無題 2020 No.11
2020年6月
北軽井沢 作品 No.404
画布にアクリル
91.0×72.7 cm
Untitled 2020 No.11
June 2020
Kitakaruizawa Works No.404
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.
Sans Titre 2020 Nº11
juin 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°404
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm
無題 2020 No.10 ー楢へ
2020年6月
北軽井沢 作品 No.403
画布にアクリル
91.0×72.7 cm
Untitled 2020 No.10 ーTo Nara
June 2020
Kitakaruizawa Works No.403
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.
Sans Titre 2020 Nº10 ーPour Nara
juin 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°403
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm
この絵は病気の子猫の楢のために描きました。
人間の命も動物の命もみんな同じです。
I painted this work for my sick kitten, Nara.
I think human’s life and animal’s life are all the same. Life is life.
今日から新しい4作品に着手=Paint1。
珍しく初日の段階の写真を撮ってみる。
今度のテーマ=Plan は下地に白、上にピンクと黄と青。
僕の場合は絶対に最初の Plan 通りにはいかないので、今はまだどうのこうの言っているような段階では全くないので、描いていてとても楽しい。
毎日が今朝のような初日だったらいいのに。煮詰まってくると、一手一手がまるで詰将棋のようになり、とてもこうはいかない。
この段階でまず確認しておくことは、個人的に「面取り」と呼んでいるけれど、
色ごとの面積比、これをしっかり把握しておきます。
あとはこの場合だと、ピンクの色にどのピンクを使うか、つまりピンクが主要色になる予感があるから、青はどの青でいくのか、黄はまずまず決まったな、とかそういうこと。ピンクを2種類、青を2種類、試しました。
さてさてこの後、何色で塗り潰しが来るのでしょうか?
基本的には補色で来る訳だけれど、例えば最終的に Green Painting にもっていきたいのなら下地に赤を多く入れる、でもそんなことにとらわれなくていい、もうそんなことにとらわれなくていいんです、もうそんなことからは自由になりました。絵画は生き物だから、絵画は先が読めないから、絵画は展開が見えないから、だからこそ決して飽きることがないんです。色と形の変化に人間の脳が決して追いつけないからこそ絵画は楽しいのです。そこで脳のために時間を稼ぐ、猶予時間を作り出すことがどうしても必要になります。先日そのためのちょっとした施策を思いつきました。早速実行してみるつもりです。別になんてことはない手段をどうして今日まで思いつかなかったのだろう?
それからちょっと違う話になりますが、こうした日々の制作に対するモチベーションも要らない、元々が僕の生活はもうずっと以前からモチベーションなしでも必死に生きてきたようなものだから、モチベーションなんて静かな気持ちから本当に要らないんです。つまり、個展があるからとか展覧会があるからとか多くの人に観てもらえるからとか、だから意欲・動機づけになって僕は頑張れますとか、これからも毎日頑張りますとか、要らないんです。モチベーションなんてなければないで生きていけるんです、元来が余分なものなんです、本当です。要は慣れの問題なんです。腹のたるんだ贅肉とまるで同じだ、おっとこれはいけない、気をつけよう!
個人的には今日の制作で左側の2枚がピタッと繋ぎ合ったのが面白かった、これはこの配列で並べたことも含めて全くの偶然です。こういうのは終わった後、ちょっとクスッと笑えます。
2020年5月20日
和田 健
後日記
2020年5月22日 Paint2、すなわち選択は白。右から1番目上がる。右から2番目、下がる、没、ダメ。右から3番目、ごく普通、ただ一部分観るところはある。右から4番目の左角に une obrique が欲しかった。こんなのは明日刷毛で入れて即確認。であれば、右から1番目を一つのモデルケースにして全体を高められればよさそうなものだけれども、絵画はそうはいかない、ここが絵画の実に面白いところなんです。僕の人生経験から言って、他の分野の仕事であれば一つの雛形をモデルにしてもう少し何か作れる、もう少し何かある程度できる、でも絵画はそうはいかない。一点一点奔放なんです、解放なんです、一つに集約しないんです。でも人間は論理的思考によってつい集約したがる、ついまとめたがるんです。人間ってホントまとめるのが好きですよね。だから前にも何回もこのサイトに書きましたように色と形に遊んでもらう感じが大切で、色と形を支配しない、コントロールしない、征服しようとしない。解放と集約を履き違えない。この後、Paint3 はピンクで見えているので、選択は楽です、Paint1 でピンクはシェルピンクで、とりあえず行き詰まるまではシェルで確認済み。明日の朝シェル入れてまたView、さあ〜いくぞ〜って感じ。そしておそらくその後、黄、青と入れてまた白、この4色入れを3回繰り返すと思います。4回かもしれない、その時点で次のキーワード、個人的に「全取り替え」と呼んでいるものがおそらく出てくる。feeling が fade するからです。これは文字通りトランプの手札の全取り替えと同じです、全てを捨てないと何かを得られない。じゃあ、この後その通り進んでいくのかと言ったら、これが進まない。つまり絵画は手順化・法則化できない。ここがこの仕事の実に面白いところで、繰り返しになりますが他の仕事であればもう少しマニュアルというものが必然的に浮かんでくると思う。つまり絵画には熟練できないのだと思います、いつまでも一年生と言うか、あと20年続けたとしても熟練できないんだろうな、引き出しや経験が増えるだけで。そこが絵画の魅力と言うか生物(なまもの)と言うか、本当に面白いところなんです。でも熟練できない仕事でよかったな、熟練して大御所みたいになって・・・・そんな人生はまっぴらだ!
ね、モチベーションなんて要らない!
続後日記
2020年5月23日 Paint3終了。右から2番目、少し上がってきた。
ではその熟練できない絵画の、集約できない絵画の、その制作の繰り返しの日々の人生をこれからどうやって生きていくかと言うと、これが実は中心にあるものは愛なんだな、ようやくそのことに気がつきましたってえらそうに言っても、それがわかった、あるいはつかみかけてきたのは、本当にここ半年くらいです。でもわかった。絵画・人生に一番必要なものは愛です。そんなことは若い頃はわからなかったな。でも年齢とともに愛の要る仕事でよかったな、年齢とともに愛の増える仕事でよかったな。年齢とともに愛の増える人生でありたいです。
そして最終目標は顔真卿の「祭姪文稿」、この恐ろしく美しいものを絵画として描く。「祭姪文稿」をピンクで描けない訳がない、青で描けない訳がない。一人の中国人にできたことが一人の日本人にできるかな、わからない、挑戦してみないことにはわからない。しかしちょっと目標が高すぎやしないか。「祭姪文稿」の絵画化はおそらく同じく最終目標である「鳥類の聖書」でもあり、僕の中で重なり合うのだと思います。うん、わかった、つまり、高すぎる目標の場合は、同じだと感じるもの(事例)を増やしていけばいいんだ、そこから実は真正面が見えてくるかもしれない、見えてこなければ即次の手段を考える。失敗したら素早く立ち上がる、ドロドロそんなところに腰掛けていない。明日、Paint4黄とPaint5青二ついきます。
毎日、こんなことを書いていると延々と続いてしまうので、この4点の完成まで一応ここでやめますね?
ーやめません。今朝(2020年5月24日付)の The New York Times の一面には魂を激しく揺さぶられた。これがメディアだろう、これこそがジャーナリズムの気迫だろう。この一面の実現は、アイデアだとか企画だとかという次元の簡単な話ではない。リベラルな文化の彼我の差を痛感した。会ったこともない一人一人の何故か笑顔が行間から立ち昇ってくるようだった。みんな、もっと生きたかったんだろうな。みんな、もっと生きていたかったのだろうな、という思いに胸を締めつけられるようだった。さあ、生き残った僕は、生きている僕は、せめて絵画の制作を頑張ろう。 上述の最終目標はもしかしたらもうすぐそこまで来ているのかもしれない。昨日、制作の後、筆を洗っている時にふとそう思った、時間にして10秒くらい。すぐに「ええ〜、まさかなあ〜」、というつぶやきにとって変わられた。最終目標はあと何十年も努力してようやく得られるかもしれない境地だと常に思ってきたから。お前こそがリベラルな文化の少なき民そのものだ、どうしてすぐに「まさかなあ〜」なのだ。そんな条件反射ばかり鋭くなってお前は一体これまで何を学んできたのか?
無題 2020 No.5
2020年5月
北軽井沢 作品 No.398
画布にアクリル
91.0×72.7 cm
Untitled 2020 No.5
May 2020
Kitakaruizawa Works No.398
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.
Sans Titre 2020 Nº5
mai 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°398
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm
今朝ニューヨークのアゴラギャラリーから連絡があり、ディレクターの Eleni Cocordas さんが新型コロナウイルスによる合併症のため5月1日に亡くなったことを知りました。今はすごく悲しい、そして悔しいです。彼女は横浜に住んでいたことがあり、日本文化に大変造詣が深く、2017年6月に僕がアゴラギャラリーで展覧会をした時に、真っ先に日本人の僕に話しかけてくれたのが彼女でした。穏やかで知的に話すエレガントな方でした。アート界にとっても日本人アーティストにとっても大切な方を失いました。何もできませんが、ちょうどこの新作をアップした日に彼女が亡くなったことを知りましたので、せめてこの絵を彼女に捧げます。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
和田 健
This morning I received an email from Agora Gallery in NYC and knew the passing away of Executive Director Eleni Cocordas, on May 1, 2020, due to complications from COVID-19. At first I could not believe it, I could not believe my eyes, now I am in shock and so deeply saddened by the news. She has lived in Yokohama and was very knowledgeable about Japanese culture. When I participated in the Agora Gallery’s exhibition in June 2017, she was the first person to talk to me at the opening reception. She was a very calm and elegant human who speaks intellectually.
We have lost her, which is important to both the art world and Japanese artists. I can’t do anything about it, but since I learned of the passing away on the day I uploaded this my new work, I dedicate this painting to her. My deepest condolences and blessings to Eleni, her family, loved ones, and all the staff of Agora Gallery.
Ken WADA
皆様、こんにちは。
今僕は写真のようなF30号の絵画を4枚制作中です。すべてまだ途中です。
前作を3月下旬にサインしてからのこの一ヶ月間、精神的にかなり追い込まれました。
結局、とことんやった結果、どうしてもこれまでの「描く表現」では、もう僕の中の何かがフィットしなくなり、我慢ができなくなりました。
「描く表現」の限界をつくづく感じました。
そして、もうしばらく描くのはやめよう、描くのはやめて作ろう、「作る表現」へと踏み出そう、この場合の「作る」は「創る」の字ではなくてあくまで「作る」の字の感覚です(「作る」で本当は十分なのではないのか、「創る」なんて大上段な構えは実は要らないのではないのか、という気持ちもあります)、そう思える自然なそして僕にとってはかなり大きな転換点・分岐点のようなものが訪れました。
絶望と裏腹のその瞬間は具体的には2020年4月21日の午後1時55分にやって来ました。
これからはしばらく「作る表現」を模索し格闘していきます。
今は「作り」始めたのだから当然楽しい、でもこれは同時にかなり難しい、そしてやがてまたいつの日か僕の心の中で「作る表現」にもフィットしないある限界点が訪れたら、、、また自分のその変化を受け入れて、自分を乗り越えて、あるいは壊して前へ進まなきゃね。芸術家は皆そうやって暗中模索の中、少しずつ前進して行くものなのでしょうね。答えがないから。
絵画を制作できるのは健康寿命の間だけだから、これからもとことんやろうと思います。
新作の4点、少しだけ期待してくださいね。
後日記
わかった! 結局、これは全取り替えの精神なんだ。絵画制作、結局、これは何かのリズムなんだな。もっとリラックスして制作したらどうか、日々の絵画制作をトレーニングとして行ったらいけない。前作やシリーズ化することに引き込まないこと、引き込むと天井(脳天)がつかえるから。制約や約束事が生まれるから。1点1点、分離・独立させること。どこでへも好きなところへ行って走り回っておいで。