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僕はひまわりの種を超えられるか?

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 13 January 2020 by kenwada

Sunflower Seeds

Array of Sunflower Seeds.
お正月のある朝、日課の野鳥の餌やりを終えた後、餌箱の底に偶然並んだひまわりの種を見て思わずびっくり、美しい!咄嗟に整列美などというつまらない言葉を作りたくなる。まあそれでも造形美よりはまだいいか。さて僕はこの配列の美しさを作れるか?この内の一粒でも種を動かせば、たちまちにしてそこには人為の匂いがたちこめるだろう。打倒人為、脱人為。僕の Dear Grid Worker や Picky Dancers のシリーズもこの着想の流れから来ています。
しかし絶妙だな、この配置、流れ、横向きだって左向きと右向きに斜め横向きまで何でもご用意だ、上下の辺の抜群の止め、粒の上三角形・下三角形の使い分けはちょつとまねできない。そして全体をまとめるこの適度の崩れ、間の抜け方はさらにまねできない。これを観て顔真卿(709-785)の祭姪文稿を観る、祭姪文稿を観てこれを観る、これを観て李白(701-762)の詩を読む、李白の詩を読んでこれを観る、結局全部同じことなのではないだろうか。天為。闊達無碍。気宇壮大。ますらおぶりの書であり詩であり絵画。
「絵画はもっと原稿であるべきだ」というのが今の僕の思考です。ここでいう原稿の定義とは、1. 矛盾がある、2. つじつまが合わない、3. すきがある、ゆえに、4. つっこめる。僕の以前からの考え「絵画には矛盾があっていい」にもつながります。つまり逆に言うと、矛盾がない、つじつまが合う、すきもない、ゆえに、つっこめない。この権威こそが遠近法であり、征服欲につながっていると思います、絵画を自然を人間が征服するという、いや人間は征服できるんだという。西洋医学の考えと同じです。
まだまだ僕は酒でも飲みながらぽかんと口を開けて、たくさん雲の流れや夕日を見て、森の小鳥たちとたくさんお話しして、相当心を太くしていかないとひまわりの種は超えられない!でもということは、逆にその方向で行けば接近できるという気持ち、すなわち希望が、僕の心の中にすでにあるのではないだろうか。

2020年1月13日記。
和田 健