
Walter Rosenblum, Girl on a Swing, Pitt Street, 1938, gelatin silver print, 5 3/4 by 7 1/3 inches.
©NAOMI ROSENBLUM
素晴らしいですね。美しい!
朝から思わずハッとするような一枚の写真に出会うと、何か一日の始まりに得をしたような、気持ちのよい一日の始まりになります。
Pitt Street というのは、マンハッタンの Lower East Side にある通りです。
後ろに見えるのは、マンハッタン橋で、おそらくエスケープへの暗示でしょう。
あるいは、少し深読みすれば、移民、すなわち流入してくる逆方向のベクトルの暗示もあり得るかと思います。
いずれに致しましても、少しガチンと硬質と言いますか、構図的に橋が面積を取りすぎている感じはしますが、その分重量感が濃厚に出ています。人生に立ちはだかる巨大な壁、建造物、その重苦しさや威圧感。
それとは対照的なまだあどけない、いたいけな感じの口を開けている主人公の女の子は、解放感の象徴で、このブランコの柵の中から、さらには自分が生まれ育った環境から外に飛び出していきたいという対比を強く感じます。
ポイントは、ほとんど水平方向までこいでしまっているブランコで、女の子の足先が結ぶ画面中央上の三角形は美しい!ここで、頂点を切ってきているのがポイントです。
Henri Cartier-Bresson、フランス、1908-2004 なら、女の子のブランコが下の柵と平行になるまで狙ってくるかもしれない。でもそうすると、三角形がきつくなって、橋が下から上に向かって圧力がかけられて、時計と反対回りにひっくり返るな。
試しに定規を当ててみてください。
つまり、このたるみ、ズレのようなものがよいのであって、これがそのまますぐに絵画に活かせるのです。
個人的に僕が、「すっぽ抜けている」と呼んでいるあの感覚です。「キチキチ詰めているんじゃない、絵画はピキッとしているとつまらない」と、自分に対していつも言っているあの感覚です。
この女の子のブランコを一本の横線、一つの描画としてとらえれば、すなわち、書道の漢字にもっていけますし、それはそのまま Franz Kline、アメリカ、1910-1962 の世界へと入って行きます。
でもそれでとらえられるのであれば、別に書道でなくても、それこそ後ろのマンハッタン橋でもよいし、東京タワーでも何でもよい訳です。
また、こうした人工的建築物からインスピレーションしているのであれば、自然にはかないません。
特に森の樹木にはかないません。全く考えられないところから、全く考えられない方向へと線を引いてきますから。
自然は厳しい反面、すべてを受け入れますから。受容です、自由なのです。
そして冷静に考えて、こうした写真では、顔真卿の「祭姪文稿」には勝てません。何故なら、丸みがとれないからです。
こうした写真は、大局的にとらえてすべて oblique(斜線)で勝負しています。究極的に斜線の勝負です。いかにして斜線に品をもたせるか、どのようにして品のよい斜線を生み出すか、そこに苦心しています。僕はそう思います。
それからもう一つ、写真ではミステイクがとれません。「ミステイクがとれない」と言うのは、日本語としては変ですが、顔真卿がやるあの丸書いてグルグルペッ!です。日本では井上有一さんが、作品にとり入れています。あれができない。
では逆に何ができるかと言うと、一瞬を切り取ることができる、それこそ、ブレッソンの「決定的瞬間」です。これは絵画や書道ではできない。
おそらく勝手な推測になりますが、この写真は写真家が何枚か撮った中から一枚選んだのではないでしょうか?
もしそうであれば、少し女の子の足先にゆるみがあることで、三角形が安定し、上から下向きの縦軸を自然と意識することができる、すなわち女の子はフワッと宙に浮いているけれども、重力が感じられる、まさにこうした点が、優れた写真を観て実に絵画の勉強になるところなのです。
ところで、僕は昔の写真を観ると決まってすぐに、「この人は今何才くらいかな?生きているかな?」とほぼ条件反射的に考えてしまうのですが、これは僕だけでしょうか。例えば、この写真の場合ですと、仮にこの女の子が10才だとすると、今年93才になります。大変残念ながら、もう亡くなっているかもしれません。でもお孫さんが生きていて、このブランコに乗っているお転婆な女の子は、私の祖母です、祖母はこの後、小さい頃からの望みを遂げて実際に、Pitt Street から外の世界へと出て行き・・・。
ともかく、写真は素晴らしいですね。
僕は、フランス時代にパリの本屋で偶然 Robert Doisneau、フランス、1912-1994 の本を手にした時から、本格的に写真の勉強を始めました。
通っていたアカデミーが唯一お休みの日曜日に、ドアノーのその本を手に、パリの写真の撮影の現場巡りをすることが楽しみで、一時期それに熱中していました。東京ですと、そんなことはまず考えられませんが、パリだと、当時の写真の現場が今もそのまま残っていたりして、「ここだ、ここだ!」と言いながら、本の写真と見比べたりして楽しかったな。
ドアノーのパリで開催された個展にも行きました。ちょうど日本のテレビ番組の収録に、俳優の小林薫さんがいらしていて、その収録の現場に鉢合わせしました。取材が終わると、仲間のスタッフの方?と三人で、すぐに外に出ていかれたことを覚えています。(ところで何故ドワノーではなく、ドアノーと表記するのだろう?)
Henri Cartier-Bresson は、Alberto Giacometti とのパリで行われたコラボ展に行きました。彼のデッサン(確か fusain、木炭画だったと思う)があまりに上手くて非常に印象に残りました。
帰国間際に、コペンハーゲンのデンマーク国立美術図書館(この美術書関連専門の図書館は本当にすごかった!)で、Gerhard Richter、ドイツ、1932- の Atlas に出会い、即、市内観光はやめにして、開館時間から閉館時間まで二日間通って観ていました。確か、二泊三日の日程だったな。最後の日に、図書館を出る時に、「ああ、あと一日あればなあ」と思ったのをよく覚えていますから。
その後、高かったけれどやっぱりどうしても欲しくて購入して、一時期この本ばかり観て様々なことを学びました。
帰国後は、主に2013年に写真を一度きちんとまとめて研究しておこうと思い、以下の作家の作品を中心に徹底して観ながら勉強しました。
Eugène Atget、フランス、1857-1927
Lewis W. Hine、アメリカ、1874-1940
Andre Kertesz、ハンガリー、アメリカ、1894-1985
Dorothea Lange、アメリカ、1895-1965
Helen Levitt、アメリカ、1913-2009
Diane Arbus、アメリカ、1923-1971
Robert Frank、スイス、アメリカ、1924-2019
Garry Winogrand、アメリカ、1928-1984
Lee Friedlander、アメリカ、1934-
Josef Koudelka、チェコ、1938-
ニューヨークに行くようになってからは、ギャラリーで直接その作品を観た、
Ellsworth Kelly、アメリカ、1923-2015、の絵画はもちろん当然なのですが、あまりに美しい白と黒のコントラストの写真、
Brend and Hilla Becher、ドイツ、1931-2007、1934-2015、の作品に強い感銘を受けました。
当たり前のことですが、写真を学ぶことは、構図や明暗をとらえる観点から、絵画の勉強に直結します。
特に白黒の写真において、そのままダイレクトに役立ちますので、絵画を制作する人には、同時に写真を研究する人がとても多いのです。
2021年4月24日
和田 健