Archive for ken wada

Picky Dancers No.1 (The birth of Picky Dancers)

Posted in Recent Works 2018-2019 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 11 October 2019 by kenwada

ピキダンサーズ No.1 (ピキダンサーズの誕生)
2019年10月
北軽井沢 作品 No.383
画布にアクリル、マルチ-タレント鉛筆
60.6×50.0 cm

Picky Dancers No.1 (The birth of Picky Dancers)
October 2019
Kitakaruizawa Works No.383
Acrylic and multi-talented pencil on canvas
24.0×20.0 in.

Danseurs Difficiles Nº1 (La naissance des Danseurs Difficiles)
octobre 2019
Kitakaruizawa Œuvres N°383
Acrylique et crayon aux multiples talents sur toile
60.6×50.0 cm

続・書の勉強について

Posted in Essay 2012-2019 with tags , , , , , on 10 October 2019 by kenwada

前回のエッセイ「書の勉強について」の中で、「中国の書家の作品であっても同じ東洋人として (僕は) 漢字が少しは読めますから、これは欧米の絵画に対する強力な対抗軸になり得る」と書きましたが、後日、明け方の床の中でこれについて考え、またしても僕以外には何の役にも立ちそうにありませんが、当たり前のようでいて少し大切なことのように思いますので書いておきます。
まず、「欧米の」という言葉は、「漢字文化圏以外の国の」とかにするべきでしたが、そのことはさておき、僕が思ったことは、僕が中国の書家の作品を観る時、たとえ難しい字であっても漢字の旁や偏からある程度こういう字ではないかなと、推測することができる、つまりおおよその見当をつけることができます。もちろん中には歯の立たない漢字もあります、というか実際そういう字が多いのですが、それでもやはり子供の時から慣れ親しんできた漢字 (文化) ですので、やはり字として読んでみようと半ば無意識のうちに脳が勝手に反応してしまいます。
これに対して、例えばフランス人でも、アメリカ人でもいいのですが、彼らは余程の愛好家でない限り、漢字を字として読むことはしていない、よく掛け軸などにして部屋に飾っているのを見かけますが、彼らは漢字に対して字としては反応していない、それはもちろんフランス語や英語で意味を書いてもらってそのメモを見ながらこれはこういう意味だよ、などと説明することはできますが、字として理解しているわけではない、このことは日本語を話せる外国人はたくさんいますが、読み書きができる外国人は非常に少ないことからも容易に察せられます。
それでは彼らは漢字をどのように観ているのかというと、これは模様として観ているのだと思います。漢字を模様として観ている、僕が例えば象形文字や甲骨文、甲骨文字を観ている時に感じるように、あるいは全く理解できない他言語を観ている時に感じる感覚と同じです。模様として観ている、特に活字化されたものだと脳への刺激が限定されますが、肉筆のものだと全然違います、これを継続していくと、やがてデザインとして観ていることにつながります。だから現にたくさんの東洋美術の愛好家が諸外国にはいますし、オークション等でコレクターに熱気をもって迎えられるのでしょう。美しいからデザインとして美しいから、漢字の意味や成り立ちなんか知らない、でも一応英語訳で意味は知っているよ、おそらくそういう感覚なのだと思います。
そこで僕が思ったのは、このデザインとして文字を観るということは、多少の土台的な要素、僕の言葉で言う神経質な気質というのもずいぶんと漠然とした言い方ですが、余白や図形を観る習慣さえあれば誰にでもすぐに修得できる、実際、テーブルの上の物の配置、塩のビンやナイフ、皿とかそういう物です、を納得いくまで何時間も動かしていたジャコメッティのように、紙の上の字画の配置を何時間も動かす、気になる、全く同じことです、樹木の枝の配置も同じです、漢字をデザインとして観ることはある程度の訓練を積めば容易に修得できる。
そうであれば、漢字文化圏の我々には見当をつけることと、デザインとして観ることと、二つの大きな軸があることになる、これは一つの軸しかもたない彼らに対して大いなる強みにならないだろうか、ということです。言ってみれば二枚腰なのですから。
この二つの軸があることを絵画に必ず活かせるはずです、取り込めるはずなんです。逆の思考として、どうしてアメリカ人の Franz Kline に先を越されていて、我々の絵画には漢字のデザイン性を豊かに取り込んだ造形美に満ちた作品が少ないのだろう、その辺りから思考に揺さぶりをかければ答えは出てくるのではないか、作品が漢字として恥ずかしいからかもしれない、後ろに書家が控えているために下手なものを出品・発表できないという、こんなもの出して馬鹿にされるだけだという、ここ核心、重要ポイント。彼らは背後に書家など控えていませんので自由にやれる、この自由にのびのびやれる、何の束縛もないということは当たり前過ぎて見失われがちですが創作活動の肝、非常に大切なことです。この課題は突破しないと、デザインとしてだけ観ているよりは強いはずなのだから、あるいはデザインとして観ているだけだから彼らは強いのかもしれない、または単にエキゾチックの問題だけなのかもしれません、我々の日常生活において漢字があまりにも身の回りに溢れていてもはや特段の反応もしないという。
自然の中に漢字の要素を日常的に見い出す訓練、これはしています、何かどこかに突破口があります、必ず。

2019年10月10日記
和田 健

追伸 またまた今読んでいる数学者の岡潔さんの本の話ですが、先生は「でたらめ」を毎日一つずつ考える、この「でたらめ」を十ほど並べてみると、その中には一つぐらいポシビリティ (可能性) がある。このポシビリティをまた十ほど並べると、そこに一つぐらいファクト (事実) が見つかる、一年三百六十五日、毎日「でたらめ」を考えるともなく考えている、と仰っています。さすがだなあ〜、すごいなあ〜、ものすごく勉強になります。僕は今までわからないことがあると、声に出してわかっているところまで言ってみる、しゃべってみる、それもできるだけ大きな声がいい、というのを自分で編み出して実践してきたのですが、これに「でたらめ」を加えればいいんだ、声に出して「でたらめ」を言ってみればより強力な結びつきになる、なるほど。エディー・ジョーンズさんが目黒学院ラグビー部を指導する YouTube 面白いですね、この感覚だな、この感覚。声に出して「でたらめ」を言って、全く脈絡や関係ないものを結びつける、この感覚を絶対にはずしちゃいけない!折しも世の中ワールドカップでラグビーブーム、僕は試合は観れませんけれど、我家にテレビはないから。

Untitled Number 12, 2019

Posted in Recent Works 2018-2019 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 9 October 2019 by kenwada

無題 Number 12, 2019
2019年10月
北軽井沢 作品 No.382
紙にアクリル、マルチ-タレント鉛筆
57.0×76.7 cm

Untitled Number 12, 2019
October 2019
Kitakaruizawa Works No.382
Acrylic and multi-talented pencil on paper
22.5×30.5 in.

Sans Titre Numéro 12, 2019
octobre 2019
Kitakaruizawa Œuvres N°382
Acrylique et crayon aux multiples talents sur papier
57.0×76.7 cm

書の勉強について

Posted in Essay 2012-2019 with tags , , , , , on 3 October 2019 by kenwada

最近、良寛さまの「書簡 貞心尼宛 先日は眼病の」と「雜詩巻」の書を観て「ああいいなあ」と思い、書の勉強のスイッチがまた入りました。この機会にこれまでの書の勉強について整理してまとめておくのも後年になって何かの役にたつかもしれない、誰の役にもたちませんが、まあ少なくとも自分の役にはたつかな、一つの資料として、くらいの気持ちでこれまでの経緯を日記や手帳、絵画日々のメモ(ノート)などからまとめてみました。

僕が書の勉強を始めたのは、フランスから帰国して間もなくの頃、確かどなたかの書を観て、この空間美、構成の美しさは絵画にすぐに取り入れられる、さらに中国の書家の作品であっても同じ東洋人として漢字が少しは読めますから、これは欧米の絵画に対する強力な対抗軸となり得る、事実、Franz Kline や Pierre Alechinsky のように日本に来て書道を学んだりした大芸術家たちもいましたし、Joan Mitchell の絵画の中にも漢字的な要素をすごく感じます。そのようなことがあり、これは書の研究をきちんと一度やっておいた方がいい、プラスになることはあってもマイナスになることなど何もないと思って始めた思い出があります。

そうは言っても取っ掛かりがつかめませんでしたので、とりあえず世田谷区立梅丘図書館に行って、そこにあった平凡社の「書道全集」を5,6冊ずつ借りてきては全ページ観ました。確か全部で20何巻かあったと思います。全ページ読んだとは言えませんが、全ページ観て全体の流れを頭に入れました。その後は、例によって尊敬する福澤諭吉先生が「福翁自伝」で説かれている自身自力の研究、自分の絵画に直的に役立ちそうだと思ったところから始めて、最初に熱中したのは北魏時代の「龍門二十品」でした。二玄社から上下本を取り寄せ観入りました。

その後、時代順に言いますと王羲之、王献之、欧陽詢、虞世南、褚遂良、太宗、張旭(生没年不詳)、顔真卿、懐素の「自叙帖」でぶっ飛び、黄庭堅、王鐸の連綿草にも強いインスピレーションを得ました。最初はまずは作家の名前自体が読めませんでしたので名前の読み方から始めました。王羲之は2013年1月に上野の東京国立博物館で、王鐸も同展で観た思い出があります。それら中国の書家についてまとめたメモが手帳の中の2013年1月のところにありますので、遅くとも2012年には書の勉強を始めていたんだなと思います。

日本の書家ではこれも時代順に空海、白隠、良寛、三輪田米山、井上有一の作品に強い感化を受けました。空海は2011年9月に東京国立博物館の「空海と密教美術展」で「聾瞽指帰」の直筆を初めて観ました。白隠は2013年1月に渋谷のBunkamura で観て「南無地獄大菩薩」に感動し、井上有一は2015年4月に菊池寛実記念 智美術館で「ブッコウ国師げ」に感銘し、群馬県立近代美術館で2015年8月にようやく念願の「噫横川國民學校」を観ることができ、ニューヨークのメトロポリタン美術館でも2016年4月に作品を観ました。これだけの禅画や書を遺した白隠は独学であり、良寛研究者の方に是非ご教示願いたいのですが、良寛が本格的に書を始めたのは48才の頃と考えて一応よろしいのでしょうか。

昨日は午前中で制作の区切りがついたため、午後は顔真卿の「祭姪文稿」と黄庭堅の「伏波神祠詩巻」を観て過ごしました。何なんでしょうね、この圧倒的なまでの宇宙美は、もちろん宇宙美などという言葉があるとして、すごい!考えられないですね、この余白の使い方は、最後ダァーと右に流れて来るのもたまらないし、う〜ん、すごく「祭姪文稿」を観ていて思ったのですが、これは稿ですよね、草稿や原稿の方が美しい、所々丸でぐるぐるっと、そしてでんと太字、美しい、あり得ないくらい美しい、結局小説家の場合も同じですが印刷されたものよりも手書きの草稿や原稿の方がはるかに美しい、団体の美術展とか観に行って1年に1回のこの展覧会のためにいかにも仕上げました、清書しましたみたいな退屈な絵画よりもよほど美しい、ドキドキする、結局、人間性の発露なのでしょうね、絵画に草稿の要素を盛り込めたらあるいはさらに絵画自体が原稿であったら、そこに新しい方向性が必ず存在すると思います。これからも断続的にではあっても書の勉強を続けていきます。これだけの類を見ない偉大な芸術がお隣の国に仮に甲骨文の殷の時代からとしても約3600年以上も続いていて、我が国にも脈々と受け継がれていて、これを勉強しない研究しないという手はないですね、どこからどう見ても。

良寛さまの「貞心尼宛」のラストの「八月十八日」には参りました、特に最初の八の傾きの突飛さ、ユニークさと続く小さな十との絶妙のバランスや全体を流れる温かさ、漢字そのものは小学生にでも読めますよね、ここに全宇宙があると思いました。
ロケットなんか飛ばすより遥かに遠くまで行けるのに。

2019年10月1日記
和田 健

追伸 張旭が剣器を舞わすのを見て、懐素が夏雲の風にたなびくのを見て、黄庭堅が船頭が船を漕ぐのを見て、それぞれ悟りを得たという逸話に心を惹かれました。今読んでいる岡潔さんの数学上の発見の瞬間とあまりに酷似していますね。つまり究極の集中力を使い果たした者が、ふっとその場を離れ脳が対象から離れた時に「発見のするどい喜び」が起きる。僕にはもちろんそんなことはできないけれども、せめて手元に集中力をまとめておく、置いておくことは努力や心がけの部分だからできる、だから常にプリントアウトしたものを手元に持っていること、「祭姪文稿」を観て、ニワトリの動きを観る、ニワトリの動きを観て「祭姪文稿」を観る、これが実に面白い、何かの動きがマッチングする、そこに新しい発見がある、書を観てテーブルに指で描く、地面に棒で描く、空間に指で描く、それらは僕に最上のデッサンの練習をもたらしてくれる、別に書家になる訳でもなし、書の勉強は隙間時間を活用できる、そのために絶えずプリントアウトしたものを身につけていること、要は僕の怠慢。

Untitled Number 11, 2019

Posted in Recent Works 2018-2019 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 1 October 2019 by kenwada

無題 Number 11, 2019
2019年9月
北軽井沢 作品 No.381
画布にアクリル、マルチ-タレント鉛筆
72.7×91.0 cm

Untitled Number 11, 2019
September 2019
Kitakaruizawa Works No.381
Acrylic and multi-talented pencil on canvas
29.0×36.0 in.

Sans Titre Numéro 11, 2019
septembre 2019
Kitakaruizawa Œuvres N°381
Acrylique et crayon aux multiples talents sur toile
72.7×91.0 cm

Un petit jardin pour Maman

Posted in Works 2012 with tags , , , , , , , , , , , on 6 September 2019 by kenwada

母のための小さな庭
2012年8月
紙に水彩、鉛筆
23.0×25.0 cm

A small garden for Mother
August 2012
Watercolor and pencil on paper
9.5×10.0 in.

Un petit jardin pour Maman
août 2012
Aquarelle et crayon sur papier
23.0×25.0 cm

皆様、こんにちは。
最近、絵画というのはつくづく奥深いものだなと思うようになりました。
いいですよね、この絵。
きっと7年前の僕にはだらしなく思えたのでしょうね。
それでこのサイトに取り上げることもなく没にしたのでしょうね。
でも今の僕には適度に崩れていていい、人は年月とともに変化していくし、
僕のような者でも多少は成長します。
この7月8月、訳あって自分の過去の作品の多くに目を通しました。
そんな整理の最中にこの絵は作品集の中から本当にひらりと一枚だけ床の上に舞い降りてきました。
結局、絵を描いた時点では、その絵がいいかよくないかなんて真実のところは本人にはわからないものなのかもしれませんね。
その当時は技術的なことがどうのこうのと考えて今一つだなあと思っていた絵が、何年も経過して改めて観てみると、もう今の自分には当時こだわっていたようなことは取るに足りない些事に過ぎず、そんな気負いのようなものが取り払われて、絵そのものがすごく語りかけてくることがあります。
今回2009年に描いた絵を観てすごく考えさせられました。もう10年前ですよね。
年月の経過とともに感想が変わるものを真剣勝負として日々絵画という形で描き留め蓄積していくことができる、それが僕の仕事の小さな喜びであり幸せなのかもしれません。うまく言い表せませんが。
絵画というのは人間としての成熟が直結してきますね、もう少し日頃から醜さを味わうという心持ちを継続していくことができたら、晩年に自分の人生を喜ぼうという静かな気持ちに、それは本当に自分が自分に語りかけるだけの静かな心境に、つらかった若い頃の昔の自分にとっては夢にも思わなかった境地に達することができるかもしれない。聖書の中の「人を裁くことなかれ」もおそらくはここに繋がってくるのでしょうね。
この絵の余白に、Un petit jardin pour Maman, 23×25 cm, 28 août 2012 の書き込みがありました。
この絵の副題を「小さな喜び」あるいは「小さな幸せ」としてもいいかもしれないな。
絵画というのは実にいいものですね、人の成長や変化と共に生きながらそれらを受け入れてくれる、この頃になってようやく僕はそう思います。

Dear friends,

Recently I have come to think that a painting is a profound thing. This picture is nice, isn’t it? 
Probably, seven years ago, the picture seemed loose for me. However, for me now, the one can be moderately broken, and that’s good for me now. People change over time, even a person like me will grow a little. In July and August, I have watched many of my past works for a reason. In the middle of such arrangement, this picture really fell from my works’ collection on the studio’s floor.
After all, when you draw a picture, you may not know the truth about whether the picture is good or bad at that time.
It may be a little joy and happiness of my work that I can draw and accumulate in the form of painting every day as a serious and central matter in my life. Unfortunately, I can’t express it well even in Japanese.
A painting is directly linked to maturity as a human being, and if I can continue to have the spirit of enjoying ugliness*¹ a little more on a daily basis, it will be a quiet feeling to enjoy my life in my late years. I may be able to reach a quiet place where I can talk to myself and a place that I had never dreamed of when I was young and very hard. Probably, I think that “Do not judge” in the Bible will also be connected here.
In the margin of this picture, there was a writing of “Un petit jardin pour Maman, 23×25 cm, 28 août 2012”. I wonder that the subtitle of this one may be “A little joy” or “A little happiness”.
Anyway, a painting is a really good thing, because a painting can accept them while living with the growth and change of people, I finally think that way at this time.

Warm regards,
Ken WADA


But thinking so I came at once
Where solitary man sat weeping on a bench,
Hanging his head down, with his mouth distorted
Helpless and ugly as an embryo chicken.
-1929- W. H. Auden

Summer Mountain Painting No.3

Posted in Recent Works 2018-2019 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 1 September 2019 by kenwada

ナツヤマペインティング No.3
2019年8月
北軽井沢 作品 No.380
紙にアクリル、マルチ-タレント鉛筆
70.5×75.0 cm

Summer Mountain Painting No.3
August 2019
Kitakaruizawa Works No.380
Acrylic and multi-talented pencil on paper
28.0×30.0 in.

Montagne d’été Peinture Nº3
août 2019
Kitakaruizawa Œuvres N°380
Acrylique et crayon aux multiples talents sur papier
70.5×75.0 cm