検証 ー「犬の爪跡」ー

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 3 December 2012 by kenwada

以下のエッセーは、今年の3月に書いて没にしていたものです。
12月1日に掲載したエッセー「クリント·イーストウッド方式」と
少し関連があるように思いましたので掲載します。
これを書いた後、5月の個展、11月の二人展と経過して、
少し思うところはありますが、原文のまま掲載します。
しかし今読むと、Pollock の When I am in my painting っていうのは
それだけでゾクゾクしますね。

無意識というのは、「記録」である。
無意識というものを隠れ蓑に、実は意識の集大成なっているのではないかという
問題に悶々としていたのだが、また無意識そのものを見つけた。
我家の台所の床は、32×32cmの正方形の床板が組み合わされて
できているが、これに愛犬がつけた爪の跡である。
これは全くの無意識である。
しかしこれを果たして絵画と言えるか?言えない。
それでは何か?「記録」である。
「記録」が絵画と言えないのなら、絵画というものをすべて排除したい。
何故なら無意識である記録の方が美しいから。

犬の爪跡、2012年3月
紙に墨、水彩、白鉛筆、32.0×32.0cm
The claw marks of my dog on the floor in the kitchen, March 2012
India ink, watercolour and white pencil on paper, 32.0×32.0cm

トレーシングペーパーでは無理なので、サランラップを用い正確に爪跡をなぞる。
そしてカーボン紙で水彩紙にこれまた正確に写す。
これを観ると、結局真に無意識的なるものは、絵にならないことがわかる。
ただの凡庸とした「記録」にとどまることがわかる。
これは絵画ではない。では何か。何度も言うけれども「記録」である。
逆に言うと、絵画になっているということは、そこに何らかの意識が働いている
ということになる。
どのようにして意識の枠をはずすか?
どのようにして構築の枠をはずすか?
どのようにして何らかの働く意図をはずすか?
すべて絵画にする以上無理なのか。
結局、無意識を隠れ蓑にした意識の集大成でよいのではないだろうか?
「無意識から湧き上がるイメージを重視したスタイル」くらいで満足すべきか。
そこに現実的な妥協という名目の一致点を見出すべきか。

Jackson Pollockが言っている。
「絵の中にいるとき、私は自分のしていることを意識していない。
「知り合う」ための時間を過ごした後、やっと私は自分のやっていたことを
わかるようになるのです。」
以下原文。
(When I am in my painting, I’m not aware of what I’m doing.
It is only after a sort of ‘get acquainted’ period that I see what I have been about. 
-My painting, 1956)
これは痛いほどよくわかる。
そうだよな、そうでなくっちゃ、そう来なくっちゃなと思う。

La Galerie de Ken WADAに載せたロンドンの壁の写真(10枚)のような
無意識の集結としての美しさは存在する、確かに存在する。
・苔むした樹皮の美しさなども無意識の集結である。
・目を閉じて描いてみたらどうだろうか。
・絵画制作時の枠外にはみ出した部分(枠外は美しい)を組み合わせる。
・これとギブロス疑似聖刻文字(前15~14世紀)、甲骨文字(前14~11世紀)等の象形文字。
(こんなものを3500年前に描かれていたら我々のすることなんか何にもない気がする。)
・自分へ「よく考えること」。

クリント· イーストウッド方式

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 1 December 2012 by kenwada

二人展をしている最中にクリント· イーストウッドの最新主演作「人生の特等席」
の記事を新聞で読みました。

パリのモンマルトルに住んでいた頃、日曜日になるとサン· ラサール駅の近くに
ある映画館にフランス語の勉強を兼ねてよく通っていました。
日曜日の一回目の上映に行くと、5ユーロ(当時)で観ることができたからです。
モンマルトルの部屋から、ほとんどのお店が閉まる閑散とした日曜日のパリの
街を映画館までぶらぶらと30分くらいかけて歩いて行くのが好きでした。

この映画館では一人で随分いろいろな映画を観たけれど、2004年に
クリント· イーストウッドの「ミリオンダラー·ベイビー」を観た時には強い印象を
受けました。
イーストウッドって若い頃はかなりの(失礼ながら本当にかなりの)
大根役者でした。
それが当時74歳にもなって何て演技が瑞々しいのだろう、いくつもの心の襞を
何でこんなにも優しく大らかに体現できるのだろうと思いかなり感動しました。
その後モンパルナスの映画館で2008年に妻と「グラン·トリノ」を観た時にも
同じ観点から「この人は全然違う」と感じました。

早くに独立して監督主演をしながら賞レースとは無縁の一種形容のつかない
B級のような映画を撮り続けることで、結局人生の最後になって役者としても
監督としても一番瑞々しいのは彼だったということは、僕に大きなヒントを与えて
くれました。

僕はこれを個人的に「クリント· イーストウッド方式」と名付け、早くに独立して
個展を繰り返す自分と重ね合わせて「制作ノート」にその概要をメモしたのは
2007年のことだったと思います。

作家は個展を繰り返すことでしか前に進めない。
でも個展を繰り返すというのは大変なことですので、そんな時は、
自分に「クリント· イーストウッド方式、クリント· イーストウッド方式」と
繰り返し言って自分を励ましています。

ところで「人は何故個展をするのでしょうか」
これは根本的な大問題です。
これについては日を改めて一度きちんと書いてみたい。
書けた内容云々ではなく、この問題には一作家として正面から取り組んで
みたいのです。

さて二人展の最終日、いつも応援して下さるアートディレクターのK氏がご来場、
弾む会話の中でさりげなく井上有一作品集を出されました。
わからないように気を使われながら、予め本をご用意下さったのは
明らかだと思います。
僕が二人展の最終日にこの本と出会ったのは単なる偶然ではないと思います。
浅学な僕は凄く恥ずかしいのですが、井上有一という方を知りませんでした。
作品集を観て、これは「世界レベル」だな「ワールド·クラス」だなと感じました。
「島国王者」じゃないということです。
島国王者とは別名「地域の名士」とも言います。
これについては話しがそれますので、また別の機会に書きます。

氏の一連のコンテ書作品を観て、自分のやってきたこと、考えてきたことの
方向性は間違っていないなと思いました。
要は思考の行き着く先は同じことになるということで、
地球をある地点から右回りに半周しようが左回りに半周しようが、
同じ地点で出くわすということです。
僕の場合はJean DUBUFFET からJean-Michel BASQUIATと来てこの考え方に
辿り着きました。
以前のエッセー「ドラクロアの三角形を回す」にも書きましたが、
DUBUFFETという人は凄い才能をもった人で、パリのポンピドゥーで街や公園、
すなわち地図なんか全部上から叩きつぶしてしまえばいいんだよな、
と彼の作品を観て衝撃を受け、そうだよなそう来なくちゃなと思い、
ロンドンのテート·モダンでも必死で観ました。
パリ市立近代美術館でBASQUIATの大回顧展を観た時、DUBUFFETの系譜を
はっきりとそこに感じポンピドゥ−ーでBASQUIATの作品を再度観て確かめて、
自分で独自に発展させてきた考えをもとに
「これは、いったいカ(か)なのだろうか、力(ちから)なのだろうか」という
作品を今年の3月に8枚作りましたが、それは、カの字を紙面いっぱいに
何個も何個も書きなぐった作品で、一連の無意識の問題は結局これですべて表せる
と思いましたが、常規を逸しているので、それをここに載せてもいいものかと
思い、載せなかった、自分のその気の弱さこそが最大の致命的なところなのだ
ということです。

今年の12月から来年の4月にかけての仕事は、今連作している「私の構図」です。
16まで描いたところで、これはとてもこれだけでは終わらないと思い、
次第に構想が大きく膨らみ始め、第2章「拡散」、第3章「溶解」として終わろう
かと思いましたが、そんな起承転結なんか新聞記者じゃあるまいし、
DUBUFFETみたいに上からぶっつぶして、とことんやってみようと、病い、暗黒、
地獄の底、再起、再生、、、などをテーマに描いてみようと思います。

今回の二人展の垣内さんの再出発は、まるでドストエフスキーの「罪と罰」の
最後の場面、最終ページそのもので、僕はちょうど先月、何度目かを読み終えた
ところなのですが、僕の目標はいつの日かソーニャを描くことなんです。
タイトルまでもう“Sonia Painting”と決めてあるんです。
「私の構図」が描けなければ、とても「ソーニャ」まではいけないだろうな。

ちなみに1866年の「罪と罰」から1880年の「カラマーゾフの兄弟」への
ベクトルで、総合小説、複合的な視点、小説としての完成度の観点から語られ
ることが多いみたいだけれど、僕のベクトルは逆方向で、僕はこの二作品から、
芸術は結局は「原石勝負」なのではないかということを強く感じました。
野球でいったら、とにかく足が速くて肩が強い、ということです。
ボクシングでいったら、ディフェンスは悪いし、フットワークはべた足、
でもとにかくパンチがある、ということです。
もちろんスポーツと芸術は違う訳だけれど、例えです、例え。

もう一つ12月から来年にかけての仕事は、
「マントノンの思い出 ーあるいは世の中の極めて胡散臭い物事に対する
自分なりのささやかな反論ー」と題する散文だかお話だかを書いてみたい。
実は少しもう書き始めました。
マントノンの生活から1年以上が経ち、書くにはもういい頃だと思います。

以上です。

二人展「無意識の向こう側」が終わりました  Exposition “Makiko KAKIUCHI et Ken WADA” 5

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 28 November 2012 by kenwada

昨日二人展「無意識の向こう側」が終わりました。
お忙しい中をご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

今回もまた様々な出会いがあり、二人展をしながら多くのことを考えました。
結局作家は、こうした個展を繰り返すことでしか前に進めないのかもしれません。
その辺りの二人展を終えた今の私が考えていることは、12月1日に当HPに
掲載予定のエッセイ「クリント·イーストウッド方式」の中にまとめて書きます。

また今回の展覧会は垣内さんの再出発の場でありました。
人生のつらい試練を乗り越えた今、
彼女はまた新たに歩き始め、制作していくことと思います。
皆さん、才能ある若い作家を応援して、どうぞ大切にしてあげて下さい。

最後に目立たないように気を使われながら、陰から私たちの二人展を
支えて下さいましたギャラリーのオーナーである内藤様、鈴木様、
本当にありがとうございました。
お二人に心から御礼申し上げます。





二人展「無意識の向こう側」       Exposition “Makiko KAKIUCHI et Ken WADA” 4

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 27 November 2012 by kenwada

二人展「無意識の向こう側」は本日最終日です。
皆様のお越しをお待ちしております。






二人展「無意識の向こう側」         Exposition “Makiko KAKIUCHI et Ken WADA” 3

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 26 November 2012 by kenwada

二人展「無意識の向こう側」は今週火曜日まで南青山の
ギャラリー·リスティ青山で開催中です。
皆様のお越しをお待ちしております。










二人展「無意識の向こう側」Exposition “Makiko KAKIUCHI et Ken WADA” 2

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 24 November 2012 by kenwada

二人展二日目の昨日は小雨の中にもかかわらず、
たくさんの方にご来場いただきました。
皆様、本当にありがとうございました。
二人展は来週火曜日まで南青山のギャラリー· リスティ青山で
開催中です。

この界隈は、休憩時間にギャラリー付近を散歩したりすると、
本当にお洒落で素敵なところです。
特に青山霊園の美しさは特筆ものですね。
思わず何度も写真を撮りたくなりましたが、お墓地ですので我慢しました。
歩きながらパリのモンパルナス墓地を思い出しました。
古いものを壊しさえしなければ、日本にはフランスに負けないものが
たくさんあるのに。
皆さん、絵を観た後は、付近を散策されてみてはいかがでしょうか。

二人展「無意識の向こう側」が始まりました!Exposition “Makiko KAKIUCHI × Ken WADA” 1

Posted in Exhibitions 2012-2026 with tags , , , , , , , , , , on 23 November 2012 by kenwada

銅版画家、垣内真希子さんとの二人展「無意識の向こう側」が
昨日より始まりました。
初日から多くの方にご来場いただき、とても感謝しております。
ギャラリーの方もとても親切で、お陰様で大変気持ちよく展覧会を
スタートすることができました。
また以下のサイトでも今回の二人展をお知らせいただきました。

●レッツエンジョイ東京
http://www.enjoytokyo.jp/museum/event/621503/
●JDN(ジャパンデザインネット)
http://event.japandesign.ne.jp/news/26652120529/
●みなとアートナビ
http://www.minato-artnavi.jp/eventinfo?mode=view&id=566
●東京アートビート
http://www.tokyoartbeat.com/event/2012/84EB
●アートサーフ
http://www.artsurf.jp/modules/artnews/4944
●美術展覧会情報
http://artbanchi.seesaa.net/article/298543434.html
●芸力・展力
http://geiriki.com/ten/detail.cgi?id=10035008
●ギャラリー・リスティ青山 ブログ
http://lystig.exblog.jp/15549367/
●ギャラリー・リスティ青山 ホームページ
http://gallery.lystig.com/exhibition/exhibition.html

二人展は「ギャラリー·リスティ青山」にて来週の火曜日までやっております。
皆様のお越しをお待ちしております。

私の構図 第 Ⅱ 章 拡散2

Posted in 17 Spread 2012-2013 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 21 November 2012 by kenwada

私の構図
第 Ⅱ 章 拡散2、2012年11月
紙にグワッシュ、水彩
50.0×50.0cm

My composition
Chapter Ⅱ  The spread 2, November 2012
Gouache and watercolour on paper
50.0×50.0cm

Ma composition
Chapitre Ⅱ  La dissémination 2, novembre 2012
Gouache et aquarelle sur papier
50.0×50.0cm

私の構図 第 Ⅱ 章 拡散1

Posted in 17 Spread 2012-2013 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 19 November 2012 by kenwada

私の構図
第 Ⅱ 章 拡散1、2012年11月
紙にグワッシュ、水彩
50.0×50.0cm

My composition
Chapter Ⅱ  The spread 1, November 2012
Gouache and watercolour on paper
50.0×50.0cm

Ma composition
Chapitre Ⅱ  La dissémination 1, novembre 2012
Gouache et aquarelle sur papier
50.0×50.0cm

私の構図 第 Ⅰ 章 出自16

Posted in Works 2012 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 15 November 2012 by kenwada

私の構図
第 Ⅰ 章 出自16、2012年11月
紙にグワッシュ、水彩
50.0×50.0cm

My composition
Chapter Ⅰ  The origin 16, November 2012
Gouache and watercolour on paper
50.0×50.0cm

Ma composition
Chapitre Ⅰ  L’origine 16, novembre 2012
Gouache et aquarelle sur papier
50.0×50.0cm