TSP No.22 ー結果をみて描かないー
Acrylic on canvas, 39.5×32.0 in. (100.0×80.3 cm)
May 14, 2021

よし、少し迫れたぞ!
迫ること自体は、毎日集中して制作していさえすれば、おそらく誰にでもできることであって、特にそれ自体は、どうということはありません。
もちろん、そこに仕事の喜びを感じるのは自由です。
難点は、少し迫れたと思ったその瞬間以後のことであり、まさしく、ここにこそ難しい問題の核心があり、思わず「固まってしまう」のです!
つまり、いい色と形が表出した時、それを残したくなってしまうという人間の心理です。
次に容易に壊しに、楽々と破壊しにいけなくなってしまう、思わず固まってしまって。
画家は、人間ですからね、何と言っても。
そこで当然、まず、判断するための時間が必要になる。
それから、人間だから、やはり美しいと思ってしまう問題も出てきます。
Painting は、僕の仕事だから、美しいと思ったら、それを壊したくない、それを味わいたいと思い、立ち止まって、思わずまた「固まってしまう」。硬直。
でも同時に、仕事を味わうことはとても大切で、それがないと作家として、やがて干からびていくので、そこの両立。
打開策として、「結果をみないで描く」という感覚を、最近(ここ二週間ほど)つかみかけています。
これを言葉で説明するのはかなり難しい。
打席に立って、ピッチャーの投げるボールを見ないで打つ感じ、というのが一番近い適切な表現かもしれない。
投げるボールをよく見てしまえば、それは誰だって、瞬間的に脳が結果を予測しますので、思い切りスイングすることは難しくなります。
「ああ、このフォークは打てないな。」とか。
脳は自然と判断するものだから。
言いたいことが、何か少しでも伝わりましたでしょうか?
それとも、全く何も伝わらなかったでしょうか?
いずれにいたしましても、言葉で説明することはかなり難しいです。
自分の方から、キャンバスに向かって、「差し出す」「投げ出す」という感覚です。
脳に判断させない、脳の判断を断ち切る、脳に判断材料を与えないという感覚です。
翌日記:
昨日は、上手く言葉でお伝えできませんでしたが、その翌日、制作は進みました。
このことからも思いましたが、やはり上手く表現できなくとも、言葉で書き表していくことは非常に大切な行為ですね。
数学者の岡潔さんが、ご著書の中で、「僕は書くこと(数式とかではなく文章そのもののこと)によってしか、思考を進められない」というような意味内容のことを言われていましたが、たとえそんなものすごいレベルにいなくとも、そこに真実があるように思います。
そういう意味では、今のSNS全盛の世の中は、とても危険ですね。
twitter などは、情報の入手、共有、拡散には、おそろしく速い。
でもだからと言って、短文投稿ばかり繰り返していると、思考は深まらない。
人間は、どこかで毎日長文を書く練習ではないですけれど、習慣を身につけて繰り返していかないと。
上手く伝わらなくてもいいんです、作文的には0点でも。
人間は真面目に思ってしまったことや、真剣にとらえてしまったことは、なかなかおいそれと言葉や文章に置きかえられないものなのではないでしょうか。
その間に、(ここが肝心なのですが)自分のわからないところで、伝えようとしたこと自体で、すでに一歩進んでいる。
これを今の人たちに、理解してもらうのは、かなり難しいでしょうね。
僕の文章を読んで、YouTube などのコメント欄によく見られる「長くて草」とか、思っている人がすごく多いのでしょうけれど、なんて言うのか、そういうのは要するに、誰にでも簡単にすぐに真似できることなんです。
なんて言うのか一つのジェスチャーであり、お手軽なリアクションなんです。
何かをクリエイトするとか、オリジナルなものを生み出すとか、イノベーションするとか、すべてそうしたものは、「長くて草」と真逆のベクトルで肉薄していくものなんです。
昨日の思考が少し深まりました。
こんな感じです。
花屋の店先で、「わあー、この花きれいね。」と誰かが言う。
隣の人が、「そうねえ、本当にきれいね。」と相槌を打つ。
これなら、誰でもできるんです。
それに対して、これは先日、実際に体験したことなのですが、森の中で山桜が咲く。
犬の散歩をしていた時に、ふっと足下に、山桜の花びらが一枚だけ舞い落ちてくる。
「えっ」と思わず拾い上げて見た時に、そのあまりの透き通るようなまでの純潔さに、「うっ」となって何も言えない、言葉が出ない、見つからない。
小林秀雄さんではないですけれど、ソメイヨシノではないんですから。
言いたいことが、何か少しでも伝わりましたでしょうか?
それとも、ますますひどくなり、今日も何も伝わらなかったでしょうか?
下降。
でも下降は、間違いなく芸術の極めて大切な要素です。
2021年5月18日
和田 健
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