
Today’s Drawing Photo on April 3, 2024
Acrylic on canvas, 24.0×29.0 in. (60.6×72.7 cm)
(第四回から続く)
皆様、こんにちは。
最終回は、実に味わい深い「キリーロフとお茶」です。
はじめに、ドストエフスキーの作品の中には、実際にさまざまな問題点があると思うのですが、例えば、この「悪霊」の中でも、ピストルを売りに行ったシャートフが、リャームシンに向かって言いますよね、「なんだ、折紙つきのユダヤ人のくせに。」(四の232)
また、懲役人のフェージカが、ピョートルに対して「お前さんは偶像崇拝者 (でくおがみ、と読み仮名がふってあります) だ、だから、ダッタン人やモルドヴァ人と同列なんだ。」(四の186) などなど。
こういうのを読むと、具体的に名指しされたこれらの民族の現代に生きる人たちは、要するに子孫の方たちですね、はたしてどのような感情をもって、ドストエフスキーの作品を読むのだろうかと思います。
これらの剥き出しの民族感情の問題 (これはナショナリストとしての一面の言わばコインの表と裏ですね) は、ここで一旦別にしまして、ドストエフスキーの天才としての能力が、ちょっと超弩級と言いますか、前代未聞レベルにあることも同様にまた事実であると思います。
そして、小説家として物語全体を構成してくる比類なきその能力を、如実に示しているのが、これからご紹介する「キリーロフとお茶」なのではないでしょうか。
え〜と、まず、結論から言ってしまいますと、僕は機織りのことは残念ながらよくわかりませんが、これは、お茶という実に味わい深い小道具をキリーロフに用意させることによって、物語全体に横糸をはりめぐらせておきながら、今度は縦糸で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」(以下、単に黙示録にします) へと、その一つ一つの場面を掘り下げていく、そのようにして、横糸と縦糸を交互に織り込みながら、作品という一枚の布を編み上げてきていますね。
(機織りに詳しい方で、横糸と縦糸の言葉の使い方に、違和感がありましたらごめんなさい。)
つまりは、最終的に黙示録の「なんじラオデキヤの教会の使者に書おくるべし」(三の166、167、四の351) に集約したいがために、ドストエフスキーが温度の加減を調節できるお茶という飲み物をここに持ち出してきたことは明白で、これが例えば本文中に実際に出てくる他の飲み物である、シャンパン (一の18と45)、ウォートカ (一の68他複数)、赤ぶどう酒 (三の48)、ぶどう酒 (三の49)、コニャック (三の109)、ビール (四の172) などではだめな訳です。
もちろん改めて言うまでもなく、キリーロフが、シャートフのように、特になにも飲まないという設定では、どこへも織り込んでいけません。
ドストエフスキーが、これほどしつこく何度も「キリーロフとお茶」をセットしてきている以上、そこに示唆、暗示、ほのめかしがあることは明らかであると思いますし、特にドストエフスキーの場合は、第三回の「カルマジーノフ氏への徹底批判」にもみられますように、執拗に何度も繰り返してきたら要注意です。
それを踏まえた上でも、なおかつただ単に「キリーロフってよっぽどのお茶好きなんだね」っていうのは、僕はちょっと読み込みとしては若干甘いような感じを受けます。
これは、気づいてみますと、別にどうってことはないと言いますか、ドストエフスキーはなにも奇抜な突拍子もないことを考え出してきた訳ではないのですが、まずは制作者側としてのこの日常生活に非常に密接した「茶」を用いるという発想ですよね、ここに並外れたものを感じますし、また、当然と言いますか、それを努める役はキリーロフをおいて他にいないだろうという、この役者の選択、人選ですね。
これは僕の仕事である絵画の分野で言いますと、りんご一つでパリ中を驚かせてみせるというセザンヌの発想にとてもよく似ています。
そんなもん、お茶で十分だろ、お茶で十分に黙示録にもっていけるというドストエフスキーの感覚です。
そこで決定的な問題になるのは、お茶の必然性ですね、どうしてお茶の場面をたびたび挿入してくるのか、別になければないで構わないのではないのか、必要ないのではないのか、なにも困らないのではないのか、単発的に黙示録を時折はさみこんでくればそれでよいのではないのか、という疑問に対する答えですね。
問題は、まさしくここのところ、この一点ですね。
これなのですが、上記の横糸と縦糸の関係で、縦糸 (黙示録) だけですと、ドストエフスキーはやはり物語の複合体としての重厚さに欠けるとでも言いますか、縦糸だけのバッサリした布地=作品になってしまい、物語としてのつや、光沢、輝き、面白み、味わい、奥深さなどといったような複合的な魅力に欠けると判断したのではないでしょうか。
ですので、横糸 (お茶) が、どうしても必要であると。
他にどのような理由が考えられるのだろう。
まさか、ノンアルコールでないと、キリーロフが人神論を展開するのに都合が悪い、そんな理由ではないでしょう。
それでは、順にみていきたいと思います。
1. Gによるキリーロフのお茶訪問
(略してジキリ茶、すみません、つまらない遊びです)
まずは、第一ラウンド、カーン!
お茶が出てくる非常に印象的な最初の場面 (キリーロフが出てくる最初の場面ではありません) ですが、わたしことGが、キリーロフの住む離れの部屋を訪れますよね、この場面のGの描写が大変素晴らしいので、そのままここに引用いたします。
『「僕は茶でもなにされるかと思っていました。」と彼は言った。「僕、茶を買ったです。おいや?」
私は辞退しなかった。間もなく古女房が茶を持って来た。というのは、熱い湯の入った素晴らしく大きな土瓶と、ふんだんに茶を入れた急須と、俗な模様のついた無骨な茶碗二つと、大きな丸パンと、皿いっぱい盛った割り砂糖とであった。
「僕は茶が好きです」と彼が言った。「夜ね、やたらに歩いては飲むんです。夜が明けるまで。外国にいると、夜の茶は都合が悪いですね。」
「あなたは夜明けにお休みになるんですか?」
「ええ、いつも。僕はあまり物を食べないで、茶ばかり飲むんです。リプーチンは狡猾だけれど、せっかちですね。」』(一の192)
Gが辞退しなくてよかったですね、辞退していれば、物語がここで終わってしまいますので (笑)。
余談になりますが、ロシアの茶の歴史について少し調べてみましたが、これはおそらく紅茶のことですね。
また「割り砂糖」のところで、思わずゴーゴリの「死せる魂」の中の鮮やかな一場面 (第一部第一章の女中頭と蠅のところ) を、咄嗟に思い出しました。
それから、この後、二度ほど出てきますので、最後は病院に入る (三の66) この「古女房」に注意です。
ドストエフスキーは、この最初のお茶の場面で、キリーロフが大変なお茶好きであるという前提を、読者にしっかりとイメージさせようと、その定着を図ってきているように思います。
それは、「ほとんど乞食のような貧しい境涯にいる」(二の54) キリーロフなのに、大変なお茶好きであるということを読者に馴染ませるためには、どうしても必要不可欠であると。
そして、そのためには最初の訪問者は、第三者的なこの物語の説話者であるGをおいて他にはいないと。
ここで、Gがキリーロフの部屋に入ったのは、まあ、これは「偶然にもキリーロフ氏に行き会った。」(一の191 ) のですが、夜の七時過ぎです。
ですので、これは僕の推測ですが、「僕、茶を買ったです。」の茶を買った日は、おそらく当日のことではないかと思われます。
最初、このあまりにも唐突な「僕、茶を買ったです。」の意味が、僕にはすぐにわかりませんでした。
第一回にも書きましたように、ドストエフスキーの場合は、常に台詞の裏の意味を推し量ってこなければなりませんので、「乞食のような貧しい境涯にいる」キリーロフが大好きな「茶を買った」ということは、いつもは気難しいキリーロフだけれども、この日はまず大変機嫌がよかったと解釈すべきです。
さらには、もう一点、ドストエフスキーが含ませている意味が感じとられて、貧しいキリーロフが茶を買えたということは、なにがしかの臨時収入があったのではないかということをも、ほのめかしているのではないでしょうか?
それであれば、それはいったいなんの収入なのか?
額面通り「建築技師」(一の152) としての収入として受け取ってよいのか?
よくないですね、違うと思います、と言いますのは、リプーチンの言葉「今度こちらへ見えたのは、ここの鉄橋架設工事に口が見つかるという、確かな当てがあったからなんですよ。目下さきの返答を待っておられるのです。」(一の154) とありますように、実際にはまだ働いていないからです。
そして、ここが肝心なところですが、熱い、ぬるい、冷たいなどの茶の温度の加減については、まだこの最初の段階では、ほとんど言及されていないことです。
ドストエフスキーは意図的に、この最初の場面では、茶の温度には、あえて触れてきていないように感じます。
まずは、その前に、しっかりと土台作り、基礎を固めてからとでもいったところでしょうか。
立ち上がって、帽子を取り、部屋を出て行こうとするGに向かって、キリーロフの『「あなたは僕の兄に似ていらっしゃる、非常に、大変」(中略)「七年前に死にました、兄貴です。非常に、非常によく似てらっしゃる。」』(一の199) も味わい深いです。
つまりは、七年前に兄が亡くなって、その後、キリーロフは「外国に四年」(一の154) だか、「外国に五年」(一の199) だか滞在しているのですね、ここのところ。
2. ニコライによるキリーロフのお茶訪問
(略してニコキリ茶)
さて、いよいよ第二ラウンド、カーン!
ここでドストエフスキーは、第一ラウンドで前提になる条件は整えておいたぞとばかりに、茶の温度の加減を連発してきます、当初からの全体構想通りだぞと、まるで言わんばかりです。
夜の九時半から着替えを始めたニコライが、ボゴヤーヴレンスカヤ街の「黒く古びたフィリッポフの持ち家の、閉め切った門の外へ立ち止まった時は、すでに十時を過ぎていた。」(二の47, 48) から始まって、
『「スタヴローギン君?」手に毱を持って、床から起きあがりながら、いささかも驚く色なくキリーロフはこう言った。「お茶を飲みますか?」(中略)
「結構ですね、もし冷たくなかったら」とニコライは言った。(中略)
「温いです、いや、熱いくらいです」とキリーロフは得意そうに引き取った。(中略)
ニコライは席に着いた。なみなみとついだ茶碗を、ほとんど一息に飲み干した。
「まだ?」とキリーロフがきいた。
「ありがとう。」』(いずれも二の49, 50)
うまいなあ〜、読書の極上の魅力、ここに極まれり!という感じですね。
もちろん、キリーロフのこの「得意そうに引き取った。」に注意です。
さて、これだけを読みますと、茶の温度がどうだとか、そんなことばかり話しているような印象を受けますが、そこはなんと言ってもドストエフスキーですからね、これら一連の会話の裏の意味の読み取りに、黙示録を暗示してきているように感じます。
ちょうど僕の仕事である絵画の場合で言いますと、補色の関係に非常によく似ています。
これが、生涯基礎基本、原理原則を貫いたような天才アンリ・マティスのような場合ですと、赤色系のそばに緑色系をおいてきてくれますので、比較的わかりやすいのですが、ドストエフスキーは、どちらかと言うと、同じ天才でもピエール・ボナールのタイプです。
つまりは、赤色系からやや離れたところに緑色系をおいてくるので、両者の関係の読み取りに一瞬まごつくのです。
赤はわかった、それで、緑はどこだどこだという感じになるのです。
この場合も、やや離れた会話のところで、ニコライが突然キリーロフに尋ねます。
「黙示録の中で、一人の天使が、時はもはやなかるべし、と誓っていますがね。」
「知っています。あれは全く非常に正確な言葉です。明晰で的確です。完全な一個の人間が幸福を獲得した場合、時はもはやなくなってしまいます。必要がないですものね。非常に正確な思想です。」(二の57)
ドストエフスキーにしてみれば、これだけほのめかしておけば、茶の会話の裏の意味の読み取りはできるだろうと、わかったか、ちゃんと示唆しておいたよな、という感じなのでしょう。
ただし、ここのところがすごくドストエフスキー的なのですが、いきなり「なんじラオデキヤの教会の使者に書おくるべし」のところは出してこない。
ドストエフスキーは、黙示録の中の別の箇所を出してくる。
それはまだ先だよ、「ラオデキヤ」の登場は、でも、もうわかるだろう、ああ、これは確実に裏をとってつなげて来るだろうなっていうことが!とでもいうところでしょうか。
ここで少し余談になりますが、このキリーロフという「建築技師」は、男からみると、すごくいい奴ですね。
自らの思想に殉じて、「まだ二十七かそこいらの若い男」(一の153) なのに、勝手に死んでしまいましたが。
「生後一年半ばかりの赤ん坊」(二の49) と、「ハンブルグで買った」(二の56) 「大きな赤いゴム毬」(二の49) で遊んであげて。
この赤いゴム毬の場面 (名場面ですね) は、キリーロフが幼い子供と遊ぶ姿を通じて、ドストエフスキーはそれを見つめるニコライに、どれだけ生活を愛する心がまだあるのかを、逆に問いかけている気がします。
そのことが、ニコライのキリーロフへの「じゃ、君は生活も愛してますね?」(二の56) の問いにつながります。
「キリーロフ君、君は非常に幸福らしいですね?」
「ええ、非常に幸福です。」(いずれも二の57)
(ここでさらなる余談になりますが、この「赤いゴム毬」の赤なのですが、ドストエフスキーは、「未発表の章」の『スタヴローギンより』(三の172) の中に出てくる「小っちゃな赤い蜘蛛」(三の186)、「小さな赤い蜘蛛」(三の194) の赤と掛け合わせてきていますね。
つまりは、時系列に整理しますと、ニコライは、まずペテルブルクで赤い蜘蛛を見て、次にキリーロフのこの家で赤いゴム毬を見る、ここで象徴としての赤をオーバーラップさせておいて、今度はキリーロフの「ほら、蜘蛛が壁を這ってるでしょう。」(二の60) で色を抜く、赤い蜘蛛→赤いゴム毬→色の指定なしの蜘蛛。
うまいなあ〜!やっぱり、この辺りが天才の天才たるところだな。
キリーロフの蜘蛛に色をつけなかった理由は、おそらくですが、ここでもう一度赤い蜘蛛と書くと、読者がその点と点のつながりを容易に察知してしまう恐れがあるからで、絵画で言えば、ドストエフスキーとしては、うっすらと見えるか見えないかくらいの斜線を、ここに密かに引きたかったのではないでしょうか。
この赤いゴム毬は、最後、図々しいピョートルがもらうのですよね (三の68)。
この場面のリズムの不自然さ、ドストエフスキーは、確実になにかのメッセージをここにこめてきています。
なんだろう、この意図は?
なぜピョートルがだしぬけに赤いゴム毬をもらい受けるのであろうか?
ここを額面通りに、ピョートルの「僕も体操がしたいんですよ。」(三の68) と受け取ると単純過ぎるように思います。
う〜ん、ここは非常に難しい、元に返しているのであろうか、元の赤い蜘蛛に、逃亡するピョートル、海外に高飛びするピョートルに赤い蜘蛛。
その意図は元に返して、このピョートルはまずは赤い蜘蛛のペテルブルクに逃げるぞ、その後、今度は赤いゴム毬を買ったハンブルグ、すなわち、どこだたわからないけれども海外へと高飛びするぞ、赤いゴム毬を追え!ではありませんが、逃亡者のシンボルとして、ピョートルにくっつけておいてやろうという暗示です。
さらにこの後、ピョートルが自殺したキリーロフの死体を見るために、「マッチの赤い大きな箱」(四の303) で、「ろうそくの燃え残りに火をつける」(四の304) 場面も出てきますね。
最初は、赤い蜘蛛の箇所ですから、ドストエフスキーはニコライの少女凌辱の一節との関連を、ピョートルになにか重ね合わせようとしてきているのかなと考えていたのですが、そうではなくて、単に逃亡や追跡の象徴くらいの意味であれば、ここでさらに大きな問題が出てきて、今までは「悪霊」の執筆開始時からの構成であったと普通に考えていたのですが、ドストエフスキーはいったいどこの時点で、最終的にピョートルだけは逃亡させると決めてきたのであろうか?)
ニコライは、介添人になることを頼むくらいですから、当然そうなのでしょうけれども、キリーロフに対しては、一目置いていますね。
全篇を通じて、ニコライが敬意を払っている相手は、チーホン僧正を別にすれば、まずキリーロフくらいなものではないでしょうか。
「あなたは強者じゃありません。お茶でも飲みにいらっしゃい。」(二の155) という決闘後のニコライに対するキリーロフの対等な言葉もいいですね。
そして、キリーロフと同様に、シャートフもやはり生活を愛していますね。
身籠ったのはニコライの子なのに、マリイのお産の時のちょっと尋常ではないはしゃぎぶりや、『「エルケリ君、可憐なる好少年!」とシャートフは叫んだ。「君はいつか幸福だったことがあるかね!」』(四の252) などからも、そのことがありありと滲み出ています。
でも、ニコライには、それが感じられない。
そこで、ドストエフスキーは、この三者の年齢を二十代後半に大体そろえることによって、ある程度、比較対照しやすいように設定してきている感じがします。
まあ、リプーチンのように「もう中年の県庁役人」(一の45) では、ちょっとやりにくい。
ちなみに、参考までに、キリーロフが上記しましたように「二十七かそこいら」、
シャートフが「二十七か八」(一の47)、
ニコライはGが「四年前はじめて見た時と同じように」(一の316) で、はじめて会った時は「年のころ二十五ばかり」(一の67) なので、二十九くらい。
ちなみに、ピョートルもやっぱり「年のころ二十七かそこいらの若者」(一の312) です。
長くなりましたので、第三ラウンド以降は、また次回にいたします。
2024年3月27日
和田 健
(第二回から続く)
皆様、こんにちは。
なんだかとても長くなってきました (笑) ので、第三回「カルマジーノフ氏への徹底批判」と、第四回「ピョートルの逃亡」の二回分につきましては、予定していた内容の概要だけにしまして、ここに簡単にご紹介させていただきます。
本当は、レジュメのようなものを書きたかったのですが、自分にはレジュメは書けない、なにかの会議ではあるまいし、書いていてもまったく面白くもなんともないということが、書きながら実によくわかりました (笑)。
現在は、最終回の大一番「キリーロフとお茶」に集中しています。
書きながら次第に課題がふくらんできて、この際、腰を据えてヨハネの黙示録関係を含めた新たな関連書籍も合わせて読んでみようと思い、そうなりますと書き終わるのが、もうちょっといつのことになるのやらわかりませんが、まあ、半年もしてここに掲載されていませんでしたら、「ああ、書けなかったんだな」とでも思ってください。
人間は、自分で設定したテーマに向かって、こうして関連書籍や研究書を読んでいる間は、僕のような者でも、たとえ少しずつでも成長していくことができるように感じます。
あと、もう一つ、これは自分に向かっていつも肝に銘じていることなのですが、僕がこうして書いていることは、間違っているかもしれません。
人間は、「私は/僕はこう思う」と、その時に真剣に考えたことを言ったり、または書いたりしますが、ただ、それは大変残念ながら間違っているかもしれませんよね。
と言いますか、多くの場合において、人間は真面目に話しているのだけれども、たびたび間違えるのではないでしょうか?
なにか基本的に、もうそういう生き物であるとでも言いますか。
その可能性をついうっかり見落として、「私は/僕はこう思う、よってそれは絶対に正しい」となることは、とても危険だと思います。
なにか最近、そのような人をよく見受けますので、老婆心から一応、念のため。
それでは、第三回から。
第三回「カルマジーノフ氏への徹底批判」
カルマジーノフ氏が誰のことであるのかが周知の事実であるため、これはいくらなんでもドストエフスキーは、ちょっとやり過ぎではないでしょうか?
まあ、頭にきて一度や二度くらいならわかるのですが、ほとんど全篇を通じてという感じで、あまりにもやっつけ過ぎ、これでもかというくらいの執拗なまでの波状攻撃です。
両者の間にどのような軋轢や確執があったのかは、いかにも専門家の研究テーマになりそうなことですので、そこは研究者の方におまかせして、ドストエフスキーの側からこの過剰なまでの反応の理由について、「大文豪」(一の140) をキーワードにして考える内容です。
つまりは、ドストエフスキーにとっては、過剰なる反応ではなかった訳ですから。
これを書いたら絶交、下手したら決闘になるということは十分にわかっていたはずですから。
研究者の方におまかせしてと言うわりには、自分でもすぐに調べたがるところが僕にはあって、このことにつきまして、なにか手がかりになるようなものはないかと思い、アンナ夫人の書いた「回想のドストエフスキー」(みすず書房、1、2巻) を久しぶりに読み返してみました。
しかしそれにしましても、この本はドストエフスキーの人となりを知るためには、改めて最良の基本資料ですね、素晴らしいです、などというような月並なことが言いたいのではなくて、まるでドストエフスキーの息遣いまでもが聞こえてくるような、肌のぬくもりまもでが思わず伝わってくるような、まさにそんな感じさえ受けます!
速記者として45才 (厳密には出会ったのは誕生日の前なので44才) のドストエフスキーと出会い、「賭博者」の口述筆記を始めたまだ20才のアンナ夫人は、1866年のドストエフスキーの言葉をこう記しています。
「ツルゲーネフについて、第一級の才能の持主にはちがいないが、外国生活が長いので、ロシアとロシア人のことがわからなくなってきているのが残念だと言った。」(第1巻の45ページ)
ですので、この時点では、まだそこまでは激しくなかった気持ちが、4年間の国外生活を始めた1867年に「ツルゲーネフに会い、衝突する。」(第1巻の244ページ) ことになったのですね。
両者の軋轢や衝突の細かい経緯につきましては、第1巻の230~232ページにわたる注25の中に詳しく書かれてあります。
また、「ツルゲーネフからの借金」(第2巻の126ページ) という一節もありますが、これはもう1876年の話ですから、これではありませんね。
それよりはむしろ、『「悪霊」は読書界に大きな評判を呼んだが、同時に、これによって文壇に多くの敵をつくったことも事実だった。』(第2巻の45ページ) の方がより切実です。
そりゃ、敵を作るでしょう、これだけしつこく攻撃すれば。
このこと一つをとってみても、僕が第一回、第二回でこれまでに考察してきましたように、ドストエフスキーには、小説家として体裁を取り繕ったり、変な色気を示したりすることがないということにつながるかと思います。
普通、わかるでしょ、こんなに書いたらまずいぞって、これは間違いなく身の破滅、崩壊を招くぞって。
僕はそれをドストエフスキー独自の「究極の素朴さ」であったり、「自分自身の本分に忠実」であることなどの観点から考えているのですが、いったいなんなのでしょうね、それを一時的にではなく生涯にわたってつらぬけるものって、本当にどのようなものなのでしょうか?
これはおそらく直感的に、文学に対する情熱、パッションなど・・・、まあ呼び方はなんでもよいのですが、そのようなものからきているのではないように感じます。
それよりは (癲癇の発作との関連のことまではわかりませんけれども)、むしろ負のベクトルとでも呼んだらよいのでしょうか、人間としての苦悩や悲しみであったり、なにかそうした陰鬱なものの方面から永続的にもたらされているのではないでしょうか。
この極端なまでの偏執や執着は、癲癇の発作との関連というよりは、僕はむしろ病み難い賭博への熱情に通底している感じをなにか受けるのです。
根拠ですか?根拠ねえ、根拠、根拠って、芸術活動ですからね、前提として根拠が絶対に必要である仕事は、もちろん存在するとは思いますけれども。
ちなみに「悪霊」の本文では、物語の説話者である私ことGは、「私はカルマジーノフを子供の時分から愛読していた。」(一の140、141) 云云とGの年齢をかなり若く設定していますが、実際には両者の年齢は、3才しか違わないのですよね。
ここで、カルマジーノフ氏の問題からは少し離れますが、
①ドストエフスキーが「悪霊」について、「いま『ロシア通報』のために書いている作品には、大きな望みをかけています。だが、それは芸術的な面からではなくて、傾向的な面からです。」(第1巻の208ページ) ととらえていたことや、アンナ夫人の「傾向的な小説は、おそらく肌に合わなかったのだろう。」(第1巻の209ページ)
②夫人の弟の話をもとにしてシャートフの最期の洞穴の描写が書かれたこと (第1巻の209ページ)
③「いつものように夫は自分の仕事に不満で、何度も改作し、印刷紙で十五枚ばかりも破棄したほどだった。」(第1巻の209ページ)
また「その出来ばえには不満で、まえの構想を捨てて第三篇全体を書きなおした。」(第2巻の45ページ) ことなどの証言は注目に値すると思います。
ちなみに、この①の「傾向的な」の解釈ですが、当時の無神論的な風潮の中で、ドストエフスキーが神の存在の問題を中心に展開していった観点からしますと、時流に敏感な時事問題をめずらしく主題にしてとでも言いますか、ジャーナリスティックな特質を今回の「悪霊」は備えているとでも言いますか、まあ、大体そのようなところでしょうか。
ちなみに、ドストエフスキーの思想や意識の体系につきましては、なんと言っても個人雑誌であるところの「作家の日記」(ちくま学芸文庫全6巻) が一番だと思います。
引き続きまして第四回。
第四回「ピョートルの逃亡」
これにつきましては、第一回の「豚のむれ」の後日記1の中でも触れましたが、この問題について、もう少しきちんと整理して考察していこうという試みです。
ピョートルの数々ある容疑、陰謀のなかでも、シャートフをピストルで殺害したことは、読者には紛れもない事実であり、この小説は首謀者の殺人犯が逃げたままで終わるという、非常に不可解な作品になっています。
ドストエフスキーという偉大な作家が、単にピョートルのモデルとなった人物 (セルゲイ・ネチャーエフ) が、実際に、1869年12月にスイスに亡命をしたのでという単純な理由から、そのような安易な設定にしたなどということは、僕には可能性としては、まずあり得ないように思います。
つまりは、ドストエフスキーは必ずそこに意味をおいてきますので、ただなんとなくぼんやりと、そうしたなどということは決してしてきませんので、この「ピョートルの逃亡」問題のドストエフスキーの真意ですね、ここのところ。
ちなみに、ネチャーエフは、その後、1872年8月に逮捕されていますね。
参考までに、「悪霊」の出版は、1871-1872年です。
合わせまして、懲役人のフェージカが、ものの見事に拳を頬にかまして (本文からわかることは最低でも4発はかましています!) ピョートルを気絶させた件 (四の188)、ピョートルの「あれはあの男のこの世における、ウォートカの飲み納めなんだよ。」(四の190)、フォームカによるフェージカ殺害の件も、ピョートルの差し金ではないのかという僕の考察についての内容です。
おしまいに、このピョートルという張本人にして、まだ「二十七かそこいらの若者」(一の312) である人物について、なにか逃亡問題の手がかりになるかもしれませんので、ここで一度、簡単に整理してみたいと思います。
え〜と、首領の大悪党であるピョートルですが、それでもまずは一応、プラス面の方からにして、これはなにしろ数が少ないのですぐに終わります。
まあそうは言いましても、ここに物語の中の「町の人たちのうわさ」(一の312) を書いてもあまり意味がないと思いますので、カルマジーノフの独白あたりから始めましょう。
「あの男は仲間うちでも一種の天才かもしれんて。」(三の52)
続いてキリーロフがピョートルに向かって「君には才能があるんだが、非常に多くの事物に理解を欠いてるのだ。それは、君が下劣な人間だから。」(四の181)
最後にニコライがシャートフに向かって「それに、ヴェルホーヴェンスキイは熱情家ですよ。」(二の71)、
またこの発言に関連しまして、「かつてスタヴローギンがシャートフに向って、ピョートルには感激 (エンスージアスムと振り仮名がありますので、enthusiasm、熱意、熱中、熱狂あたりでしょうか) があると言ったとき、相手はすっかりあっけに取られたものである。」(四の137)
ここで、ドストエフスキーが、意図的にはっきりと線引きとでも言いますか、ニコライとキリーロフは、一応それでも、ピョートルのよい面も少しは感じているのに対して、シャートフはピョートルのことをまったく評価していない点に注意です。
さて続きまして、罵詈雑言の嵐のようなマイナス面、こちらはあまりにも数が多くて、とても全部は書き切れませんので、登場人物をしぼり、キリーロフ→シャートフ→フェージカとリレーのバトンを渡してもらい、最後は、物語の説話者である私ことGに、アンカーとして止めを刺して?もらいましょう。
第一走者のキリーロフ
「僕は君がきらいでたまらないんですよ。」(三の61)
「僕がただ一ついやなのは、その瞬間に、君みたいなけがらわしい虫けらが、僕のそばにいるということなんだ。」(四の181)
続いて第二走者のシャートフ
「さあ、もう僕の部屋を出てくれたまえ。僕は君と一緒にすわっていたくない。」(三の72)
「さあ、行きたまえ。僕は君と一つ部屋にいられない。」(三の73)
さらに第三走者のフェージカ
「お前さんなぞは、始終あの人の靴を磨いてもいいくらいだ。」(四の184)
「なぜって、お前さんは正真正銘の悪党だからね。(中略) お前さんはまるで人間の体にくっつく、けがらわしい虱も同じこった」(四の185)
「ほんにお前さんは、なんてえ浅はかな考えを持った人だろう。」(四の187)
そして最終走者の私ことG
「このやくざ者め、それはみんな貴様の仕組んだことだ!貴様はそのために今朝いっぱいつぶしてしまったのだ。貴様がスタヴローギンの手伝いをしたんだ、貴様がその馬車に乗って来て、貴様が自分で乗せたんだ・・・・・・貴様だ、貴様だ、貴様だ!奥さん、こいつはあなたの敵ですよ、こいつはあなたの一生も台なしにしてしまいます!気をおつけなさい。」(四の77)
本来は物語の説話者として中立的な立場であるべきはずのGの大爆発じゃない、豪快なラストスパートです!
僕の結論としましては、僕は上記しました第一回の後日記1の中で、ドストエフスキーは、この「ピョートルの逃亡」問題について、罪の赦しと再生の問題としてとらえ、ピョートルよ、偉大なるものの前に跪けと、そうしないとお前ほど悪くて、お前ほど罪の意識の軽い者に最終的な救いなどはまるでないと、ドストエフスキーの意図について考察したのですが、その後になって、これはあれですね、ドストエフスキーは、人類への警告として発信したのではないかとも考え始めています。
つまりは、ピョートルが逃げているぞ、また五人組を組織し、同じようなことを繰り返すぞ、気をつけろと。
または、その両方を合わせたような感じなのかもしれません。
2024年3月19日
和田 健
後日記:この「ピョートルの逃亡」問題ですが、さらにその後になりまして、キリーロフの自殺前の台詞である「ところが、僕は自殺して、君は生き残るんだ。」(四の288) の中に、なにかヒントが秘められているように思い始めました。
また、もう一つの大きな課題として、最終回「キリーロフとお茶」の第二ラウンドの中でも触れましたが、今までは「悪霊」の執筆開始時からの構成であったと普通に考えていたのですが、ドストエフスキーはいったいどこの時点で、最終的にピョートルだけは逃亡させると決めてきたのかという問題が新たに出てきました。
2024年4月9日
和田 健
(第一回から続く)
皆様、こんにちは。
第二回は、全篇を通じて、最も戦慄的な場面である「マリヤ・レビャードキナと梟」です。
はじめに、出版されてからすでに152年も経つ「悪霊」を今回僕が読んで、一番モダンだなと感じたのは、ピョートルが爪を切るために、「アリーナさん、あなたのところに鋏がありませんか?」(三の111) と出し抜けに訊ねる場面です。
ここのモダンさ、このリアリティはちょっと並外れてすごいな!
現在の2024年よりも、断然モダンな感じがいたします。
これはあれでしょうか、かつての思想関連のサークル時代にでも、会議かなにかの場で、実際に目の当たりにした光景をもとにして、ドストエフスキーは書いたのでしょうか?
その前のピョートルの『「なんにもないです。」彼は椅子の上で大あくびをしながら、そり返った。「ただコニャックを一杯もらいたいものですなあ。」』(三の109) には笑いました。
この「コニャックを一杯」が全篇を通じて一番笑えたな。
ここは、父親であるスチェパン氏の「シャンパン病」 (一の18) とかけあわせて、アルコール依存症?の遺伝の傾向まで裏をとらなくてもよいのではないでしょうか?
確かに「彼が惜気もなくシャンパンをふるまう時なぞ」(一の45)、また「その晩、私たちはまた一杯ひっかけた。」(一の133)、さらには「その晩わたしたちは一壜飲み干した。」(一の137) ともありますので、まあ、スチェパン氏は毎晩のように、よく飲んではいたのでしょうが。
ピョートルもカルマジーノフの家で、カツレツの朝食にぶどう酒をあおったり (三の52)、さらにはその後になって、ピョートルが料理屋でビフテキを食べた後、ビールまで注文して飲む場面 (四の172) も出てはきますが。
しかし、この料理屋の場面もかなり異様ですね、ピョートルが「肉のきれをさもうまそうにむしゃむしゃかんだり」(四の173) するのを、リプーチンは三十分以上もじっと見つめているのですから、極めて異様です。
まあ、「コニャックを一杯」は、ドストエフスキー自身もおそらく「ここは笑えるな」と思いながら書いていたのではないでしょうか?
ドストエフスキーを読んでいると、このようなくすりと笑える場面が、特に深刻な場面において、時々出てくることも隠れた魅力の一つです。
さて逆に、まったく笑えるどころではない、全篇を通じて一番恐ろしい場面だなと感じたのが、今回の「マリヤ・レビャードキナと梟」です。
この場面 (そのクライマックスは、具体的には二の132から135あたりになります) は、かなり戦慄的ですね。
まず、この場面を理解するためには、その前段の「本記録において特筆大書すべき日」である「明日の日」(いずれも一の260) の日曜日に、まあ、細かいことはいいや、要するに日曜日に、ヴァルヴァーラ夫人の客間になんと全員で12人が集結します。
これはもうどこからどうみてもドストエフスキーが構成上、ここで一度全員を顔合わせさせてきたな、顔見世興行ではないですけれども、ここを前半の山場としてセッティングして、一堂に会する場面を意図的に設定してきたなということは明らかです、これはもう完全に全員集合させてきたな〜という感じ。
ここで、客間に登場する順番に、一度きちんとメンバーを整理してみますと (括弧内は愛称です)、
①スチェパン・トロフィーモヴィッチ (スチェパン氏)
②私ことG
③シャートフ (シャートゥシカ)
*侍僕頭のアレクセイ・エゴールイチ (侍僕、原文ママ)
④ヴァルヴァーラ夫人
⑤リザヴェータ (リーザ)
⑥マリヤ・レビャードキナ
*小間使のアガーシャ (小間使の「い」なし、原文ママ)
⑦プラスコーヴィヤ夫人
⑧マヴリーキイ
⑨ダーリヤ (ダーシャ)
⓾レビャードキン大尉
⑪ピョートル (ペトルーシャ)
⑫ニコライ
と侍僕や小間使をのぞいて12人になります。
この中でかわされた様々な会話の重要さについてはちょっと書き切れませんが、両夫人 (④と⑦) の凄まじいいさかいがあるわ、③のシャートフが⑫のニコライの頬を殴るわ、最後に⑤のリーザが気絶するわで、ドストエフスキーが、この会合の中に⑥のマリヤ・レビャードキナの伏線を張ってきていることは、僕にはまったく見抜けませんでしたと言いますか、通常、初読の段階ではなかなか簡単に見抜けないのではないでしょうか、違うのかな、簡単なのかな?
でも、そうかそれでか、会合が始まる前の「どうしても一時間前へ逆戻りをして」、教会での「なみなみならぬ事件を詳しく物語らねばならない」(いずれも一の262) って、なにかすごく不自然だなあと思ったのですが。
しかし、それにしましても、ドストエフスキーは女性を書けますね。
その点、書けないのか、あえて書かないのかはともかくとして、ゴーゴリの作品には、女性は登場してきますけれども、いわゆる女の部分は出てこない。
両者の生年を単純に引き算しますと、1821-1809=12年になります、この12年間の進化たるや、実に恐るべし!
またそれに関連して、昔の (という言い方も大変曖昧ですが) 小説には、性描写が出てこないのもいいですね。
これはいつ頃からなのでしょうか、露骨な性描写の方に、文学作品が大きく舵を切るようになったのは。
文学だか思想だかの最高目的に到達するするために、過激な性描写がどのような観点から絶対に必要であると考えられるようになったのだろう?
つまり、僕の言いたいことは、ドストエフスキー作品の中に、しっかりと確かな存在感をもって女性が書かれていますということです。
さて本題。
まず、マリヤ・レビャードキナ (以下マリヤにします) ですが、本文中何度も何度も繰り返されますように「気ちがいでびっこ」(例えば一の175) です。
この表現が執拗に繰り返されますので、ちょっとどのようなものかと思うのですが、要するに障害をもった狂女ですね、このマリヤだけがニコライの真実を見抜く、看破する訳です。
つまりは、主人公のニコライが、もう真夜中になって、マリヤとレビャードキン大尉兄妹の住む川向こうの郊外の家を訪ねてくる。
ここで、これはこの晩に限ったことではないのですが、ドストエフスキーの時間配分が実に細かいので、読んでいてなんだかサスペンスもののようなスリルを思わず覚えます。
これは、あれでしょうか、ドストエフスキー以前には、ここまで細かく時間設定してくる作家というのは、どのくらいいたのでしょうか?
すごく画期的な感じがいたします。
なにかもう、ドストエフスキーが時間を書いてきたら、僕はすっかり身構えるようになりました。
侍僕のアレクセイが「九時半でございます」(二の45) で着替えを始めたニコライが、「ようやくすっかり着替えを終って帽子をかぶると」(二の45) 、
ニコライはアレクセイに「一時か一時半だ、二時より遅くはならない。」(二の46) と言い残して家を出る。
キリーロフの家に着いたのが「すでに十時を過ぎていた。」(二の48)
ニコライ、介添人のキリーロフに「朝の九時ごろ、君あすこへ行ってくれたまえ。」(二の52) と頼む。
ニコライ、次にシャートフの家に行き、「あっ、もう十一時十五分だ。」(二の72)
シャートフ「君はもう十分の時を僕にさくことができますか」(二の74)
ニコライ「さあ、どうぞ。もう三十分割愛しましょう。」(二の75)
で、今度はなにしろ川向こうの家なものだから、橋の「ほとんどまん中」(二の95) で、懲役人のフェージカに出会って、レビャードキン大尉の家に着いて時計を見る。
「十二時四十五分だね。」(二の102)
「あっ、もうマリヤのところへ行かねばならん時刻だ。」(二の119)
そして、物語はようやくマリヤの部屋へと、ドストエフスキーは明らかに、これらの一連の流れに対して、時間に関して特段の注意を意図的に払っていますね。
それとともに時間で物語に独特のリズムをつけていくのが実にうまい!
話がまったくたるまないもの。
さて、そこでいよいよ問題の場面です。
ここで、マリヤの恐ろしい看破物語が幕を切っておろされ、ニコライのおそらくは人生で初めての完全敗北へとつながります。
まずは「わたしは日曜の日にあの家で、いろんなことを見抜いてまいりました。」(二の126)
う〜ん、ここへもってきたか!
あの日曜日の12人の会合だか集会の伏線は、マリヤの見破りへとつなげてきたのか〜という感じです。
「あの時、あのひとたちはみんながかりで、思いもよらぬ方からわたしを試験しました。わたしべつに怒りはしませんけれど、あの時じっとすわったまま、とてもこのひとたちの親類にはなれないと考えました。」(二の126、127) と続きます。
つまりは、マリヤは、ヴァルヴァーラ夫人の客間に集った面々を、即座にこれは全員スノッブだと見抜いた訳です、だから、親類にはなれないと。
「仲直りはなさるけれど、真底から打ち明けて笑い合えないんですもの。あれだけお金がありながら、楽しみといったらいくらもない。」(二の127) のです。
ここで、マリヤが一人だけ違うと言います。
「ただ一人ダーシャだけは、天使のような人です。」(二の127) ここ注意ですね、つまり、前回の「豚のむれ」の中でも少し触れましたが、ここでドストエフスキーは、マリヤの言葉を通して、マリヤとダーシャは「豚のむれ」に入らず、その他の「有象無象」どもはみんな「豚のむれ」だと示唆してきている感じがします。
ちなみに、日曜日に会った時、マリヤはリーザのことを「ちょうどこういうふうな美しい方」(一の278)、さらには、この晩も「あのきれいなお嬢さん」(二の126) とも言っていますが、リーザの美貌についてもちゃんと見抜いている。
また、最初にスチェパン氏のフランス語が聞こえた時に、「ああ、フランス語だ、フランス語だ!上流の社会だってことがすぐ知れる!」(一の275) って感激もしている。
でもそんなことは、彼女にとって、人間の本質を見抜く妨げにはまるでならない。
これはあれでしょうか、ドストエフスキーは、障害がある者の方が、障害のない者よりも、真実や本質を見抜く力に優れるという、人間の有する特殊な能力の核心をついてきているのであろうか?
もう一つ、気になるのは、シャートフの愛称のシャートゥシカですね、結局、全篇を通して、シャートゥシカと呼ぶのはマリヤだけなんです。
最初のボゴヤーヴレンスカヤ街のフィリッポフの持ち家に、マリヤがまだ住んでいた時に、Gとシャートフがマリヤの部屋を訪れますよね (ここのマリヤの描写がまた素晴らしいです!)、その時「さあ、わたしがまた梳かしてあげましょう」(一の246) と、マリヤはシャートフの髪を櫛で梳かします。
こんなこと普通するか?よっぽど仲よくないとしないでしょう。
さらに気になるのは、ニコライがシャートフとの会話の中で「マリヤは処女ですからね。」(二の73)、「僕がここへ来たのは、もしできることなら、今後とてもマリヤの面倒をお頼みするためなんです。そのわけは君だけがあの女の哀れな心に、ある種の感化力を持っていられたからですよ。」(二の93、94)
う〜ん、これ、ドストエフスキーはマリヤ⇄シャートフの間で、伏線の伏線ではないですけれども、もう一つ通底させているな。
(ここで、当時の時代背景として、インテリ層や上流階級の人々が好んで話すためにというのはわかるのですが、いくらなんでも全篇を通じて、フランス語をしゃべりまくる、ちょっとしゃべり過ぎじゃないかのスチェパン氏のフランス語問題について考えてみました。
本題からはそれますので、それにつきまして長々と書くのはやめますが、これも結論としましては、僕の言うところの小説家として変な格好や色気をつけることなく、自己の本分に忠実に生きるドストエフスキーの素朴さにつながるように思います。
もう一つの課題として、これなどは専門家に訊けばすぐにわかることだと思いますが、ドストエフスキーは初版の段階で、スチェパン氏のフランス語の部分について、括弧でもしてロシア語訳を入れていたのでしょうか?
これは入れていたか、入れていないか (→その場合は、後世の編集者が親切な気持ちから入れたと仮定して) で、かなり決定的な問題になると思います。)
さてここまでは、まだほんの軽い挨拶がわりのジャブ程度なのですが、ここからいきなりジャブ抜きで、左右の重いストレートがバシバシ飛んできます。
マリヤはニコライに対して (と言いますか、二人以外には誰もいない訳ですが)、
「いったいあなたは何者です? (中略) よくもずうずうしくやって来たもんだ!(中略) いや、いや、鷹が梟になってしまうなんて、そんなことのあろうはずがない。わたしの公爵はこんな人じゃない!」(二の132)
さらに、「いったいお前は何者だ、どこから飛び出したのだ!わたしの胸は、わたしの胸はこの五年間、悪だくみを底まで感づいていた!(中略) いったいこのめくら梟がどうして入って来たやら、本当にびっくりしてしまった。」(二の133) と続きます。
ここの「わたしの胸は、わたしの胸は」の感情の高まりの繰り返しに注意です。
ちなみに、この鷹ですが、マリヤはニコライのことを「どこか山の向うの方にわたしの鷹が暮らしている、空高く飛びながら陽を仰いでいる・・・」(二の134) 鷹だと思い、「わたしの恋人は、輝くばかり立派な鷹なのだ、公爵なのだ。ところが、お前は梟だ、小商人だ!(中略) お前なんぞはシャートゥシカに (あの人は可愛い人だ、わたしの好きな懐かしい人だ)、頬っぺたをなぐりつけられるくらいの人間だ。(中略) お前の下司びた顔が目に入ると、まるで虫けらが胸へはい込んだような気がした。(中略) わたしの鷹は、あんな貴族の令嬢の前だって、わたしのことを恥ずかしいなどと思やしない!(中略) 白状おし、贋公爵、たくさんもらったんだろう?」(二の134)
上述したことと関連しますが、マリヤのここの「わたしの好きな懐かしい人だ」に注意です。
令嬢とは他にいませんので、リーザかダーシャか、あるいはその両人か、まあ、ダーシャは生まれが貴族ではありませんので、ここはリーザのことを指しているのでしょう。
「ニコライは歯をぎりぎり鳴らし」(二の134) くやしがり、「力任せに女を突き放し」、「女は肩と頭をうんと長椅子に打ちつけ」、要は腕力に訴えるしかなくなったところでニコライの完全敗北、最後はマリヤの「グリーシカ・オトレーピエフ!あーくーま!」の戦慄的な、そして文字通り悪魔的な「高らかな笑いを交えた甲高い声」(これら4つとも二の135) で終わります。
その直後の、「ぬかるみの中を四つん這いに這いまわりながら」(二の140) 水たまりの中に浮かぶ札を捜す懲役人フェージカの地獄絵図のような話は残念ながら割愛して、やりましたね、マリヤさん、完膚無きまでにニコライをやっつけましたね、全篇を通してニコライをこれだけボコボコに打ちのめしたのは、マリヤさん、あなただけです、お見事!
ところでマリヤさん、鷹は「輝くばかり立派」なのはわかりましたが、あなたの言われる「梟」って、いったいこれはなんですか?
梟と言いますと、我が国では、縁起物として幸福を招くようないいイメージがあるのですが、ドストエフスキーが、まあ、ここは適当に梟でいいや、そのあたりにいる鳥でいいやと書いたとは到底思えません (もし仮にですよ、仮に適当に書いていたとしたら、これだけ梟を繰り返しません) ので、この梟っていったいなんなのですか?
たしか、ヨーロッパでは「森の賢者」でしたよね?やっぱりいいイメージだな。
これは、あれですか、梟は餌となるネズミや小鳥がたくさんいる、つまりはお前 (ニコライ) は餌であるそのあたりの「有象無象」をさかんに食い物にしているけれども、お前なんかは「シャートゥシカに、頬っぺたをなぐりつけられるくらいの人間」で、「輝くばかり立派な鷹」にいずれはとって食われるんだ、くらいの意味ですか?
違うな、そんな単純なことではないだろう、おそらく。
真夜中に実は夫人である、そうなんです!マリヤはなんと実はニコライの妻なのですよね、そこへ夜も更けてから、まるでお忍びみたいにやって来たから、夜行性の梟なのかな?
うん、その方が可能性としては高いな、だから、輝くばかりの鷹は「空高く飛びながら陽を仰いでいる」、つまりは日中飛んでいる訳で、ドストエフスキーは鷹と梟を対比させる手法で、その違いを際立たせているのでしょうか。
だから、お前なんか、昼間は堂々とできない「下司びた顔をしためくら梟」であると。
ニコライは梟か、かなり強烈だな、この一言は。
2024年3月6日
和田 健
皆様、こんにちは。
僕は今年に入り、懐かしいドストエフスキーの世界に久しぶりに戻ってきて、連日のようにどっぷりと浸かりながらあたたまって?います。
そのきっかけは、昨年の暮れまでゴーゴリを読み続けてきて、まあ、ちょっと疲れたので、一息つこうと思って、おっ、一昨年からずっと計画していた「ガラン版千一夜物語」(岩波書店) が、いよいよ始まるのかと思ったら、なぜかそうはいかなくて、ぼんやりとウィキペディアを読んでいたら、まるでそこには世間的な常識のように書かれていたのですけれども、浅学の僕はまったく知らなくて、「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」をもってして、ドストエフスキーの五大長編と言うんですって、まるで知りませんでした、そんなこと。
自慢じゃないですけれども、僕は本当にごく限られたことしか知らないんですから。
ちなみに、僕の大好きな「死の家の記録」はなんで入らないのでしょうか、長編小説ではないからでしょうか?
それにしては、結構長いと思いますけれども。
僕は「罪と罰」を8回、「カラマーゾフの兄弟」を3回読みましたけれども、個人的な読書なのですから、好きな作品を繰り返して読めば、それでいいやと思っていたのですが、そう言われてみるとなんとなく気になり出して、それじゃ残りの3作品もこの際、全部読んでみようと思い、名前からして「悪霊」が一番強烈なので、いつもの方法でメルカリで岩波文庫版全4巻を1000円で購入して、この人類の文化遺産が1冊平均250円ですからね、信じられないとか、またブツブツ言いながら、2023年12月30日に読み始めたドストエフスキーの「悪霊」(1871-1872年刊) を、2024年2月19日になって読み終わりました。
はじめにお断りしたいのは、僕の読んだ「悪霊」は、1980年から1981年にかけて発行された米川正夫氏訳の岩波文庫版全4冊です。
そこで、以下の考察に関しましては、でき得る限りテキストに添った形で行っていきたいと思いますので、引用文につきましては、いちいち書くと大変煩わしくなりますので、すべて巻数とページ数のみ示します。
したがいまして、例えば、(一の100) とありましたら、それは第一巻の100ページに、(四の100) でしたら、第四巻の100ページに、それぞれ記載されていますという意味です。
それでは、少し長くなるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
まず、読み終わっての第一感想は、あまりに「陰惨な出来事」(四の385) の連続で、いったい全員で何人死んでいるのでしょうか、もうちょっとこれはなんて言ったらよいのでしょうか、エンディングも主人公ニコライの首吊り自殺で終わっていますし、この物語を読んで、例えばですが、爽やかな気持ちになりましたとか、感動しましたとか、また明日から前向きに生きる元気や勇気をたくさんいただきましたなんていう人は (なんだか最近、そのような類いの感想を言う人がすごく増えてきたように思いますがいかがでしょうか) 、おそらくですが、世の中にあまりいないのではないでしょうか?
そこに待っていたのは相変わらずのおどろおどろしい、どろどろのドストエフスキー劇場、やっぱり人物を書かせたらこの人の右に出る者はまずいないと言いますか、ちょっと誰も太刀打ちできない、まさしく前代未聞、空前絶後です、よってぐんぐん物語の世界に引き摺り込まれる。
それから室内の描写ですね、これも相変わらず群を抜いていますね。
さらにはドストエフスキーの場合は、常に台詞の裏の意味を読み取ってこないといけない、推し量ってこないとならない、そこで必ずや神経戦、消耗戦になりますね。
絶えず、示唆、暗示、ほのめかしが、これでもかというくらいに執拗に繰り返されてきますから、どうしても疲れますね、これは集中力の勝負になりますから。
したがいまして、ドストエフスキー作品を速読することなんてことは、まず誰にもできないと僕は思います、まあ、何事にも例外はあるでしょうけれども、速読することにあまり意味を見いだせない、遅読です、ゆっくり繰り返し繰り返し、同じ箇所を何度も味わいながら。
今回、完璧なまでに裏をとってつなげてきたなと感じたのは、新約聖書の黙示録の部分ですね。
最後に至るスチェパン氏の「なまぬるいよりはむしろ冷たい方がいい。単になまぬるいよりは、むしろ冷たい方がいいです!」(四の352) の絶叫にもってくるまでの一連の系譜です。
それに対しまして、風景の描写につきましては、先輩であるゴーゴリの方に、はっきりと軍配があがります。
具体的には、「彼はとつぜん足を止めて、あたりを見まわした。車の轍で一面にえぐられた、古い、黒々とした街道は、両側にお決まりの柳をつらねながら、果てしもない糸のように眼前に延びていた。右側は、もうとっくの昔に刈り入れのすんだ真裸の畑で、左側は灌木の繁みの向うにちょっとした林が続いている。ずっとはるか向こうの方には、鉄道線路が斜めに奥へ入り込んでいるのが、あるかなきかに眺められて、その上には何か列車の煙が見えているが、音はもう聞こえなかった。」(四の315)
これ、ゴーゴリでしたら、まずこのくらいでは終わらないです。
まあ、ゴーゴリの超高速魚眼レンズカメラ VS. ドストエフスキーの超性能定点観測カメラとでもいったところでしょうか。
それでは以下、テーマごとに具体的に考えていきたいと思います。
相手がなにしろ巨大にして難解な作品ですので 、僕の足りない頭では大変心許ないですが、それははっきり言って、今更もうどうにもならないですね。
まずは、思わずしょっぱなからハァーとためいきスタート、それは開始わずか2行目の「凡手の悲しさ」(一の8) のことなのですが 、これはいったいどういう意味で書いているのでしょうか?
おそらく、ただのつまらない謙遜なんかでは書かないであろう、この人の場合。
それでは、本題に入ります。
今回の第一回は、ルカ伝の「豚のむれ」(一の6) についてです。
まずは、その場所に注意です。
第一巻の目次の後に、やや唐突に、プーシキンの詩とともに、新約聖書のルカ伝が出てきますよね、まだ本文の始まる前です。
悪鬼が豚のむれに入る例のくだりです。
少し長くなりますが、ここが肝心なところですので、そのままここへ引用します。
「ここに多くの豚のむれ山に草をはみいたりしが、彼らその豚に入らんことを許せと願いければ、これをゆるせり。悪鬼その人より出でて豚に入りしかば、そのむれ激しく馳せくだり、崖より湖に落ちて溺る。牧者どもそのありしことを見て逃げ行き、これを町また村々に告げたり。ひとびとそのありしことを見んとて、出でてイエスのもとに来れば、悪鬼の離れし人、着物を着け、たしかなる心にてイエスの足下に坐せるを見て、おそれあえり。悪鬼に憑かれたりし人の救われしさまを見たる者、このことを彼らに告げければ、・・・(後略)」(一の6)
ここに掲げてきているということは、かなりの重要性を示していると言いますか、結論はここにあるよと、あらかじめドストエフスキー自身がほのめかしている感じが、これは配置された場所が場所だけに、自然にどうしてもしてきます。
そして、物語の途中、「豚のむれ」なる言葉は、僕の確認ではもう一切出てくることなく (シャートフがレビャードキンのことを「豚の子」(一の256) みたいにわめくというのが一回出てきますが、すみません、つまらない冗談です)、最後から二番目の章「スチェパン氏の最後の放浪」の中で、またもややや唐突に、スチェパン氏の哀願「今度はもう一度あの・・・・・・豚のところを読んで聞かして下さい。」(四の353) で見事につながり、ソフィアが読んで聞かせます。
(ちなみに、ソフィアが読んで聞かせた「豚のところ」は、上記に引用した部分とまったく同じ箇所なのに、語句の使用や句点の位置が微妙に違います。
これは、おそらくですが目次の後に掲載されたGまたはドストエフスキーの聖書と、聖書売りのソフィアが売っている聖書とが、違う本であることを示しているのではないでしょうか。)
ここのところですね、ここのところ。
つまりは、ドストエフスキーは、ニコライも、ピョートルも、リプーチンも、リャームシンも、ヴィルギンスキイも、トルカチェンコも、エルケリも、レビャードキン大尉などは改めて言うまでもなく・・・、要するに本文中何度も出てくる言葉である「有象無象」ですね、もう誰も彼も「豚のむれ」であると言いたいのでしょうね、ここのところをよく考えなさいと、これがまず一点。
ただし、並の作家であれば、話はそこまでなのでしょうけれども、そこはなんと言ってもドストエフスキーですからね。
「豚のむれ」に入らないのは誰なのかを、逆に問いかけているのかもしれません。
なんとなく、そのような気がしてなりません。
これには、本文中にちょっとした示唆が含まれていて・・・、この話は長くなりますので、また次回以降にいたします。
そして、もう一点なのですが、なぜスチェパン氏は、人生の最期に、突然「豚のところを読んで聞かして下さい。」と言ったのだろう?
ここの裏が十分にとれませんが、そのあとにありますように、おそらく「豚のむれ」が子供の時分からのスチェパン氏にとっての「つまずきの石」(四の354) であったからではないのでしょうか?
つまりは、自分の人生はもう終わろうとしているけれども、今思えば、子供の頃の「豚のむれ」のところから転んでしまったなあと、もう決して取り返しはつかないけれども、死ぬ間際になって、ようやくそのことに思い至り、長年心の中で引っかかっていたなにがが、突然表出してきて、唐突な哀訴になったと、そのようにドストエフスキーはとらえたのでしょうか。
子供の時分に「つまずきの石」であるところの「豚のむれ」が理解できずに、神の問題から離れて、自分はその後思想を方向転換していったけれども、あの「つまづきの石」こそが、今思えば実は自分の人生の原石だったなあと。
ですので、スチェパン氏は「自分はもはや、少なくとも三十年くらい福音書というものを読んだことがない。」(四の327) のです。
悔悟の念が、「豚のむれ」の「あるいは私なぞその親玉かも知れない」(四の355) の言葉につながります。(下記後日記1参照)
そこで、そのための事前準備ではないですけれども、ドストエフスキーは段階を踏んで構成してきていますよね、いきなりではあまりにも唐突だと思ったのでしょうか?
ステップと言いますか、足がかりとして、ソフィアはまずは「山上の垂訓を通読」(四の350) して、次に「黙示録」(四の351) を読む。
ここで一度ソフィアが中座しますよね、支払いがどうとか、医者がどうとか、まあ、要するにタイムをとる、それでこの間の猶予に、スチェパン氏のはるか昔の記憶が呼び覚まされて、今やややさびれた (失礼!) 頭のスイッチが入って、突然の「豚のところを読んで聞かして下さい。」になる。
でもこれはあれですよね、百姓家で聖書売りの女ソフィアを登場させた時点から、「豚のむれ」につなげていこうとしたドストエフスキーの構成上の意図はかなり明白ですよね、他の商売ではだめな訳です。
ちなみに、スチェパン氏の年齢は、「五十三才」(一の29) です。
話がそれてしまいますので、この味わい深い「スチェパン氏の最後の放浪」の章について、十分にご紹介できないのが大変残念ですが、「罪と罰」のマルメラードフや、「カラマーゾフの兄弟」の少年イリューシャ、さらには珠玉の短編である「キリストのヨールカに召された少年。」(「作家の日記2」ちくま学芸文庫、ちなみにこの最後の句点は原文のママです) などにみられるように市井の人々の人情ものを書かせても、ドストエフスキーは天下一品です。
ちょっとこれは人間業とは思えないレベルの高さです。
この「悪霊」の中でも、例えば、火事の前でわめき立てる頭のネジがもうはずれてしまったような知事レムブケーが、八十になる老婆を助けようと、彼女の羽蒲団を引っ張り出す場面 (三の102〜105)、このリアリティー、これは人生の中でなにか火事にあった経験でも実際にあったのでしょうか。
ドストエフスキーのこの比類のない筆力、力量はいったいどこからくるものなのでしょうか。
この人はあれですね、僕は「多動の人」(この言葉は別に説明が必要ですよね) なのではないかという結論をもっているのですが、日々の努力ですとか、精進ですとか、鍛練ですとか、そうした類いの観念からは、まるで一切書いていない感じがします。
つまりは、ドストエフスキーは自らを作家として大成させようとしていたのであろうか。
まあ、少なくとも自身を育てていこうとくらいはしていたのであろうか。
違うのではないか、そのような意識から書いているのでは、実はまるでないのではないかということです。
ですので、ドストエフスキーには、最後の「カラマーゾフの兄弟」に至るまで、究極的な意味合いにおける小説家としての変な色気を感じないのです。
ここから、これも同様に究極的な意味合いにおけるところのドストエフスキーの素朴さについて、通常使われるところの「あの人は素朴だ」とか、そういう意味ではない素朴さについて、今少し考え始めています。(下記後日記1参照)
この「スチェパン氏の最後の放浪」の章も、実にもう流れるような展開です。
街道ものとでも新たに名付けましょうか。
スチェパン氏が街道に出る→向こうから田舎馬車が来て、百姓夫婦と知り合いになる→窓の三つついた明るい百姓家に着く→薄っぺらな、半分小麦の入ったうまいプリンが出る→五コペイカ分のウォートカの極小ビン、この五コペイカ分のウォートカの話が実にいいですね、百姓の女房についだら二杯目の自分の分が足りなくなって・・・→さあそこで「これをお購め下さいませんか?」(四の326) と聖書売りのソフィアの登場、ここうまいなあ〜!
ちなみに、このソフィアですが、「私たちの町に福音書を売り歩く行商の女が現われた。」と、以前に一度登場していて、「やくざ者のリャームシン」と「のらくらしている神学生」との「もはやとうてい我慢のできない悪ふざけ」(いずれも二の209) に辱められ、「留置場に押しこめられ」(二の210) てさえいます。
これはあれでしょうか、あまりにもむごたらしい惨殺、自殺が続いたあと、さらにこのあとに、ニコライの自殺も控えているし、ドストエフスキーもちょっとたまらなくなって、このままでは息が詰まるから、新鮮な空気を入れてひと息つきたいと、少しはホッとしたいと、おそらくは相当追い詰められているであろう読者の心情を思いやるというよりは、実は自身がそれ以上に換気が必要だと思ったのではないでしょうか。
なんとなく、そのような雰囲気が伝わってきます。
自己解放とまで言うと、少し誇張になりますが。
しかし、物語の説話者たる「私」こと「G」のスチェパン氏に対する感情移入は、他の登場人物たちへのそれに比べて、友人であるだけに明らかに比較にならないほど深いように思います。
ちなみに、この「G」ですが、「アントン・ラヴレンチッチ」(一の217、218) という名だと、本文中に二回ほど出てきます。
この「私」こと「G」が、どの程度までドストエフスキー自身であると考えてよいのか、つまりは、この「G」とドストエフスキーとの距離感ですね、これを考えていて、頭がぐらぐらしてきたあたりで、今回はおしまいにいたしますが、ドストエフスキーの特異な世界を久しぶりに堪能しました。
しかし、相変わらず人殺しの話が多いですね、今回の火事にしても放火であることが明らかですし、人殺し、自殺、放火と、要は人為ですよね、文字通り人の為すことです、育った地域性もあるのでしょうが、そこに天変地異は出てこない。
地震や火山の噴火は出てこない、ここに若い世代の方にとって、ドストエフスキーの文学に、同様に特異な対抗軸を構築できる可能性があるように思うのですが。
まあそうは言いましても、質、量ともにドストエフスキーを乗り越えるということは、僕の仕事である絵画の分野で言うと、レンブラントを乗り越えることに匹敵すると思いますので、並大抵なことではないと思いますが、それでもわからないですよね、可能性というものは、どんなに少なくともやはり確かにある。
僕の眼の状態をみながらになりますので、いつになるのかわかりませんが、ちなみに、第二回は「マリヤ・レビャードキナと梟」、第三回は「キリーロフとお茶」を一応予定しています。
特に、「キリーロフとお茶」は僕にとって、この物語の中で、一番味わい深いところです。
2024年2月22日初稿掲載
2024年2月23日加筆修正
和田 健
後日記1:
ここで、少し休憩、のわりには大問題です。
それは、スチェパン氏の最期の裏ですね、この裏のとり方なのですが、おそらく直感的に、ドストエフスキーはここに、首謀者ピョートルの逃亡をもってきているのではないでしょうか?
その手がかりになるのは、本文中のスチェパン氏の臨終の叫び、
「ああ、私はできることなら、もう一度生活がしてみたい (中略) おお、私はペトルーシャや・・・・・・ほかの仲間の連中が見たい・・・・・・そしてシャートフも!」(四の370)
ちなみに、ペトルーシャとは、スチェパン氏の息子であるピョートルの愛称ですが、この最期の場面でシャートフがきたか!
「(前略) よくスチェパン氏はこう言って戯れたが、しかし彼はシャートフを愛していた。」(一の47) とありますからね。
このこと一つをとってみても、難しいことはさておき、まずは単純な事実として、やっぱりドストエフスキーは登場人物を、すなわち自らが生み出した人物を実によく見ているなと思います。
また「ペトルーシャ・・・・・・ああ、私はあの連中にもう一度会ってみたい。彼らは自分たちの中にもやはりこの永遠な思想が蔵されていることを知らないのだ、全然しらないのだ!」(四の371、二度目の知らないはひらがなです) ともあります。
ドストエフスキーは、最終的に張本人のピョートルだけは逮捕されることもなく、海外に高跳びまでさせて逃がしています(四の275)。
これは誰がどうみても明らかに大問題ですよね、だって、他のメンバーは皆捕まったり、惨殺されたり、自殺したりしているのに、首領の大悪党であるピョートルだけは逃げている・・・これは読者にとって、「えっ、なんでよりによってこいつだけ捕まらないの?」という感じです。
つまりは、意図的にそのように構成してきたドストエフスキーの思想ですね。
これにつきましては、今年で「悪霊」が出版されてからすでに、2024-1872=152 年が経過していますので、専門の研究者の間でこの問題につきましては、さんざん議論され尽くしたことと思いますが、現在、ピョートルの逃亡につきましては、どのような共通の理解や認識が示されているのでしょうか?
僕にとって、ドストエフスキーのこの思想を読み解くことはかなり難しいのですが、これはあれでしょうか、罪の赦しと再生の問題として、ドストエフスキーは、ピョートルの逃亡をとらえているのでしょうか。
ピョートルよ、偉大なるものの前に跪けと、そうしないとお前ほど悪くて、お前ほど罪の意識の軽い者に最終的な救いなどはまるでないと。
そこで思い出されるのが、ピョートルが最後、プラットフォームでエルケリと別れて列車に乗り込んだ時の「くるりとふり向いてしまった」(四の311) 姿です。
これは、ピョートルが人を道具としてみていることを端的に表しています。
少尉補エルケリは、使用済みで用がないので、もう要らない訳です。
それに対してエルケリは、ピョートルのことを崇拝してやまないので、ドストエフスキーは「この少年がかわいそうでたまらない」(四の154) のでしょう。
この「ピョートルの逃亡」についての専門家の見解をぜひ勉強したいです。
また、この「ピョートルの逃亡」問題をドストエフスキーの制作者側としての視点から考えてみると、まあ、これは別にドストエフスキーのような大作家でなくても、どんな作家でも簡単にわかることだと思うのですが、ピョートルだけ逃亡させたら読者は納得しないぞ、この逃亡は読者には容易には受け入れられないぞと感じると思うのです。
問題は、まさしくここのところなのです。
つまりは、自らの思想なり思考が、ドストエフスキーの場合は、もうここまでくると思想云云と言うよりも魂と言った方がより適切なのかもしれませんが、ピョートルの逃亡を上回ってしまう。
不等号で表せば、
自分の思想=魂>ピョートルの逃亡
です。
ここのところが、上述しましたドストエフスキーには、究極的な意味合いにおいての小説家としての変な色気がないことにつながります。
同じく僕の言う自分自身に忠実に生きるドストエフスキーの素朴さにつながるのです。
なんとなく伝わりましたでしょうか?
ここのところは芸術家として、極めて大切なところです。
商売の方でしたら、すぐにでもお客様の意向にそう形で、多少なりとも修正しなければならないところですから、でもそれはしない。
普通に、小説家としての色気をもっていたら、ここまでの巨人には到底ならない。
僕が、この人に直接訊ける機会があったら、もちろん僕などにそのような機会があるはずもありませんが、仮定です、あくまで仮定、「やっぱり小説なのでしょうか?」ということです。
なにか違うのではないかな〜、生業として仕方なくとまでは言いませんけれども、自己の本分に忠実に思想を深めたい、そしてそれを書き留めたい、ひたすらただそれのみに情熱を燃やして集中していきたい、人生をかけて埋没していきたい、そしてそれらを小説という実験道場のようなものの中で組み立てて試していきたい、でもそれはあくまで自分の思想をさらに深めたいがためだ、そこだけは絶対に譲れない。
となにかそのような感じかなあ、まあそれはあなたの意見でしょと言われれば、それはもちろんそうなのですけれども、でもそのことが、彼をただのストーリーテラーから明確に遠く隔てている訳ですし、後世にこれだけの影響を現に与えている訳です。
つまりは、ここのところ。
したがいまして、ドストエフスキーを読んで、小説家がその魅力的なスタイルをただ形式として取り入れることは (まあ、そんな方はいないでしょうけれども、一応念のため)、僕は極めて危険だと思います。
「プーシキン、ゴーゴリ、モリエール、ヴォルテールなどというような、自分自身の新しい言葉を発するために生まれてきた人たち」(一の141) とは、なんと素晴らしい言葉でしょうか!
こういう一文に出会う (そうです、それはまさしく出会いです) ために、僕は毎日ひたすら読書をしている訳です。
以上、少し休憩、のわりには大問題終わり。
2024年2月24日、25日
和田 健
後日記2:
やっぱり、上記の考察と関連して、ドストエフスキーの場合は、神の問題が、小説家としての自らの作品を上回っているように感じます。
つまりは、また不等号を使って表すと、
神の問題>小説家としての自らの作品
これに対して、通常の小説家の場合は、前作よりも、少しでもよりよい作品を書こうとして、
小説家としてのよりよい自らの作品>小説家としての自らの作品
になっているのではないでしょうか。
そして、ここの違いの中にこそ、なにか決定的なものが秘められているように思います。
2024年3月11日
和田 健

皆様、こんにちは。
大雪に見舞われた僕の住む森の中は、今朝はマイナス12℃ときりっと冷え込んだ美しい朝を迎えましたが、またまた、さまよっています、さまよっています、あり得ないことに森の中で船が、もうほとんど沈みかけようとしています(笑)。
結局、昨年9月以来のニコライ・ゴーゴリに対する興味や関心を、僕なりに追求する過程で読んだ本は、
「外套」(児島宏子訳、未知谷)
「外套・鼻」(平井肇訳、岩波文庫)
「ニコライ・ゴーゴリ」(ウラジーミル・ナボコフ、青山太郎訳、平凡社ライブラリー)
「死せる魂」(平井肇・横田瑞穂訳、岩波文庫上中下巻)
「検察官」(米川正夫訳、岩波文庫)
「狂人日記」(平井肇訳、岩波文庫)
と、ここまできてなにかが物足りなくなり、このなにかがうまく言葉では表現できず、まあ、そのような時に誰でも思いつきそうなことなのですけれども、この際、ゴーゴリの全集を買ってもう少し幅広く読んでみようと思い、いったい去年からずっと計画していた「ガラン版千一夜物語」(岩波書店) は、いつから読み始めるんだとかブツブツ言いながら、生まれて初めての慣れない Yahoo! JAPAN のオークションに少し緊張して入札してみたら、僕しか入札者がいなくて、極めて妥当かつ適正な価格で落札 (やったぞ!) できて、河出書房新社の「ゴーゴリ全集」全7巻が、自宅にどすんと届いたのでした。
以下、この全集で読んだ作品は、
「昔かたぎの地主たち」(全集第2巻)
「イワン・イワーノヴィチとイワン・ニキーフォロヴィチが喧嘩をした話」(全集第2巻) というものすごく長いタイトル
「鼻」(全集第3巻)
「肖像画」(全集第3巻)
「賭博師」(全集第4巻)
「評論」(全集第6巻)の中からいくつか
「書簡」(全集第7巻)の中からいくつか
やっぱり、ゴーゴリは画家だな、その魚眼レンズのような眼が完全に風景画家だな、ゴーゴリは余程画家になりたかったのだろうな、でも小説家になることを選択した。
ともかく伝わってくる彼の桁外れの情熱は、芸術家であれば心が満たされるなどという世間並みの一般的な欲求などでは決してなく、彼にとっては、芸術家以外の人生などそもそもの最初からこの宇宙の中に全く存在さえもしなかった、晩年は宗教に傾倒しましたけれども。
そこで、なんと言ってもやっぱり代表作なのに、なかなか入手しづらい (出版社の方方、なんで?)「死せる魂」について少しご紹介したくなって、特にその冒頭ですね、文字通り物語のこの導入部、そうです、「県庁所在地のNNという市のある旅館の門へ、ばねつきのかなり奇麗な小型の軽四輪馬車が乗りこんで来た。」のところ、これはもう練りに練り上げた上で完全に決めに入ってきたなと思って、うまく言えないけれども、もうほとんどここで勝負あったなと。
それから、何度も何度も繰り返される驚異的な自然描写 (なにしろその眼が画家だから)、風景を書かせたら、この人の右に出る者はまずいない、もう楽しんですらすらと書いている感じ、これに対して、人物の描写は非常に苦心、呻吟している感じがする、書きながらなにか自己を鍛練している感じさえする。
それから脱線になるけれども、少し気になったのは、このゴーゴリという作家は女性は書いてこない、もちろん女性は登場してきますけれども、性としての女の部分はほとんど出てこないとでも言えばよいのでしょうか。
しかしそれにしましても、僕の仕事柄、風景を書けるってすごいなあ〜、通常風景って描くものでしょう、なんと言ってもまずは観るものだから、違うのかな?
このゴーゴリ (1809-1852) の書いた風景と、印象派のオールスターの面々、例えばピサロ (1830-1903) でも、シスレー (1839ー1899) でもいいけれども、彼らの描いた風景を比べてみると面白過ぎますが、ローマを愛したゴーゴリは、偉大なイタリアの画家たちと比べろと怒り出すだろうな。
その一例を挙げろと言われれば、1842年の第一部完成後、1852年に亡くなるまでの生涯の最後の10年間にわたり、書き続けてきた執念の塊のような原稿を自ら焼き捨ててしまい、未完のため世評はあまり芳しくない第二部だけれども、この中の「春の輪踊り」の場面は美しい、あまりにも美しい、これは昔昔僕らが幼少の頃、女の子となかば無理やり手をつないでやらされた「はないちもんめ」のようなものなのかと・・・。
ここで、「死せる魂」(岩波文庫上巻) の巻末に、訳者平井肇氏のわかりやすい素晴らしい「解題」があるのですが、この中で氏は、「彼の心中では、この作が三部作の形に成長し、完成の暁には『死せる魂』は三部分に分れてダンテの『神曲』の三部分に該当した形を取るはずであった。すなわち (中略)『死せる魂』の第一部は『神曲』の『地獄篇』に相当し、(中略) 第二部は『煉獄篇』に当り、(中略) 第三部は『天国篇』に相当するはずであった。」(p.254) と書いています。
う〜ん、つまりは、解釈的には、第一部を土台としてその素材を使って、宗教的な贖罪の方へもっていきたかったのだけれども、もっていけなかった、チチコフとの共有点を見出せ得なかったからという大きな流れでよいのでしょうか?
上記の「ニコライ・ゴーゴリ」の中でナボコフは、「『死せる魂』は完成の暁、三つの表象の結合から成るはずであった。すなわち、罪と罰と贖いである。この目的を達することが絶対に不可能であったゆえんは、ゴーゴリの特異な天才がひとたび勝手に動きだしたらどんな紋切型の図式も破壊せずにはおかぬ態のものであった」(p.205) とあります。
う〜ん、つまりは、ゴーゴリは非常に感覚的な方で、やっぱり小説家というよりは画家で (もちろん言うまでもなく偉大な小説家です、一応念のため)、緻密に計算尽くで物事を進めてこないとでも言いますか、研ぎ澄まされた直感を軸に感覚的に物事の真相を瞬時に感じとるとでも言いますか、自らが創造したチチコフに、後年自らが苦しんでしまったのだけれども、それがなんなの?とでもいうような、どうなんだろう、一人の孤高の芸術家として第一部を書いた後悔はなかった、チチコフに魂の救済なんてできない、でもそれはそれで仕方がないだろう、人生は思考も思想も移り変わっていくものだから、わかりません、それはあくまでも僕の考えですから。
苦しんだであろうな、この人は。
苦しんだなんていう生易しいものではないかもしれないな、この人は。
それが晩年、宗教的な方面に傾倒していったことにも関係しているのかもしれない。
自分の中で、第二部が完結し得ないなと予感した時に、それではせめて自分という人間の魂の救済、贖罪、自分という人間の『煉獄篇』は作りたいなと思ったのかもしれない、わかりません、それはあくまでも僕の感じたことですから。
でもそのことが、1852年2月11日、最期に第二部・第三部を暖炉の中に置き、蝋燭で火をつけた。
跪いて、「やめてくれ」と頼む召使の少年に、「おまえの知ったことではない。 ーとゴーゴリ は言ったー それよりお祈りをしろ」(「ニコライ・ゴーゴリ 」p.241) につながるのかもしれません。
その魂が非常に剛直、真っ直ぐ、正直、清廉潔白、決して金のために文章を書かない、仕事を金に引き換えない。
実際問題として、最後の10年間に「友人との書簡抜萃」の刊行はあるにせよ、いったいどれほどの収入があったのであろうか?
そういう人が詐欺師を書くということ、そして詐欺師を書いたがゆえに、今度は自分が苦しむことになるということ、ここのところ。
世の中の普通の人々であれば、第二部を金に換えてしまうでしょう、家族のためだとかなんとか言って、でもそれはしない。
それであれば、せめて原稿を遺しておくでしょう、出版するかしないかは後世の人の判断に委ねますとかなんとか言って。
でもそうじゃない、断じてそうじゃない、焼いてしまう、この世から完全に消し去ってしまう、すべてはここのところです。
これは、おそらく悔恨ではないかと思う、慚愧の念、悔い、過ちですね、自らの前半生に対するところの。
なんなんだろう、この人にはなにか修道士のような厳しさ、潔癖さがある。
なにかこう、アッシジの聖フランチェスコに似通った気質を感じる。
つまり、僕の言いたいことは、原稿を焼き捨てたというその行為自体の中に、宗教的な要素がなにかしら含まれているのではないかということです。
それともそれは単に文学的な意味合いだけから行ったのであろうか?
ゴーゴリ は、人生の最期に笑えたのであろうか、魂の救いはもたらされたのであろうか、日常の何気ない出来事の中にたとえ少しでも安らぎはあったのであろうかー
「おまえの知ったことではない。それよりお祈りをしろ」!
それから話は全然変わって前に戻りますけれども、第一部第三章の馬車が泥濘にはまって道に迷い、偶然泊めてもらった先が翌朝起きてみれば、なんとコローボチカ夫人の家だったという、この流れるようななんともユーモラスな場面転換・・・、ここも実に面白い!
すべてにおいて非常に球体、転がり出てくる球体、コロコロと・・・、稀代の詐欺師チチコフ自身がまず球体。
でもここでと言うのは、もう昨年末のことになるのですが、ちょっと疲れて休憩!
そして、休憩している間に、話はまったく思いがけない方向に、これもやっぱりコロコロと・・・、「和田丸」は相も変わらずさまよい続けていくのでした。
2024年2月7日初稿掲載
2024年2月8日加筆修正
和田 健
参考までに、気になりましたので、少し調べてみましたが、ゴーゴリが原稿を焼き捨てた1852年2月11日は水曜日で、この年は閏年で2月29日があったため、その22日後の3月4日木曜日にゴーゴリ は亡くなっています。
すでに「自らが企てたハンガー・ストライキ」(「ニコライ・ゴーゴリ 」p.12)、「死に先立つ数カ月間のすごぶる徹底した断食」(同、p.14) とありますように、肉体的消耗が激しく、一概に彼の原稿焼却と死とを結びつけるのは早計であるとは思いますが、魂が抜けてしまったような虚脱感が、おそらくあったのではないでしょうか?
うん?もしかして安堵感のようなものがあったのであろうか?
長年にわたる肩の荷をおろしたような、これでいつでも死ねるぞ、その準備はできたぞとでもいうような。
もしそうであれば、上述しました焼却についての二点の考察に加えて、これはゴーゴリ の焼却行為の三点目の理由になるように思います。
すなわち、
①宗教的ななんらかの観念から焼却した。
②あくまでも文学上の意味合いからのみ焼却した。
③死期を悟った時点で、そこから逆算して焼却した。
それからもう一つ、夕方愛犬の散歩をしている時に、突然思い出したのですが、画家のジョルジュ・ルオーが自作品をやはり焼却処分しています。
我が国では書家の井上有一氏が、たしか同様のことをしています。
三者に共通する気質とはなんだろう?
潔癖さ、完璧主義、宗教性・・・。
2024年2月10日
和田 健
皆様、こんにちは。
今日、これからご紹介する文章は、名づけて「画家の眼の聖書」とでも呼ぶべきものです。
ゴーゴリについての理解を少しでも深めたいと思い、「ニコライ・ゴーゴリ」(ウラジーミル・ナボコフ著、青山太郎訳、平凡社ライブラリー) を読んでいましたが、2023年10月3日に読了しました。
この本の中で展開されるゴーゴリ論は、ロシアで生まれたナボコフが、ゴーゴリの原文を母国語として読み、それを英訳したものを、今度は青山氏が、さらに日本語に訳したものなのですが、その第Ⅲ章「われらがミスター・チチコフ」で、ナボコフが、「死せる魂」の中のプリューシキンの庭園の描写を引用しています(p.135, 136, 137) が、この荒れ果てた庭園の描写には、ちょっと度肝を抜かれました。
僕は、1年365日、森の中で生活していますので、自然がどれだけ実は不格好で、醜く、乱雑で、時として暴力的になるかと思えば、無慈悲でとても残酷でもあり、それでいながら、すべてを受け入れる包容力に、いかに満ち満ちているかを、四季を通じて実感しています。
自然は、決して、均斉のとれた整然としたものなどではありません。
均斉のとれた整然としたもの、それは例えば人為的につくられた公園です。
つまりは、自然は、決して、きれいごとではすまされない、自然は、実はなんでもありなんです。
なんでもありなのだけれども、同時に品がある、これはすごいことですよね。
なにゆえ、そのような両立が可能であるのかと言うと、ここが肝心なところなのですが、自然は、みだらではないからです、自然には、猥褻さがないからです。
僕は、このゴーゴリの文章の中に、我が家のまわりの景色を、何箇所も (そうです、実に何箇所もです!) 見つけ出しました。
そうだ、そうだ、それだ!という感じです。
そう、こなくっちゃな!
すごいなあ〜、いったい、なんなんでしょうね、この天才の眼は!
この自然描写力を自分一人だけの宝物にして、そっとしまい込んでいないで、この文章にぜひ一人でも多くの人に出会って欲しいです。
そうです、これは出会うという、もはや事件と呼んでもさしつかえないレベルなのではないでしょうか?
そこで、ここで少し、このゴーゴリの文章を、僕の仕事柄、僕なりに絵画的にみていきたいと思います。
最初は、まずはなんと言っても、このモチーフの選び方ですね、ここにゴーゴリ特有の特異な眼が、大きな特徴として、すでに十二分にあらわれています。
なんと言っても、ただの「樹木の生い茂るがままに荒れ果てている」庭園ですからね、モチーフが。
このあたりがまず、すごくゴッホ的ですね (ゴッホは、誰もが知っているような有名な作品だけではなく、ぜひとも全作品をご覧になってください、森の下生えや下草、ただの木の根っこなどもたくさん描いています) 。
この荒れ果てた庭園にも、かつては人の手が入っていたのでしょうね、でも、おそらくはそのまま放置されて、すでにもう何年も経っているのでしょう、そのことが文章の最後の方の「人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた末に」につながってきます。
まあ、この庭園=放置されっぱなしの雑木林のような感じなのでしょう。
これがゴーゴリの手にかかると、作品の立派なモチーフ「絵のような荒廃ぶり」になってしまう、まずはこの視点です、眼のつけどころ、これを題材に選んでくるのかというところです。
スノッブな画家たちは、もうこの時点で退散ですね、そんなの描いても売れないよ、ときますから。
さて、次は、出てくる色ですね、色をこれだけ観れているということ、これはちょっと尋常ではありません。
テキストの最初から順にいきますと、「緑の雲」、「白い幹」、「緑の密林」、「雪のように白い木肌」、「黝 (くろ) ずんでいるさま」、「黒っぽい鳥」、再び登場「緑の密林」、「灰色の小籔」、「緑の掌葉」で、色名が具体的に出てきているものだけで9箇所。
さらに、具体的な色名こそないものの、明らかに色を連想させる表現としては、これも最初から順に、主だったものだけでも、4度登場する「白樺」、「大理石の光り輝く円柱」、「斜めに鋭く尖った折れ口」、「帽子」、「ホップの蔓」、「細くしなやかな鉤を輪に結んで、風のまにまにゆらゆら揺れている」、「日もささない深み」、「暗い落とし穴」、「ぽっかり口をあけている」、「陰影に閉されていて」、「暗がりの奥」、「僅かに仄見えるもの」、「老い朽ちて洞ろになった柳の幹」、「透明に火と燃え立たせ」、「濃い闇」、「燦然と輝かせていた」、「鴉」、「枯葉」などといったところでしょうか。
さて、今度はこの色を実際に、今ここで、パレットの上に出してみましょう。
結局、パレットに並ぶ色は、緑色、白色、黒色、灰色。
「透明に火と燃え立たせ」や「燦然と輝かせていた」で暖色を1つか2つ、まあ、ここでは代表的な赤色と橙色にしておきましょう。
「枯葉」で大まかに言って茶色か黄色。
これって、実に美しいパレットです、絵画成立に向けた素晴らしいラインアップなのですが、ゴーゴリさん、3原色の青色系がない!
ご存知のように青色だけは作れませんので、これにはちょっと困ります。
灰色は黒色と白色で、橙色は赤色と黄色で、それぞれ作れますから、別になくても構いません。
まあ、一口に青色と言っても、様々な種類がありますが、青色があれば、赤色があるのですから、紫色も作れますし、3原色を全部混ぜて黒色も作れますので、白色さえたっぷりと確保しておけば、ここは、絵画的には、パレットの上に、青色系がどうしても欲しいところです。
画家であれば、おそらくは、なかば本能的に、もうすでにすっとパレットの上に、青色をチューブから出してきているところです。
それではここで、青色欲しさに、じゃあ空の青色でいこうとか、一般的に (単純に) もってくると、もうそれはゴーゴリの世界から遠く離れてしまい、ゴーゴリさんに激怒されそうです。
うん?わざと?故意に?
う〜ん、でも、ゴーゴリさんが、わざと青色を使わなかったのだとしましたら、この場合は、その理由が特にないように思いますので、ここはやはり、ゴーゴリさんのパレットの上には、今回は、青色系がなかったのではないでしょうか?
さあ、それでは、問題です。
あなたは、どこを塗りますか、青色で?
考えていただけましたか?
それでは、いよいよ (待ってました)、ゴッホさんに訊いてみましょう!
ここでは、彼の数ある「Sous-bois」 (森の下生え、下草くらいの意味です) 作品の中から、例として、亡くなる前月の1890年6月に、オーヴェル=シュル=オワーズで描いた作品を選びます。
画布に油彩、大きさは、50×100.5 cm です。
うぉ〜っ、そこで、きたかー、きれいだな、天才だな、本当にきれいだ、青色、青色、青色のまさにオンパレードじゃないですか!
それにしましても、ゴーゴリのこの豊かななどというものではないですね、異常に発達した色彩感覚は、いったいどこからきているのでしょうか?
ウクライナの高等中学校時代に絵画に熱中したことからきているのでしょうか?
それとも、サンクトペテルブルクで、週に3回美術アカデミーに、実際に通ったことからきているのでしょうか?
でも、僕は、そうしたことももちろん影響しているとは思いますが、19才くらいまででしょうか、多感な時期を過ごしたウクライナの村の風景や気候、風土、なにかそうしたものの方が、直感的には、ゴーゴリに強い影響を及ぼしているような気がしますが、とくに根拠がありません。
つまりは、わかりません、僕には。
しかし、このウクライナのヴェルィーキ・ソローチンツィという村、ウィキペディアで早速、調べてみましたが、なにかいかにも天才が生まれそうですね、これで幼少期病弱であったりすることが重なると、天才が出てくる典型的なパターンですね。
天才は、自然豊かなところで育たないと、なかなか生まれてきません。
都市部からある一定の比率で (と言いますのは、結局は、それが正規分布であるからですが) 生まれてくるもの、それは秀才です。
3つ目は、(他の箇所にもあるのですが) ホップの蔓が大変象徴的ですが、画面ではありませんね、紙面がもう揺らいで、波打ってきていますよね、蔓が螺旋状に渦を巻いて上へ下へと大騒ぎをしている、蔓は運動やエネルギー、所有や依存と言ったようなものの流れの象徴ですから。
このあたりも、ゴッホの渦巻く絵画の特徴とすごく似ている。
ここで、僕は思うのですが、なにゆえにゴーゴリは、リアリズムの租なのでしょうか?
僕は、すごく疑問に思うのです、この庭園の描写は、もっとなんて言えばよいのか、そう、すごくモダンですよね。
まるでゴッホの絵画のように、桁外れにモダンですよね。
彼が、これだけ色を観れるということ自体が、なによりもそのことを証明しているように思います。
「外套」を読んでいても思うのですが、例えば、モダニズムの先駆者とでも呼ばれているのでしたら、まだしもわかるのですが。
この件につきましては、自分なりの見解や推測があるのですが、今、ちょっとそれはやめておきます。
この庭園の描写の結論は、「一言にしていえば、何もかもが素晴しかった」の一文に、結局は、行き着ついてしまうとは思いますが、個人的には、濃い闇の中で、透明に火と燃え立ち、燦然と輝く楓の一枚の葉裏にこそ、究極の到達点があるように感じます。
いずれに致しましても、これだけの美しい文章が、ただそれだけで終わってしまうのであれば、非常にもったいないことですので、こうして、3点ほど考察してみました。
さて、おしまいに、実際の文章のご紹介です。
前半が、ナボコフの英訳を青山氏が日本語に訳したもの、後半が、まったく同じ部分の岩波文庫版で、平井肇氏の訳です。
ただし、現在の岩波文庫版の昭和52 (1977) 年に、横田瑞穂氏の改訳がなされる以前の、青空文庫に入力されている平井訳です。
この平井肇という方の訳がどれだけ正確ですごいか、「死せる魂」の初版発行は、昭和13 (1938) 年になっていますので、ロシア語から直接日本語に訳されているわけですから、当時の時代背景などを考慮に入れますと、どれほど驚異的なことか、合わせてご堪能ください。
2023年10月8日
和田 健
ナボコフ英訳→青山訳
邸の裏手に始り、部落のうしろへずっとひろがって、末は野に消えている古い広大な園は、樹木の生い茂るがままに荒れ果てているが、どうやらこのだだっ広い村に生気を添えている唯一つのものらしく、その絵のような荒廃ぶりでひとり精一杯の美を放っている。勝手放題に伸び拡がり塊をなした樹木の梢は、緑の雲となって、また木の葉そよぐ不規則な円屋根の連りとなって、地平線に横たわっている。暴風か落雷にもぎ取られたらしく頭のない白樺の巨きな白い幹が一本この緑の密林から身をもたげ、ちょうど均斉とれた大理石の光り輝く円柱のように、すべすべした丸味を空中に曝している。天辺で柱頭の代りをしている斜めに鋭く尖った折れ口が、雪のように白い木肌と対照的に黝(くろ)ずんでいるさまは、まるで帽子か黒っぽい鳥のようである。ホップの蔓が下ではにわとこやななかまどや榛の繁みを窒息させたのち、棚という棚の天辺を這い回った挙句、最後に上へよじのぼって、折れた白樺の半ばあたりまで巻きついている。幹の中程まで達するやそこから下へ垂れ下り、今度は他の樹々の梢に絡みついたり、あるいは宙にぶら下り、その細くしなやかな鉤を輪に結んで、風のまにまにゆらゆら揺れている。日の光を浴びたこの緑の密林がところどころ両方へ分れて、その間から日もささない深みが、まるで暗い落し穴のようにぽっかり口をあけている。そこはすっかり陰影に閉されていて、暗がりの奥に僅かに仄見えるものといえば、細い小径、壊れた手摺、倒れかかった四阿、老い朽ちて洞ろになった柳の幹、その背後からあんまりひどく茂ったため枯れ萎びて縺れ合い絡み合っている葉と枝を密な剛毛のように突出している灰色の小籔、はては横合いから緑の掌葉を差し出した楓の小枝などだが、そんな楓の一枚の葉裏にどういう具合にか分からないが日光が入りこみ、この葉を思いがけなくも透明に火と燃え立たせ、この濃い闇の中に燦然と輝かせていた。いっぽう園のいちばん端れには、他の樹木とは不釣合いに背の高い白樺が数本、そのさやさやと揺らめく各々の梢に巨きな鴉の巣をのせている。それら白樺の中には、枝が引き裂けたまま幹からすっかり離れもせず、枯葉をつけたままだらりとぶら下っているのもあった。一言にしていえば、何もかもが素晴しかった。それは自然の風致も人工の妙趣もついに及ばず、ただ両者が結びついた時にのみ見られる佳さで、人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた末に、自然が最後の仕上げの鑿を揮って、重苦しい魂を崩し、赤裸々な構図の見えすいている野暮な正しさや惨めな欠陥を除けて、きちんと寸法を測ったように清楚なだけが身上の血の気のない人工に、いみじき暖かさを添える時、初めて生まれる美しさである。(第六章)
平井訳
邸の裏から始まり、部落(むら)の後ろへずっとひろがって、末は野原につづいている古い広大な園は樹木の生い茂るがままに荒れ果ててはいるが、どうやら、そのだだっぴろい村に生気を添えている唯一のものらしく、荒れ果てた絵のような姿で、ひとり精一杯の美を放っている。伸び放題に繁茂(はんも)した樹々の梢は、さながら緑の雲か、木の葉のさやさやと顫える不規則な円頂閣の形に群らがって、空高く浮かんでいる。緑の密林の中から、暴風(あらし)か落雷のためにぽっきり折れたらしく頭のない巨きな白樺の白い幹が一本、キラキラと光る形のいい大理石の円柱のように空中に聳えている。柱頭(カピテル)の代理をつとめる尖った斜めの折れ口は、雪白の木肌に対して帽子か、それとも黒い鳥のように、どす黒く見えている。蛇麻草(ホップ)の蔓が下では接骨木(にわとこ)やななかまどや榛(はしばみ)の繁みをすっかり枯らしてしまい、それから柵という柵の天辺を匍(は)いまわった挙句、上へよじのぼって、折れた白樺を半ばまでぐるぐる巻きにしている。幹の中ほどまで登ると、そこから下へ垂れさがって、今度はほかの木々の梢にからみつきはじめたり、または空中にぶらさがって、己れの細くて粘っこい巻蔓(ひげ)を輪にして、風のまにまにゆらゆらと揺れている。この日光を受けた緑の森がところどころで両方へ分れて、その間から日もささない空洞(うつろ)が、まるで暗い落し穴のように、ぽっかり口をあけている。そこはすっかり暗い陰影(かげ)にとざされていて、暗がりの奥に僅かに仄(ほの)見えるのは、真直ぐに走っている細い小径や、壊れた欄干や、倒れかかった四阿(あずまや)や、老い朽ちて洞ろになった柳の幹や、柳の後ろから濃い剛毛(あらげ)のように顔を突き出している白毛頭の雀苧(すずめのおごけ)や、あまりひどく茂っているため枯れ萎びて縺れあい絡みあっている木の葉や枝、さては横合いから緑の掌葉を差し出した楓(かえで)の小枝などであるが、楓の一枚の葉裏に、一体どうしてなのかは、まるで分らないが、不意に日光が映(さ)して、パッとそれを火のように透明なものに変えて、濃い闇の中で燦然と輝かせた。一方、園のいちばん端(はず)れには、他の樹木とは不釣合いに背の高い白楊(はこやなぎ)が四五本、そのさやさやと揺らめくおのおのの梢に大きな鴉の巣をのせている。その白楊の中には、枝が引き裂けたまま、幹からすっかり離れもせずに、病葉(わくらば)と一緒にだらりと下へ垂れさがっているものもあった。一言にしていえば、何もかもが素晴らしかった。それは自然の風致も人工の妙趣もついに及ばず、ただその両者が結びついた時にのみ見られる佳(よ)さで、人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた後に、自然が最後の仕上げの鑿を揮(ふる)って、重苦しい塊まりを崩し、赤裸々な構図の見えすいている野暮な正しさや惨めな欠陥を除けて、きちんと寸法を測ったように清楚なだけが身上の血の気のない人工に、いみじき暖かさを添える時、初めて生まれる美しさである。