Archive for October, 2020

大天才が大天才している!Henri Matisse’s The Swimming Pool!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 25 October 2020 by kenwada

もうこれについては、「大天才が大天才している」としか言いようがないです。
あとはもう何も言いようがない。
コロナで先の見えないこんな時代になってしまって、もうこうなったら Online だろうが、何だろうがいいじゃないですか。
それは実物を観ることには、もちろん全然かないませんけれど、そんなことはわかり切っていることですし、それに、もうそんなことを言っていられるような、のどかな感染状況ではないような気がします。
今日は日曜日、少しでも偉大な芸術に触れてください。
ただクリックするだけです。
そこに Online ではありますが、あなたが思わず目を奪われるような世界が広がっています。
英文も簡潔でわかりやすいです。
これが絵画=色と形の魅力ですね。
文学だと翻訳の問題もありますが、ここまで瞬時にダイナミックには伝わらない。
やはり絵画の方が文学より、より本能的、より原始的なのであり、より動的な力強い膨張を感じます。
絵画には基本的に世界中で一つしか言語がありませんから、それはもちろん大きな要因ではありますが、それにも増して、以前にも当サイトに書きましたが、絵画には脳の運動分野を司る部位を刺激するところがあります。
それをロジックで論理的思考で突き進むと、どこかで限界があるのではないでしょうか。
https://www.moma.org/calendar/galleries/5119?sc_src=email_57736&sc_lid=2046843&sc_uid=ipz0HfgJ5P&sc_llid=218120&sc_eh=b1697101d524ca3d1&utm_source=Emarsys&utm_medium=email&utm_campaign=MKT+-+Newsletter+General+20201022+NON-LOCAL

彼の晩年の集大成である南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂を訪れた後、マティス美術館を見学し、ニース近郊のマティスのお墓参りをした時のことを思い出しました。
皆の墓地から少し離れたところに、大きな白い長方形のお墓があって、お墓の回りに咲いていた白いお花を一つだけ記念にいただいて、パリの小さな部屋の机の前に、ずっと大切に飾っていました。
マティスの作品やその苦闘の痕跡にたくさん接して、僕が感じたことは、彼は本物の大天才ではありますが、同時に生涯基礎基本、原理原則の徹底に、大変厳格かつ忠実な人であったように思います。
その理想の追求や実現に向けて、異常な努力をしています。
例えば、線を一本決めるために、何本も何本もこれでもかとばかりに、納得がいくまで引いてきます。その大量の線はそのまま画面に残されていたり、大胆に消されていたりもします。
この肝心な点を、例のあり得ないくらいに、上品で美しくかつ素晴らしい(フランス語のmagnifiqueな、extraordinaireな)ひらひらっと描いてくる、特にどの時代と、どうしても問われれば、1940年代以降の晩年の婦人像のデッサンやポートレートなどから、やっぱりこの人は天才だから、こうして一発で線を決めてこれるのだなと思うと間違えます。
そこだけ真似をして、同じようなひらひらっとしたデッサンを描いてくる、何の独創性もない絵画を時折見かけます。
真似ができるだけに、絵の上手な方なのだなとは思いますが。
履き違えないためには、彼のキャリアの初期及び中期の戦いを、ポンピドゥー・センターで食い入るように見つめて、何度もしっかり確認しないといけません。
また例えば、画面の中の補色の置き方、これも以前当サイトに書きましたが、最後まで原則通りに、言わば教科書的に置いてきます(置くというのは塗るという意味です)。
広く知られていますように、盲腸炎で療養していた時に、母親から画材を与えられて開眼、それまでのコースから大きく転向します。
いわゆる子どもの時から絵が好きで上手くて、そのまま大人になっても描き続けたというのとは、かなり違う印象を受けます。
絵画史上に燦然と輝く大天才であり、同時に大変な努力の人でもありました。
一芸術家がこれだけの大きな仕事を遺したのですから、その影響は後世の芸術家へと、これからも末長く受け継がれると思います。

Today’s F Paintings!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 24 October 2020 by kenwada

2020年10月23日、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数23回。
これまでの経験から、4作品のペインティング総数100回を超えた頃から形が出てくる。
その保証はどこにもないけれど。
この段階で、きれいなものを求めようとするな!
まとめようとするなんて、馬鹿げている!

経済と芸術の比

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 22 October 2020 by kenwada

2020年10月21日、この画布の1回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は12回。

2020年10月22日、この画布の5回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は15回。

これは心の底から本当に思うのですが、この国の政治家や指導者たちは与党から野党に至るまで、経済の話しかしないですね。
もう経済、経済、経済、経済、ひたすら経済です。
それは確かに大切なことです、経済は。
でも芸術家の立場からすると、あまりに偏っていると思います。
芸術家の存在なんて、「あれっ、お前まだ生きてたの?」っていう感じです。
経済と芸術の比が、10対0か、よく言って、9対1くらいの感じがします。
日本人は本当に経済の話しかしなくなりました。
それは真のエリートの意味を履き違えてきたことや、国民が一般教養を軽んじるようになったことにもつながります。
さらにこうした日々日常のすり込み、洗脳ほど恐ろしいものはなく、僕はこの国の子どもが、いつだって、最優先されるべきことは経済なんだ=したがって、この世で一番尊い価値のあるもの、幸せにしてくれるものは、まずは何と言ってもお金なんだ、という子どもに育たなかったら、かなり驚きます。
長年にわたり、ひたすら経済最優先を唱え続けてきた結果、現にお金に関する犯罪が多発しています。
もはや多発しているなどという生易しいレベルではなく、各種の詐欺事件については、すでに常態化している感さえあります。
あくまで僕の知る限りにおいてではありますが、そういう異常な国は、日本しかありません。

日本国内にいてずっと暮らしていると、感覚が次第に麻痺してきて、経済の話をすることが、ごく当たり前の日常になってしまいますが(そしてこれはかなり危険なことです)、僕が若い人に是非伝えたいことは、世界中すべての国が決してそうではないということです。
そういう僕もフランスに行くまでは知りませんでしたが、フランスでは芸術家はかなり大切にされます。
何か大切なことをしている人だという、基本的なリスペクトがもうまるで違います。
この空気感の違いは生活してみないと(旅行では)わからないと思いますが、アカデミーに必死に通っていた駆け出しの頃から、制作・発表活動を繰り返すようになってからも、同じ地球上の国だろうかと思うほど、もうまるで別世界のように空気感が違いました。
そうですね、数字に置き換えるのは難しいけれども、経済と芸術の比が、4対6くらいでしょうか。

今日は上皇后美智子さまのお誕生日ですね。
美智子さまのように、そして美智子さまのようにまでは望めなくとも、芸術にご理解、ご関心、ご情熱をお持ちの方が、この国の政治家や指導者たちに、せめてもう少し増えてくれるとよいのですが。
そのことを熱望いたします。

このままでいくと、ますます治安は悪くなり、やがてどこかの時点で、こうしたひずみ、しわよせに社会が耐えられなくなるかもしれません。
と言いますか、すでに耐えられなくなっているような感じもいたします。
その時、僕が一番怖いのは、人々が自己の日々の不満や鬱憤を晴らすために、(相変わらず残念ながら芸術には縁のない)これまでにない新しいある種のタイプの政治家なり指導者なりの登場を次第に待望するようになり、ようやく登場したとなると、諸手を挙げてその人に熱狂することだと思います。

僕は昔の話をしているのでは決してありません。

2020年10月20日
2020年10月22日加筆
和田 健

I Started My New Series “F Paintings” This Morning!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 19 October 2020 by kenwada

2020年10月19日、この画布の1回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は2回。

2020年10月19日、この画布の1回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は2回。

2020年10月20日、この画布の2回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は4回。

しばらくエスキースを作ったりしてきましたが、今朝から本格的に新シリーズ「F Paintings」に入りました。
どのタイミングで本格的に作品制作に入るか、これは本当に大切で、これまでの経験から性急に勢い込んで入ると、ほとんど失敗します。
これについてはもう、何て言うのか、その日が来る、その日の朝になったらわかる、絵画が向こうから勝手にやって来る、としか言いようがないです。
絵画制作をされない人には、何を言っているのか、さっぱりわからないと思いますが。
これが例えば、その仕事は来週の月曜日の朝9時から始めます、だったらどんなにすっきりしていてよいでしょうか。
ですからその日が来るのを、ひたすら待っていなければなりません。
今回はトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」(岩波文庫)を読みながら待っていました。
そして作品制作に入れた日は、つまり今日みたいな日は、やっぱりうれしいです。
これから大いに仕事ができる訳だから。
さあ、ここからまた長い戦いです。「よーし、始まったぞ」っていう感じ。
年内に何とかこの4作品(F30号4枚を同時進行させていきます)を完成させたい。
これが僕の今年最後の仕事になります。

今年はコロナで展覧会ができず苦しかった。
でも考えてみれば、僕の生活は、山奥で普段から誰一人として制作仲間や、行き詰まった時に相談する人もいなくて、これまでただひたすら一人で制作してきました。
たとえて言えば、かなり以前からコロナ禍のような、あるいはコロナ後のような生活をしてきた訳ですから、免疫というか耐性というか、個人的には何とか乗り越えられるのではないかと思います。
もちろん油断しちゃいけない、まあ何とかやっと乗り越えられるのではないだろうか、くらいです。
ただ世界を取り巻く全体の状況は、とてもそうはいかない。
現在の欧米の感染再拡大をみると、芸術家はもう展覧会が、しばらくできないかもしれない。
その点も考えておかないといけない。どうしたらよいのかはわからない。
こうして Online で作品を観ていただくだけになるかもしれない。
あと十年も二十年もして、世界が今回のコロナを冷静に振り返れるようになった時、おそらく2020年、2021年に数多くの芸術家がやめていったなということになるような気がします。
そしてその中には決して少なくない数の才能ある若い芸術家が含まれていると思う。
それはものすごく悲しいこと、人類の文化の大きな損失だと思いませんか。

2020年10月19日
和田 健

2013年の4本の没原稿

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 18 October 2020 by kenwada

僕のサイトの過去の没原稿を整理していて、今朝、ふと気がついたのですが、2013年12月の4本の没原稿「絵画的実験」の No.3 は、「ライだよ、森の童話」の第3話「きくねえちゃんのサンポ」の原形そのものですね。
いろいろなことを感じました。あれから7年も経って、ようやく心の中から一つの物語として形になって出てきたんだなあ〜とか、7年前に思考がそこまで進んでいたのなら、何故もっと早く出すことができなかったのか、でもやっぱり時間がかかるんだよな、いやそれはふざけた気取った言い方だな、時間が経過したかどうかさえも自分にはわからない、これが正直な気持ちだな、とか。
4本全部まとめて掲載します。
少し手を入れたいところもありますが、あえて当時のままの原文で。
どうしてあの時、自分がこれらのそれ程長くもない原稿を、わざわざ4本に分けたのかは、今はもうわかりません。
過去の没原稿を掲載したりしてよいのか?それも構いません。
別に自分で過去に没にしたものを、自分で今拾い上げるだけですから、僕の人生も没ですし。
でも考えてみると、今年の緑と白のペインティングのシリーズや、2018年から2020年の Dear Grid Worker のシリーズにしても、「きくねえちゃんのサンポ」にしても、やろうとしていることは、みんな同じことなんですよね。
俯瞰して東西南北で回転させたい、という。
結局、一人の人間から出てくるものは、絵画を描いても童話を書いても、同じものが出てくる。
そして偉大な教訓、「没原稿、没デッサンを捨てるな!」

絵画的実験 No.1 ―無関係な要素群の無関係なままの累積―

テーマ:
一つ一つの線の意味を無くすと、あるいは弱めると、
全体としての美しさは、どれ程弱められるものか。
また全体の中に作者の人間性の傾向はどのくらい感じられるものか。
また縦に線を引き、ぐるりと四方をめぐらすことは可能か。

そこで落ち葉を掃かないで下さい。
近くの図書館はやっていません。
カウンターで来る左のロングフックに注意して下さい、当たれば倒れます。
森の中を歩いて行くとね、それを、
ずいぶんと白髪が増えたもんだね。
登ったことなんて、ないさ。
火の用心、カチ、カチ。
木を拾う時、選ばないで下さい。
そうしたら肩を回して下さい、肩甲骨を中心に。
青いリングのジョニー・ゴンザレスとナチョ・ベリスタイン。
お願いですからできるだけ靴下を汚さないで下さい、洗濯物が乾きませんから。
そこで落ち葉を掃かないで下さい。
切り替えて下さい、切り替えて下さい。
ロスチャイルドのバイオリンは読みましたか?ええ、でもそれがいったいどうしたというのですか?
カチ、カチ、火の用心。
井の頭通りを走って毎日、東大裏の交差点まで往復します、ええ、もちろん途中で目白通りを通りますとも。
それを、マヨイガという。

問1、前後の脈絡のないこの文章の中に、人間的なある種の傾向は
窺えるか。窺えるとすれば、それはどのような傾向か。
問2、文章全体を通して、美しさはどれ程損なわれたか。
損なわれた程度によって、起承転結の必要性をどのくらい感じるか。

絵画的実験 No.2 ―反復としての視力検査―

同一のことが無意味に、互いに無関係に繰り返される。

左、
上、
右、
下、
わかりません、
上、
左、
左。
0.7です。
右、
下、
下、
右、
右、
左。
0.7です。
もう一度、丁寧に検査して下さい。
いつもは1.0あるんですから。
わかりました。
上、
右、
右、
下、
下、
左、
左、
上、
・・・・・・・・
わからなければ、わからないと言って下さい。
勘で言われるのが一番困ります。
右!
下、
下、
上、
左、
0.7です。

絵画的実験 No.3 ―反復としての東西南北―

地点Aを決めて下さい。
そこから東と言われたら、東の方向に正確に一歩踏み出して下さい。
残りの方角についても同様に、それぞれの方角に正確に一歩踏み出して下さい。
それでは、始めます。

北、東、西、西、南、北、北、北、東、東、東、南、南、南、西、南、西、北。

あなたは点Aからどの方角にどれだけ離れていますか。
私は点Aにいます。私を点Aから今すぐに出して下さい。
わかりました。あなたは点Aがお嫌いなのですね。
お安い御用です。すぐに点Aから出して差し上げましょう。
いえなに、理由など訊く野暮なことは致しますまい。
さあ、すぐに点Aから出して差し上げましょう。
もうしばらくの我慢ですよ。

南、・・・・・

さあ、いかがですか。

絵画的実験 No.4 ―通りで人に出会う―

Aさんが、通りを歩いていた。
Aさんは、通りの向こうから歩いて来るBさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさんと
それぞれすれ違ったが(齟齬の感覚の強調)、誰一人知る人がなかった。
後日、ある調査機関によって、BさんとFさんが遠い親戚であることが判明した。
またCさんとDさんは、その後、電車の中で出会い、交際を始めた。
DさんとFさんは、隣り近所であったことから、CさんとFさんは顔見知りとなり、
またFさんを通してCさんとDさんはBさんとも知り合いになった。

問1、Eさんについて思うところを述べよ。
問2、Eさんを色で表すと何色になるか。
問3、Aさんが今後同じ通りで出会う可能性の一番高いのは誰か。
またその時、Aさんが着ていなければならない服は何色か。
ただし、その日は雲一つない快晴の青空とする。

「ライだよ、森の童話」に小さな感動の輪が広がり、同時に批評も寄せられています

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 12 October 2020 by kenwada

第3話「きくねえちゃんのサンポ」の中から、本文17ページをご紹介いたします。

もみ兄ちゃんの説く小さな同心円の家族の平和、
楢姉ちゃんの説く大きな同心円の世界の平和、
2つの平和が織りなす世界に、読者の皆様から様々な感想が寄せられております。
男が身の回りの小さな平和を説き、女が地球規模の大きな平和を説くという設定は意図的にしています。
第4話「もみ兄ちゃんのハタシアイ」の中で、もみ兄ちゃんが、こんなことを言っていますので、ご紹介いたします。
「まずハタシアイってえのは、てめえよりちいせえやつや、よええやつとぜってえやっちゃあいけねえ、そんなのはとてもおとこのすることじゃねえ、ヒキョウのミホンってえもんよ、そんなことでてめえのかちぼしをこしらえて、カブをあげようだなんて、そんなのおれにいわせりゃあサギみてえなもんよ。」(本文28ページ)

心暖まる短編童話「こんな心暖まる童話をありがとうございます。読んでて色んな感情が出てきました。ライ君頑張れと応援したり、ふふっと思わず笑ったり(タンカやサバのくだり等)二三ちゃんのエピソードで切なくなったり、寿命の話で考えさせられたりと…命の儚さ、1日1日の重み、家族って何だろうと猫ちゃん目線からひしひし伝わってきました。最後の夢の話し、私はなんだかぞくっとしたのですが、深読みしすぎでしょうか。もみ兄ちゃんのバリバリ江戸っ子感はいいキャラですねー。童話ですが大人にもとても心に響く作品だと思います。」
(埼玉県、女性)

ライを迎えた森の家族「読みながら、ライを通して語られる作者の人生観やあたたかい心に触れることができました。絵や写真も楽しめて、大人がゆっくり読める童話です。ていねいな暮らしをしていきたいと思いながら読み終わりました。★は5つです。」
(神奈川県、女性)

ぼんじゅーる ライ「「ライだよ、森の童話」とっても素敵なお話でした。フミちゃんは一足先に虹の橋に行ったんですね。こんにちの日本の森の暮らしを元に綴っているのに、どこか異国的で時代にも縛られないような心地よい時間の中で、動物たちを通して命の火が一生懸命燃えるのを感じました。今度雷くんにダイガクムラで出会ったら、ぼんじゅーると話しかけてみます。しばらく猫目線での生活になりそうです。」
(群馬県、女性)

主観や偏見を捨ててみなさい「まず第一に、登場する動物や人間がみな強くてあたたかく、生き物や自然を愛する和田さんらしいと思いました。絵画もとても良いです。ライ君が生まれる何年も前に制作されたものなのに、まるで物語用に描かれたかのように調和していますね。特にもみ兄ちゃんのねこふだが風に舞うところでは目を奪われました。また雷電の名前が登場してクスッとしました。「のら」だったライ君が「カゾク」の一員になっていく様子がたのもしく、同時に平和への強い願いも読みとれ、身が引き締まる思いです。もみ兄ちゃん、なら姉ちゃんがヘイワやソウゴリカイという言葉を説くシーンはもちろんですが、それ以外の一見なんでもなさそうなところにも人間が理解し助け合うためのヒントがあるように思えます。例えば、なら姉ちゃんがライ君に右左ではなく東西南北を使うように教えるくだりも、私には平和のメッセージと映りました。なぜなら右左は見る人が向いている方向によって変わりますが、東西南北は誰がどこを向いていようが不変だからです。主観や偏見を捨ててみなさい、と教えられているように感じられてなりません。他にも色々なことを考えたり思い出したりして充実した読書となりました。皆で集まってディスカッションできたらいいのに…と思いますが、コロナウィルスのせいでそうも言っていられないのが残念です。」
(埼玉県、女性)

北軽井沢のメルヘン「北軽井沢のメルヘンであると同時に、さりげなく平和へのメッセージも織り込まれている。優しさにあふれた素敵な物語になっています。夢という情景でラストを括ったのも秀逸だと思いました。それから挿画がとてもいい!上手に選んであるので、オリジナルの書きおろし画のようにさえ見えてきます。この路線は、あなたに新しい展開をもたらすかもしれませんね。」
(東京都、男性)

楽しいお話「不思議な縁で和田家に来た子猫ちゃんから、実話とフィクションで楽しいお話ができ上がり、スゴイなと感心しています。丁寧に読ませていただきますね。」
(愛知県、女性)

おそろしく読みにくい「全文がひらがなで横書きでベタにぎっしり詰まっているからです。一瞬でも目を離すと元の場所に戻るのが大変です。内容の問題以前に、このような苦行を読者に強いることは許されません。基本はタテ書きです。適度に漢字を使ってください。頻繁な改行をおこなってください。フォントは明朝体です。読者に対して不親切です。猫がフランス語を学び、しゃべるというのは、あまりにぶっ飛びすぎています。」
(東京都、男性)

幸せな気持ちになりました。「ここに登場する全ての生き物が、優しくて、愛おしくて、懸命に精一杯生きていて、美しいです。人間やってると忘れがちな、一番大切なものを思い出させてくれます。北軽井沢の澄み切った空気が本から流れて来ました。ライの語り口がリズミカルで音楽のよう。朗読会してほしいです。」
(東京都、女性)

以下のサイトからご購入いただけます。100円です。電子書籍が初めての方でも、Kindle の無料アプリをダウンロードしていただければすぐに読めます。

「ライだよ、森の童話」が完成し出版されました!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 3 October 2020 by kenwada

本の表紙です。

本の目次です。

以下のサイトからご購入いただけます。100円です。電子書籍が初めての方でも、Kindle の無料アプリをダウンロードしていただければすぐに読めます。

本の内容紹介です。
ライだよ!野良猫だった3ヶ月の黒猫ライが、ある日北軽井沢の森の中に暮らす家族のもとへ死にそうになってやって来てから、人間と2匹の猫、1匹の柴犬、そして鶏たちが暮らす家に仲間入りしていく物語を、半分以上は実話をそのまま書いたリアルタイムの童話です。「いいか、ライ、ねこってえいうのはヘイワをあいするんだぞっ」という猫のもみ兄ちゃんやソウゴリカイを説く猫の楢姉ちゃんに導かれながら、語り手のライが家族や平和について考え成長していく愛にあふれたお話です。動物たちからのメッセージをどうぞお受け取りください。

ライだよ、みんなげんきぃ、さっきおとうさんからきいて、もうびっくりしちゃったんだけれど、ぼくがおとうさんにはなした、れんぞくもりのなかのりあるたいむどうわが、ついにカンセイしてシュッパンされたんだって。
おかあさんがしゃしんをたくさんいれて、ぼくのはなしがすんごくながいんで、ヘンシュウっていうのもタントウしてくれて、ついでにおとうさんのえもぜんぶでじゅうまいにふやしてたんだって。
ほんのたいとるは、「ライだよ、もりのどうわ」なんだって。おとうさんはなんにんよんでくれるのかなあっていっているけれど、みんなよかったらよんでみてね。
ぼくのどうわがシュッパンされるなんて、のらをしていたころは、ほんとにゆめにもおもわなかったなあ。
カンガイぶかいっていうのは、きっとこういうことをいうんだね。
ダイガクムラはもうだいぶさむくなってきて、よるになるとマキすとーぶっていうもんをたいているんだけれど、ぷうーんってすっごくいいにおいがするよ。
じゃあね、みんなげんきでね、またね。
あ、ちょっとまって、おとうさんがなにかいってる、ライ、ついでにっていうのは、ちょっときついなあ・・・・、でもとにかく、ライ、おめでとう、よかったね、ライのほんだものね、おかあさんに、うんとカンシャしような。

皆様、こんにちは。
この度、当サイトに8月より連載してきました「連続森の中のリアルタイム童話」全5回を元にして、夫婦で編集・修正作業を重ね続け、ようやくここに一つの童話が完成し出版されました。
タイトルは「ライだよ、森の童話」とし、全6話構成で本文54ページ、僕の絵が10作品入っております。
ライの語るお話を、是非皆様にお楽しみいただきたく、どのような方法でお届けできるか、いろいろと検討・試行錯誤した結果、アマゾンのkindleから電子出版致しました。
広く皆様に読んでいただくことが目的であり、お金儲けではありませんので、価格はkindleの最低価格の99円に1円足させていただいて、100円に設定致しました。
詩人や芸術家のこのような小さな物語は、口コミ以外では伝わることがないと思いますので、ご一読された時に、一箇所でも何かよいなと思われるところがございましたら、どうかご友人やご家族の方にお知らせいただけませんでしょうか。それは僕にとって、どんなにありがたいことかわかりません。
最後に少しばかりつけ加えさせていただいて、これは僕が生まれて初めて書いた本です。今年はと言っても、まだ終わっておりませんが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、予定していたニューヨークと東京の展覧会が延期、さらには再延期で、要は今年の展覧会がなくなり、加えて自国第一主義の蔓延、進む社会の分断や不寛容、世界的なBlack Lives Matter 抗議行動の大きな広がり、森の中に1年365日(今年は366日ですが)住み、普段テレビもない生活をしている僕にもひしひしと伝わってくるものがあり(森の中にいるからこそ逆に伝わってくるのかもしれない)、何か言いたい、訴えたい気持ちや衝動がふつふつと湧いてきたのだと思います。 そんな時に、ちょうどライが来て・・・・。ライは本当に死にそうでした。
それではどうか一人でも多くの方に、この小さな物語が届きますことを、心よりお願いして終わりとします。
皆様、どうぞお体を大切に!
なお今回の出版を機に童話のこれまでの掲載分は、すべて削除させていただきましたので、どうぞご了承ください。

2020年10月3日
和田 健