Archive for artiste peintre

Today’s Drawing Photo on November 15, 2025

Posted in Non classé with tags , , , , , , , , on 16 November 2025 by kenwada

Acrylic on canvas
28.7×21.7 in. (73.0×55.0 cm)

Today’s Drawing Photo on November 14, 2025

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , , on 15 November 2025 by kenwada

Acrylic on canvas
28.7×21.7 in. (73.0×55.0 cm)

第1回「俳句を詠み始めて」(処女作品) 初秋から晩秋にかけての55句『鶏三羽寄り添い語る在りし秋』

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , on 11 November 2025 by kenwada

皆様、こんにちは。
突然ですが、今月に入り、俳句を少し作ってみました。
どうして突然俳句を作り始めたのか、その理由はよくわかりません。
ただ、俳句を作りたかったのだと思います。
なにしろ62才になって生まれて初めて作った俳句ですので、自分でもよいのか悪いのか全然わかりません (笑)。
一応、基本的な環境だけご説明させていただきますと、我が家は人里離れた標高1100mの森のなかにあり、庭は楢の高木に取り囲まれていまして、ちょうど今、大量の落ち葉の季節を迎えています。
これからの季節は薪ストーブが必需品で、冬の間、大活躍してくれます。
そんな我が家の庭の情景や日常生活を俳句にしてみました。
また、1匹の柴犬や、この森のなかで生まれた猫の3兄弟 (兄、妹、弟)、かつては15羽いましたが今は3羽になってしまった雌鶏たちも大切な家族です。
それでは、どうぞお楽しみくださいではありませんね、俳句歴10日のど素人です。
どうぞお笑いくださいませ。

楢紅葉風と旅する青い空

枯れ果てて黒き草木(そうもく)秋の霜

秋の葉に色の組み方教えられ

足裏でそっとあやまる楢の実に

庭の水ひねって出ない秋の朝

薪小屋を見るたび思う冬支度

台風に大枝小枝ただもらう

薪減りて妻と拾いし枯れ枝を

鶏三羽寄り添い語る在りし秋

雌鶏が飲み水飛ばす秋の雲


秋深し手を合わせては草を刈る

さあ生きよ飛べよ舞い散れ秋の野に

明日には役目を終える秋の草

政治家が説くより平和猫の暖

(毛色や性格も違い、その上、親までもが違うのに我が家の猫の三兄弟が、今日も小さな一枚の座布団に寄り添い合って仲よく寝ているなあ。それに比べると人間は、やれ人種だ、やれ宗教だと言っては、戦ばかりしているなあ。ああ、人間のなんて愚かなことよ。)

男前心優しき秋男
(我が家の猫の長男もみじは、かなりの美男子です)

小次郎にどこか似ているもみじかな

廃校のチャイム届けし秋の風

ざわざわと舞いさくさくと踏む落葉

立ち枯れの秋向日葵に息をのむ

秋烏浅間白根に耳すます

秋香る朝の味噌汁りごうぼう
(地元で、りごぼう、りごうぼう、じごぼう、じごうぼうと呼ばれている秋の森のきのこは正式名をハナイグチと言い、これをたっぷりと入れた毎朝の味噌汁は本当においしいです。我が家のソールフードといったところでしょうか。ちなみに味噌も妻の手作りです。)

森乾き喜久と拾いし秋終わる
(喜久は我が家の柴犬の名前です。落ち葉の季節になり、森が乾燥し始めると、おいしかったきのこの季節も終わりです。今年もいっぱいありがとう、家計をたくさん助けてくれました。春の山菜とともに我が家を養ってくれている森に感謝です。)

喜久姉(ねえ)と猫三匹の秋の道
(喜久の散歩に、猫三兄弟があとをついていくので有名です。)

はらはらとはらはらと秋散り積もる
(ああ、はらはらとはらはらと秋が散っては積み重なっていくことだなあ。)

▶︎先日、若山牧水の「吾妻の渓より六里が原へ」という紀行文を読んでいて、この非常に印象深いエピソードについて初めて知りました。
我が家の近くに位置する応桑の集落で、実際に当時起きた出来事を句にしてみました。

牧水に銭投げつけし秋の人

▶︎2025年9月に平塚の海を一人で訪れた時の思い出を詠んでみました。

秋告げるビーチバレーの乙女たち

流木と卵を食らう秋の浜

鰯雲蟹が顔出す袖ヶ浜

▶︎俳句を作りながら、次第にこの季語という制約や束縛に疑問をもち始めました。
まるでそれは、僕には檻に閉じ込められた動物の気持ちをまざまざと思い知らされるような感じがいたしました。
そこで、無季俳句も少し作ってみました。

「デュビュッフェへ」
公園をのしてたまえし絵画かな

「スーチンへ」
シャルトルの坂道描きワイン飲む

天才の女が揺れて立ち尽くす

神ありて蜂の巣開けた開けゴマ

「モディリアーニへ」
アフリカよ君の女の長き首

ショミエール君のアトリエ見上げた日

開けゴマ洗濯船の門も開け

「ゴッホへ」
君はただ描いたのだろう麦畑

君のテオ隣で眠る麦畑

君が見た病院の窓鉄格子

帰ろうよ黄色の家へアルルへと

君思う独房の部屋オーヴェルで

洗面器顔を洗いし君思う

アブサンを飲んでも酔わぬ君なれば

銭なくて女を求め月一度

病人に描かせてくれと頼みけり

十八区君のプレート手を胸に

今どこに君の魂今どこに

耳切りて包帯巻きし君の顔

ゴーギャンと交換しようヒマワリを

いくたびもテオに頼みし絵の具かな

星空に霊感やどり星回る

「ランボーへ」
ランボーのボロ靴ほどけ踊るパリ

「村山実さんへ」
プロ野球村山こそが投の華

サヨナラのグラブぽっけにしまいし日

十一よ投げる姿はプロの華

担がれて春のマウンド別れの日

2025年11月11日
和田 健

Today’s Drawing Photo on November 3, 2025

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , , on 3 November 2025 by kenwada

Acrylic, gouache and multi-talented pencil on canvas
28.7×21.7 in. (73.0×55.0 cm)

ダメ!
連日、描いては没が続きます。
なにか大きな谷間に入ったような感じで、年に二、三回は、必ずこういう時が来ます。
こうなると、もうどうしようもないですね、特に対抗策のようなものはありません。
我慢してトンネルを抜け出せるのを待ちながら、黙って耐えているしかありません。
ただ、集中しているかどうか、気迫はあるかどうかだけ、常にチェックするようにしています。
絵というのは、一、二枚描く分には、そんなものには別になにも要りませんが、毎日描き続けるとなりますと、これは実際に描いてみるとよくわかりますが、実は究極のところは体力なんです、どうしてもここは強靱な足腰が必要になります。
それから実は、失敗→失敗→失敗、没→没→没の毎日のなかに、画家として少しでも成長している部分が、もしかしたらなにかあるのかもしれないなとは思います。

結局、僕の場合は、なにかのリズムなんでしょうね、なにかの軽やかなリズム、体全体で歌い上げるようなリズム。
それと作家のその時の精神的な状態が、ピタッとうまく符合すると、面白いように次々と創り出せるようです。
そういう時は、描いていて楽しいですね。
そして、非常に楽でもありますが、画家として学んでいることは、実はあまり多くはないのかもしれません。

僕は最近、その日の調子がよくても悪くても、割合、どちらでもよくなりました。
それは決していい加減になったという意味ではありません。
その心境の変化については、ちょっと言葉で説明するのは非常に難しいのですが、まあ、調子がよくても悪くても僕の人生にとっては、結局のところ、一日一日の積み重ねという観点からすると、どちらもほとんど同じようなものです。

2025年11月3日
和田 健

Today’s Drawing Photo on October 24, 2025

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , , on 27 October 2025 by kenwada

Acrylic on canvas
28.7×21.7 in. (73.0×55.0 cm)

Untitled 2025 No.25

Posted in Works 2025 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 23 October 2025 by kenwada

無題 2025 No.25
2025年10月
北軽井沢 作品 No.598
画布にアクリル
73.0×55.0 cm

Untitled 2025 No.25
October 2025
Kitakaruizawa Works No.598
Acrylic on canvas
28.7×21.7 in.

Sans Titre 2025 N°25
octobre 2025
Kitakaruizawa Œuvres N°598
Acrylique sur toile
73.0×55.0 cm

Untitled 2025 No.24

Posted in Works 2025 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 21 October 2025 by kenwada

無題 2025 No.24
2025年10月
北軽井沢 作品 No.597
画布にマルチタレント鉛筆、色鉛筆、グワッシュ、アクリル、レッドスコリア
73.0×55.0 cm

Untitled 2025 No.24
October 2025
Kitakaruizawa Works No.597
Multi-talented pencil, colored pencil, gouache, acrylic and red scoria on canvas
28.7×21.7 in.

Sans Titre 2025 N°24
octobre 2025
Kitakaruizawa Œuvres N°597
Crayon aux multiples talents, crayon de couleur, gouache, acrylique et scories rouges sur toile
73.0×55.0 cm

Today’s Drawing Photo on October 16, 2025

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , , on 17 October 2025 by kenwada

Detail
Multi-talented pencil, colored pencil, gouache and acrylic on canvas
28.7×21.7 in. (73.0×55.0 cm)

ダメ!
十分に間を取ったので、こちらから先につっかけていかなかったので、今日で決まる、今日で持ち込めると思っていたから。
絵画は生きているのに、生ものなのに、つくづく、自分は馬鹿だなあ〜。
絵画だけは何年やっても、終わりなき戦いです、きれいごとでは決してすまされないから。
絵画とは、何年描いても決して一人前になれない唯一の仕事です。
言わば、自分の生きてきた年月そのものが絵画であるから。
才能の実体、ものごとの奥にひそむ真のすがた、幼少の頃。

絵画とは、絵心があるだとか、絵が得意であるとか、学生時代に美術の成績がよかっただとか、そうしたものとは違うものである感じがいたします。
なんて言いますか、それも少し違うのではなくて、そうしたものとはまるで正反対のものである感じがいたします。
絵画とは、少なくとも絵画の制作とは、それがないと生きていけないようなもの、絵心などと言うよりは、どちらかと言うと、冗談とかではなくて食べ物や水に近いもの、もっと原始的なもの、本能のようなものである感じがいたします。

ですので、例えば、女の人を見てきれいだなと思う感覚に近いです。
それもテレビなどを見て、みんながきれいだと言う人ではまったくダメで、この場合に限ってはお話にもならず、例えば、あなたが旅に出て、夏のある日、道路沿いのなんの変哲もないバス停で暑い中、バスを待っているとします。
その時、向こうからおそらくは地元の女の人がバス停にやって来る、その人はいわゆる世に言うところの美人ではない、でも「あっ、きれいだな」と思う、その感覚に非常に近いです。
そのため、絵画とは、限られた特殊な形態の、なにか出会い頭的な恋する感覚に近いです。

僕がここで思い出すのは、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」のなかで、語り手である「私」の乗ったバルベックへと向かう汽車が夜明けの駅に着き、「私」が汽車の窓から見た線路沿いの番小屋から出て来る「牛乳売りの娘」、あれこそがまさしく絵画そのものなのではないでしょうか、プルーストはあの場面で、これこそが美だとかなり強調してきましたよね、僕も本当にそう思います。

つまりは、絵画や美とは、景色な訳です、幻想な訳です。
幻想、大いに結構じゃないですか、それは物語な訳ですから、幻想を仕事にできるなんて、他の分野ではまずあり得ません。

絵画とは、非常になまなましいものなのではないでしょうか。
絵画とは、のどがかわいて水を欲するように、美への飢え、渇望のようなものなのではないでしょうか。
絵画とは、絵心などで制作するものではなく、言わば本能で突き進めるものなのではないでしょうか。
そのため、どこか非常に不格好なものに、必然的になるのではないでしょうか。
ゴッホを観ても、セザンヌを観ても、モディリアーニを観ても、スーチンやクレーを観ても、みんなどこか不格好ですよね。
ゴッホの絵画を観て、スマートだなと思う人はまずいません。
それは彼らが、つまりは本当の芸術家が、世間体などというものから遠く離れて、自らの本能にどこまでも忠実だからです。
画集ではあまりわかりませんが、実物を前にすると、彼らの苦悩であり、不安や焦燥がよく伝わってきます。
彼らも人間ですから、それは誰でもどうしても迷います。
これでいいのかなと思う訳です。
それが実物から伝わってくる*1ところが、おそらくは絵画の最大の醍醐味であり、神髄なのではないでしょうか。

2025年10月16日
和田 健

*1 この「実物から伝わってくる」を、より正確に表現しますと、「実物から匂ってくる」、「実物から漂ってくる」という感覚に近いです。

Today’s Drawing Photo on October 12, 2025

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , , on 16 October 2025 by kenwada

Multi-talented pencil, colored pencil, gouache and acrylic on canvas
28.7×21.7 in. (73.0×55.0 cm)

ダメ!
意図しているから。
意識しているから。
そんな力みとか要らない。
計算できないように(計算不可)、計算できないように (計算不可)、
見通しがたたないように、予測がつかないように、
ひたすら、たらたらたらたらと、
重ねていく。

2025年10月12日
和田 健

Untitled 2025 No.23

Posted in Works 2025 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 11 October 2025 by kenwada

無題 2025 No.23
2025年10月
北軽井沢 作品 No.596
画布にマルチタレント鉛筆、色鉛筆、グワッシュ、アクリル
73.0×55.0 cm

Untitled 2025 No.23
October 2025
Kitakaruizawa Works No.596
Multi-talented pencil, colored pencil, gouache and acrylic on canvas
28.7×21.7 in.

Sans Titre 2025 N°23
octobre 2025
Kitakaruizawa Œuvres N°596
Crayon aux multiples talents, crayon de couleur, gouache et acrylique sur toile
73.0×55.0 cm