
皆様、こんにちは。
ドストエフスキーの「未成年」を読み終えた後、まるで内なる声に導かれるようにして、突然、トルストイを読むようになりました。
僕には、年をとっても、人様に自慢できるようなことは、残念ながら何もないのですが、なぜか次に読む本だけは、年々、確実にはずさないようになりました。
もう今となっては、なにがそのきっかけであったのか忘れてしまいましたが、とにかく「次はトルストイの民話を読め」という声が聞こえたんですよね、これは真面目な話として。
今までトルストイといいますと、読み終えた順に、
「アンナ・カレーニナ」(新潮文庫、上中下巻)
「戦争と平和」(新潮文庫、全四巻)
「コザック / ハジ・ムラート」(中央公論新社)
「コサック」(光文社古典新訳文庫)
「幼年・少年・青年」(トルストイ全集1、河出書房新社)
「復活」(新潮文庫、上下巻)
「クロイツェル・ソナタ / 悪魔」(新潮文庫)
を読んできましたが、なんて言いますか、今思えばそれらは普通に集中して、楽しみながら読んでいたのですが、今回は、それとは趣がかなり違いました。
そして、とても恥ずかしいことなのですが、僕はトルストイの「民話」が、精神的な煉獄を経てからの、いわゆるトルストイの「転向、転機」以降、つまりは「アンナ・カレーニナ」以降の後半生に書かれたものであることを、まるで知りませんでした。
また、トルストイの「民話」を読み逃してきたもう一つの要因として、これらは、なにか子ども向けに書かれたものなのではないかという、僕の勝手な思い込みも関係していたと思います。
とにもかくにも、「アンナ・カレーニナ」や「戦争と平和」などの、あまねく知られた大作とは異なり、ここに書かれていることは、誰の人生においても、要するにすべての人間にとって、最も大切なことなのではないかと思い、まずはトルストイの後半生の簡単な制作年表を作り、僕の熱中が始まりました。
ようやくここに辿り着けたか、ずいぶんとこれまで長い道のりだったなと思いながら、今日現在に至っています。
まあ、何事も遅い僕の人生ですので、人生はそんなものなのかなという感じです。
さて、僕が準備した本のリストは、読み終えた順に、
①「人は何によって生きているか」(小沼文彦氏訳、女子パウロ会、表題作含み4作品収録)
②「人は何で生きるか」(北御門二郎氏訳、あすなろ書房、表題作のみ収録)
③「イワン・イリッチの死」(米川正夫氏訳、岩波文庫)
④「人は何で生きるか」(米川正夫氏訳、角川文庫、昭和43年発行、表題作含み8作品収録)
⑤「人生論」(原卓也氏訳、新潮文庫)
⑥「我が懺悔」(相馬御風氏訳、新潮文庫、昭和17年発行、上掲した写真のもの)
これ以外に、「人生論」(米川正夫氏訳、角川文庫、昭和48年発行) を準備しましたが、まだ読んでいません。
また、④は昭和60年発行のものをもう一冊買い、姉にプレゼントしました。
なにゆえ、僕が同じ本を何冊も用意するのかと言いますと、これはヘルマン・ヘッセの「世界文学をどう読むか」(新潮文庫) を読んでいて学びましたが、ヘッセがどの版を読むかということに、ものすごくこだわるのですよね。
それでそれ以降、同じ作品を何人かの訳者で、なるべく読み比べるようにしています。
この後、
⑦「要約福音書」
⑧「神の国は汝らのうちにあり」
⑨「ヒンドゥーへの手紙」
を読んで、マハトマ・ガンジーとの関係についても学んでいきます。
*⑥、⑦、⑧、⑨、なかなか入手困難です。
なにゆえに、これほどの大事な書籍が入手困難なのでしょうか?
電子書籍でしたら、⑦に素晴らしいのがあるのですが。
結局、僕の対応策としては、「宗教論上・下」(トルストイ全集14、15、河出書房新社) を、なんとかして入手して、⑦と⑧を読み、⑨は電子書籍で読むという形になりそうです。
2026年10月25日
和田 健