Archive for August, 2020

連続森の中のリアルタイム童話第1回:「ライだよ、」

Posted in 連続森の中のリアルタイム童話 2020 with tags , , , , , on 27 August 2020 by kenwada

山奥の子猫、2014年10月、北軽井沢 作品 No.152、紙に水彩、24.2×33.3 cm

連続森の中のリアルタイム童話第1回:「ライだよ、」
語り手:和田 雷
聞き手:和田 健
絵:和田 健
登場人物・動物
・黒猫の子猫で語り手の雷 3ヶ月
・やさしいきれいな猫の楢姉ちゃん 1才
・お父さん
・お母さん
・煙突掃除のやさしいお兄ちゃん
・雷を守る雌鶏の二三姉ちゃん 5才と 9羽の雌鶏のお姉ちゃんたち 1才
・雷が憧れるかっこいい猫のもみ兄ちゃん 1才
・大きな柴犬の喜久姉ちゃん もうすぐ 9才

ライだよ、なまえはおとうさんがつけてくれたんだ、ジュウサンカクだからいいなまえだぞって、おとうさんはいっていた。
ならねえちゃんもジュウサンカクなんだって、ジュウサンカクってなんのことだかわからないけれど、なんかすごくいいひびきだな、とってもかっこいいや。
それに、ならねえちゃんはすんごくやさしいから、ならねえちゃんといっしょっていうのがまたいいな。
ぼくはしにそうだったんだけれど、おとうさんがどうぶつびょういんにつれていってくれて、まいにちさんかい、めぐすりとかぜぐすりをしてもらっているんだ。
それですこしくしゃみがでなくなって、はなじるはとまってきたんだけれど、めがまだまだで、めやにがすごいんだ、おとうさんはふいてもふいてもなおらないなっていっていた。
ぼくはうまれてからずーっとこれまでもりのなかでのらをしてきたんだ、それでもうさんかげつたったんだって、だからキタナイってなんのことだかよくわからないんだけれど、いままでときどきニンゲンにあうと、いつもキタナイ、バイキンっていわれて、みんなぼくのことをさけるんだ。
ぼくはどうしてなんだろうとずーっとおもってた。それでかんがえてかんがえて、かなしいっていうのはきっとこういうことなんだなっていうことがよくわかった。そんで、さいごしにそうになって、おとうさんのところへいったら、おとうさんとおかあさんとそれからこのあいだ、えんとつそうじのおにいちゃんがきたんだけれど、みんなたすけてくれたんだ。
えんとつそうじのおにいちゃんは、ぼくのおなかについていたおちばまでわざわざとってくれて、ねこがにわとりといっしょにいるなんてめずらしいねって、そうっといってくれた。
そうなんだ、ぼくはいっつもいちにちじゅう、にわとりごやのすみっこで、にわとりのふみねえちゃんたちをみながらひとりでかんがえているんだ。ひとりでいるときは、かんがえていることがいちばんいいんだ、だってだれにもめいわくはかけないし、じかんだっていくらでもつぶせるし、おかねだっていちえんもかからないんだ。のらをしていたとき、みちでごえんだまをみつけたんだけれど、あながあいているだけでぜんぜんおもしろくないからすぐにすてちゃった。
ときどき、やさしいならねえちゃんがきて、かまってすこしあそんでくれるよ、でもぼくはまだはやくはしれないから、おにごっこをしてても、ならねえちゃんはすぐにあきてどこかへいってしまうんだ。
それからぼくのあこがれはもみにいちゃんで、それはすっごくかっこいいんだ、やねからやねにひょいととびうつちゃって、ぼくもいつかあんなふうになりたいなあ、そんけいしちゃうなあ、でももみにいちゃんにはまだいちどもはなしかけてもらったことがないんだ、おまえなんかまだシュギョウがたりないって、もみにいちゃんはじっとめでいうんだ、でもシュギョウっていったいなんだろう。このあいだ、もみにいちゃんのまねをして、すこしだけきのぼりをしてみたよ、それをみていたおかあさんがやさしくわらってくれた。
それからならねえちゃんにきいたんだけれど、おおきなしばいぬのきくねえちゃんがいるんだって、このあいだすこしあって、びっくりしちゃったんだけれど、おおきすぎてかおがよくみえないんだよ、でもならねえちゃんはわがやでいちばんえらいのは、きくねえちゃんなんだぞっていっていた、おまえいいかい、いくらちいさくても、そこんところはしっかりわきまえていなくちゃいけないよ、カゾクなんだからって、いわれたんだ。すっごくふしぎだなんだけれど、おもってたよりたいへんなんだなあ、カゾクになるのって。
のらをしていたときは、カゾクになりたくて、そりゃもうゆめにまででてくるくらいになりたくてしょうがなくて、よるになっていえのあかりがつくと、わあ〜きれいでいいなあとおもってた、あのなかにぼくもはいりたいなあ、きっとあたたかくてたのしいだろうなあって。いえのなかはあめもふんないし、よるはみんなでごはんをたべて、きょうあったことをじゅんばんにおはなししたりするんだろうなって。でもぼくはキタナイからカゾクはむりだろうなっていっつもあきらめていたんだ。それでかんがえてかんがえて、さびしいっていうのはきっとこういうことなんだなっていうことがみにしみてよくわかったんだ。
このごろおとうさんはライはこえがとてもいいっていうんだ、びょうきがなおったら、ショウライ、おんなのこにもてるぞって、でもショウライってなんだろう。ぼくはおんなのこなんかにまるできょうみはないけれど、それでもやっぱりもてるんなら、ならねえちゃんみたいなやさしいきれいなこがいいな。でもこのままここで、にわとりのふみねえちゃんたちのよこでごはんがもらえたら、それがいちばんいいな、でももうびょうきだけはしないようにしたいな、すっごくくるしかったから。
それからおとうさんは、もしかしたらこのこはあたまがすごくいいかもしれないっていうんだ。
だけどおとうさんとおかあさんがどうしてやさしくしてくれるのかはぼくにもわからないな、そうだ、こんどならねえちゃんにきいてみよう、どうしてかなって。
(つづく)

今後の不定期の掲載予定:
第2回:「ライのカゾクでびゅー」
第3回:「きくねえちゃんのサンポ」
第4回:「もみにいちゃんのハタシアイ」
第5回:「ライのふらんすゴ」(全5話完結)

ライだよ、ぼくのゆーちゅーぶができたよ、いえへきたばかりのときに、おとうさんがとってくれたんだ。ゆーちゅーぶってなんのことだかわからないけれど、のらをしていたときは、そんなもんにでるなんてゆめにもおもわなかったな。おもってもみなかったことは、よくおこるんだぞって、おとうさんはいっていた。まあいいや、やさしいならねえちゃんといっしょだから、じゃあね!

Today’s Worst Painting No.5

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 15 August 2020 by kenwada

2020年8月15日、 Each Painting 19、Total Painting 76。
今日のワースト選びは簡単です。全没だからです。4枚とも全没。お話にならない、論外、問題外、お話以前、中でもこれが一番ひどい!
原因は自分ではっきりわかっていて、いつも制作を始める前に、このことは以前当サイトに書きましたが、金科玉条のごとく、1. いい加減に、2. 無造作に、3. がさつに、4. ぶっきらぼうに、5. すっぽ抜けている、6. ぶっ飛んでいる、7. 適当に、8. 見ないで描く、(8. のみ以前に書いた記事に加わっています) の8項目を唱えてから描いているのですが、描きたい気持ちが強い時、意欲のある時によくありがちなのですが、そこにマインドをセットすることなく、つっかけて走り出してしまったからです。文字通り急に来客があって、サンダルをつっかけて応対してしまう時のあの感じです。自分で言うのも何ですが、なかなかこの8点にマインドを作り上げてくるのは大変なんです。集中して描く、一生懸命に描く、丁寧に描く、これなら本当に誰でも毎日できます。

前回の Today’s Worst Painting No.4 の記事の中で、ゲルハルト・リヒターが芸術家になる前、歯科技工士であったことに触れましたが、彼も僕の造語「お針子から重量挙げ選手に」「重量挙げ選手からお針子に」であった訳です。この象徴的な意味合いとしての造語については以前当サイトで説明させていただきました。僕がこのサイトの中で繰り返し使用している言葉は、すべて象徴的な意味合いとして使っています。例えばオリンピックの重量挙げ選手の中にオフ時間に編み物をする人は探せばむろんいると思います、そういうことです、ごめんなさい、次元が低くなりました。
それで話を前に進めます。フランスはパリ時代にモンマルトルのアパルトマンの小さな部屋で、つくづく考えたことがありました。僕はその当時彼らのことを「オール・スター」(この意味についてはまた後日)と呼んでいたのですが、どうして僕の好きな画家たちは、偉大な芸術家たちは、かくも揃ってこうも転向組が多いのだろう、具体的には以下のようにノートに矢印を書いて一心に考えていました。
一例をあげますので、皆様もいくつ正解できるかやってみてください。
ポール・ゴーギャン→株式仲買人からの転向組
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ→画商見習い、炭鉱地区の牧師等からの転向組
アンリ・マティス→法学部からの転向組
ピエール・ボナール→同じく法学部からの転向組
ワシリー・カンディンスキー→モスクワ大学医学部からの転向組
ジャン・デュビュッフェ→ワイン商からの転向組
まだまだ枚挙にいとまがありませんが、リヒターまでもがこれに加わりました。
これはどうしてかと言うと、二つの大きな理由があって、一つは偉大な芸術家になるには高い知性、知力が要るということです。
もう一つは、僕の上記の造語になりますが、異分野の業種を組み合わせることで初めてそこに大きな創造性、創造力が生まれるということです。これについては、アップルの創業者のスティーブ・ジョブズがスタンフォード大学のスピーチの中で完璧に説明していて、それを聞いていてやはりなと思いました。僕はあの演説を英語の勉強のために何度も繰り返して YouTube で観ました。
今はこうして簡単に書いていますが、パリ時代にそれがわかったことは、その後の僕にとってやはりかなり大きなことでした。
それでは、また。ではなくて、本日でこのワーストの連載を終わります。
この全没状態 = nothing から絶対にもっていかないといけない。
今日は色と形に遊んでもらうあの感覚がなかったな。
絵画を支配してはいけない、コントロールしてはいけない、自分が絵画に君臨してはいけない、支配される側にいないといけない、いつもオロオロオロオロして、常にヨタヨタヨタヨタと「おお〜、おお〜、次はそう来るか」とかうめきながら、色と形に勝手に決めて進めていってもらえばいいんです。自分が描くことなんて全くないんです。自分は絵画の後ろからノロノロと追いかけていく感じで、自分が絵画の先頭切って張り切って走っちゃいけない。今日は力んで肩に力が入ってしまった、でも明日はすっぽ抜けるでしょ。

Today’s Worst Painting No.4

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 14 August 2020 by kenwada

2020年8月14日、Each Painting 18、Total Painting 72。ダメ、没。
突然「平」の字が出てきた。コロナ禍の時代なのでそれもよいかもしれない。
白でチマチマ塗り上げていくことはできるのだけれど、ここは一度 View だな。
どのタイミングで Judge するのかについては、GERHARD RICHTER の “PAINTING” という2012年にドイツで製作された DVD を何度も繰り返し観て研究しました。
つまり彼の絵画は、Plan→Paint→View→Judge→Repeat と進んでいくのですが、この中で一番難しい移行(→)を求められる View から Judge へ具体的にどのくらいの日数をかけて判断するのかについて体感しながら学ぶことができます。
当たり前ですが、現役の世界最高峰の芸術家から教わることはたくさんあります。
インタビューはドイツ語ですが英語の字幕がついています。
彼が芸術家になる前に医者になろうとしたり、歯科技工士 (dental technician) の仕事に就いたり、いろいろ上手くいかなかった話も出てきます。
今日は少し先が見えてきた Painting が一枚ありましたが、この連載はワーストなので。
没の連鎖の中で自分にこれまで観えなかった形や色が出てきた時、キャンバスに自然に食い入るように引きずり込まれてきた時が待ったをかけるタイミングです。つまりどの段階で終わりにするのかについて現時点で僕がたどり着いた結論は、「この絵画を残しておきたいかどうか」です。キーワードは「保存」です。自分に「これ保存かけるのか、どうなんだ、ええ?」とよく自問します。意外にシンプルな境地にたどり着きました。でもそれでいいんじゃないかと思う、あくまで今の時点の僕の考えですけれど。いいんじゃないかと思う、というのはつまりその考え自体も破壊してしまえばいいからです。つまり実は何も関係ないんじゃないかということです。
それでは、また。

Today’s Worst Painting No.3

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 13 August 2020 by kenwada

2020年8月13日、Each Painting 17、Total Painting 68。
ひょんなことからバランスを崩すタイミングが突然とれ始めた。
これだから Painting は面白くてやめられない、絵画はとにかくバランスを切り崩す/切り裂くことが大事、切り崩す/切り裂くというのは、人間は放っておくと自然にバランスをとろうとするから、それをはずす。
小説家だとここまで偶然の要素を取り込めないのではないか、やはり言葉を一文字一文字起こしていく仕事だから、専門外でよくわかりませんけれど。
でもジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」のあのバババダ・・・はよかったな、あの部分の文章原文では、
bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonner-
ronntuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthur-
nuk! *¹
となっています。あそこまでバランスを壊すことを1939年にすでにやっていたということがすごい!マルカム・ラウリーの「火山の下」の中にもジョイスの明らかな影響がみられます。バランスなんか糞でも食らえ、という感じだな。
今、条件反射的にガルシア=マルケスの「大佐に手紙は来ない」のラストを思い出しました(laugh)。
やっぱり、バランスのとれた絵画、バランスのとれた人間=現代の中高年の立派な社会人なんか観ていても話していても面白くも何ともない、それを切り崩してくれるのは、またまた話が同じところに戻ってしまうけれど、若者なんだと思う、若者しかいないんだと思う。
さあ午後はダンテの「地獄編」を続けよう。ところでフランチェスカのくだりなんだけれど、あそこを読んで日本人が即座に反応するのは難しいのではないか。あそこは欧米人は劇的に感動するところなんだろうな。それとも僕の一般教養が足りないせいだろうか。ああ、でもこれを書いていてその攻略法を見つけました。
なるほどな、その手があったか、そのアイデアで一歩一歩進めてみよう。
それでは、また。

*¹ JAMES JOYCE, Finnegans Wake, Faber and Faber, p3

Today’s Worst Painting No.2

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 12 August 2020 by kenwada

2020年8月12日、Each Painting 16、Total Painting 64。ダメ、没。

Today’s Worst Painting No.1

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 11 August 2020 by kenwada

2020年8月11日、Each Painting 15、F30号を4枚同時に制作しているので、そういう意味では Total Painting 60。ダメ、没。attraper=catch できない。
今日からその日のワースト・ペインティングを順次掲載していったらどうだろうか?その没落と下降の連載の展開の中にある種の真実が嗅ぎ出されないだろうか?
この後午後から、2016年12月以来のダンテ「神曲」の再読、今回は平川訳に加えて山川訳、SINGLETON の英訳も合わせて読み進める。
それが終わったらと言っても何ヶ月かかかるけれども、いよいよ T.S.Eliot の MURDER IN THE CATHEDRAL に入る、すでにテキストがイギリスの本屋から届いている、そもそもトマス・ベケット大司教の予習をしておこうと思って、というのはある程度予習しておかないと歯が立たない感じがしたから、それで1951年製作の同名の映画を観たらあまりにも暗くて、これをこの真夏の8月にやるのかと思ったら気が滅入って、それでダンテを始めたのでした。
何で毎日そんなことをしているのかと言うと、主な理由は二つあって、一つは自分の絵画のインスピレーションを少しでも深めかつその幅も広げたいため、もう一つはフランスに丸7年間住んで痛感したことだけれども、ヨーロッパ人はそのくらいのことは一般教養としてごく普通にクリアーしてくるため、やっておかないと全く太刀打ちできないから、もちろん彼らも人によりますが。
そんな訳で人はみんなそれぞれ戦っています。若い人には現代の中高年の立派な社会人なんかにとらわれないで、とらわれないでというのは、崇めたり、モデルケースとしたり、尊敬したりなんかしないで、あんなふうになりたいだなんて思わないで、是非創意工夫を凝らして自由にのびのびと創造性豊かな人生を築き上げて欲しいなと思います。ハングリー精神、がめつさが他国の若者に比べて少ないのが致命的な大きな欠点だけれども、今の日本は若者の方が人柄がいいと思う。
いつの時代も世の中は若者がつくるものだと思う。
若者が萎縮せずに存分に活躍できる社会であって欲しいなと切実に思う。
若者が真に崇めるべき人物は、実は同年齢の、具体的には10代、20代の他国の若者の中に存在しているのであって、天才が今世界の若者の中にたくさん生まれているという事実を SNS を使って情報を集めて欲しいと思う。例えばスウェーデンの17才の女の子が訴えていることは何なのか、パキスタン出身の23才の女性が考えていることは何なのか、それらのことをついうっかり見過ごして、今日は何を食ったとかそんな投稿ばかりしていると、若者がやがて中高年になった時に(必ずなる)、その姿は現代の中高年の立派な社会人と残念ながらほぼ似たり寄ったりのものになると思う。
それでは、また。

2020年8月11日
和田 健

The Creatures on Earth!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 8 August 2020 by kenwada


みんな、1才の誕生日おめでとう。
イチ、ヨキ、ちい、大将、そして福・・・・。
みんなで体を寄せ合ってまだ小さかったのに真冬の厳しい寒さ、一番寒い時でマイナス18℃くらいになるのによく乗り越えたね。みんなで誕生日を迎えられなかったけれど、いつもたくさんのインスピレーションを与えてくれてありがとう!
卵だって2020年2月7日の初産から昨日8月7日までのちょうど半年間で695個も産んでくれました。お母さんはスーパーで卵を全く買わなくなりました。養鶏の世界には鶏同士の突っつきを防止するために生まれてすぐに雛の嘴を切る断嘴(だんし)という恐ろしい儀式があるけれど、お父さんはそれが嫌で孵卵場の方に頼んで特別に断嘴をしないでみんなは我家に来たんだよね、でも誰もいじめたりしないで、みんなで仲よく力を合わせて一年間過ごしてきて本当にえらいね。今はトコの具合が少し悪いからみんなでよく注意して見守ってあげてね。福がいなくなって女の子ばかりで心細いだろうけれど、特に大空を舞うノスリが襲ってきた時なんか、あいつは気は優しくて力持ちでいい男だったからなあ、いつも体をはって守ってくれていたからなあ。
お父さんの新しい作品 “Untitled ーfrom the series F Paintingsー” を待っていてください。年内には必ず仕上げるから。


Cher les amis,
Bon anniversaire, tous!
Ichi, Yoki, Chii, Taishô, et Fuku…….
Vous avez un an aujourd’hui!
Vous m’avez beaucoup donné l’inspiration pour mon travail.
Merci, les enfants!


Day was departing, and the dark air was
taking the creatures on earth from their la-
bors;*¹

例えば自然の中で猫を飼ったことのない人には、
猫が朝の敷地=縄張り内の見回りから始めて一日中どれだけ労働しているかがわからない。
例えば庭の片隅でもいい、一度でも身近に鶏を飼ったことのない人には、
鶏が夜明けとともに日が暮れるまで働き詰めで一日中どれだけ労役しているかがわからない。
それがわからなくて詩人だとか芸術家だとかはたして言えるのだろうか。
でもそんなことを知らなくても生きていくことに別に支障はないから、
現代では胸をはって立派な社会人だと声高らかに宣言することはできる。

*¹ DANTE ALIGHIERI, The Divine Comedy, CHARLES S. SINGLETON, Inferno CANTO II, line 1-3
この美しい3行の詩の肝は the creatures にあると思います。ダンテのイタリア語の原文では li animai となっていて、僕はイタリア語の古語や地方語のことがよくわからないので、これが何の複数形を指しているのかがわからない。それぞれ山川訳では「生物」、平川訳では「人や動物」となっています。それらと照らし合わせて考えると creatures と英訳した訳者の力量や気迫には凄まじいものを感じる。anima (女性形で li=gli との整合性がない) や animo (男性系だが複数形 animai との整合性がない) からの類推で、もしダンテが地上の「魂」はすべて労働すると考えていたとしたら、ダンテにとって猫や鶏が労役するのは子どもの頃からむしろ当たり前の光景であり、一日の終わりに地上のすべての「霊魂」がその労苦から解放されると実感していたとしたら、大詩人の声はあなたを現代の立派な社会人から必ずや救い出してはくれないだろうか。


2020年10月で丸12年になる当サイト始まって以来のクイズです。
母親に抱かれている後の偉大な芸術家は誰でしょう?
写真をクリックしていただくと答えがわかります。
「幼少期に鶏を見つめ続けたことと生育後の彼の分裂症的な絵画との関連性についての一考察」という論文があれば今すぐにでも飛びついて読むのですが、残念ながら現在のところ僕には見つけられていません。
「和田さん、そんなのじゃ論文のテーマにもなりませんよ」
「わからないよ、教授が天才であれば、君、今すぐにでも始めなさい」とかね。
しかし、素晴らしい写真だな。お母さんが左手でまさぐるポケットには乾燥トウモロコシの粒、右腕一本で軽々と息子を抱き抱える母親の大きな愛、それに安心してすがる子どもの絶対的な愛、母親の肩越しに幼心に動物の中に見た真実の愛は彼の終生を通して変わることがなかった、やがて訪れるアルコール依存症、破滅へとひた走る彼の生涯の不吉さの前兆が、ものの見事なまでにこの一枚の写真に凝縮されているように思います。下降。完璧なまでの美しさ。
ところで疑問、一体誰がこの写真を撮ったのだろう。庭先のスナップ写真をわざわざプロの写真家を呼んで撮らせたとは思えないので、要するにこの天才的な写真を撮ったのは家族の誰なのだろう?これだと本格的なクイズになるな。


最後に一句、
國士氏*²の 山羊は彼方へ 去りにけり

*² 岸田國士氏
くにおしの やぎはかなたへ さりにけり

2020年8月8日
和田 健