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「ナボコフのドン・キホーテ講義」について

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 16 September 2023 by kenwada

皆様、こんにちは。

「今でも思い出すと楽しくなるのだがね、メモリアル・ホールで六百人の学生を前にして『ドン・キホーテ』を、つまりあの残酷で粗野な昔の作品をずたずたに切り裂いたことがあるのだ」というナボコフ自身の言葉にひかれ、「ドン・キホーテ」関連の書籍である「ナボコフのドン・キホーテ講義」(ウラジーミル・ナボコフ著、行方昭夫、河島弘美訳、晶文社) を、現在読んでいます。
これは、ナボコフがアメリカのハーバード大学で、1951年から1952年の春学期に、600人の学生を前にして行った計6回の講義録なのですが、講義録の方は読み終わり、今は、後半のナボコフが、講義の準備のために作成した第二部の「ドン・キホーテ」の各章(と言いましても前篇52章、後篇74章、計126章もあります)の要約を、復習もかねて、のんびりと楽しみながら、一章一章読んでいます。

率直に言いまして、ナボコフの言う「ずたずたに切り裂いた」という感じとは、少し異なる印象をもちましたが、読みながら、主に以下の3つのことについて、いろいろと考えさせられました。

①やっぱり、まずは、この授業準備ですね、下調べ。
これへの熱意、情熱、パッション、まあ、言い方はなんでもいいのですが、これにはすごいものがある。
端的に言いまして、ここまで準備をするのかという感じです。
これは、講義の準備をするというこの仕事自体を、ナボコフ本人が好きなのでしょうね、やはり、まずはなんと言っても。
この熱意の持続は、文学に対するナボコフの深い愛情からきているものなのでしょうか、僕は、直感的にそのように思いましたが。

②物語を分析する際の全体構造の組み方とでも言いますか、分析の手法、分析の骨格・骨組みの作り方について、非常に勉強になりました。
なるほど、こういう風にして、分析という家を建てていくんだな、みたいな感じで。
これは、やはり、ものの見事なまでの分析の手腕であり、独創性なのではないでしょうか。

③時間的な制約のもとに行われる大学の講義、授業の限界ですね、これについて深く考えさせられました。
例えば、受講した600人の学生のうち、何人かでも構いませんので、連続講義を受けての感想文のようなものが読めると、僕の思考を進める上で、かなりありがたいのですが。
例えば、今からでも遅くない、当時の学生たちは、現在、90才くらいでしょうか、600人を追跡調査すれば、せめて2、3人くらいから、この講義の思い出や印象などを、収集できないものでしょうか?
それは、面倒くさいと言われるのなら、作ってしまえばいいんじゃないでしょうか、小説として。
5人くらい登場させて、語り手を替えて、最初は、現在ロードアイランド州在住のAさん(仮名)91才女性、「そうねえ、ナボコフ教授の思い出ねえ〜、あの頃はまだわたしも娘だったけれども、先生は、ホールに入って来られると、こう、パッと上着を脱がれてねえ〜、それがとてもかっこよくて、今でも印象に残っているのよ・・・」というような感じで。

技術的なことを伝えるような講義とは違って、ものを考えさせるようなこういう授業においては、この600人を相手にしているという点が、なにかネックになっているように思います、少人数のゼミとかなら、また違うのでしょうけれども。
やっぱり、学生を惹きつけて、飽きさせないようにするためにも、リズミカルにテンポよく、ダイナミックに講義を進めないといけない。
なおかつ、授業準備を入念にした分、伝えたいことがたくさんあり、急いでいる感がある。
つまりは、学生は、思考を一点に集中して、なかなか立ち止まれない。

第五回の講義のところで、ナボコフの脳がようやく制約を少し離れて?遊びだし、最後の場面で、偽作者が著した偽作続篇のドン・キホーテと、主人公のドン・キホーテを戦わせることができたという指摘には、思わずはっとしました、面白かった。
その対決は、僕にはちょっと思いつきませんでしたが、ここで、僕の疑問が出てきます。
この指摘は、成立しないのではないかということです。
ナボコフは、演劇で使われる「山場」(p.170) という言葉を持ち出しながら、つまりは、「ドン・キホーテ」の物語の最後の弱さを指摘してきている訳ですが、この最後の場面で、偽りのドン・キホーテと、本物のドン・キホーテが対決するのであれば、それは、セルバンテスとしては、「山場」であるこの最大の大一番で、絶対になんとしても本物が、憎き偽物に負ける訳にはいかない。
ここは、100%勝って、しかもこてんぱんに打ちのめして完全勝利しないといけませんよね、そうすると、この物語は、終われません。
実際には、ドン・キホーテは、「銀月の騎士」を名乗る学士カラスコに完敗し、サンチョとともに、とぼとぼと故郷に帰り、そこで善人に戻り死ぬ訳です、つまりは、手早く物語を終える訳です。
ですから、物語の最後が弱くなるのです。
そこで、本物がまた勝っちゃったら、これは、終われない。
まあ、最大の大一番に勝って、サンチョとともに、故郷に錦を飾るという手もあるでしょうが。

ところが、ここで、ナボコフが、実に面白い見解を述べる。
彼は、偽物が勝つと言うのです、本物に。
「私はアベリャネーダの騎士の方に賭ける。なぜなら、凡人の方が天才より幸運に恵まれるのが人生の面白さだからである。人生において、真の勇者を追い落とすのはぺてん師である。」(p.171)
まあ、これは、「ひとつわれわれの空想も自由にはばたかせてみることにしよう」(p.170) とありますように、ナボコフは、空想にふけっているのでしょうね。
確かに、そういう空想であれば、主人公のドン・キホーテが偽物に負けて、この物語は終われます。
しかし、上記しましたように、セルバンテスの気持ちを考えると、主人公のドン・キホーテが、偽りのドン・キホーテに勝つ以外の設定は、これはどう控え目にみても考えられませんので、ナボコフのこの指摘は成立しないように思います。
もちろん、そんなことと言うのは、セルバンテスが、主人公のドン・キホーテが、偽りのドン・キホーテを圧倒的にやっつけて勝つように書くだろうなということは、ナボコフにはわかりきっていた訳で、最後の軍配のところにだけ、ちょっとウィットに富んだ味つけをしてきた訳です。
でも、それであれば、学生がこの見解を聞いて、教授の才知に気づき、それが何人なのか何十人なのか何百人なのか、それは僕にはわかりませんけれども、少しニヤリとした、まさにその瞬間に間髪を容れずに、ナボコフは、ドン・キホーテが勝った場合のエンディングの有り様を、具体的に学生相手に提示するべき、披露するべきではなかったのかなと思います。

それで、ここからは、今度は僕が空想にふけりますが、セルバンテスは、この対決の可能性について、実際に検討したであろうか?
おそらく、考えたでしょうね、直接やっつけるまたとない機会だから、でもこの「山場」をやりたくなかったのではないでしょうか?
あまりにもそれは、露骨過ぎると言うか、えげつないと言うか、なにかの遠慮と言いますか、レパントの海戦に従軍して、火縄銃弾を三発(胸に二発、左腕に一発)受けたけれども、そこまでは、気が強くないとでも言いますか、他人の痛みがわかるとでも言いますか。
当時、スペインで、こうした偽作が横行していたという時代的な背景もあるのかもしれません。
偽作者に対して「しょうがない奴だなあ、叩きのめしてやる、でも本当に叩きのめしちゃいけないよ、奴だって生きているんだから」という感じかなあ。
その思いが、ラストの後篇第七十四章の「一つ。わたしがお二人の遺言執行人にぜひともお願いしたいのは、万が一にも、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの武勲 続篇』という題で世に出まわっている物語の作者といわれる人物に会うような機会があったら、わたしになりかわって、できるだけ丁重に詫びていただきたいということです。(中略) どうか赦してもらいたいと、言ってほしいのです。(後略)」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.410, 411) というセルバンテスの文章につながっていくのではないでしょうか。

第六回のテニスの試合に例えた勝利と敗北のやりとりについては、リズムに乗って半分楽しんでと言いますか、面白がってやっている感じがしますが、これによって物語の的確な理解が、確かに進んでいくように思いました。

2023年9月16日
和田 健

いや〜、この第二部は、味わい深いですね。
ナボコフが、講義の準備のために作成した「ドン・キホーテ」各章の要約です。
それまでの第一部の講義録にみられる張り詰めたような肩の力が抜け、まあ、それは、そうでしょうね、1人で600人も相手にしているのですから、なにか、この第二部の方にこそ、ナボコフの人間性が、しみじみと現われているように思います。
具体的な例を2つほどあげますと、
「「いやフレストンと申したのであろう」という落ち着きはらった、趣のある調子は貴重である。大事に手にとって心して味わうべき果実と言えよう。」(p.248)
このあたり、また、このような記述もあります。
「この場面の記述は第一級の文章である。われわれは翻訳を通して読むだけなので、ここをスペイン語で味わい、純粋なカスティーリャ風の文体に親しむことができないのは残念だ。」(p.270)
まだまだ他にもあるのですが、ナボコフが、本を読むという行為をどれだけ愛しているのか、彼の文学に対する深い愛情が、とてもストレートに伝わってきます。

2023年9月19日
和田 健

セルバンテスの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読み終えてーはたしてセルバンテスは、そもそもドン・キホーテの死をあらかじめ構想していたのか、あるいはまた、ドン・キホーテを死なせたものは、一体何だったのか?さらには、セルバンテスの空間を把握する傑出した能力についてー

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 7 September 2023 by kenwada

皆様、こんにちは。
2023年4月28日に読み始めたセルバンテスの「ドン・キホーテ」(岩波文庫全六巻)を、2023年8月23日に読了しました。
その間、7月に「今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!」(https://kenwada2.com/2023/07/01/今、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んで/)
また8月には「トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んで」(https://kenwada2.com/2023/08/05/トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに/)
という2本の記事を書きながら、自分なりの考察をこれまで進めてきました。
ちょうど9月5日に、訳者の円子氏が言われるように「これはフランス語で書かれたもっとも精細浩瀚な」伝記である「セルバンテス」(ジャン・カナヴァジオ著、円子千代訳、法政大学出版局)を読み終えたこともあり、新たに判明した事実も加わりましたので、ここで、これまでに考察してきた事柄の核心部分について、「ドン・キホーテ」の読書感想文のようなものの三部作ではないですが、一度きちんと整理したいと思います。

なお混同を避けるために、今回もまたセルバンテス本人が書いたものは、前篇後篇と表記し、偽作者が書いた後篇は続篇とし、偽作続篇と表記いたします。

1. 偽作続篇が出版されたのは、1614年である。

2. 偽作続篇が出版された時、セルバンテスは、おそらく後篇の第五十九章を書いていた。
したがって、後篇の第五十八章までは、セルバンテスは、偽作続篇のことなど知らずに書き進めていたことになり、ドン・キホーテが当初のサラゴサ行きをバルセローナに変更した件も含めて、後篇が偽作続篇との差別化の方向に進んだのは、この第五十九章から俄然顕著になってくる。

3. 実際に、後篇の第五十九章で偽作続篇への憤懣を初めてぶちまけて以来、第六十二章、七十章、七十一章、七十二章、そしてラストの第七十四章と立て続けに、偽作続篇へのやり切れない思いがめんめんと続き、もうなにか爆発している感じがする。

4. セルバンテスが、後篇の執筆を終えたのは、すなわち、この壮大な物語を完成させたのは、1615年1月である。
「一六一五年一月、セルバンテスは創作を完成する。」(上記「セルバンテス」p.409)

5. セルバンテスが、あの見事なまでの後篇巻頭の名文「読者への序文」を書いたのは、脱稿後、なんと9ヶ月も経った1615年10月末である。
「一〇月末に、ミゲルは例のあつかましい学士に対する自分の心情の一片を含む序文を書いた。」(「セルバンテス」p.409)

逆に言えば、この9ヶ月の冷却期間がなければ、あれほどまでに自制された威厳に満ちた名文「読者への序文」は書けなかったのではないかと思う。
すなわち、ラストの第七十四章にみられる偽作者への憤怒をはらんだまま、その続きの第七十五章的に書いたのでは、あそこまで抑制された序文は書けなかったのではないだろうか。

ただし僕は、この序文の存在が、以降400年間の読者に、以下の2つの点で、結果的に大きな誤解を与えることになったと思う。
①あたかも後篇冒頭から、セルバンテスが、偽作者への怒りを根底にもって、執筆を開始したかのような誤解。
②あたかも後篇冒頭から、セルバンテスが、ドン・キホーテの死と埋葬までをあらかじめ構想した上で、執筆を開始したかのような誤解。

セルバンテスが、この序文を書き上げてきたのは、意図的に巻頭部分に配置するためにあると僕は思う。
意図的にと言う言葉に含意を感じるようで、ふさわしくないのであれば、強い願望。
これから始まる後篇は、ぜひこの序文というフィルターを通して読んでくれよ、というセルバンテスの願望が感じられる。

しかし、ここまで序文を練り上げたことで、結果として、作品としての巻頭が重くなり、このことによって、逆に光が当たり、明るみに出てしまうこと(巻末)があるということに、天才セルバンテスは、なぜ配慮しなかったのだろう?
僕も毎日、絵を描いているので、制作者の視点や立場からするとすぐにわかるが、ラストのドン・キホーテの死は、待って書いてはいない、さんざん待たされたあげくに書いてはいない。
もしこれが、後篇執筆開始時から、ドン・キホーテの死をあらかじめ構想した上で、書き進めたのであれば、このラストへ向かって日々ひたすら突き進んできた訳であるから、もっと密度の濃い、いろいろな意味で熱気を内蔵した重いものになると思う。
感情でものを言ってはいけないから、具体的に書くと、序文を磨き上げるための猶予期間の9ヶ月に対して、「彼がこの小説の最後の一五章を書き上げるのにほぼ六ヵ月が必要であった」(「セルバンテス」p.409) とあるから、これは、あくまでおおよその目安として3週間で2章くらい仕上げるペースになる。
もちろん、筆がのり、立て続けに書くこともあるだろうし、推敲の時間も必要であろうから、ここでは、あくまで大体の目安として。
そうすれば、これは待たされたあげくに書いてはいない。

6. したがって、僕の推測では、セルバンテスは、後篇第五十八章までは、ドン・キホーテの死を構想していなかった可能性は、決して少なくはないように思う。
僕が、その根拠としてあげることは、以下の7に示すように、後篇第五十九章からの物語の変調にあり、それまでは、ゆったりとした広大な大河の流れが、急に狭い支流に入り込んだかのような感じがする。
このそれまでのゆったりとしたスケール感は、セルバンテスが、ドン・キホーテの死を意識していなかったからこそできたことであり、自由に泳げたことなのではないだろうか。

7. この後篇第五十九章からラストの第七十四章までの流れは、なにかどうしても、個人的にとってつけたような感がぬぐえない。
「ドン・キホーテ」の物語を終わらせるために、一度負ける必要がある→《銀月の騎士》に決定的に敗北する→約束通り郷里の村に帰る→狂気から正気に戻り、狂人ドン・キホーテは、善人アロンソ・キハーノとなる→遺言状を作成して死ぬ。
前篇冒頭から、ここまでの言わば突拍子もない場当たり的な冒険の連続(失礼!)とは違い、極めて理路整然としていて、あまりにも筋が通り過ぎている。
実際に、それまでの言わば支離滅裂な出たとこ勝負のような物語の展開(また失礼!)とは違い、一つの集約点である死に向かい、物語のピッチやリズム、速度のようなものが、確実に上がっているように思う。
なにか手早く店仕舞いしようとしている感じが、どうしてもする。
したがって、偽作続篇の登場に動揺したセルバンテスが、後篇の第五十九章以降に、初めてドン・キホーテの死を構想した可能性は、やはり少なからずあると思う。

それでは、逆にもし、偽作続篇の存在がなければ、ドン・キホーテが死ななければならない必然性は、必ずしもなかった訳であるから、セルバンテスが、ドン・キホーテのこの雄大な物語の最後を、後篇執筆当初からどのように締めくくろうと、終えようと考えていたのかが肝心なことになると思う。
つまりは、セルバンテスは、死以外のどのようなエンディングを構想していたのであろうか?
大変残念ながら、その手がかりになるようなものは、これまでに読んだ文献からは得られなかった。

8. 後篇は、1615年11月末、ないしは、1615年12月に出版された。
「数週間後、一一月末、マドリードの市民たちは待望の本を手にした。」(「セルバンテス」p.409)
「一六一五年一二月、「ドン・キホーテ、後篇」が出版された。」(「セルバンテス」p.427)
セルバンテスが、この物語の結末にドン・キホーテの死を書いたことを、翌1616年4月22日に亡くなるまでのわずかに残された約5ヶ月間に、一作家として、どのように感じて振り返っていたのか、すなわち述懐していたのかは、これまでに読んだ文献からは判明しなかったが、おそらく総体的には肯定していた、すなわち、あの結末は、やはりあれでよかったのだ、あのようにせざるを得なかったのだと感じていた、あるいは自らを納得させていたのではないだろうか。

9. 「ドン・キホーテはただただわたしのために生まれ、わたしはドン・キホーテのために生まれたのだ。彼が行動し、わたしがそれを記述することによりわたしたち二人だけが一心同体になれるのであって、(以下略)」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.414)

偉大なる狂人、ドン・キホーテは、なにゆえ死ななければいけなかったのでしょうか?
機知に富んだ遍歴の郷士(前篇)、騎士(後篇)である、ドン・キホーテを死なせたものは、偽作続篇の登場なのでしょうか?
それともこれは、セルバンテス自身の心のなせる技、つまりは、ドン・キホーテを永遠に自分のものだけにして、閉じ込めて(封じ込めて)しまいたいようなある種の所有欲、独占欲のようなものなのでしょうか?
さらに突き詰めれば、セルバンテス自身の近づきつつある死の予感、早すぎる死への恐怖が、そもそもの背景として考えられるのでしょうか?

10. しかし、それにしても、「ドン・キホーテ」というのは、ものの見事に抽象画だなあ。
もちろん言うまでもなく、400年前に抽象画は存在していないので、そういう意味でも斬新だなあと思う。
物語が、非常に幾何学的である。
セルバンテス「なんだい、そのチュウショウガっていうのは?おれは、特別に腕のいい画家のつもりだけれども。」

11. 前篇に「愚かな物好きの話」や「捕虜の話」をはじめとする物語の本筋とはなんの関係もない短編が挿入されたのは、絵画だろうが文学だろうが同じことだと思いますが (と書いていて、自分で今思わず笑ってしまったのですが、セルバンテスも全く同じことを言っています*¹)、制作者側の視点からみると、これはやはり、書きためておいた作品を、適当な場所で披露したいという純粋な(ある意味単純な)欲求なのではないだろうか?
つまりは、作家としての力量を示したいので、これは、そのためのいい機会だぞというような感じで。
小品だろうが大作だろうが、制作者というのは、どうしても観て欲しくなるものです。
そして、後篇にはそうした短編がみられないのは、前篇出版後、あまりにそこの部分を批判されたので、いちいち心情を説明するのも馬鹿らしくなり、無益な労苦だと思い、(これもまたある意味単純に)やめたのではないだろうか。

12. これまでにみてきたことで、セルバンテスが、ドン・キホーテの死をどの時点から構想し始めたのかについてや、セルバンテスが、この物語を書き上げた後に、ドン・キホーテの死をどのように感じていたのかについては、多少なりとも考察が進んだように思いますが、冒頭でご紹介した7月、8月の2本の記事の中で、ともに触れてきたもう一つのテーマである、セルバンテスは、なにゆえに、これほどまでに空間の認識能力や識別能力とでも呼ぶべきものが発達しているのか?が、未解明のまま残されているように思います。

そこで以下は、このテーマについての僕の推測です。
まず、「ドン・キホーテ」の物語の全篇を通して、セルバンテスの空間の認識能力や識別能力(というような日本語があるとしてです)が、すなわち、空間を感知し把握する能力が、異様なまでに発達していることは、読んでいてもう明白な事実であり、その例を即座にいくつかあげることは、そんなに難しいことではありません。
冒頭の7月の記事の中で、すでに5例ほど、ご紹介いたしましたので、ここでは、例えば、後篇第五十五章のサンチョが落ちこんでしまった「まっ暗な深い穴のなか」をあげておきます。
僕は、最初、このテーマの解明について直感的に、セルバンテスが、1571年のレパントの海戦に従軍したことと、なにか関係があるのではないかと、その活路を求めてきました。
そこで、レパントの海戦や、ガレー船についても調べてみました。
それにしても現在の私たちからは、ちょっと想像もできないようなすごい時代があったものですね。
なんと言っても、まずは船が囚人による手漕ぎですからね、漕刑囚による。
このあたり、「ドン・キホーテ」の物語の前篇の第二十二章や、後篇の第六十三章にも登場してきます。
ここで合わせまして、僕の仕事柄、Cy Twombly の作品、Lepanto のシリーズも、この際、ぜひお忘れなく、この世にあり得ないくらい美しいですから。
しかし、セルバンテスが、レパントの海戦に従軍したことで、ものすごい体験をしたけれども、それでもなお、そのことによって、空間に対する能力が具体的に向上した、鍛えられたとはさすがに言えない、それには少し無理がある。
そこで、昨日、この問題をずっと考えていて夕方、ふっとわかったのですけれども、セルバンテスは、レパントの海戦で左手を負傷しますよね、名誉の負傷です。
「その負傷がもとで左手の自由を失い《レパントの片手んぼ》という異名をとることになった」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第一巻、訳注、p.429)。
ここにあるのではないか、つまりは、レパントの海戦にではなく、その後の障害を負った人生にあるのではないか。
障害をもったことで、それを補おうとして、それ以外の機能が異常に発達することは、世の中でたびたびみられる現象です。
例えば、今現在の僕の眼の病気のことも、なにか他のことに関係している気がしていますし、僕の丸7年間のフランス時代で、今思えばデッサンが一番うまかった人は、アカデミーに集まっていた各国の美大を卒業したようなすごい方たちではなく、もちろん、そうした方たちも素晴らしいのですが、夜学のアトリエに通ってきていた市井のパリ市民の中の障害をもったある男性の方でした。
裸体モデルのデッサンをしていたのですが、一発で線を取ってきますからね、隣で観ていてあぜんとしました。
「まるでラファエロのようですね」と話しかけたら、笑っていましたが、「現代のラファエロが、ここにいるぞ!」と、思わず叫びたくなりました。
つまりこれは、セルバンテスが、左手を失ったことで不自由になり、その後の人生において、両手が自由だった頃への空間に対する意識、希求、欲求、ないしは憧憬のようなものが異常に高まり、深まっていった。
その結果として、かくまで空間に対する能力が向上していったとは、考えられないでしょうか。
人間は、なにか損なわれた機能があると、それを他の機能で補おうとしますから、無意識的に。
ただし、事柄の性質上、本人がその能力に気づいていないということは、あり得るかもしれません。

最後に、皆様にセルバンテスの至言をお届けいたします。
「世の中には多くの珍しい才能が埋もれたままになっていてね、その持主が利用の仕方を知らないばっかりに、宝の持ちぐされになっているのさ。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第二巻、p.16)

以上ですが、なにか毎日こうして「ドン・キホーテ」について考えていることは、小中学生の頃に、面白い算数や数学の問題があると、「おっ、少し手応えがあるな」ってずっと考えていた、それにものすごく似ているなと思います。
つまりは、そういう部分は、おそらく僕はなにも変わっていないんだな、僕がまだ小さかった頃と。
つまりは、なにも成長していない訳だ、チャンチャン。

2023年9月7日初稿掲載
2023年9月8日、9日、10日加筆修正
和田 健

*¹「ところでサンチョよ、先ごろ上梓されて世に出まわっておる新しいドン・キホーテの物語を描いた、あるいは書いた、というのも、描く画家も書く作家も同じようなものだからであるが」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.374)

Untitled 2023 No.22

Posted in Works 2023 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 21 August 2023 by kenwada

無題 2023 No.22
2023年8月
北軽井沢 作品 No.515
紙に水彩、グワッシュ
77.7×58.0 cm

Untitled 2023 No.22
August 2023
Kitakaruizawa Works No.515
Watercolor and gouache on paper
30.6×22.8 in.

Sans Titre 2023 N°22
août 2023
Kitakaruizawa Œuvres N°515
Aquarelle et gouache sur papier
77.7×58.0 cm

Untitled 2023 No.21

Posted in Works 2023 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 18 August 2023 by kenwada

無題 2023 No.21
2023年8月
北軽井沢 作品 No.514
紙に水彩、グワッシュ
78.0×57.0 cm

Untitled 2023 No.21
August 2023
Kitakaruizawa Works No.514
Watercolor and gouache on paper
30.7×22.4 in.

Sans Titre 2023 N°21
août 2023
Kitakaruizawa Œuvres N°514
Aquarelle et gouache sur papier
78.0×57.0 cm

Untitled 2023 No.20

Posted in Works 2023 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 16 August 2023 by kenwada

無題 2023 No.20
2023年8月
北軽井沢 作品 No.513
紙に水彩、グワッシュ、アクリル
78.0×57.0 cm

Untitled 2023 No.20
August 2023
Kitakaruizawa Works No.513
Watercolor, gouache and acrylic on paper
30.7×22.4 in.

Sans Titre 2023 N°20
août 2023
Kitakaruizawa Œuvres N°513
Aquarelle, gouache et acrylique sur papier
78.0×57.0 cm

トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んで

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 5 August 2023 by kenwada

7月に「今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!」という記事を書いたのですが、その後、「ドン・キホーテ」の読書は、後篇の第四十二章まできました。
しかし、それにしましても、この後篇の第四十一章は、この暑い毎日の中でも、思い切り笑えますね。
木馬クラビレーニョの話ですが、前篇の始まりから、ここまでの物語の全体を通して、一番笑えました。
これは、いくらなんでも遊んで書いていますよね。
これは、いくらなんでもふざけて書いていますよね。
そこに、抽象的な意味合いを求めるとか、あまりそういうことをしなくてもよいのではないでしょうか?
この部分は、単純に楽しめば、それでよいのではないでしょうか。

さて、本文の読書は、このまま並行して進めていくことにして、以前から気になっていたトーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んでみました。
まずは、基本的な情報になりますが、この作品は、トーマス・マン全集の第Ⅸ巻、評論(1)(新潮社)に含まれています。
高橋義孝氏の訳で、上下二段組の活字でp.340からp.379まで組まれ、そんなに長い作品ではありません。
内容は、1934年5月19日に始まり、1934年5月29日に終わるまでの11日間の一種の航海日誌のようになっていて、マン夫人とともに、大西洋を渡りニューヨークへと向かう豪華客船内での様子が綴られ、全部が全部、「ドン・キホーテ」関連の記述や考察という訳ではありません。
基本的な情報は、このくらいにして、僕は、自由に線を引きたいので購入しましたが、大きな公立図書館でしたら、おそらく、借りることができるのではないかと思います。

最初に、トーマス・マンは、「ドン・キホーテ」を「自分でも不思議だが、これまで一度も、その全部をまとめて読み終えたことがなかった。それをこの船旅でやってみよう。そしてこの物語の海を乗りきってみよう。丁度われわれが十日がかりで大西洋を乗りきるように。」(下線筆者、p.344)
マンは、1875年6月6日生まれですので、この乗船の時点で、58才ですね。
「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読むと、とてもよく伝わってきますが、時間というものに対して、非常に厳格なマンですので、ここで大体(ほぼ)59才です、なんていい加減なことを言うと、とてもしかられそうですので、ここはきっちり、誕生日前なので58才。
まあ、前後の文意を汲み取れば、いろいろな部分部分を、これまで繰り返し何度も読んできたけれども、全体を通して読んだことは一度もなかったという意味だとわかりますので、60才にして全くの初読の僕とは、全然意味合いが異なりますが、でも、これには、ちょっと驚きました。

次なのですが、僕が7月に書いた内容と、マンが述べていることとは、大方のところ一致している感触を得られましたので、とても励まされ、勇気づけられもしたのですが、一つ決定的に、僕が考えていたことと異なっていたことがありました。
以下、混同を避けるために、セルバンテス本人が書いたものは、前篇、後篇とし、偽作者が書いた後篇のことは続篇としてあります。
それは、例の後篇冒頭の「読者への序文」、これを僕は「これがすごいですね。なにか批判の文章は、このように書くものだという一つのお手本のようにさえなっています」と、7月に書いたのですが、つまりはですね、僕は、セルバンテスは、「読者への序文」を書いたことで、憎むべき愚劣なる続篇の作者に対して、一応、気持ちの整理をつけ、後篇の執筆を継続し、後篇におけるサンチョの爆発的なおしゃべりは、あくまで前篇執筆後の年月に、最高傑作であるサンチョを創造したという自負や自覚から、後篇では会話をもっと多くしてもよいかなという考えから展開したのだととらえたのですが、マンの解釈はどうも違うようです。
マンは、あくまで「愚劣なる擬作続篇「ドン・キホーテ」」(擬の字、原文ママ、p.347)、「『ドン・キホーテ」のすさまじいばかりの評判を見て誘惑された当てこみの能なし文士の手になった続篇」(p.347)、「かかる原作卑俗化に向けられた侮蔑に満ちみちた、そして嫉妬心をたたえた抗議」(p.347) などとありますように、愚作続篇の偽作者に対する「復讐欲、抑え難い憤怒、猛烈な憎悪」(p.347)、これらのものが土台となって続篇が書かれ、その結果として、サンチョがしゃべりまくるという、すなわち、サンチョが、しゃべればしゃべるほど、当たり前ですが、サンチョの台詞を展開していかなければならず、それは「能なし」作家には、とてもではないができない相談であり、そういった偽作との差別化の方向に進んだと、そして、その結果として、皮肉なことに、この後篇が前篇に比べて、
「第二部の方も、もしその製作に際して自作を模倣作と区別しようという名誉心がはたらいていなかったならば、あれほどにヒューマニズムや学識めいたものや無味乾燥の筆づかいなどによって害われるようなこともなかっただろう。」(害の字、原文ママ、p.348) とありますように、つまらないものになってしまったと、大局的には、どうもそのようにとらえているようですね。
「たしかにこの第二部は、前作の成功の名誉回復を計り、その台なしになった成功の詩的威厳を救済しようとしたものらしかった。しかしそこにはもう前作に見られたような新鮮さと妙を得た無邪気さとがない。」(p.348) ともあります。

人は憎悪や憤怒にかられて、例えば、短い声明文などを書くことはあるでしょうが、「ドン・キホーテ」の後篇などという長い物語 (たしかに長いですよね) を書くということが、果たしてできるのでしょうか?
僕には、サンチョという素晴らしい色と形を十分に使いきれなかったというセルバンテス本人の思いが、前篇執筆後の年月の間に熟成して、後篇の爆発的なサンチョのおしゃべりへとつながったと感じられるのですが。
しかし、それにしましても、後篇のサンチョは、いくらなんでもちょっとしゃべり過ぎているな。
やはり、マンのとらえ方を、根底に激怒ありきを、あくまで基軸にすべきなのかな?
それとも、これにはなにか国民性のようなものが関連しているのでしょうか?
すなわち、セルバンテスのスペイン人としての、マンのドイツ人としての、われわれの日本人としての国民性のようなものが。
ちなみに、マンが、ルートヴィヒ・ティータという方のドイツ語の訳文を、「「ドン・キホーテ」にその第二の正しい面を、すなわちドイツ的な面を与えた」(p.359) と、高く評価しているところ、実に素晴らしいですね。

次です、非常に勉強になりましたので、いくつかの印象に残った文章を、そのまま列挙してみます。
「『ドン・キホーテ』は、世界の書である。」(p.344)
「比類なき記念碑ではないか!」(p.346)
「この作品の堂々としたユーモラスな様式に接すると」(p.346)
「この「大規模にして注目すべき物語」全体を、あるアラビアの原典を注釈づきで校訂翻訳したものだと触れこむ悪戯からしてもう浪漫的・諧謔的な様式手段である。」(p.346)
僕が、7月の記事で、A→B→Cと記したところですね、マンは、悪戯だとしています。
「また、内容を要約して読者に吹聴するところの、章の標題の文句が実にユーモラスである。」(p.346)
これは、僕も感じました。マンは、二つほどその例をあげていますが、僕は、後篇第九章の「ここでは、この章で明らかになることが語られる」が、一番笑えました。そりゃ、そうだろう、どんな章もその章で明らかになることが語られるのですから。これぞ、セルバンテスの諧謔!
「残念ながら老セルバンテスの静かな叡智が窺われるとはいい難い。」(p.347)
う〜ん、こういう一文に出会うために、ひたすら毎日、読書をしている訳です、素晴らしい、なんという知性!
また、前篇が世間でベストセラーになって、後篇の登場人物が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのことをすでに知っているというくだんの立体構成につきましては、マンは、このように述べています。
「全く斬新で、前代未聞である。世界の文学中、小説の主人公がそんなふうに、いわば自己の評判の評判によって、自己の大衆性によって生きているような作品はまずこれ以外には見当るまい。」(p.353)
僕が、セルバンテスは、最初から文学的な金字塔を打ち建てたいというような、そんな野望をもってスタートしたのではないのではと書いた件に関しては、
「もとよりこれは、詩人その人も初めの間はそうはっきりと意識していなかったのである。自分が考え出した滑稽人物に対する作者の尊敬は、話が進むにつれて、次第に増大するー (中略) すなわち、この作品は元来どぎつい諷刺的な冗談として、大した野心もなく構想されたものであって、主人公の形姿がどういう象徴的・人間的位階へと成長して行く運命にあったかは初め少しも予想されていなかったのだ。」(p.356) とあります。
「そしてセルバンテスの思いきった残酷さを訝る。」(p.359)
「こういう着想のうちには、何か苦苦しいもの、そして諧謔的な粗暴な趣きがある。」(p.359)
カマーチョの婚礼や、驢馬の鳴きまねの冒険のことなど、まだまだご紹介したいマンの分析がたくさんあるのですが・・・。

おしまいに、僕は加齢黄斑変性症ですので、眼の事情が許せばですが、次は、ジャン・カナヴァジオの「セルバンテス」(法政大学出版局) に見当をつけましたので、それを読んでみようかなと思います。
フランスのトップクラスの知性が、著書の中でどのような主張を展開しているのか、是非知りたいからです。

拙い文章を最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。

2023年8月5日
和田 健

追伸 1:これは、やはり、根底に激怒ありきのマンの後篇説は、間違っているのではないでしょうか?
そのことによって、この文学作品の価値が、たとえわずかでも下がるような類いのものでは、まったくないと思いますが。
その後の「ドン・キホーテ」や、セルバンテス研究の進展等の要素も多多関与したと思います。
と言いますのは、その根拠として、「一六一四年、おそらくセルバンテスが「後篇」の第五十九章あたりを書いていたとき、タラゴーナ市で、偽作『ドン・キホーテ 続篇』が出版された。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第一巻、訳注、p.428) とあるからです。
つまり、偽作が出版された時、セルバンテスは後篇 (後篇は第七十四章まであります) のすでに終盤である第五十九章あたりを書いていた訳ですから、偽作者に対する憎悪や憤怒にかられて、後篇を書き続けていたということは成り立ちません。
それでは、後篇のサンチョの爆発的なおしゃべりは、前篇執筆後の熟成期間に・・・、という僕の後篇説が正しいものであるかどうかは、今のところ、なんとも判明しませんが、少なくとも否定する要素は一応ないように思います。
いずれにいたしましても、僕がわかっていなかったことは、作者セルバンテスは、後篇を書き続けてきて、第五十九章あたりになって、偽作続篇の出版を知り、おそらくは激怒し、そのあとで、後篇冒頭の「読者への序文」を書き、さらに続きの第六十章あたりから終わりまでを書いていったという順序と言いますか、流れになります。
この時、セルバンテスの心を深く傷つけたことは、マンが指摘していますように、この愚作続篇が、大衆に受け入れられたことで、これはちょっと立ち直れないと言いますか、ひいては、世間や大衆というものの愚かさ加減について、セルバンテスは、実際にかなり屈折した思いを抱くようになったのではないでしょうか。
マンは、このように書いています。
「セルバンテスは、彼の作品の続篇だと称する駄作が、彼の作同様に「世間に流布し」、熱心に読まれたことを知った。擬作は原作の好評を博した諸特徴を粗悪に真似た。すなわち打ちのめされる愚かさと百姓風の大食とのおかし味である。それが擬作の内容のすべてだった。原作のもっていた誠実、文辞、憂愁、人間的な深さ、こういうものは擬作に求められなかった。そして怖るべきことには、世間はこれを不問に付して恬としていた。どうやら世間はそういう点に頓着しなかったのだ。これは詩人の心を無残に打ちひしがずにはおかぬ。」(擬の字、原文ママ、p.347、348)

追伸 2:昨日、追伸 1 を書いたあとに、いろいろと考えていたのですが、追伸 1 に、マンが間違っていたと冒頭に書きましたが、間違えていたと言うよりは、おそらくですが、マンは知らなかったのではないでしょうか?
つまり、「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」は、一応、1934年の航海日誌の形式をとっていますが、やはり文学としての一作品ですので、その前後にわたって手を入れてきていると思います。
例えばですが、翌年の1935年にも少し文章に手を加え、最終的な仕上げをしてきたとか。
でも、まあ、仮に、ここでは1934年に原稿を書いたとしましょう。
その時点で、「ドン・キホーテ」の後篇は、1615年の出版ですから、1934-1615=319年、つまり、後篇が出版されてから、マンは319年してこれを読んでいる訳です。
ちなみに、僕は、今年2023-1615=408年して読んでいる訳です。
そうしたら、これ、わかりませんよ。
やっぱり、前篇ができて、偽作続篇が出版されて、頭にきて、後篇冒頭の「読者への序文」を書いて、後篇本文を書いていったと、通常誰でも考えますよ、流れ的に。
そんな、実は、後篇の第五十九章あたりを書いている時に、愚作続篇が発表されて、それも世間に大いに受けてしまって、激怒して「読者への序文」を書いて、また引き返してきて、残りの後篇を書いたなんて、そんなこと普通思いつきませんよ。
そこでですね、このことからわかることとして、僕は以下のようなことを考えました。
①読書の自由さです。
マンほどの知性の持ち主でも、知らないことについては、考えていくことが、ずれていく訳です。
つまり、文学でも絵画でも同じだことだと思いますが、原作からずれていく訳です。
以前、このエッセイ欄に何度も書きましたが、脳がズレを喜ぶからです。
脳が束縛を解かれ、生き生きと踊り出すからです。
これが何かを創造する、生み出す側の制作者にとっては、何よりも大切なことだと、本能的に感じるからです。
イメージとしては、紙の上に大きな円を描いてみてください。例えば、半径5cmとか、これが原作です。
その右横に、今度は少しずらして同じく半径5cmの円を描きます、これが多少ずれてとらえた自分だけの原作+(まあ、原作+αとか呼び方はなんでもよいですが)です。
そうして最初の円を白色で、その横の円を黒色で塗ります。
当たり前ですが、左から順に、白色、灰色、黒色になります。
その黒色の部分を脳が喜ぶ感じです。
これを、ラウル・デュフィは、そのまま絵画に応用して、例えば葉の表現とかに、見事なまでに使い切っています。
②なぜ、マンは、たとえ一度でもよいので、偽作続篇が出版された時点で、セルバンテスが、すでに後篇を書き始めていたかもしれない、その可能性もあるなということを考えなかったのだろうか?
わかりません。これほどの知性が、たとえ一瞬でもそのことに思いが及ばなかった、チェックしなかった理由は、僕にはわかりません。
僕などは、自然に、上記の前篇を書いた→偽作続篇が出版された→愚作者に「読者への序文」を書いて静かに抗議した→後篇を書いて完成させた、と思ってしまいましたが、だってテキストがその順番になっているから。
でも、そこはなんといってもマンですからね。
わかりません。
やっぱり、あれかな、脳がすでに創造者の脳になっているからかな、なにかその近辺にたぐり寄せることのできる解答があるような気がします。
つまりは、日々の積み重ねであり、日常の習慣の蓄積がもたらすところの脳の変化。

2023年8月6日、戦後78回目の原爆の日に
今朝、生まれた姪孫へ
大叔父である僕は、君が生まれた日の朝、まさにその同じ時刻に、このようなことを考えて書いていたんだよ。
今日から始まる君の人生が、どうか素晴らしい、実り豊かなものとなりますように!
和田 健

追伸 3:追伸 1 、追伸 2 と考察してきたこの問題を、ここで整理したいと思います。
その手がかりとなるのは、追伸 1 の終わりに引用したマンの文章で、ここで再度ご紹介したいと思います。
「セルバンテスは、彼の作品の続篇だと称する駄作が、彼の作同様に「世間に流布し」、熱心に読まれたことを知った。擬作は原作の好評を博した諸特徴を粗悪に真似た。すなわち打ちのめされる愚かさと百姓風の大食とのおかし味である。それが擬作の内容のすべてだった。原作のもっていた誠実、文辞、憂愁、人間的な深さ、こういうものは擬作に求められなかった。そして怖るべきことには、世間はこれを不問に付して恬としていた。どうやら世間はそういう点に頓着しなかったのだ。これは詩人の心を無残に打ちひしがずにはおかぬ。」(擬の字、原文ママ、p.347、348)
さて、この文章を一読する限りでは、マンが実際にこの偽作続篇をいかにも読んだかのような印象を受けます。
この場合、考えられるケースとしましては、
①マンは、実際にこの偽作続篇を読んだ。
②マンは、この偽作続篇を読んでおらず、上記の文章に書かれている内容は、なんらかの方法によって、例えば、誰かの論文等を読むことによって、または、文学的な会話の中で、間接的に知り得た事実であり、情報に基づくものである。
③マンは、①②ともに行った。
ここで、①②ともに行わなかったことはあり得ない以上、一応、想定されるケースとしましては、この3つでよろしいでしょうか。
なにゆえに、そんな枝葉末節にこだわるのかというと、このことが、大きな事実と結びつくように思われるからです。
それでは、順にみていきます。
①マンが実際にこの偽作続篇を読んだのであれば、読書人の常として、出版年を確認すると思います。
その段階で、これまでみてきたような認識の誤りは起こり得ず、「ほう、偽作続篇は1614年に出ていたのか、確かセルバンテスの後篇は、1615年の出版だったよな、それであれば、セルバンテスは、偽作続篇が出る前に、すでに間違いなく後篇を書き始めていたな、それもおそらくはだいぶ書き進めていたであろうな」と、同じ作家という仕事をしているマンは、すぐに考えたのではないでしょうか。
マンが、偽作続篇を読んで直に印象を得た上で、明記されていた1614年の出版年を、思わず失念したという可能性は、ほとんどないように思います。
②間接的に知り得た場合ですが、誰かの論文等にも、1614年の出版は明記されていたが、マンが失念したという可能性はあります。
もしくは、文化的なサロンのような場所で知り得た場合、そもそも出版年(1614)のことなど、会話にのぼらなかったのかもしれません。
したがいまして、マンが実際にこの偽作続篇を読んだのか、あるいは間接的にその内容を知り得たのかが、この問題を考える上での核心になってくるように思います。
駄作だ愚作だと世間で評されているものを、わざわざあえて読むような時間は、マンにはまったくないでしょうから、これはあくまで僕の推測の域を出ませんが、マンは、実際にはこの偽作続篇を読んではおらず、間接的に知り得た情報であり、それもおそらくは、会話によるものであったのではないでしょうか。
マンが作品制作のために集める文献や資料というのは、ものすごい桁外れの量なんですよね。
ですから、マンが論文等によって間接的に知ったのであれば、徹底的にその資料を探し出してきて、調べ上げたのではないかと思うのです。
以上より整理しますと、これまで追伸 1 、追伸 2 で考察してきたような、根底に激怒ありきのマンの後篇説は、会話によって、偽作続篇の内容を知ったがゆえに、その情報不足による誤った認識のもとに、マンが、「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」の中で展開したのではないかというのが、僕に考えられる推測です。

2023年8月10日
和田 健

追伸 4:後篇の第七十一章まできました。
もうあとは、残りの四章を楽しみながらゆっくりと読んで、この雄大な物語の全篇の読書を終えようと思います。
そこで、たとえ一人でもこの文章を読んでくださる方がいるのであれば、その方に対して、僕は、きちんと訂正すべきことはしなければいけないと思いました。
僕が、追伸 3 で考察したことは、間違えたのかもしれません。
すなわち、追伸 3 で引用した文章に対する可能性として、僕は、①②③の場合をあげましたが、そのいずれでもないケースが考えられるのです。
そのケースとはどのようなものかと言いますと、もしかすると、マンは、後篇第五十九章の本文から、偽作続篇の内容を間接的に知ったのかもしれないということです。
後篇のテキストそのものから偽作続篇の中身を知る、この可能性は正直、僕には思いつきませんでした。
と言いますのも、それ以前は、後篇冒頭の「読者への序文」をのぞいて、偽作続篇については特に触れられず、第五十九章にいたって、セルバンテスが、ここまであからさまに、突如として偽作続篇についての憤懣をぶちまけてくるとは思いもしませんでした。
その後、第六十二章のバルセローナの印刷所や、第七十章の悪魔たちのテニスにも、この偽作続篇への憤懣がぶちまけられていますが、う〜ん、さらに謎が深くなってしまいましたが、それであればなおさら、なぜマンは、セルバンテスが偽作続篇の出版を知ったのは、おそらく第五十九章の時点ではないのかと考えなかったのだろう?
この突然の変調から、なにゆえマンは、公爵夫妻の物語、そして第五十八章の似非楽園の人びとまでは、セルバンテスは、偽作続篇の存在を知らずに書いてきたなと判断しなかったのだろう?

やっぱり、結論として、セルバンテスが、後篇冒頭に「読者への序文」を置いたことが、こうした時系列の混乱をまねき、この序文を起点とした一連の認識の誤りのようなものを、結果としてもたらしたのではないでしょうか。
セルバンテスは、後篇冒頭から、偽作者への怒りをもって、書いているぞみたいな感じの混乱。

もしくは、さらに考えますと、セルバンテスが意図的にこの仕掛けを仕組んできている可能性も考えられます。だって、セルバンテスからしてみると、後篇の第五十八章まで書いてきて、突然、偽作続篇の存在を知り、いまさら、第一章に戻って書き直しもできないし、もうどうにもしようがない。
それであれば、後篇冒頭に「読者への序文」を入れておいて、色眼鏡ではないですけれど、このフィルターを通して最初から読んでくれよ、僕はとっても怒っているのだからね、みたいな。
その思惑に後世の読書人たちが、まんまともののみごとに、次々に乗っかってしまったということも考えられます。
セルバンテスの機知からして、その可能性は、少なからずあるように思います。

2023年8月22日
和田 健

追伸 5:えーと、これは、おそらくですが、セルバンテスは、偽作続編の登場に、かなり動揺したのではないかなと思います。
それこそどこにも「僕は実は動揺しました」なんて、意地でもそんなことは書いてはありませんが、明らかに大きな動揺がみてとれるように思います。
第五十九章で偽作続篇への憤懣を初めてぶちまけて以来、第六十二章、七十章、七十一章、七十二章と、いくらなんでも立て続けに、偽作続篇へのやり切れない思いがめんめんと続き、なんだかもう爆発している感じがします。
つまり、マンが主張するところの後篇が偽作との差別化の方向に進んだのは、サラゴサ行きをバルセローナに変更した件もしかりですが、むしろこの第五十九章から俄然顕著になってきます。
特に、いくら物語の中とはいえ、第七十二章の村長の前での法的な措置、宣言書の作成、ここに僕はセルバンテスの深い動揺がみてとれるように思うのですが、いかがでしょうか?
つまり、ここにいるドン・キホーテとサンチョ・パンサこそが本物だという精神的な安心を得たいがための衝動に突き動かされている。
そして同時にそれに対して、実に情けない二人だなというセルバンテス一流の皮肉が混じり、それが「ドン・キホーテとサンチョはすこぶる御満悦で、その様子といったらまるで、こうしたお上のお墨付きがぜひとも必要であって、自分たちの言動だけでは二人のドン・キホーテの相違を、また二人のサンチョの相違を明らかに証明することができないとでもいうかのようであった。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第三巻、p.384, 385)につながるように思うのですが、この一文の解釈は、ちょっと難しいです。
つまり、セルバンテスは、動揺している自分に対して、そのように思っているのかもしれません。
ここにはなにか、滑稽な二人の言動に託した上での、セルバンテスの自虐的な笑いが感じられるように思います。

さらに、引用した上記の文章ですが、これではまるでいかにもこれから第三部が書かれるかのようではありませんか。
つまりは、テレビドラマの水戸黄門の印籠ではありませんが、この公正証書のようなものを持って、また二人で、各地の冒険をめぐる旅に出るという。
それと、敗北を喫して、すっかり憔悴したドン・キホーテがバルセローナからの帰路、なんかやたらと熱を帯びて話す向こう一年間の牧人生活や羊飼いへの憧れ。
これは、偽作者の登場による人間不信からくる反動の現れであり、それに、キリスト者としての傷つけられた魂の救いを求める自然な気持ちが重なっているのではないでしょうか。
さらには、第六十九章で展開されるアルティシドーラの復活、これはいくらなんでも明らかに奇異ですよね。
もう公爵夫妻は出てこなくてもいいのに、再登場した上、なにか無理矢理、場面設定している感がある。
「あっ、これは伏線を設けているな」と、咄嗟に感じました。
これと新約聖書のラザロの復活との関連。

もう大体、これからのテーマが見えてきたようです。
①セルバンテスは、どこの時点でドン・キホーテの「死」を構想したのだろうか?
とどのつまり、究極のポイントになるのは、後篇第五十八章までは、考えていなかったのかどうか。
この問題を考える上でも、例の「読者への序文」が「後篇においてわたしは、後日のドン・キホーテの言動を縷々述べたうえ、最後には彼の死と埋葬にまで言及していますが、それは彼の生涯に関して新たな証言をしようなどという気が何人にも起こらないようにするためです。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第一巻、p.18)と、またしてもフィルターをかけてきて、その思惑に計画通りに、思わず乗りそうになりますが、これまでにもう何度も確認してきましたように、この序文は、後日に書かれたものです。
②1615年に後篇が出版され、翌1616年にセルバンテスは亡くなるわけですが、その間、ドン・キホーテを死なせたことについて、一作家として、どのような感慨をもっていたのだろうか?
まずは、単純に、後悔しているとか、いや、あれはあれでよかったのだとか、または、今は「ペルシーレス」ですか、そちらの方の執筆に忙しく、それどころではないとか、そのあたりから始めて。
③セルバンテスの空間認識能力の高さと、従軍したレパントの海戦との関連。
この問題を考える上で、今読んでいる「セルバンテス」(法政大学出版局)が、とても参考になります。
このあたりになります。

2023年8月23日
和田 健

追伸 6:今朝方、「ドン・キホーテ」(岩波文庫全六巻)を読了しました。
う〜ん、率直に言いまして、これはというのはラストの後篇第七十四章のことですが、蓋をしてきたな、物語を終わらせよう、店仕舞いしようとしてきたな、店をたたもうとしてきたなと思いました。
これはセルバンテスの本音で書いているのだろうか、文面通りに受け取ってよいのだろうか。
う〜ん、これは、400年間様々な議論を巻き起こしてきただろうな、このラストは、彼の本心なのだろうか。
ドン・キホーテが亡くなって、まわりの登場人物たちは、皆泣くわけですが、なにかあまり悲しくないですよね、究極的に。
あの偉大なる狂人ドン・キホーテが亡くなったわりには、荘厳さが感じられない。
別に比較するような問題ではありませんが、マンの「ヨゼフとその兄弟たち」におけるヤコブの「臨終の集い」にみられるような威厳や厳粛さが全く感じられない。
まあ、善人アロンソ・キハーノに戻って死んだのであるから、荘厳な感じなどしなくてもよいのだという反論は成り立ちやすいと言いますか、当然あるでしょうけれども。
でも、これではまるでラ・マンチャの一村民の普通の死ではないでしょうか。
ここのところ。
少し考えてみます。

昨日来、ずっと考えていたのですが、これはというのは再び「ドン・キホーテ」のラスト、終わり方のことですが、これはやっぱり、完全に防御ですよね、守りに入っている。
もちろん、作家が自分の作品を守ろうとする権利はありますし、とても自然な反応でもあると思います。
でも、なんかちょっとな〜、物足りない。
なんかとってつけた感がぬぐえません。
「ドン・キホーテ」の物語を終わらせるためには、一度負ける必要がある→《銀月の騎士》に決定的に敗北する→約束通り郷里の村に帰る→狂気から正気に戻り、狂人ドン・キホーテは、善人アロンソ・キハーノとなる→遺言状を作成して死ぬ。
理屈としてはわかるのだけれども、なんか割り切れないなあ。
つまりは、筋が通り過ぎている。
このかくも唐突に、狂気から正気に戻ったということにも、非常にいろいろなことを考えさせられます。
善人アロンソ・キハーノなんて、いったい誰が愛するのだろう?

これはやっぱり、現在の私たちからは、およそ想像もつかないほどまでに、セルバンテスは、偽作続篇の出版によって心を深く傷つけられ、身にしみてこたえてしまったのかな、決して立ち直れないほどに。
なんか、セルバンテスの「本音を言えば、本当はもう少し書きたかったんだけれどもよ、ろくでもない偽作者が出てきて、こんなことになってしまったから、もうそろそろこのへんで、おしまいにして、この問題にけりをつけようぜ、ちぇ、またしても人間の横槍かよ、面白くもなんともねえや」という感じが伝わってくるのです。

最後に、僕に一つだけ言えることは、この壮大な物語の究極の核心は、つまりは、セルバンテスの呻きが一番ストレートに伝わってくるのは、なんのことはない、ずっーと読み進めたところの、実は結局、ラストのこの後篇第七十四章にあるように思います。

2023年8月24日
和田 健

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 3, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 4 August 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 3, 2023
Acrylic, gouache, watercolor and multi-talented pencil on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 2, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 2 August 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 2, 2023
Watercolor, gouache, acrylic and multi-talented pencil on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 1st, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 1 August 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 1st, 2023
Watercolor, gouache and acrylic on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for July 31, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 31 July 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for July 31, 2023
Watercolor on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

いや〜、面白い!
これだから、ドローイングは、やめられない。
紙に水彩絵の具のセピアとプルシャンブルーの2色だけ。
もう、最高!

Ichi-go ichi-e is a Japanese four-character idiom (yojijukugo) that describes a cultural concept of treasuring the unrepeatable nature of a moment. The term has been translated as “for this time only”, and “once in a lifetime”. The term reminds people to cherish any gathering that they may take part in, citing the fact that any moment in life cannot be repeated; even when the same group of people get together in the same place again, a particular gathering will never be replicated, and thus each moment is always a once-in-a-lifetime experience. The concept is most commonly associated with Japanese tea ceremonies, especially tea masters Sen no Rikyū and Ii Naosuke.
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