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今年の終わりに

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 31 December 2016 by kenwada

皆様、こんにちは。
今年も今日で終わりですね。
皆様にとって今年一年はどのような年でありましたか。

今日はこの一年の活動の締めくくりとして、
今年僕の心の血となり肉となった4冊の本を読了順にご紹介します。

このサイトを普段観て下さっている方は、すでにお気づきのように、
文学作品を通して得られる他では得ることのできない滋養分は、
太古の構成要素である自然から受け取る純粋直観の力とともに、
僕の創作活動の大切な源流です。

1. 「ヨセフとその兄弟」
(トーマス・マン、望月市恵、小塩節氏訳、筑摩書房全3巻)
この本については、このサイトのEssay欄にすでに書きましたので、
細かいことは省略します。圧倒的でした。(2016年1月22日読了)

2. PRUFROCK and Other Observations, T. S. Eliot, 1917
テキストには、Harcourt Brace & Company版の
T.S.ELIOT COLLECTED POEMS 1909-1962を使いました。
辞書を引きながら、この詩集に収められている12の詩を一つ一つ
たどたどしく訳してみて(もちろん拙い訳です)、
僕は三つの大切なことを学びました。

一つ目は何と言っても原文に直接触れる楽しさを学んだことです。
詩は可能な限り、直に原文にあたらなければいけませんね。
その極めて肝心なことを教えられました。

二つ目は“モダン”ということです。
僕は初めて“モダン”とは何かということを、
理屈ではなくて、体全体でつかめた気がしました。
どの詩も読みながら体がぞくぞくする程の高揚感があり、
ただひたすらどこまでも美しいのですが、
ここに収められている12の詩の世界をゆっくりと順に旅をしますと、
100年前の1917年は来る2017年よりも明らかにモダンだなと実感します。

三つ目はこの訳出という作業を通して、
詩人の言葉は、小説家の言葉よりも知力の凝縮度が高い、
ということに、今頃になってようやく気づいたことです。
遅きに失した感もありますが、後悔しているのであれば、
ここから詩の世界に親しみ没入していこうと思います。
(2016年7月24日終了)

なお、最後の詩のLa Figlia Che Piangeのanalysisに
Sam Alexanderという方がYale Universityのサイトに出している論文を
使いましたが秀逸でした。
学部生のテキストのようですが、これ一つ読めばどのように詩を
読み解いていけばよいのか基礎が全て身につくと思いました。

3. 続いてWilliam BlakeのSONGS Of INNOCENCE and Of EXPERIENCEに
入りました。
テキストには、Anchor Books, a division of Random House, Inc.版の
The Complete Poetry & Prose of William Blakeと、
Thames & Hudson版の
William Blake THE COMPLETE ILLUMINATED BOOKSの二冊を使いました。
前者のテキストを訳しながら、一つの詩を訳し終わるごとに、
自分の中の絵画的なイメージを高めた後、
後者のテキストにあるBlake自身の絵と照らし合わせるという
まるで小学生が問題集の問題を解いては、
巻末の答を見ながら答え合わせをするような作業を
46詩について繰り返しましたが、これが途中から異様に楽しくなり、
また自分の仕事に向けても大いに役立ったように思います。
やはり詩については、でき得る限り原文にあたらないといけない、
その思いを強くしました。
(2016年12月15日終了)

なお明日元日から、THE MARRIAGE of HEAVEN and HELLに入ります。
楽しみ!

4. 「神曲」(ダンテ、平川祐*¹弘氏訳、河出書房新社)
そもそもの始まりはイタリア滞在中、
フィレンツェのSanta Maria del Fioreの大聖堂内部に
Domenico di Michelinoの1465年の作品、Dante ed i tre regniが
飾られてあるのを観て、しばらくその場から動けなくなりました。
そして、これは帰国したらすぐにダンテの「神曲」にとりかかるぞ、
何が何でも読むぞという、啓示のような力を受け取りました。
ヘッセの言う「雄大な中世の精神の精髄として極致として文学の中に、
ダンテの「神曲」が生き続けている。イタリアと学者層のほかでは、
もはや少数の人にしか真剣に読まれていないが、
絶えず深い感化を放射しており、人類のもつ数冊の、
千年にわたる偉大な書物の一つである」*²この本に対して、
まだ何か言うことはできませんが、僕は地獄篇→煉獄篇→天国篇と
物語の進行につれ面白みが増してきました。
すなわち僕は天国篇が一番面白かったということです。
最後の全体の第百歌、天国篇の第三十三歌を何と表現したらよいのでしょう。
いよいよキリストそのものを歌ってくるだろうという
僕の稚拙な期待は実に見事にはずれ、思わずう〜んと唸ってしまいました。
関連本として、正宗白鳥の「ダンテについて」
(正宗白鳥集、現代日本文學大系16、筑摩書房)と、
エリオットの「ダンテ」(エリオット全集4、詩人論、中央公論社)
を読みましたが、エリオットはこの本の中で第百歌について、
「この「天国篇」の終りは、私の考えでは、詩が曾て達し得た、
又これからも達し得る最高の境地」であり、
「これ程我々の日常の現実から遠ざかったことを、
このように具体的に表現することに成功しているものはない。
・・・(中略)・・・人間の理解を超えたことを、
こうして視覚的な影像で刻々捉えて行くことが出来る巨匠の手腕に接して、
我々はただ畏怖の念に打たれるばかりである。」*³と述べています。
おそらくは一生繰り返して、そしてこれからは自分の好きな箇所や歌を
拾い出しながら読み続けていくことになる気がします。
(2016年12月27日読了)

*¹ 正しくは示す偏に右の旧字体です。
*²「世界文学をどう読むか」(ヘルマン・ヘッセ、高橋健二氏訳より抜粋)
*³  P354, p376, 377より

それでは、来る2017年が皆様にとってよいお年となりますよう!
来年もどうぞよろしくお願い致します。
(2016年12月31日記)

後日記:
これを書いた後で電車に乗っていて、
手元の訳した資料からふと目をあげた時に、
突然気づいたのですが(思わずわかった!と声を出しそうになった)、
T.S.EliotのRhapsody on a Windy Nightの中の難解な箇所である
“Regard the moon,
La lune ne garde aucune rancune,
・・・(中略)・・・
The moon has lost her memory.
は、ダンテの「神曲」煉獄篇、天国篇との関連から
読み解けるのではないでしょうか。
Eliotがこの詩集を出版したのが1917年で、
上記「ダンテ」を書いたのは1929年ですが、
「神曲」をはじめとするダンテの著作については、
膨大な勉強・研究が継続されており、
これは要するに太陽の妹*¹である月が何の恨みも抱いていない、
月は記憶を失った、
いうのは月が煉獄において魂を浄化する過程でレテ川を渡り、
過去の罪業の記憶を消し、現在は天国にいる、
天国篇の物語の中に位置しているということなのではないでしょうか。
そうであれば、Rhapsody on a Windy Nightを以前シリーズで
描いていたものが、この箇所でピタッと止まったままでいましたが
月の姿を描けると思います。
それからこの詩の中で突然現れる唯一のフランス語行の挿入は、
以下の3行をはじめとして女性形のsheやherでもっていきたいため
という理解でよいのでしょうか。
月は女性であるということを強調したいがための、太陽の妹であるから。
しかしこれ程の知の塊が、そんな単純なことだけのためにするでしょうか。
3つの韻は美しいですが、これがフランス語行挿入の理由とも思えません。
教えを請う人もいません。疑問が残ります。

*¹ 上記「神曲」煉獄篇第二十三歌、p211より
数日前、これの」
といって私は太陽を指さした、「これの
妹が円く見えた時のことだ。
(2017年1月2日記)

イタリア その2

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , on 6 December 2016 by kenwada

今回のイタリア滞在では、展覧会のOpeningの前後に、
ボローニャ、フィレンツェ、ペルージャ、ヴェネツィア、ベルガモと回り、
数々の貴重な美術品、建築物、風景を観ることができました。

そこには7年間生活したフランスに比べて、
ヨーロッパの国としてもカトリックの国としてもより古いものが、
頑強に継続されながらも、素朴に簡素に息づいていました。
そしてそれらは旅先で出会った親切なイタリアの人々とともに、
僕に大きな感化をもたらしました。

今回のイタリア行の直接の機会を与えてくれたPaolaさん、
気持ちよく送り出してくれた妻に深く感謝しています。

以下の文章は、ベルガモについて僕が書いたものです。
ご興味がある方は、読んでみて下さい。
「」内の色字で示した文章の引用は、すべてヘルマン・ヘッセ、エッセイ全集
第5巻(島途健一氏訳、臨川書店)「ベルガモ」p187〜p192によります。

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ヘルマン・ヘッセがいなければ、そしてヘッセを読み続けてこなければ、
僕がここベルガモの地に導かれることはおそらくなかったであろう。

ケーブルカーが丘の上のCittà Altaの駅に止まり、ヘッセのエッセイ全集を胸に
僕のイタリア滞在の最終目的がいよいよ始まるのだと思った。

ヘッセが普段どのようなものに対して本物の芸術を感じているのか、
どのようなものを本当の芸術家の仕事としてみなしているのか、
彼が1913年に書いたエッセイ「ベルガモ」「サン・ヴィジーリオ」を
読み返しながらその足跡を辿り追体験することで、
その感性を五感を通して体全体でどうしても受けとめてみたかった。

彼の考える真の芸術、真の芸術家とは何なのか、
今後の自分のために、大いなる宿題として。

まずはベッキア広場、
記述通り全く変わらず、ただガリバルディの大きな記念碑は見つからない。

「実に見事な宮殿の前に立った。
一階はアーチ屋根の大きな開放空間になっており、
角ばった太い柱が外側に、それよりも軽やかな美しい柱が内側に立っている。」
「巨大な急階段が柱の上に波型瓦の屋根を乗せて図書館へ続いていた。
階段をやりすごして、期待に胸を躍らせながら開放空間を通り抜け、
バロック期の力動感あふれる詩人タッソーの立像の横を通り過ぎた。」

Essay

Torquato Tasso(1544-1595)

僕も同じようにタッソー像の横を通り過ぎる。
この辺りでこの最終目的は、はぼ余すところなく実現されるぞという
予感のようなものが体を突き抜ける。
103年後に何も変わることなく佇むイタリアの街への感謝とともに。
東京ではもちろん思いもよらないこと。
僕の住む東京の界隈では、下手をすると半年後の風景さえ
大きく変わっていることもある。
決して冗談などではなく。

「教会の玄関の前には小さく突き出した高い建物。
その六段のささやかな石の階段。
ライオンの支える二本の柱に乗ったロマネスク様式の大きなアーチ。
その上には高く大胆なゴシック様式の上部構造。
これは小さくて優美な一種のホールで、三つの小部屋に分かれ、
それぞれにおおよそロンバルディアに由来する古くて素朴な彫刻が置かれ、
真中の彫刻は馬に乗っている。
それらの上にさらにもうひとつ、尖った屋根の狭い階層。
小さな部屋になっていて、前方にふたつの明るく上品な柱が立ち、
中には三体の聖像が入っている。
これらの全体が、
世慣れていない優美さと自然のままに育まれた無邪気さをたたえて、
かの無名性の魅力を放っていた。」

Essay

「刺青のような外装にひるむことなく、礼拝堂に入ってみた。
ヴェネツィアの将軍コッレオーニが娘とともに葬られ、
今日なお、敬虔なる将軍の・・・(中略)・・・その隣の壁には、
上品に小さく、ほっそりと優美な姿で、将軍の若い娘が石に刻まれ、
石の枕に横たわっている。
そして名も知れぬ芸術家によって永遠の命を与えられ、
心を打つ美しい姿を見せながら、何も知らず、
父親と同じ永続性と名声に向かって眠り続けている。」

雷に打たれたようにハッとした、
将軍の娘が石の枕をして横たわっている像。
これなのか、真の芸術とはこれなのか、
名もない芸術家によって永遠の命を吹き込まれた像。
礼拝堂内写真禁止のため撮れず。
Giovanni Antonio Amedeo(1447-1522)の手掛けたもの。
ロンバルディア州Paviaの生まれ。彫刻家、建築家、エンジニア。

「いよいよ好奇心にせき立てられて、
柱を支えている玄関の赤褐色のライオンを尻目に大きな教会へ向かい、
中へ入った。」

Essay

Giovanni da Campione(約1320-約1375)の1351年の作。
赤いライオン像二体。
ロンバルディア州Campioneの彫刻家、父彫刻家、息子二人も彫刻家。
サンタ・マリア・マッジョーレ教会の中にも三体の彫像が置かれていた。
その形態のおおらかさ、伸びやかさに惹きつけられる。
教会の南側翼廊の二体の白いライオン像も1360年の彼の作品。

教会内陣の
「二、三十ばかりある座席の背面がどれもみな寄木作りの木工品で、
彫像が延々と続いている。」

これがどうしても見つからない、肝心なところなのに。

「さらに先へ行くと、静まりかえった小さな場所に出た。
すばらしいことにテルツィ広場という名前だった。
・・・(中略)・・・その中に等身大よりも大きな美しい婦人像が、
やわらかく優雅な様子で立っていた。おそらくケレースだろう。
そして壁全体の上には締めくくりとして装飾の列柱が並び、
両側には二体の天使像が立って、収穫を盛り込んだ角と穀物の束を手にしていた。
私は魅せられて足をとめた。これこそ最上のイタリアの一部であり、・・・」

Essay

あった、最上のイタリアの一部。
Giovanni Antonio Sanz(1702-約1771)の作。
当地ロンバルディア州Bergamoの彫刻家。

「振り返ると、婦人像の対面に大邸宅の門が開いていて、
きれいに湾曲したアーチの下に広がる中庭には植物や吊りランタンが見え、
その向こう側にエレガントな欄干と二体の大きな彫像が
青空の中にくっきり縁どられて夢のように立っていた。
そしてこの壁に囲まれた狭い広場の只中で、
私はポー平原をつつむ空間の無限の距離と広がりを予感した。」

振り返ってまさかな、それではテレビドラマの世界になってしまう。
でも開いていた、103年後も同じように大邸宅の門が、信じられないことに。

Essay

ああ、イターリア!

来年のニューヨークの展覧会のお知らせと3つの構想について

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , on 11 June 2016 by kenwada

来年のニューヨークの展覧会の日程が決まりましたので、
お知らせ致します。
場所や日時等の詳細につきましては、
右側の「展覧会予定 The upcoming exhibitions」を
クリックしてご覧下さい。

今年は初めてのNYCでしたので、いろいろと勝手がわかりませんでしたが、
来年へ向けて頑張っていこうと思います。

4月にNYCから戻って以来、以下の3つの構想の下に日々の仕事を進めてきました。

1. 私が従来より考え展開してきた「無意識絵画」を推し進めていったところ
今現在最終的にたどり着いた形であるように考えている、
「落書き・しみ・汚れペインティング」と総称するものについて。
英語表記は一応、Scribbling & Stains Paintings にしようかと考えています。
これを現在F100号に油彩で展開しています。
1枚目がほぼできて、現在2枚目を制作中です。
あわせて画用液についても、もう一度学習し直しています。

2. Yukichi Paintings のシリーズを油彩で続けてきました。
昨日、小さなToileの3枚目が完成し、これで一先ず終わろうと思います。

3. 最近、詩の原文にあたり辞書を引きながら、たどたどしい訳文を作るのが
密かな楽しみとなりました。
エリオットのRhapsody on a Windy Night のシリーズにみられるように、
そこから沸き起こってくるイメージを絵画にしています。
これはもう完全に自分の楽しみとして、トレーニングの一環として制作しています。
もちろん我々日本人には、「俳句」という強力な対抗手段がありますが、
俳句ですと、個人的に少しきつ過ぎるというか、キンキン響きすぎるというか、
情操や情感を膨らませるイメージ訓練には、詩の方が適しているように思います。
このイメージ訓練は、フランス時代に自分で思いついて始めました。
当時ランボーの詩を絵画にした作品は、
La Galerie de Ken Wada 1 の中で、今でも幸いなことに多くの人に観ていただいています。

Rhapsody on a Windy Night の中の
Midnaight shakes the memory
As a madman shakes a dead geranium.
にはしびれますね。
上の行については、探せば表現できる人がもしかしたらいるかもしれませんが、
続く下の行には、何かとてつもないもの、才能があるとか、
センスがあるとかではない、何かもっと堂々たる普遍的なもの、
想像を絶する知力の凝縮のようなものを感じました。
この下の行の中に少しでも比喩の才能や言葉選びのセンスを感じたら、
この詩に対してここまで引きずりこまれることはなかったと思います。
後半に出てくるdry geraniums との関連から、個人的にdead は「死んだ」と訳しました。
ここはやはり死んだゼラニウムを狂人が揺すらないとだめですね。
もちろん一般的には「枯れた」だと思いますが、枯れたぐらいの迫力ではね。

さて有名な詩ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、後半の月のシーンで、
The moon has lost her memory.
というまたしても凄まじいまでの知力の凝縮が出てきます。
ここでパタッと筆が止まってしまい、現在に至っています。
何とか絵にできるでしょうか。
私には無理でしょうか。
楽しみつつ挑戦していこうと思います。

ヨセフとその兄弟

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 22 January 2016 by kenwada

皆様、こんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。

僕の方は、年明け早々から家族の病気が再発し、厳しい新年の
スタートとなりました。

苦しい中、僕の心をいつも温め力づけてくれたのは、昨年9月24日に
読み始めたトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟」*¹で、旧約聖書と
照らし合わせながら少しづつ読み進め、ようやく今日になって全巻を
読み終わりました。

2度穴に落ちたヨセフが、異国エジプトの地で国王パロに頭を高められ、
10人の兄たちを初めて迎える場面がありますが、
そこでヨセフが執事長マイ・サクメに語る言葉、

「・・・というのも、友よ、朗らかさと抜目のないいたずらとは、
神の我らへの賜物のなかで最も貴重なものであって、
複雑怪奇でいかがわしい人生に対する最も心のこもった回答なのだ。
神がそれらをわたしたちの精神に与えてくださったのは、
わたしたちがこのきびしい人生というこれをさえ微笑させるためなのだ。
兄たちはわたしの服を引裂き、わたしを古井戸のなかに投げこんだが、
こんどは兄たちがわたしの前に立たなくてはならない。
人生とはそういうものだ。
そして行為は結果から評価すべきであるのか、
悪い行為も、立派な結果が生まれるのには必要であったのだから
善とされるべきであるのか、こういう疑問も人生である。
こういう疑問は人生がわたしたちに向けて問いかけてくる疑問である。
そういう疑問には、真面目だけでは答えられないだろう。
人間の精神は明るく朗らかであることによってのみこういう疑問の上に
立てるのであって、おそらく人間精神は、答えられない疑問に対しては
心からのユーモアを持つことで、答えを与えてくれない巨大な存在である
神さえも、微笑させることになるであろう」*²

この言葉が僕の心と体をどれだけ励ましてくれたことでしょうか。

明るく朗らかな抜目のないいたずら心をもって、
人生に対して微笑していくことができれば・・・、
その方向性を示してくれたこと、
この不可解・不条理な人生に対して。

次は、兄たちが末弟のベニヤミンを連れて2度目にやってきた時のヨセフの言葉、

「ちび助も一緒なのだ!神のこの物語はしばらくのあいだ足踏みをしていた、
わたしたちは待っていなくてはならなかった。
でも物語になるような出来事らしい出来事もないように見えていても、
事件はたえず起こりつづけており、日輪の影は静かに動いている。
人は時の流れに心安らかに身をゆだねつつ、
時の流れをほとんど気にしないようにしていなくてはいけない
(中略)時の流れがきっと自然に変化をもたらし、すべてを運んできてくれる」*³

僕が今、どのような状態にあっても人生は進んでいます。

旧約聖書というのは、汲めども尽きることのない無意識の宝庫ですね。
神のプラン(御計画)という名の。

*¹「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房、望月市恵、小塩節氏訳、全3巻)
*²第3巻、みんながやってくる、p.311,312より原文のまま。
*³第3巻、銀の高杯、p.361より原文のまま。

2016年1月22日
和田 健

てんでばらばら

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , , on 23 July 2015 by kenwada

後ろの筋雲、手前の樹木A、さらにその手前の樹木B。
反転による組み合わせ。
自然の現物は、collage そのもの。
(ちなみに筋雲には、縦の筋雲、横の筋雲、斜めの
筋雲が用意されている。)

後ろの筋雲は、手前の樹木Aに合わせようとしてこない、
現に今朝は快晴、雲一つない、筋雲に対する樹木A、
樹木Aに対する樹木B、以下すべて同様。

これを体でつかめば、森全体もまた同じであることが、
理屈ではなく、はっきりとわかる。

ところで、「切り(取り)」の問題をどう考えるのか?
そこでまず試しにカメラで切ってみる。
何がわかるか。
「切り」の問題をどう扱ったらよいのか?
裏から切るか?
表から意図的にきれいに切るか?
表から目隠しして切るか?
いっそのこと切らないか?
切る「頻度」をどうするか?

切る時は、大胆に切る、躊躇しない。
大胆に躊躇せずに切るためには、現実にしがみつかないこと。
縦・横で切らない、斜めに枠をとる。
回転で切る。
そしてcollage でよい所を隠す。
これらはすべてつまらないコツのようなもの。

Drawing 1 for Untitled No.21
(制作風景1、紙に墨、水彩)
Drawing 2 for Untitled No.21
(制作風景2、紙に墨、水彩)
Drawing 3 for Untitled No.21
(制作風景3、紙に墨、水彩)
Drawing 4 for Untitled No.21
(制作風景4、紙に墨、水彩)
Drawing 5 for Untitled No.21
(制作風景5、紙に墨、水彩)

次に、「組み合わせ」の問題が来る。
そこで切ったもの(断片)を、無作為に床の上に並べる。
これが難しい、少しでも気を緩めると、
すぐにまとまりをもたせて、きれいに並べたくなる。
これを四方を回りながら、回転で観ると新しい気づきがある。
その際、右回り、左回りで観る。
要は、右利きの絵と、左利きの絵があるということ。

Cut papers for Untitled No.21

さらに、「きれいなものにやがて目が慣れる」という問題が出て来る。

*樹木A は樹木B に・・・・樹木Z に「一緒に調子を合わせて
枝葉を伸ばし、全体としての調和を目指そうよ。」などと、
決して話しかけたりしない。
つまり、自然(森)の原理は、てんでばらばら。
・いかに人と違っているかを誇る→フランス人。
・どのようにして列をはみ出さないか→日本人。
・風変りであることを認める文化→イギリス人。
・ヘルマン・ヘッセが、その圧倒的なまでに美しい叙事詩
「庭でのひととき」の中で触れている巨大なサボテンと
小びとのクローバーの例は、そこにあまりの「体格差」が
あったからだと思う。
おかしみのある程の体格差が。
てんでばらばら。

再び絵画日々のメモより

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 9 July 2015 by kenwada

The trees in front of my studio
(アトリエの窓から見た風景)

このノートは、A4大。
1冊目の表紙に、
「一枚紛失したのを機に、すべてこのノートに整理・保管することにした。
なぐり書きでよいので、すべてここに書きなさい。」
とある。

1 緑と青のみでは、薄くて回せない。

2 大胆に切ることによって、樹木は倒立して回せる。

3 一つのつまらないコツのようなものとして、collageの切り貼りの組み合わせは、いいところを隠せば決まる。

4 樹木Aは、隣りの樹木Bの①種類、②樹高や枝の張り具合などの樹形、
③葉の色や形等を意識していない(例えば楢と山桜)。
なのに、全体としては、完璧に調和している。
何故か?
それは、一本一本を見れば、ゴツゴツしていて荒々しく、
極めて不格好だからである。
個々において不細工であると、全体として調和する。
まるで美しいモデルのある種の顔のように。
ところで、逆はどうか?
一本一本の樹木が美しいと、全体として不格好なものになるのか?
それともさらに美しいものになるのか?
ただし、人工的な例えばフランス庭園のような人為の塊のようなものは除く。
でき得る限り森の中で生活すること。
都会のビルから学べることは、地震の時にどのくらい揺れるかである。

5 collageは、要は、薪割と同じである。
丸切りした丸太を割る。
どういう風に割れるかは、
どこに亀裂としての半径が描かれるかは、割るまでわからない。
割った薪を薪小屋に積む。
積んだ後で、労働の結果として、日々変化していく薪小屋の断面の集積模様を眺める。
右回転、左回転、かすれ、「ブッコウ国師げ」そのもの。
薪割程、図形的訓練の要素に満ちたものはない。
我々は、庭仕事の中で、多くの制作上の鍛錬をしている。
それは、庭仕事の中に、制作上のヒントが含まれているというようなものではない。
もっと肉体労働のようなもの、直接的な筋肉の運動に近いものを感じる。

6 今年下半期の読書の流れ(上半期分は「絵画日々のメモより」の中に記述)
ヘルマン・ヘッセ「知と愛」(新潮世界文学、高橋健二氏訳)、7月1日着手、7月16日読了。
引き続いて、「ナルツィスとゴルトムント」(ヘルマン・ヘッセ全集14巻、臨川書店、青島雅夫氏訳)、7月17日着手、8月29日読了。
同じ本を違う訳で続けて読んでみた。
その間に、「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集6巻、臨川書店)を読む。8月23日読了。
「ニーナとの再会」、「隣人マーリオ」に強く心をうたれた。
また、アーダルベルト・シュティフターの作品の中から、
「花崗岩」「石灰石」「森ゆく人」(松籟社)を読む。
ヘルマン・ヘッセ「荒野のおおかみ」(新潮文庫、高橋健二氏訳)、8月31日着手、9月9日読了。
9月15日、フリードリッヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」(上巻、岩波文庫)を読み始める。
「ツァラトゥストラ」(上巻、ちくま学芸文庫)を参考にしながら読む。
9月24日、トーマス・マン「ヨセフとその兄弟Ⅰ」(筑摩書房、望月市恵、小塩節氏訳)を読み始める。
この膨大な長編物語全3巻を、今年中に読み終えることは難しいだろうが、圧倒的。
10月11日現在、第一部ヤコブ物語まで読了。
(6の今年下半期の読書の流れのみ、2015年10月12日に加筆)

薪小屋風景1
(薪小屋風景1)

薪小屋風景2
(薪小屋風景2)

絵画日々のメモより

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 10 June 2015 by kenwada

「樹木の魂は、どこにあるのか。」のシリーズの制作過程に関するメモ。
1~18の順番には個人的な大切な意味が有り、並び替えや編集等はしたくない。
(原文のまま)

1 最初、handが固かった。
新聞紙で、手を動かす、ぐるぐる、練習・体操してから、描くこと!
全ては準備!
ぐるぐるぐるぐる肩回し、腕回し。(2014年8月21日)

2 冥想。(2015年1月)
(音楽名人、クネヒトに冥想を教える。のメモ辺りから取り入れた)

3 コの字、逆コの字の囲い込み。(図有り)(2015年1月14日)

4 強弱強弱の枝分かれ、同じところから、違うところから。(2015年1月14日)

5 斑点打ち。(2015年1月14日)

6 四角の囲い込みと、何かの脱力。(2015年1月13日)

7 「カ」の字と、漢字の要素の取り込み。(2015年1月13日)

8 あともう少しのところまで来ている。(2015年1月14日)

9 樹木には、あらゆる形、あらゆる図形、すべての幾何が含まれる。
樹木は、すべての幾何を受容する。(図有り)(2014年12月7日)

10 イブ・サン=ローラン方式。
一つ一つ心を止めて、丁寧に味わいながら。(2015年1月14日)

11 大きなコの字、大きな逆コの字。(図有り)(2015年1月27日)

12 線を引くときは、思いっ切り、躊躇しない。(2015年1月27日)

13 大きな三角、その中に小さな三角。(図有り)(2015年1月29日)

14 どっかりと胡座をかいて座り込むような絵画・作品制作に対する情熱と愛情。
画板を作ったりする愛情。(2015年1月30日)

15 線の強弱強弱、かすれ。縦軸、横軸。
縦三角の中塗り。小さい丸。菜箸の細い方で。(図有り)(2015年2月17日)

16 最後は、「児童画」のようになってきた、
ある種の「記号絵」のようになってきた。(2015年2月19日)

17 パンパン、パンパン、描いていったらよい。
墨はあとから上からいくらでも消せるから。(2015年2月19日)

18 その囲っていった線や図形の中のどこかに、「樹木の魂」はある。
図形による囲い込みで、樹木の魂をとらえる。
ただし、その囲い込みには、空間・隙間があるということ。
(図有り)(2014年12月7日)

その他のメモの中から

19 井上有一展(虎ノ門)を観て。
「ブッコウ国師げ」、大変感銘した。右回転、左回転。かすれ。
大きさにとらわれない。
初めに大きさを切って、描くのを廃止する。
筆、画材、墨、和紙、唐紙、全ての活用
→ 新しい表現様式を見出す。(2015年4月30日)

20 希望がないということ。
イブ・サン=ローランには、現実に対する開き直りが基本的にある。
開き直りがあれば、一つ一つ心を止めて、丁寧にじっくりと味わいながら、
物事を進めることができる。
これまでずっと真逆の思考をしてきた。
つまりそれは修行によって到達できる、悟り得る、一種の心境や地点のように考えていた。
ここに人生の「パラドックス」があった。
人生に、現実に、しがみついているから、それができなかった。
人生にしがみつくな。
開き直りの最大の土台は、「人生に対する希望がない」ということなんだな。
もちろん誰もそんなことは教えてくれない。
「お前、人生の秘訣は、できる限り早く希望をなくすことなんだよ」なんて。
希望のない状態を希望するということ。
小林秀雄さんが講演「正宗白鳥の精神」(新潮CD)の中で言われていた
あることが、ようやく理解できた。(2015年5月12日)

21 上から消すこと、上から消すこと、上から塗りつぶして消すこと。
消し跡は美しい。描いた跡は美しくない。
それに関連して、描くからダメなのではないか、描くから。
ではどうするかというと、描かない。描かないで遊ぶ。
そのイメージは、子供が砂場でスコップ片手に無心に遊んでいる感じ。
(2015年5月)

22 今年上半期の読書の流れ。
「ガラス玉演戯」と小品「我意」(ヘッセ、新潮世界文学)ともに圧倒的。
→数学関係の本数冊、
「ある数学者の生涯と弁明」(ハーディ、丸善出版)は、すばらしかった。
「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン、新潮社)も面白かった。
→「夜と霧」(フランクル、みすず書房)新版の池田香代子氏訳で読んだ。
→「確実性の問題」(ウィトゲンシュタイン全集9、大修館書店)
今まで、何度も跳ね返されてきたウィトゲンシュタインの厚い壁の中に
初めて少し入れた気がした。
最初に「論理哲学論考」や「哲学探究」から入るからダメなんだよ。
総合理解をする上で、「ウィトゲンシュタイン家の人々」という
サイエンス・ライターが書いた本の中のある一文と家族についての記述が、
思わぬ形で役に立った。
138 には痺れた。
「地球が最近百年間存在していたかどうかという研究は存在しない。」
「断片」195の「判じ絵」は、まさしく僕が日常的に行っていること。
→「断腸亭日乗」(荷風全集第21巻、岩波書店)
小津安二郎さんが「全日記」の中で頻りと読んでいたことを、
何故か思い出し読み始めた。面白い。
→「シッダールタ」(ヘルマン・ヘッセ全集12巻、臨川書店)
岡田朝雄氏訳で読む。
「おまえは下って行くのだ!」
私の人生は実際奇妙なものだった、と彼は思った、
それは奇妙な回り道をした。p.76
高慢な気持ちでいっぱいだったのである。p.79
彼が自ら定められた人生を生き、自らを生きることで汚し、
自ら罪を背負い、自ら苦汁を飲み、自ら自分の進路を見いだそうと
することから、どんな父が、どんな師が、彼をくい止めることが
できたろう?p.96
何びとも教えによって絵を描くことはできない。
(2015年6月)

23 サイ・トゥオンブリー展(北品川)を観て。(2015年6月9日)
・細かいことにかなりとらわれないというか、荒々しい。
・丁寧、こわごわはまるでない。
・このど迫力は凄まじいな、これは自由だな。
すごく精神の自由さ、闊達さを感じる。
・紙は全部出してきている。
・何物にもとらわれない精神の自由さ、大胆さ、図太さ、特に力強さ!
・何故に恐れというものがないのか。
全人格がこれほどまでにストレートに反映した絵画。
・灰と黒でもっていく発想はなかった!
・collage→二つ折り、ホッチキスで止めるだけ。

人間というものを見ず

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 21 January 2015 by kenwada

2015年1月7日水曜日、人間というものを見ず。

夕方になって、そう言えば、今日、人間を見なかったな、と思う。
出会わなかったのではない、見なかったのである。
しばらく経ってから感じたのだが、
これはこれでなかなか貴重な経験なのではないだろうか。

例えば、ホテルに泊まったのでは、ダメである。
廊下やエレベーターやフロントで誰かに合う。
それではと部屋にこもっても、少しカーテンを開ければ、
外には人間が歩いている。
車が通る、車が通れば運転している人間がいる。
考えてみると、この現代社会において、都会に住もうが地方に住もうが、
動いている車を1日中1台も見ないというのは、難しいことである。

今、僕は標高1100メートルの山の中で制作しているが、
この村の8丁目から南側に、人はいないようである。
ざっと考えて、半径1キロメートル以内に、
僕以外に誰も人間がいないというのは、素晴らしく清々しい気持ちがする。
同じ山の中でもスキーや温泉に行ったりしたのでは、
間違いなく人間を見るだろう。

脈絡も無くふと思ったのだが、植村直己さんとか冒険家は、
意識下の無意識的領域で人間というものを見たくないので、
時々我慢ができなくなって、ああいう冒険に出かけるのかも知れない。
北極点到達とか◯◯山登頂などは、意識の領域で目標としてただ感じて
いるだけで。

僕のいる村は、その四季の中で、何と言っても冬が圧倒的に美しい。
現在、積雪は30センチメートルといったところ、
樹木に木の葉はなく、
見渡す限り、一面の白、白、白である。

人間というものは見ないが、実に多くの野生動物は見る。
コガラ、シジュウカラなどの小鳥たち、日本リス、
猪(昨年僕は11頭の猪に出会った)、キジ、キツネ、
そして黒猫は、年末年始の間に右後ろ足を骨折しビッコをひいて現れ、
この野生動物たちの世界で逃げ足が無い厳しさを骨と皮ばかりに痩せた姿で
訴えてくる。

人間というものは、常に人間に触れていたがるものだけれど、
時として、人間というものを見ず、小鳥をはじめとする様々な野生動物や
風に揺れる樹木や冬の美しい陽光や遠くの山々や灰色の雲から顔を出す
夜空の月を見ることの方が、太古の構成要素である原始的な何か大切なものに、
心の根底で結びついているのではないかと思う。

空海が四国や熊野の山の中で修行に明け暮れ、ついに悟りを得たのも、
その巨大な宇宙的な本能や圧倒的な直感によって、人間を見ている内は
真理に達しないと、早々と見抜いて考えたのだろうか。

人間というものは見ないが、本の中の人間についてはよく考える。
今回僕が制作の傍ら読もうと思ってもってきた本は、ヘルマン・ヘッセの
「ガラス玉演戯」で、1月1日に復刊ドットコム版で読み始めた。
1月3日には、音楽名人がクネヒト少年とリートの試験をするくだりで、
早くも僕の中で史上最大の読書体験になることを予感し、
例によって図書館で借りてまず読んでみて、どうしても手元に置いておきたいと
思ったものを買うというパターンで、復刊ドットコム版が高くて買えず、
新潮世界文学版の古本を買った。

読書というのは、実に不思議なものだなあ、と思う。
今自分に必要なことが、誇張なしに次から次へと芋づる式に本となって目の前に
現れてくる。
ちなみにどうして「ガラス玉演戯」にたどり着いたかというと、
昨秋、僕は、トーマス・マンの「魔の山」(岩波文庫上下巻)を読んで、
非常な感銘を受けた。
僕は、これは時間について書かれた本だなと思った、
もちろん病気が主要なテーマになっているけれど。
そこで次に、このような本を書くトーマス・マンなる人物は、
実際にどのような時間の過ごし方をしているのだろうと思い、
「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読み始めた。
今第2巻まで来たけれど、これが実に面白い。
その生活を理解する鍵は、会食、面会、講演後も不断なく続けられる読書と、
家庭内で身内を相手に頻繁に行われる自作品の朗読にあるように思う。
日記の中に、トーマス・マンがモンタニョーラのヘルマン・ヘッセ夫妻を訪ね、
ヘッセがマンに「ニュルンベルクへの旅」と「ガラス玉演戯」の校正刷りを
渡す場面*¹があって、ああ、「ニュルンベルクへの旅」*²か、よかったなあ
と思い、たまらなくなって、年末に2回読み返した。
何度読んでも、美しい、圧倒的に美しい。
これ程率直に赤裸々に芸術家の心情というものが綴られている作品を僕は他に
知らない。
で、そうなると今度は、「ガラス玉演戯」が気になり始めたが、何しろ長いので、
しばらく本を横目で見ながら、踏み出すタイミングを待っていた。
しかし、この村は、ハンス・カストルプやヨーゼフ・クネヒトについて
考えるには、おそらく最適の場所なのではないだろうか。

ああ、早く間に人が入って絵を売れるようになりたい、
それだけはなりたい、
心の叫びとして。
絵は、作家が自分で売らない方がよい。
絵は、作家が会場にいない方がよい。
そうなったら僕は、搬入、展示の準備作業以外、極力会場には行かないだろう。

2015年1月8日木曜日、午後12時25分、僕は一昨日の午後以来、
ほぼ45時間ぶりに人間を見た、
最初に見た人間は、大切な書類を運んできてくれた郵便局の配達の青年だった。

今年は、僕にとって、どんな年になるのだろう。

2015年1月8日記
和田 健

*¹「トーマス・マン日記 1933-1934」(紀伊國屋書店)
p.561 1934年10月5日の日記より
原文では、「ニュルンベルクへの旅」は「ニュルンベルク紀行」
*²「ニュルンベルクへの旅」ヘルマン・ヘッセ全集第12巻(臨川書店)所収

後日記:
2015年2月12日、「ガラス玉演戯」読了。
この驚愕の書物について、一体何と言えばよいのだろう。
カスターリエン、初めてクネヒトに冥想の手ほどきをした前音楽名人、
クネヒトを迎えた老兄の「金魚のように静かに振る舞う用意があるか」、
マリアフェルス本寺と修道院、夕方になるとピアノをひくヤコブス神父、
俗世、そしてラストの三つの履歴書、最初の履歴書「雨ごい師」から、
弟子マローについての記述、「何よりも彼は、信望を得たい、一役演じたい、
印象を与えたい、と欲した。天職を授かったものではなく、才能を授かった
ものの虚栄心を、彼は持っていた。」
最後の「インドの履歴書」の「迷い」は、もがくこと、あがくことと解釈した。
この書物全体を通して綴られている人間のありようを、その精神のありようを、
そしてその対極に位置する才能というものについての対し方を、
僕は今初めて、ヘルマン・ヘッセから直に教えられ学んだのだと思う。
この作家のような人間がそもそも存在するということに対して、
語りかけてくるその知性に対して(この人は物語を語っているのではない)、
その透徹や明晰、明朗さに対して、僕は畏敬の念をいつまでも抱き続けるだろう。

今後のこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 19 May 2014 by kenwada

そもそもの出発点は、
「Cy Twombly は何故 scribble(殴り書き、走り書き) するのか」
「Cy Twombly は何故全体を見ないのか」
この2点をこの機会に一つ徹底して解明してみようと思い立ったことにあった。
結局、何としてもこの2点を解明しないことには、僕の無意識絵画は、
この先もうどこへも進めないという気がした。
すなわち、僕の作品が同じことを周期的に繰り返す勘に頼った線の細いものと
なり、そこに年月の経過とともに、ある程度の上達を認め得るものにしかなら
ないと感じた。
そこで、まずは国立国会図書館に行き、必要な資料をいくつか集め、
それらを全部読み込んでいるうちに、これは、フロイトとユングを通過しない
ことには、とてもではないが、この無意識の問題のハードルをクリアすること
は到底できないと感じ、以下の4冊を読んでみた。
1、精神分析入門上(日本教文社)
2、精神分析入門下(日本教文社)
3、ユング自伝1(みすず書房)
4、ユング自伝2(みすず書房)
これらの読書は、僕の頭では、かなりの集中力を必要とし、頭を抱えながらの
格闘となったが、読んでいて非常に楽しかった、だから途中でやめなかったの
だと思う。
周知の通り、フロイトの精神分析入門には、これまでに3回の大きな翻訳が
あり、最初が昭和44年初版発行の日本教文社版、次が昭和46年初版発行の
人文書院版、そして平成24年初版発行の岩波書店版である。
まずこの3冊を読み比べてみて、僕は自分のテキストを日本教文社のものに
決めた。
あとは、ノートを取りながら、人文書院版と岩波書店版で適宜訳語をチェック
しながら進めた。
例えば、夢判断(日本教文社)→夢判断(人文書院)→夢解釈(岩波書店)
濃縮(日本教文社)→凝縮(人文書院)→縮合(岩波書店)と言うように。
一番身近な患者である自分を題材として取り上げ、その自分の代理物、
代理満足であるところの作品の理解を通して、実に様々なことを学ぶことが
でき、それらと昨年以来続けている小林秀雄全集の読み込みとが混じり合って、
今、僕の頭の中で一つのものが形成されようとしている。
思えば、フロイトやユングも読まず、無意識絵画を押し進めていたこと自体、
無謀であったが、それはそれで読まずにどこまで独自に行けていたかという
到達度の確認のような一種の楽しさがあり、「絵画」という表現であり、
作為・人為であり、手腕であり、構図であり、構想であり、いかなる意味合いに
おいても利益を伴った自己主張であるところの「絵画」の否定へ、
つまりはそれらは、specialityであり、断じてoriginalityではないということ、
そこから、僕の考えてきた「表出」が次第に輪郭をもった形となって表れ、
人間の無意識的領域からその無意識的願望なり、潜在的思考なりを表出する、
これこそが描くことを通して唯一originalityに至る道であると確信するように
なった。
つまり、表出は人為であるのに無為であり、走馬灯には利益はなく、中心を
もたない。
小林秀雄さんが、全集の中で、現実に対する「注意力」(*1) と呼び、
講演の中で「注意」(*2)と呼んでいるもの、僕は個人的に「心の蓋を取る」
と呼んでいるが、そこからCy Twomblyが筆圧を解き放っている理由、
全体を見ない理由も判明する。
History Behind the Thought (*3) というCy Twomblyのインタビューを読むと
よくわかるが、Cy Twomblyは、制作の前、アトリエの中の海の見える窓辺に
座って2、3時間瞑想する、要はぼんやりする、静かな境地、これと小林秀雄さん
の「季」(*4)という素晴らしい散文との関係から、音を聞くこと、これが独創を
引き出すということ、つまりは独創とは思い出すということ、山の中で聞く
小鳥の囀る声は何の無理もなく音楽より明らかに美しい、音を聴いてはいけない、
すなわち音楽と絵画は人為という意味で全くの同義語である。

それでは、これに対して、例えばゴッホである、その絵画に漲る魂の問題をどう
考えるのか。感傷とか、情感などではない、万人が描く美しい風景画ではない、
ルーブルのあの夥しいイタリア絵画の大作群の嘘臭さ、真実らしさ、
それに加えて、吐き気を催す程の圧倒的なまでの徒弟制度の匂い、
真逆なまでに見事にそれらのない、僕が平身低頭したあの魂を、
オーヴェール・スュル・オワーズのあの独房のような最後の部屋を、
サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスのあの鉄格子の部屋を、
あれは再来なのか、燃焼できなかった人生の再来なのか、
であるとすれば過去の魂は満たされていたのか。

Cy Twomblyがscribbleする理由については、彼の「レパント」の海戦を観ても、
おそらくは何らかの形の母性回帰であり、母性への憧憬であり、scribbleすること
により、心の震え、飢えをその生涯に渡って執拗に満たしていたのではないかと
直覚する。
つまりは、成長過程における何らかの外傷ということになろうが、外傷のない人生
というものが存在するのだろうか。
1921年にわずか7試合に登板しただけの大リーグの投手であった父親との
父子関係はどうであったのか。サイ・ヤングのCyは名前として重かったのか、
それとも父と同じ名前であることは快かったのか、その幼児期において、
父とキャッチボールはしたのか、したのならその時、
父は何と話しかけてきたのか。
死後の世界で父子はキャッチボールをしたのか。
父は息子の自傷行為のようなscribbleを観て、何と話しかけてきたのか。

さて、ユングである。
自らが白人であることを俯瞰するこの巨人の述懐は、近年の中でも、比類のない
読書体験となり、僕の孤独を救う以上に破ってくれた。
この自伝の核心は、ユングのみた家の夢(*5)である。
夢の中で、彼は自分の知らない家の中にいたが、それは「私の家」だった、
と言っている。
ここへ来てようやく、この「私の」がプロローグで2回繰り返される
「私の神話」、「私の真実」と重なり、この人の思想のすべてが、
この「私の」の中に含まれていることを理解した。
この夢の中で、地下室からさらに狭い石の梯子段を降りて行った
岩に彫り込まれた低い洞穴を彼は、
「人間の原始的なこころは、動物のたましいの活動と境を接していた」(*6)
と書いている、震えた、ここなんだと思った、直覚的にここにすべてがある
と思った、僕が個人的に「地獄の底は上皿てんびんの皿だった」と呼んでいた
もの、僕が長い間探し求めていたもの、そのすべてが間違いなくここにある。

僕が、パリ時代に毎日アカデミーで大きな画布に向かって描いている時、
ふと浮かんだ疑問、どうしてこんなに毎日描いていて飽きないのだろう、
その時、咄嗟に心をよぎったこと、
「僕の先祖の中に、何らかの物理的な理由によって、絵を描きたくても
描けない人が、おそらくいたのではないだろうか」は、
数年の時を経てようやく、
「われわれの心は、身体と同様に、すべてはすでに祖先たちに存在した個別的
要素からなり立っている。個人的な心における「新しさ」というのは、太古の
構成要素の無限に変化する再構成なのだ」(*7) に出会った。

自分の生まれつきやくせと戦った、自分の個性と気違いと戦い抜いた、
37で死ぬまでの「ゴッホの日記」の中の魂の問題も同じことだろう。
ゴッホの気質の中に「新しさ」は全くない、
「新しさ」はゴッホの絵の中に魂の問題として、
自分の再構成はこれでしかないという悲しみの問題としてあるのだ。
それが「花咲くアーモンドの枝」(*8)だろう。
もう体に力が入らなくなった、
自分の人生が終わったことを誰よりも理解したゴッホの、
そしてそうなって初めて祖先の魂と和解できた、
低い洞穴の底へ辿り着いた因果の平穏なる永眠。

古の昔より、人間は一秒一秒時を重ね、現在までしかない、つまり明日はない、
ということ。希望という名のもとの明日という嘘臭さ、真実らしさにも決着が
つき、絵画については大きく前進した。
「逆行による改善」(*9)を求めよ。

無意識からの「表出」を理論的に体系づけていく中で、「表出主義」として
考えられるものにしていくことを今後の仕事としたいが、それはユングの言う
「努力をし困難と闘ってのみやりぬける超個人的な仕事」(*10)であり、
世の中がその答えを僕に求めなければ、僕はやり残したことを抱えて死に、
その無念さによって、再生することになる。
お前じゃないよと。

2014年5月19日
和田 健

(*1) 小林秀雄全集(新潮社)第13巻「人間の建設」2001, 所収
 「信ずることと知ること」p.401
(*2) 小林秀雄講演(新潮CD)第二巻「信ずることと考えること」より
(*3) Cy Twombly Cycles and Seasons, Distributed Art Publishers, Inc.,2008, 所収
(*4) 小林秀雄全集(新潮社)第12巻「考へるヒント」2001, 所収
(*5) ユング自伝1(みすず書房)p.228
(*6) ユング自伝1(みすず書房)p.231
(*7) ユング自伝2(みすず書房)p.51
(*8) サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院に入院していたゴッホは、
  外出制限のある中で1890年2月にこの絵を描いた
(*9) ユング自伝2(みすず書房)p.52
(*10) ユング自伝2(みすず書房)p.162

「樹木の魂は、どこにあるのか。」 連載開始にあたって、この秋のことなど。

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 15 December 2013 by kenwada

フランス時代に描いた「樹木への手紙」の第二章版とも言うべき
「樹木の魂は、どこにあるのか。」をスタートします。
自分でよく考えた末に決めたタイトルです。
末尾の?はあえて取り、読点としました。
「樹木への手紙」No.1からNo.84については、僕の前のサイトである
La Galerie de Ken WADAのCatégories: Lettre aux arbres
に掲載してあります。
または、右側のYouTubeから観れますので、よろしければご覧下さい。
現在、「樹木の魂は、どこにあるのか。」はNo.15まで制作が進んでいますが、
12月31日掲載のNo.13で一応、attraper, captureできたのではないかと
思います。
また、今回は、僕が普段どのような樹木に対して交感しているのか、
実際の樹木の写真も3回に分けて掲載致します。

以下、雑感。

ちょうどフランスで「樹木への手紙」を描いている時に、母が倒れて、
僕はすっ飛んで帰って来た。
都心で「樹木への手紙」が描ける訳がない。
どこかの公園へでも行って、「剪定後の樹木への手紙」でも描くしかない。
でも今、僕の目の前には、フランス時代と同じか、あるいはそれ以上に美しい
冬の樹木たちが惜しげもなく、その裸体を冬の陽光にさらしている。
原生林の、雑木林の、手つかずの、人為のない僕の大好きな樹木たち。

僕は、神はいると、かなりはっきり感じるようになった。
あの時、僕はちょうどフランス時代で一番よい時だったし、例えば母の意識が
戻ってリハビリ病院に入って一段落した頃にでも、フランスに戻っていれば、
今目の前にこの自然はなかっただろうと思う。
でも僕は仕事やフランスを捨てて、母を選んだ。
物事には順序がある。
そうしたら、あの時以上に美しい、そしてここが実に不思議なところ
なのだけれど、僕の住んだフランスのウール・エ・ロワール県の風景に
極めて似た自然が目の前に広がっているということについて、
神がいると感じられないのなら、一体何について神の存在を思うのだろう。

この10、11月は僕にとって、標高1100mの初めての森の中での生活の
「夏の熱狂」が終わり、精神的に厳しい季節だった。
特に10月になって、森が引いていってしまうようになった時、
そのあまりの引力の強さに頭から体ごと何度も森の中に吸い込まれそうになって、
両手足に神経根炎のようなものが出て、ピリピリと痛くなり、つらかった。
森というのは、外から見ているのと、中で暮らしているのとでは、
その引力の桁が違うという体験をした。

この10、11月、僕は勉強していた。
まあ猛烈にやっていたと言ってもいいと思う。
体調が悪くても、勉強したり、写真を撮ったりはできるから。

この夏、トルストイの「復活」を読んで、その圧倒的な読後感から、
ちょっと一息つきたくなって、いつもドストエフスキーやトルストイばかり
読んでないで、少し他のものも読もうと思い、手にしたのが、
数学者の岡潔さんの著作「春宵十話」(光文社文庫)で、大自然から受ける
純粋直観の力をじかに情緒(こころ)に放り込むに多大な示唆を得て、
計算や論理は数学の本体ではない、に普段僕が感じていることと重なる部分を
不遜にも確認できて、思わず、あ、僕はいけるかもしれない、
と勇気をいただいた。
あとは自然の流れで、「人間の建設」(新潮文庫)に行き、
そこから思想家の小林秀雄さんの新潮社の全集、新潮CDの講演集へと進んだ。
そこから僕が得たものは、制作上の多大の示唆も含めて、簡単にまとめられる
ものじゃないけれども、最初に中軽井沢の図書館(とても立派な図書館です)で、
小林秀雄さんの全集を手にした時、しまった(というのは気づくのがあまりにも
遅すぎたという意味です)と思い、すぐにその場で見繕って5冊借り、
アマゾンで2冊注文して計7冊手元において、もうこの際、順番なんかどうでも
いいやと思い、第6巻の「ドストエフスキイの生活」から始めて、
第10巻「ゴッホの手紙」、第8巻「「罪と罰」についてⅡ」へと進み、
ちょっとペースが速いかなと思ったが、構うものかと思い、
第11巻「近代繪畫」のモネは別にどうと言うこともなく通過して、
セザンヌの「プランの魂」が震えるでぶっ飛んだ。
妻とエクサン・プロヴァンスのセザンヌの家からアトリエまで、
そしてサン・ヴィクトワール山を描いた場所まで歩いたことを思い出し、
我々はセザンヌの並外れた日常の体力について盛んに話し合ったのだけれど、
そうか、セザンヌはプランの魂を震わそうとしていたのか、そうだったのか、
しまったとまた思い、遅学者の悲しみの中にポトンと落ちた。
その後、第3巻の「「罪と罰」についてⅠ」へと、ノートをとりながら、
これらに必死でとりかかって、自分の制作上の方向性は大きな意味で
決して間違ってはいないことを僕の心の中で「確信」できたし、
自分に何が足りないのかについても気づくことができた。

何かに惹かれるようにして、小林秀雄さんが、生前住まわれていた
鎌倉の「山の上の家」をはじめ、三軒のお宅跡を訪ねたけれど、
手帳にメモした住所と駅前の観光案内所でもらった簡単な地図を頼りに、
多分この道を行ってここだなと次々と三軒のお宅跡が
当たり前のようにわかったことも不思議な感じがした。
「山の上の家」の門前で、感謝の気持ちを伝えさせていただいて、
礼をして帰った。

僕はこの後、小林秀雄さんの全集の読み込み、CDの聴きこみ、
そしてこの勉強の自然の流れで、柳田国男さんへと行くのだと思う。
帰国して間もなくの頃、長塚節さんの「土」を読み、強い印象を受けた理由も今、
ようやくわかった。

そんなことをしている内に、木の葉もすべて落ち、
樹木が一年で一番美しい冬を迎えた。
やっぱり、樹木は冬が一番美しい。
潔くて寡黙できりりとしている。

新緑だの紅葉だの葉っぱをつけた樹木なんかダメだね。
着飾っていて、何ともいえずいやらしい。

何かが始められるなと思うまでエスキース72枚。
その後、ピタッと止まってしまって、苦しんだ。
寝ている時に画想が浮かんで、朝7時半にNo.1を描いて、
これで何とかいけるかな。
わからない。

樹木の魂は毎日ひしひしと感じているので、
それがあるとかないとかいう問題ではない。
十分に気をつけていないと、それを隠そうとしにかかる自分こそが問題なんです。

これまでに、僕がすでに自分の心の中で確信したこと。
・自然は、互いに全く関係のない重層した輪の連鎖の中で、
すべて描くことができる。
・自然とは、逞しくて、生命力と死に満ち溢れていて、
均整がとれていなくて、不格好なもの。
・これらを土台として、言葉に依らない絵画を何とかして生み出すこと。

今、僕がいただいた勇気から、確かだと考え、信じ始めている方向性。
・デッサンは、絵画の本体ではない。
デッサンは、絵画の本体であるという、この常識中の常識が、
言葉に依るあらゆる絵画を生み出す諸悪の根源になっている。
つまり、デッサンというのは、イデオロギーな訳だ。
最初の段階で、みんなこのイデオロギーにつかまってしまうから、
自分流に信じることができない、世間流に信じる、
言葉に依る絵画が極自然に大量に生み出される、
何しろイデオロギーだから、それに加えて、世間に大量に存在することを
背景として、本人も自分は正しいと感じる、
それがまた会や団体を作って、ガードされながら、
飽くことなく繰り返されるという永遠たる図式。
小林秀雄さんが、1974年の講演で、「今のインテリには反省がない」と
言われているのは、まさしくここのところにある。
以来39年、飯の種は状況を変えない。
その人は、デッサンができるという知識を描いたのであって、
それは少なくとも僕にとっては絵ではない。
絵というのは、何かができるという芸ではない。特技ではない。
さらに言えば、もう一つ。
おそらく、遠近法等のデッサンは、維新の頃から盛んに我が国に導入された
のだと思うが、ヨーロッパに7年いて、つくづくわかったのだけれど、
彼らは論理の人だから、これに合う。でも我々は、論理の人ではない。
我々が我々の根源に基づく、西洋の人たちには、なかなか掴みにくいものを
土台として、それを魂と言っても、情緒(こころ)と言っても、
直接の自分の経験と言っても、デッサンの否定と言ってもいいけれど、
そこに圧倒的な表現力をもつ観ている人の存在を根底から揺さぶるような
言葉に依らない絵画ができる可能性があるのではないか。
少なくとも何故すぐにないと言うのか。
疑ってみる余地が大いにあるのではないか。

以上です。