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いよいよ始めます、アカーキイ・アカーキエウィッチの着古した外套!

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 18 September 2023 by kenwada

皆様、こんにちは。

以前、このサイトにも、このことは一度書きましたが、ニコライ・ゴーゴリの「外套」(1842年出版) の主人公であるアカーキイ・アカーキエウィッチの外套、これは、新調される前のすり切れた古い外套のことなのですが、この外套を抽象画で描くということが、僕の長年にわたる絵画の目標の一つなのです。
今、手元に3種類の「外套」のテキストがありますが、最初に読んだ岩波文庫版の最後に、「2004年8月8日読了」と書いてありますので、それからもう19年も経っているのですね。
その間、いくどか原作は読みましたが、ちょうど今、そのタイミングが、本人の思い及ばぬところで、ついに来たようです!
この本人の与り知らないところで、そのタイミングが来るということが、実に面白い?ところなのですが。
これ以上、引き伸ばすと、こういう物事は、そのまま立ち消えになってしまいますので、ここで思い切って小説の中に飛び込んで描いてみます。

まずは、支持体はどうしよう、紙でいくか、キャンバスでいくか、おそらく紙だろうな。
画材はどうしよう、水彩やグワッシュ系でいくか、アクリル系でがっといくか、がっといかないだろう、だってボロボロの外套だぞ。
はたして、シリーズものになるか、一点ものになるか、わからない、それは描いてみなければわからない。
と、こうやって考えていても、絵画は常になまもので、いつもこちらの構想通りにはさせてくれないから、とにかく描き出してみよう。
そうすれば、今度は絵が絵を導いてくれるからな。
絵画の実際のスタートは、ややフライング気味に、これは経験から学んだ鉄則です。
とりあえず、本文をもう一度よく読んで、改めて外套のイメージをふくらませてからだな。

これは、僕にとって(そうです、あくまで僕個人にとってです)、長年の課題であり続けただけに、非常に大きな仕事になります。
さあ、森の中に住む僕に、山の神である狼(大きな仕事)が来たぞー!
(というのは、おそらく、意味が全く通じないだろうな)

2023年9月18日
和田 健

その後、本文を2回読み返しました。
今回、改めて読んでみて、このゴーゴリ(1809-1852) という作家は天才だな。
その天才性について、これまできちんと認識してこなかったことは、実にうかつでした。
今回の絵画の制作と並行して、このゴーゴリの天才性について、徹底して研究してみよう。
よく世間では言われますよね、この芸術作品には現代に通じるものがあるとか、今日的であるとか。
でも、この「外套」は、そんなものではないでしょう、もうこれは今日そのものです、まさしく、今ですね。
これは、改めて言うまでもなくすごいことです、出版されてすでに181年も経っているのですから。
具体的な例として、例えば、アカーキイ・アカーキエウィッチが、役所でいじめられますよね、二通りのやり方で。
これは今、日本の小中学校で、現に行われているいじめとあまりにも酷似していると言いますか、それそのものですよね。
それから、2回繰り返される「わたしをそっとして置いてください、なぜ、あなた方はわたしをいじめるのですか?」(児島宏子訳、未知谷版、p.14、以下同じ) の台詞。
「心ゆくまで清書を仕上げると、彼は明日の日を空想し、微笑みながら就寝します。<明日、神様はどんな清書を持ってきて下さるのかな?>」(p.26) ここのところ。
この物語は、あれですよね、ボロを着ていても、このまま外套を新調することにさえならなければ、ゴーゴリが言うところの「そればかりか誰に助言するでもなく誰からも助言されないような孤独な人にさえ降りかかってくるさまざまな不幸がなかったならば」(p.26)、彼の穏やかな生活は続き、たとえ他人からなんと言われようとも、彼は幸せだった訳ですよね。
つまり、ボロボロだったけれども、心の中は温かかった日々の外套を、僕はこれから描くことになる訳だ。
う〜ん、これ、古い方の外套を主人公にして読むと、やっぱり、このゴーゴリという芸術家は天才だな。
帰宅したアカーキイ・アカーキエウィッチが、新調した外套をぬぎ、大事そうに壁にかけ、もう一度見とれ、見比べるために古い外套を取り出した時、
「彼はそれをちらりと見て、自分でも笑ってしまいました。それほどまでに違いは大きかったのです。」(p.76)
ここのところ、それまでは昔からの大切な仲間であったはずの古い外套なのに、新しいものを所有したとたんに、笑ってしまうという人間の心理のここのところ。
さらに言えば、この小説の一番おそろしいところは、それまでは清書がまるで結婚相手のようであったアカーキイ・アカーキエウィッチが、外套を新調するほかないと観念した時から、今度は、未来の外套への物思いが心を一杯にし、清書にとって変わる、ここのところにあるのではないでしょうか?
そのことが、「彼はなぜか生き生きとして、自分の目的を力強く持っている人のように、性格さえも強くなりました。彼の顔つきや行為からも自然に疑いや優柔不断さが、要するに、すべての動揺しがちで煮え切らない特徴が消えたのです。」(p.62) につながるように思います。
そして、最後、亡くなった彼のわずかな所持品の中に、このボロボロの着古した外套は残される。
つまり、新調した外套は、強奪されたけれども、すり切れて糸目の見える方は、遺品の中に、取り残されたのですね。
すごいですね、この天才のあり方が、絵画の世界で言うと、すごくゴッホの天才のあり方に似ている。
直球勝負なところ、実に似ている。

2023年9月20日
和田 健

その後、もう一度、平井肇訳の岩波文庫版でも、改めて読んでみました。
ただし、この版の字のサイズは、僕には、もうちょっと厳しいですので、同じ平井氏訳の青空文庫版がありましたので、そちらの方を印刷した上で (A4サイズに、全部で32ページになりましたが)、読みました。
このやり方ですと、字の大きなテキストが、いつでも手元にありますので、大変助かります。
やっぱり、テキストを少しでも手から離すと、このような種類の制作はダメですね。
つかまえようと思っても、なにかするりと逃げていってしまいます。

その後、理解をさらに深めたいと思い、「ニコライ・ゴーゴリ」(ウラジーミル・ナボコフ著、青山太郎訳、平凡社ライブラリー) を、現在読んでいますが、お伝えしたいことがたくさんあります。
どこまでもテキストに向かい、小説を読み解くという純粋な行為を、ひたすら続ける大家ナボコフから、物語の前後の文章の温度差、いわば文章のもつ体温の差で読むということを、今回この本から僕は、個人的に学びとりました。
そうか、そういう風に読めばよいのか!
それであれば、「ドン・キホーテ」の後篇第六十九章のアルティシドーラの復活は、前後の関係から極めておかしい、体温の差を明確に感じる!
そこから、僕は、この第六十九章が、もし新約聖書のラザロの復活への仄かしであるとしたら、セルバンテスが復活させたかったものとは、一体なにであったのであろうか?ということを考えています。
今のところ、その候補は3つくらいあるように思います。

それから、これは脱線になりますので、あまり深入りはしませんが、アルティシドーラが出ましたので、ついでながら、この公爵夫妻というのは、実に悪いですね。
夫も悪ければ、妻も悪い、妻も悪ければ、夫も悪い、二人そろってなお悪い!
セルバンテスが、この公爵夫妻を長々と (そうなんです、実に長々とです) 物語に登場させたのは、作品の規模、大仕掛け、スケール、まあ、そのようなものを、さらに一段階引き上げたかったがためなのではないでしょうか?
そのためには、金と暇が要る、よって、公爵夫妻の登場。

ところで、ご紹介しました「ニコライ・ゴーゴリ」の中で、ナボコフが「外套」のラストの謎解きをしているのですが、言われてみれば、子どもの頃のなぞなぞくらいに簡単なことなのですが、僕は、その前の「どこかの民家から飛び出してきた何でもない一頭の、よく肥った子豚に突き倒され」(平井肇訳) た巡査の方に目が行き、それは、どうしても目が行きますよね、巡査が子豚に突き倒されるシチュエーションって、あまりに面白いですから。
それで、ナボコフが言うように「「見当違いな」細部の奔流があまりに強力な催眠効果を発揮するので」(「ニコライ・ゴーゴリ、p.223、以下同じです)、僕は、ものの見事につまずいて、してやられました。
つまり、僕は、気づきませんでした、わかっていませんでした、これまで「外套」のこのラストを。
これって、ゴーゴリの専門家や研究者の方は、そんな調査は、とっくにもう終わっているのでしょうけれども、例えば、学生100人くらいにお願いして「外套」を読んでもらい、なにしろ、決して長いお話ではないですし、ラストの部分に気がついたかどうかのアンケートを実施したら、いったい、どのくらいのパーセンテージでわかっていたのでしょうか?
それによって、このラストの解読度のようなものがある程度、一般的な形で、可視化できるように思います。
調査結果が、具体的になんパーセントくらいであったのかを、是非とも知りたいです。

さらに、ナボコフの言う「かくて物語は完き円を描く。(ここまでは、僕にもわかります) そしてこの円は悪循環の円である。なぜならあらゆる円は、たとえそれがリンゴのふりをしようと、惑星のふりをしようと、あるいは人間の顔に見せかけようと、悪循環であることに変りはないからである。」(p.223)
おそらく、ここのところですね、非常に肝心なところは、ここが肝です。
つまりは、これは、あれでしょうか、昨夜は、中秋の名月で話題になっていましたが、はるかかなたの全然関係ないある星 (A) が輝いている中で、全くそれを知らない僕 (B) が、普通に地面を歩いているというようなことなのでしょうか?
つまり、空に A があって、斜め下に矢印、地上に B が歩いている、右か左に矢印。
でも、それだと円にはならないな、その B の右だか左だかの矢印を、A に返せれば円になる。
よく考えてみます。

セルバンテスは、実は音楽ではなく絵画でしたが、ゴーゴリは音楽ですね、奔流する音楽ですね。
同時に異次元のカメラワークでもあり、ドローン撮影を観る時のような、現在の最先端技術を思いどおりに使いこなしてくる感覚がある。
つまりは、宇宙であると思います。
作品の中に、これだけ奔流する宇宙を自在に盛り込めるというのは、およそ考えられないレベルの天才であると、僕ははっきりと感じます。
絵画でもあるのです (実際に、ゴーゴリは、サンクトペテルブルクで、週に3回「美術アカデミーへ絵を習いに出掛けます」(p.49)) が、眼がカメラですね、カメラ。
眼がと言うより、彼の脳が、最先端技術の撮影を可能にしている感じが強くします。

2023年9月30日
和田 健

上記の「ニコライ・ゴーゴリ」の第Ⅲ章「われらがミスター・チチコフ」で、ナボコフが、『死せる魂』の中のプリューシキンの庭園の描写を引用する (p.135, 136, 137) のですが、つまり、ロシアで生まれたナボコフが、ゴーゴリの原文を母国語として読み、英訳したものを、青山氏が、さらに日本語に訳されているのですが、この庭園の描写には、ちょっと度肝を抜かれました。
僕は個人的に、この文章を「画家の眼の聖書」と名づけました。
まあ、それは、個人的な呼び名にしても、この部分を序文にぜひとも使わせていただき、その後、線や色、形などの一般的な説明に入る絵画の本を作ったら、どんなに素晴らしいでしょうか!
昨日、一字一字大切に写しながら、大きな文字に変換しておきましたので、いつか、皆様にご紹介したいです。
ゴーゴリの眼が、ちょっとあり得ない展開をしますから。
やっぱり、ゴーゴリは、ゴッホに通じる。

2023年10月3日
和田 健

「ナボコフのドン・キホーテ講義」について

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 16 September 2023 by kenwada

皆様、こんにちは。

「今でも思い出すと楽しくなるのだがね、メモリアル・ホールで六百人の学生を前にして『ドン・キホーテ』を、つまりあの残酷で粗野な昔の作品をずたずたに切り裂いたことがあるのだ」というナボコフ自身の言葉にひかれ、「ドン・キホーテ」関連の書籍である「ナボコフのドン・キホーテ講義」(ウラジーミル・ナボコフ著、行方昭夫、河島弘美訳、晶文社) を、現在読んでいます。
これは、ナボコフがアメリカのハーバード大学で、1951年から1952年の春学期に、600人の学生を前にして行った計6回の講義録なのですが、講義録の方は読み終わり、今は、後半のナボコフが、講義の準備のために作成した第二部の「ドン・キホーテ」の各章(と言いましても前篇52章、後篇74章、計126章もあります)の要約を、復習もかねて、のんびりと楽しみながら、一章一章読んでいます。

率直に言いまして、ナボコフの言う「ずたずたに切り裂いた」という感じとは、少し異なる印象をもちましたが、読みながら、主に以下の3つのことについて、いろいろと考えさせられました。

①やっぱり、まずは、この授業準備ですね、下調べ。
これへの熱意、情熱、パッション、まあ、言い方はなんでもいいのですが、これにはすごいものがある。
端的に言いまして、ここまで準備をするのかという感じです。
これは、講義の準備をするというこの仕事自体を、ナボコフ本人が好きなのでしょうね、やはり、まずはなんと言っても。
この熱意の持続は、文学に対するナボコフの深い愛情からきているものなのでしょうか、僕は、直感的にそのように思いましたが。

②物語を分析する際の全体構造の組み方とでも言いますか、分析の手法、分析の骨格・骨組みの作り方について、非常に勉強になりました。
なるほど、こういう風にして、分析という家を建てていくんだな、みたいな感じで。
これは、やはり、ものの見事なまでの分析の手腕であり、独創性なのではないでしょうか。

③時間的な制約のもとに行われる大学の講義、授業の限界ですね、これについて深く考えさせられました。
例えば、受講した600人の学生のうち、何人かでも構いませんので、連続講義を受けての感想文のようなものが読めると、僕の思考を進める上で、かなりありがたいのですが。
例えば、今からでも遅くない、当時の学生たちは、現在、90才くらいでしょうか、600人を追跡調査すれば、せめて2、3人くらいから、この講義の思い出や印象などを、収集できないものでしょうか?
それは、面倒くさいと言われるのなら、作ってしまえばいいんじゃないでしょうか、小説として。
5人くらい登場させて、語り手を替えて、最初は、現在ロードアイランド州在住のAさん(仮名)91才女性、「そうねえ、ナボコフ教授の思い出ねえ〜、あの頃はまだわたしも娘だったけれども、先生は、ホールに入って来られると、こう、パッと上着を脱がれてねえ〜、それがとてもかっこよくて、今でも印象に残っているのよ・・・」というような感じで。

技術的なことを伝えるような講義とは違って、ものを考えさせるようなこういう授業においては、この600人を相手にしているという点が、なにかネックになっているように思います、少人数のゼミとかなら、また違うのでしょうけれども。
やっぱり、学生を惹きつけて、飽きさせないようにするためにも、リズミカルにテンポよく、ダイナミックに講義を進めないといけない。
なおかつ、授業準備を入念にした分、伝えたいことがたくさんあり、急いでいる感がある。
つまりは、学生は、思考を一点に集中して、なかなか立ち止まれない。

第五回の講義のところで、ナボコフの脳がようやく制約を少し離れて?遊びだし、最後の場面で、偽作者が著した偽作続篇のドン・キホーテと、主人公のドン・キホーテを戦わせることができたという指摘には、思わずはっとしました、面白かった。
その対決は、僕にはちょっと思いつきませんでしたが、ここで、僕の疑問が出てきます。
この指摘は、成立しないのではないかということです。
ナボコフは、演劇で使われる「山場」(p.170) という言葉を持ち出しながら、つまりは、「ドン・キホーテ」の物語の最後の弱さを指摘してきている訳ですが、この最後の場面で、偽りのドン・キホーテと、本物のドン・キホーテが対決するのであれば、それは、セルバンテスとしては、「山場」であるこの最大の大一番で、絶対になんとしても本物が、憎き偽物に負ける訳にはいかない。
ここは、100%勝って、しかもこてんぱんに打ちのめして完全勝利しないといけませんよね、そうすると、この物語は、終われません。
実際には、ドン・キホーテは、「銀月の騎士」を名乗る学士カラスコに完敗し、サンチョとともに、とぼとぼと故郷に帰り、そこで善人に戻り死ぬ訳です、つまりは、手早く物語を終える訳です。
ですから、物語の最後が弱くなるのです。
そこで、本物がまた勝っちゃったら、これは、終われない。
まあ、最大の大一番に勝って、サンチョとともに、故郷に錦を飾るという手もあるでしょうが。

ところが、ここで、ナボコフが、実に面白い見解を述べる。
彼は、偽物が勝つと言うのです、本物に。
「私はアベリャネーダの騎士の方に賭ける。なぜなら、凡人の方が天才より幸運に恵まれるのが人生の面白さだからである。人生において、真の勇者を追い落とすのはぺてん師である。」(p.171)
まあ、これは、「ひとつわれわれの空想も自由にはばたかせてみることにしよう」(p.170) とありますように、ナボコフは、空想にふけっているのでしょうね。
確かに、そういう空想であれば、主人公のドン・キホーテが偽物に負けて、この物語は終われます。
しかし、上記しましたように、セルバンテスの気持ちを考えると、主人公のドン・キホーテが、偽りのドン・キホーテに勝つ以外の設定は、これはどう控え目にみても考えられませんので、ナボコフのこの指摘は成立しないように思います。
もちろん、そんなことと言うのは、セルバンテスが、主人公のドン・キホーテが、偽りのドン・キホーテを圧倒的にやっつけて勝つように書くだろうなということは、ナボコフにはわかりきっていた訳で、最後の軍配のところにだけ、ちょっとウィットに富んだ味つけをしてきた訳です。
でも、それであれば、学生がこの見解を聞いて、教授の才知に気づき、それが何人なのか何十人なのか何百人なのか、それは僕にはわかりませんけれども、少しニヤリとした、まさにその瞬間に間髪を容れずに、ナボコフは、ドン・キホーテが勝った場合のエンディングの有り様を、具体的に学生相手に提示するべき、披露するべきではなかったのかなと思います。

それで、ここからは、今度は僕が空想にふけりますが、セルバンテスは、この対決の可能性について、実際に検討したであろうか?
おそらく、考えたでしょうね、直接やっつけるまたとない機会だから、でもこの「山場」をやりたくなかったのではないでしょうか?
あまりにもそれは、露骨過ぎると言うか、えげつないと言うか、なにかの遠慮と言いますか、レパントの海戦に従軍して、火縄銃弾を三発(胸に二発、左腕に一発)受けたけれども、そこまでは、気が強くないとでも言いますか、他人の痛みがわかるとでも言いますか。
当時、スペインで、こうした偽作が横行していたという時代的な背景もあるのかもしれません。
偽作者に対して「しょうがない奴だなあ、叩きのめしてやる、でも本当に叩きのめしちゃいけないよ、奴だって生きているんだから」という感じかなあ。
その思いが、ラストの後篇第七十四章の「一つ。わたしがお二人の遺言執行人にぜひともお願いしたいのは、万が一にも、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの武勲 続篇』という題で世に出まわっている物語の作者といわれる人物に会うような機会があったら、わたしになりかわって、できるだけ丁重に詫びていただきたいということです。(中略) どうか赦してもらいたいと、言ってほしいのです。(後略)」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.410, 411) というセルバンテスの文章につながっていくのではないでしょうか。

第六回のテニスの試合に例えた勝利と敗北のやりとりについては、リズムに乗って半分楽しんでと言いますか、面白がってやっている感じがしますが、これによって物語の的確な理解が、確かに進んでいくように思いました。

2023年9月16日
和田 健

いや〜、この第二部は、味わい深いですね。
ナボコフが、講義の準備のために作成した「ドン・キホーテ」各章の要約です。
それまでの第一部の講義録にみられる張り詰めたような肩の力が抜け、まあ、それは、そうでしょうね、1人で600人も相手にしているのですから、なにか、この第二部の方にこそ、ナボコフの人間性が、しみじみと現われているように思います。
具体的な例を2つほどあげますと、
「「いやフレストンと申したのであろう」という落ち着きはらった、趣のある調子は貴重である。大事に手にとって心して味わうべき果実と言えよう。」(p.248)
このあたり、また、このような記述もあります。
「この場面の記述は第一級の文章である。われわれは翻訳を通して読むだけなので、ここをスペイン語で味わい、純粋なカスティーリャ風の文体に親しむことができないのは残念だ。」(p.270)
まだまだ他にもあるのですが、ナボコフが、本を読むという行為をどれだけ愛しているのか、彼の文学に対する深い愛情が、とてもストレートに伝わってきます。

2023年9月19日
和田 健

セルバンテスの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読み終えてーはたしてセルバンテスは、そもそもドン・キホーテの死をあらかじめ構想していたのか、あるいはまた、ドン・キホーテを死なせたものは、一体何だったのか?さらには、セルバンテスの空間を把握する傑出した能力についてー

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 7 September 2023 by kenwada

皆様、こんにちは。
2023年4月28日に読み始めたセルバンテスの「ドン・キホーテ」(岩波文庫全六巻)を、2023年8月23日に読了しました。
その間、7月に「今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!」(https://kenwada2.com/2023/07/01/今、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んで/)
また8月には「トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んで」(https://kenwada2.com/2023/08/05/トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに/)
という2本の記事を書きながら、自分なりの考察をこれまで進めてきました。
ちょうど9月5日に、訳者の円子氏が言われるように「これはフランス語で書かれたもっとも精細浩瀚な」伝記である「セルバンテス」(ジャン・カナヴァジオ著、円子千代訳、法政大学出版局)を読み終えたこともあり、新たに判明した事実も加わりましたので、ここで、これまでに考察してきた事柄の核心部分について、「ドン・キホーテ」の読書感想文のようなものの三部作ではないですが、一度きちんと整理したいと思います。

なお混同を避けるために、今回もまたセルバンテス本人が書いたものは、前篇後篇と表記し、偽作者が書いた後篇は続篇とし、偽作続篇と表記いたします。

1. 偽作続篇が出版されたのは、1614年である。

2. 偽作続篇が出版された時、セルバンテスは、おそらく後篇の第五十九章を書いていた。
したがって、後篇の第五十八章までは、セルバンテスは、偽作続篇のことなど知らずに書き進めていたことになり、ドン・キホーテが当初のサラゴサ行きをバルセローナに変更した件も含めて、後篇が偽作続篇との差別化の方向に進んだのは、この第五十九章から俄然顕著になってくる。

3. 実際に、後篇の第五十九章で偽作続篇への憤懣を初めてぶちまけて以来、第六十二章、七十章、七十一章、七十二章、そしてラストの第七十四章と立て続けに、偽作続篇へのやり切れない思いがめんめんと続き、もうなにか爆発している感じがする。

4. セルバンテスが、後篇の執筆を終えたのは、すなわち、この壮大な物語を完成させたのは、1615年1月である。
「一六一五年一月、セルバンテスは創作を完成する。」(上記「セルバンテス」p.409)

5. セルバンテスが、あの見事なまでの後篇巻頭の名文「読者への序文」を書いたのは、脱稿後、なんと9ヶ月も経った1615年10月末である。
「一〇月末に、ミゲルは例のあつかましい学士に対する自分の心情の一片を含む序文を書いた。」(「セルバンテス」p.409)

逆に言えば、この9ヶ月の冷却期間がなければ、あれほどまでに自制された威厳に満ちた名文「読者への序文」は書けなかったのではないかと思う。
すなわち、ラストの第七十四章にみられる偽作者への憤怒をはらんだまま、その続きの第七十五章的に書いたのでは、あそこまで抑制された序文は書けなかったのではないだろうか。

ただし僕は、この序文の存在が、以降400年間の読者に、以下の2つの点で、結果的に大きな誤解を与えることになったと思う。
①あたかも後篇冒頭から、セルバンテスが、偽作者への怒りを根底にもって、執筆を開始したかのような誤解。
②あたかも後篇冒頭から、セルバンテスが、ドン・キホーテの死と埋葬までをあらかじめ構想した上で、執筆を開始したかのような誤解。

セルバンテスが、この序文を書き上げてきたのは、意図的に巻頭部分に配置するためにあると僕は思う。
意図的にと言う言葉に含意を感じるようで、ふさわしくないのであれば、強い願望。
これから始まる後篇は、ぜひこの序文というフィルターを通して読んでくれよ、というセルバンテスの願望が感じられる。

しかし、ここまで序文を練り上げたことで、結果として、作品としての巻頭が重くなり、このことによって、逆に光が当たり、明るみに出てしまうこと(巻末)があるということに、天才セルバンテスは、なぜ配慮しなかったのだろう?
僕も毎日、絵を描いているので、制作者の視点や立場からするとすぐにわかるが、ラストのドン・キホーテの死は、待って書いてはいない、さんざん待たされたあげくに書いてはいない。
もしこれが、後篇執筆開始時から、ドン・キホーテの死をあらかじめ構想した上で、書き進めたのであれば、このラストへ向かって日々ひたすら突き進んできた訳であるから、もっと密度の濃い、いろいろな意味で熱気を内蔵した重いものになると思う。
感情でものを言ってはいけないから、具体的に書くと、序文を磨き上げるための猶予期間の9ヶ月に対して、「彼がこの小説の最後の一五章を書き上げるのにほぼ六ヵ月が必要であった」(「セルバンテス」p.409) とあるから、これは、あくまでおおよその目安として3週間で2章くらい仕上げるペースになる。
もちろん、筆がのり、立て続けに書くこともあるだろうし、推敲の時間も必要であろうから、ここでは、あくまで大体の目安として。
そうすれば、これは待たされたあげくに書いてはいない。

6. したがって、僕の推測では、セルバンテスは、後篇第五十八章までは、ドン・キホーテの死を構想していなかった可能性は、決して少なくはないように思う。
僕が、その根拠としてあげることは、以下の7に示すように、後篇第五十九章からの物語の変調にあり、それまでは、ゆったりとした広大な大河の流れが、急に狭い支流に入り込んだかのような感じがする。
このそれまでのゆったりとしたスケール感は、セルバンテスが、ドン・キホーテの死を意識していなかったからこそできたことであり、自由に泳げたことなのではないだろうか。

7. この後篇第五十九章からラストの第七十四章までの流れは、なにかどうしても、個人的にとってつけたような感がぬぐえない。
「ドン・キホーテ」の物語を終わらせるために、一度負ける必要がある→《銀月の騎士》に決定的に敗北する→約束通り郷里の村に帰る→狂気から正気に戻り、狂人ドン・キホーテは、善人アロンソ・キハーノとなる→遺言状を作成して死ぬ。
前篇冒頭から、ここまでの言わば突拍子もない場当たり的な冒険の連続(失礼!)とは違い、極めて理路整然としていて、あまりにも筋が通り過ぎている。
実際に、それまでの言わば支離滅裂な出たとこ勝負のような物語の展開(また失礼!)とは違い、一つの集約点である死に向かい、物語のピッチやリズム、速度のようなものが、確実に上がっているように思う。
なにか手早く店仕舞いしようとしている感じが、どうしてもする。
したがって、偽作続篇の登場に動揺したセルバンテスが、後篇の第五十九章以降に、初めてドン・キホーテの死を構想した可能性は、やはり少なからずあると思う。

それでは、逆にもし、偽作続篇の存在がなければ、ドン・キホーテが死ななければならない必然性は、必ずしもなかった訳であるから、セルバンテスが、ドン・キホーテのこの雄大な物語の最後を、後篇執筆当初からどのように締めくくろうと、終えようと考えていたのかが肝心なことになると思う。
つまりは、セルバンテスは、死以外のどのようなエンディングを構想していたのであろうか?
大変残念ながら、その手がかりになるようなものは、これまでに読んだ文献からは得られなかった。

8. 後篇は、1615年11月末、ないしは、1615年12月に出版された。
「数週間後、一一月末、マドリードの市民たちは待望の本を手にした。」(「セルバンテス」p.409)
「一六一五年一二月、「ドン・キホーテ、後篇」が出版された。」(「セルバンテス」p.427)
セルバンテスが、この物語の結末にドン・キホーテの死を書いたことを、翌1616年4月22日に亡くなるまでのわずかに残された約5ヶ月間に、一作家として、どのように感じて振り返っていたのか、すなわち述懐していたのかは、これまでに読んだ文献からは判明しなかったが、おそらく総体的には肯定していた、すなわち、あの結末は、やはりあれでよかったのだ、あのようにせざるを得なかったのだと感じていた、あるいは自らを納得させていたのではないだろうか。

9. 「ドン・キホーテはただただわたしのために生まれ、わたしはドン・キホーテのために生まれたのだ。彼が行動し、わたしがそれを記述することによりわたしたち二人だけが一心同体になれるのであって、(以下略)」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.414)

偉大なる狂人、ドン・キホーテは、なにゆえ死ななければいけなかったのでしょうか?
機知に富んだ遍歴の郷士(前篇)、騎士(後篇)である、ドン・キホーテを死なせたものは、偽作続篇の登場なのでしょうか?
それともこれは、セルバンテス自身の心のなせる技、つまりは、ドン・キホーテを永遠に自分のものだけにして、閉じ込めて(封じ込めて)しまいたいようなある種の所有欲、独占欲のようなものなのでしょうか?
さらに突き詰めれば、セルバンテス自身の近づきつつある死の予感、早すぎる死への恐怖が、そもそもの背景として考えられるのでしょうか?

10. しかし、それにしても、「ドン・キホーテ」というのは、ものの見事に抽象画だなあ。
もちろん言うまでもなく、400年前に抽象画は存在していないので、そういう意味でも斬新だなあと思う。
物語が、非常に幾何学的である。
セルバンテス「なんだい、そのチュウショウガっていうのは?おれは、特別に腕のいい画家のつもりだけれども。」

11. 前篇に「愚かな物好きの話」や「捕虜の話」をはじめとする物語の本筋とはなんの関係もない短編が挿入されたのは、絵画だろうが文学だろうが同じことだと思いますが (と書いていて、自分で今思わず笑ってしまったのですが、セルバンテスも全く同じことを言っています*¹)、制作者側の視点からみると、これはやはり、書きためておいた作品を、適当な場所で披露したいという純粋な(ある意味単純な)欲求なのではないだろうか?
つまりは、作家としての力量を示したいので、これは、そのためのいい機会だぞというような感じで。
小品だろうが大作だろうが、制作者というのは、どうしても観て欲しくなるものです。
そして、後篇にはそうした短編がみられないのは、前篇出版後、あまりにそこの部分を批判されたので、いちいち心情を説明するのも馬鹿らしくなり、無益な労苦だと思い、(これもまたある意味単純に)やめたのではないだろうか。

12. これまでにみてきたことで、セルバンテスが、ドン・キホーテの死をどの時点から構想し始めたのかについてや、セルバンテスが、この物語を書き上げた後に、ドン・キホーテの死をどのように感じていたのかについては、多少なりとも考察が進んだように思いますが、冒頭でご紹介した7月、8月の2本の記事の中で、ともに触れてきたもう一つのテーマである、セルバンテスは、なにゆえに、これほどまでに空間の認識能力や識別能力とでも呼ぶべきものが発達しているのか?が、未解明のまま残されているように思います。

そこで以下は、このテーマについての僕の推測です。
まず、「ドン・キホーテ」の物語の全篇を通して、セルバンテスの空間の認識能力や識別能力(というような日本語があるとしてです)が、すなわち、空間を感知し把握する能力が、異様なまでに発達していることは、読んでいてもう明白な事実であり、その例を即座にいくつかあげることは、そんなに難しいことではありません。
冒頭の7月の記事の中で、すでに5例ほど、ご紹介いたしましたので、ここでは、例えば、後篇第五十五章のサンチョが落ちこんでしまった「まっ暗な深い穴のなか」をあげておきます。
僕は、最初、このテーマの解明について直感的に、セルバンテスが、1571年のレパントの海戦に従軍したことと、なにか関係があるのではないかと、その活路を求めてきました。
そこで、レパントの海戦や、ガレー船についても調べてみました。
それにしても現在の私たちからは、ちょっと想像もできないようなすごい時代があったものですね。
なんと言っても、まずは船が囚人による手漕ぎですからね、漕刑囚による。
このあたり、「ドン・キホーテ」の物語の前篇の第二十二章や、後篇の第六十三章にも登場してきます。
ここで合わせまして、僕の仕事柄、Cy Twombly の作品、Lepanto のシリーズも、この際、ぜひお忘れなく、この世にあり得ないくらい美しいですから。
しかし、セルバンテスが、レパントの海戦に従軍したことで、ものすごい体験をしたけれども、それでもなお、そのことによって、空間に対する能力が具体的に向上した、鍛えられたとはさすがに言えない、それには少し無理がある。
そこで、昨日、この問題をずっと考えていて夕方、ふっとわかったのですけれども、セルバンテスは、レパントの海戦で左手を負傷しますよね、名誉の負傷です。
「その負傷がもとで左手の自由を失い《レパントの片手んぼ》という異名をとることになった」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第一巻、訳注、p.429)。
ここにあるのではないか、つまりは、レパントの海戦にではなく、その後の障害を負った人生にあるのではないか。
障害をもったことで、それを補おうとして、それ以外の機能が異常に発達することは、世の中でたびたびみられる現象です。
例えば、今現在の僕の眼の病気のことも、なにか他のことに関係している気がしていますし、僕の丸7年間のフランス時代で、今思えばデッサンが一番うまかった人は、アカデミーに集まっていた各国の美大を卒業したようなすごい方たちではなく、もちろん、そうした方たちも素晴らしいのですが、夜学のアトリエに通ってきていた市井のパリ市民の中の障害をもったある男性の方でした。
裸体モデルのデッサンをしていたのですが、一発で線を取ってきますからね、隣で観ていてあぜんとしました。
「まるでラファエロのようですね」と話しかけたら、笑っていましたが、「現代のラファエロが、ここにいるぞ!」と、思わず叫びたくなりました。
つまりこれは、セルバンテスが、左手を失ったことで不自由になり、その後の人生において、両手が自由だった頃への空間に対する意識、希求、欲求、ないしは憧憬のようなものが異常に高まり、深まっていった。
その結果として、かくまで空間に対する能力が向上していったとは、考えられないでしょうか。
人間は、なにか損なわれた機能があると、それを他の機能で補おうとしますから、無意識的に。
ただし、事柄の性質上、本人がその能力に気づいていないということは、あり得るかもしれません。

最後に、皆様にセルバンテスの至言をお届けいたします。
「世の中には多くの珍しい才能が埋もれたままになっていてね、その持主が利用の仕方を知らないばっかりに、宝の持ちぐされになっているのさ。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第二巻、p.16)

以上ですが、なにか毎日こうして「ドン・キホーテ」について考えていることは、小中学生の頃に、面白い算数や数学の問題があると、「おっ、少し手応えがあるな」ってずっと考えていた、それにものすごく似ているなと思います。
つまりは、そういう部分は、おそらく僕はなにも変わっていないんだな、僕がまだ小さかった頃と。
つまりは、なにも成長していない訳だ、チャンチャン。

2023年9月7日初稿掲載
2023年9月8日、9日、10日加筆修正
和田 健

*¹「ところでサンチョよ、先ごろ上梓されて世に出まわっておる新しいドン・キホーテの物語を描いた、あるいは書いた、というのも、描く画家も書く作家も同じようなものだからであるが」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.374)

トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んで

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 5 August 2023 by kenwada

7月に「今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!」という記事を書いたのですが、その後、「ドン・キホーテ」の読書は、後篇の第四十二章まできました。
しかし、それにしましても、この後篇の第四十一章は、この暑い毎日の中でも、思い切り笑えますね。
木馬クラビレーニョの話ですが、前篇の始まりから、ここまでの物語の全体を通して、一番笑えました。
これは、いくらなんでも遊んで書いていますよね。
これは、いくらなんでもふざけて書いていますよね。
そこに、抽象的な意味合いを求めるとか、あまりそういうことをしなくてもよいのではないでしょうか?
この部分は、単純に楽しめば、それでよいのではないでしょうか。

さて、本文の読書は、このまま並行して進めていくことにして、以前から気になっていたトーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んでみました。
まずは、基本的な情報になりますが、この作品は、トーマス・マン全集の第Ⅸ巻、評論(1)(新潮社)に含まれています。
高橋義孝氏の訳で、上下二段組の活字でp.340からp.379まで組まれ、そんなに長い作品ではありません。
内容は、1934年5月19日に始まり、1934年5月29日に終わるまでの11日間の一種の航海日誌のようになっていて、マン夫人とともに、大西洋を渡りニューヨークへと向かう豪華客船内での様子が綴られ、全部が全部、「ドン・キホーテ」関連の記述や考察という訳ではありません。
基本的な情報は、このくらいにして、僕は、自由に線を引きたいので購入しましたが、大きな公立図書館でしたら、おそらく、借りることができるのではないかと思います。

最初に、トーマス・マンは、「ドン・キホーテ」を「自分でも不思議だが、これまで一度も、その全部をまとめて読み終えたことがなかった。それをこの船旅でやってみよう。そしてこの物語の海を乗りきってみよう。丁度われわれが十日がかりで大西洋を乗りきるように。」(下線筆者、p.344)
マンは、1875年6月6日生まれですので、この乗船の時点で、58才ですね。
「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読むと、とてもよく伝わってきますが、時間というものに対して、非常に厳格なマンですので、ここで大体(ほぼ)59才です、なんていい加減なことを言うと、とてもしかられそうですので、ここはきっちり、誕生日前なので58才。
まあ、前後の文意を汲み取れば、いろいろな部分部分を、これまで繰り返し何度も読んできたけれども、全体を通して読んだことは一度もなかったという意味だとわかりますので、60才にして全くの初読の僕とは、全然意味合いが異なりますが、でも、これには、ちょっと驚きました。

次なのですが、僕が7月に書いた内容と、マンが述べていることとは、大方のところ一致している感触を得られましたので、とても励まされ、勇気づけられもしたのですが、一つ決定的に、僕が考えていたことと異なっていたことがありました。
以下、混同を避けるために、セルバンテス本人が書いたものは、前篇、後篇とし、偽作者が書いた後篇のことは続篇としてあります。
それは、例の後篇冒頭の「読者への序文」、これを僕は「これがすごいですね。なにか批判の文章は、このように書くものだという一つのお手本のようにさえなっています」と、7月に書いたのですが、つまりはですね、僕は、セルバンテスは、「読者への序文」を書いたことで、憎むべき愚劣なる続篇の作者に対して、一応、気持ちの整理をつけ、後篇の執筆を継続し、後篇におけるサンチョの爆発的なおしゃべりは、あくまで前篇執筆後の年月に、最高傑作であるサンチョを創造したという自負や自覚から、後篇では会話をもっと多くしてもよいかなという考えから展開したのだととらえたのですが、マンの解釈はどうも違うようです。
マンは、あくまで「愚劣なる擬作続篇「ドン・キホーテ」」(擬の字、原文ママ、p.347)、「『ドン・キホーテ」のすさまじいばかりの評判を見て誘惑された当てこみの能なし文士の手になった続篇」(p.347)、「かかる原作卑俗化に向けられた侮蔑に満ちみちた、そして嫉妬心をたたえた抗議」(p.347) などとありますように、愚作続篇の偽作者に対する「復讐欲、抑え難い憤怒、猛烈な憎悪」(p.347)、これらのものが土台となって続篇が書かれ、その結果として、サンチョがしゃべりまくるという、すなわち、サンチョが、しゃべればしゃべるほど、当たり前ですが、サンチョの台詞を展開していかなければならず、それは「能なし」作家には、とてもではないができない相談であり、そういった偽作との差別化の方向に進んだと、そして、その結果として、皮肉なことに、この後篇が前篇に比べて、
「第二部の方も、もしその製作に際して自作を模倣作と区別しようという名誉心がはたらいていなかったならば、あれほどにヒューマニズムや学識めいたものや無味乾燥の筆づかいなどによって害われるようなこともなかっただろう。」(害の字、原文ママ、p.348) とありますように、つまらないものになってしまったと、大局的には、どうもそのようにとらえているようですね。
「たしかにこの第二部は、前作の成功の名誉回復を計り、その台なしになった成功の詩的威厳を救済しようとしたものらしかった。しかしそこにはもう前作に見られたような新鮮さと妙を得た無邪気さとがない。」(p.348) ともあります。

人は憎悪や憤怒にかられて、例えば、短い声明文などを書くことはあるでしょうが、「ドン・キホーテ」の後篇などという長い物語 (たしかに長いですよね) を書くということが、果たしてできるのでしょうか?
僕には、サンチョという素晴らしい色と形を十分に使いきれなかったというセルバンテス本人の思いが、前篇執筆後の年月の間に熟成して、後篇の爆発的なサンチョのおしゃべりへとつながったと感じられるのですが。
しかし、それにしましても、後篇のサンチョは、いくらなんでもちょっとしゃべり過ぎているな。
やはり、マンのとらえ方を、根底に激怒ありきを、あくまで基軸にすべきなのかな?
それとも、これにはなにか国民性のようなものが関連しているのでしょうか?
すなわち、セルバンテスのスペイン人としての、マンのドイツ人としての、われわれの日本人としての国民性のようなものが。
ちなみに、マンが、ルートヴィヒ・ティータという方のドイツ語の訳文を、「「ドン・キホーテ」にその第二の正しい面を、すなわちドイツ的な面を与えた」(p.359) と、高く評価しているところ、実に素晴らしいですね。

次です、非常に勉強になりましたので、いくつかの印象に残った文章を、そのまま列挙してみます。
「『ドン・キホーテ』は、世界の書である。」(p.344)
「比類なき記念碑ではないか!」(p.346)
「この作品の堂々としたユーモラスな様式に接すると」(p.346)
「この「大規模にして注目すべき物語」全体を、あるアラビアの原典を注釈づきで校訂翻訳したものだと触れこむ悪戯からしてもう浪漫的・諧謔的な様式手段である。」(p.346)
僕が、7月の記事で、A→B→Cと記したところですね、マンは、悪戯だとしています。
「また、内容を要約して読者に吹聴するところの、章の標題の文句が実にユーモラスである。」(p.346)
これは、僕も感じました。マンは、二つほどその例をあげていますが、僕は、後篇第九章の「ここでは、この章で明らかになることが語られる」が、一番笑えました。そりゃ、そうだろう、どんな章もその章で明らかになることが語られるのですから。これぞ、セルバンテスの諧謔!
「残念ながら老セルバンテスの静かな叡智が窺われるとはいい難い。」(p.347)
う〜ん、こういう一文に出会うために、ひたすら毎日、読書をしている訳です、素晴らしい、なんという知性!
また、前篇が世間でベストセラーになって、後篇の登場人物が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのことをすでに知っているというくだんの立体構成につきましては、マンは、このように述べています。
「全く斬新で、前代未聞である。世界の文学中、小説の主人公がそんなふうに、いわば自己の評判の評判によって、自己の大衆性によって生きているような作品はまずこれ以外には見当るまい。」(p.353)
僕が、セルバンテスは、最初から文学的な金字塔を打ち建てたいというような、そんな野望をもってスタートしたのではないのではと書いた件に関しては、
「もとよりこれは、詩人その人も初めの間はそうはっきりと意識していなかったのである。自分が考え出した滑稽人物に対する作者の尊敬は、話が進むにつれて、次第に増大するー (中略) すなわち、この作品は元来どぎつい諷刺的な冗談として、大した野心もなく構想されたものであって、主人公の形姿がどういう象徴的・人間的位階へと成長して行く運命にあったかは初め少しも予想されていなかったのだ。」(p.356) とあります。
「そしてセルバンテスの思いきった残酷さを訝る。」(p.359)
「こういう着想のうちには、何か苦苦しいもの、そして諧謔的な粗暴な趣きがある。」(p.359)
カマーチョの婚礼や、驢馬の鳴きまねの冒険のことなど、まだまだご紹介したいマンの分析がたくさんあるのですが・・・。

おしまいに、僕は加齢黄斑変性症ですので、眼の事情が許せばですが、次は、ジャン・カナヴァジオの「セルバンテス」(法政大学出版局) に見当をつけましたので、それを読んでみようかなと思います。
フランスのトップクラスの知性が、著書の中でどのような主張を展開しているのか、是非知りたいからです。

拙い文章を最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。

2023年8月5日
和田 健

追伸 1:これは、やはり、根底に激怒ありきのマンの後篇説は、間違っているのではないでしょうか?
そのことによって、この文学作品の価値が、たとえわずかでも下がるような類いのものでは、まったくないと思いますが。
その後の「ドン・キホーテ」や、セルバンテス研究の進展等の要素も多多関与したと思います。
と言いますのは、その根拠として、「一六一四年、おそらくセルバンテスが「後篇」の第五十九章あたりを書いていたとき、タラゴーナ市で、偽作『ドン・キホーテ 続篇』が出版された。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第一巻、訳注、p.428) とあるからです。
つまり、偽作が出版された時、セルバンテスは後篇 (後篇は第七十四章まであります) のすでに終盤である第五十九章あたりを書いていた訳ですから、偽作者に対する憎悪や憤怒にかられて、後篇を書き続けていたということは成り立ちません。
それでは、後篇のサンチョの爆発的なおしゃべりは、前篇執筆後の熟成期間に・・・、という僕の後篇説が正しいものであるかどうかは、今のところ、なんとも判明しませんが、少なくとも否定する要素は一応ないように思います。
いずれにいたしましても、僕がわかっていなかったことは、作者セルバンテスは、後篇を書き続けてきて、第五十九章あたりになって、偽作続篇の出版を知り、おそらくは激怒し、そのあとで、後篇冒頭の「読者への序文」を書き、さらに続きの第六十章あたりから終わりまでを書いていったという順序と言いますか、流れになります。
この時、セルバンテスの心を深く傷つけたことは、マンが指摘していますように、この愚作続篇が、大衆に受け入れられたことで、これはちょっと立ち直れないと言いますか、ひいては、世間や大衆というものの愚かさ加減について、セルバンテスは、実際にかなり屈折した思いを抱くようになったのではないでしょうか。
マンは、このように書いています。
「セルバンテスは、彼の作品の続篇だと称する駄作が、彼の作同様に「世間に流布し」、熱心に読まれたことを知った。擬作は原作の好評を博した諸特徴を粗悪に真似た。すなわち打ちのめされる愚かさと百姓風の大食とのおかし味である。それが擬作の内容のすべてだった。原作のもっていた誠実、文辞、憂愁、人間的な深さ、こういうものは擬作に求められなかった。そして怖るべきことには、世間はこれを不問に付して恬としていた。どうやら世間はそういう点に頓着しなかったのだ。これは詩人の心を無残に打ちひしがずにはおかぬ。」(擬の字、原文ママ、p.347、348)

追伸 2:昨日、追伸 1 を書いたあとに、いろいろと考えていたのですが、追伸 1 に、マンが間違っていたと冒頭に書きましたが、間違えていたと言うよりは、おそらくですが、マンは知らなかったのではないでしょうか?
つまり、「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」は、一応、1934年の航海日誌の形式をとっていますが、やはり文学としての一作品ですので、その前後にわたって手を入れてきていると思います。
例えばですが、翌年の1935年にも少し文章に手を加え、最終的な仕上げをしてきたとか。
でも、まあ、仮に、ここでは1934年に原稿を書いたとしましょう。
その時点で、「ドン・キホーテ」の後篇は、1615年の出版ですから、1934-1615=319年、つまり、後篇が出版されてから、マンは319年してこれを読んでいる訳です。
ちなみに、僕は、今年2023-1615=408年して読んでいる訳です。
そうしたら、これ、わかりませんよ。
やっぱり、前篇ができて、偽作続篇が出版されて、頭にきて、後篇冒頭の「読者への序文」を書いて、後篇本文を書いていったと、通常誰でも考えますよ、流れ的に。
そんな、実は、後篇の第五十九章あたりを書いている時に、愚作続篇が発表されて、それも世間に大いに受けてしまって、激怒して「読者への序文」を書いて、また引き返してきて、残りの後篇を書いたなんて、そんなこと普通思いつきませんよ。
そこでですね、このことからわかることとして、僕は以下のようなことを考えました。
①読書の自由さです。
マンほどの知性の持ち主でも、知らないことについては、考えていくことが、ずれていく訳です。
つまり、文学でも絵画でも同じだことだと思いますが、原作からずれていく訳です。
以前、このエッセイ欄に何度も書きましたが、脳がズレを喜ぶからです。
脳が束縛を解かれ、生き生きと踊り出すからです。
これが何かを創造する、生み出す側の制作者にとっては、何よりも大切なことだと、本能的に感じるからです。
イメージとしては、紙の上に大きな円を描いてみてください。例えば、半径5cmとか、これが原作です。
その右横に、今度は少しずらして同じく半径5cmの円を描きます、これが多少ずれてとらえた自分だけの原作+(まあ、原作+αとか呼び方はなんでもよいですが)です。
そうして最初の円を白色で、その横の円を黒色で塗ります。
当たり前ですが、左から順に、白色、灰色、黒色になります。
その黒色の部分を脳が喜ぶ感じです。
これを、ラウル・デュフィは、そのまま絵画に応用して、例えば葉の表現とかに、見事なまでに使い切っています。
②なぜ、マンは、たとえ一度でもよいので、偽作続篇が出版された時点で、セルバンテスが、すでに後篇を書き始めていたかもしれない、その可能性もあるなということを考えなかったのだろうか?
わかりません。これほどの知性が、たとえ一瞬でもそのことに思いが及ばなかった、チェックしなかった理由は、僕にはわかりません。
僕などは、自然に、上記の前篇を書いた→偽作続篇が出版された→愚作者に「読者への序文」を書いて静かに抗議した→後篇を書いて完成させた、と思ってしまいましたが、だってテキストがその順番になっているから。
でも、そこはなんといってもマンですからね。
わかりません。
やっぱり、あれかな、脳がすでに創造者の脳になっているからかな、なにかその近辺にたぐり寄せることのできる解答があるような気がします。
つまりは、日々の積み重ねであり、日常の習慣の蓄積がもたらすところの脳の変化。

2023年8月6日、戦後78回目の原爆の日に
今朝、生まれた姪孫へ
大叔父である僕は、君が生まれた日の朝、まさにその同じ時刻に、このようなことを考えて書いていたんだよ。
今日から始まる君の人生が、どうか素晴らしい、実り豊かなものとなりますように!
和田 健

追伸 3:追伸 1 、追伸 2 と考察してきたこの問題を、ここで整理したいと思います。
その手がかりとなるのは、追伸 1 の終わりに引用したマンの文章で、ここで再度ご紹介したいと思います。
「セルバンテスは、彼の作品の続篇だと称する駄作が、彼の作同様に「世間に流布し」、熱心に読まれたことを知った。擬作は原作の好評を博した諸特徴を粗悪に真似た。すなわち打ちのめされる愚かさと百姓風の大食とのおかし味である。それが擬作の内容のすべてだった。原作のもっていた誠実、文辞、憂愁、人間的な深さ、こういうものは擬作に求められなかった。そして怖るべきことには、世間はこれを不問に付して恬としていた。どうやら世間はそういう点に頓着しなかったのだ。これは詩人の心を無残に打ちひしがずにはおかぬ。」(擬の字、原文ママ、p.347、348)
さて、この文章を一読する限りでは、マンが実際にこの偽作続篇をいかにも読んだかのような印象を受けます。
この場合、考えられるケースとしましては、
①マンは、実際にこの偽作続篇を読んだ。
②マンは、この偽作続篇を読んでおらず、上記の文章に書かれている内容は、なんらかの方法によって、例えば、誰かの論文等を読むことによって、または、文学的な会話の中で、間接的に知り得た事実であり、情報に基づくものである。
③マンは、①②ともに行った。
ここで、①②ともに行わなかったことはあり得ない以上、一応、想定されるケースとしましては、この3つでよろしいでしょうか。
なにゆえに、そんな枝葉末節にこだわるのかというと、このことが、大きな事実と結びつくように思われるからです。
それでは、順にみていきます。
①マンが実際にこの偽作続篇を読んだのであれば、読書人の常として、出版年を確認すると思います。
その段階で、これまでみてきたような認識の誤りは起こり得ず、「ほう、偽作続篇は1614年に出ていたのか、確かセルバンテスの後篇は、1615年の出版だったよな、それであれば、セルバンテスは、偽作続篇が出る前に、すでに間違いなく後篇を書き始めていたな、それもおそらくはだいぶ書き進めていたであろうな」と、同じ作家という仕事をしているマンは、すぐに考えたのではないでしょうか。
マンが、偽作続篇を読んで直に印象を得た上で、明記されていた1614年の出版年を、思わず失念したという可能性は、ほとんどないように思います。
②間接的に知り得た場合ですが、誰かの論文等にも、1614年の出版は明記されていたが、マンが失念したという可能性はあります。
もしくは、文化的なサロンのような場所で知り得た場合、そもそも出版年(1614)のことなど、会話にのぼらなかったのかもしれません。
したがいまして、マンが実際にこの偽作続篇を読んだのか、あるいは間接的にその内容を知り得たのかが、この問題を考える上での核心になってくるように思います。
駄作だ愚作だと世間で評されているものを、わざわざあえて読むような時間は、マンにはまったくないでしょうから、これはあくまで僕の推測の域を出ませんが、マンは、実際にはこの偽作続篇を読んではおらず、間接的に知り得た情報であり、それもおそらくは、会話によるものであったのではないでしょうか。
マンが作品制作のために集める文献や資料というのは、ものすごい桁外れの量なんですよね。
ですから、マンが論文等によって間接的に知ったのであれば、徹底的にその資料を探し出してきて、調べ上げたのではないかと思うのです。
以上より整理しますと、これまで追伸 1 、追伸 2 で考察してきたような、根底に激怒ありきのマンの後篇説は、会話によって、偽作続篇の内容を知ったがゆえに、その情報不足による誤った認識のもとに、マンが、「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」の中で展開したのではないかというのが、僕に考えられる推測です。

2023年8月10日
和田 健

追伸 4:後篇の第七十一章まできました。
もうあとは、残りの四章を楽しみながらゆっくりと読んで、この雄大な物語の全篇の読書を終えようと思います。
そこで、たとえ一人でもこの文章を読んでくださる方がいるのであれば、その方に対して、僕は、きちんと訂正すべきことはしなければいけないと思いました。
僕が、追伸 3 で考察したことは、間違えたのかもしれません。
すなわち、追伸 3 で引用した文章に対する可能性として、僕は、①②③の場合をあげましたが、そのいずれでもないケースが考えられるのです。
そのケースとはどのようなものかと言いますと、もしかすると、マンは、後篇第五十九章の本文から、偽作続篇の内容を間接的に知ったのかもしれないということです。
後篇のテキストそのものから偽作続篇の中身を知る、この可能性は正直、僕には思いつきませんでした。
と言いますのも、それ以前は、後篇冒頭の「読者への序文」をのぞいて、偽作続篇については特に触れられず、第五十九章にいたって、セルバンテスが、ここまであからさまに、突如として偽作続篇についての憤懣をぶちまけてくるとは思いもしませんでした。
その後、第六十二章のバルセローナの印刷所や、第七十章の悪魔たちのテニスにも、この偽作続篇への憤懣がぶちまけられていますが、う〜ん、さらに謎が深くなってしまいましたが、それであればなおさら、なぜマンは、セルバンテスが偽作続篇の出版を知ったのは、おそらく第五十九章の時点ではないのかと考えなかったのだろう?
この突然の変調から、なにゆえマンは、公爵夫妻の物語、そして第五十八章の似非楽園の人びとまでは、セルバンテスは、偽作続篇の存在を知らずに書いてきたなと判断しなかったのだろう?

やっぱり、結論として、セルバンテスが、後篇冒頭に「読者への序文」を置いたことが、こうした時系列の混乱をまねき、この序文を起点とした一連の認識の誤りのようなものを、結果としてもたらしたのではないでしょうか。
セルバンテスは、後篇冒頭から、偽作者への怒りをもって、書いているぞみたいな感じの混乱。

もしくは、さらに考えますと、セルバンテスが意図的にこの仕掛けを仕組んできている可能性も考えられます。だって、セルバンテスからしてみると、後篇の第五十八章まで書いてきて、突然、偽作続篇の存在を知り、いまさら、第一章に戻って書き直しもできないし、もうどうにもしようがない。
それであれば、後篇冒頭に「読者への序文」を入れておいて、色眼鏡ではないですけれど、このフィルターを通して最初から読んでくれよ、僕はとっても怒っているのだからね、みたいな。
その思惑に後世の読書人たちが、まんまともののみごとに、次々に乗っかってしまったということも考えられます。
セルバンテスの機知からして、その可能性は、少なからずあるように思います。

2023年8月22日
和田 健

追伸 5:えーと、これは、おそらくですが、セルバンテスは、偽作続編の登場に、かなり動揺したのではないかなと思います。
それこそどこにも「僕は実は動揺しました」なんて、意地でもそんなことは書いてはありませんが、明らかに大きな動揺がみてとれるように思います。
第五十九章で偽作続篇への憤懣を初めてぶちまけて以来、第六十二章、七十章、七十一章、七十二章と、いくらなんでも立て続けに、偽作続篇へのやり切れない思いがめんめんと続き、なんだかもう爆発している感じがします。
つまり、マンが主張するところの後篇が偽作との差別化の方向に進んだのは、サラゴサ行きをバルセローナに変更した件もしかりですが、むしろこの第五十九章から俄然顕著になってきます。
特に、いくら物語の中とはいえ、第七十二章の村長の前での法的な措置、宣言書の作成、ここに僕はセルバンテスの深い動揺がみてとれるように思うのですが、いかがでしょうか?
つまり、ここにいるドン・キホーテとサンチョ・パンサこそが本物だという精神的な安心を得たいがための衝動に突き動かされている。
そして同時にそれに対して、実に情けない二人だなというセルバンテス一流の皮肉が混じり、それが「ドン・キホーテとサンチョはすこぶる御満悦で、その様子といったらまるで、こうしたお上のお墨付きがぜひとも必要であって、自分たちの言動だけでは二人のドン・キホーテの相違を、また二人のサンチョの相違を明らかに証明することができないとでもいうかのようであった。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第三巻、p.384, 385)につながるように思うのですが、この一文の解釈は、ちょっと難しいです。
つまり、セルバンテスは、動揺している自分に対して、そのように思っているのかもしれません。
ここにはなにか、滑稽な二人の言動に託した上での、セルバンテスの自虐的な笑いが感じられるように思います。

さらに、引用した上記の文章ですが、これではまるでいかにもこれから第三部が書かれるかのようではありませんか。
つまりは、テレビドラマの水戸黄門の印籠ではありませんが、この公正証書のようなものを持って、また二人で、各地の冒険をめぐる旅に出るという。
それと、敗北を喫して、すっかり憔悴したドン・キホーテがバルセローナからの帰路、なんかやたらと熱を帯びて話す向こう一年間の牧人生活や羊飼いへの憧れ。
これは、偽作者の登場による人間不信からくる反動の現れであり、それに、キリスト者としての傷つけられた魂の救いを求める自然な気持ちが重なっているのではないでしょうか。
さらには、第六十九章で展開されるアルティシドーラの復活、これはいくらなんでも明らかに奇異ですよね。
もう公爵夫妻は出てこなくてもいいのに、再登場した上、なにか無理矢理、場面設定している感がある。
「あっ、これは伏線を設けているな」と、咄嗟に感じました。
これと新約聖書のラザロの復活との関連。

もう大体、これからのテーマが見えてきたようです。
①セルバンテスは、どこの時点でドン・キホーテの「死」を構想したのだろうか?
とどのつまり、究極のポイントになるのは、後篇第五十八章までは、考えていなかったのかどうか。
この問題を考える上でも、例の「読者への序文」が「後篇においてわたしは、後日のドン・キホーテの言動を縷々述べたうえ、最後には彼の死と埋葬にまで言及していますが、それは彼の生涯に関して新たな証言をしようなどという気が何人にも起こらないようにするためです。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第一巻、p.18)と、またしてもフィルターをかけてきて、その思惑に計画通りに、思わず乗りそうになりますが、これまでにもう何度も確認してきましたように、この序文は、後日に書かれたものです。
②1615年に後篇が出版され、翌1616年にセルバンテスは亡くなるわけですが、その間、ドン・キホーテを死なせたことについて、一作家として、どのような感慨をもっていたのだろうか?
まずは、単純に、後悔しているとか、いや、あれはあれでよかったのだとか、または、今は「ペルシーレス」ですか、そちらの方の執筆に忙しく、それどころではないとか、そのあたりから始めて。
③セルバンテスの空間認識能力の高さと、従軍したレパントの海戦との関連。
この問題を考える上で、今読んでいる「セルバンテス」(法政大学出版局)が、とても参考になります。
このあたりになります。

2023年8月23日
和田 健

追伸 6:今朝方、「ドン・キホーテ」(岩波文庫全六巻)を読了しました。
う〜ん、率直に言いまして、これはというのはラストの後篇第七十四章のことですが、蓋をしてきたな、物語を終わらせよう、店仕舞いしようとしてきたな、店をたたもうとしてきたなと思いました。
これはセルバンテスの本音で書いているのだろうか、文面通りに受け取ってよいのだろうか。
う〜ん、これは、400年間様々な議論を巻き起こしてきただろうな、このラストは、彼の本心なのだろうか。
ドン・キホーテが亡くなって、まわりの登場人物たちは、皆泣くわけですが、なにかあまり悲しくないですよね、究極的に。
あの偉大なる狂人ドン・キホーテが亡くなったわりには、荘厳さが感じられない。
別に比較するような問題ではありませんが、マンの「ヨゼフとその兄弟たち」におけるヤコブの「臨終の集い」にみられるような威厳や厳粛さが全く感じられない。
まあ、善人アロンソ・キハーノに戻って死んだのであるから、荘厳な感じなどしなくてもよいのだという反論は成り立ちやすいと言いますか、当然あるでしょうけれども。
でも、これではまるでラ・マンチャの一村民の普通の死ではないでしょうか。
ここのところ。
少し考えてみます。

昨日来、ずっと考えていたのですが、これはというのは再び「ドン・キホーテ」のラスト、終わり方のことですが、これはやっぱり、完全に防御ですよね、守りに入っている。
もちろん、作家が自分の作品を守ろうとする権利はありますし、とても自然な反応でもあると思います。
でも、なんかちょっとな〜、物足りない。
なんかとってつけた感がぬぐえません。
「ドン・キホーテ」の物語を終わらせるためには、一度負ける必要がある→《銀月の騎士》に決定的に敗北する→約束通り郷里の村に帰る→狂気から正気に戻り、狂人ドン・キホーテは、善人アロンソ・キハーノとなる→遺言状を作成して死ぬ。
理屈としてはわかるのだけれども、なんか割り切れないなあ。
つまりは、筋が通り過ぎている。
このかくも唐突に、狂気から正気に戻ったということにも、非常にいろいろなことを考えさせられます。
善人アロンソ・キハーノなんて、いったい誰が愛するのだろう?

これはやっぱり、現在の私たちからは、およそ想像もつかないほどまでに、セルバンテスは、偽作続篇の出版によって心を深く傷つけられ、身にしみてこたえてしまったのかな、決して立ち直れないほどに。
なんか、セルバンテスの「本音を言えば、本当はもう少し書きたかったんだけれどもよ、ろくでもない偽作者が出てきて、こんなことになってしまったから、もうそろそろこのへんで、おしまいにして、この問題にけりをつけようぜ、ちぇ、またしても人間の横槍かよ、面白くもなんともねえや」という感じが伝わってくるのです。

最後に、僕に一つだけ言えることは、この壮大な物語の究極の核心は、つまりは、セルバンテスの呻きが一番ストレートに伝わってくるのは、なんのことはない、ずっーと読み進めたところの、実は結局、ラストのこの後篇第七十四章にあるように思います。

2023年8月24日
和田 健

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 3, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 4 August 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 3, 2023
Acrylic, gouache, watercolor and multi-talented pencil on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 2, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 2 August 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 2, 2023
Watercolor, gouache, acrylic and multi-talented pencil on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 1st, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 1 August 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for August 1st, 2023
Watercolor, gouache and acrylic on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for July 31, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 31 July 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for July 31, 2023
Watercolor on paper, 30.7×22.4 in. (78.0×57.0 cm)

いや〜、面白い!
これだから、ドローイングは、やめられない。
紙に水彩絵の具のセピアとプルシャンブルーの2色だけ。
もう、最高!

Ichi-go ichi-e is a Japanese four-character idiom (yojijukugo) that describes a cultural concept of treasuring the unrepeatable nature of a moment. The term has been translated as “for this time only”, and “once in a lifetime”. The term reminds people to cherish any gathering that they may take part in, citing the fact that any moment in life cannot be repeated; even when the same group of people get together in the same place again, a particular gathering will never be replicated, and thus each moment is always a once-in-a-lifetime experience. The concept is most commonly associated with Japanese tea ceremonies, especially tea masters Sen no Rikyū and Ii Naosuke.
From Wikipedia

今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , on 1 July 2023 by kenwada

いや〜、これは面白いですね、ぶっ飛んでいますね、まさしく奇想天外にして、規格外ですと言うよりは、規格そのものが存在しないので、したがって規格の内も外もない、なにかそんな感じです!
今年の4月28日に読み始めた「ドン・キホーテ」(岩波文庫版全6巻)が、今、第4巻、すなわち、後篇の第1巻まで来ましたが、1年ぶりにようやく港に戻って来られた感じ、それも着いたら、とんでもなく大きな港だったので、「これでしばらくゆっくり滞在できるぞ!」という、まさにそんな感じです。
貧困に喘ぎながら、生涯、貧窮生活を送ったセルバンテスさん、ブラボー、この作品は、最高にして完璧です!

そうなんです、昨年の7月10日に、トーマス・マンの「ヨゼフとその兄弟たち」(新潮社版全6巻)を読了した後、あまりにも大きな読書体験のあとに起こりがちな、いざ港から出港したのはいいけれども、長い長い航海の末に、もう港に戻って来れなくなった難破船のようになってしまい、さすがに途中、大ゲーテのあたりから、ちょっと焦り出して、「恐るべし、トーマス・マン、まずいぞ、これは、もう何を読んでも、ジャストミートできなくなっているぞ!」と思い始めたのですが、さすがに燦然たる世界文学の宝庫は、僕の杞憂など軽く吹っ飛ばして、この418年前の物語の中に、どすん!と力尽くで引きずり込んだのでした。

え〜と、5月に還暦を迎えて、いまさら、このあまりにも世界的に有名な作品「ドン・キホーテ」初読ですというのも、大変お恥ずかしいのですが、初読なものは初読で致し方ない、何事も遅い僕の人生にこそふさわしいという訳で、それでも、さすがに第1巻のなかほどあたりで、いくらなんでも僕みたいなのでも気づきましたが、これは作者は、わざと(故意に)作品を壊しにかかって、書いていますよね。
これは、小説でも絵画でも同じだと思うのですが、文字通り作る者である作者は、なかなかこれが簡単にできそうでできないんです。
なぜなら、とても単純な心理が働いて、作品を壊しにかかると、支離滅裂になるのではないか、収拾がつかなくなり、崩壊するのではないかという恐れが、ひとりでに出てくるからです。
そこを軽く吹っ飛ばして、乗り越えて、すごいですね、このスケールは、物語の枠組み、骨格、規模がまるで違う!
作品の骨太さと言うよりは、それ以前に、変なたとえになりますが、作者の人間としての骨の太さ、そのもの自体が、根本的になにかもう全く違う感じがします。
これは、学校を出たばかりの人には、ちょっと、書けないのではないか、それでは、晩年にいたれば書けるのか、そこのところ。

それでもって、これは、パソコンでもノートでもいいのですが、真ん中に縦線を引いて、そんなことは世界中の研究者がとっくにやっていることでしょうが (それにしても、この400年の間に世界中の「ドン・キホーテ」の研究者って、一体何人いたのだろう?これは、ちょっと想像がつかない)、左側にドン・キホーテの言動を、右側にサンチョ・パンサの言動を順番に書き出していって、どこのあたりから、サンチョ・パンサの脳が、ドン・キホーテ化していくのかについて考えてみるのも面白いでしょうが、僕の場合は、仕事柄、これを色でいきたい、すなわち、色のしりとりですね。

最初のスタートの色だけ自分で決めてあげて、なぜか右側のサンチョ・パンサが、意表を突いて先行で藍色でいきましょう!
遅れてスタートの後攻のドン・キホーテは、オレンジ色で出発!
そして、パソコン(ノート)の上から下へと時系列で、パン、パン、パン、パンと色に変換していく、実に楽しい!
さらに左側のドン・キホーテから、右上や右下のサンチョ・パンサの色を眺める、もちろん真横もOK。
これって、昨日も当サイトに作品をアップしましたが、実は今、僕が制作しているシリーズに、ぴったり通じます。
その時、ぶっ飛んでいないといけない、セルバンテスさんくらい脈絡をはずしてこないといけない、緑の横にお決まりの赤じゃいけない、あまりにも当たり前過ぎて。
どのくらいぶっ飛んでいるかというと、ここまで「ドン・キホーテ」について書いてきて、突然、我が阪神タイガースの話をするとか、そのくらい脈絡をはずしてこないといけない。
つまり、故意ですね。
うん?プラス、天然も入っているな。
おっ、そうか、ちょっとわかってきたぞ!
セルバンテスさんは、実は本能に忠実に書いているのかもしれない、まあ、少なくとも並外れた直感力がある。
どうしてって、あの作中作「愚かな物好きの話」は、それ自体が単独の短編として大変な評価を受けているようだけれども、いくらなんでも長い、長過ぎると思う。
でも、どうしてもそうしたいんだろうな、おそらくセルバンテスさんは。
間が抜けようが、抜けまいが、とにかく、そうしたい。
多少、間が抜けようが、そんなことは、これまでの人生経験からなんでもない、いたってなんでもない、なにかそんな本能的な色合いの感じがする。
ただし、これには、スペイン人の国民性と言うか、気質や精神性のようなものも、合わせて考慮に入れないといけないように思います。
彼ら/彼女らにとっては、作中の3章くらい、全く他の短編に割くのは、別にどうってことはないのかもしれない。
実際に僕は、2002年にきっちり3ヶ月間、スペインで生活していたのですが、とにかくなによりも、とてつもなく暑い国でした、旅行ガイドの1行目には、きっと素敵な笑顔に出会えますなんて書いていないで、とにかく暑い国ですってちゃんと書いてください、でも必死で勉強した暑い1日の終わりに、いつもの街の角のバルで、一切れのいわしの酢漬けをつまみにセルベッサを1杯、・・・ではなくて、それから、あれ、バルのビノのはしご酒、あれは日本にはない慣習で、日本の1次会、2次会なんかとは全く違い最高でした、旅行ガイドの2行目には、とにかく一杯やるには最高の国ですってちゃんと書いてください、でも一番うまいのはなんと言っても、ガリシア州の地酒リベイロで、あのビノブランコのよく冷えたのを・・・、ではなくて、そういうことではなくて、なにか地道に一つのことをコツコツと、途方もない期間続けることを、平然となんでもないこととするような、ロングランをお手の物とするような深いメンタリティーを感じました、そうです、それが言いたいんです!

う〜ん、それにしても、「ドン・キホーテ」は、色のインスピレーションを授かるには、まさしく宝庫ですね。
まだ途中ですが、人生をかけて研究していくべき書物であり作品あることが、すでに十分に明らかです。
これは、本当にすごい物語です!

さらに、セルバンテスさん (1547-1616) が、「ドン・キホーテ」の前篇を世に問うたのが1605年 (ちなみに、後篇が出版されたのは1615年)。
前篇が出された58才からの10年間に主要作品を出版したという、尋常一般とはいかにもかけ離れた人生が、遅く絵を始めて、今、当時の彼と、ほぼ同年齢に達したと言うか、すでに超えた僕に勇気を与えるか、どうなんだろう?
どうなんだろうって、どうなんですか。
ちなみに、1605年と言うと、まさしくこれは江戸時代が始まった頃ですよね。そうすると、当時の日本人の平均寿命は、あくまで大体ですけれど、データによれば、およそ40才くらいだったのではないでしょうか。

それから、この物語を読んでいて感じたのですが、ドン・キホーテが風車に突撃したあの有名なエピソードなどには、あまり心躍らされず、なぜか、つくづく、人の人生は、人それぞれだなと思いました。
いや〜、人生っていうのは面白いものなんだな、わからないものなんだなと感じました。
セルバンテスさんのように、人生の中で起きた一つ一つのことを糧として、後半生にではないですよね、ようやく晩年にいたって、大きな実りをもたらす人もいれば、若い頃は、光り輝いていたのに、後半生にいたって、次第にその輝きを失っていく人もいる、なにかそんなことをしみじみと考えさせられました。
それから、もう一つ、これだけ物語を自在に展開させておいて、僕が苦手とするところの、いわゆるストーリーテラーの臭いが、少しもしないですね、これは不思議だ、どうしてなんだろう?
やっぱり、なにか、あれなんじゃないだろうか、本能で舵を切って、書いているのではないだろうか、意図尽くめで書けないですよね、これは、全く前に進めなくなってしまうもの。
船長としての自由、余裕、ユーモア、諧謔、皮肉、風刺・・・、そのあたりでしょうか、この物語を生み出す原動力は。
なるほどね、収拾がつかないから、逆に物語が前へ進む、これは、大きなヒントをもらいました。
うん?これを創作に意識的に取り入れているのでしょうか?
おそらく、取り入れているのでしょうね、取り入れているからこそ、400年以上も読み継がれている・・・。
逆ベクトルで、逆ベクトルで、壊しにかかって、意識の壁を乗り越える、手の内に入れない、う〜ん、そうか、わかった。
それによって、登場人物たちが、僕の場合で言ったら色と形が、ひたすら踊り出す・・・、そうか!

最後になりましたが、これももうすでに十二分に明らかですが、まさしく名訳中の名訳ですね。
牛島信明氏、本当にありがとうございました!
「ドン・キホーテの旅」も読ませていただきましたが、実にかけがえのない方を亡くしました。
残り3巻、貴重な世界の文化遺産を、これからも有り難く大切に読み進めてまいります。

2023年7月1日
和田 健

付記:
さまよい続けた難破船和田丸のこの1年間の主な航海リスト。
出版社の皆様、文字を大きく、装丁や紙質も大切でしょうが、とにかくひたすら文字だけは大きく、何卒、よろしくお願いいたします!

1. G・ガルシア=マルケス「百年の孤独」(新潮社)
2. トーマス・マン「掟」(トーマス・マン全集第Ⅷ巻、新潮社)
3. トーマス・マン「トーニオ・クレーゲル」(トーマス・マン全集第Ⅷ巻、新潮社)
4. ゲーテ「若きウェルテルの悩み」(岩波文庫)
5. ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」(岩波文庫)
6. エミール・ゾラ「大地」(上中下巻、岩波文庫)
7. ホフマン「くるみ割り人形とねずみの王さま」(光文社古典新訳文庫)
8. ホフマン「砂男 / クレスペル顧問官」(光文社古典新訳文庫)
9. ホフマン「黄金の壺」(光文社古典新訳文庫)
10,ゴットフリート・ケラー「ゼルトヴイーラの人々 第一話」(ケラー作品集第一巻、松籟社)
11.ゴットフリート・ケラー「緑のハインリヒ」(全四巻、岩波文庫)
12.W・サマセット・モーム「月と六ペンス」(岩波文庫)
13.ポール・ゴーガン「ノア・ノア」(岩波文庫)
14.W・サマセット・モーム「人間の絆」(上下巻、新潮文庫)
15.牛島信明「ドン・キホーテの旅」(中公新書)

後日記1 :
さてさて、お楽しみの後篇が始まりました。
まず、贋作の続篇の作者に対する冒頭の「読者への序文」、これがすごいですね。
なにか批判の文章は、このように書くものだという一つのお手本のようにさえなっています。

それから、モーロ人のシデ・ハメーテ・ベネンヘーリですか、これは、前篇でもかなり感じましたが、この人が述べる物語をセルバンテスが展開していくという形をとっている。
さらに、学士サンソン・カラスコですか、この人を登場させることによって、前篇の内容が、伝記として、本になって、とっくに世の中に出まわっているという形をとり入れている。
これらによって立体感や距離感が出ますよね、自然と。
ちなみに、このモーロ人という設定は、明らかに意図的ですね。
このあたりの場面設定は、もう本当に見事、上手いなあと言うしかない!
これは、容易に想像されますが、後世に多大な影響を与えたでしょうね。
すぐに、具体的な小説家の名前が思い浮かびました。

絵画で言えば、これだけすごいとなると、やはり、レンブラント (1606-1669) クラスでしょうか。
ちなみに、同国人のベラスケスは、1599-1660か。
参考までに、我が国の徳川家康が、1542-1616。
こうした時代にあって、一体、どこのあたりから、こうした数々の独自なと言うよりは、特異な発想を得ているのだろうか?
非常に興味があります。
この点、専門の研究者は、どのように分析しているのだろう、つまりは発想の源ですね。

それから、初読では致し方ありませんが、この物語を読み込んで、立体的に吊るし上げていった時 (と言うのも意味が通じないかもしれませんが)、おそらく、直感なのですが、キーワードは「魔法(使い)」なのではないでしょうか?
頻繁に出てきますよね、「サンチョよ、それは魔法にかけられているのじゃ」みたいな感じで。
結局、みんながドン・キホーテとサンチョ・パンサを、ことごとく笑いものにしますよね。
でも、実際に魔法にかけられているのは、笑っている方なのだと、ここのところ。
これが、400年後の現在を生きていても、なにか同じ構造を感じるものが人々の心の中に自ずと生まれる。
セルバンテスのスパイスが、400年後の今も必然的にふりかかってくるので、読み継がれる。
なにかそんなことを感じました。
じゃ、セルバンテスは、400年後の世界のことまで見通した上で、この物語を書いていたか?
それは、ないでしょうね、そんなことは間違いなくないと思いますけれども。
う〜ん、直感で書いていたのかなあ、本能で書いていたのかなあ、ただ書きたいように自由に伸び伸びと書いていたのかなあ。
少なくとも、計算尽くめでは、書いていないな、計算尽くだと書けないでしょう、この物語は。
実際に前篇で、いろいろと細かい、決して細かくはないか、辻褄が合わない箇所も出てきていますし。
サンチョの灰色の驢馬の件や、サンチョが旅行かばんのなかから見つけた百エスクードの金貨の件などがそれに当たります。
もしかしたら、実験で書いていたのかもしれない、実験で書いていたのなら、書けるな、実験ならリラックスして力が入らないもの。
人生の晩年にいたるまで、どうせ一生懸命に書いても書いても誰も認めてくれないし、ああ、それだったら、人生の最後に、最後くらい好きなように、思う存分、実験として書いてやるぜ!
みたいな心境であれば、この爆発的な祝祭的な物語を一作家として、それでも、もちろんかなり大変なことですが、なんとか書けるように思います。

それと先程の立体構成の秀逸さとは、また別の観点になりますけれども。
この立体構成を作品に取り入れることによって、セルバンテスが言質の担保を取りやすくしている、作家のまわりに猶予のゾーンを設け、動きを取りやすくしているのは、後篇第3章のサンチョ・パンサの「あのモーロの犬めがキャベツと籠をごちゃまぜにしやがったのよ。」(後篇第一巻、p.67)からも明らかだと思います。
そういうところは、かなり用意周到に手ぬかりなく、事前に環境を整備してから、作品に取りかかっているな。
後日の作品批判に、耐え得るように、ワンクッション置いて緩衝地帯を設けていますね。
と、同時に、自分の性格を熟知していますね。
自分はそそっかしくて、熱中すると、バァーといくところがあるけれども、あらかじめこうしておけば、あとあとも、なにかミスがあった時に、やりやすいだろうなと。
どうなのでしょう、環境を整えて、邪魔を取り除いて、そして思う存分、自在に腕を振るって、自分が納得がいくまでとことん書いて、要は勢いを大切にして、リズムを忠実に守り、出てきた細かいミスなんか、そんなもん、どうしたって出るものなのだから、あとあと直せばそれでいいのよ、いちいち細かいことを指摘しやがってよ、けっ、っていう感じかなあ。
なにかそういう類いの内に秘めた激しい闘志や気概とともに、人生の最後になにかちょっと思い切り楽しんで遊んでやろうぜ、これまで俺の人生は苦労ばかりだったからな、このまま死ぬのはなにかもったいないよな的な、饒舌なユーモアや諧謔を感じます。
なんて言うのか、文学的な金字塔を打ち立てたいという感じではないような気がします。
一人の人間として、自分のこれまでの人生への、そしてさらには世の中への皮肉が、強く込められている感じがします。
ますます、このあとの続きを読むのが楽しみになってきました。

2023年7月2日
和田 健

後日記2 :
後日記1に書きましたセルバンテスの立体構成の秀逸さにつきまして、僕の読み込みが甘く、後日記1の修正も含めて、その後に判明したことを、ここで一度、きちんと整理したいと思います。

え〜と、「ドン・キホーテ」には、アラビア人の原作者であるシデ・ハメーテ・ベネンヘーリが書いた、まずアラビア語の原典がある、これは事実ですね。
そして、この人は、歴史家であるという設定です。
「アラビアの歴史家、シデ・ハメーテ・ベネンヘーリによって著された、ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ伝」(前篇第一巻、p.165, 166)とありますから確実です。
さらに、「その名に<シデ>という敬称が冠せられているところからして著者はモーロ人である」(後篇第一巻、p.58)とありますから、モーロ人でもあるのでしょう。
Cideは男性の敬称だそうです。
「それはアラビア語で<主君>を意味するのだからな。」(後篇第一巻、p.56)ともあります。
他にも、「それはモーロ人の名じゃ」(後篇第一巻、p.55)、「それを著わしたのがモーロの賢者である」(後篇第一巻、p.60)や、「そのモーロの旦那が真実を語る」(後篇第一巻、p.64)など、著者がモーロ人であるということがたびたび出てきますと言うか、明らかに意図的に強調されています。
「それを(バイリンガルのモーロ人が)スペイン語に翻訳し、それを第二の作者たるセルバンテスが編集することによって成立した」(前篇第一巻、訳注、p.413)という流れになっています。
「また、広く江湖の楽しみに共せんとして、その伝記をアラビア語からわれらのカスティーリャ語に翻訳する労をとった奇特な人物にさらなる幸いあれ!」(後篇第一巻、p.59)ともありますので、ここで整理してまとめますと、シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ(A)が書いたアラビア語の原作を、別のバイリンガルのモーロ人(B)がスペイン語(カスティーリャ語)に翻訳し、それをセルバンテス(C)が編集しているという構成で、よろしいでしょうか。
つまり、Aが書いたものを、Bが翻訳し、Cが編集しているという、ややこしいスタイルになっています。
そこで、セルバンテス(C)は、シデ・ハメーテ・ベネンヘーリ(A)こそが、原作者であり、第一の作者でもあり、自らのことは、「本書の第二の作者」(前篇第一巻、p.159)とも、また「継父」(前篇第一巻、p.12)とも称している訳です。
そして、これらの著作上の立体構成は、すべて技法上のからくりであって、実際には、セルバンテスが初めから自分一人で書いて発表している訳です。
つまり、当初から、どのような時も、AやBは存在せずに、いつもCが一人いるだけな訳です。

そこでですね、肝心なことになりますが、後日記1で、僕は、どこからこの特異な発想(A→B→C)を得たのか、その発想の源は、どこのあたりなのかと書いたのですが、つまりはですね、僕はてっきりこれはセルバンテス自身が、創造した構成だと思ったのですが、大変残念ながら違うんですね、これが。
「ちなみに、架空の作者の設定というのは、「ドン・キホーテ」がパロディの対象としている騎士道物語において頻繁に用いられた手法であった。」(前篇第一巻、訳注、p.413)とありますから、まずここは、セルバンテスは、先人のやり方をそのまま踏襲してきたと考えるべきですね。
なんだ、少しがっかり。
つまり、少しがっかりと言うのは、読み込めば読み込むほど、このA→B→Cからなる特異な構成が、まるで舞台装置のように、場面の設定や、その切り替えに、大きく貢献していることは明白な事実であり、このことが、「ドン・キホーテ」の物語に立体感や距離感を与え、さらにはそこに重層的な要素さえ加わってくることで、結果として、豊かな実りを確実にもたらしているように、僕には思えるからです。

2023年7月6日
和田 健

後日記3 :
後篇の第二十章、カマーチョの婚礼まできました。
え〜と、これはもう、後篇の第十章が、キーポイント、物語の転換点になることは、この時点で、ほぼ明らかですね。
すなわち、向こうから三人の田舎女(百姓女)がやって来るところ。
それをサンチョが、ドゥルシネーア姫だと言い張るところ、ここのところ。
いつになく、弱々しいドン・キホーテですね。
「まんまと悪ふざけに成功したサンチョは、ものの見事にだまされた主人のたわごとを聞いて、こみあげてくる笑いをかみ殺すのに一苦労だった。」(後篇第一巻、p.172, 173)という一文が、個人的にすごく気になりました。
類稀なる善良にして、好漢なる従士サンチョよ、それはいけないだろう、御主の人格を疑うぞ!
セルバンテスは、ひいてはその結果として、作家自身の人格までもが疑われるような、このような記述を、いったい、いかなる大いなる皮肉を込めて書いたのだろうか、ここは難しい・・・、わからない。
(え〜と、後日記3のさらなる後日記のようになってしまいますが、これが後篇第二十三章のモンテシーノスの洞穴の話と結びついてくるのですね。
しかし、それにしても、この物語は深いな。)

しかし、それにしても、後篇になって、サンチョがあまりにも饒舌、例の諺を交えながらしゃべる仕方にしても、ちょっと、いくらなんでも、それまでの前篇(でも確かによくしゃべりはしますが)に比べてしゃべり過ぎだな。
今、サンチョのこの変貌の理由について、作家セルバンテスにとっての、前篇(1605年)から後篇(1615年)へかけての、延べ10年にわたる作品制作の側面から考えています。(下記後日記4参照)

あとは、なんですか、前篇の風車に対する、後篇のライオンですか、これには、正直なところ、あまり心惹かれませんでした。
おそらく、セルバンテスは、彼一流の大いなる皮肉を駆使するために、要するに戦わないライオン、どんでん返しの大物役者をここに意図的に配置してきていますね。
やっぱり、あの風車=巨人に相対し釣り合うためには、なんたって、vs. ライオンだろうと。
しかし、これってなんだかアドバルーン的だなあ。
これだけの並外れた知性を備え、同時に大変な皮肉屋でもある作者だから、野球の投手で言ったら、なにか見せ球的な感じがする、どこか嘘くさい。
「こういうのを大衆は喜ぶんだよね」みたいな。
実際に、前篇が出版されて、それこそ大ベストセラーになって、「ほらな、やっぱりな、大衆っていうのは、いつだって、こういう風車みたいなわかりやすいものに飛びつくんだよな、思ってた通りだろ」みたいな彼の嘲笑が、思わず聞こえてくるようです。
そして、決め球である勝負球は、それとは別に水面下で着々と用意しているような、なにかそのような用意周到な、一筋縄ではいかない感じがするのです。

それよりは、個人的には、先の理由、後篇になって、前篇の中でも饒舌ではあったサンチョですが、なにゆえ、ここまでペラペラしゃべるようになったのかに、とても関心があります。

2023年7月14日
おっと、今日は、Quatorze Juillet だな!
とても懐かしいです。
和田 健

後日記4 :
このことを考えるうえでポイントになってくるのは、
前篇(1605年出版)の執筆開始年(仮にA年とします、以下同じ)、
前篇の執筆終了年(B年)、
後篇(1615年出版)の執筆開始年(C年)、
後篇の執筆終了年(D年)の4つの年で、これらは残された資料や文献等から、研究者の間で、おそらくは当然のことのように、すでに解明されていると思います。
もしかしたら、年月日まで、すでに特定されているかもしれません。
そうであれば、その論文を読んでもよいですし、まず、ここまでは、それほど問題なくわかると思います。
ここで、大切になってくるのは、B年とC年で、今、仮に (あくまで仮です) C-B=4年とします。
つまり、前篇を1604年に書き上げて、1605年に出版されて、大ベストセラーになり、1608年に後篇を書き始めた、みたいな。
この4年だな、この4年の間に、彼セルバンテスが何を考えたのか?
この4年間のセルバンテスの日常を、日記風に展開していったら、きっと、とても面白い小説になるだろうな。
僕は、ここでいまさら改めてお断りするまでもなく、もちろん専門の研究者などではありませんが、おそらく、この間に、彼が考えたことは、僕の仕事の場合に例えるなら、十分に使い切れなかった色と形はなんだったのか、せっかく、素晴らしくいい色や形が出ていたのに、もったいなかったな、サンチョこそが、芸術家として真に自分が創造したものだったなということに気づいたと言いますか、痛感したのではないかと感じます。
その発見だったり、後悔だったり、はたまた創造したという自負や喜びであったり、そうしたもろもろの様々な思いが凝縮されて、後篇のサンチョの爆発的な(と僕には十分に感じられます)おしゃべりへと、つながったのではないでしょうか。
「それは、ただのあなたの推測でしょう」って、それは確かにそうですけれど、ただ、制作者の立場って、常にそういうことを、振り返って考えると思います。
なんて言ったらよいのでしょうか、習慣的に、もうそういう日常的に身についたある種の癖のようなものとして。
つまりは、セルバンテスは、サンチョについて、若干しまった!と言いますか、「近所に住む農夫で、善良な人間だが、ちょっとばかり脳味噌の足りない男」(前篇第一巻、p.134)であり、ただの貧乏人の農夫であったはずのつもりが、あれ?予想もしない方向に成長してきたな、サンチョには自分自身を投影しやすいな、なにか身動きがとりやすいなと、サンチョにたまらない躍動感を感じたのではないでしょうか。
この身動きというのが、セルバンテスを考えるうえで、絶えずなにかキーワードになってくるような感じがします。
束縛のない身動きのとりやすさを、セルバンテスは最重要視しながら、常に求めているように思います。
おそらくは、彼の性格や気質に含まれているなんらかの傾向と、このことが、関連してくるのではないでしょうか。
もしくは、家族構成がもたらすところの彼の家庭環境が、このことに、影響を与えているのかもしれません。
まあ、その両方とも関係していると考えるのが、この場合は、妥当のように思います。

壮大なる「ドン・キホーテ」の物語・・・、これは究極のところ、作家セルバンテス自身にとっての自己治癒の作品なのではないでしょうか。

2023年7月17日
今日は、海の日か。
残念ながら、群馬県に海はありませんが。
和田 健

後日記5 :
このセルバンテス (1547-1616) という人は、空間認識能力とでも言いますか、空間識別能力とでも呼んだらよいのでしょうか、どちらもそのような日本語はないと思いますが、そうした能力が極めて発達しているように感じます。
優れた右脳をもっており、豊かな視空間性に恵まれていて、物事を常に即座に立体としてとらえることができるように思います。
「もっと簡単に言うと、なんなんだそれは?」と問われれば、運動神経やその感覚に優れているように思うのです。
400年以上も前の人生のどこかで、運動に慣れ親しんだ時期があったのだろうか。

別に比較するような問題ではありませんが、のちの時代の文豪であるディケンズ (1812-1870) や、ドストエフスキー(1821-1881) に比べても、その能力がひときわ高いように思うのです。
そういう意味では、非常にダンテ (1265-1321) の「神曲」的だなとも感じます。
だってそうでしょう、風車=巨人で視線を高くあげさせておいて、ライオン=地上に目を這わせ、モンテシーノスの洞穴=地下では、「ほとんど百尋にもおよぶ綱を買い求めた」(後篇第一巻、p.378)のですから。
また、「まるでゴムまりのように軽快な上下運動をくり返すその姿」(前篇第一巻、p.309) とありますように、前篇第十七章のサンチョの毛布(ケット)あげの一件などは、その典型的な事例だと思います。
この時、ドン・キホーテは、やむなく土塀の外からサンチョの姿を眺めていますよね。
つまり、僕が思うに下の毛布の方はあまり見えずに、ただサンチョが土塀ごしに空中を上がったり下がったりするのを目にする、このあたりにも非常に特異な立体感を感じます。
さらには、前篇第四十三章のドン・キホーテの宙吊りの体勢にも、空間の要素を強く感じます。

これとは反対に、人物描写も極めて優れているようでいて、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」や、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の登場人物たちに比べると、最高傑作のサンチョをもってしても、実はそれほどでもないように思います。
これがもし、ドストエフスキーだったら、村の司祭や床屋のニコラス親方の描写は、このくらいでは、まずすまないだろうなと思うのです。
後篇の第五章に、サンチョと妻の会話を展開するとても興味深い章があるのですが、これなども、ドストエフスキーでしたら、それこそ部屋の様子の、まずはとりあえず洗濯物の描写あたりから始まって、どこまでもとことん追求して執拗に書いてきますから。
「罪と罰」のマルメラードフもまたしかりです。

これは、どちらの技量が優れているとか、そういうことではなくて、ディケンズやドストエフスキーは、やはりまずなんと言っても人間に対して並外れた興味や関心があり、異様なまでの愛をもっているのに比べて、セルバンテスの場合は、人間に対して興味がないなどという訳では、もちろん決してありませんが、それよりもなによりもまず空間に、なにかどうしても惹かれてしまう、なにかそちらの方に自然と入り込んでしまう、という感じがするのです。
そして、この空間、乾いていますね、実に湿度が低い。
からっとしていて、気持ちよく乾いていますね。
そして、どこか底抜けに明るくて、さっぱりした爽快感のようなものさえ感じます。
だから、これまで400年以上にもわたって、万人に読み継がれてきたのだと感じます。
おそらくですが、このことと、スペインの気候風土との間にも、なんらかの関連があるように思います。

まあ、以上のようなことから、今日までに進んだ僕の思考をまとめますと、結論としては、
著者セルバンテスは、束縛のない空間の中に入り込んでは、そこに滞在することを心から愛し、自己治癒の物語である「ドン・キホーテ」をひたすら紡ぎ出している、というようなところあたりでしょうか。
もしかしたら、そこにいると、ほっとしたのかもしれませんね。
物語の中ではあるけれども、そこは誰も入り込んで来れない自分だけの世界であり、世間から隔離されているという安心感があったのかもしれません。
ドン・キホーテやサンチョは、すごく生き生きと躍動しているけれども、作者セルバンテスは、僕的には、逆になにか静かに閉じこもっている感じがするのです。

ちなみに、「カラマーゾフの兄弟」のスメルジャコフの原形は、「デイヴィッド・コパフィールド」のユライア・ヒープなのではないかというのが、僕の個人的な見解で、2021年6月6日の自分の日記に「夜ヒープとスメルジャコフの相関性に初めて気づく」と書いてありますが、つまりは、ドストエフスキーは、ディケンズの「デイヴィッド・コパフィールド」を100%読んでいるなというのが僕の考えなのですが、このことについて、どなたとも意見交換をしたことがありませんので、それ以上のことはわかりません。

2023年7月20日
和田 健

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for May 28, 2023

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , , , , , , on 30 May 2023 by kenwada

Today’s Drawing Work “Ichi-go ichi-e” for May 28, 2023
Acrylic on paper, 34.6×26.0 in. (88.0×66.0 cm)

Ichi-go ichi-e is a Japanese four-character idiom (yojijukugo) that describes a cultural concept of treasuring the unrepeatable nature of a moment. The term has been translated as “for this time only”, and “once in a lifetime”. The term reminds people to cherish any gathering that they may take part in, citing the fact that any moment in life cannot be repeated; even when the same group of people get together in the same place again, a particular gathering will never be replicated, and thus each moment is always a once-in-a-lifetime experience. The concept is most commonly associated with Japanese tea ceremonies, especially tea masters Sen no Rikyū and Ii Naosuke.
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