無題 2024 No.7
2024年2月
北軽井沢 作品 No.540
紙にコラージュ
45.5×38.0 cm
Untitled 2024 No.7
February 2024
Kitakaruizawa Works No.540
Collage on paper
18.0×15.0 in.
Sans Titre 2024 N°7
février 2024
Kitakaruizawa Œuvres N°540
Collage sur papier
45.5×38.0 cm

皆様、こんにちは。
僕は今年に入り、懐かしいドストエフスキーの世界に久しぶりに戻ってきて、連日のようにどっぷりと浸かりながらあたたまって?います。
そのきっかけは、昨年の暮れまでゴーゴリを読み続けてきて、まあ、ちょっと疲れたので、一息つこうと思って、おっ、一昨年からずっと計画していた「ガラン版千一夜物語」(岩波書店) が、いよいよ始まるのかと思ったら、なぜかそうはいかなくて、ぼんやりとウィキペディアを読んでいたら、まるでそこには世間的な常識のように書かれていたのですけれども、浅学の僕はまったく知らなくて、「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」、「カラマーゾフの兄弟」をもってして、ドストエフスキーの五大長編と言うんですって、まるで知りませんでした、そんなこと。
自慢じゃないですけれども、僕は本当にごく限られたことしか知らないんですから。
ちなみに、僕の大好きな「死の家の記録」はなんで入らないのでしょうか、長編小説ではないからでしょうか?
それにしては、結構長いと思いますけれども。
僕は「罪と罰」を8回、「カラマーゾフの兄弟」を3回読みましたけれども、個人的な読書なのですから、好きな作品を繰り返して読めば、それでいいやと思っていたのですが、そう言われてみるとなんとなく気になり出して、それじゃ残りの3作品もこの際、全部読んでみようと思い、名前からして「悪霊」が一番強烈なので、いつもの方法でメルカリで岩波文庫版全4巻を1000円で購入して、この人類の文化遺産が1冊平均250円ですからね、信じられないとか、またブツブツ言いながら、2023年12月30日に読み始めたドストエフスキーの「悪霊」(1871-1872年刊) を、2024年2月19日になって読み終わりました。
はじめにお断りしたいのは、僕の読んだ「悪霊」は、1980年から1981年にかけて発行された米川正夫氏訳の岩波文庫版全4冊です。
そこで、以下の考察に関しましては、でき得る限りテキストに添った形で行っていきたいと思いますので、引用文につきましては、いちいち書くと大変煩わしくなりますので、すべて巻数とページ数のみ示します。
したがいまして、例えば、(一の100) とありましたら、それは第一巻の100ページに、(四の100) でしたら、第四巻の100ページに、それぞれ記載されていますという意味です。
それでは、少し長くなるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
まず、読み終わっての第一感想は、あまりに「陰惨な出来事」(四の385) の連続で、いったい全員で何人死んでいるのでしょうか、もうちょっとこれはなんて言ったらよいのでしょうか、エンディングも主人公ニコライの首吊り自殺で終わっていますし、この物語を読んで、例えばですが、爽やかな気持ちになりましたとか、感動しましたとか、また明日から前向きに生きる元気や勇気をたくさんいただきましたなんていう人は (なんだか最近、そのような類いの感想を言う人がすごく増えてきたように思いますがいかがでしょうか) 、おそらくですが、世の中にあまりいないのではないでしょうか?
そこに待っていたのは相変わらずのおどろおどろしい、どろどろのドストエフスキー劇場、やっぱり人物を書かせたらこの人の右に出る者はまずいないと言いますか、ちょっと誰も太刀打ちできない、まさしく前代未聞、空前絶後です、よってぐんぐん物語の世界に引き摺り込まれる。
それから室内の描写ですね、これも相変わらず群を抜いていますね。
さらにはドストエフスキーの場合は、常に台詞の裏の意味を読み取ってこないといけない、推し量ってこないとならない、そこで必ずや神経戦、消耗戦になりますね。
絶えず、示唆、暗示、ほのめかしが、これでもかというくらいに執拗に繰り返されてきますから、どうしても疲れますね、これは集中力の勝負になりますから。
したがいまして、ドストエフスキー作品を速読することなんてことは、まず誰にもできないと僕は思います、まあ、何事にも例外はあるでしょうけれども、速読することにあまり意味を見いだせない、遅読です、ゆっくり繰り返し繰り返し、同じ箇所を何度も味わいながら。
今回、完璧なまでに裏をとってつなげてきたなと感じたのは、新約聖書の黙示録の部分ですね。
最後に至るスチェパン氏の「なまぬるいよりはむしろ冷たい方がいい。単になまぬるいよりは、むしろ冷たい方がいいです!」(四の352) の絶叫にもってくるまでの一連の系譜です。
それに対しまして、風景の描写につきましては、先輩であるゴーゴリの方に、はっきりと軍配があがります。
具体的には、「彼はとつぜん足を止めて、あたりを見まわした。車の轍で一面にえぐられた、古い、黒々とした街道は、両側にお決まりの柳をつらねながら、果てしもない糸のように眼前に延びていた。右側は、もうとっくの昔に刈り入れのすんだ真裸の畑で、左側は灌木の繁みの向うにちょっとした林が続いている。ずっとはるか向こうの方には、鉄道線路が斜めに奥へ入り込んでいるのが、あるかなきかに眺められて、その上には何か列車の煙が見えているが、音はもう聞こえなかった。」(四の315)
これ、ゴーゴリでしたら、まずこのくらいでは終わらないです。
まあ、ゴーゴリの超高速魚眼レンズカメラ VS. ドストエフスキーの超性能定点観測カメラとでもいったところでしょうか。
それでは以下、テーマごとに具体的に考えていきたいと思います。
相手がなにしろ巨大にして難解な作品ですので 、僕の足りない頭では大変心許ないですが、それははっきり言って、今更もうどうにもならないですね。
まずは、思わずしょっぱなからハァーとためいきスタート、それは開始わずか2行目の「凡手の悲しさ」(一の8) のことなのですが 、これはいったいどういう意味で書いているのでしょうか?
おそらく、ただのつまらない謙遜なんかでは書かないであろう、この人の場合。
それでは、本題に入ります。
今回の第一回は、ルカ伝の「豚のむれ」(一の6) についてです。
まずは、その場所に注意です。
第一巻の目次の後に、やや唐突に、プーシキンの詩とともに、新約聖書のルカ伝が出てきますよね、まだ本文の始まる前です。
悪鬼が豚のむれに入る例のくだりです。
少し長くなりますが、ここが肝心なところですので、そのままここへ引用します。
「ここに多くの豚のむれ山に草をはみいたりしが、彼らその豚に入らんことを許せと願いければ、これをゆるせり。悪鬼その人より出でて豚に入りしかば、そのむれ激しく馳せくだり、崖より湖に落ちて溺る。牧者どもそのありしことを見て逃げ行き、これを町また村々に告げたり。ひとびとそのありしことを見んとて、出でてイエスのもとに来れば、悪鬼の離れし人、着物を着け、たしかなる心にてイエスの足下に坐せるを見て、おそれあえり。悪鬼に憑かれたりし人の救われしさまを見たる者、このことを彼らに告げければ、・・・(後略)」(一の6)
ここに掲げてきているということは、かなりの重要性を示していると言いますか、結論はここにあるよと、あらかじめドストエフスキー自身がほのめかしている感じが、これは配置された場所が場所だけに、自然にどうしてもしてきます。
そして、物語の途中、「豚のむれ」なる言葉は、僕の確認ではもう一切出てくることなく (シャートフがレビャードキンのことを「豚の子」(一の256) みたいにわめくというのが一回出てきますが、すみません、つまらない冗談です)、最後から二番目の章「スチェパン氏の最後の放浪」の中で、またもややや唐突に、スチェパン氏の哀願「今度はもう一度あの・・・・・・豚のところを読んで聞かして下さい。」(四の353) で見事につながり、ソフィアが読んで聞かせます。
(ちなみに、ソフィアが読んで聞かせた「豚のところ」は、上記に引用した部分とまったく同じ箇所なのに、語句の使用や句点の位置が微妙に違います。
これは、おそらくですが目次の後に掲載されたGまたはドストエフスキーの聖書と、聖書売りのソフィアが売っている聖書とが、違う本であることを示しているのではないでしょうか。)
ここのところですね、ここのところ。
つまりは、ドストエフスキーは、ニコライも、ピョートルも、リプーチンも、リャームシンも、ヴィルギンスキイも、トルカチェンコも、エルケリも、レビャードキン大尉などは改めて言うまでもなく・・・、要するに本文中何度も出てくる言葉である「有象無象」ですね、もう誰も彼も「豚のむれ」であると言いたいのでしょうね、ここのところをよく考えなさいと、これがまず一点。
ただし、並の作家であれば、話はそこまでなのでしょうけれども、そこはなんと言ってもドストエフスキーですからね。
「豚のむれ」に入らないのは誰なのかを、逆に問いかけているのかもしれません。
なんとなく、そのような気がしてなりません。
これには、本文中にちょっとした示唆が含まれていて・・・、この話は長くなりますので、また次回以降にいたします。
そして、もう一点なのですが、なぜスチェパン氏は、人生の最期に、突然「豚のところを読んで聞かして下さい。」と言ったのだろう?
ここの裏が十分にとれませんが、そのあとにありますように、おそらく「豚のむれ」が子供の時分からのスチェパン氏にとっての「つまずきの石」(四の354) であったからではないのでしょうか?
つまりは、自分の人生はもう終わろうとしているけれども、今思えば、子供の頃の「豚のむれ」のところから転んでしまったなあと、もう決して取り返しはつかないけれども、死ぬ間際になって、ようやくそのことに思い至り、長年心の中で引っかかっていたなにがが、突然表出してきて、唐突な哀訴になったと、そのようにドストエフスキーはとらえたのでしょうか。
子供の時分に「つまずきの石」であるところの「豚のむれ」が理解できずに、神の問題から離れて、自分はその後思想を方向転換していったけれども、あの「つまづきの石」こそが、今思えば実は自分の人生の原石だったなあと。
ですので、スチェパン氏は「自分はもはや、少なくとも三十年くらい福音書というものを読んだことがない。」(四の327) のです。
悔悟の念が、「豚のむれ」の「あるいは私なぞその親玉かも知れない」(四の355) の言葉につながります。(下記後日記1参照)
そこで、そのための事前準備ではないですけれども、ドストエフスキーは段階を踏んで構成してきていますよね、いきなりではあまりにも唐突だと思ったのでしょうか?
ステップと言いますか、足がかりとして、ソフィアはまずは「山上の垂訓を通読」(四の350) して、次に「黙示録」(四の351) を読む。
ここで一度ソフィアが中座しますよね、支払いがどうとか、医者がどうとか、まあ、要するにタイムをとる、それでこの間の猶予に、スチェパン氏のはるか昔の記憶が呼び覚まされて、今やややさびれた (失礼!) 頭のスイッチが入って、突然の「豚のところを読んで聞かして下さい。」になる。
でもこれはあれですよね、百姓家で聖書売りの女ソフィアを登場させた時点から、「豚のむれ」につなげていこうとしたドストエフスキーの構成上の意図はかなり明白ですよね、他の商売ではだめな訳です。
ちなみに、スチェパン氏の年齢は、「五十三才」(一の29) です。
話がそれてしまいますので、この味わい深い「スチェパン氏の最後の放浪」の章について、十分にご紹介できないのが大変残念ですが、「罪と罰」のマルメラードフや、「カラマーゾフの兄弟」の少年イリューシャ、さらには珠玉の短編である「キリストのヨールカに召された少年。」(「作家の日記2」ちくま学芸文庫、ちなみにこの最後の句点は原文のママです) などにみられるように市井の人々の人情ものを書かせても、ドストエフスキーは天下一品です。
ちょっとこれは人間業とは思えないレベルの高さです。
この「悪霊」の中でも、例えば、火事の前でわめき立てる頭のネジがもうはずれてしまったような知事レムブケーが、八十になる老婆を助けようと、彼女の羽蒲団を引っ張り出す場面 (三の102〜105)、このリアリティー、これは人生の中でなにか火事にあった経験でも実際にあったのでしょうか。
ドストエフスキーのこの比類のない筆力、力量はいったいどこからくるものなのでしょうか。
この人はあれですね、僕は「多動の人」(この言葉は別に説明が必要ですよね) なのではないかという結論をもっているのですが、日々の努力ですとか、精進ですとか、鍛練ですとか、そうした類いの観念からは、まるで一切書いていない感じがします。
つまりは、ドストエフスキーは自らを作家として大成させようとしていたのであろうか。
まあ、少なくとも自身を育てていこうとくらいはしていたのであろうか。
違うのではないか、そのような意識から書いているのでは、実はまるでないのではないかということです。
ですので、ドストエフスキーには、最後の「カラマーゾフの兄弟」に至るまで、究極的な意味合いにおける小説家としての変な色気を感じないのです。
ここから、これも同様に究極的な意味合いにおけるところのドストエフスキーの素朴さについて、通常使われるところの「あの人は素朴だ」とか、そういう意味ではない素朴さについて、今少し考え始めています。(下記後日記1参照)
この「スチェパン氏の最後の放浪」の章も、実にもう流れるような展開です。
街道ものとでも新たに名付けましょうか。
スチェパン氏が街道に出る→向こうから田舎馬車が来て、百姓夫婦と知り合いになる→窓の三つついた明るい百姓家に着く→薄っぺらな、半分小麦の入ったうまいプリンが出る→五コペイカ分のウォートカの極小ビン、この五コペイカ分のウォートカの話が実にいいですね、百姓の女房についだら二杯目の自分の分が足りなくなって・・・→さあそこで「これをお購め下さいませんか?」(四の326) と聖書売りのソフィアの登場、ここうまいなあ〜!
ちなみに、このソフィアですが、「私たちの町に福音書を売り歩く行商の女が現われた。」と、以前に一度登場していて、「やくざ者のリャームシン」と「のらくらしている神学生」との「もはやとうてい我慢のできない悪ふざけ」(いずれも二の209) に辱められ、「留置場に押しこめられ」(二の210) てさえいます。
これはあれでしょうか、あまりにもむごたらしい惨殺、自殺が続いたあと、さらにこのあとに、ニコライの自殺も控えているし、ドストエフスキーもちょっとたまらなくなって、このままでは息が詰まるから、新鮮な空気を入れてひと息つきたいと、少しはホッとしたいと、おそらくは相当追い詰められているであろう読者の心情を思いやるというよりは、実は自身がそれ以上に換気が必要だと思ったのではないでしょうか。
なんとなく、そのような雰囲気が伝わってきます。
自己解放とまで言うと、少し誇張になりますが。
しかし、物語の説話者たる「私」こと「G」のスチェパン氏に対する感情移入は、他の登場人物たちへのそれに比べて、友人であるだけに明らかに比較にならないほど深いように思います。
ちなみに、この「G」ですが、「アントン・ラヴレンチッチ」(一の217、218) という名だと、本文中に二回ほど出てきます。
この「私」こと「G」が、どの程度までドストエフスキー自身であると考えてよいのか、つまりは、この「G」とドストエフスキーとの距離感ですね、これを考えていて、頭がぐらぐらしてきたあたりで、今回はおしまいにいたしますが、ドストエフスキーの特異な世界を久しぶりに堪能しました。
しかし、相変わらず人殺しの話が多いですね、今回の火事にしても放火であることが明らかですし、人殺し、自殺、放火と、要は人為ですよね、文字通り人の為すことです、育った地域性もあるのでしょうが、そこに天変地異は出てこない。
地震や火山の噴火は出てこない、ここに若い世代の方にとって、ドストエフスキーの文学に、同様に特異な対抗軸を構築できる可能性があるように思うのですが。
まあそうは言いましても、質、量ともにドストエフスキーを乗り越えるということは、僕の仕事である絵画の分野で言うと、レンブラントを乗り越えることに匹敵すると思いますので、並大抵なことではないと思いますが、それでもわからないですよね、可能性というものは、どんなに少なくともやはり確かにある。
僕の眼の状態をみながらになりますので、いつになるのかわかりませんが、ちなみに、第二回は「マリヤ・レビャードキナと梟」、第三回は「キリーロフとお茶」を一応予定しています。
特に、「キリーロフとお茶」は僕にとって、この物語の中で、一番味わい深いところです。
2024年2月22日初稿掲載
2024年2月23日加筆修正
和田 健
後日記1:
ここで、少し休憩、のわりには大問題です。
それは、スチェパン氏の最期の裏ですね、この裏のとり方なのですが、おそらく直感的に、ドストエフスキーはここに、首謀者ピョートルの逃亡をもってきているのではないでしょうか?
その手がかりになるのは、本文中のスチェパン氏の臨終の叫び、
「ああ、私はできることなら、もう一度生活がしてみたい (中略) おお、私はペトルーシャや・・・・・・ほかの仲間の連中が見たい・・・・・・そしてシャートフも!」(四の370)
ちなみに、ペトルーシャとは、スチェパン氏の息子であるピョートルの愛称ですが、この最期の場面でシャートフがきたか!
「(前略) よくスチェパン氏はこう言って戯れたが、しかし彼はシャートフを愛していた。」(一の47) とありますからね。
このこと一つをとってみても、難しいことはさておき、まずは単純な事実として、やっぱりドストエフスキーは登場人物を、すなわち自らが生み出した人物を実によく見ているなと思います。
また「ペトルーシャ・・・・・・ああ、私はあの連中にもう一度会ってみたい。彼らは自分たちの中にもやはりこの永遠な思想が蔵されていることを知らないのだ、全然しらないのだ!」(四の371、二度目の知らないはひらがなです) ともあります。
ドストエフスキーは、最終的に張本人のピョートルだけは逮捕されることもなく、海外に高跳びまでさせて逃がしています(四の275)。
これは誰がどうみても明らかに大問題ですよね、だって、他のメンバーは皆捕まったり、惨殺されたり、自殺したりしているのに、首領の大悪党であるピョートルだけは逃げている・・・これは読者にとって、「えっ、なんでよりによってこいつだけ捕まらないの?」という感じです。
つまりは、意図的にそのように構成してきたドストエフスキーの思想ですね。
これにつきましては、今年で「悪霊」が出版されてからすでに、2024-1872=152 年が経過していますので、専門の研究者の間でこの問題につきましては、さんざん議論され尽くしたことと思いますが、現在、ピョートルの逃亡につきましては、どのような共通の理解や認識が示されているのでしょうか?
僕にとって、ドストエフスキーのこの思想を読み解くことはかなり難しいのですが、これはあれでしょうか、罪の赦しと再生の問題として、ドストエフスキーは、ピョートルの逃亡をとらえているのでしょうか。
ピョートルよ、偉大なるものの前に跪けと、そうしないとお前ほど悪くて、お前ほど罪の意識の軽い者に最終的な救いなどはまるでないと。
そこで思い出されるのが、ピョートルが最後、プラットフォームでエルケリと別れて列車に乗り込んだ時の「くるりとふり向いてしまった」(四の311) 姿です。
これは、ピョートルが人を道具としてみていることを端的に表しています。
少尉補エルケリは、使用済みで用がないので、もう要らない訳です。
それに対してエルケリは、ピョートルのことを崇拝してやまないので、ドストエフスキーは「この少年がかわいそうでたまらない」(四の154) のでしょう。
この「ピョートルの逃亡」についての専門家の見解をぜひ勉強したいです。
また、この「ピョートルの逃亡」問題をドストエフスキーの制作者側としての視点から考えてみると、まあ、これは別にドストエフスキーのような大作家でなくても、どんな作家でも簡単にわかることだと思うのですが、ピョートルだけ逃亡させたら読者は納得しないぞ、この逃亡は読者には容易には受け入れられないぞと感じると思うのです。
問題は、まさしくここのところなのです。
つまりは、自らの思想なり思考が、ドストエフスキーの場合は、もうここまでくると思想云云と言うよりも魂と言った方がより適切なのかもしれませんが、ピョートルの逃亡を上回ってしまう。
不等号で表せば、
自分の思想=魂>ピョートルの逃亡
です。
ここのところが、上述しましたドストエフスキーには、究極的な意味合いにおいての小説家としての変な色気がないことにつながります。
同じく僕の言う自分自身に忠実に生きるドストエフスキーの素朴さにつながるのです。
なんとなく伝わりましたでしょうか?
ここのところは芸術家として、極めて大切なところです。
商売の方でしたら、すぐにでもお客様の意向にそう形で、多少なりとも修正しなければならないところですから、でもそれはしない。
普通に、小説家としての色気をもっていたら、ここまでの巨人には到底ならない。
僕が、この人に直接訊ける機会があったら、もちろん僕などにそのような機会があるはずもありませんが、仮定です、あくまで仮定、「やっぱり小説なのでしょうか?」ということです。
なにか違うのではないかな〜、生業として仕方なくとまでは言いませんけれども、自己の本分に忠実に思想を深めたい、そしてそれを書き留めたい、ひたすらただそれのみに情熱を燃やして集中していきたい、人生をかけて埋没していきたい、そしてそれらを小説という実験道場のようなものの中で組み立てて試していきたい、でもそれはあくまで自分の思想をさらに深めたいがためだ、そこだけは絶対に譲れない。
となにかそのような感じかなあ、まあそれはあなたの意見でしょと言われれば、それはもちろんそうなのですけれども、でもそのことが、彼をただのストーリーテラーから明確に遠く隔てている訳ですし、後世にこれだけの影響を現に与えている訳です。
つまりは、ここのところ。
したがいまして、ドストエフスキーを読んで、小説家がその魅力的なスタイルをただ形式として取り入れることは (まあ、そんな方はいないでしょうけれども、一応念のため)、僕は極めて危険だと思います。
「プーシキン、ゴーゴリ、モリエール、ヴォルテールなどというような、自分自身の新しい言葉を発するために生まれてきた人たち」(一の141) とは、なんと素晴らしい言葉でしょうか!
こういう一文に出会う (そうです、それはまさしく出会いです) ために、僕は毎日ひたすら読書をしている訳です。
以上、少し休憩、のわりには大問題終わり。
2024年2月24日、25日
和田 健
後日記2:
やっぱり、上記の考察と関連して、ドストエフスキーの場合は、神の問題が、小説家としての自らの作品を上回っているように感じます。
つまりは、また不等号を使って表すと、
神の問題>小説家としての自らの作品
これに対して、通常の小説家の場合は、前作よりも、少しでもよりよい作品を書こうとして、
小説家としてのよりよい自らの作品>小説家としての自らの作品
になっているのではないでしょうか。
そして、ここの違いの中にこそ、なにか決定的なものが秘められているように思います。
2024年3月11日
和田 健

皆様、こんにちは。
大雪に見舞われた僕の住む森の中は、今朝はマイナス12℃ときりっと冷え込んだ美しい朝を迎えましたが、またまた、さまよっています、さまよっています、あり得ないことに森の中で船が、もうほとんど沈みかけようとしています(笑)。
結局、昨年9月以来のニコライ・ゴーゴリに対する興味や関心を、僕なりに追求する過程で読んだ本は、
「外套」(児島宏子訳、未知谷)
「外套・鼻」(平井肇訳、岩波文庫)
「ニコライ・ゴーゴリ」(ウラジーミル・ナボコフ、青山太郎訳、平凡社ライブラリー)
「死せる魂」(平井肇・横田瑞穂訳、岩波文庫上中下巻)
「検察官」(米川正夫訳、岩波文庫)
「狂人日記」(平井肇訳、岩波文庫)
と、ここまできてなにかが物足りなくなり、このなにかがうまく言葉では表現できず、まあ、そのような時に誰でも思いつきそうなことなのですけれども、この際、ゴーゴリの全集を買ってもう少し幅広く読んでみようと思い、いったい去年からずっと計画していた「ガラン版千一夜物語」(岩波書店) は、いつから読み始めるんだとかブツブツ言いながら、生まれて初めての慣れない Yahoo! JAPAN のオークションに少し緊張して入札してみたら、僕しか入札者がいなくて、極めて妥当かつ適正な価格で落札 (やったぞ!) できて、河出書房新社の「ゴーゴリ全集」全7巻が、自宅にどすんと届いたのでした。
以下、この全集で読んだ作品は、
「昔かたぎの地主たち」(全集第2巻)
「イワン・イワーノヴィチとイワン・ニキーフォロヴィチが喧嘩をした話」(全集第2巻) というものすごく長いタイトル
「鼻」(全集第3巻)
「肖像画」(全集第3巻)
「賭博師」(全集第4巻)
「評論」(全集第6巻)の中からいくつか
「書簡」(全集第7巻)の中からいくつか
やっぱり、ゴーゴリは画家だな、その魚眼レンズのような眼が完全に風景画家だな、ゴーゴリは余程画家になりたかったのだろうな、でも小説家になることを選択した。
ともかく伝わってくる彼の桁外れの情熱は、芸術家であれば心が満たされるなどという世間並みの一般的な欲求などでは決してなく、彼にとっては、芸術家以外の人生などそもそもの最初からこの宇宙の中に全く存在さえもしなかった、晩年は宗教に傾倒しましたけれども。
そこで、なんと言ってもやっぱり代表作なのに、なかなか入手しづらい (出版社の方方、なんで?)「死せる魂」について少しご紹介したくなって、特にその冒頭ですね、文字通り物語のこの導入部、そうです、「県庁所在地のNNという市のある旅館の門へ、ばねつきのかなり奇麗な小型の軽四輪馬車が乗りこんで来た。」のところ、これはもう練りに練り上げた上で完全に決めに入ってきたなと思って、うまく言えないけれども、もうほとんどここで勝負あったなと。
それから、何度も何度も繰り返される驚異的な自然描写 (なにしろその眼が画家だから)、風景を書かせたら、この人の右に出る者はまずいない、もう楽しんですらすらと書いている感じ、これに対して、人物の描写は非常に苦心、呻吟している感じがする、書きながらなにか自己を鍛練している感じさえする。
それから脱線になるけれども、少し気になったのは、このゴーゴリという作家は女性は書いてこない、もちろん女性は登場してきますけれども、性としての女の部分はほとんど出てこないとでも言えばよいのでしょうか。
しかしそれにしましても、僕の仕事柄、風景を書けるってすごいなあ〜、通常風景って描くものでしょう、なんと言ってもまずは観るものだから、違うのかな?
このゴーゴリ (1809-1852) の書いた風景と、印象派のオールスターの面々、例えばピサロ (1830-1903) でも、シスレー (1839ー1899) でもいいけれども、彼らの描いた風景を比べてみると面白過ぎますが、ローマを愛したゴーゴリは、偉大なイタリアの画家たちと比べろと怒り出すだろうな。
その一例を挙げろと言われれば、1842年の第一部完成後、1852年に亡くなるまでの生涯の最後の10年間にわたり、書き続けてきた執念の塊のような原稿を自ら焼き捨ててしまい、未完のため世評はあまり芳しくない第二部だけれども、この中の「春の輪踊り」の場面は美しい、あまりにも美しい、これは昔昔僕らが幼少の頃、女の子となかば無理やり手をつないでやらされた「はないちもんめ」のようなものなのかと・・・。
ここで、「死せる魂」(岩波文庫上巻) の巻末に、訳者平井肇氏のわかりやすい素晴らしい「解題」があるのですが、この中で氏は、「彼の心中では、この作が三部作の形に成長し、完成の暁には『死せる魂』は三部分に分れてダンテの『神曲』の三部分に該当した形を取るはずであった。すなわち (中略)『死せる魂』の第一部は『神曲』の『地獄篇』に相当し、(中略) 第二部は『煉獄篇』に当り、(中略) 第三部は『天国篇』に相当するはずであった。」(p.254) と書いています。
う〜ん、つまりは、解釈的には、第一部を土台としてその素材を使って、宗教的な贖罪の方へもっていきたかったのだけれども、もっていけなかった、チチコフとの共有点を見出せ得なかったからという大きな流れでよいのでしょうか?
上記の「ニコライ・ゴーゴリ」の中でナボコフは、「『死せる魂』は完成の暁、三つの表象の結合から成るはずであった。すなわち、罪と罰と贖いである。この目的を達することが絶対に不可能であったゆえんは、ゴーゴリの特異な天才がひとたび勝手に動きだしたらどんな紋切型の図式も破壊せずにはおかぬ態のものであった」(p.205) とあります。
う〜ん、つまりは、ゴーゴリは非常に感覚的な方で、やっぱり小説家というよりは画家で (もちろん言うまでもなく偉大な小説家です、一応念のため)、緻密に計算尽くで物事を進めてこないとでも言いますか、研ぎ澄まされた直感を軸に感覚的に物事の真相を瞬時に感じとるとでも言いますか、自らが創造したチチコフに、後年自らが苦しんでしまったのだけれども、それがなんなの?とでもいうような、どうなんだろう、一人の孤高の芸術家として第一部を書いた後悔はなかった、チチコフに魂の救済なんてできない、でもそれはそれで仕方がないだろう、人生は思考も思想も移り変わっていくものだから、わかりません、それはあくまでも僕の考えですから。
苦しんだであろうな、この人は。
苦しんだなんていう生易しいものではないかもしれないな、この人は。
それが晩年、宗教的な方面に傾倒していったことにも関係しているのかもしれない。
自分の中で、第二部が完結し得ないなと予感した時に、それではせめて自分という人間の魂の救済、贖罪、自分という人間の『煉獄篇』は作りたいなと思ったのかもしれない、わかりません、それはあくまでも僕の感じたことですから。
でもそのことが、1852年2月11日、最期に第二部・第三部を暖炉の中に置き、蝋燭で火をつけた。
跪いて、「やめてくれ」と頼む召使の少年に、「おまえの知ったことではない。 ーとゴーゴリ は言ったー それよりお祈りをしろ」(「ニコライ・ゴーゴリ 」p.241) につながるのかもしれません。
その魂が非常に剛直、真っ直ぐ、正直、清廉潔白、決して金のために文章を書かない、仕事を金に引き換えない。
実際問題として、最後の10年間に「友人との書簡抜萃」の刊行はあるにせよ、いったいどれほどの収入があったのであろうか?
そういう人が詐欺師を書くということ、そして詐欺師を書いたがゆえに、今度は自分が苦しむことになるということ、ここのところ。
世の中の普通の人々であれば、第二部を金に換えてしまうでしょう、家族のためだとかなんとか言って、でもそれはしない。
それであれば、せめて原稿を遺しておくでしょう、出版するかしないかは後世の人の判断に委ねますとかなんとか言って。
でもそうじゃない、断じてそうじゃない、焼いてしまう、この世から完全に消し去ってしまう、すべてはここのところです。
これは、おそらく悔恨ではないかと思う、慚愧の念、悔い、過ちですね、自らの前半生に対するところの。
なんなんだろう、この人にはなにか修道士のような厳しさ、潔癖さがある。
なにかこう、アッシジの聖フランチェスコに似通った気質を感じる。
つまり、僕の言いたいことは、原稿を焼き捨てたというその行為自体の中に、宗教的な要素がなにかしら含まれているのではないかということです。
それともそれは単に文学的な意味合いだけから行ったのであろうか?
ゴーゴリ は、人生の最期に笑えたのであろうか、魂の救いはもたらされたのであろうか、日常の何気ない出来事の中にたとえ少しでも安らぎはあったのであろうかー
「おまえの知ったことではない。それよりお祈りをしろ」!
それから話は全然変わって前に戻りますけれども、第一部第三章の馬車が泥濘にはまって道に迷い、偶然泊めてもらった先が翌朝起きてみれば、なんとコローボチカ夫人の家だったという、この流れるようななんともユーモラスな場面転換・・・、ここも実に面白い!
すべてにおいて非常に球体、転がり出てくる球体、コロコロと・・・、稀代の詐欺師チチコフ自身がまず球体。
でもここでと言うのは、もう昨年末のことになるのですが、ちょっと疲れて休憩!
そして、休憩している間に、話はまったく思いがけない方向に、これもやっぱりコロコロと・・・、「和田丸」は相も変わらずさまよい続けていくのでした。
2024年2月7日初稿掲載
2024年2月8日加筆修正
和田 健
参考までに、気になりましたので、少し調べてみましたが、ゴーゴリが原稿を焼き捨てた1852年2月11日は水曜日で、この年は閏年で2月29日があったため、その22日後の3月4日木曜日にゴーゴリ は亡くなっています。
すでに「自らが企てたハンガー・ストライキ」(「ニコライ・ゴーゴリ 」p.12)、「死に先立つ数カ月間のすごぶる徹底した断食」(同、p.14) とありますように、肉体的消耗が激しく、一概に彼の原稿焼却と死とを結びつけるのは早計であるとは思いますが、魂が抜けてしまったような虚脱感が、おそらくあったのではないでしょうか?
うん?もしかして安堵感のようなものがあったのであろうか?
長年にわたる肩の荷をおろしたような、これでいつでも死ねるぞ、その準備はできたぞとでもいうような。
もしそうであれば、上述しました焼却についての二点の考察に加えて、これはゴーゴリ の焼却行為の三点目の理由になるように思います。
すなわち、
①宗教的ななんらかの観念から焼却した。
②あくまでも文学上の意味合いからのみ焼却した。
③死期を悟った時点で、そこから逆算して焼却した。
それからもう一つ、夕方愛犬の散歩をしている時に、突然思い出したのですが、画家のジョルジュ・ルオーが自作品をやはり焼却処分しています。
我が国では書家の井上有一氏が、たしか同様のことをしています。
三者に共通する気質とはなんだろう?
潔癖さ、完璧主義、宗教性・・・。
2024年2月10日
和田 健