ドストエフスキー(1821-1881)の「悪霊」(1871-1872)を読んで 第一回「豚のむれ」

皆様、こんにちは。
僕は今年に入り、懐かしいドストエフスキーの世界に久しぶりに戻ってきて、連日のようにどっぷりと浸かりながらあたたまって?います。
そのきっかけは、昨年の暮れまでゴーゴリを読み続けてきて、まあ、ちょっと疲れたので、一息つこうと思って、おっ、一昨年からずっと計画していた「ガラン版千一夜物語」(岩波書店) が、いよいよ始まるのかと思ったら、なぜかそうはいかなくて、ぼんやりとウィキペディアを読んでいたら、まるでそこには世間的な常識のように書かれていたのですけれども、浅学の僕はまったく知らなくて、「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」をもってして、ドストエフスキーの五大長編と言うんですって、まるで知りませんでした、そんなこと。
自慢じゃないですけれども、僕は本当にごく限られたことしか知らないんですから。
ちなみに、僕の大好きな「死の家の記録」はなんで入らないのでしょうか、長編小説ではないからでしょうか?
それにしては、結構長いと思いますけれども。

僕は「罪と罰」を8回、「カラマーゾフの兄弟」を3回読みましたけれども、個人的な読書なのですから、好きな作品を繰り返して読めば、それでいいやと思っていたのですが、そう言われてみるとなんとなく気になり出して、それじゃ残りの3作品もこの際、全部読んでみようと思い、名前からして「悪霊」が一番強烈なので、いつもの方法でメルカリで岩波文庫版全4巻を1000円で購入して、この人類の文化遺産が1冊平均250円ですからね、信じられないとか、またブツブツ言いながら、2023年12月30日に読み始めたドストエフスキーの「悪霊」(1871-1872年刊) を、2024年2月19日になって読み終わりました。

はじめにお断りしたいのは、僕の読んだ「悪霊」は、1980年から1981年にかけて発行された米川正夫氏訳の岩波文庫版全4冊です。
そこで、以下の考察に関しましては、でき得る限りテキストに添った形で行っていきたいと思いますので、引用文につきましては、いちいち書くと大変煩わしくなりますので、すべて巻数とページ数のみ示します。
したがいまして、例えば、(一の100) とありましたら、それは第一巻の100ページに、(四の100) でしたら、第四巻の100ページに、それぞれ記載されていますという意味です。
それでは、少し長くなるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

まず、読み終わっての第一感想は、あまりに「陰惨な出来事」(四の385) の連続で、いったい全員で何人死んでいるのでしょうか、もうちょっとこれはなんて言ったらよいのでしょうか、エンディングも主人公ニコライの首吊り自殺で終わっていますし、この物語を読んで、例えばですが、爽やかな気持ちになりましたとか、感動しましたとか、また明日から前向きに生きる元気や勇気をたくさんいただきましたなんていう人は (なんだか最近、そのような類いの感想を言う人がすごく増えてきたように思いますがいかがでしょうか) 、おそらくですが、世の中にあまりいないのではないでしょうか?

そこに待っていたのは相変わらずのおどろおどろしい、どろどろのドストエフスキー劇場、やっぱり人物を書かせたらこの人の右に出る者はまずいないと言いますか、ちょっと誰も太刀打ちできない、まさしく前代未聞、空前絶後です、よってぐんぐん物語の世界に引き摺り込まれる。
それから室内の描写ですね、これも相変わらず群を抜いていますね。

さらにはドストエフスキーの場合は、常に台詞の裏の意味を読み取ってこないといけない、推し量ってこないとならない、そこで必ずや神経戦、消耗戦になりますね。
絶えず、示唆、暗示、ほのめかしが、これでもかというくらいに執拗に繰り返されてきますから、どうしても疲れますね、これは集中力の勝負になりますから。
したがいまして、ドストエフスキー作品を速読することなんてことは、まず誰にもできないと僕は思います、まあ、何事にも例外はあるでしょうけれども、速読することにあまり意味を見いだせない、遅読です、ゆっくり繰り返し繰り返し、同じ箇所を何度も味わいながら。

今回、完璧なまでに裏をとってつなげてきたなと感じたのは、新約聖書の黙示録の部分ですね。
最後に至るスチェパン氏の「なまぬるいよりはむしろ冷たい方がいい。単になまぬるいよりは、むしろ冷たい方がいいです!」(四の352) の絶叫にもってくるまでの一連の系譜です。

それに対しまして、風景の描写につきましては、先輩であるゴーゴリの方に、はっきりと軍配があがります。
具体的には、「彼はとつぜん足を止めて、あたりを見まわした。車の轍で一面にえぐられた、古い、黒々とした街道は、両側にお決まりの柳をつらねながら、果てしもない糸のように眼前に延びていた。右側は、もうとっくの昔に刈り入れのすんだ真裸の畑で、左側は灌木の繁みの向うにちょっとした林が続いている。ずっとはるか向こうの方には、鉄道線路が斜めに奥へ入り込んでいるのが、あるかなきかに眺められて、その上には何か列車の煙が見えているが、音はもう聞こえなかった。」(四の315)
これ、ゴーゴリでしたら、まずこのくらいでは終わらないです。
まあ、ゴーゴリの超高速魚眼レンズカメラ VS. ドストエフスキーの超性能定点観測カメラとでもいったところでしょうか。

それでは以下、テーマごとに具体的に考えていきたいと思います。
相手がなにしろ巨大にして難解な作品ですので 、僕の足りない頭では大変心許ないですが、それははっきり言って、今更もうどうにもならないですね。

まずは、思わずしょっぱなからハァーとためいきスタート、それは開始わずか2行目の「凡手の悲しさ」(一の8) のことなのですが 、これはいったいどういう意味で書いているのでしょうか?
おそらく、ただのつまらない謙遜なんかでは書かないであろう、この人の場合。

それでは、本題に入ります。
今回の第一回は、ルカ伝の「豚のむれ」(一の6) についてです。
まずは、その場所に注意です。
第一巻の目次の後に、やや唐突に、プーシキンの詩とともに、新約聖書のルカ伝が出てきますよね、まだ本文の始まる前です。
悪鬼が豚のむれに入る例のくだりです。
少し長くなりますが、ここが肝心なところですので、そのままここへ引用します。
「ここに多くの豚のむれ山に草をはみいたりしが、彼らその豚に入らんことを許せと願いければ、これをゆるせり。悪鬼その人より出でて豚に入りしかば、そのむれ激しく馳せくだり、崖より湖に落ちて溺る。牧者どもそのありしことを見て逃げ行き、これを町また村々に告げたり。ひとびとそのありしことを見んとて、出でてイエスのもとに来れば、悪鬼の離れし人、着物を着け、たしかなる心にてイエスの足下に坐せるを見て、おそれあえり。悪鬼に憑かれたりし人の救われしさまを見たる者、このことを彼らに告げければ、・・・(後略)」(一の6)

ここに掲げてきているということは、かなりの重要性を示していると言いますか、結論はここにあるよと、あらかじめドストエフスキー自身がほのめかしている感じが、これは配置された場所が場所だけに、自然にどうしてもしてきます。

そして、物語の途中、「豚のむれ」なる言葉は、僕の確認ではもう一切出てくることなく (シャートフがレビャードキンのことを「豚の子」(一の256) みたいにわめくというのが一回出てきますが、すみません、つまらない冗談です)、最後から二番目の章「スチェパン氏の最後の放浪」の中で、またもややや唐突に、スチェパン氏の哀願「今度はもう一度あの・・・・・・豚のところを読んで聞かして下さい。」(四の353) で見事につながり、ソフィアが読んで聞かせます。
(ちなみに、ソフィアが読んで聞かせた「豚のところ」は、上記に引用した部分とまったく同じ箇所なのに、語句の使用や句点の位置が微妙に違います。
これは、おそらくですが目次の後に掲載されたGまたはドストエフスキーの聖書と、聖書売りのソフィアが売っている聖書とが、違う本であることを示しているのではないでしょうか。)

ここのところですね、ここのところ。
つまりは、ドストエフスキーは、ニコライも、ピョートルも、リプーチンも、リャームシンも、ヴィルギンスキイも、トルカチェンコも、エルケリも、レビャードキン大尉などは改めて言うまでもなく・・・、要するに本文中何度も出てくる言葉である「有象無象」ですね、もう誰も彼も「豚のむれ」であると言いたいのでしょうね、ここのところをよく考えなさいと、これがまず一点。

ただし、並の作家であれば、話はそこまでなのでしょうけれども、そこはなんと言ってもドストエフスキーですからね。
「豚のむれ」に入らないのは誰なのかを、逆に問いかけているのかもしれません。
なんとなく、そのような気がしてなりません。
これには、本文中にちょっとした示唆が含まれていて・・・、この話は長くなりますので、また次回以降にいたします。

そして、もう一点なのですが、なぜスチェパン氏は、人生の最期に、突然「豚のところを読んで聞かして下さい。」と言ったのだろう?
ここの裏が十分にとれませんが、そのあとにありますように、おそらく「豚のむれ」が子供の時分からのスチェパン氏にとっての「つまずきの石」(四の354) であったからではないのでしょうか?

つまりは、自分の人生はもう終わろうとしているけれども、今思えば、子供の頃の「豚のむれ」のところから転んでしまったなあと、もう決して取り返しはつかないけれども、死ぬ間際になって、ようやくそのことに思い至り、長年心の中で引っかかっていたなにがが、突然表出してきて、唐突な哀訴になったと、そのようにドストエフスキーはとらえたのでしょうか。
子供の時分に「つまずきの石」であるところの「豚のむれ」が理解できずに、神の問題から離れて、自分はその後思想を方向転換していったけれども、あの「つまづきの石」こそが、今思えば実は自分の人生の原石だったなあと。
ですので、スチェパン氏は「自分はもはや、少なくとも三十年くらい福音書というものを読んだことがない。」(四の327) のです。
悔悟の念が、「豚のむれ」の「あるいは私なぞその親玉かも知れない」(四の355) の言葉につながります。(下記後日記1参照)

そこで、そのための事前準備ではないですけれども、ドストエフスキーは段階を踏んで構成してきていますよね、いきなりではあまりにも唐突だと思ったのでしょうか?
ステップと言いますか、足がかりとして、ソフィアはまずは「山上の垂訓を通読」(四の350) して、次に「黙示録」(四の351) を読む。
ここで一度ソフィアが中座しますよね、支払いがどうとか、医者がどうとか、まあ、要するにタイムをとる、それでこの間の猶予に、スチェパン氏のはるか昔の記憶が呼び覚まされて、今やややさびれた (失礼!) 頭のスイッチが入って、突然の「豚のところを読んで聞かして下さい。」になる。
でもこれはあれですよね、百姓家で聖書売りの女ソフィアを登場させた時点から、「豚のむれ」につなげていこうとしたドストエフスキーの構成上の意図はかなり明白ですよね、他の商売ではだめな訳です。
ちなみに、スチェパン氏の年齢は、「五十三才」(一の29) です。

話がそれてしまいますので、この味わい深い「スチェパン氏の最後の放浪」の章について、十分にご紹介できないのが大変残念ですが、「罪と罰」のマルメラードフや、「カラマーゾフの兄弟」の少年イリューシャ、さらには珠玉の短編である「キリストのヨールカに召された少年。」(「作家の日記2」ちくま学芸文庫、ちなみにこの最後の句点は原文のママです) などにみられるように市井の人々の人情ものを書かせても、ドストエフスキーは天下一品です。
ちょっとこれは人間業とは思えないレベルの高さです。

この「悪霊」の中でも、例えば、火事の前でわめき立てる頭のネジがもうはずれてしまったような知事レムブケーが、八十になる老婆を助けようと、彼女の羽蒲団を引っ張り出す場面 (三の102〜105)、このリアリティー、これは人生の中でなにか火事にあった経験でも実際にあったのでしょうか。

ドストエフスキーのこの比類のない筆力、力量はいったいどこからくるものなのでしょうか。
この人はあれですね、僕は「多動の人」(この言葉は別に説明が必要ですよね) なのではないかという結論をもっているのですが、日々の努力ですとか、精進ですとか、鍛練ですとか、そうした類いの観念からは、まるで一切書いていない感じがします。
つまりは、ドストエフスキーは自らを作家として大成させようとしていたのであろうか。
まあ、少なくとも自身を育てていこうとくらいはしていたのであろうか。
違うのではないか、そのような意識から書いているのでは、実はまるでないのではないかということです。
ですので、ドストエフスキーには、最後の「カラマーゾフの兄弟」に至るまで、究極的な意味合いにおける小説家としての変な色気を感じないのです。
ここから、これも同様に究極的な意味合いにおけるところのドストエフスキーの素朴さについて、通常使われるところの「あの人は素朴だ」とか、そういう意味ではない素朴さについて、今少し考え始めています。(下記後日記1参照)

この「スチェパン氏の最後の放浪」の章も、実にもう流れるような展開です。
街道ものとでも新たに名付けましょうか。
スチェパン氏が街道に出る→向こうから田舎馬車が来て、百姓夫婦と知り合いになる→窓の三つついた明るい百姓家に着く→薄っぺらな、半分小麦の入ったうまいプリンが出る→五コペイカ分のウォートカの極小ビン、この五コペイカ分のウォートカの話が実にいいですね、百姓の女房についだら二杯目の自分の分が足りなくなって・・・→さあそこで「これをお購め下さいませんか?」(四の326) と聖書売りのソフィアの登場、ここうまいなあ〜!
ちなみに、このソフィアですが、「私たちの町に福音書を売り歩く行商の女が現われた。」と、以前に一度登場していて、「やくざ者のリャームシン」と「のらくらしている神学生」との「もはやとうてい我慢のできない悪ふざけ」(いずれも二の209) に辱められ、「留置場に押しこめられ」(二の210) てさえいます。

これはあれでしょうか、あまりにもむごたらしい惨殺、自殺が続いたあと、さらにこのあとに、ニコライの自殺も控えているし、ドストエフスキーもちょっとたまらなくなって、このままでは息が詰まるから、新鮮な空気を入れてひと息つきたいと、少しはホッとしたいと、おそらくは相当追い詰められているであろう読者の心情を思いやるというよりは、実は自身がそれ以上に換気が必要だと思ったのではないでしょうか。
なんとなく、そのような雰囲気が伝わってきます。
自己解放とまで言うと、少し誇張になりますが。

しかし、物語の説話者たる「私」こと「G」のスチェパン氏に対する感情移入は、他の登場人物たちへのそれに比べて、友人であるだけに明らかに比較にならないほど深いように思います。
ちなみに、この「G」ですが、「アントン・ラヴレンチッチ」(一の217、218) という名だと、本文中に二回ほど出てきます。
この「私」こと「G」が、どの程度までドストエフスキー自身であると考えてよいのか、つまりは、この「G」とドストエフスキーとの距離感ですね、これを考えていて、頭がぐらぐらしてきたあたりで、今回はおしまいにいたしますが、ドストエフスキーの特異な世界を久しぶりに堪能しました。

しかし、相変わらず人殺しの話が多いですね、今回の火事にしても放火であることが明らかですし、人殺し、自殺、放火と、要は人為ですよね、文字通り人の為すことです、育った地域性もあるのでしょうが、そこに天変地異は出てこない。
地震や火山の噴火は出てこない、ここに若い世代の方にとって、ドストエフスキーの文学に、同様に特異な対抗軸を構築できる可能性があるように思うのですが。
まあそうは言いましても、質、量ともにドストエフスキーを乗り越えるということは、僕の仕事である絵画の分野で言うと、レンブラントを乗り越えることに匹敵すると思いますので、並大抵なことではないと思いますが、それでもわからないですよね、可能性というものは、どんなに少なくともやはり確かにある。

僕の眼の状態をみながらになりますので、いつになるのかわかりませんが、ちなみに、第二回は「マリヤ・レビャードキナと梟」、第三回は「キリーロフとお茶」を一応予定しています。
特に、「キリーロフとお茶」は僕にとって、この物語の中で、一番味わい深いところです。

2024年2月22日初稿掲載
2024年2月23日加筆修正
和田 健

後日記1:
ここで、少し休憩、のわりには大問題です。

それは、スチェパン氏の最期の裏ですね、この裏のとり方なのですが、おそらく直感的に、ドストエフスキーはここに、首謀者ピョートルの逃亡をもってきているのではないでしょうか?
その手がかりになるのは、本文中のスチェパン氏の臨終の叫び、
「ああ、私はできることなら、もう一度生活がしてみたい (中略) おお、私はペトルーシャや・・・・・・ほかの仲間の連中が見たい・・・・・・そしてシャートフも!」(四の370)
ちなみに、ペトルーシャとは、スチェパン氏の息子であるピョートルの愛称ですが、この最期の場面でシャートフがきたか!
「(前略) よくスチェパン氏はこう言って戯れたが、しかし彼はシャートフを愛していた。」(一の47) とありますからね。
このこと一つをとってみても、難しいことはさておき、まずは単純な事実として、やっぱりドストエフスキーは登場人物を、すなわち自らが生み出した人物を実によく見ているなと思います。
また「ペトルーシャ・・・・・・ああ、私はあの連中にもう一度会ってみたい。彼らは自分たちの中にもやはりこの永遠な思想が蔵されていることを知らないのだ、全然しらないのだ!」(四の371、二度目の知らないはひらがなです) ともあります。

ドストエフスキーは、最終的に張本人のピョートルだけは逮捕されることもなく、海外に高跳びまでさせて逃がしています(四の275)。
これは誰がどうみても明らかに大問題ですよね、だって、他のメンバーは皆捕まったり、惨殺されたり、自殺したりしているのに、首領の大悪党であるピョートルだけは逃げている・・・これは読者にとって、「えっ、なんでよりによってこいつだけ捕まらないの?」という感じです。
つまりは、意図的にそのように構成してきたドストエフスキーの思想ですね。
これにつきましては、今年で「悪霊」が出版されてからすでに、2024-1872=152 年が経過していますので、専門の研究者の間でこの問題につきましては、さんざん議論され尽くしたことと思いますが、現在、ピョートルの逃亡につきましては、どのような共通の理解や認識が示されているのでしょうか?
僕にとって、ドストエフスキーのこの思想を読み解くことはかなり難しいのですが、これはあれでしょうか、罪の赦しと再生の問題として、ドストエフスキーは、ピョートルの逃亡をとらえているのでしょうか。
ピョートルよ、偉大なるものの前に跪けと、そうしないとお前ほど悪くて、お前ほど罪の意識の軽い者に最終的な救いなどはまるでないと。
そこで思い出されるのが、ピョートルが最後、プラットフォームでエルケリと別れて列車に乗り込んだ時の「くるりとふり向いてしまった」(四の311) 姿です。
これは、ピョートルが人を道具としてみていることを端的に表しています。
少尉補エルケリは、使用済みで用がないので、もう要らない訳です。
それに対してエルケリは、ピョートルのことを崇拝してやまないので、ドストエフスキーは「この少年がかわいそうでたまらない」(四の154) のでしょう。
この「ピョートルの逃亡」についての専門家の見解をぜひ勉強したいです。

また、この「ピョートルの逃亡」問題をドストエフスキーの制作者側としての視点から考えてみると、まあ、これは別にドストエフスキーのような大作家でなくても、どんな作家でも簡単にわかることだと思うのですが、ピョートルだけ逃亡させたら読者は納得しないぞ、この逃亡は読者には容易には受け入れられないぞと感じると思うのです。
問題は、まさしくここのところなのです。
つまりは、自らの思想なり思考が、ドストエフスキーの場合は、もうここまでくると思想云云と言うよりも魂と言った方がより適切なのかもしれませんが、ピョートルの逃亡を上回ってしまう。
不等号で表せば、
自分の思想=魂>ピョートルの逃亡
です。
ここのところが、上述しましたドストエフスキーには、究極的な意味合いにおいての小説家としての変な色気がないことにつながります。
同じく僕の言う自分自身に忠実に生きるドストエフスキーの素朴さにつながるのです。
なんとなく伝わりましたでしょうか?
ここのところは芸術家として、極めて大切なところです。
商売の方でしたら、すぐにでもお客様の意向にそう形で、多少なりとも修正しなければならないところですから、でもそれはしない。
普通に、小説家としての色気をもっていたら、ここまでの巨人には到底ならない。
僕が、この人に直接訊ける機会があったら、もちろん僕などにそのような機会があるはずもありませんが、仮定です、あくまで仮定、「やっぱり小説なのでしょうか?」ということです。
なにか違うのではないかな〜、生業として仕方なくとまでは言いませんけれども、自己の本分に忠実に思想を深めたい、そしてそれを書き留めたい、ひたすらただそれのみに情熱を燃やして集中していきたい、人生をかけて埋没していきたい、そしてそれらを小説という実験道場のようなものの中で組み立てて試していきたい、でもそれはあくまで自分の思想をさらに深めたいがためだ、そこだけは絶対に譲れない。
となにかそのような感じかなあ、まあそれはあなたの意見でしょと言われれば、それはもちろんそうなのですけれども、でもそのことが、彼をただのストーリーテラーから明確に遠く隔てている訳ですし、後世にこれだけの影響を現に与えている訳です。
つまりは、ここのところ。
したがいまして、ドストエフスキーを読んで、小説家がその魅力的なスタイルをただ形式として取り入れることは (まあ、そんな方はいないでしょうけれども、一応念のため)、僕は極めて危険だと思います。
「プーシキン、ゴーゴリ、モリエール、ヴォルテールなどというような、自分自身の新しい言葉を発するために生まれてきた人たち」(一の141) とは、なんと素晴らしい言葉でしょうか!
こういう一文に出会う (そうです、それはまさしく出会いです) ために、僕は毎日ひたすら読書をしている訳です。

以上、少し休憩、のわりには大問題終わり。

2024年2月24日、25日
和田 健

後日記2:
やっぱり、上記の考察と関連して、ドストエフスキーの場合は、神の問題が、小説家としての自らの作品を上回っているように感じます。
つまりは、また不等号を使って表すと、
神の問題>小説家としての自らの作品
これに対して、通常の小説家の場合は、前作よりも、少しでもよりよい作品を書こうとして、
小説家としてのよりよい自らの作品>小説家としての自らの作品
になっているのではないでしょうか。
そして、ここの違いの中にこそ、なにか決定的なものが秘められているように思います。

2024年3月11日
和田 健

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