
(©︎朝日新聞、昭和25(1950)年、青森県津軽半島の農村で、赤ん坊をおんぶしながら授業を受ける小学生。)
皆様、こんにちは、和田和園です。
朝日新聞のデジタル版で、この写真を初めて見た時に、なにかちょっと言葉では形容し難い非常に強い印象を受けました。
僕はこの写真を見た時に、このような子守りの現実を初めて知ったという訳ではないのです。
このような時代があったということは、いろいろと間接的に聞いて知っていましたし、同じような写真をかつて見た記憶もあります。
また、この写真に添えられていた説明文を熟読しているうちに、これは太宰治さんの故郷である五所川原市金木町であるかどうかはともかくとして、おそらくはその近辺なのではないかと思うようになり、地主階級の息子であった太宰さんと、この少女との人生の対比を考えた訳でもないのです (でもそうは言いましても、やはり少しは考えましたが)。
そうではなくて、なにかが、おそらくはこの少女の顔を見た時に、僕にはなにかこの目を見たことがあるような気が、さらに言えば、この少女に以前会ったことがあるような気がしたのです、なにかこの目に非常に親しいもの、懐かしい親密なものを感じたのです、それが一番近い説明かもしれません、うまく言えませんが。
今回の俳句は、その印象に基づいた作品で、すべて僕の想像句です。
1 子を負ふて学び尊し子守かな
2 あんちゃまの髪をばいじるこの子いて
3 学校へ我も行きたい乙女かな
4 少女言う授業受けたい学びたい
5 明日はまた学校来れぬ定めかな
6 世の中に忘れられたる昭和かな
この写真の女の子を仮に小学校4年生であると致しますと、昭和15(1940)年のお生まれになりますので、今年で86歳になられます。
まだ乳飲み児の方とともに、どうかお二人がご健在でお幸せでおられますことを、心よりお祈り致します。
「あなたの作る俳句などとは違って、学校へ行っている間は、そりゃあ楽だった、農作業を手伝わなくてもいいから、子守りだけしていればいいのだから、まあ学校は言ってみれば、幼い私にとっては天国みたいなもんだったね」なのかもしれません。
この写真覚えています姉のこと
(この句は「第12回俳句」にてすでに発表しました。)
7 子を負えば守をばいじるこの子いて
8 学校へゆく児見つめる農繁期
9 手をとめて見て見ぬふりの田植かな
10 一人欠け二人欠けゆく机かな
2026年7月27日
和田和園
追伸:
①2番の上五の「あんちゃま」が津軽地方の姉の方言として適切なものなのかどうか、僕には判断できません。
一応「ねっちゃ」というのが一般的なのでしょうか?
「ねっちゃ」の3音ですと、上五の5音にもっていくのが難しいです。
②お二人が実の兄弟姉妹であるかどうかは、この写真だけからでは僕にはわかりませんでした。