Archive for 5 January 2021

Today’s Black and Blue Paintings! No.4

Posted in Essay 2012-2021 with tags , , , , , on 5 January 2021 by kenwada

2021年1月5日、4枚ともダメ、当然全没、依然として形が見えてこない。
前回書いたことと全く同じことを自分に言う、「絵画と執拗に変質なまでに対話し続けること」。
諦めるといとも簡単にあっさりと、そこで終わる。
それもいいか、毎日負け続けるよりも。
しかしそれにしても、絵画はほんのわずかな、そうーっと描いた繊細な一筆で、全体の局面、形勢、情勢が、あまりにも劇的に変わるな。
いつも思うことで、僕は全くの専門外だけれども、絵画は、おそらくは将棋よりも囲碁の世界により近いのではないかと思う。
おそらく両者は、ほとんど同じことをしているのではないかと思う。
他の仕事では、ここまで劇的に全体の曲面が変わるということは、あまりないと思う。
例えば、原稿を読みながら、何かのお話をしている人が、◯◯を、のところを◯◯は、と助詞を一つ間違えたくらいで、すぐに言い直せばよいのだし、お話全体がダメ、没までにはならないと思う。
でも絵画の場合は、助詞を一つ塗り間違えただけで、一瞬にして全体が没になってしまう。
その転落していくスピードが、おそろしく速い!
これまでの日々の制作の過程で、本能的に嗅ぎつけているのだけれども、ここにおそらくは絵画の本質があって(隠されていて)、基本的に絵画は全取り替えの精神なのではないかと思う。
すなわち、部分の取り替えが効かず、常に All or Nothing の世界なのではないだろうか。
そうなると当然、大胆に全体を全て取り替えられる神経の図太い人というか、丈夫な人が絵画制作に向いているということになる。
じゃあ、神経の図太い人なら、そうできるかというと、これができない。
何故なら人間だから、今まで積み上げて描いてきたもの(その努力なり労働なり時間なり)をゼロに振り出しに戻したくないから。
結果が何も残らないから、むなしく意味がない行為のように、繰り返し感じさせられるため。
それから描き直した場合に、もっとひどくなるということも当然予想され、それであれば妥協案として現状を残したくなり、つい躊躇するから。
つまり、人間であれば絵画制作において、そんなに勇気に違いが出ない。
そこで自分のしがみつきたい意志をはずして、半ば強制的に全取り替えにもっていく仕組みを考案して、絵画制作に導入することで、毎日のように全取り替えができるようになる。
僕は、そんなことを模索しています。
この画面上の追求のスリルでは、絵画制作をしている人たちに対して、飽きろと言う方が無理だな。
どちらかというと、絵画の制作は、何か中毒になる類いのものだと感じる。