painting は運動分野と密接に関係しています、実感として。
そんな馬鹿な、そんなことと絵を描く芸術と、一体何の関係があるんだという人が多ければ多いほど、僕は逆に正しいのではないかと思い、俄然やる気になる。
とりあえず、こうしたらどうだろうか。
画家が制作している過程を動画に撮り、それをペイント毎に分析していく。すなわち、例えば、6ペイント目から7ペイント目にかけて、何故そこまで時間をかけて、次の一手を躊躇したのか、踏み込めなかったのか?
7ペイント目から8ペイント目にかけては、何故今度は逆にまるで慌てふためいたかのように急いだのか?
これからの画家は、午前中制作、午後は自分の動画を観て、制作パフォーマンスを分析、研究。
やはりこれにどこかの大学の研究機関が提携して、専門家が画家の放出する脳波も含めてITを駆使してくれると、だいぶいいデータを集められると思う。
まあ僕の時代には無理でも、将来的には間違いなく、AIを相手にして描くことになると思います。すなわち、次の一手=次の一塗り=ペイントをどうするかについて、これまでのすべての情報を入力したAIと相談しながら、最も効果的な色と形の一手を考えて描くことになると思う。まさしく「ペイントデザイン」だな。
それで、僕がおじいちゃんになった頃は、未来の子どもたちに、「おじいさんの頃は、一人でキャンバスに向かいながら考えて描いていたんですか?それって今思うと原始的ですごい!まるで太古の洞窟壁画みたい。おじいさん、疲れませんでしたか?」なんて言われるのだろうな。
でも実際にそう言われるようになるまで、もうそんなに先の話ではないと思う。
つまり、AIが画家の仕事を奪ってしまうとか、とって替わるとかいうのではなくて、おそらく直感として、AIと共存した、AIと共に歩むより「豊かな絵画」ができるのではないかということです。各々の画家の各々の状況に応じて。

日経の話が出たついでに、毎朝、日経と The New York Times の電子版を読んでから仕事に入るというのが、僕のもうここ何年もの習慣です。例えば、今朝の日経では、ソフトバンクGの孫正義会長兼社長が、昨日の会見で、世界には1000社くらいユニコーン企業があるのに、日本には3社しかないと話されている動画に、The New York Times では、セーシェル共和国が世界で一番ワクチン接種の進んでいる国なのに、今コロナの大波がまたきている理由を分析した記事にとても興味をもちました。まず僕は、世界で一番ワクチン接種が進んでいる国は、これまでイスラエルだと思っていました。ちなみにイスラエルの接種率62.64%に対して、日本は現在2.59%、とても先進国とは言えない。それでもオリンピックについては決めない。

しかし、現在ロサンゼルス・ドジャースに所属するこのバウアーという投手は、すごい魅力の人間だな。観ていて学ぶことがたくさんあります。野球選手もついにここまで進化したかという感じがする。
もうこれからは、日本のプロ野球選手も「ご職業は?」「プロ野球の選手です。」「で?」って言われる時代だな。
「野球選手なのはわかりました。それで、それ以外にはどんなことをされているんですか?」という時代だな。
画家もそうで、「ご職業は?」「画家です。」「で?」
だから、「ええ、画家です。時々、森のきのこの研究家です。」とか。
まあ僕の場合は、「時々、農夫です。養鶏もしています。特に森で生まれた子猫の愛好家です。」とでも答えよう。これなら事実だから。

お終いに、いつも熱中している読書。「カラマゾフの兄弟」の再々読の後、ドストエフスキー本人は一体どのような人間なのかということに興味をもち、それまで第2巻で中断していた「作家の日記」(ちくま学芸文庫)を再開し、第4巻の「おかしな男の夢ー幻想的な物語ー」の今日性に驚くも、相手(ドストエフスキー)が巨人すぎて全体像がつかめず、そこで視点を変えて一計を案じ、配偶者の方から迫ったら、少しはわかるのではないかという僕の戦略は、今回に限ってものの見事に的中し、アンナ夫人の「回想のドストエフスキー」(みすず書房)2巻を非常に楽しく読み終えました。たぶんこの本は、専門家や研究者の間で「作家の日記」と並んで、教科書的な定番かつ第一級の資料になっているのだろうな。メモを取りながら読んだので、感想はいっぱいあるのだけれど、長くなるのですべてカット。ただ一つ、僕も少し年をとったので、若い頃はそんなことはわからなかったけれども、この本はアンナ夫人が夫の死後30年して書かれた本であるということを、仲睦まじく助け合って生きてきた夫婦が死別後に自然とそうなる、配偶者を理想化する観点から少し考慮しないといけない。
次に、トルストイの「復活」(上下巻、新潮文庫)の再読へと進み、まるで個性の違う両巨人を比較対照しながら読むことができて、とても面白かった。
その後、もう一度ドストエフスキーに戻り、「虐げられた人びと」(新潮文庫)を読む。
そして今、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」(全五巻、岩波文庫)です。
まだ第二巻ですが、第一巻の10歳のコパフィールド少年の『「ここで最高級(一番上等)のビールは一杯いくらですか」(中略)「じゃあ」お金を差し出してぼくは言った。「たっぷり泡の立った純正超高級ビールを一杯くれませんか」』(p.404)
これぞ、ディケンズ・ワールド全開!最高です!
今まで、ディケンズといえば、まずは何と言っても「大いなる遺産」、そして次に「二都物語」だとばかり思っていましたが。

2021年5月13日
和田 健

追伸:今、ニューヨークの Matthew Marks Gallery で、デ・クーニングのドローイング展が開かれています。
僕の大好きなギャラリーで、チェルシー地区に行くたびに必ず訪れる、ただ入るだけで勉強になるいくつかのギャラリーの一つです。
もちろん、コロナで行けない。
たとえ今後行けるようになっても、脱炭素化の観点から、もう人々は、今までのようには自由な気持ちで、飛行機に好きなだけ思う存分乗れないかもしれないな。
こうした環境問題の分野でも、相当遅れをとっている日本でも、「ああ、先月◯マイルも乗っちゃたよ。」と何だか申し訳なさそうに話し、「お前、いくらなんでもそれはまずいよ、少し考えて乗れよ。」と言われる時代までもうすぐです。
実際に、例えばフランスでは、すでにもうそうした意識が、国民の間で、とても高まっているような印象を受けます。
それはともかくとして、Matthew Marks Gallery が、Online でも同時提供してくれています。
それが並外れて素晴らしい!Online でもここまでできるんだ。ぜひ観てください。more information を一つ一つクリックしながら観ていくのがコツです。
ギャラリーを実際に訪れる際の45分ごとの事前予約のシステムも非常にわかりやすくてよいです。
いい展覧会があったら、すぐに情報を共有し、ただちにみんなで観て知見を深め合うことは、全体のレベルアップのためにとても大切です。
https://matthewmarks.com/online/willem-de-kooning-drawings-2021

Today’s Studio Photo (TSP) No.21

Posted in TSP 2021 with tags , , , , , , , , on 12 May 2021 by kenwada

Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 12, 2021