Archive for 22 May 2020

I started My New Works this morning!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 22 May 2020 by kenwada

今日から新しい4作品に着手=Paint1。
珍しく初日の段階の写真を撮ってみる。
今度のテーマ=Plan は下地に白、上にピンクと黄と青。
僕の場合は絶対に最初の Plan 通りにはいかないので、今はまだどうのこうの言っているような段階では全くないので、描いていてとても楽しい。
毎日が今朝のような初日だったらいいのに。煮詰まってくると、一手一手がまるで詰将棋のようになり、とてもこうはいかない。
この段階でまず確認しておくことは、個人的に「面取り」と呼んでいるけれど、
色ごとの面積比、これをしっかり把握しておきます。
あとはこの場合だと、ピンクの色にどのピンクを使うか、つまりピンクが主要色になる予感があるから、青はどの青でいくのか、黄はまずまず決まったな、とかそういうこと。ピンクを2種類、青を2種類、試しました。
さてさてこの後、何色で塗り潰しが来るのでしょうか?
基本的には補色で来る訳だけれど、例えば最終的に Green Painting にもっていきたいのなら下地に赤を多く入れる、でもそんなことにとらわれなくていい、もうそんなことにとらわれなくていいんです、もうそんなことからは自由になりました。絵画は生き物だから、絵画は先が読めないから、絵画は展開が見えないから、だからこそ決して飽きることがないんです。色と形の変化に人間の脳が決して追いつけないからこそ絵画は楽しいのです。そこで脳のために時間を稼ぐ、猶予時間を作り出すことがどうしても必要になります。先日そのためのちょっとした施策を思いつきました。早速実行してみるつもりです。別になんてことはない手段をどうして今日まで思いつかなかったのだろう?
それからちょっと違う話になりますが、こうした日々の制作に対するモチベーションも要らない、元々が僕の生活はもうずっと以前からモチベーションなしでも必死に生きてきたようなものだから、モチベーションなんて静かな気持ちから本当に要らないんです。つまり、個展があるからとか展覧会があるからとか多くの人に観てもらえるからとか、だから意欲・動機づけになって僕は頑張れますとか、これからも毎日頑張りますとか、要らないんです。モチベーションなんてなければないで生きていけるんです、元来が余分なものなんです、本当です。要は慣れの問題なんです。腹のたるんだ贅肉とまるで同じだ、おっとこれはいけない、気をつけよう!
個人的には今日の制作で左側の2枚がピタッと繋ぎ合ったのが面白かった、これはこの配列で並べたことも含めて全くの偶然です。こういうのは終わった後、ちょっとクスッと笑えます。
2020年5月20日
和田 健

後日記
2020年5月22日 Paint2、すなわち選択は白。右から1番目上がる。右から2番目、下がる、没、ダメ。右から3番目、ごく普通、ただ一部分観るところはある。右から4番目の左角に une obrique が欲しかった。こんなのは明日刷毛で入れて即確認。であれば、右から1番目を一つのモデルケースにして全体を高められればよさそうなものだけれども、絵画はそうはいかない、ここが絵画の実に面白いところなんです。僕の人生経験から言って、他の分野の仕事であれば一つの雛形をモデルにしてもう少し何か作れる、もう少し何かある程度できる、でも絵画はそうはいかない。一点一点奔放なんです、解放なんです、一つに集約しないんです。でも人間は論理的思考によってつい集約したがる、ついまとめたがるんです。人間ってホントまとめるのが好きですよね。だから前にも何回もこのサイトに書きましたように色と形に遊んでもらう感じが大切で、色と形を支配しない、コントロールしない、征服しようとしない。解放と集約を履き違えない。この後、Paint3 はピンクで見えているので、選択は楽です、Paint1 でピンクはシェルピンクで、とりあえず行き詰まるまではシェルで確認済み。明日の朝シェル入れてまたView、さあ〜いくぞ〜って感じ。そしておそらくその後、黄、青と入れてまた白、この4色入れを3回繰り返すと思います。4回かもしれない、その時点で次のキーワード、個人的に「全取り替え」と呼んでいるものがおそらく出てくる。feeling が fade するからです。これは文字通りトランプの手札の全取り替えと同じです、全てを捨てないと何かを得られない。じゃあ、この後その通り進んでいくのかと言ったら、これが進まない。つまり絵画は手順化・法則化できない。ここがこの仕事の実に面白いところで、繰り返しになりますが他の仕事であればもう少しマニュアルというものが必然的に浮かんでくると思う。つまり絵画には熟練できないのだと思います、いつまでも一年生と言うか、あと20年続けたとしても熟練できないんだろうな、引き出しや経験が増えるだけで。そこが絵画の魅力と言うか生物(なまもの)と言うか、本当に面白いところなんです。でも熟練できない仕事でよかったな、熟練して大御所みたいになって・・・・そんな人生はまっぴらだ!
ね、モチベーションなんて要らない!

続後日記
2020年5月23日 Paint3終了。右から2番目、少し上がってきた。
ではその熟練できない絵画の、集約できない絵画の、その制作の繰り返しの日々の人生をこれからどうやって生きていくかと言うと、これが実は中心にあるものは愛なんだな、ようやくそのことに気がつきましたってえらそうに言っても、それがわかった、あるいはつかみかけてきたのは、本当にここ半年くらいです。でもわかった。絵画・人生に一番必要なものは愛です。そんなことは若い頃はわからなかったな。でも年齢とともに愛の要る仕事でよかったな、年齢とともに愛の増える仕事でよかったな。年齢とともに愛の増える人生でありたいです。
そして最終目標は顔真卿の「祭姪文稿」、この恐ろしく美しいものを絵画として描く。「祭姪文稿」をピンクで描けない訳がない、青で描けない訳がない。一人の中国人にできたことが一人の日本人にできるかな、わからない、挑戦してみないことにはわからない。しかしちょっと目標が高すぎやしないか。「祭姪文稿」の絵画化はおそらく同じく最終目標である「鳥類の聖書」でもあり、僕の中で重なり合うのだと思います。うん、わかった、つまり、高すぎる目標の場合は、同じだと感じるもの(事例)を増やしていけばいいんだ、そこから実は真正面が見えてくるかもしれない、見えてこなければ即次の手段を考える。失敗したら素早く立ち上がる、ドロドロそんなところに腰掛けていない。明日、Paint4黄とPaint5青二ついきます。
毎日、こんなことを書いていると延々と続いてしまうので、この4点の完成まで一応ここでやめますね?

ーやめません。今朝(2020年5月24日付)の The New York Times の一面には魂を激しく揺さぶられた。これがメディアだろう、これこそがジャーナリズムの気迫だろう。この一面の実現は、アイデアだとか企画だとかという次元で簡単にできるような話ではない。リベラルな文化の彼我の差を痛感した。会ったこともない一人一人の何故か笑顔が行間から立ち昇ってくるようだった。みんな、もっと生きたかったんだろうな。みんな、もっと生きていたかったのだろうな、という思いに胸を締めつけられるようだった。さあ、生き残った僕は、生きている僕は、せめて絵画の制作を頑張ろう。 上述の最終目標はもしかしたらもうすぐそこにあるのかもしれない。昨日、制作の後、筆を洗っている時にふとそう思った、時間にして10秒くらい。すぐに「ええ〜、まさかなあ〜」、というつぶやきにとって変わられた。最終目標はあと何十年も努力してようやく得られるかもしれない境地だと常に思ってきたから。お前こそがリベラルな文化の少なき民そのものだ、どうしてすぐに「まさかなあ〜」なのだ。
そんな条件反射ばかり鋭くなってお前は一体これまで何を学んできたのか?


(©The New York Times)