Archive for March, 2024

ドストエフスキー(1821-1881)の「悪霊」(1871-1872)を読んで 最終回「キリーロフとお茶」その1

Posted in Essay 2012-2024 with tags , , , , , on 27 March 2024 by kenwada

(第四回から続く)

皆様、こんにちは。
最終回は、実に味わい深い「キリーロフとお茶」です。

はじめに、ドストエフスキーの作品の中には、実際にさまざまな問題点があると思うのですが、例えば、この「悪霊」の中でも、ピストルを売りに行ったシャートフが、リャームシンに向かって言いますよね、「なんだ、折紙つきのユダヤ人のくせに。」(四の232)
また、懲役人のフェージカが、ピョートルに対して「お前さんは偶像崇拝者 (でくおがみ、と読み仮名がふってあります) だ、だから、ダッタン人やモルドヴァ人と同列なんだ。」(四の186) などなど。
こういうのを読むと、具体的に名指しされたこれらの民族の現代に生きる人たちは、要するに子孫の方たちですね、はたしてどのような感情をもって、ドストエフスキーの作品を読むのだろうかと思います。

これらの剥き出しの民族感情の問題 (これはナショナリストとしての一面の言わばコインの表と裏ですね) は、ここで一旦別にしまして、ドストエフスキーの天才としての能力が、ちょっと超弩級と言いますか、前代未聞レベルにあることも同様にまた事実であると思います。
そして、小説家として物語全体を構成してくる比類なきその能力を、如実に示しているのが、これからご紹介する「キリーロフとお茶」なのではないでしょうか。

え〜と、まず、結論から言ってしまいますと、僕は機織りのことは残念ながらよくわかりませんが、これは、お茶という実に味わい深い小道具をキリーロフに用意させることによって、物語全体に横糸をはりめぐらせておきながら、今度は縦糸で、新約聖書の「ヨハネの黙示録」(以下、単に黙示録にします) へと、その一つ一つの場面を掘り下げていく、そのようにして、横糸と縦糸を交互に織り込みながら、作品という一枚の布を編み上げてきていますね。
(機織りに詳しい方で、横糸と縦糸の言葉の使い方に、違和感がありましたらごめんなさい。)
つまりは、最終的に黙示録の「なんじラオデキヤの教会の使者に書おくるべし」(三の166、167、四の351) に集約したいがために、ドストエフスキーが温度の加減を調節できるお茶という飲み物をここに持ち出してきたことは明白で、これが例えば本文中に実際に出てくる他の飲み物である、シャンパン (一の18と45)、ウォートカ (一の68他複数)、赤ぶどう酒 (三の48)、ぶどう酒 (三の49)、コニャック (三の109)、ビール (四の172) などではだめな訳です。
もちろん改めて言うまでもなく、キリーロフが、シャートフのように、特になにも飲まないという設定では、どこへも織り込んでいけません。
ドストエフスキーが、これほどしつこく何度も「キリーロフとお茶」をセットしてきている以上、そこに示唆、暗示、ほのめかしがあることは明らかであると思いますし、特にドストエフスキーの場合は、第三回の「カルマジーノフ氏への徹底批判」にもみられますように、執拗に何度も繰り返してきたら要注意です。
それを踏まえた上でも、なおかつただ単に「キリーロフってよっぽどのお茶好きなんだね」っていうのは、僕はちょっと読み込みとしては若干甘いような感じを受けます。

これは、気づいてみますと、別にどうってことはないと言いますか、ドストエフスキーはなにも奇抜な突拍子もないことを考え出してきた訳ではないのですが、まずは制作者側としてのこの日常生活に非常に密接した「茶」を用いるという発想ですよね、ここに並外れたものを感じますし、また、当然と言いますか、それを努める役はキリーロフをおいて他にいないだろうという、この役者の選択、人選ですね。
これは僕の仕事である絵画の分野で言いますと、りんご一つでパリ中を驚かせてみせるというセザンヌの発想にとてもよく似ています。
そんなもん、お茶で十分だろ、お茶で十分に黙示録にもっていけるというドストエフスキーの感覚です。

そこで決定的な問題になるのは、お茶の必然性ですね、どうしてお茶の場面をたびたび挿入してくるのか、別になければないで構わないのではないのか、必要ないのではないのか、なにも困らないのではないのか、単発的に黙示録を時折はさみこんでくればそれでよいのではないのか、という疑問に対する答えですね。
問題は、まさしくここのところ、この一点ですね。
これなのですが、上記の横糸と縦糸の関係で、縦糸 (黙示録) だけですと、ドストエフスキーはやはり物語の複合体としての重厚さに欠けるとでも言いますか、縦糸だけのバッサリした布地=作品になってしまい、物語としてのつや、光沢、輝き、面白み、味わい、奥深さなどといったような複合的な魅力に欠けると判断したのではないでしょうか。
ですので、横糸 (お茶) が、どうしても必要であると。
他にどのような理由が考えられるのだろう。
まさか、ノンアルコールでないと、キリーロフが人神論を展開するのに都合が悪い、そんな理由ではないでしょう。

それでは、順にみていきたいと思います。

1. Gによるキリーロフのお茶訪問
(略してジキリ茶、すみません、つまらない遊びです)

まずは、第一ラウンド、カーン!
お茶が出てくる非常に印象的な最初の場面 (キリーロフが出てくる最初の場面ではありません) ですが、わたしことGが、キリーロフの住む離れの部屋を訪れますよね、この場面のGの描写が大変素晴らしいので、そのままここに引用いたします。

『「僕は茶でもなにされるかと思っていました。」と彼は言った。「僕、茶を買ったです。おいや?」
私は辞退しなかった。間もなく古女房が茶を持って来た。というのは、熱い湯の入った素晴らしく大きな土瓶と、ふんだんに茶を入れた急須と、俗な模様のついた無骨な茶碗二つと、大きな丸パンと、皿いっぱい盛った割り砂糖とであった。
「僕は茶が好きです」と彼が言った。「夜ね、やたらに歩いては飲むんです。夜が明けるまで。外国にいると、夜の茶は都合が悪いですね。」
「あなたは夜明けにお休みになるんですか?」
「ええ、いつも。僕はあまり物を食べないで、茶ばかり飲むんです。リプーチンは狡猾だけれど、せっかちですね。」』(一の192)

Gが辞退しなくてよかったですね、辞退していれば、物語がここで終わってしまいますので (笑)。
余談になりますが、ロシアの茶の歴史について少し調べてみましたが、これはおそらく紅茶のことですね。
また「割り砂糖」のところで、思わずゴーゴリの「死せる魂」の中の鮮やかな一場面 (第一部第一章の女中頭と蠅のところ) を、咄嗟に思い出しました。
それから、この後、二度ほど出てきますので、最後は病院に入る (三の66) この「古女房」に注意です。

ドストエフスキーは、この最初のお茶の場面で、キリーロフが大変なお茶好きであるという前提を、読者にしっかりとイメージさせようと、その定着を図ってきているように思います。
それは、「ほとんど乞食のような貧しい境涯にいる」(二の54) キリーロフなのに、大変なお茶好きであるということを読者に馴染ませるためには、どうしても必要不可欠であると。
そして、そのためには最初の訪問者は、第三者的なこの物語の説話者であるGをおいて他にはいないと。

ここで、Gがキリーロフの部屋に入ったのは、まあ、これは「偶然にもキリーロフ氏に行き会った。」(一の191 ) のですが、夜の七時過ぎです。
ですので、これは僕の推測ですが、「僕、茶を買ったです。」の茶を買った日は、おそらく当日のことではないかと思われます。
最初、このあまりにも唐突な「僕、茶を買ったです。」の意味が、僕にはすぐにわかりませんでした。
第一回にも書きましたように、ドストエフスキーの場合は、常に台詞の裏の意味を推し量ってこなければなりませんので、「乞食のような貧しい境涯にいる」キリーロフが大好きな「茶を買った」ということは、いつもは気難しいキリーロフだけれども、この日はまず大変機嫌がよかったと解釈すべきです。

さらには、もう一点、ドストエフスキーが含ませている意味が感じとられて、貧しいキリーロフが茶を買えたということは、なにがしかの臨時収入があったのではないかということをも、ほのめかしているのではないでしょうか?
それであれば、それはいったいなんの収入なのか?
額面通り「建築技師」(一の152) としての収入として受け取ってよいのか?
よくないですね、違うと思います、と言いますのは、リプーチンの言葉「今度こちらへ見えたのは、ここの鉄橋架設工事に口が見つかるという、確かな当てがあったからなんですよ。目下さきの返答を待っておられるのです。」(一の154) とありますように、実際にはまだ働いていないからです。

そして、ここが肝心なところですが、熱い、ぬるい、冷たいなどの茶の温度の加減については、まだこの最初の段階では、ほとんど言及されていないことです。
ドストエフスキーは意図的に、この最初の場面では、茶の温度には、あえて触れてきていないように感じます。
まずは、その前に、しっかりと土台作り、基礎を固めてからとでもいったところでしょうか。

立ち上がって、帽子を取り、部屋を出て行こうとするGに向かって、キリーロフの『「あなたは僕の兄に似ていらっしゃる、非常に、大変」(中略)「七年前に死にました、兄貴です。非常に、非常によく似てらっしゃる。」』(一の199) も味わい深いです。
つまりは、七年前に兄が亡くなって、その後、キリーロフは「外国に四年」(一の154) だか、「外国に五年」(一の199) だか滞在しているのですね、ここのところ。

2. ニコライによるキリーロフのお茶訪問
(略してニコキリ茶)

さて、いよいよ第二ラウンド、カーン!
ここでドストエフスキーは、第一ラウンドで前提になる条件は整えておいたぞとばかりに、茶の温度の加減を連発してきます、当初からの全体構想通りだぞと、まるで言わんばかりです。
夜の九時半から着替えを始めたニコライが、ボゴヤーヴレンスカヤ街の「黒く古びたフィリッポフの持ち家の、閉め切った門の外へ立ち止まった時は、すでに十時を過ぎていた。」(二の47, 48) から始まって、
『「スタヴローギン君?」手に毱を持って、床から起きあがりながら、いささかも驚く色なくキリーロフはこう言った。「お茶を飲みますか?」(中略)
「結構ですね、もし冷たくなかったら」とニコライは言った。(中略)
「温いです、いや、熱いくらいです」とキリーロフは得意そうに引き取った。(中略)
ニコライは席に着いた。なみなみとついだ茶碗を、ほとんど一息に飲み干した。
「まだ?」とキリーロフがきいた。
「ありがとう。」』(いずれも二の49, 50)

うまいなあ〜、読書の極上の魅力、ここに極まれり!という感じですね。
もちろん、キリーロフのこの「得意そうに引き取った。」に注意です。
さて、これだけを読みますと、茶の温度がどうだとか、そんなことばかり話しているような印象を受けますが、そこはなんと言ってもドストエフスキーですからね、これら一連の会話の裏の意味の読み取りに、黙示録を暗示してきているように感じます。
ちょうど僕の仕事である絵画の場合で言いますと、補色の関係に非常によく似ています。
これが、生涯基礎基本、原理原則を貫いたような天才アンリ・マティスのような場合ですと、赤色系のそばに緑色系をおいてきてくれますので、比較的わかりやすいのですが、ドストエフスキーは、どちらかと言うと、同じ天才でもピエール・ボナールのタイプです。
つまりは、赤色系からやや離れたところに緑色系をおいてくるので、両者の関係の読み取りに一瞬まごつくのです。
赤はわかった、それで、緑はどこだどこだという感じになるのです。
この場合も、やや離れた会話のところで、ニコライが突然キリーロフに尋ねます。
「黙示録の中で、一人の天使が、時はもはやなかるべし、と誓っていますがね。」
「知っています。あれは全く非常に正確な言葉です。明晰で的確です。完全な一個の人間が幸福を獲得した場合、時はもはやなくなってしまいます。必要がないですものね。非常に正確な思想です。」(二の57)
ドストエフスキーにしてみれば、これだけほのめかしておけば、茶の会話の裏の意味の読み取りはできるだろうと、わかったか、ちゃんと示唆しておいたよな、という感じなのでしょう。

ただし、ここのところがすごくドストエフスキー的なのですが、いきなり「なんじラオデキヤの教会の使者に書おくるべし」のところは出してこない。
ドストエフスキーは、黙示録の中の別の箇所を出してくる。
それはまだ先だよ、「ラオデキヤ」の登場は、でも、もうわかるだろう、ああ、これは確実に裏をとってつなげて来るだろうなっていうことが!とでもいうところでしょうか。

ここで少し余談になりますが、このキリーロフという「建築技師」は、男からみると、すごくいい奴ですね。
自らの思想に殉じて、「まだ二十七かそこいらの若い男」(一の153) なのに、勝手に死んでしまいましたが。
「生後一年半ばかりの赤ん坊」(二の49) と、「ハンブルグで買った」(二の56) 「大きな赤いゴム毬」(二の49) で遊んであげて。
この赤いゴム毬の場面 (名場面ですね) は、キリーロフが幼い子供と遊ぶ姿を通じて、ドストエフスキーはそれを見つめるニコライに、どれだけ生活を愛する心がまだあるのかを、逆に問いかけている気がします。
そのことが、ニコライのキリーロフへの「じゃ、君は生活も愛してますね?」(二の56) の問いにつながります。
「キリーロフ君、君は非常に幸福らしいですね?」
「ええ、非常に幸福です。」(いずれも二の57)

(ここでさらなる余談になりますが、この「赤いゴム毬」の赤なのですが、ドストエフスキーは、「未発表の章」の『スタヴローギンより』(三の172) の中に出てくる「小っちゃな赤い蜘蛛」(三の186)、「小さな赤い蜘蛛」(三の194) の赤と掛け合わせてきていますね。
つまりは、時系列に整理しますと、ニコライは、まずペテルブルクで赤い蜘蛛を見て、次にキリーロフのこの家で赤いゴム毬を見る、ここで象徴としての赤をオーバーラップさせておいて、今度はキリーロフの「ほら、蜘蛛が壁を這ってるでしょう。」(二の60) で色を抜く、赤い蜘蛛→赤いゴム毬→色の指定なしの蜘蛛。
うまいなあ〜!やっぱり、この辺りが天才の天才たるところだな。

キリーロフの蜘蛛に色をつけなかった理由は、おそらくですが、ここでもう一度赤い蜘蛛と書くと、読者がその点と点のつながりを容易に察知してしまう恐れがあるからで、絵画で言えば、ドストエフスキーとしては、うっすらと見えるか見えないかくらいの斜線を、ここに密かに引きたかったのではないでしょうか。

この赤いゴム毬は、最後、図々しいピョートルがもらうのですよね (三の68)。
この場面のリズムの不自然さ、ドストエフスキーは、確実になにかのメッセージをここにこめてきています。
なんだろう、この意図は?
なぜピョートルがだしぬけに赤いゴム毬をもらい受けるのであろうか?
ここを額面通りに、ピョートルの「僕も体操がしたいんですよ。」(三の68) と受け取ると単純過ぎるように思います。
う〜ん、ここは非常に難しい、元に返しているのであろうか、元の赤い蜘蛛に、逃亡するピョートル、海外に高飛びするピョートルに赤い蜘蛛。
その意図は元に返して、このピョートルはまずは赤い蜘蛛のペテルブルクに逃げるぞ、その後、今度は赤いゴム毬を買ったハンブルグ、すなわち、どこだたわからないけれども海外へと高飛びするぞ、赤いゴム毬を追え!ではありませんが、逃亡者のシンボルとして、ピョートルにくっつけておいてやろうという暗示です。
さらにこの後、ピョートルが自殺したキリーロフの死体を見るために、「マッチの赤い大きな箱」(四の303) で、「ろうそくの燃え残りに火をつける」(四の304) 場面も出てきますね。
最初は、赤い蜘蛛の箇所ですから、ドストエフスキーはニコライの少女凌辱の一節との関連を、ピョートルになにか重ね合わせようとしてきているのかなと考えていたのですが、そうではなくて、単に逃亡や追跡の象徴くらいの意味であれば、ここでさらに大きな問題が出てきて、今までは「悪霊」の執筆開始時からの構成であったと普通に考えていたのですが、ドストエフスキーはいったいどこの時点で、最終的にピョートルだけは逃亡させると決めてきたのであろうか?)

ニコライは、介添人になることを頼むくらいですから、当然そうなのでしょうけれども、キリーロフに対しては、一目置いていますね。
全篇を通じて、ニコライが敬意を払っている相手は、チーホン僧正を別にすれば、まずキリーロフくらいなものではないでしょうか。
「あなたは強者じゃありません。お茶でも飲みにいらっしゃい。」(二の155) という決闘後のニコライに対するキリーロフの対等な言葉もいいですね。

そして、キリーロフと同様に、シャートフもやはり生活を愛していますね。
身籠ったのはニコライの子なのに、マリイのお産の時のちょっと尋常ではないはしゃぎぶりや、『「エルケリ君、可憐なる好少年!」とシャートフは叫んだ。「君はいつか幸福だったことがあるかね!」』(四の252) などからも、そのことがありありと滲み出ています。

でも、ニコライには、それが感じられない。
そこで、ドストエフスキーは、この三者の年齢を二十代後半に大体そろえることによって、ある程度、比較対照しやすいように設定してきている感じがします。
まあ、リプーチンのように「もう中年の県庁役人」(一の45) では、ちょっとやりにくい。
ちなみに、参考までに、キリーロフが上記しましたように「二十七かそこいら」、
シャートフが「二十七か八」(一の47)、
ニコライはGが「四年前はじめて見た時と同じように」(一の316) で、はじめて会った時は「年のころ二十五ばかり」(一の67) なので、二十九くらい。
ちなみに、ピョートルもやっぱり「年のころ二十七かそこいらの若者」(一の312) です。

長くなりましたので、第三ラウンド以降は、また次回にいたします。

2024年3月27日
和田 健

ドストエフスキー(1821-1881)の「悪霊」(1871-1872)を読んで 第三回「カルマジーノフ氏への徹底批判」、最四回「ピョートルの逃亡」

Posted in Essay 2012-2024 with tags , , , , , on 19 March 2024 by kenwada

(第二回から続く)

皆様、こんにちは。
なんだかとても長くなってきました (笑) ので、第三回「カルマジーノフ氏への徹底批判」と、第四回「ピョートルの逃亡」の二回分につきましては、予定していた内容の概要だけにしまして、ここに簡単にご紹介させていただきます。
本当は、レジュメのようなものを書きたかったのですが、自分にはレジュメは書けない、なにかの会議ではあるまいし、書いていてもまったく面白くもなんともないということが、書きながら実によくわかりました (笑)。

現在は、最終回の大一番「キリーロフとお茶」に集中しています。
書きながら次第に課題がふくらんできて、この際、腰を据えてヨハネの黙示録関係を含めた新たな関連書籍も合わせて読んでみようと思い、そうなりますと書き終わるのが、もうちょっといつのことになるのやらわかりませんが、まあ、半年もしてここに掲載されていませんでしたら、「ああ、書けなかったんだな」とでも思ってください。

人間は、自分で設定したテーマに向かって、こうして関連書籍や研究書を読んでいる間は、僕のような者でも、たとえ少しずつでも成長していくことができるように感じます。

あと、もう一つ、これは自分に向かっていつも肝に銘じていることなのですが、僕がこうして書いていることは、間違っているかもしれません。
人間は、「私は/僕はこう思う」と、その時に真剣に考えたことを言ったり、または書いたりしますが、ただ、それは大変残念ながら間違っているかもしれませんよね。
と言いますか、多くの場合において、人間は真面目に話しているのだけれども、たびたび間違えるのではないでしょうか?
なにか基本的に、もうそういう生き物であるとでも言いますか。
その可能性をついうっかり見落として、「私は/僕はこう思う、よってそれは絶対に正しい」となることは、とても危険だと思います。
なにか最近、そのような人をよく見受けますので、老婆心から一応、念のため。
それでは、第三回から。

第三回「カルマジーノフ氏への徹底批判」

カルマジーノフ氏が誰のことであるのかが周知の事実であるため、これはいくらなんでもドストエフスキーは、ちょっとやり過ぎではないでしょうか?
まあ、頭にきて一度や二度くらいならわかるのですが、ほとんど全篇を通じてという感じで、あまりにもやっつけ過ぎ、これでもかというくらいの執拗なまでの波状攻撃です。

両者の間にどのような軋轢や確執があったのかは、いかにも専門家の研究テーマになりそうなことですので、そこは研究者の方におまかせして、ドストエフスキーの側からこの過剰なまでの反応の理由について、「大文豪」(一の140) をキーワードにして考える内容です。
つまりは、ドストエフスキーにとっては、過剰なる反応ではなかった訳ですから。
これを書いたら絶交、下手したら決闘になるということは十分にわかっていたはずですから。

研究者の方におまかせしてと言うわりには、自分でもすぐに調べたがるところが僕にはあって、このことにつきまして、なにか手がかりになるようなものはないかと思い、アンナ夫人の書いた「回想のドストエフスキー」(みすず書房、1、2巻) を久しぶりに読み返してみました。
しかしそれにしましても、この本はドストエフスキーの人となりを知るためには、改めて最良の基本資料ですね、素晴らしいです、などというような月並なことが言いたいのではなくて、まるでドストエフスキーの息遣いまでもが聞こえてくるような、肌のぬくもりまもでが思わず伝わってくるような、まさにそんな感じさえ受けます!

速記者として45才 (厳密には出会ったのは誕生日の前なので44才) のドストエフスキーと出会い、「賭博者」の口述筆記を始めたまだ20才のアンナ夫人は、1866年のドストエフスキーの言葉をこう記しています。
「ツルゲーネフについて、第一級の才能の持主にはちがいないが、外国生活が長いので、ロシアとロシア人のことがわからなくなってきているのが残念だと言った。」(第1巻の45ページ)
ですので、この時点では、まだそこまでは激しくなかった気持ちが、4年間の国外生活を始めた1867年に「ツルゲーネフに会い、衝突する。」(第1巻の244ページ) ことになったのですね。
両者の軋轢や衝突の細かい経緯につきましては、第1巻の230~232ページにわたる注25の中に詳しく書かれてあります。

また、「ツルゲーネフからの借金」(第2巻の126ページ) という一節もありますが、これはもう1876年の話ですから、これではありませんね。
それよりはむしろ、『「悪霊」は読書界に大きな評判を呼んだが、同時に、これによって文壇に多くの敵をつくったことも事実だった。』(第2巻の45ページ) の方がより切実です。
そりゃ、敵を作るでしょう、これだけしつこく攻撃すれば。
このこと一つをとってみても、僕が第一回、第二回でこれまでに考察してきましたように、ドストエフスキーには、小説家として体裁を取り繕ったり、変な色気を示したりすることがないということにつながるかと思います。
普通、わかるでしょ、こんなに書いたらまずいぞって、これは間違いなく身の破滅、崩壊を招くぞって。
僕はそれをドストエフスキー独自の「究極の素朴さ」であったり、「自分自身の本分に忠実」であることなどの観点から考えているのですが、いったいなんなのでしょうね、それを一時的にではなく生涯にわたってつらぬけるものって、本当にどのようなものなのでしょうか?

これはおそらく直感的に、文学に対する情熱、パッションなど・・・、まあ呼び方はなんでもよいのですが、そのようなものからきているのではないように感じます。
それよりは (癲癇の発作との関連のことまではわかりませんけれども)、むしろ負のベクトルとでも呼んだらよいのでしょうか、人間としての苦悩や悲しみであったり、なにかそうした陰鬱なものの方面から永続的にもたらされているのではないでしょうか。
この極端なまでの偏執や執着は、癲癇の発作との関連というよりは、僕はむしろ病み難い賭博への熱情に通底している感じをなにか受けるのです。
根拠ですか?根拠ねえ、根拠、根拠って、芸術活動ですからね、前提として根拠が絶対に必要である仕事は、もちろん存在するとは思いますけれども。

ちなみに「悪霊」の本文では、物語の説話者である私ことGは、「私はカルマジーノフを子供の時分から愛読していた。」(一の140、141) 云云とGの年齢をかなり若く設定していますが、実際には両者の年齢は、3才しか違わないのですよね。

ここで、カルマジーノフ氏の問題からは少し離れますが、
①ドストエフスキーが「悪霊」について、「いま『ロシア通報』のために書いている作品には、大きな望みをかけています。だが、それは芸術的な面からではなくて、傾向的な面からです。」(第1巻の208ページ) ととらえていたことや、アンナ夫人の「傾向的な小説は、おそらく肌に合わなかったのだろう。」(第1巻の209ページ)
②夫人の弟の話をもとにしてシャートフの最期の洞穴の描写が書かれたこと (第1巻の209ページ)
③「いつものように夫は自分の仕事に不満で、何度も改作し、印刷紙で十五枚ばかりも破棄したほどだった。」(第1巻の209ページ)
また「その出来ばえには不満で、まえの構想を捨てて第三篇全体を書きなおした。」(第2巻の45ページ) ことなどの証言は注目に値すると思います。

ちなみに、この①の「傾向的な」の解釈ですが、当時の無神論的な風潮の中で、ドストエフスキーが神の存在の問題を中心に展開していった観点からしますと、時流に敏感な時事問題をめずらしく主題にしてとでも言いますか、ジャーナリスティックな特質を今回の「悪霊」は備えているとでも言いますか、まあ、大体そのようなところでしょうか。

ちなみに、ドストエフスキーの思想や意識の体系につきましては、なんと言っても個人雑誌であるところの「作家の日記」(ちくま学芸文庫全6巻) が一番だと思います。
引き続きまして第四回。

第四回「ピョートルの逃亡」

これにつきましては、第一回の「豚のむれ」の後日記1の中でも触れましたが、この問題について、もう少しきちんと整理して考察していこうという試みです。
ピョートルの数々ある容疑、陰謀のなかでも、シャートフをピストルで殺害したことは、読者には紛れもない事実であり、この小説は首謀者の殺人犯が逃げたままで終わるという、非常に不可解な作品になっています。

ドストエフスキーという偉大な作家が、単にピョートルのモデルとなった人物 (セルゲイ・ネチャーエフ) が、実際に、1869年12月にスイスに亡命をしたのでという単純な理由から、そのような安易な設定にしたなどということは、僕には可能性としては、まずあり得ないように思います。

つまりは、ドストエフスキーは必ずそこに意味をおいてきますので、ただなんとなくぼんやりと、そうしたなどということは決してしてきませんので、この「ピョートルの逃亡」問題のドストエフスキーの真意ですね、ここのところ。
ちなみに、ネチャーエフは、その後、1872年8月に逮捕されていますね。
参考までに、「悪霊」の出版は、1871-1872年です。

合わせまして、懲役人のフェージカが、ものの見事に拳を頬にかまして (本文からわかることは最低でも4発はかましています!) ピョートルを気絶させた件 (四の188)、ピョートルの「あれはあの男のこの世における、ウォートカの飲み納めなんだよ。」(四の190)、フォームカによるフェージカ殺害の件も、ピョートルの差し金ではないのかという僕の考察についての内容です。

おしまいに、このピョートルという張本人にして、まだ「二十七かそこいらの若者」(一の312) である人物について、なにか逃亡問題の手がかりになるかもしれませんので、ここで一度、簡単に整理してみたいと思います。

え〜と、首領の大悪党であるピョートルですが、それでもまずは一応、プラス面の方からにして、これはなにしろ数が少ないのですぐに終わります。
まあそうは言いましても、ここに物語の中の「町の人たちのうわさ」(一の312) を書いてもあまり意味がないと思いますので、カルマジーノフの独白あたりから始めましょう。
「あの男は仲間うちでも一種の天才かもしれんて。」(三の52)
続いてキリーロフがピョートルに向かって「君には才能があるんだが、非常に多くの事物に理解を欠いてるのだ。それは、君が下劣な人間だから。」(四の181)
最後にニコライがシャートフに向かって「それに、ヴェルホーヴェンスキイは熱情家ですよ。」(二の71)、
またこの発言に関連しまして、「かつてスタヴローギンがシャートフに向って、ピョートルには感激 (エンスージアスムと振り仮名がありますので、enthusiasm、熱意、熱中、熱狂あたりでしょうか) があると言ったとき、相手はすっかりあっけに取られたものである。」(四の137)
ここで、ドストエフスキーが、意図的にはっきりと線引きとでも言いますか、ニコライとキリーロフは、一応それでも、ピョートルのよい面も少しは感じているのに対して、シャートフはピョートルのことをまったく評価していない点に注意です。

さて続きまして、罵詈雑言の嵐のようなマイナス面、こちらはあまりにも数が多くて、とても全部は書き切れませんので、登場人物をしぼり、キリーロフ→シャートフ→フェージカとリレーのバトンを渡してもらい、最後は、物語の説話者である私ことGに、アンカーとして止めを刺して?もらいましょう。
第一走者のキリーロフ
「僕は君がきらいでたまらないんですよ。」(三の61)
「僕がただ一ついやなのは、その瞬間に、君みたいなけがらわしい虫けらが、僕のそばにいるということなんだ。」(四の181)
続いて第二走者のシャートフ
「さあ、もう僕の部屋を出てくれたまえ。僕は君と一緒にすわっていたくない。」(三の72)
「さあ、行きたまえ。僕は君と一つ部屋にいられない。」(三の73)
さらに第三走者のフェージカ
「お前さんなぞは、始終あの人の靴を磨いてもいいくらいだ。」(四の184)
「なぜって、お前さんは正真正銘の悪党だからね。(中略) お前さんはまるで人間の体にくっつく、けがらわしい虱も同じこった」(四の185)
「ほんにお前さんは、なんてえ浅はかな考えを持った人だろう。」(四の187)
そして最終走者の私ことG
「このやくざ者め、それはみんな貴様の仕組んだことだ!貴様はそのために今朝いっぱいつぶしてしまったのだ。貴様がスタヴローギンの手伝いをしたんだ、貴様がその馬車に乗って来て、貴様が自分で乗せたんだ・・・・・・貴様だ、貴様だ、貴様だ!奥さん、こいつはあなたの敵ですよ、こいつはあなたの一生も台なしにしてしまいます!気をおつけなさい。」(四の77)
本来は物語の説話者として中立的な立場であるべきはずのGの大爆発じゃない、豪快なラストスパートです!

僕の結論としましては、僕は上記しました第一回の後日記1の中で、ドストエフスキーは、この「ピョートルの逃亡」問題について、罪の赦しと再生の問題としてとらえ、ピョートルよ、偉大なるものの前に跪けと、そうしないとお前ほど悪くて、お前ほど罪の意識の軽い者に最終的な救いなどはまるでないと、ドストエフスキーの意図について考察したのですが、その後になって、これはあれですね、ドストエフスキーは、人類への警告として発信したのではないかとも考え始めています。
つまりは、ピョートルが逃げているぞ、また五人組を組織し、同じようなことを繰り返すぞ、気をつけろと。
または、その両方を合わせたような感じなのかもしれません。

2024年3月19日
和田 健

後日記:この「ピョートルの逃亡」問題ですが、さらにその後になりまして、キリーロフの自殺前の台詞である「ところが、僕は自殺して、君は生き残るんだ。」(四の288) の中に、なにかヒントが秘められているように思い始めました。
また、もう一つの大きな課題として、最終回「キリーロフとお茶」の第二ラウンドの中でも触れましたが、今までは「悪霊」の執筆開始時からの構成であったと普通に考えていたのですが、ドストエフスキーはいったいどこの時点で、最終的にピョートルだけは逃亡させると決めてきたのかという問題が新たに出てきました。

2024年4月9日
和田 健

Today’s Drawing Photo on March 16, 2024

Posted in Essay 2012-2024 with tags , , , , , , , , , , , , , , , on 17 March 2024 by kenwada

Today’s Drawing Photo on March 16, 2024
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

ドストエフスキー(1821-1881)の「悪霊」(1871-1872)を読んで 第二回「マリヤ・レビャードキナと梟」

Posted in Essay 2012-2024 with tags , , , , , on 7 March 2024 by kenwada

(第一回から続く)

皆様、こんにちは。
第二回は、全篇を通じて、最も戦慄的な場面である「マリヤ・レビャードキナと梟」です。

はじめに、出版されてからすでに152年も経つ「悪霊」を今回僕が読んで、一番モダンだなと感じたのは、ピョートルが爪を切るために、「アリーナさん、あなたのところに鋏がありませんか?」(三の111) と出し抜けに訊ねる場面です。
ここのモダンさ、このリアリティはちょっと並外れてすごいな!
現在の2024年よりも、断然モダンな感じがいたします。
これはあれでしょうか、かつての思想関連のサークル時代にでも、会議かなにかの場で、実際に目の当たりにした光景をもとにして、ドストエフスキーは書いたのでしょうか?

その前のピョートルの『「なんにもないです。」彼は椅子の上で大あくびをしながら、そり返った。「ただコニャックを一杯もらいたいものですなあ。」』(三の109) には笑いました。
この「コニャックを一杯」が全篇を通じて一番笑えたな。
ここは、父親であるスチェパン氏の「シャンパン病」 (一の18) とかけあわせて、アルコール依存症?の遺伝の傾向まで裏をとらなくてもよいのではないでしょうか?
確かに「彼が惜気もなくシャンパンをふるまう時なぞ」(一の45)、また「その晩、私たちはまた一杯ひっかけた。」(一の133)、さらには「その晩わたしたちは一壜飲み干した。」(一の137) ともありますので、まあ、スチェパン氏は毎晩のように、よく飲んではいたのでしょうが。
ピョートルもカルマジーノフの家で、カツレツの朝食にぶどう酒をあおったり (三の52)、さらにはその後になって、ピョートルが料理屋でビフテキを食べた後、ビールまで注文して飲む場面 (四の172) も出てはきますが。
しかし、この料理屋の場面もかなり異様ですね、ピョートルが「肉のきれをさもうまそうにむしゃむしゃかんだり」(四の173) するのを、リプーチンは三十分以上もじっと見つめているのですから、極めて異様です。
まあ、「コニャックを一杯」は、ドストエフスキー自身もおそらく「ここは笑えるな」と思いながら書いていたのではないでしょうか?
ドストエフスキーを読んでいると、このようなくすりと笑える場面が、特に深刻な場面において、時々出てくることも隠れた魅力の一つです。

さて逆に、まったく笑えるどころではない、全篇を通じて一番恐ろしい場面だなと感じたのが、今回の「マリヤ・レビャードキナと梟」です。
この場面 (そのクライマックスは、具体的には二の132から135あたりになります) は、かなり戦慄的ですね。
まず、この場面を理解するためには、その前段の「本記録において特筆大書すべき日」である「明日の日」(いずれも一の260) の日曜日に、まあ、細かいことはいいや、要するに日曜日に、ヴァルヴァーラ夫人の客間になんと全員で12人が集結します。
これはもうどこからどうみてもドストエフスキーが構成上、ここで一度全員を顔合わせさせてきたな、顔見世興行ではないですけれども、ここを前半の山場としてセッティングして、一堂に会する場面を意図的に設定してきたなということは明らかです、これはもう完全に全員集合させてきたな〜という感じ。

ここで、客間に登場する順番に、一度きちんとメンバーを整理してみますと (括弧内は愛称です)、
①スチェパン・トロフィーモヴィッチ (スチェパン氏)
②私ことG
③シャートフ (シャートゥシカ)
*侍僕頭のアレクセイ・エゴールイチ (侍僕、原文ママ)
④ヴァルヴァーラ夫人
⑤リザヴェータ (リーザ)
⑥マリヤ・レビャードキナ
*小間使のアガーシャ (小間使の「い」なし、原文ママ)
⑦プラスコーヴィヤ夫人
⑧マヴリーキイ
⑨ダーリヤ (ダーシャ)
⓾レビャードキン大尉
⑪ピョートル (ペトルーシャ)
⑫ニコライ
と侍僕や小間使をのぞいて12人になります。

この中でかわされた様々な会話の重要さについてはちょっと書き切れませんが、両夫人 (④と⑦) の凄まじいいさかいがあるわ、③のシャートフが⑫のニコライの頬を殴るわ、最後に⑤のリーザが気絶するわで、ドストエフスキーが、この会合の中に⑥のマリヤ・レビャードキナの伏線を張ってきていることは、僕にはまったく見抜けませんでしたと言いますか、通常、初読の段階ではなかなか簡単に見抜けないのではないでしょうか、違うのかな、簡単なのかな?

でも、そうかそれでか、会合が始まる前の「どうしても一時間前へ逆戻りをして」、教会での「なみなみならぬ事件を詳しく物語らねばならない」(いずれも一の262) って、なにかすごく不自然だなあと思ったのですが。

しかし、それにしましても、ドストエフスキーは女性を書けますね。
その点、書けないのか、あえて書かないのかはともかくとして、ゴーゴリの作品には、女性は登場してきますけれども、いわゆる女の部分は出てこない。
両者の生年を単純に引き算しますと、1821-1809=12年になります、この12年間の進化たるや、実に恐るべし!
またそれに関連して、昔の (という言い方も大変曖昧ですが) 小説には、性描写が出てこないのもいいですね。
これはいつ頃からなのでしょうか、露骨な性描写の方に、文学作品が大きく舵を切るようになったのは。
文学だか思想だかの最高目的に到達するするために、過激な性描写がどのような観点から絶対に必要であると考えられるようになったのだろう?
つまり、僕の言いたいことは、ドストエフスキー作品の中に、しっかりと確かな存在感をもって女性が書かれていますということです。

さて本題。
まず、マリヤ・レビャードキナ (以下マリヤにします) ですが、本文中何度も何度も繰り返されますように「気ちがいでびっこ」(例えば一の175) です。
この表現が執拗に繰り返されますので、ちょっとどのようなものかと思うのですが、要するに障害をもった狂女ですね、このマリヤだけがニコライの真実を見抜く、看破する訳です。
つまりは、主人公のニコライが、もう真夜中になって、マリヤとレビャードキン大尉兄妹の住む川向こうの郊外の家を訪ねてくる。
ここで、これはこの晩に限ったことではないのですが、ドストエフスキーの時間配分が実に細かいので、読んでいてなんだかサスペンスもののようなスリルを思わず覚えます。
これは、あれでしょうか、ドストエフスキー以前には、ここまで細かく時間設定してくる作家というのは、どのくらいいたのでしょうか?
すごく画期的な感じがいたします。
なにかもう、ドストエフスキーが時間を書いてきたら、僕はすっかり身構えるようになりました。

侍僕のアレクセイが「九時半でございます」(二の45) で着替えを始めたニコライが、「ようやくすっかり着替えを終って帽子をかぶると」(二の45) 、
ニコライはアレクセイに「一時か一時半だ、二時より遅くはならない。」(二の46) と言い残して家を出る。
キリーロフの家に着いたのが「すでに十時を過ぎていた。」(二の48)
ニコライ、介添人のキリーロフに「朝の九時ごろ、君あすこへ行ってくれたまえ。」(二の52) と頼む。
ニコライ、次にシャートフの家に行き、「あっ、もう十一時十五分だ。」(二の72)
シャートフ「君はもう十分の時を僕にさくことができますか」(二の74)
ニコライ「さあ、どうぞ。もう三十分割愛しましょう。」(二の75)
で、今度はなにしろ川向こうの家なものだから、橋の「ほとんどまん中」(二の95) で、懲役人のフェージカに出会って、レビャードキン大尉の家に着いて時計を見る。
「十二時四十五分だね。」(二の102)
「あっ、もうマリヤのところへ行かねばならん時刻だ。」(二の119)
そして、物語はようやくマリヤの部屋へと、ドストエフスキーは明らかに、これらの一連の流れに対して、時間に関して特段の注意を意図的に払っていますね。
それとともに時間で物語に独特のリズムをつけていくのが実にうまい!
話がまったくたるまないもの。

さて、そこでいよいよ問題の場面です。
ここで、マリヤの恐ろしい看破物語が幕を切っておろされ、ニコライのおそらくは人生で初めての完全敗北へとつながります。
まずは「わたしは日曜の日にあの家で、いろんなことを見抜いてまいりました。」(二の126)
う〜ん、ここへもってきたか!
あの日曜日の12人の会合だか集会の伏線は、マリヤの見破りへとつなげてきたのか〜という感じです。
「あの時、あのひとたちはみんながかりで、思いもよらぬ方からわたしを試験しました。わたしべつに怒りはしませんけれど、あの時じっとすわったまま、とてもこのひとたちの親類にはなれないと考えました。」(二の126、127) と続きます。
つまりは、マリヤは、ヴァルヴァーラ夫人の客間に集った面々を、即座にこれは全員スノッブだと見抜いた訳です、だから、親類にはなれないと。
「仲直りはなさるけれど、真底から打ち明けて笑い合えないんですもの。あれだけお金がありながら、楽しみといったらいくらもない。」(二の127) のです。
ここで、マリヤが一人だけ違うと言います。
「ただ一人ダーシャだけは、天使のような人です。」(二の127) ここ注意ですね、つまり、前回の「豚のむれ」の中でも少し触れましたが、ここでドストエフスキーは、マリヤの言葉を通して、マリヤとダーシャは「豚のむれ」に入らず、その他の「有象無象」どもはみんな「豚のむれ」だと示唆してきている感じがします。
ちなみに、日曜日に会った時、マリヤはリーザのことを「ちょうどこういうふうな美しい方」(一の278)、さらには、この晩も「あのきれいなお嬢さん」(二の126) とも言っていますが、リーザの美貌についてもちゃんと見抜いている。
また、最初にスチェパン氏のフランス語が聞こえた時に、「ああ、フランス語だ、フランス語だ!上流の社会だってことがすぐ知れる!」(一の275) って感激もしている。
でもそんなことは、彼女にとって、人間の本質を見抜く妨げにはまるでならない。
これはあれでしょうか、ドストエフスキーは、障害がある者の方が、障害のない者よりも、真実や本質を見抜く力に優れるという、人間の有する特殊な能力の核心をついてきているのであろうか?

もう一つ、気になるのは、シャートフの愛称のシャートゥシカですね、結局、全篇を通して、シャートゥシカと呼ぶのはマリヤだけなんです。
最初のボゴヤーヴレンスカヤ街のフィリッポフの持ち家に、マリヤがまだ住んでいた時に、Gとシャートフがマリヤの部屋を訪れますよね (ここのマリヤの描写がまた素晴らしいです!)、その時「さあ、わたしがまた梳かしてあげましょう」(一の246) と、マリヤはシャートフの髪を櫛で梳かします。
こんなこと普通するか?よっぽど仲よくないとしないでしょう。
さらに気になるのは、ニコライがシャートフとの会話の中で「マリヤは処女ですからね。」(二の73)、「僕がここへ来たのは、もしできることなら、今後とてもマリヤの面倒をお頼みするためなんです。そのわけは君だけがあの女の哀れな心に、ある種の感化力を持っていられたからですよ。」(二の93、94)
う〜ん、これ、ドストエフスキーはマリヤ⇄シャートフの間で、伏線の伏線ではないですけれども、もう一つ通底させているな。

(ここで、当時の時代背景として、インテリ層や上流階級の人々が好んで話すためにというのはわかるのですが、いくらなんでも全篇を通じて、フランス語をしゃべりまくる、ちょっとしゃべり過ぎじゃないかのスチェパン氏のフランス語問題について考えてみました。
本題からはそれますので、それにつきまして長々と書くのはやめますが、これも結論としましては、僕の言うところの小説家として変な格好や色気をつけることなく、自己の本分に忠実に生きるドストエフスキーの素朴さにつながるように思います。
もう一つの課題として、これなどは専門家に訊けばすぐにわかることだと思いますが、ドストエフスキーは初版の段階で、スチェパン氏のフランス語の部分について、括弧でもしてロシア語訳を入れていたのでしょうか?
これは入れていたか、入れていないか (→その場合は、後世の編集者が親切な気持ちから入れたと仮定して) で、かなり決定的な問題になると思います。)

さてここまでは、まだほんの軽い挨拶がわりのジャブ程度なのですが、ここからいきなりジャブ抜きで、左右の重いストレートがバシバシ飛んできます。
マリヤはニコライに対して (と言いますか、二人以外には誰もいない訳ですが)、
「いったいあなたは何者です? (中略) よくもずうずうしくやって来たもんだ!(中略) いや、いや、鷹が梟になってしまうなんて、そんなことのあろうはずがない。わたしの公爵はこんな人じゃない!」(二の132)
さらに、「いったいお前は何者だ、どこから飛び出したのだ!わたしの胸は、わたしの胸はこの五年間、悪だくみを底まで感づいていた!(中略) いったいこのめくら梟がどうして入って来たやら、本当にびっくりしてしまった。」(二の133) と続きます。
ここの「わたしの胸は、わたしの胸は」の感情の高まりの繰り返しに注意です。
ちなみに、この鷹ですが、マリヤはニコライのことを「どこか山の向うの方にわたしの鷹が暮らしている、空高く飛びながら陽を仰いでいる・・・」(二の134) 鷹だと思い、「わたしの恋人は、輝くばかり立派な鷹なのだ、公爵なのだ。ところが、お前は梟だ、小商人だ!(中略) お前なんぞはシャートゥシカに (あの人は可愛い人だ、わたしの好きな懐かしい人だ)、頬っぺたをなぐりつけられるくらいの人間だ。(中略) お前の下司びた顔が目に入ると、まるで虫けらが胸へはい込んだような気がした。(中略) わたしの鷹は、あんな貴族の令嬢の前だって、わたしのことを恥ずかしいなどと思やしない!(中略) 白状おし、贋公爵、たくさんもらったんだろう?」(二の134)
上述したことと関連しますが、マリヤのここの「わたしの好きな懐かしい人だ」に注意です。
令嬢とは他にいませんので、リーザかダーシャか、あるいはその両人か、まあ、ダーシャは生まれが貴族ではありませんので、ここはリーザのことを指しているのでしょう。
「ニコライは歯をぎりぎり鳴らし」(二の134) くやしがり、「力任せに女を突き放し」、「女は肩と頭をうんと長椅子に打ちつけ」、要は腕力に訴えるしかなくなったところでニコライの完全敗北、最後はマリヤの「グリーシカ・オトレーピエフ!あーくーま!」の戦慄的な、そして文字通り悪魔的な「高らかな笑いを交えた甲高い声」(これら4つとも二の135) で終わります。

その直後の、「ぬかるみの中を四つん這いに這いまわりながら」(二の140) 水たまりの中に浮かぶ札を捜す懲役人フェージカの地獄絵図のような話は残念ながら割愛して、やりましたね、マリヤさん、完膚無きまでにニコライをやっつけましたね、全篇を通してニコライをこれだけボコボコに打ちのめしたのは、マリヤさん、あなただけです、お見事!
ところでマリヤさん、鷹は「輝くばかり立派」なのはわかりましたが、あなたの言われる「梟」って、いったいこれはなんですか?
梟と言いますと、我が国では、縁起物として幸福を招くようないいイメージがあるのですが、ドストエフスキーが、まあ、ここは適当に梟でいいや、そのあたりにいる鳥でいいやと書いたとは到底思えません (もし仮にですよ、仮に適当に書いていたとしたら、これだけ梟を繰り返しません) ので、この梟っていったいなんなのですか?
たしか、ヨーロッパでは「森の賢者」でしたよね?やっぱりいいイメージだな。
これは、あれですか、梟は餌となるネズミや小鳥がたくさんいる、つまりはお前 (ニコライ) は餌であるそのあたりの「有象無象」をさかんに食い物にしているけれども、お前なんかは「シャートゥシカに、頬っぺたをなぐりつけられるくらいの人間」で、「輝くばかり立派な鷹」にいずれはとって食われるんだ、くらいの意味ですか?
違うな、そんな単純なことではないだろう、おそらく。
真夜中に実は夫人である、そうなんです!マリヤはなんと実はニコライの妻なのですよね、そこへ夜も更けてから、まるでお忍びみたいにやって来たから、夜行性の梟なのかな?
うん、その方が可能性としては高いな、だから、輝くばかりの鷹は「空高く飛びながら陽を仰いでいる」、つまりは日中飛んでいる訳で、ドストエフスキーは鷹と梟を対比させる手法で、その違いを際立たせているのでしょうか。
だから、お前なんか、昼間は堂々とできない「下司びた顔をしためくら梟」であると。
ニコライは梟か、かなり強烈だな、この一言は。

2024年3月6日
和田 健