Today’s Drawing Photo on January 5, 2025
Acrylic, gouache and colored pencil on canvas, 19.7×23.9 in. (50.0×60.6 cm)
Today’s Drawing Photo on January 9, 2025
Acrylic, gouache and colored pencil on canvas, 19.7×23.9 in. (50.0×60.6 cm)
これは途中経過のいい練習問題が来たな〜という感じ!
なんだか毎日、ほとんど詰将棋の世界になってきたな (笑)。
ここで将棋の世界の棋士の方とは違って、絵画制作の世界では故意にあと何手詰みだなとかの「詰み」をはずすんです。
「ああ、あと何手でせっかく詰むのに」というところを、壊す、破壊する向きのベクトルが非常に大事になってきます。
あえて「詰み」をはずして、遠回りをして無駄な道筋をたくさん作っておきます。
絵に偶発的な出合い頭の可能性や要素を多くもたせて、自分のコントロールを効かなくさせるためです。
絵が主役だからです。
その過程を経ないと、要は絵が自分の脳内の意志や思考の中におさまり、つまりは画家が主役になり、なんて言ったらよいのか、絵にリッチなところがなくなるからです。
このことと言いますのは、作品が作家の自尊心のかたまりになっているのではないかという懸念なのですが、早くから気づいていた芸術家はもちろんいて、例えば、Raoul Dufy などは故意に利き腕ではない左手でデッサンを描いていましたが、僕はこれなどもおそらくは同じようなことに通じるのではないかと思います。
利き手ではない左手で描けば、それはどうしても自分の意のままにはならない、作家の自由にはならないからです。
つまりは、あえて不可抗力に出会うように、作品をもっていくとも言えるかと思います。
絵というのは誰でも描いていると、野球に例えれば、自分がピッチャーで自分が投げるいろいろな球種やコース (=色や形) を受けとめてくれるのがキャンバスでありキャッチャーでもあると、どうしてもそのように思ってしまいがちなのですが、実はそうではなくて、キャンバスがボールを投げてくるピッチャーで、自分は受けとめる側のキャッチャーなのです。
この簡単な原理に気づくまでに、僕はずいぶんと時間がかかりました。
それは、人よりもだいぶ遅く絵を始めて、ここからゼロから頑張らなければいけないという気負いのようなものが僕の中には強くあったからかもしれません。
まあ、気負いや気迫や気力、根性がなければ、そこにさえも到達できなかったであろうとも、同時に思いますけれども。
あとは集中力、なんと言っても絵画制作は集中力、それもできれば他分野で鍛えた集中力、絵画の制作には異種格闘技戦のような要素が確かにありますから、あまり綺麗事ではないんです。
活躍の舞台は小説ですが、ぜひセルバンテスを読んでみてください、おそらくはまったく同じことではないでしょうか。
それから、こうしたグリッド作品の恐ろしいところは、時間差攻撃とでも言うか、後日になって、突然、ある一つの枠が表情を持ち始めることで、これだけはその日の制作終了の時点ではまったく予測できません。
例えば、1月5日の写真の左上の角から右に2、下に2のところにある下地の色の関係で白っぽく見えるけれどもペールミントがまさしくそれで、こういうのは朝になって初めて気づいた時にはかなりびっくりします。
「おいおい、お前、昨日までそこにいなかったよな?」
「いや、僕はずっとここにいたよ。」
「本当か、信じられない。う〜ん、どうして気づかなかったのだろう?
それじゃ、一番いい表情でとても申し訳ないけれども、今日はアクアブルーで上からつぶすよ。」
「げぇ!なんで、どうして?」
こんな感じの自問自答が日常的に繰り返されていき、毎日、キャンバスの中に今日は表情はいくつあるかな?顔色はいくつあるかな?というのが、まあ言ってみれば僕の仕事です。
ですので、別になにもたいしたことはしていませんが、とりあえずは僕は、あまり老け込まないかもしれませんね、それだけでもよかったのかな (笑)。
2025年1月9日
2025年1月10日、11日加筆、修正
和田 健