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My Drawing Photo on May 7, 2022

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 14 May 2022 by kenwada

My Drawing Photo on May 7, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

完敗!
結局、このあと、毎日の制作を続けながら、次第に次の一手が見出せなくなり、昨日5月13日になって、まるで首根を押さえつけられたかのように、まったく身動きがとれなくなり、ついに2枚とも屈辱的な敗北である没作品に終わりました。
今日これから、キャンバス2枚とも、全部黒でつぶして、また改めてゼロから、新しいテーマでやり直します。
油断はしなかったし、気力はむしろ充実していたし、作品にもっていけなかったのは何なのだろう?
この期間の日々の奮闘や努力は、いったい何だったのだろう?
絵画は、本当に難しい。
作家本人が、これまでに積み重ねてきた熟練や経験、引き出しといったようなものを、絵画は、激しく拒絶してくる。
いつまでも万年1年生であれと、要求してくる。
さらに言うと、1年生でいれれば、まだいい方で、毎日がまるで入学式当日のような新鮮な初心を忘れない無心な気持ちでいろと、要求してくる。
それは人間だから無理でしょ、そんな人間に出会ったこともないし。
でも究極のところ、芸術関係は、毎日が入学式のような心のもち方でいないといけないのだと思います。
それが真実なのではないでしょうか。
そこで何年も絵を描き続けている人の作品よりも、そのあたりの小学生が、夏休みの宿題に描いた絵の方が、インパクトがあるなんていうことが、実際に起きてくる。
それは不思議でも何でもなくて、絵画がその本質である「入学式」をついてくるからです。
つまり、制作のスタートなんです。
勝負は、スタートの「時点」で、すでにもう決まっているのですね。
ですから、「マイナスからのスタート」(これでは意味が通じませんので、少し説明が必要ですが)は、必ず身につき、ものになり、大成します。
それから、制作過程で、いったんこの先のレールが見えたと思って、それに思わず乗っかると、つまり、絵画の方に引きずり込まれてしまうと、次第に行き詰まってダメになる。
その兼ね合いが、本当に難しい。
そしてダメになると、これまでの仕事を、ただの徒労にしたくないものだから、人間は、姑息な手段を用いてでも、帳尻を合わして、何とかして没作品にならないように、自然としだします。
そうなれば、もうおしまいですね。
自分に「とっととつぶして、さっさと出直してください」と言いたい。
さらに考えます。

2022年5月14日
和田 健

追伸:
僕は専門外でよくわかりませんけれども、心理学などで、変な(というのは失礼な言い方だな)性格診断テストなどをやるよりも、もっと絵を描かせたらいいのになと、時々思います。
絵だと、愛してもいないのに、愛してます、なんて絵は描けません。
技量に優れていて、仮に描けたとしても、嘘だなと観てすぐにわかります。
絵は、言葉や文章よりも、嘘がすぐにわかります。
それは、おそらく絵画の方が、言語よりも、より原始的な要素を多く含むからではないでしょうか。
そして、その生涯を通して、嘘のない作品を描き続けた人をもって、偉大な芸術家というのではないでしょうか。
モネ、ボナール、マティス、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ジャコメッティ・・・、皆、どの作品を観ても嘘がないですね。
もちろん、嘘がないなどという失礼なレベルではなく、皆、何とか真実に迫ろうとして、そんなこととは、生涯無縁の、切羽詰った死に物狂いの人生を送っています。
そこのところです、大切なのは。
世間には何か絵のうまい人をもって、偉大な芸術家と思っている方が、いまだに若干いらっしゃるように思いますが・・・、それは僕の思い過ごしでしょうか?

さて、先ほど、実際に2枚とも黒でつぶしました。
感想ですか?
不思議なほど、何もありませんでした。
いつものことなので、仕事として慣れているということもあると思います。
あえて言えば、何か喪に服するとでもいった感じが少ししました。
さあ、また明日から新しいスタートです。
‘We will rise again’ です。