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「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その8 最終回その2  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 2 September 2025 by kenwada

(途中経過その7から続く)

さてさて、いよいよこの「転職」発見の長大な物語も最終第14巻に突入し、語り手である「私」の「時」をめぐる極めて興味深い考察が続きます。
これなどは、小学校の同窓会にでも出席すれば、すごく実感するのだろうなあ。
おお!来年3月で小学校を卒業してちょうど50年だ、すごいぞ〜、みんなの顔がわかるかな〜、第14巻で繰り返されるところの「二十年」の比ではない。

しかしそれにしましても、第13巻のシャルリュス氏の「○○死んだ!○○死んだ!」の六連呼 (13の422) とは意味合いが異なり、「時」をめぐる興味深い考察と言ってしまえばそれまでですけれども、これは同時に老いの問題も扱っているわけで、プルーストも最後の最後にいたってよりによって禁断のとまでは言いませんが、ずいぶんとシビアでデリケートな領域に踏み込んできたなというのが僕の率直な感想です。
やっぱり、これにはなにかこのプルーストという人間の大変繊細ではあるのだけれども、同時におそらくは育ちのよさからくるなにか溌剌とした無邪気さも同居しているのではないかという僕の感触にもつながります。

ここで、一度状況を確認しますと、最終編「見出された時」の目玉である「ゲルマント大公邸の午後のパーティー」は、1925年頃と推定されているわけですよね。

プルーストもここはせっかくですから「二十年」なんて言っていないで、もう少し期間をあけて「ゲルマント大公邸の午後のパーティー」を描いてもよかったのかもしれませんね。
ゲルマント大公妃って、要はあの「少数精鋭」の元のヴェルデュラン夫人ですよね、なんだかとてもお元気そうですし、あと数年後でも大丈夫そうです、まあ、オデットは3年と経たないうちに、ということは、1928年頃にはすでに「少々耄碌」(14の90) してしまうようですが、このシーンは元「粋筋の女」であっただけに、なんだか身につまされますね。
アルジャンクール氏も「これは実際、アルジャンクールが自分の身体を御すことのできた最終の極限状態であり」(14の29) とありますから、このあとのパーティーには、おそらくですがもう顔を見せますまい。

仮に二十五年の期間をあけて、「ゲルマント大公邸の午後のパーティー」を、1930年頃の設定にでもしましたら、ゲルマント公爵夫人なんて、お得意の「才気」ももはや完全にきらめきを失い、もう誰も誰だかわかりゃしない、でもよろしいでしょうか、もう誰も誰だかわかりゃしないというところに、本物の愛があるわけですよね、本当の愛が。
つまりは、僕の言いたいことは、愛する人の面影があるのでしたら、そんなのは誰でも多かれ少なかれ愛せるでしょということ、だって、その方の面影が、姿・形が、現にそこにはあるのですから。

プルーストがそこまで描くとよかったのかどうかは非常に難しい問題ですし、また「二十」年後の変化なんてどこか中途半端だとまでは思いませんが、「私」がアルジャンクール氏を「この度外れな老いぼれを前にして、私は大笑いした。」(14の30) のはよくない、実によくない、これは全14巻を通して一番よくない表現なのではないでしょうか。
氏の描写に「手足はぶるぶる震え、(中略) 顔の目鼻立ちも今やたるんで、魔の抜けた恍惚のていでたえず微笑んでいる。」(14の29) とありますが、人は誰でも老いて、腰も曲がり、足元がフラフラするのですから。

もちろんこれは、プルーストは老醜を曝けだして「この午後のパーティーの紛れもない呼びもの」(14の28) になってでも、なおも社交界にしがみつこうとするアルジャンクール氏の言わば奴隷根性を指摘しているのではないかとは思いますが、その彼を見て大笑いするというは、どういうものなのでしょうか?
せめてもの表現として、例えば、失笑を禁じえなかった、だとか。

さて、物語は第14巻の終わりへと近づき、ここで「ジルベルトのかたわらにいる十六歳ぐらいの少女を見て」(14の266) 語り手である「私」が呆気にとられたサン=ルー嬢の登場です!
「途中経過その7」にも書きましたが、要するに彼女はオデットとスワンの孫であり、ジルベルトとサン=ルーの娘なわけです。

しかしそれにしましても、プルーストの「そもそもこの娘は、(中略) 森のなかにおいて、まるで異なる地点からやって来たさまざまな道が集まる「放射状 (étoile)」の交差点のようなものではないか?」(14の260) は、うまいたとえだなあ〜。

ジルベルトが「少し考えたあと、(中略) 私にはとうてい想いも寄らない大胆な解決策をとり出して」(14の258) 自分の娘を「私」に紹介してくるところもなかなか突拍子もなくて、ぶっ飛んでいて洒落ています。
このサン=ルー嬢に対しては、プルーストはもう自分の人生の残り時間が少ないことを自覚してか、「ずっとのちに娘が夫として選んだのは、名もない一介の文士だった。娘にはスノビスムのかけらもなかったからだろう。」(14の259) と、結論を先回りして書いてきています。

ああ、オデット、スワン、ジルベルトと親子2代して積み上げてきた「スワン家のほう」の上昇志向も、これにて万事休す、一巻の終わりもまたおおいに結構!なのですが、この「名もない一介の文士」が非常に気になります、ここだけプルーストは力みましたね、肩に力が入ったのでしょうか、あっ、リズムが違うなと思いました。

もうすっかり慣れましたが、プルーストは書き方が両性的であるとでも言いますか、なにごともなかったかのようにあっさりと構成し、なんでもなかったかのようにさりげなく書いてきますので、読解に非常に集中力が要りますよね、なのでここは要注意です。
小説家が要は同業者ですよね、同業者のことを書くときには、通常、気を使うのではないでしょうか。
これはおそらくですが、「名もない一介の文士」は「本能」で自らの「才能の実体」を掘り当てた、いまだ世に認められていない無名の天才で、プルーストは3代目の孫の代にいたり、ようやく「スノビスムのかけら」もない真の人生をサン=ルー嬢がその夫とともに生きたことを暗に祝福しているのではないだろうか、その示唆であれば、唐突に結論を先回りして書いてきたことも頷けます。

まあ、通常ですと、これはサン=ルーとの結婚により、れっきとした「ゲルマントのほう」の一員となったジルベルトの凋落と解釈されるのでしょうけれども、それではなにかあざけりのようで面白くもなんともないですし、それであればここは「名もない一介のプチ・ブルジョワ」できたように思うのです。

結局、こうしてみてきますと、要するに高級娼婦オデットとユダヤ人スワンの「スワン家のほう」が「ゲルマントのほう」をいかにも凌駕したかにみえますけれども、僕からみますとどちらも負けです。
まさしく、「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」そのものですね。

(ただし、ここで非常に気になるのが、言わば未完の構想とでも言いますか、プルーストが書きかけのまま放置している二点の短い言及についてなんですよね。
その一点目とは、ジルベルトが、
「やがて、あとで見るように、ゲルマント公爵夫人になる」(12の566) ことで、これには驚きました。
そしてその二点目とは、サン=ルーが、
「その後もジルベルトにつぎつぎ子供をつくらせることになる」(12の591) ことです。
いずれの言及にも、プルーストの事後報告が、まったくありませんので、読者にはこのあとどのようになったのかが不明ですが、いずれにせよ、プルーストがこのような構想を視野に入れていたことは、漠然とではあっても伝わってきます。
つまりは、「私」が「十六歳ぐらい」(14の266) のサン=ルー嬢に初めて会ったときには、すでにサン=ルーは戦死していたわけであり、なおかつ、サン=ルー嬢は第一子ですから、その時点でサン=ルー嬢には、弟たちか妹たち、もしくはそのどちらもがいたことになります。)

そしてここでもまた、「私」はサン=ルー嬢を前にして、いよいよ作品にとりかかる決意をするみたいな世間に流布しているようなイメージとは違い、「私」はサン=ルー嬢とは一言も会話を交わしていないじゃないですか!
すべては、このあと、鬼気迫るようなほぼ独白に近い形で、迫りくる死の脅威と自分の作品、書物に対する思いを、「私」が一人で語っていくではないですか!
やっぱり、なにごとも自分で読まないとだめだな。

ここから始まって、それこそ最終ページの最後の1行にいたるまで、すごいですよね、この独白は圧巻です!
恐ろしいほど真剣なのだけれども、同時になにかあれだなあ〜、プルーストは初めて少し解放されて楽になったような感じもいたします。
僕がそのことを感じたのは、いわばスーパー秘書役としてフランソワーズを出してきますよね、ここでフランソワーズできたか〜、プルーストもずいぶん粋なことをするなあ、この「紙切れ (papelard)」のフランソワーズの会話は最高です、正確にはフランソワーズがそのように言ったのではなく、彼女なら間違いなくこう言うであろうというプルーストの確信なわけですが。

ここは僕でしたら、祖母の夢三部作ではないですけれども、夢シリーズの締めくくりとして、祖母を出してきます。
その方が、物語の余韻のようなものが、確実に深まるように思うからです。
すなわち、最初の夢が、
①「私」がバルベックのホテルの部屋で、父親の先導のもとに見た祖母の夢でした。(8の359から)
そして、次の夢が、
②「私」がバルベックの「砂浜のなかの起伏のかげ」(8の399) で見た、やはりこれにも父親が登場してくる祖母の夢でした。(8の400から)

ここで少し脱線いたしますが、しかしそれにしましても、この父親は全14巻を通して、存在感が希薄でしたね。
下手をすれば、アドルフ大叔父などよりも、もっと少なかったかもしれませんね。
小説家の方は、書き終わったあとに、あくまでも結果として出てきてしまう登場人物たちの存在感のアンバランスの問題に対して、どのように対処しているのでしょうか、個人的に非常に興味があります。
プルーストは、死を目前にしていましたから、もう時間がなくて細部を絵画で言えば消してきていませんよね、そのまま消しあとが残ってしまった部分が感じられます、逆にそこに未完の魅力がありますね、未完成の魅力が。

そして、プルーストのこんな言葉も出てきます。
「このような偉大な書物には、建築家の構想自体が壮大であるがゆえに、下書きしか用意する余裕がなく、おそらくけっして仕上がらない部分がいくつも残るだろう。なんと多くの大聖堂が未完成のままになっていることか!」(14の268)
また、これとは矛盾するようですが、このような言葉もあります。
「というのも私は、(中略) なにも大聖堂を築くようになどと大それたことは言わず、ただ単に一着のドレスをつくるように自分の書物をつくることになるからだ。」(14の270)

これを小説家が逐一、アンバランスを矯正しようとして、登場人物たちの頭の高さを調整してきたら、魅力が半減します。
そういう意味で、プルーストは、Cy Twombly にすごく似ているとは思いませんか?

「私」が見た祖母の夢の話に戻りますが、夢シリーズの締めくくりに、三回目の最後の夢として、
③あんなに孫を心配して愛していた祖母が、ここへきてようやく仕事を始められた「加筆した紙片をあちこちにピンで留めながら仕事をする」(14の270) 「私」を前にして、満足そうにうれしそうに微笑む祖母の夢、ただし、今回の夢に父親は出てこないのはどうでしょうか。
それを描いておいて、夢が覚めて、さっと現実に戻し「私」は独白を続ける、プルーストの力量でしたらわけもないでしょうに。

ですので、これはプルーストは、長年付き添ってくれた、親身になって身の回りの世話をしてくれた我が家の老女中に、最後にありがとうと花を持たしたのかな〜。
もしくはあの諧謔に満ちた台詞である、
「すっかり虫食いになりましたね、ほら、ひどいもんです、このページの端なんか、もうまるでレースみたいですよ。」
「このページは修理できそうにもありません、もうだめですね。残念です、もしかすると旦那さまのいちばん立派なお考えが書いてあるところでしょうに。」(いずれも14の273)
が先にありきで、どうしてもこの挿話をここへ入れたかったのであろうか?
この言葉は、どこからどうみても到底祖母には言えませんから、これはフランソワーズにしか言えない。

「見出された時」の出版は、単純に年数を引き算すると、プルーストの死後5年が経過してからですが、いずれにいたしましても、この独白がプルーストから私たちへのラストメッセージなわけですね。

そのなかでも、僕の心のなかに一番食い込んできた言葉は、
「そんなふうに感じられる今、私にとって人生はなんといっそう生きるに値するものと思われることだろう!そんな書物を書くことのできる人はなんと幸せなことだろう!と私は考えた。だがその人には、なんと辛い仕事が待っていることだろう!(中略) なぜならその書物の作家は、ひとりひとりの人物を描くにも、その人物の立体感を出すために、そもそも当人の相反する面を浮かびあがらせようとするから、自分の書物を、まるで攻撃の準備でもするように部隊をたえず再編成しながら綿密に準備しなければならず、まるで疲労に耐えるように耐え忍ばなければならず、まるで規則のように受け入れなければならず、まるで教会のように築かなければならず、まるで食餌療法のように従わなければならず、まるで障害のように乗り越えなければならず、まるで友情のように獲得しなければならず、まるで子供のように充分すぎる栄養を与えなければならず、まるで世界のように創造しなければならず、おまけに、おそらくべつの世界でしか説明されることのない神秘、その予感こそ人生と芸術においてわれわれを最も感動させるあの神秘をも、なおざりにしてはいけないからである。」(14の268)

➡︎う〜ん、プルーストは持ってきましたね〜、引っ張ってきましたね〜、まさしくこれだよこれ!っていう感じの表現ですね、この「まるで・・・・・ならず」の九連打は、限りなく美しい!

「なぜならその人たちは、私の考えでは、私の読者ではなく、自分自身の読者だからである。」(14の269)

➡︎これに似た言及は、すでに第13巻でもみられました。

「なぜならどんなに大きな心配も、どんなに大きな希望と同じく、われわれの力量を超えたものではなく、われわれはついにはそうした心配を克服することができるし、そうした希望を実現することもできるからである。」(14の274)

➡︎本当にそうですね、乗り越えられないものなどないのかもしれない、僕もこの年になって、ようやく少しそう思えるようになりました、それはプルーストの言う「時」の概念ですね。

「人間は、まるで歳月のなかに投げこまれた巨人のように、さまざまな時期に同時に触れているのだから、そして人間が生きてきたさまざまな時期はたがいに遠く離れており、そのあいだには多くの日々が配置されているのだから、人間の占める場所はかぎりなく伸び広がっているのだ──果てしない「時」のなかに。」(14の303)

➡︎ただし、大前提として自殺さえしなければの話ですが。
若者よ、どんなに辛く悲しいことがあっても、プルーストを読むことによっても感じとれるように、「長い歳月」が苦悩に満ちた「時」を、今のあなたの切羽詰まった、追い詰められた、崖っ縁の刹那的な気持ちを少しずつ変形し溶解してくれるので、絶対に自殺だけはしないでください!
そのための対策の一つとして、意外と見落とされがちなのですが、お年寄りと、それも中途半端な高齢者などではなく、かなりの年齢の老人と、話したり接したりすることは、非常に有効なのではないでしょうか。
「時」がもたらす「長い歳月」を、お年寄りの方たちは、すでにたくさん穏やかに身につけていますから。
これに対して、同じ職場の方たちや、同じ世代の方たちとばかりいつも話すことは、有効であるとはあまり言えないような感じがいたします。

「私は山道を登る画家のように生きてきた」(14の274)

➡︎う〜ん。

「さきに書斎で構想したように、さまざまな印象を深く掘りさげることにあり、その印象をまずは記憶によって再創造することにあった。ところがその記憶がもう衰えているのだ。(中略) 私の年齢からすればまだ数年は猶予があるだろうと思えるが、死期は数分後に迫るかもしれないのだ。」(14の275)
「自分のためにではなく、私の書物のために死を恐れるのである。その書物の開花のためには少なくともしばらくのあいだ、多くの危険に脅かされているこの生命がどうしても必要なのだ。」(14の281)
「ところが私は執筆に邁進することなく、怠惰な放蕩三昧にふけり、病気や憂慮や妄想のために生きてきたので、作家としての修練も積まぬまま、死の間際になって自分の著作にとりかかるありさまだ。」(14の288)

➡︎プルーストの死の脅威、ああ、もう少し早く勤勉に仕事を始めていたら、ただし、物事はすべてコインの裏表ですから、同時に「怠惰が安易に書き流すことを防いでくれた」(14の294) のですね、いわば怠惰が身を守ってくれた。

➡︎そして、この直後に続く「草上の昼食」(14の281) はすごい!
まるで、T. S. Eliot の「East Coker」のなかに出てくる輪になった踊りそのものではないですか、あえて先祖たちの盆踊りと言ってもいい、あなたが今憩うその下に、古代人たちの、先人たちの屍が眠っている。

「しかし私にその鉱脈を採掘する時間があるのだろうか?それができるのは私だけだ。それにはふたつの理由があり、私の死とともに、その鉱石を掘りだすことのできるただひとりの鉱夫が消えてしまうばかりか、その鉱脈自体もまた消えてしまうからである。」(14の278)

➡︎これもその通りですね、死んだらその人が生前になにを考えていたか、もう永久にわからない。
こうしてプルーストのように芸術作品に昇華しておかない限りは。
しかし、そんなことは普通は無理なので、せめてもの慰めとして日記でもつけておかない限り、死とともに消滅する、なんとなれば唯一の鉱夫がいなくなるから。

「かつて出かけていたご招待の晩餐会と呼ばれる野蛮人の饗宴」(14の284)
「ご招待の晩餐に出席したことのある几帳面な野蛮人ならひとり残らずそうするように」(14の286)

➡︎死期を前にしたプルーストにとって、かつてあんなにもせっせと交流した社交人士たちは、もはやすべて「野蛮人」と成り果てました。
この「野蛮人」なる表現なのですが、ここまで言う以上、プルーストは、長らく社交界にいたことを、死を目前にして、後悔しているととらえられてもいたしかたありますまい。

「やがて私は下書きの一部を人に見せることができた。ところがだれひとりなにも理解してくれなかった。」(14の287)

➡︎このあとに続く、「私」が使ったのは、「顕微鏡」ではなく「望遠鏡」なのだの比喩は面白い!

「私が現代のエリートたちから讃辞を得ることに無関心なのは、自分の死後にこの作品が賞讃されるのを見込んでいるからではない。私の死後にエリートたちがどう考えるかなどその人たちの自由であって、私にはどうでもいい。」(14の288、289)

「書くのにも長い時間を必要とする。昼間は、せいぜい眠ることにしよう。仕事をするのは、夜だけになるだろう。それでも多くの夜が、もしかすると百の夜が、もしかすると千の夜が、必要になるだろう。」(14の292)

「私が書くのは、もしかすると『千夜一夜物語』と同じほど長い本になるかもしれないけれど、まったくべつの本になるだろう。」(14の293)

「だが私はまだ間に合うのか?もう遅すぎることはないのか?(中略) 「私はそうできる状態にあるのだろうか?」と思案した。」(14の294)

「なぜなら「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」からである。(中略) 病いはその怠惰に陥ることを防いでくれるかもしれない。」(14の294)

➡︎ここにいたって、ついに「ヨハネによる福音書」の一節の登場、プルーストの信仰が顔をのぞかせます。
第13巻の「マタイによる福音書」を踏まえた表現 (13の430) とは違い直接的です。

「私はある種の人たちを外側から描くのではなく、その人たちのきわめて些細な行為さえが致命的動揺をひき起こしかねないわれわれの内面から描くべきであり」(14の297)

「感受性の気圧」(14の297)

「せめて私はその転写において、かならずや人間を、その身体の長さではなく歳月の長さを備えた存在として、つまり、場所を移動するときにはわが身のあとに膨大な歳月をひきずってゆかなければならず、ますます巨大になりついにはそれに打ち負かされてしまう、そんな重荷を備えた存在として描こうとするだろう。」(14の298)

➡︎このあとに続く、第1巻のコンブレーの庭の門扉の呼び鈴の響きを、ゲルマント大公邸において「私」がまたしても聞く描写は限りなく美しい、圧倒的です!
最後は「そして「あの弾むような、鉄分をふくんだ、尽きることのない、けたたましい、ひんやりする、小さな呼び鈴の響き」(14の299) に収斂させてきましたね、この「鉄分をふくんだ」がすごい!

「まわりの仮面の人たちの交わすおしゃべりの声を聞かぬよう努めなければならなかったからである。あの呼び鈴の音をもっとよく聞くためには、私は自分自身の内部へふたたびおりてゆかなければならなかった。ということは、あの音はつねに私の内部に存在していたのだ。」(14の300)

➡︎つまりは、知性をふりかざす「野蛮人」たちのおしゃべりや、「うわべの流儀」の変装に目を向けるなということ。
そんなことをしている暇があるのなら、自分自身の内部へと深くおりていく辛い仕事をしなさいというプルーストからのラストメッセージ。

結局、こうして「コンブレーのプチ・ブルジョワにすぎなかった」(14の214) 語り手である「私」の要するにこの長大な物語は「遍歴談」(14の338) ですよね、その全14巻を読み終えて僕が思うことは、子どもでもわかる簡単な言葉であり、拍子抜けするような意外な感想かもしれませんが、このプルーストという人間は、実に正直な人ですね。
この人の真面目さが、いかにも聖人君子然としているような人はこの際おいておいて、自分の身の回りの自分が一番信頼できる誠実な人よりも、仮に上回っていたとしたら、われわれはどうするのだろうか?

人間って本当に難しいですよね、プルーストの説く「うわべの流儀」で、いくらでも変装することができる、ごまかすことができる、人生は仮面舞踏会の総合劇場のようなものだ、それは少し違うか(笑)、いや、実は違わないのではないだろうか。

でも、プルーストのように、なにしろ14巻も書いてきましたら、人間の本性は伝わりますよね、もうごまかせませんよ、いわゆる地が出ますからね、いくらなんでも、それは。
これもプルーストの説くところの「才能の実体」なるものですが、女好きの「私」の方が、仮に正直で、真面目で、誠実であったとしたら、その場合はわれわれはどうするのだろうか?

祖母に芸術家としての芽が出るように、プレゼントの本や絵の選択にまで実に細かな配慮をされ、愛され、期待もされ、母に心配されながら育んだ「才能の実体」なるもの、本人がなかなか自信をもって踏みだすことができずに、回り道を繰り返したところのもの。
ジルベルトへの切ない初恋、ゲルマント公爵夫人への狂おしいまでの恋焦がれ、そしてアルベルチーヌとの人生をかけた大恋愛。

やっぱり、ある意味、究極のところ、プルーストは謙虚なのではないでしょうか?
よくアルベルチーヌにあそこまで苦しみ抜きましたね、普通ならとっくに途中で投げ出していることでしょうに。

それから、どうしてアルベルチーヌにあんなに酷い死に方を、プルーストはさせたのでしょうか?
2013年に「小林秀雄全集」(新潮社) を読んでいたときに、別巻のなかで、石原慎太郎さんが、省線の吊り革につかまりながら、小林秀雄さんに訊ねる場面がありましたが、
「どうして、ランボーは詩作をやめてしまったのでしょうね。」
ちらっと石原さんをみた小林さんが、
「そうだな、彼は勤勉だったからね。」
というような問答であったと記憶しています。
これを読んだときの衝撃はいまだに忘れられませんが、プルーストはその勤勉さゆえに、アゴスチネリという愛する友であり恋人のためにも、アルベルチーヌのあのような死に方しか、プルーストには他に選択のしようがなかったのではないでしょうか。
(ちなみに、同じく別巻のなかの小林さんの「門を出ると、おつかさんといふ螢が飛んでいた」は生涯忘れられません。)

つまりは、「失われた時を求めて」全14巻の結論は、特技は限られた人しかもたないかもしれませんが、「才能の実体」なるものは、実はまったくもって驚くべきことに、誰もがプルーストの言う「時」という「長い歳月」を過ごすなかで、その程度の差こそあれ、本来所有しているものなのではないか、それを自分の内部へと深く深くおりていき「本能」で掘りだせるか否かという辛い作業をできるかどうかということに、もしかしたら尽きるのかもしれません。

そのときに「無意志的記憶」が手助けをしてくれる、活躍してくれる、でもそれはあくまでも補助であり、介助であり、手助けであり、ヒントであり、きっかけであり、入り口であり、そこから自分自身の内部へと深くおりていかなければならない、う〜ん、なにかすごくユングに通じるな。

結局、人間というものは、幼少期から形成されたところの「才能の実体」なるものを求めて、あまりにも回り道をし、時には道に迷い、さまよい、ある時は後戻りもし、迂回もしつつ、なんとか自分なりのよりよい人生を求めて、「本能」で必死に探りだしては失敗し、また懲りずに「本能」で探りだす。
と書いていて、今思わずダンテの「神曲」の冒頭部分、「人生の半ばにて、暗い森のなかで道に迷う」を思い出しました。

あくまでもその結果として、ある人の場合には、若いころはちゃらちゃらしていたただの女好きだったのが、年齢を重ねるにつれて、まあ、少しはまともな人間になり、別のある人の場合には、若いころは素晴らしかったのに、なまじ知性があったがために、余計なテクニック的なことばかりが身につき、それは社交や弁舌であったり、派閥やグループであったり、上司や部下の操作や操縦であったり、出世や上昇志向やそれに伴う転勤であったりと、そうした小手先のことにかけては極めて巧みになり、それぞれの経済状態に合わせて大なり小なり隙のないスノッブとして完成し、人生の後半から晩年にかけて急速に輝きを失っていく、なんとならば、それではプルーストの言うところの真の人生を生きたことにはならないから。
まあ、最初からちゃらちゃらしていて、そのまま軸がぶれることもなく生涯ちゃらちゃらしている人もいますが、うん?本当か、実はそんな人は一人もいないのではないだろうか、ここのところ。

結局、プルーストからのこのラストメッセージである「見出された時」(1927年) をどのようにとらえるかなのですが、再来年でちょうど刊行100周年になりますよね、でも大変残念ながら、「うわべの流儀」はますますはびこり、勢威をふるい、もうほとんど世界中を埋めつくすような勢いとでも言いますか、現にすでに埋めつくしている感がありますが、ここから各々の「才能の実体」なるものの「本能」による採掘作業に向けて私たちは頑張っていきましょうよと、それは現在のところ、大変残念ながら極めて少数派かもしれませんけれども、極めて大切なことだから、今すごく権勢をふるっているのは、「うわべの流儀」をただ単に物真似したところのレスペクトであり、ただ単に物真似したところのジェスチャーであり、ただ単に物真似したところの所作であり、ただ単に物真似したところの旅行や外食であり、ただ単に物真似したところの家や車の所有であり、ただ単に物真似したところの独特な話し方の抑揚であり、ただ単に物真似したところの集団になってのスポーツの大応援であり、僕はすごく思うのですけれども世の中が軽くなりました。

しかしその一方では、イベントに器用に合わせて、世の中が大変盛り上がるようになりました。
これはおそらくですが、自らの「才能の実体」を「本能」で探り当てていないだけに、盛り上がっていないと、不安でいられないからではないでしょうか?
仲間やみんなと一緒に盛り上がっていれば、一時的には忘れられるという、また明日から普段の生活に戻ろうみたいな。
ここでもまた、プルーストのあの手厳しい言葉である「友人なるものは、われわれが人生の途中でとり憑かれるあの甘美な狂気においてのみ友人となっているにすぎず、(後略)」(13の449) が迫ってきます。

このラストメッセージは、こうした世の中の大勢に対してのプルーストからの最終警告であり、残り少ない命をかけた本心からの絶叫であり、コンブレーの門扉の鈴の音がプルーストにひんやりと心の奥底からはっと思い出させたものは、究極的にはそこへつながるのではないでしょうか、油断するなよと、それには小さな鈴の音一つで十分であろうと。

ここまで書いてきたことだけからでも明らかなように、やっぱりプルーストの言葉は、極めて今日性をもっていますよね、僕はそう思います、すでに死後103年も経過しているのにもかかわらず!

また、語り手である「私」の「才能の実体」に関する僕の最終的な結論といたしましては、「三本の鐘塔」(1の386、ただし鐘塔の話自体は1の384から始まります) で、まだ少年であった「私」の心のなかに、その最初の萌芽がすでに形成され始め、「三本の木」(4の177) で再びチャンスがめぐって来たものの「私」はその天啓の意味を理解することができず、ようやく最終巻のゲルマント大公邸の中庭にいたってから、啓示をつかむという流れです。

「この動きの背後に、この明るく光るものの背後に、鐘塔に含まれていながら隠されているものがある気がしたのである。」(1の384) とは、まさしく、思考や文体と同じように「うわべの流儀」である「鐘塔」の下に隠されている「才能の実体」にほかなりませんので、この「三本の鐘塔」は極めて重要な挿話です。
ところが、それを掘りだしてこなければならない肝心の「私」の「本能」の方が、まだ「ひどく面倒なこと」に思えて、「あとで考えたい気分だったのである。」(いずれも1の384)
しかし、ここで「私」は、なにしろ「才能の実体」がすでに「私」には芽生えていたわけですから、言語化できたと感じた途端、ドクター・ペルスピエに「鉛筆と紙を貸してくれるよう」(1の386) 頼みさえした上で、普通そこまでして書かないと思うのですが、僕などは家に帰ってからまた改めてゆっくりと書けばいいのにとも思いましたが、揺れる馬車の中で即興のスケッチに入りますよね、普段はそんなに猛然と書いたりしている様子は、「私」にはまったく感じられないのに、この小文の導入はいかにも唐突で不自然ですが、プルーストにはおそらくこれを証文として残しておきたい意図があり、なんとならば「私」が「本能」で初めて採掘したところの文章であり、書き終えた「私はじつに幸せな気分になり、例の鐘塔とその背後に隠されていたものから完全に自由になったように感じられた」(1の388) からです。
と、ここまでが、「才能の実体」の「本能」による採掘作業形成の第一段階。

で、まあ、それはよいのですが、問題はこの小文を父親の仲介で、よりによってあろうことか少年の「私」はノルポワ氏に見せてしまうのですよね、そして「氏はひとことも言わずにそれを私につき返した。」(3の73)、要するに才能は認められない、「私」の天才を見抜いてくれることもないどころか、このあとさらに手厳しく酷評さえされます (3の113)。
それはそうでしょうね、ノルポワ氏は、言わば「うわべの流儀」の達人であり、大家であり、大御所でもあるわけですから、要するに彼はそれで生きてきたのですから、元大使として。
ここのところで、プルーストは、二人の間をとりもった父親に対しても、芸術家としての資質がまったくなかったことを暗示しているように思います。
この父親は、「「ルヴュ・デ・ドゥー・モンド」誌 」(3の40) の方に、なんと言っても関心がおありだから。

そして次に、めぐってきたのが、祖母の女学校の学友であるヴィルパリジ侯爵夫人のまたもや今度も馬車のなかであり、この馬車、馬車できたプルーストの意図ですが、どうみてもこれはたまたまではありませんね、その意図とはおそらくは移動であり、「私」の視点のアングルの変化をスピード感をもってもたらすには馬車しかないというものなのではないでしょうか。
つまりは「私」の思考を対象から変化をもって遠ざけること、悠長に長々といつまでも「本能」を使わせないためです。
そして、ここで「三本の木」(4の177から) の極めて重要な挿話が入り、「私」は集中力と注意力の限りをつくして奮闘するものの、結論から言うと「才能の実体」をつかめず、木々から言われたように「私」が感じた一節である、
「きみは今日ぼくらから学ばなければ、このことは永久に知らずじまいになるんだよ。この道の下からきみのところまで背伸びして行ってやったのに、そのぼくらをこの下に捨ておくのなら、せっかく届けてやろうとしたきみ自身の一部は永久に無に帰してしまうよ。」(4の182)
が聞こえてきます。
残念ながら「私」は天啓をつかむことができず、それが「神に出会ったのにわからなかったような悲しい気分だった。」(4の182) につながります。
ここまでが、第二段階。

そして、三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプではないですけれども、これと見事に符合する第三段階が第13巻のゲルマント大公邸の中庭で「私」が敷石につまずいた時であり、今回は「私」のもうあとがないという背水の陣の固い決意ですね、
「きみにまだその力があるのなら、通りかかった私をつかまえてごらん、そして私がきみに差し出している幸福の謎を解こうとしてみたまえ。」(13の432)
で、今回は無意志的記憶をたぐりよせて啓示をつかまえる、「本能」による「才能の実体」の採掘はここに終わり、一人の天才が誕生する、まあ、そんな流れでしょうか。

ここで大変気になるのが、二つの会話で、「きみ」で「私」に呼びかけてくる同一の声ですね、問題はこの声の主は誰なのか?ということが、非常に興味のある課題となり、ここではおそらくは神の声であるということにして、一応スルーしてもよいのですけれども、これは「才能の実体」を掘り起こそうとする「私」の分身の声ですよね、天才よ、目覚めよと。
これが僕が昨年「途中経過その1」のなかで考察して書きました「失われた時を求めて」には、どこか『現実的には、もちろん作家本人であるプルーストが書いている訳ですが、なにかその背後にあるもの、具体的にはおそらくはプルーストの先祖のどなたかが書いているような、時を隔てた少なくとも二人以上の人物が複合的に重なり合って書いているような感じが、僕にはどうしてもするのですが。』につながります。

それから、この「三本の鐘塔」と「三本の木」の「三」と「三」に、プルーストは明らかに意味をおいてきていますね、プルーストが、それはただ偶然に一致しただけですなんてことは絶対にしてこない、なんなのだろう、この「三」の意味するものは。
そう言えば、以前にもバルベックで一シーズンに関係した女の子の数をいやらしく数え上げる時にも、「私」は「十三」をはずしたがっていたな (8の422)、それであれば直感的には、これはやはりキリスト教の教義に関することなのであろうか?
仮にそうであるとすれば、これは別に専門家ではなくても、キリスト教で「三」であれば、解明できそうですね。
なんだろう?死と復活の物語の「三」であろうか、まだ少年の時分から、そこになにか「本能」で「才能の実体」を、新しい命と希望をすでに感じとっていたという、年少ゆえにまだ自覚できないところの希望の象徴のようなものとして。

最後になりましたが、僕のような一般市民の独学の読者にとって、このような世界に類をみない美しい長大な物語を読了できたことに対して、誰よりもなによりも、まずはこの方に御礼をお伝えしないことには、一人の人間としてこのままでは終われないように感じます。
訳者の吉川一義氏、誠にありがとうございました。
氏の詳細極まる訳註や解説、またまるで美術解説書のような豊富な図版や資料をともなう御訳業、さらには毎巻本当に楽しみにしておりました計14回にわたる「訳者あとがき」、僕にはフランス語の細かいところまではわかりませんが、容易に想像されることとして、おそらくは前人未到のような御高訳に、心からの敬意と感謝を申し上げます。
本当に心からありがとうございました。

氏の書かれたことのなかで、唯一疑問を感じましたのは、「訳者あとがき(1)」のなかで、
「長いといっても、二日の休みがあれば一冊は読める。」(1の432)
「都合三十日ほどの読書で、居ながらにして人生のすべてを体験できるのである。」(1の433)
という一節でした。
もちろん、長大で難解だと思われがちなこの作品の垣根を少しでも低くして、読者の意欲を高めようと御配慮なされたことは十二分に伝わってきましたが、そこには各々の健康状態というものもありますし、氏がこうしたことを書かれたことで、逆に、おそらくは必ずや、僕/私は二週間で完読しましたみたいな手合いが出てきて、結果として速読を煽るようなことにならないか懸念するからであります。

最終回の今回も拙い文章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

(おしまい)

2025年9月2日初稿掲載
2025年9月5日最終加筆、修正
和田 健

付記:昨年から今年にかけて、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に関しましては、全部で9回連載いたしました。
掲載の順番は以下のようになっておりますので、ご参考までにご紹介させていただきます。
「途中経過その7」と「途中経過その8」にのみ、タイトルの冒頭に「「天職」発見の物語である」がついている理由は、「途中経過その7」の本文の最後に「お断り」として、説明させていただきました。

①マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み始めて ー途中経過その1 第1巻「スワン家のほうへ Ⅰ」から、第3巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅰ」までー (2024年11月20日掲載)

②マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その2 第4巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」から、第6巻「ゲルマントのほう Ⅱ」までー (2025年2月14日掲載)

③マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その2の番外編 第4巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」から、第6巻「ゲルマントのほう Ⅱ」までー (2025年2月16日掲載)

④マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その3 第7巻「ゲルマントのほう Ⅲ」ー (2025年3月10日掲載)

⑤マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その4 第7巻「ゲルマントのほう Ⅲ」ー (2025年3月21日掲載)

⑥マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その5  第8巻「ソドムとゴモラ Ⅰ」から、第9巻「ソドムとゴモラ Ⅱ」までー (2025年5月11日掲載)

⑦マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その6  第10巻「囚われの女 Ⅰ」から、第12巻「消え去ったアルベルチーヌ」までー (2025年7月18日掲載)

⑧「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その7 最終回その1  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー (2025年8月27日掲載)

⑨「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その8 最終回その2  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー (2025年9月2日掲載)

「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その7 最終回その1  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 27 August 2025 by kenwada

(途中経過その6から続く)

皆様、こんにちは。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(岩波文庫版全14巻、吉川一義氏訳) の第13巻を、2025年7月16日に読み始め、その第14巻までを、2025年8月16日に読み終わりました。
したがいまして、これをもちまして、第1巻を、2024年8月30日に読み始めてから、計352日、12ヶ月弱をかけて、ようやく「失われた時を求めて」の全巻を読了いたしました。
僕の場合は、眼病のため常に拡大鏡を使いながらの大変な遅読ですので、まあ、当初計画していた大体1ヶ月に1冊、14ヶ月で読了の予定よりは、少しだけ早かったというところでしょうか、パチパチ。
この一年間で「失われた時を求めて」を読まなかった日が、おそらく4、5日はあったように思いますが、そのような日もメモだけは、常に手元において読み返すようにしていました。
大体ですが、1日に20ページをノルマとしていて、最終巻へと向かうにつれて、特に第10巻あたりから、調子が出ればもう少し読んでいたようにも思いますが、まあ、僕の頭では、同じところを2、3回繰り返して読んだだけでは意味がとれず、4回、5回と読んだ箇所もありますので、と言いますか、ほとんどがそうでしたので、なんだか一気に再々読くらいはしたような感じがいたします (笑)、というのはあまりよくない冗談ですね。
一度、第12巻を読んでいる時に眼の具合が悪くなり、これはもうダメかなと思ったのですが、その後の眼球注射でまた少し状態がよくなりました。
その間、今回のような感想文を、「途中経過その2」だけ「番外編」があったために、これまでに計8回 (今回を含む) 掲載いたしましたので、その分、当然読了が遅くはなりましたが、メモをとったり書いたりしていかなければ、考察も深まらなかっただろうなとは思います。

さて、本題に入る前に、僕の読んだ第13巻が、2023年9月5日発行のすでに第6刷で、誤植が少し気になりましたので、一応念のためにご報告です。
訳注 (300) の (地図②参照) は、地図①参照の誤りではないでしょうか?(13の235)
図26の(Reims, 地図②参照) は、地図①参照の誤りではないでしょうか?(13の273)
もし僕が間違っていたら、これは出版社の方に大変な失礼ですね、ごめんなさい。

さて、本題です!
第13巻で、圧倒的なまでに僕の心に深く突き刺さってきたのは、もう終わりに近くなったところで、プルーストが語り手である「私」を通して展開する文学論ですね、これは衝撃的でした、いや〜、参りました、恐れ入りました、これには!
結局、全14巻を通して、プルーストのこの文学論が、僕にとっては他のどこの箇所よりも圧巻でした。
ここまで苦労しながら、毎日少しずつ読んできて本当によかったな、報われたなこれは、という感じです。

また最終第14巻では、「時」をめぐる興味深い考察が展開され、とくにサン=ルー嬢 (要するにオデットとスワンの孫ですよね、ジルベルトとサン=ルーの娘なわけです) が登場してからの、迫りくる死の脅威と自分の作品・書物に関する「私」のほぼ独白に近いような鬼気迫る記述に大変感銘を受けましたので、「途中経過その7」では主に第13巻について考えたことだけを書き、第14巻につきましては、「途中経過その8」として、次回にまた改めて書かせていただきます。

どちらも非常に印象に残った理由は、僕の仕事柄、それらが制作者側の視点に満ち溢れていたからです。
僕が思いますに、この作品は、少なくともですね、芸術関係の方たちや、これから芸術を志す方たちとっては、必読の書なのではないでしょうか?

さて、第13巻の文学論の中でも最も僕の心に深く食い込んできたのは、
「才能の実体は普遍的な財産、収穫であり、その存在はなによりも思考や文体といううわべの流儀の下に隠れているものによって確認しなければならない」(13の486)
「本能は義務を果たすよう強いるが、知性はその義務を回避するさまざまな口実を提供するからである。」(13の457)
「芸術家はいかなるときも自分の本能の声に耳を傾けるべき」(13の457)
という文章です。

ここへきて、プルースト自身の文章からこれだけの長大な作品の謎が初めて明かされ、本能で突き進んで書いてきたからなのですね、本人がそう宣言している以上、これには疑いの入れようがありません。
つまりは、類まれな構成作家でもありながら、同時に知性を排除し、非理性的で感覚的な本能に常に忠実であれと邁進してきた結果として、物語はさまざまな方向へとなんら制約を設けることもなく膨張し続け、その結果として、このような類をみない長大な作品になったと。

(ここで実際に、どのくらい制約がないかというと、これには正直なところ困惑しましたが、コンブレーって初版 (1913年) ではウール=エ=ロワール県にあったわけです、僕が住みなじんだ懐かしい思い出の県に。
でもそれが再版 (1919年) では、これは間違いなく第一次世界大戦の戦時下において、ジルベルトに当時まだ5才 (推定) のサン=ルー嬢を抱かせてドイツ軍の侵入を迎えうたせるためには、ジルベルトがもっと東部戦線にいければならないということだと思うのですが、なんとコンブレーは前線のシャンパーニュ地方へ移されているのです。
僕はもう、え〜?という感じで、さすがにこれはちょっとなあです、なにか他の解決策がなかったのでしょうか、たとえ初版の時点では、第一次世界大戦 (1914-1918年) が予期せぬできことであったにせよ。
まあ、僕の個人的なことはさておき、これは「スワン家のほう」も「ゲルマントのほう」も一緒にお引っ越しをしたということですよね。
さらに言えば、「ヴィヴォンヌ川」も一緒にお引っ越しをしている、どこの川が汽車に乗って移動しますか、そして、この川とその「水源」にはとても大切な意味が含まれていますよね。
つまりは、僕の言いたいことは、これは第12巻の旧稿の残滓である「洗濯屋の小娘」の「ニース」の件とは意味合いが異なり、長大な物語の起点そのものを動かしたということですよね。
しかもその起点であるイリエ=コンブレーは、プルーストにとって実父の出身地であり、幼少期にたびたび滞在した極めて思い出深い土地でもあるわけです。
僕は生まれて初めて物語の出発点が移動する作品に接しましたが、作家として新たな構想のためには、物語の根本的な土台である土地の場所さえも自由に変更することを自らに認めるプルーストの心の中にあるなにごとにも囚われない精神とは、一体どのようなものなのであろうか?)

要するに、プルーストの結論としては、思考や文体などというものは、あくまでうわべの流儀に過ぎず、才能の実体というものは、通常、うわべの流儀の下にひっそりと静かに存在しているもので、それを探り当てて、引き摺りだしてくるものが、本能であるということですよね。

この文体の部分なのですが、プルーストによるゴンクールの「文体模写 (pastiche)」が、第13巻に出てきますよね、僕は生まれて初めて「文体模写」というものを読みましたが、要するに物真似の類いという理解でよろしいのでしょうか。
プルーストはさまざまな作家の文体模写をしていますよね、それらを通じていかに文体などというものがうわべの流儀に過ぎないものか、その作家の思考と合わせて実感したのではないでしょうか。
物真似できるという時点で、やはりそれは一種の技芸であり、才能の実体なるものとは違う、才能の実体なるものは本人にしかない、物真似などの対象にはならないということですね。

つまりは、これを僕の仕事に当てはめて確認してみますと、思考や文体 (形や色) などというものは、あくまでもうわべの流儀にしか過ぎないということです、う〜ん、この認識はすごいな、そして同時に僕にとってこれはかなり手厳しい認識でもあります、わかったか (というのは自分に対してですが)。
思考や形や色などというものは、あくまでもうわべの流儀に過ぎないのだ、その下に才能の実体が潜んでいる!
うん、そうかもしれないな、などと簡単に書いていますが、これを実感するのに、僕はなん日もかかりました。

そして、その時に障害となるものは、実は知性だということですよね、さまざまな口実を設けてくるから。
つまりは、端的に言うと、知性は多弁であり饒舌であり、要するにおしゃべりだということですよね、知性は放っておいても自ずとしゃべり出すということです。

つまりは、僕がもう10年以上も前から標榜してきた「言葉によらない絵画」は、目指す方向として、それほど大きく踏み外してはいなかった、間違いではなかったというところでしょうか。
僕は普段からいつも一人で活動していますから、それを単独で探り当ててきたのは、僕の本能であり、それは僕の直感や嗅覚でもあったのでしょう、おそらく。
「私がそのことを確信したのは、写実主義を自称する芸術のうそ偽りによってである。この芸術が嘘八百になってしまうのは (後略)」(13の460、461)
「それゆえ「さまざまな事物を描写する」だけに甘んじ、その事物の輪郭や外観の貧弱な一覧を提供するだけの文学は、写実主義と呼ばれているにもかかわらず、現実から最も遠い文学であり、われわれを最も貧しく最も悲しくする文学である。」(13の468)
というプルーストの言葉もあります。

う〜ん、まさかこの年になって、プルーストから個人的に励まされているように感じられるとは、まったくもって思いもよりませんでした。

そして、この才能の実体の部分なのですが、これについて深く掘り下げて考えてみますと、人間は誰もが回り道をしながら、それでもなんとか少しでも自分の人生をよりよいものにしようと頑張っているわけですが、うわべの流儀の下に隠れているこの才能の実体なるものは、実は幼少期にほぼ形成されていて、具体的には小学校を終えるころまでにはすでに固まって存在しているのではないでしょうか?
本人やまわりがそのことに気づかないだけで。
仮にそうであるとしますと、これはプルーストの話と見事に符合し、「私」が子どものころにお母さんのキスがないと眠れないだとか、ジョルジュ・サンドの『フランソワ・ル・シャンピ』を読んでもらうだとか、そうした体験の中に才能の実体がすでに育まれていて、プルーストはそれを伝えようとしたのではないか?
僕が「途中経過その6」のなかで書いた、親族の優しさや懐かしさにくるまれたいがためだというのは少し認識が甘くて、そのことを物語の出発点にもってきたかったのではないのだろうか?

つまりは僕の言いたいことは、親がああしろ、こうしろと、例えばですが、英語を習いなさい、スポーツのこれこれをしなさい、ピアノを習いなさい、いわゆるお受験などもそうですね、こうしたものは親が一緒にやってくれたのであればまた別ですが、えてして才能にはならずにそれは特技となり、本人もまわりや先生から上手だね、勉強ができるねなんて言われるものですから、次第にその気になって才能があるのだと思うようになり、やがて成長した段階のどこかの時点で、実はそれは特技であって才能ではなかったことに気づき愕然となり、そこから今度は本能で自らの才能をプルーストの言うところの「時」のなかから引き摺りだしてこないとならない、その時になって初めて本人が自覚することは、実は才能の実体の形成は幼少期にあったのだということです、それは本人はもとより親でさえもがおそらくはまったく思いもよらなかったような才能の形として。

つまりは、親が「この子は才能があるんだ」なんてしばしば言ったりしますが、それは才能があるのではなくて特技が形成されたのであり、まだ幼少期にある子どもが自らの才能を見抜くことなどは、まず常識的に考えて不可能であり、まわりの大人でさえもが看破することはかなり難しく、人は「あの人、才能があっていいわねえ」などとよく口にしますが、人が羨みやすいものは目立ちやすい特技であり、才能を羨むことなど実はそれほど実際にはあまりないのではないでしょうか?
とどのつまり、思考や文体と同じく、特技もうわべの流儀に属するのではないでしょうか?
僕の考えたことが、少しでも構いませんので、皆様に伝わりましたでしょうか?

さて、「万事休すと思われた瞬間、ある前兆がおとずれ、われわれを救ってくれる。」(13の430)


この言葉は、素晴らしいですね!

つまりは、人生が底を打ち、もうこれ以上落ちるところがなくなった時になって初めて、神の唯一にして一度限り(人生に啓示は一回のみなのではないでしょうか、二回目はないのではないでしょうか) の啓示が訪れ、マタイによる福音書「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」の出番となります。
人間、落ちるところまで落ちないと、門をたたいても、なにも開かれませんし、別にこれといった啓示も授かりませんから。

(この啓示の問題につきましては、落ちぶれてもうまったく構えというものが必要なくなり、心のふたがとれて、無意識の最下層にある、まるで屍のようにそれまで打ち捨てられ忘れられていたものが、浮上してくるという捉え方を僕はしています。)

さあ、ここから反転攻勢ですっていう感じで、プルーストは一気呵成に集約してきます、ここはプルーストは完全にまとめに入ってきたな、結論にもってきたなという感じです。

そして、例によって実にあっさりと設置されたその踏み切り板とは、第13巻の430ページの6行目と判断しましたが、僕の理解でよろしいのでしょうか?
なにしろですね、ここまでの12巻分の蓄積があり、実に長い長い助走をしてきましたので、プルーストはここでもう準備万端の大ジャンプを見せます。

そして問題は、まさしくこの踏み切り板の直前の部分にあるわけですよね。
なにゆえ語り手である「私」は人生の底まで落ちたのか、その謎を解く鍵は、三度にわたる「療養所」に関する記述以外のなにものでもないように感じます。
繰り返しになりますが、問題は実にここのところにあるのではないでしょうか。
「療養所」に関する一度目の記述は、
「そもそもこのあいだ私は、書くことを完全にあきらめ、治療のためにパリから遠く離れた療養所ですごしたのだが、一九一六年のはじめには、もはや療養所に医療スタッフがいなくなった。」(13の102)
とあり、二度目の記述は、
「もっとも私はパリには長くとどまらず、早々に療養所へ舞い戻った。そこの医師は原則として患者たちを世間から隔離して治療していたが、(後略)」(13の167)
と続き、そして三度目の最後の記述が、
「私があらたにひきこもった療養所も、最初の療養所と同じく、私を快癒させるには至らなかった。そして多くの歳月が経過し、ようやく私はその療養所を出た。」(13の404)
となっています。

つまりは、「私」は「快癒」したいがために、二箇所の「療養所」に入所して「治療」を受けていたということですよね、残念ながらその願いはかなわなかったけれども。
そして、次は当然、「私」はいったいなんの病気だったのかという素朴な疑問がわいてきますが、プルーストはこの肝心な件について、一切触れてきませんよね。
そこで読者は憶測するしかないわけですが、まあ、ここは普通に考えまして、容易に想像されることですが、僕は当初は精神的な疾患なのではないかと考えていましたが、ただし、このあとに、
「私の病状を伝え聞いたある人が、いま流行中のインフルエンザにかからないか心配ではないかと訊ねてくれたとき」(14の43、44)
というのが出てきますので、う〜ん、呼吸器系なのかな、プルーストは生涯喘息の発作に大変苦しめられたようですから。
また、「パリから遠く離れた療養所」で、プルーストはそんなことわかるだろう、ちゃんと示唆しておいただろうと、伝えてきている感じがいたします。
これの意味するところは、おそらくは転地療養であり、空気がよいということですよね、そうしますとこれは極言すれば結核なのかもしれない。
この病名につきましては、専門家にお訊きましたら、即答してくれることと思いますが、答えを聞いてああそうですかで、それではまったく面白くもなんともない、自分で考えないと。

いずれにいたしましても、ジルベルトに恋をし、次はゲルマント公爵夫人に恋焦がれ、さらにはアルベルチーヌとの恋愛で疲れはてたあげくにアルベルチーヌは不慮の事故で死んでしまい、「私」は精神または肺や気管支を病み、療養所暮らしを送ったものの全快せず、パリへ帰る
「汽車が野原のただなかに停まったとき」(13の405)、
「線路沿いに一列につづく木々の幹のなかばあたりまで夕日が照らしだしていた」(13の405)、
ここから「木々よ」で続く「私」の独白は美しい、圧倒的なまでに美しい!

そして、告白はこう続きます。
「もし私に正真正銘の芸術家魂が存在するのなら、夕日に映えるこの木々の幕を前にして、また車両の昇降台に届くほど背伸びしている土手の可憐な花々を前にして、どうして歓びを覚えないはずがあろう?」(13の406)
「失われた時を求めて」全巻は、ここへきて、もうこの文章に極まれりという感じですね!
ちなみに、土手に咲く可憐な花々が、おそらくは名もないような野草であることに注意です。
ここでプルーストは、野草を「芸術家魂」と、枯渇した「私」の生命力に対して「背伸びしている」で溢れるばかりの雑草の生命力とを結びつけてきています、決して市販の園芸品種などを出してはこない!
さらには、この「背伸びしている土手の可憐な花々」と、以前出てきました「三本の木」(4の177) の「この道の下からきみのところまで背伸びして行ってやったのに」(4の182) が結びついていますね、ここのところ。

そして、ここからがプルーストの究極の意図なのですが、プルーストは意図的に、「療養所」内の生活については、一切記述してきません。
これはどうみてもプルーストは、明らかに書かないと決めてきている感じがいたします。
他のことについては、これだけ逐一長々と書いてきているのに、療養所内の日常や出来事については一切触れてこない、ですから、そもそも読者はなんの病気なのかさえもわからない。
これはやっぱり普通に考えて、語り手である「私」のこれまでの言動からすると、「療養所」内でも「多くの歳月」の間に、恋愛を繰り返したように感じるのです、例えば新たな入所者の女性だとかに対して。
これはなぜなのか、なにゆえプルーストの「本能」が、「療養所」内の記述をとめたのか?
なにゆえプルーストは、「私」の凋落や枯渇を書かずに、再生を書いたのか?
それは、エネルギーなのではないでしょうか、もう残り少ない人生だというエネルギーがそうさせたのではないでしょうか、おそらくですが。
これだけなにもかも詳細な「失われた時を求めて」なのですから、「消え去ったアルベルチーヌ」と「見出された時」の間に、「療養所」篇があってもなにもおかしくはありません。

プルースト自身が大変な病弱ではあったけれども、これだけの長期にわたり療養所に入所していたという事実が確認されていないのであれば、確認されていないですよね?
第1巻の巻末の「プルースト略年譜」を読むと、母を亡くし悲嘆に暮れたプルーストが、1905年12月3日から1906年1月末までパリ郊外のサナトリウムに入院していることがわかりますが、それにしても2ヶ月弱です。
いずれにしても、プルーストは、語り手である「私」の人生は、ここで一旦絶望的となり底を打ち、その後に反転すると構想してきたことは、どうみても明白であるように思いますが、それにしても、「私」が1916年に第二の療養所に入ってから、ラストのゲルマント大公邸における午後のパーティーが、1925年頃と推定されているのであれば、この間の9年間は病気の療養としては長いなあ〜、実に長い!
さらにはこれに加えて、第一の療養所時代も当然含まれるわけですから、相当に長い治療期間になります。

これは一笑にふされる荒唐無稽な意見なのですが、え〜と、荒唐無稽な意見を書いていかないと脳が伸びないんです、本能を引き摺りだせないんです。
これはあれじゃないのかなあ〜、プルーストは後世の作家に、ここの「療養所」のところを書いて欲しい、もう時間がないから端折ってバトンタッチするけれども、なにゆえ野原のただなかの木々を美しく思えなくなったのか、あの場面はこれ以上ないくらい美しい、上述しました「三本の木」もこれに付随しますよね、そこで、大変唐突なのですが、トーマス・マンの「魔の山」(1924年出版) が、どうしても僕にはここで思い出されるのです。
ただし、「見出された時」の刊行は、プルーストの死後の1927年ですから、時系列的には不可能であり矛盾するのですが、それは確かにそうなのですけれども、なにか「失われた時を求めて」と「魔の山」の類似性、類縁性が、僕には非常に気になるのです。

1871年生まれのプルーストと1875年生まれのマンという、フランスとドイツの同時代人の偉大な作家が、相前後して「療養所」をキーワードにしている。
サン=ルーの第一次世界大戦のあっけない「部下の退却を掩護」(13の387) した戦死にしても、「魔の山」のラストシーンでカストルプが同じく第一次世界大戦の戦場であっけなく死ぬことが暗示されますよね、それが僕にはなにかとても自然に思い起こされるのです。

マンは「失われた時を求めて」の少なくともプルーストの生前刊行部分は当然読んだことであろうから (これは「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店) にあたれば調べられます)、プルーストの記述から、なにかひらめいたのではないだろうか、芸術は先人からの継承ですから。
マンは、旧約聖書のあの部分に親しんで、ここをふくらませれば一つの大きな物語になると考えて「ヨゼフとその兄弟たち」を構想してきていますよね。
まあ、一笑にふしてくださいとか書いていないで、疑問があるのなら自分で調べてみたらということで、早速少し調べてみましたら、やはりマンは、当時ドイツではまったく無名だったプルーストを友人のアネッテ・コルプという小説家に1920年に教えられて初めて注目し、その後は1935年1月の旅行にも二冊持っていくなどかなり読んでいますね。
このあたりの経緯は、「トーマス・マン日記 1935-1936」の巻に詳しいです。
反対に、これだけ詳細な「失われた時を求めて」全14巻の記述のなかにマンの名前が一度も出てきませんので、おそらくですがプルーストはマンを読んではいない。
このプルースト⇄マンの両者の関係性は、非常に興味のある研究テーマになりそうですので、おそらくもうずいぶん研究が進んでいるのかもしれません。
例えばですが、「1935年7月28日 日曜日。」の日記には、「きのう『ゲルマント公爵夫人』を読み始めた。」とあり、「1935年11月28日 木曜日」の日記には、「きのうまた寝るのが一時半になり、なお『ゲルマント公爵夫人』を終わりまで読んだ。」とありますので (うん?あのマンでさえ、『ゲルマント公爵夫人』を読み終わるのにちょうど4ヶ月か、まあ、もちろん忙しさの桁が違うのでしょうけれども、それにしてもあえて速読はしてこないな)、ああ!マンがゲルマント公爵夫人の「才気」をどう思ったかについて、書簡かなにかで、たとえ1行でも2行でもいいから書いていてくれたら、どれほど助かることだろうか、なんと言っても、そこはマンですから!
そして、とても興味深いことに、マンはこの頃「エジプトのヨゼフ」の章を書いていたのですね。
さらに興味深いことには、マンは「1936年1月13日 月曜日」に「ついで『スワン』を読んだ。」とありますが、順番が逆だな。
(お断り:「トーマス・マン日記」の原文では、日付はすべて漢数字が使われています。例えば、三五年七月二十八日のように。)

ところで「本能」の話に戻りますが、絵画は文学以上に実は本能を使うのではないでしょうか?
言い方を変えれば、より原始的、原初的であるとでもいうような。
このことは我が家に来る親戚や友人の幼児を見ていればよくわかります、小さな子どもは字を書くよりも、まず先に絵を描きますから。
つまりは、小説家の方が画家よりも、思考や文体などのうわべの流儀を駆使しやすい、うわべの流儀におちいりやすい面が、少なからずあるのではないでしょうか?
うん?そんなことはないか、画家も用心して脇をしめていないと、かなりおちいりやすいな。

それから、世間で流布されているようなゲルマント大公邸で語り手である「私」が、参列者を眺めながら文学に目覚め云々な感じではないじゃないですか、全然イメージが違うじゃないですか。

まだサロンに入る前に、ゲルマント大公邸の書斎にいる段階で、すでに「かくして私はすでに結論に到達していた。」(13の460) ではないですか!
それはなぜかと言えば、語り手である「私」自身がすでに何度も触れているように、「私」は一人でないとものを考えられないし、一人でないとものをみれないからです。
サロンでは、「私」の「時」をめぐる考察により、その肉付けがなされ強化される感じなのではないでしょうか。

最後になりましたが、プルーストが語り手である「私」を通して繰り広げる第13巻の文学論のなかで、特に印象的だった他の言葉を、いくつかご紹介させていただいて終わりにいたします。

「それというのも真の楽園は、失われた楽園だからである。」(13の439)

「なんらかの類推の奇跡」(13の441)

「この人間にとって「死」という語はもはや意味を持たないことが理解できる。時間の埒外にある人間であれば、未来のなにを怖れることがあろう?」(13の444)

「ところが私に美しく見えたのは、つねに敗れた場所のほうであった。」(13の447)

「ただひとつ実り豊かな正真正銘の喜び」(13の448)

「ほかの喜びが私たちを満足させることはできないという点である。たとえば社交の喜びが与えてくれるのは、せいぜい卑しいものを食べて消化不良をおこしたときのような不快感にすぎないし、また友情なるものも見せかけにすぎない。(中略) 友人と一時間のおしゃべりをするために一時間の仕事を犠牲にする芸術家は、実在しないもののためにひとつの実在を犠牲にしていることを知るからである」(13の449)

「こうした表徴の背後には、(中略) 判読できない象形文字のように、その表徴の表現するなんらかの想念が隠れているのかもしれないと感じながら、(中略) その解読はたしかに困難なものであったが、しかしその解読だけがなんらかの真実を読みとらせてくれるものだった。」(13の454、455)

「ところで、これを成し遂げる唯一の方法と思われるのは、芸術作品をつくること以外のなにであろう?」(13の455)

「その表徴を解読するのに、いかなる形であれ私を手伝ってくれる者はひとりもなく、その解読は、だれに代わってもらうこともできずだれかに協力してもらうことさえできない、創造行為なのである。それゆえいかに多くの人がそのような書物を書くことから離れてしまうことだろう!人が多くの責務を引き受けるのは、この責務を避けるためではないか!」(13の457)

「同時に、現実がわれわれに書きとらせた唯一の書物」(13の458)

「われわれが記した文字ではなく、象徴的な文字からなる書物こそ、われわれのただひとつの書物である。(13の458)

「作家にとって印象は、科学者にとっての実験に相当するが、ただし科学者にあっては知性の仕事が先に立つのにたいして、作家にあってはそれが後まわしになるという違いがある。(中略) われわれの内部にあって他人の知らない暗闇からわれわれ自身がとり出すものだけが、われわれのものなのだ。」(13の458、459)

「大衆芸術という考えも、愛国主義の芸術という考えと同じく、たとえ危険ではなかったとしても、私には滑稽千万なものに思われた。(中略) 私は社交人士ともよくつき合っているので、ほんとうに教養がないのは社交人士であって、電気工ではないことを承知している。」(13の474)

「作家の義務と責務は、翻訳者のそれなのである。」(13の480)

「かくしてどれほど多くの人が、芸術の独身者として、自分の印象からなにひとつとり出せないまま、役にも立たず、満足することもなく、年老いていくことだろう!(中略) この人たちは、芸術作品のことになると、本当の芸術家よりも昂奮する。なぜならその昂奮は、この人たちにとって、深く掘り下げる辛い仕事の対象ではなく、外に拡散してその会話を熱くさせ、その顔を紅潮させる昂奮だからである。」(13の482)

「実際この愛好家たちは、芸術において真に栄養となるものを消化吸収しないから、いわば過食症に悩まされてつねに芸術的歓喜を必要とし、けっして満足することがない。」(13の484)

「真の人生、ついに発見され解明された人生、それゆえ本当に生きたといえる唯一の人生、それが文学である。」(13の490)

「作家にとって文体とは、画家にとっての色彩と同じで、テクニックの問題ではなく、ヴィジョンの問題だからである。」(13の490、491)

「深淵への回帰」(13の492)

「真の書物は、真昼の光とおしゃべりから生まれるのではなく、暗闇と沈黙から生まれるものでなくてはならない。」(13の495)

「祖母が断末魔の苦しみにあえいで死んでゆくのを、私はそばでなんと平然と眺めていたことだろう!ああ、そんな私など、作品が完成した暁には、その償いとして手の施しようもなく傷つき、長きにわたって苦しみ、みなから見捨てられて死んでゆけばいいのだ!」(13の504)

「私はいっときたりともアルベルチーヌの愛を信じたことはないのに、そのアルベルチーヌのために何度も自殺しようと思い、財産を使い果たし、健康を損ねた。」(13の519)

「実際には、ひとりひとりの読者は、本を読んでいるときには自分自身の読者なのである。」(13の521)

おしまいにひとりごとです。
・男娼館におけるシャルリュス男爵の有名な鞭打ちの場面 (13の319から) ですが、これは専門家にはどのように解釈されているのでしょうか?
僕は、これはプルースト一流のアイロニーであり、作家として俯瞰的な見地から読者を選別している、言わば踏み絵の類いなのではないかと直感いたしましたが。

・プルーストが、ジュピアンの姪のことをジュピアンの娘だと、しばしば混同するのが非常に気になりました。
作家として登場人物が姪なのか娘なのかは、通常間違えないと思いますので、これはなにかの病気の初期的な兆候なのでしょうか?
それとも、ただ単に時間に追われていただけの混乱なのでしょうか?
僕にはわかりません。

・僕の仕事柄、画家エルスチールが誰なのかは、やはりかなり気になりました。
一応、何人かの画家をモデルとした上での総体なのかなというのが僕の感触ですが、一度英文の資料を読んでいて、モデルは「モネ」と出てきた時には、えっ?と、かなりびっくりしました。

・同様に、大作家ベルゴットは誰なのかも気になりましたが、「作家の語っているのはだれのことかを突きとめようとする研究が空しい理由のひとつはここにある。」(13の515) のところで、考え直させられました。

・「療養所」の記述を読んだ時、フランス時代にフランス人の大切な友人が精神を病み、妻とパリ郊外の療養所を見舞いに訪れた時のことを突然思い出しました。

拙い文章を最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。

(途中経過その8に続く)

2025年8月27日初稿掲載
2025年9月1日最終加筆、修正
和田 健

お断り:今回の「途中経過その7」からタイトルの冒頭に、「「天職」発見の物語である」をつけ加えさせていただきました。
これは、プルーストの本文中では二回にわたり、
「その結果、この書物がものがたる目に見えない天職が明らかになるまでの長い歳月」(7の127)
「この日までの私の全生涯は、「天職」という表題にまとめることができるかもしれない」(13の498)
と出てきますが、さらには、吉川氏の「訳者あとがき(14)」の中でも、二度にわたり、
「天職発見の物語」(14の310)
「「天職」発見の物語」(14の338)
として出てくる言葉があまりにも素晴らしく、お借りさせていただきました。

マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その6  第10巻「囚われの女 Ⅰ」から、第12巻「消え去ったアルベルチーヌ」までー

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 18 July 2025 by kenwada

(途中経過その5から続く)

(ああ、ヴェネツィア、サン・マルコ大聖堂!
「私がいちばんよく出かけた先はサン・マルコ大聖堂」(12の506) ともありますように、「忘却」の第三段階で非常に重要な役割を果たします。
大聖堂の向かって右手前にあるサン・マルコ洗礼堂内における母の描写 (特に12の510) は、第10巻から第12巻までの白眉ではないでしょうか。
この写真は、2016年11月27日にボローニャの展覧会のあとに、ヴェネツィアまで足をのばした時に撮ったものですが、作品を読んだ今だからこそ、できることなら、ぜひもう一度だけ訪れてみたいです。)

皆様、こんにちは。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(岩波文庫版全14巻、吉川一義氏訳) の第10巻を、2025年5月6日に読み始め、その第12巻までを、2025年7月15日に読み終わりました。

う〜ん、アルベルチーヌ・シモネ嬢の問題は非常に難しいですね。



結局、アルベルチーヌへの嫉妬や疑惑、苦痛を一日三食の完全なる主食として、人間であれば普通誰でも食する昼食や夕食はほんのつまみ程度の副食として生きているような語り手である「私」の心の中の震えや戦きを、読者は絶えず見つめ続けながらと言いますか、見つめ続けることを強いられながら、これはやっぱり一種の推理小説ではないですけれども、アルベルチーヌは白なのか黒なのか、黒白をつけて欲しい、すなわちゴモラの女であり極め付きの同性愛者であるのか、あるいは疑惑は晴れて潔白や貞節が証明されるのか、まあ、僕の個人的な性格もそれには多少加わっているのでしょうけれども、読者はどうしてもそのように読んでしまうのではないでしょうか、どちらなんだ、はっきりさせて欲しいと。

僕などは少数派かもしれませんが、まあ、読書という極めて個人的な行為ですので、感想は各々自由であり、なんら強制されるようなものではないと思いますが、具体的にはエメの「シャワー係の女」の手紙 (12の220) が出てくるまでは、アルベルチーヌは白だと思っていました。

すなわち、疑惑は晴れ、語り手である「私」はアルベルチーヌを疑った自身の内面をまた事細かに見つめ続けては、あぶり出していくという手法をプルーストはとってくるのではないかと予測していました。


その後、さらにエメの「洗濯屋の小娘」の手紙 (12の239) にいたって、特に「ああ!あなた、すごくいいわ」(12の241) で、ああ、これはもう完全にアルベルチーヌは黒なんだなと、ええ?アルベルチーヌはゴモラなのかと、う〜ん・・・という形で、でも僕はもうぐうの音も出ないという感じで、これはどうみても明らかに完全決着だなと考えていたのですが、いつも楽しみに読ませていただいている巻末の吉川氏の「訳者あとがき(12)」を読んでさらにまた深く考えさせられ、これはあれですね、プルーストは他人の内面は決着できないものなのだと、最終的にはわからないものなのだという形で構成してきた可能性はありますよね、とても悲しい話ですけれども。

すなわち、アルベルチーヌは灰色だと。

わかっているような気になっているのは、あくまで本人の「想いこみ」であり、実は他人を逆にあまり気にしていない場合であると。




まあ、考えてみれば、親や兄弟であっても、さらには夫婦であっても、究極のところはわからないかもしれないですよね、繰り返しになりますが、非常に悲しい話ですけれども。


ましてや、恋人同士ともなれば、わからないでしょうね、わからないからこそ、人間は好きだ好きだと言うのでしょうね、おそらくは得体の知れないものを所有したいがために。
そして、得体の知れないものに一旦馴染み出すと、逆に今度は心がそこから離れて行くということを、語り手である「私」は、何度も繰り返しているように思います。
「私」の場合は、特に女性の肌への嗜好や関心が高く、そこが常に分岐点となっている感じがいたします。
結局、ざっくり言ってしまうと、「私」にとって、その肌に馴染み出しても飽きがこなかったのは、祖母や母であり、そこに通常「失われた時を求めて」は無意志的記憶の文学であると定義されているようですが、まあ、それはもちろんそうなのでしょうけれども、僕にはなにかその根底に流れているのは、同時に変形したある種のマザーコンプレックスの物語でもあるように思います。
こんなに「私」は美少年から美青年へと成長したのにもかかわらず、そこには飽きやすく馴染めなくなったものへのどこか軽薄な劣等感が、なにかしら絶えずあるように思います。

とどのつまり、僕の言いたいことは、この長大な作品は肉親の物語であり、それには男の子らしい多少の反発心も手伝って、肉親のみの内輪の世界に留まることを潔しとせず、そこから外へと飛び出した「私」に次々に起こる他人との格闘の物語であり、最初第1巻で、なんでこんなに、まあ、祖父母までなら一応ともかくとして、大叔母や大叔父までが登場してくるのかなと思ったのですが、これはプルーストが言わば親族を総動員してまで脇を固め、肉親で「私」のまわりを厳重に包囲して土台をしっかりと固めた上で、おそらくはプルーストはなかば無意識的に、本心から自然にそのように配置した上で、ぜひとも物語を始めたかったのではないでしょうか?
物語の出発点として、安心感や懐かしさ、優しさなどにくるまれたいがために。
ですので、物語の起点を必然的に親族の多いコンブレーに設定してきたわけです。
それを「プチット・マドレーヌ」(1の111) の現象から、通常、世間では無意志的記憶と呼んでいるのでしょうけれども、その現象自体にしても大叔母の娘であるレオニ叔母に関する挿話ですので、要は肉親です。

でもすごく感じたのですけれども、アルベルチーヌは「私」のことをすごく頼っていた、貧しい孤児に生まれてこの境遇から救い出してくれるのは語り手である「私」しかいないと、なにか彼女の縋り付くような懸命さが、特に愛撫の様子などから伝わってくるのです。

それから、語り手である「私」の背後にいるプルーストが、もうことあるごとに同性愛を「悪徳」「悪癖」「悪事」だと、犯罪行為呼ばわりしながら繰り返してくるのは、なぜなのかということも非常に気になりました。

これは、やっぱりその根底にあるのはキリスト教的な観念なのでしょうか、すなわち聖書であると。

もしも仮にですね、そうであるとすれば、プルーストはカトリックへの信仰と、自らの同性愛への嗜好との間で、おそらくは筆舌に尽し難いくらい生涯にわたり苦しみ抜いたのではないでしょうか。

そして、この流れの究極のところは、やっぱりアルベルチーヌのあまりにも酷たらしい死に方ですよね。
落馬して樹木に激突して死ぬという、なにゆえプルーストはこのような残酷な設定にしたのか?

ボンタン夫人からの電報をご紹介いたしますと、即死であることがわかりますが、
「お気の毒ですが、わたしたちのかわいいアルベルチーヌはもうこの世にはおりません。(中略) アルベルチーヌは散歩の途中、乗っていた馬から投げだされ、木に激突しました。あらゆる手を尽くしましたが、あの子を蘇生させるには至りませんでした。(後略)」(12の138)
たとえ様々な悪癖があるとしても、かわいらしいアルベルチーヌのもう少し穏やかな死に方の選択が、プルーストにはなかったのであろうか?
専門家はアゴスチネリの飛行機の墜落事故死との関連を盛んに指摘しているけれども、なにゆえプルーストは飛行機を馬にかえてまで、作品の中に持ち込んだのであろうか?
つまりは、僕の言いたいことは、アゴスチネリをモデルの一人として、アルベルチーヌという一人の女性像を創造し、それを作品の中に組み込むことは、もちろん作家の優れた能力であり才能であるけれども、なにゆえその死に方まで同じように設定する必要があったのかということです。

そこに彼女の現世の行為に対する懲罰という意味合いが、仮に少しでも含まれているのであるとすれば、それはひいては同性愛者である作家自身に対しても、いずれは起こることであるというプルーストの戒め、自戒があるのか?

「忘却」の三段階は非常に面白かったです。

特に第三段階の「ヴェネツィア」!

これも「訳者あとがき(12)」の中で吉川氏から学びましたが、「私」の心が最終的に母親へと回帰したと解釈するのであれば、それはものの見事に、第1巻のお母さんのキスがないと眠れないコンブレーの子ども時代に結びつきますね。

ここへ来てようやくぐるりと一周か。



(Ken WADA、エスキース「パルヴィル!」)

もう一つ僕の中で結びついたのは、小鉄道の「パルヴィル!」(9の584) のところ、「遠ざかるアルベルチーヌが私に堪えがたい苦痛をひきおこしたので、私は追いすがり、必死に腕をとってひき戻した。」(9の585) ところ、すなわち転落の始まりと、ヴェネツィアでもうあと一歩のところで、なんて言いますかもう半ば無意識的な本能で「根強い習慣の想いも寄らぬ防御力のおかげで、つまり習慣が乱戦のいわば土壇場でいきなり奮起して投入する隠された予備軍のおかげで (中略) 私は一目散に駆けだし、駅に着いた。」(12の537) ところ、間一髪セーフ!、すなわち救出。
これもここへ来てようやく一周。

でも、あとでジルベルトのものだとわかる電文、
「友へ、きっとわたしが死んだとお思いでしょう、お赦しください、わたしはいたって元気です、(中略) 親愛の情をこめて。アルベルチーヌ。」(12の498) 

は、プルーストはちょっと念の入れ過ぎではないでしょうか?
アルベルチーヌが死んで「忘却」が始まり、その最終段階へ至って、突然今度は実は生きていることがわかり、それでも、もう簡単に言うと「私」の動揺がないというところまで、そこまで念を押す必要があるのでしょうか、率直に言わせていただいて。

僕なんかは、この電報を初めて読んだ時、なんだってぇ〜!という感じで、実際に一回バタンと本を閉じました、もう訳がわからないという、まあ、並外れた構成作家でもあるプルーストの完全なる躍動ですね。
それが「私はアルベルチーヌを愛するのを決定的にやめたのである。」(12の504) (名文ですね、これは) につながったことはよく理解できますが。

しかしそれにしましても、ドストエフスキーのような人殺しはまったく出てこないものの、嘘をつく人間があまりにも多いですね、お互いに嘘に嘘を重ねては探り合っている感じで、もう誰がなどという生易しいレベルなどではなく、まあ、その最強のトリオは、やっぱりアルベルチーヌとアンドレと「私」でしょうか。
総じて、祖母や母を除けば、語り手である「私」をも含めて、決して褒められたようなものではない。
その最たる者は、今や人気楽士で引っ張りだこのモレルでしょうか、こいつは本当に心底悪いですね、筋金入りの成り上がり者ですね、そういう意味では、プルーストは悪も実にきちんと書いていますが、「コンセルヴァトワールのプルミエ・プリの卒業証書」(9の409) や、「コンセルヴァトワールのコンクールにおいてヴァイオリン部門の審査委員長」(9の410) と具体名を出してくるところに、鋭い皮肉精神と言うよりかは、なにかプルーストのピンポイント的な異様な攻撃性、神経症的な気質を感じます。

あともう一つ非常に気になるのが、異性愛者としての「私」の性欲が、やはり客観的にみて、少し異常ではないでしょうか?
なにか、過剰人格、オーバーパーソナリティ (などという言葉はどちらもありません、一応念のため、僕の造語です) な部分があって、まあ、ひらたく言うと異常な女好きだと思うのですが、なにかこの通常とは異なる+αの部分に、プルーストのカムフラージュがかかっているような感じがします。
プルーストもこれはちょっとやり過ぎたかな、大変な女好きにしてしまったなと感じないわけがない。
なにかプルーストは、語り手である「私」を、自分から離して向こうへやろう、向こうの方へ押しやろうとしているような感じがどうしてもするのです。
それはなぜか?同性愛者としての自らを覆い隠したいがためなのか?わかりません。

結局、こうして第12巻までを読んできて思うことは意外なことで、筋はわかるんです、いわゆる語り手である「私」が展開するところのストーリーは、最初はかなり戸惑いましたけれども、錯綜しているようでいて、実はそんなに難しくない。

それから、これはあれですよね、「失われた時を求めて」は、若い頃読んでいたらもっとわからなかっただろうなと思います。

いろいろな人生経験を重ねた中高年こそが、まさに読むべき長大な作品ですよね、率直にそう感じます。

最後に、アルベルチーヌが出奔した後、語り手である「私」に届いたアルベルチーヌの手紙は全部で5通 (手紙が4通、電報が1通) ですよね、その最初の手紙を少し長くなりますが、ご紹介させていただいて終わりにいたします。
僕は、これでも一応男ですので、なんかかわいそうなんですよね、これを読んでいると、自然に涙が出てきます。

まあ、それというのは女性の気持ちのことですが、それを書けるというのもプルーストの並外れた力量なのですけれども。

「あなたへ、
これから書くことをあなたに直接お話しできず、お赦しください。あたしはとても臆病で、あなたの前でいつもびくびくしていましたので、なんとかそうしようとしても、直接お話しする勇気が出なかったのです。あなたにはこう申しあげようと思っていました。ふたりは、もういっしょに暮らしてゆけません。あなただって、このあいだの夜のいさかいで、あたしたちの仲に変化が生じたことにお気づきでしょう。あの夜はなんとか仲直りできましたが、数日もすれば取り返しのつかない事態になることでしょう。せっかく運よく仲直りできたのですから、よいお友だちとして別れたほうがいいのです。そう考えて、このお便りを差しあげます。あなたをすこし悲しませることになるかもしれませんが、あたしの悲しみがどんなに大きいかを察して、どうかお赦しください。あたしは、あなたの敵にはなりたくありません。あなたにとってあたしが、すこしずつ、でもたちまちのうちにどうでもいい女になってゆくと思うだけでも、とても辛いのです。そんなわけで、あたしの決心はもう変わりようがないので、この手紙をあなたに渡してもらう前に、フランソワーズにあたしのトランクを全部出してくれるように頼みます。さようなら、あたし自身の最良のものをあなたに残します、アルベルチーヌ。」(12の26、27)

最後までお読みいただき、大変ありがとうございました。

なお、残りの2巻を読み終えましたら、次回の「途中経過その7」を掲載いたします。

そして、「途中経過その7」をもちまして最終回といたします。

(途中経過その7の最終回に続く)

2025年7月18日 初稿掲載
2025年8月5日 最終加筆、修正
和田 健

「アルベルチーヌさまはお発ちになりました!」

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 27 June 2025 by kenwada

僕のノートブック 7
2025年6月
紙に水彩、色鉛筆、鉛筆、ボールペン
12.7×20.5 cm

Mon Cahier 7
juin 2025
Aquarelle, crayon de couleur, crayon et stylo à bille sur papier
12.7×20.5 cm

テキスト:マルセル・プルースト「失われた時を求めて」(岩波文庫版第12巻、吉川一義氏訳) p.23、26、76
この絵のなかのアルベルチーヌのイメージにつきましては、いくつか調べたなかで、folio classique 版の表紙のアルベルチーヌが、僕の心に一番しっくりきましたので、その絵を参考にさせていただきました。

死は、中世の彫刻家のように、祖母をうら若い乙女のすがたで横たえたのである。

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 21 June 2025 by kenwada

僕のノートブック 6
2025年6月
紙に水彩、鉛筆、ボールペン
12.7×20.5 cm

Mon Cahier 6
juin 2025
Aquarelle, crayon et stylo à bille sur papier
12.7×20.5 cm

テキスト:マルセル・プルースト「失われた時を求めて」(岩波文庫版第6巻、吉川一義氏訳) p.377、378

「もちろんよ!バルベック旅行なるものをでっちあげたの」私はアルベルチーヌのあまりの嘘にうちひしがれた。

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 15 June 2025 by kenwada

僕のノートブック 5
2025年6月
紙に色鉛筆、墨、ボールペン
12.7×20.5 cm

Mon Cahier 5
juin 2025
Crayon de couleur, encre de Chine et stylo à bille sur papier
12.7×20.5 cm

テキスト:マルセル・プルースト「失われた時を求めて」(岩波文庫版第11巻、吉川一義氏訳) p.328、329、330

マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その5  第8巻「ソドムとゴモラ Ⅰ」から、第9巻「ソドムとゴモラ Ⅱ」までー

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 11 May 2025 by kenwada

(途中経過その4から続く)

(先月入院していた時も1日4回の点滴の合間を縫いながら、午前、午後それぞれ10ページずつとページ数を決めて少しずつ読み進めていました。
この病室の写真がなんだかものすごく以前のことのようにも、つい昨日のことのようにも感じられるのも、プルーストの「失われた時を求めて」を今読んでいることの影響なのかもしれません。)

皆様、こんにちは。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(岩波文庫版全14巻、吉川一義氏訳) の第8巻を、2025年3月8日に読み始め、その第9巻までを、2025年5月4日に読み終わりました。

極上の読書体験の時にのみ、まれに訪れる残りのページ数が減っていってしまうなというあの感覚が、今回第9巻のなんとブリショの振りまわす語源説のところで「ああ、あともう5巻で終わりなのか」という感じでやってきました!

僕などはもうこれ (ブリショの語源説) は途中から笑っちゃうしかなかったです、「ああ、お前また始まったか」という感じでした。
例えばですが、生っ粋のフランス人が原語であるフランス語で読んでいても、これにはかなり閉口するのではないでしょうか。
また、これはおそらくですが、もし作家がこのような原稿を書いてきたら、編集者が10人いたとしたら10人とも没にするのではないでしょうか?
「君、誰がこんなもの読むんだよ、そんなの自分のノートにでもまとめて書いておけ!」とかいかにも言われそうです。
でも「編集者は俺だ!」っていう感じでプルーストは書き続ける、いいぞプルースト、もっと書け、もっと続けろ、世界中の読者を退屈させてやれ!
これはあれですよね、ブリショはパリ大学の文学部の教授で、コタールはパリ大学の医学部の教授で、明らかに大学教授を揶揄していますよね。
でもそういうプルースト自身の父親はパリ大学の医学部の教授でしたよね、う〜ん、これはいったいどういうことなのだろう?

さて今回は、毎回必ずそのようにしているわけではありませんが、テーマごとに箇条書きのような形で考察していきたいと思います。
それではどうぞよろしくお願いいたします。

①シャルリュス氏とジュピアンの同性愛行為の描写について
いや〜、これにはもうびっくりしたなんてものじゃありません。
このような展開の可能性は、はっきり言って1%も考えていませんでした。
これまでの吉川氏の「訳者あとがき」や各ページの訳注などから、シャルリュス氏が同性愛者であることは、僕もおぼろげながら感じてはいましたが、今後もシャルリュス氏の同性愛については、間接的な暗示やほのめかしの類いがてっきり続いていくものだとばかり思っていたのですが、ここまで直接的な描写でプルーストが俄然この問題に肉薄してくるとは、まったく予想もしていませんでした。
なにかこの部分だけ実は違う作家が書いたのではないか (笑) と、もちろん冗談ですが、思わず勘ぐってしまうくらいの衝撃でした。

それに加えまして、僕がさらに驚いたことは、このシャルリュス氏ってゲルマント一族のれっきとした一員であり、貴族というよりは明らかに大貴族ですよね。
え〜と、大貴族であっても同性愛の対象として、本文中で使われているところの用語で言えば「庶民」を選んじゃうのですね、これはかなり意外でした。
大貴族であれば、大貴族どうしではなくとも、少なくとも貴族階級の中から恋愛対象を選んでくるのではないかと勝手に考えていたものですから。

パリには街角の焼き栗売りが今でも多いのですが「角の焼栗売り」や、「向かいの薬屋」の「自転車で薬を配達するじつにかわいいの」(いずれも8の38)、あとシャルリュス氏って「かわいい子」(8の40) がいると、同じ列車に乗ってオルレアン駅の一つ手前の駅まであとをつけていっちゃうのですよね、そしたらその子が所帯持ちで家族がプラットフォームに出迎えに来ていたとか (8の42)、う〜ん、なんなんだそれって、ただの追っ掛けではないか。
「かわいいの」とか「かわいい子」ってもちろん男性です。

え〜と、まずはこの同性愛の問題の背景を理解する上で非常に大切なことであり、もしフランスに丸7年間住んでいなかったなら、僕にはまったくわからなかったことなのですが、日本とは全然、もう本当にこれは全然、同性愛の歴史だとか文化だとかの状況が、ちょっと桁違いに異なるのですよね。
ですので、もし日本でずっと生活をされてきた方が、この作品を読んだ場合、一般的に言ってかなりの違和感を覚えるとでも言いますか、どうしてこんなに同性愛ばかりをテーマにするのだろうと思われるのではないでしょうか?

なにしろ僕が2004年4月1日に絵画留学のためにパリに着いた時の当時のパリ市長からしてそもそも同性愛者でしたから。
え〜と、なんて言いましたっけ、年に一度、6月の終わりにパリ市内の通りを同性愛者がデモ行進する行事があって、とてもうれしそうに男性市長が男性と腕を組んで歩いていたことを思い出します。
それからパリのマレ地区には同性愛者OKのカフェには、入り口にステッカーが貼られてあったりとか。

僕などは今日に至るまで、残念ながら女性にはあまりモテないごく普通の異性愛者として過ごしてきましたので、最初なんにもわかっていなくて、夏に暑いから袖なしなんか着ていた日には、なぜか男性がウインクしてきて、さすがに何度もそういうことがあると僕にもようやく意味がわかり、それからは肌の露出は極力避けるようにしていました。
え〜と、僕がどのくらいなんにもわかっていなかったかと言いますと、ものすご〜くお恥ずかしい話なのですが、僕はウインクしてくる男性たちを「ずいぶん愛想のいい人たちだな」と思っていたんです、本当なんです、ああ、今思えば僕はなんて愚かだったのだろう!

あと僕の住んでいたパリ18区には、モンマルトル界隈ですね、同性愛者が集まる広場があって、なんとその場所とは・・・・、もうこのあたりでやめておきますが、やっぱり僕はフランスから帰国してだいぶ考え方が変わって、今ごろになって日本でもようやく取り上げられるようになった同性結婚ですが、僕は基本的に賛成の立場です。
やっぱり、幸せっていろいろな形があっていいんですよね、それは異性との結婚の場合でも同じことですが。

それから、このあとに続く同性愛をめぐるプルーストの考察には、ちょっと驚異的なものがありますね。
僕は生まれて初めてこのような内容のものを読みました。
同性愛者を抑圧しているのは、実は「反対票の黒玉の大多数をソドミストが投じたから」(8の86) であるという、このあたりですね。

え〜と、これではシャルリュス氏の考察にはまったくなっていないのですが、まあいいや、シャルリュス氏にはあとでモレルのところでまた登場していただくとして、はい、次!

②プルーストさん、いくらなんでもこの記述はあまりに不自然ではありませんか!
僕がえ?っと思いましたのは、「ゲルマント公爵夫人の影がしだいに薄くなるにつれて (栄誉栄達の上にあぐらをかいて風前の灯火になりつつあった) (後略)」(8の327) という記述でした。
その少し前まで、ゲルマント「大公妃の館の巨大な階段」(8の271) で、「そのエレガントと美貌の秘訣を探りださんとする大勢の男女から食い入るように見つめられていた。」(8の271) のがゲルマント公爵夫人、まさにその当の本人ではないですか!
ちょっとこの急展開は、いくらなんでも少し無理があるのではないのか、唐突過ぎるのではないのかというのが、僕の率直な感想です。

③心の間歇
第8巻、第9巻を通して、僕にとっての白眉はなんと言いましてもこの「心の間歇」でした。
第9巻のラストでアルベルチーヌをまるで予想もしなかったようなあのような形で再びよみがえらせてきて、その見事なまでの構成と「心の間歇」とは、だいぶいい勝負にはなりましたが、それでも「心の間歇」に軍配を上げたいと思います。

具体的には、「ハーフブーツの最初のボタン」(8の351) から始まる記述ですが、個人的には、無意志的記憶の関連では、あのあまりにも有名な「プチット・マドレーヌ」(1の111から) の挿話の比ではないように思いました。

それはなぜかと言うと理由は2点あって、「プチット・マドレーヌ」がレオニ叔母を対象としているのに対して、「ハーフブーツ」の方はその対象が祖母であり、やはり「私」との結びつきの強さが桁違いであることと、それに加えて、もう1点は「ハーフブーツ」の方はプルーストが途中から話を夢の中にもってきたからですね。

語り手である「私」は、計2回夢をみていますよね。
それぞれ、ホテルの部屋で見た夢A (8の359からと)、「砂丘のなかの起伏のかげ」(8の399) で見た夢B (8の400から) としますが、非常に特徴的なのはどちらの夢の中にも「私」の父親が登場することで、夢Aの中では、まるでウェルギリウスのように父親が、「私を祖母のところに連れて行ってくれるはずの父」(8の360) として道案内をするのですが、これがダンテの「神曲」とは雲泥の差で、なんとも頼りない案内人で心細いことこの上ない。

「シカ、シカ、フランシス・ジャム、フォーク」(8の363) のところは、研究者がおそらく異様なまでの興味をもつでしょうが、そこはなにかの韻を踏んだリズム感の発露のようなものなのであろうと軽く飛ばして、夢Aがさめた「私」が見たのは「あろうことか目と鼻の先に存在する (中略) 仕切り壁」(8の364) であった。

すごいなあ〜、例の三つのノックの私のかわいいネズミさん (4の82、83) の仕切り壁ですね、つまりはプルーストはここで二重に重ね合わせてきているわけだ、「ハーフブーツの最初のボタン」(4の81) と。

そして、ここで初めて神が出てきている、「私」は祖母と天国に永久にいたいと (8の365、366)。
つまりは、これは謙遜などではまるでなく、事実その通りであったと思いますが、「恩知らずでエゴイストな冷酷きわまりない若者であった私」、「軽薄で、快楽を好み、病気の祖母を見慣れていた私」(いずれも8の352) が、おそらく生まれて初めて祖母の中に神の存在を見出したのではないだろうか、少なくとも神がいて欲しいという願望を。
それであれば、やはり「ハーフブーツ」は「私のティーカップからあらわれ出た」(1の117) 「プチット・マドレーヌ」現象の比ではない、なぜかと言うと、ここにはすでに「私」の人間的な成長が含まれているからです。

さて、夢Bの中では状況が一気に進んで、夢Aにおける祖母に会いたいという「私」の願望はすでに成就していて、「肘掛け椅子に座った祖母」(8の400) のまわりに、父と私がいる設定になっている。
う〜ん、これはいったいなにを意味しているのだろうか?

以来、僕がずっと考え続けている問題は、まさしくここのところなのですけれども、なにゆえプルーストは夢A、夢Bに、いずれも父親を登場させたのか、これが非常に難しいのです。
プルーストは明らかに意図的に父親を登場させていますよね、そこまでは僕にもわかるのです。
その根拠として僕が考えていることは、夢A、夢Bを注意深く読むと、これ別に父親は要らないですよね、現に「私」は「もう一刻も待てない、父の到着など待っていられない」(8の361) とも言っていますように、特段の必要を感じない。
まあ、両者の会話をより際立たせるために、「私」の台詞である動と、父親の台詞である静を配置した効果は確かに感じられますが。

父親、つまりは祖母からみれば義理の息子を選んできた理由は距離感なのか、「母の喪に同情を寄せはするが母ほど悲しみに沈んでいるわけではない父」(9の597) ともありますから。

専門家や研究者の方は、プルーストのこの確信的な人選について、現在どのように解釈しているのだろう?
一応、僕の消去法的な意見としては、祖母の実の娘である母親にこの役をやらせるのは、母のそのあまりの「悲嘆」(8の376) ゆえに、プルーストにとって忍びなかったのではないかというものですが、ちょっとそれでは弱いな。
もう一つ、夢A→バルベックへの母の到着→夢Bとなると、まあざっくり言うと3回連続母の登場となり、物語に起伏が欠けて平板になるからというのも考えましたが、これも同様に弱い。

う〜ん、わからない、難しい!
なにか直感的には、プルーストはこの場面で自身の父親のことを考えているのではないか、「目の前を歩いているのは父ではないか」(8の361) のこの「前」が非常に気になります、この時点で父が死んでいる感じがする。
亡父への愛であり願望、そして願わくば祖母と父の両者に一度に面会することへの希求であるのか・・・、わかりません。

参考までに、第1巻の巻末の「プルースト略年譜」を読みますと、プルーストの父アドリアンは、1903年11月にプルーストが32歳の時に亡くなっています。

この問題を考えていて、先日の夕方に突然思いついた、荒唐無稽な一笑に付される考えを一つご紹介させていただきます。
プルーストが、夢A、夢Bを実際に見たという可能性はないでしょうか?
つまりは、連日のように執筆に明け暮れていて、疲れて切って眠った時に、夢の中にふと亡父が出て来て、一緒に祖母に会いに行ったという甘美な思い出に、多少の修正を加えて書いたというものです。

そこから転じて、プルーストが夢A、夢Bを通して、久しぶりに亡父と会話をしたかったという欲求が、執筆の動機となっているということはないでしょうか。
と言いますのも、「私」の台詞の中には、いかにも子どもらしい父親に対する甘えのような感情が感じられるのです。

④え?アルベルチーヌって死んじゃうのですか!

なにしろ初読ですから (笑)。

「もはやこの世にはいないアルベルチーヌで、それで十四人になったのである。」(8の422)

また、吉川氏の訳注である「現在の「私」にとって、アルベルチーヌが死んでいることを示す。」(8の423) ことからも、物語のこの時点で、もうそれは明らかですね。

各巻ごとの冒頭に「『失われた時を求めて』の全巻構成」が必ず掲載されていますので、それを読んでいて「第六篇 消え去ったアルベルチーヌ」というのがありますので、ああ、いなくなるんだなとは感じていましたが、アルベルチーヌが死んでしまうとはまったく思ってもみなかった。
う〜ん、なんで?
その必要性はどこにあるのか?


最後に語り手の「私」よ、そんなふうに女の子の数を数え上げているんじゃない!
いやらしい、みっともない!

最後までお読みいただき、大変ありがとうございました。
ここで一度切らせていただき、主に第9巻の考察は「途中経過その6」に、また改めて書かせていただきます。

(途中経過その6に続く)

2025年5月11日
和田 健

後日記:

第10巻に入り「私」とアルベルチーヌとの実に奇妙な同居生活が始まりました。

今はやはりアルベルチーヌの問題に集中して取り組み、読書の醍醐味にひたすら専念したいと思います。



そこで、あらかじめ構想していました「途中経過その6」のための第9巻の内容のうち、特に、

①これは簡単に読み過ごしてはいけない極めて大切なことをプルーストは書いているなと感じましたが、「私利私欲なき教養」(9の414) と、コタールについての「教養」(9の423)。


②「陰口」(9の438) に関する二重の棟にたとえたプルーストの非常に興味深い考察。

「理想の棟、唯一の棟、馴染みの棟」vs.「本物の棟、異なる棟、正反対の棟」の対比。



この2点をご紹介できなかったのが大変残念ですが、予定を変更させていただき、第12巻までを読んだ上で「途中経過その6」をまた改めて書くことにいたしました。

これは、おそらくは第12巻をもってアルベルチーヌのことがひとまず決着するのではないかという、僕の勝手な推測からです。



最後に、第9巻を通してもまた、いくつかの印象に残ったプルーストの言葉がありましたが、その中から一つだけご紹介させていただきます。



「その法則とは───もとより例外はいくらでもある───、頑固者とは他人に受け入れられなかった弱者であり、他人に受け入れられるかどうかなどには頓着しない強者だけが、世間の人が弱点とみなす優しさを持つことである。」(9の435)

2025年5月15日

和田 健

マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その4 第7巻「ゲルマントのほう Ⅲ」ー

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 21 March 2025 by kenwada

(途中経過その3から続く)

①さて、それではいよいよ第7巻の本題である「ゲルマント公爵夫人の才気」についてです。


第7巻までのところまったく好きにはなれないゲルマント公爵夫人ではありますが、その「才気」について考えることは、僕にとってこれはかなり難しい問題です。

まずは、基本的なことの確認なのですが、ゲルマント公爵夫人のフルネームは、「オリヤーヌ・ド・ゲルマント」(7の232、233) というのですね。

ちなみに夫であるゲルマント公爵のフルネームは、「バザン・ド・ゲルマント」です。

次に、この第7巻からわかることなのですが、ゲルマント公爵夫人という人は 、野性味があるとでも言いますか、幼い頃から自然の中を駆け回ってきた生育歴があるのですよね。

具体的には、
「コンブレー近郊の貴族の娘らしい残忍でおてんばな活力と魅力とを私に見せつけていた。この女性は、幼いときから馬を乗りまわし、ネコをいじめたりウサギの目玉をくり抜いたりしていたはずで、その後は貞淑のかがみとなったものの (後略)」(7の350)
とあります。

少し余談になりますが、生育環境を知る上で、このウサギが原語で、飼いウサギの lapin なのか、日常的な狩猟の習慣に伴う野ウサギの lièvre なのかが、非常に気になりましたが、「馬を乗りまわし」とありますので、ここでは一応野ウサギなのではないかと推測いたします。

いずれにいたしましても、ここは簡単に読み飛ばしてはいけないところで、これはれっきとした動物虐待であり、まだ幼い子どもがネコをいじめウサギの目玉をくり抜くなどという異常な行為は、抱えきれないほどのストレスからすでに相当病んでいて、やがて大きな精神障害をもたらすことになるきざしであるように思いますし、以下で展開されるようなゲルマント公爵夫人となってから如実に示される精神的な残虐性は、このまだ幼い頃から綿々と培われてきたと考えるべきなのかもしれません。

また他にもこんな記述もあります。
「この声が気どってときに荒々しい土の匂いをのぞかせるときには、もちろん多くのものが含まれていた。その声には、ほかの一族よりも長くこの地にとどまり、はるかに大胆かつ野育ちで、ひときわ挑発好きであるという、そんなゲルマント一族の分家としてのいかにも田舎らしい起源が含まれていた」(7の327)


まあ要するに、あくまでうわべだけにとどまって眺めてみれば、野趣豊かな田舎の自然に囲まれて育ち、土性骨の座った男勝りのおきゃんで活発な、おそらくはちょっと手に負えないような女の子であったという感じでしょうか。


その後、僕に確認できる範囲では、どこの女学校に入って教育を受けたとか、そのような記述はなく、主に読書によってその幅広い深い教養を身につけたようです。
そのことは、

「好きなのは読書だけで世間体など気にせぬと言う当人」(7の217) や、
「興味ぶかい本を読んですごすこともできるはずの時間を退屈なお茶の会とか他所での晩餐会とかパーティーとかのために犠牲にする」(7の217、218) ことなどからもわかります。


そして、スワンに言わせると「まだレ・ローム大公妃を名乗っていたときのほうがもっと感じのいい婦人でした。」(7の523) という時代を経て、今ではパリで最高の貴族階級のサロンを、次々に愛人をつくる夫のゲルマント公爵とともに主宰しており、まあ、どうみてもそのサロンのNo.1に位置している、すなわちパリの社交界の頂点に君臨していると考えて、とりあえずは間違いないように思います。

さて、それでゲルマント公爵夫人は、自らが主宰するサロンで、あるいは他の場所での午餐会や晩餐会などで、お得意の「才気」を連発してくるわけですよね。
「公爵夫人がなによりも高く評価したのが知性ではなく才気───夫人に言わせると、才気とは知性がもっと高次のはるかに洗練され類まれな形にまで高められ、ことばに顕在化した才能の一形態───だったからである。」(7の257)
とありますので、夫人の考えを不等号を使って表せば、才気>知性 とでもいうような感じなのでしょうが、まず、この「才気」の土台にあるものって、そもそも本当に「知性」なのでしょうか?


僕がこの「才気」につきまして、読みながら次々に思い浮かんだ言葉を、意味内容が多少重複しようがどうしようが、ここに列挙いたしますと、まずは、当意即妙ですね、次に、機知、機転、機敏、頓智、才知、如才なさ、ウイットではあるが決してユーモアではない、駄洒落、皮肉、当てこすり、アイロニー、風刺、嘲笑、嘲笑い、薄ら笑い、意地悪、相手の虚を衝く、辛辣、毒舌、才気を飛ばすただのタイミングの問題、笑いの原動力であるところの落差→すなわち持ち上げておいて落とす、落としておいて持ち上げる、それからこれは本文中に何度も出てきますが「逆説」→すなわち人がAだと言えば、いやそれは違うBだと言う、人がBだと言えば、いやそれは違うAだと言う、誇示、一歩間違えればもうほとんど仲間内で与太を飛ばすレベルも同然・・・、
と、まだまだありますが、まあざっと、こんなところでしょうか。

プルーストほどの知性がなにゆえこれほどの膨大なページ数を割いてまで、この「才気」の記述に (それはもうほとんど「才気」のオンパレード状態とも言えるほどですが) 執着しているのであろうか?
プルーストのゲルマント公爵夫人の評価に関する記述に、若干の揺れ (つまりは尊敬してみたり、多少の敬意を示してみたり、逆に明らかに見下してみたり) がみられるために、非常にこの解釈が難しいのです。

それでは、ここで少し具体的に「才気のオンパレード状態」の内容をのぞいてみましょう。

まずは、当時の周囲の貴族階級から、どれだけ一世風靡されていたかにつきましては、夫人の放つ「才気」は、「オリヤーヌの最新の名句」として感嘆されもてはやされ「それから一週間はさまざまなソースをまぶされて食卓に出てきた。」(いずれも7の268) とあり、「オリヤーヌの最新の名句、ご存知?」、「オリヤーヌの最新の振る舞い、ご存知?」(いずれも7の292) などの文句が合言葉のように言われ、「オリヤーヌの「最新の振る舞い」の立会人としてこの振る舞いを「ほやほや」のうちに語って聞かせられると考えて」(7の383)、 社交界の貴族たちは「欣喜雀躍」(7の383) し、有頂天になるのです。

さらには、オリヤーヌ自身の「才気」の言葉にも少し注目してみましょう。
「あんなのはただの間抜けだ」(7の276)

「便秘作家の作品」(7の311)
「やっと息ができましたのはグリュイエール・チーズが出たときでした!」(7の315、316) (そのくらいボルニエ氏が臭かったという揶揄)
「めったにお目にかかれないような鈍感を絵に描いたような人」(7の332)
「あら、ゾラはリアリストじゃございませんわ、奥さま!詩人ですよ!」(7の337)
「晩餐会の食卓ではなくて、伝染病患者の給食みたいでした。」(7の353)
「お葬式に行くなんて、生きた人の場合にはできませんもの!」(7の359)
「こんなことなら王妃さまには毎日、姉妹のかたを亡くしていただかなくては!」(7の368)
「妃殿下、ご心配は無用です。まったく耳の聞こえない人ですから」(7の375)
(大公妃に美男子かと訊ねられて)「いいえ、バクみたいな顔ですの。」(7の390)
「もしも走行中の乗合馬車の二階席の上から見ることしかできなくても、もし作品が外に展示されていたら、かっと目を見開くべきですわ。」(7の398)
「それはオーケストラのモチーフと申します」(7の535)
そして、僕が思うに、これらの「才気」の例の最たるものとして燦然と輝くのが、さるロシア大公に放った
「ところで殿下、トルストイを暗殺させようとお考えだそうですね」(7の232)
なのではないかと感じます。



これらの「才気」の実例を読んでもわかるように、ゲルマント公爵夫人が連日のように心血をあげて取り組んでいる「才気」って、はっきり言ってかなり底意地の悪いいじめですよね。


その病的なまでの妬み深い例は、「パリ随一のおいしい料理を出すという評判をほかの女性に奪われたくなかったのだ」(7の311) をはじめとして、いくつもありますので、ここではちょっととても書き切れませんが、極めつけは従僕がやっと婚約者に会えるという途方もない歓びをあらわにした途端、
「そんな気持ちを公爵夫人は目ざとく読みとった。夫人は、自分の知らぬところで自分に隠れて人が味わう幸福を目の当たりにして、腹立たしく、妬ましく、胸が締めつけられるような、手脚がむずむずするような気がした。」(7の536)
そして、夫であるバザン及び従僕に向かって、従僕の望みを完全に絶つ場面です。

まあ、ここは百歩譲って、「公爵夫人は、そもそもモレ夫人の人気に少々嫉妬を覚えていた」(7の543) とありますように、若いモレ伯爵夫人の人気に女性として嫉妬するのは、必ずしもわからないわけでもありませんが、どうして自分の召使いの男の人が幸せになろうとすることまで、躍起になって阻止しようとするのでしょうか?

とてもではありませんが、パリの社交界のトップに君臨する女性とは、どう見てもまるで思えない人間の器の小ささだなあ。
この人、なんでこんなにまで根性が曲がり腐って悪くなってしまったのでしょうか。

なにかこれには狂気じみた執念のようなものさえ感じます。

また、点取り屋の夫人に対して、「狡知に長けたお殿さま」であり、「夫人のサロン (とその最大の魅力たるオリヤーヌの才気) をうまく機能させることにかけては海千山千の相棒」(いずれも7の243) である夫のゲルマント公爵が実にいいアシストをしているのですが、今はちょっと夫の役割についてまではやめておきますが、まあそれにしましても、
「公爵と「なんてばかなんだろう」と言わんばかりの楽しげなまなざしを交わし合った。」(7の338)
ともありますように、嫌味な目配せをよくしあう夫婦ですね。


「愛人を何人もつくる点では公爵夫人にとって酷い夫であった」(7の243) ともありますが、夫のゲルマント公爵が次々に愛人をつくるという、妻にとってはこの上ない残酷な行為について言えば、無意識的に実践していようが、意識的にであろうが (おそらくは意識した上でのことだとは思いますが)、公爵が現実を直視することを避けて、実は自らが主宰するサロンにおけるオリヤーヌの才気煥発を支えることが時としてかなりの負担となり、そこから目を背けようとしている結果なのではないかと僕は解釈していますが、すでに「夫婦関係の途絶えている」(7の551) 公爵夫妻の機微について、プルーストは実に細かいところまで的確に描き出しているなと何度も痛感しました。

これはあれかな、プルーストは、こうした「才気」を長々と記述することで、それに振り回され隷属していく人間のあり様を書いているのかな?

僕もスワンが届けた大きな封筒を、ゲルマント公爵夫人が召使いにモレ伯爵夫人に届けさせるところは思わず笑いましたので、こういう人が仮に身近にいたとしたら、その影響力の大きさや、なんて言いますか、ある意味での日々の面白さゆえに、人間は次第次第に屈していく、支配されていくものなのかもしれませんね。

結局、120年以上も前であっても、今でもそうなのですが、面白い方が受けてしまうのです、つまりは退屈しないからですね。
そのことをプルーストは書いているのかな、つまりは日々の「習慣」の問題ですね。

なにかこの「才気」の問題の根底にあるものと、飲酒や喫煙がやめられないこととは、まったく異なる分野であるようでいて、実は通底しているものが脳の働きの中にあるような感じがいたします。


一つだけ確信できることは、プルーストはこの「才気」なるものの様々なサンプルの紹介自体を、目的としてはいないのではないだろうかということです。

僕は社交界のことは、もちろんまるでわかりませんが、こういう人って、おそらくは過去にも実際にいたであろうし、現在もいるであろうし、これからの未来にも必ずいるのではないでしょうか。

つまりは、実はそんなにめずらしいものではないように思います。


結局のところ、この「才気」の問題の行きつくところは、「人気」という問題に集約されるのではないでしょうか。

「人気」というのは、世間に受けるということは、本当におそろしい問題を含んでいます、いわゆる世評ですね。

僕の結論といたしましては、「ゲルマント公爵夫人の才気」とは、本人が目指すところの「知性」を土台として花開いた「才気」があるのではなくて、ただ単に「才気」という名のもとの、打てば響くようなある種の特殊な才能があるだけだという感じがいたします。

さらに言えば、これはあれでしょうか、プルーストはたとえ貴族階級であろうとも (と言いますのは、ヨーロッパの貴族階級であれば幼少期からいわゆる一般教養はかなり徹底して教育されることでしょうから)「知性」が結実しないことが散見されるということを、執拗なまでに書き続けているのでしょうか。

またおそらくですが、容易に想像されることは、このゲルマント公爵夫人には何人かの実在したモデルとなった人物がいたはずで (と言いますのは、プルーストがまったくの独創でこの夫人を書き上げてきたとはどうしても思えないからです、つまりは夫人にはリアリティがあるように感じられるのです)、それであれば非常に言いにくいことなのですが、その方がご自分の人生を懸命に生き抜いたわけですから、たとえ人生がご自分の思うようにはうまくいかなかったのだとしても、その方が人生をすでに終えられたことにはなにも変わりはないわけですから。
他者に対するそこのところのリスペクトを欠いて、夫人をひどく悪く言うのは、僕からみるとただ単に品がないだけなように思います。

②次に、「ゲルマント公爵夫人の才気」に比べれば、まだ少しはわかりやすい?「公爵夫人の赤い靴」にうつります。

まずもって、実に見事ですね、プルーストの比類のない手腕を感じます。
第7巻の終わりを、この「赤い靴」に、ものの見事に収斂させてきたな、美しいです、完璧です!


それで、公爵夫妻が従兄オスモン侯爵 (この方は愛称をママと言い、ファーストネームは「アマニアン」(7の539ほか) なのですね) の危篤や、「瀕死の病人」(7の558) である友人スワンの死よりも社交を優先しているということは、事実としてよくわかりましたけれども、これってプルーストの仕組んだカムフラージュであるという可能性はまったくないのでしょうか?

と言いますのは、スワンの台詞がとても気になったのですが、公爵夫人の履いていた黒い靴に対して、

『「べつにおかしくはありませんよ」とスワンは言う、「私も靴が黒いのには気づいていましたが、ちっとも気になりませんでした。」』(7の557)
とあります。

これはあれですよね、死を間近にしたスワンにとっては、黒が自分の今の心にはフィットした、違和感などもなく、よくなじんだということですよね。

プルーストは、死と黒をよく関連づけてきますね。

以前にも、「私」が祖母と最後の外出をして、ようやく家に帰り着く場面、
「陽は傾いて、どこまでもつづく壁を赤々と染めていたが、辻馬車が私たちの住む通りに着く前に沿うように進んでいくその壁には、赤味を帯びた地色のうえに夕日に映し出された馬と馬車の影が黒く浮きあがり、ポンペイのテラコッタに描かれた霊柩車を想わせた。」(6の323)
とありました。



ここでちょっと肝心なことですので、この時のゲルマント公爵夫人の装いを一度チェックいたしますと、

「すっかり身支度を整えた夫人は、みごとな長身を赤いサテンのドレスにつつみ、そのスカートの縁にはスパンコールが縫いつけられている。髪には真っ赤に染めた大きなダチョウの羽をさし、肩には同じく真っ赤なチュールのショールをかけている」(7の527) とあり、さらに「まるでボルドーをなみなみ注いだワイングラスみたい」(7の528) なルビーを身につけています。


え〜と、少し脱線になりますが、まずはですね、自分の仕事柄感じたことなのですが、プルーストのような絵画の造詣が尋常ではないほどまでに深い人がやっぱり赤なんだな、赤を選んできたんだなと思いました。
ここは例えばですが、高貴な色とされる紫をどうして選んでこなかったのであろうか。

紫が色的にきついのであれば、もう少し柔らかくしてライラックとか。
長身ですらっとした女性なら、逆に青が似合うと思いますが、当時のフッションで女性の青がまだ難しかったのであれば、少しラベンダーを用いるとか。

いずれにいたしましても、豊かなフッションセンスに満ち溢れているとは、残念ながら言えない感じがするなあ、以上脱線終わり。

それでですね、問題はここのところなのですが、ここまで入念に上から下まで赤で決めて、さらには連日のようにやれ午餐会だやれ晩餐会だと渡り歩く社交界の達人であるゲルマント公爵夫人が、靴だけ黒というような、こんな初歩的なミスを普通しないと思うのですよね。
当然、身支度を手伝うお付きの者もそばにはいるでしょうし、なんだかとっても変ですよね、この部分はどうみてもなにかとってつけたようで不自然です。

そして、ゲルマント公爵が恐ろしい声で「オリヤーヌ、いったいどんなつもりなんだ。とんでもない。(中略) すぐ上にあがって赤い靴をはいて来なさい」(7の556) とどなるのですが、ここで、ゲルマント公爵夫人が「あなた、それなら私にいい考えがありますわ。ちょうど上から下に赤から黒にグラデーションされたドレスがありますから、それにすぐに着替えてまいりますわ、それなら問題ないでしょ。」とかなんとか言い返したら、それは確かに「才気」ですが。

結局、これはあれなんじゃないのかな、プルーストは読者の目がこの「赤い靴」に釘付けになることを十分に計算済みで、いかにも第7巻のエンディングを飾るにふさわしいエピソードを挿入してきたかのように見せかけておいて、実はゲルマント公爵夫人が、なかば無意識のうちに黒い靴を選んで履いていたという事実に重きを置いて、公爵夫人のその後の暗い運命を、黒を受け入れたスワンとも関連づけながら、この時点ですでに暗示してきた、プルーストが用意周到に伏線として呈示してきたのではないでしょうか。

プルーストの「どう?なかなかうまくいったでしょう。みんな「赤い靴」の方にばかり目がいって、黒い靴なんか誰も見ていないでしょう」という忍び笑いが、僕には聞こえてくるような気がいたします。

(途中経過その5に続く)

2025年3月21日
和田 健

後日記:その後も上述しましたゲルマント公爵夫人が「幼いときから (中略) ウサギの目玉をくり抜いたりしていたはず」(7の350) について考えているのですが、やはりこれはもう猟奇事件と呼んでもかまわないレベルの異様な出来事であると思います。
まずは、一度でもウサギを飼った経験のある方でしたら、すぐにおわかりのようにウサギの特に後脚の筋力には非常に強いものがあります。
それをまだ幼い女の子が目玉をくり抜くために押さえ込むというのは、普通に考えてちょっと無理があるのではないだろうか。
また、ご存知の方も多いと思いますが、フランスではウサギは常食の白身の肉ですので、僕もマルシェで買ってきてはオーブン料理にして、よくお客様が来た時などに出したりしていましたが、通常、飼いウサギの lapin が朝市では皮を剥がされた状態で、天井から一匹丸ごとぶら下げられて売られています。
この lapin にしてからが、日本でペットとして飼われているウサギに比べてすでに大きい。
さらには、野ウサギの lièvre となると、ごくたまに市場などで見かけましたが、lapin よりもかなり体長があり、当然のことながらフランス人であればそんなことは誰でも知っています。
それを幼い子が押さえ込むというのはまず不可能であり、プルーストは、共犯者がいたということをほのめかしているのではないだろうか。
つまりは、オリヤーヌはまだ幼い頃から貴族階級の子女であるという特権を乱用し、小間使いだか下僕だかに命じてウサギを押さえつけさせた上で、凶行に及んだのではないだろうか。
さらに、親にはこのことを言うなと口止めをした可能性も出てくる。
仮にそうであるとすれば、この問題の根は相当深いところにあり、彼女はまだ幼い頃から動物虐待に加えて、権力行使の快感を味わいながら育ったのではないだろうか。

2025年3月30日
和田 健

マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その3 第7巻「ゲルマントのほう Ⅲ」ー

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(途中経過その2の番外編から続く)

皆様、こんにちは。

マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(岩波文庫版全14巻、吉川一義氏訳) の第7巻を、2025年2月7日に読み始め、2025年3月4日に読み終わりました。

本来でしたら、第7巻から第9巻までを読んだうえで、2025年5月下旬ごろに「途中経過その3」としてご報告をする予定でいましたが、この第7巻がとても楽しかったものですから (やっぱり文学、物語というものは実に楽しいものですね、こうなんて言いますか、非常に愉悦を感じます)、ここは急遽、予定は未定ということにさせていただいて (笑)、感想がまだ少しは新鮮?なうちに、少しだけご報告させていただきます。

①え〜と、まずは一番面白かったところから。

第7巻ももう終わろうかというところで、ゲルマント公爵夫人が召使いに言いますよね、
「「これ、お前、スワンさんのお写真のはいっていた大きな封筒だけど、」(中略)「私のかわりにその角を折ってから、今夜の十時半にモレ伯爵夫人のところに置いてきなさい。」
スワンは声をあげて笑った。」 (7の552)
ナイス!ゲルマント公爵夫人に一票!
これはうまい機知だなあ〜、スワンと一緒に僕も思わず大笑いしました。

次点には、ゲルマント公爵の「嗟歎、嗟歎って、サタンはお前だ。」(7の538) をあげておきます。

②次に、少しだけ胸のつかえがとれてすっきりしたのはよいのですが、そのあと椅子からずり落ちるくらい拍子抜けしてしまった一件について。

それは僕が「途中経過その2の番外編」の中ですでに触れていた「孫の性癖についての祖母の見解なり杞憂なりが出てこない、書かれていない」ことについてなのですが、ここへきてようやくついに「私」への叱責がありましたね、言ってくれたのは、祖母ではなくて母でした。
「ゲルマントの奥さまに会おうとして

外出するのはもうおやめなさい。あなたは建物じゅうの笑いぐさになっていますよ。第一、お祖母さまの容体がこんなときでしょ、女の人を道で待ち伏せてばかにされるよりも、あなたには実際もっと大切なことがいくらでもあるでしょ」(7の75)
う〜ん、それにしましても、お母さんの叱り方のまあなんて繊細でやさしいことでしょうか (笑)。
これはあれですよね、容易に想像されることですが、母のこの台詞が出るまでには祖母と母で、つまりは母娘でおそらくだいぶこの問題について話し合っていますよね。
と言いますのは、「私」のしつこく付け回す待ち伏せ癖は、もうこれはちょっとなんて言いますか、変質者の一歩手前くらいですから、僕は二人がどれだけ心配していたことであろうかと推察いたします。

で、問題はこのあとなのですが、「はい、わかりました」って感じで、実にあっさりと「私」はやめちゃうのですよね。
プルーストさん、いくらなんでもそれはないでしょう、思春期や青年期の男の子が親に言われて「はい、そうですか」ってならないでしょう、逆に反抗するでしょう、普通。
「出自と躾」(7の158) とでも言いますか、生まれや育ちがいいとでも言いますか、お行儀がちょっとよすぎやしませんか。

これにはさらに驚くべきことがあって (笑)、サン=ルーも母親に言われて愛人のラシェルを同様にやめちゃうのですよね (7の25)、なんだかちょっとこれには笑っちゃうなあ、えーっ、二人ともって感じです。

それともこれはあれなのかな、繊細な「私」のことだから母親から言われた時に、祖母にも心配をかけたなと察知して、これからはゲルマント公爵夫人を追いかけ回すのはやめようと断固決意したのかな・・・、違うな。

③次は、第7巻を通して、一番美しかったところのご紹介です。

これはもうなんと言っても、最初の出だしですね、もうそれこそ巻頭レジュメをのぞけば実質的な1行目なのですが、
「その日は秋の単なる日曜日にすぎなかったが、私は生まれ変わったばかりで、目の前には真っ新 (さら) な人生が広がっていた。」(7の21)
う〜ん、この書き出しはすごいな、飾りけがなく素朴にして圧倒的なまでに美しい!
その直後の
「世界とわれわれが新たに再創造されるには、天気が変わるだけで充分なのだ。」(7の21)
は、ちょっと狙ってきたな、肩に力が入っているなとでも言いますか、構え過ぎな感じがいたします。

しかし、もうだいぶ慣れてきましたが (笑)、プルーストは最初と最後 (第7巻で言えば、最後とはもちろん言うまでもなく「公爵夫人の赤い靴」ですよね) は確実に締めてきますね。
これはなにかそうした性向のようなものが、実際に本人の中にあるのではないでしょうか?
例えばですが、プルーストの食事の仕方などにも、そのような気質が垣間見えたりはしていなかったのでしょうか?

④次は、僕に実に深い印象を残した箇所についてです。

「その結果、この物語がものがたる目に見えない天職が明らかになるまでの長い歳月、私は無用のまわり道をせずにすんだかもしれない。そんな天啓が今夜訪れていたら、 (後略)」(7の127)
う〜ん、これにはすごくいろいろなことを考えさせられました。
プルーストは51才で亡くなるまでの間に、恵まれた上流社会で育ちながらも、天職というこの問題について、実に深いところで理解していたんだな、おそらくは実際にかなりつらい悲しい体験をしたのではないでしょうか。

僕は39才でゼロから絵を始めましたけれども、天職というものは長い間、目に見えないものであり、いつも静かにひっそりとしていて、決して目立とうなどとはしてこないものでもあり、その結果として、なにかの啓示を授からない限り、本人でさえ果たして自分の天職はなになのかについて、なかなか気づくことができないですよね。

その後、僕の思考はプルーストのこの文章から「好きなことと得意なこととの違い」へと、次第に展開していきました。
例えばですが、ものすごくわかりやすい例で言えば、プロ野球選手にとって、野球は一見するといかにも天職であるように思われがちですが、果たして本当に天職であるのか、それとも単に特技であるのかは、選手本人にとってもなかなか難しい問題であるように思います。

⑤次に、最も謎めいていた箇所のご紹介なのですが、「フランソワーズ付きの若い従僕」(7の489) の例の手紙ですね、なんでこの手紙がこの部分にわざわざ挿入されているのか、物語の流れ的に特に必要ないですよね、この手紙。
なにか宙にポッカリと浮いている感じがいたします。
離れ小島のような感じとでも言えばよいのでしょうか。

毎巻本文読了後の自分へのご褒美のようにして、とても楽しみに読ませていただいている吉川氏の「訳者あとがき(七)」の中で、氏が従僕のこの手紙のことに触れられていて、僕のような一般の読者などにはわからない実に貴重な理解を得ることができましたが、直感的にはなにかこの間違いだらけの手紙は、「私の書棚から詩の本を何冊も持ち出した。」(6の330) という従僕の一件が、実はプルーストの身に実際に起こった出来事であり、その従僕に対する意趣返しに、過日プルーストが多少面白おかしく書いたものが単独で別に存在していて、それに少し手を加えてアレンジした上で、以前書いたものを活用するのであれば、まあこの場所が適当な配置かなと判断し、プルーストがこの構成を選択してきたように感じるのですが、真相はどうなのでしょうか?
「私の持っていた『秋の木の葉』の刊本はフランソワーズ付きの従僕が郷里への贈りものにしてしまい、私はそれを恨みながらも一刻たりとも無駄にせず、その従僕にもう一冊買いにやらせた。」(7の454) ともありますので、このリアリティーからも、おそらくはこの従僕は実在した人物であり、かなり手を焼いていたのではないでしょうか。

⑥あととても気になったことをもう2点だけ。

1点目は「私」のシャルリュス男爵邸訪問の件なのですが、これを読んでいて先日のホワイトハウスにおけるウクライナとアメリカの両大統領の激しい口論を咄嗟に思い出しました。
この二つの会談 (前者はほぼ1898年と推定されていますので、後者との間には実に127年の歳月が流れています) には、なにか類似した要素が感じられないでしょうか?
この現象からプルーストの作品世界がもつ今日性について考えさせられました。

またそれとは別件で、「私」が「男爵の真新しいシルクハット」(7の473) に飛びかかり、ばらばらに壊し、ひき裂く暴発行為が、そのあまりの激しさゆえに、個人的には非常に気になりました。

2点目は僕には小説家の心理についてはまるでわかりませんが、通常であれば、小説家は時事問題は作品の中に極力取り入れないように配慮するのではないでしょうか?
物語の中のなにか余計なところで揚げ足を取られて、せっかくの作品自体が本末転倒に至りそうですから。
そういう点から考えると、プルーストは当時のまさに最たる時事問題であるドレフュス事件を取り入れるどころの騒ぎではない、もうどっぷりと浸かり切っていますよね。

これはなんでプルーストはこんなことをしているのかなと、僕はずっと気になって考えていたのですが、サロンに集うドレフュス支持派と反ドレフュス派の人々の世相に、多面的な角度から照射するというような通り一遍の解釈ではないような気がどうもしていたのですが、「思いがけず早めに人生の終着駅にたどり着いたスワン」(7の522) が、死を前にして結構思いの丈を率直に「私」に話しますよね。
スワンのドレフュス事件に関するゲルマント一家評ですね、僕はここになにかプルーストの真意があるように感じて思わずはっとしました。
「どうにもならぬ偏見」(7の522) や「その血のなかに千年の封建制を受け継いでいる」(7の523、524) などの言葉からなんとか解明できないものでしょうか?

⑦さてさて、それではそろそろ本題に入りましょう、そうです、ここからがようやく本題なのです (笑)。
もうこの第7巻は徹頭徹尾これ抜きでは決して語れないですよね。
それは、僕がここで改めて力説するまでもなく「ゲルマント公爵夫人の才気」です。
そしてこれはかなり面倒で厄介な難問ですが、もう長くなりましたので、「ゲルマント公爵夫人の才気」につきましては、もちろん「公爵夫人の赤い靴」も含めまして、また次回とさせていただきます。

最後までお読みいただき、大変ありがとうございました。

(途中経過その4に続く)

2025年3月10日
和田 健

「途中経過その2」
https://kenwada2.com/2025/02/14/マルセル・プルースト-1871-1922-の「失われた時を求め-2/
「途中経過その2の番外編」
https://kenwada2.com/2025/02/16/マルセル・プルースト-1871-1922-の「失われた時を求め-3/

マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その2の番外編 第4巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」から、第6巻「ゲルマントのほう Ⅱ」までー

Posted in Essay 2012-2025 with tags , , , , , , , on 16 February 2025 by kenwada

(途中経過その2から続く)

Ken WADA, The bell tower on the square Sainte-Catherine, October 2009
Honfleur, Watercolor on paper, 17.8×12.7cm

「途中経過その2」の番外編です。
番外編なのですから、本当はもう少し無礼講で書きたかったのですが、なんだか書いているうちに、どんどん集中していってしまい・・・、結局、文章ってつくづく書いている本人 (この場合は和田健) のものにしかならないのですね。
まあ、そういう意味では、プルーストの書いている文章は、これはどうしてもプルースト本人にしかならないわけで、プルーストさんの気持ちもほんの少しだけですがわかります (笑)。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします。



Round 1、カーン!

「同性愛」

やっぱり、「私」のジルベルトやアルベルチーヌへの恋愛や、ゲルマント公爵夫人への激しいまでの恋い焦がれ、サン=ルーの愛人ラシェルへの恋愛と、恋愛が非常に奇妙だよね、病的だよね、神経症的に変だよね、偏執、固執、かたよった執着のようなものを感じます、はっきり言って。



皆さんはこのような恋愛を本当にしてきましたか?



まあ、スワンのオデットに対する病的なまでの神経症的な恋や、サン=ルーの愛人への嫉妬にのたうち回る恋は大人がしていることなのですから、この際放っておくとして、「私」のジルベルトに対する恋愛の時、語り手である「私」はまだ本当に男の子でしたよね、僕は中学生の時に好きだった女の子のことを、その一点に気持ちを集中して (笑)、久しぶりに思い出してみたのだけれども、やっぱり同じ男として、その一挙手一投足が気になる気持ちはわからないわけではないけれども、わからないでもないけれども、なんて言うのか、男の子って、男の子同士でいたいんですよね。
いくらなんでも、こんなに、「ジルベルト、ジルベルト!」ってならない、そこがなんか変です、特殊。



これは、フランス語で言うところのまさしくガマン (gamin) ですよね。

この年頃の男の子って、女の子のことは恥ずかしくて、いつもなんか気の合う男の子同士で、特にたいした用もないのに、ダラダラと一緒にたむろしているとでも言いますか、こんなに積極的にきびきびと (笑)、女の子に惹かれないのではないでしょうか?

そこが語り手の「私」は変です。
それとも、それはあくまで僕の場合なのかな〜?


問題は、その少し変なところを、さすがに年老いた祖母はわかっている、見抜いているはずであるのに、そこが今一つ書かれていない。

孫が病気であり病弱でもあることを、とても気にして心配しているけれども、孫の性の傾向についての祖母の見解なり杞憂なりが出てこない、書かれていない。

なんで?



まあ、この考え方を深めて進めていきますと、プルースト=「私」には結論として「禁欲」や「ストイック」という観念が少ない、少なくとも決して多くはないのではないでしょうか?

もう少し思春期特有の男の子らしいストイックさがあってもいいんじゃないかなとも思います。


または、こうした思春期や青年期に特徴的なシャイなところであったり、はにかむところであったりと、そうしたいかにも男の子らしいところが書かれていない。

それはなぜか?出自でしょう。

まあなんてきれいな男の子と、具体的には「男の子とは思えないくらいきれい」(2の487) と言われ続けてきた「私」の人生でしょう。

基本的に目当ての女の子に紹介さえしてもらえば、向こうは自分のことを好きになると、「私」はこれはもう完全に思っていますよね。

自らの魅力を決して「私」は疑わないわけです。

そこのところになにか非常に違和感があります。

つまりは、この年代に特有な誰もが多かれ少なかれもつであろうところの劣等感、コンプレックスが書かれていない。



結局ですね、突如として海辺に登場したこの華やかな5、6人のまだうら若い乙女たちは、同性愛者であるプルーストにとっては、ガマンなわけです。

やっぱり、ここのところの不自然さは、それでしか解明できない。

僕は女の子のことまではわかりませんけれども、でも現に女の子側は5、6人でいるわけではないですか。

それで同性愛者であるプルーストにとっては接近できたわけで、オクターヴとかの脇役の男の子がたとえいるにしても。

普通、ずかずかと5、6人の女の子に、男の子が1人で接近できませんよ、いやですよ、そんなの。

第一、まわりの男の子たちからひやかされますよ、からかわれますよ、そんなことをしたらね。

通常であれば、作家として、この場面設定はしてこないと思うのです、これは無理があるよな、不自然だよなと。

それを「イタチまわし」ごっこだとか、思春期になっていやですよ、変。

それが普通にできるということは・・・。



つまりは、僕が言いたいことは、これがもし相手が5、6人の男の子であれば、同性愛者であるプルーストにとっては、僕にとって相手が5、6人の女の子である場合と同じでハードルが高かったわけで、相手が5、6人の女子であったがために、プルーストにとっては、ハードルが低かった、少なくともそれほど高くはなかったのではないでしょうか、ということです。



ただしですね、もし仮にそうであるとしますと、これは同性愛者でないとわからない、いろいろな微妙な細部が理解できない小説ということになってしまいますよね?

そこのところを専門の研究者は、現在、どのように考えて捉えているのだろう?

つまりは、「同性愛者でない人がプルーストの作品を読んで理解できる限界点は、大体このあたりのところですよ」というような見解についてです。

2027年で最終篇が出版されてから、ちょうど100年になりますので、この問題についての専門家の見解についてぜひ学びたいです。


Round 2、カーン!「絵画と彫刻」

このプルーストという人は、もうここまで絵画や彫刻に造詣が深いと言うか、ちょっと尋常ではないこのレベルまでいくと、そこから逆に、文章というものの多面性について、その危険性をも含めて、おそらく十二分に理解していたのではないでしょうか。


「失われた時を求めて」は、これはもうほとんどある意味、美術解説書ですよね?

最初、なんでスワンが、僕は少しイライラしましたが、いちいち絵画上の誰それの人物に似ているとか、当てはめてくるのか、今や、よ〜くわかりました (笑)。


プルーストは、文章を書いている時に自らが損われていくような欠損の感覚を覚えて、おそらくは、無意識的にか、意識したうえでかまではわかりませんけれども、絵画、絵画、絵画と、なにか心の中のバランスを補い、必死にとろうとしているのではないでしょうか。

と言いますのは、とにもかくにもこんなに絵画作品が出てくる小説って他にないですよね、なにか異様です。
まあ、常識的に考えて、ここは意識したうえでしょうね、これだけ絵画を登場させておいて、「あれ?そう言えば、ずいぶん出てきているな」と、無意識ゆえにあとあと気づくというのは、ちょっといくらなんでも考えにくいですから。
ああ、でも僕が今読んでいるのは、これまでにないくらい常識にとらわれない極めて特異であり異端な方の作品なのでしたね。

最初は、この人一流の見せびらかしのようなものかもと思ったのですが、つまりは教養のですね、でも、そうではない、絵画や彫刻への、すなわち芸術作品への飢えを感じるのです、これには。

つまりは、文学をやっていて、それで亡くなったけれども、そうではなくて、小説の一場面を絵画や彫刻として観ることへの偏向であったりとか、なにかそういうものを感じませんか?

制作者側の立場や視点からみて、すごく感じませんか?
そのため、絵画や彫刻を随時挿入していかないと、なにかやっていけなかったような渇望を感じませんか?


結論として、僕の言いたいことは、この人はなにか自分の書いた文章を一幅の魅力的な絵として愛していませんか、ということです。
さらに言うのなら、この人は自らの記憶なり心象風景なりを絵画として心の奥底の額縁の中にとどめ、それらの中から最も美しいものを手元に引き寄せてはありありと眺めることに、なにか心理的な興奮を、おそらくは性的な快感を覚えている感じがいたします。

Round 3、カーン!「様々な恋愛」

第3ラウンドは非常にシンプルです、それはこれからの課題だからです。
なぜプルーストは、これだけの様々な恋愛の組み合わせを作品の中に、小説全体の構成として取り入れたのであろうか?
ここは大事です、直感的に。

その方が、より総合的な美が高まると判断したのであろうか?
ただし、その反面、話が複雑に込み入ってわかりにくくなることは自明であり、読者の集中力は分散します、当然。

もしこれが仮に一つや二つ程度の恋愛であれば、読者は「二人の恋愛は、このあとどうなるんだろう?」と、俄然、興味をもって話の筋を追いかけやすくなりますよね。

なにゆえ、プルーストは、各々が独立した形の様々な、でもそれでいてそれらのすべてが、プルーストゆえの病的なまでの神経症的な恋愛をこの作品の中に持ちこんだのか、その必要性はプルーストにとっていったいどこにあったのであろうか?

Round 4、カーン!「神や信仰の不在」

第6巻までを読んできて、すごく気になることは、なんて言うのか、教会の場面やその描写については散見されるけれども、総じて神や信仰の問題が書かれていない。
もちろん、別に書かれていなくてもなにも構わないわけですが、そのために、人知を越えたもの、人為の及ばないものに対する「私」のおそれが感じられない。
おそれおののく震えのようなものは感じられない。

この作品の中には、もうそれこそいたるところに美が満ちあふれている感じがいたしますし、教会の外観や内部の装飾であったり、教会で出会ったゲルマント公爵夫人については詳しく語られ、究極なまでに美意識の高い作品であると思いますが、神や信仰の問題そのものにつきましては、なにも触れられていない。

え〜と、僕はフランスに7年間住んでいましたので、彼の国の人々の生活が少しはわかるのですが、日曜日になれば多くの家庭において教会に礼拝に出かけますので、その習慣の積み重ねと、プルーストの記述にはなにか乖離があるように感じられるのです。
以下のような記述にも、具体的にそのことが感じられます。
「いかにも偽善者然とした主任司祭や猫をかぶった聴罪司祭といったタイプ」(5の359)、
「聖職者には、精神科医と同じで、つねにどこかしら予審判事めいたところがある。」(6の366)

作者はプルーストであり、もちろんプルーストの記述によって語り手である「私」の行動が決定していきますので、読者である僕にとっては、「私」が別に誰とどのような恋愛をしようと、一読者として物語のあとを追っていくしかないわけですが、「私はヨセフにもなりパロにもなって自分の夢の解釈をはじめた」(3の435) にみられるように、幼少の頃より当然のごとくその物語である旧約聖書にはかなり親しんでいるはずであるのに、プルーストの記述の中には「そのような女性関係を絶え間なく続けていたら、今にきっとヨセフのように穴に落ちるよ」というような予見であり、「私」に対するいたわりが感じられない、誰とどのような恋愛をしようと勝手だろ、こわいものなんかないっていうなにか野放図な感じがする。

例えば、ジルベルトに対しても、アルべルチーヌに対しても、もう愛してなんかいなくなくなる、無関心になる、つまりは「私」の変わり身がいくらなんでも少し早過ぎる感じがする。
具体的にはですね、具体例を示すことは非常に大切ですよね、ジルベルトに対しては、「それから二年後、祖母とともにバルベックに発ったとき、私はジルベルトにはほぼ完全に無関心になっていた。」(4の25) とあり、また、アルベルチーヌに対しては、この引用はすでに2025年2月7日から読み始めている次の第7巻からになってしまいますが、「私は、もはやアルベルチーヌを愛してはいなかったばかりか、・・・(中略) ずいぶん前から私がアルベルチーヌにすっかり無関心になっていたことは疑いようもない。」(7の44) とあります、ここのところ。

それともこれはあれなのでしょうか、僕の書いていることは「失われた時を求めて」の言わばライブ中継版のようなものですので、僕の杞憂に対して、このあとの展開で劇的などんでん返しが待っているのでしょうか?

Round 5、最終ラウンド、カーン!「「私」自身の魅力の希薄さ」

これにつきましても、このあとの展開におけるどんでん返し系なのでしょうか?
え〜と、第6巻までを読んできて、この点はすごく気になりました。
結局、あれですよね、ここで改めて念のために一度再確認いたしますが、語り手である「私」は、この物語の主人公であると言ってよいですよね、これには特に異論もないように思います。
それであれば、これは極めて異様な事態で、「私」の目を通して語られ描写される、例えばですが、祖母はあまりにも当たり前過ぎて割愛するにしても、レオニ叔母 (正確には大叔母)、アドルフ大叔父、フランソワーズ、スワン、オデット、サン=ルー・・・・などなど、もうそれこそ書き切れませんが、例えば、バルベックで出会った乙女たちの一人アンドレにいたるまで、まあそれなりに、皆さん実にいきいきと活写され、新鮮で生気に満ちあふれていますが、肝心要の主人公の「私」は前に出てきているようで、実はそれほどでもないように思うのです。
つまりは、主役よりも脇役たちが前面に出てきているとでもいうような。

結局、これはどうしてなのかについて考えていきますと、「私」は仕事をなかなか始められないでいますよね、祖母もその点をすごく心配して、いつも気にかけてくれていますよね。
でも、その箇所が案外さらっと流されていて、なかなか書き始められないでいる「私」の日々の苦悩であり、焦燥であり、はたまた狂乱であったりと、そこの部分の掘り下げがない、書かれていない、この部分に端的な原因があるように僕は思うのですが、どうなのでしょうか?

そうした日々の葛藤には、さほど焦点が当てられないままに、海辺で出会った5、6人の乙女たちに夢中になったり、ゲルマント公爵夫人を追いかけ回して路上で待ち伏せしているような「私」(しかしそれにしましても、この主人公は待ち伏せが好きですね) に、一読者として感情移入したり共感したりすることには、多少無理があるように思うのですが、でもそのようなこと (というのは主人公の魅力の希薄さ、乏しさについて) は、全体構成の大家であり巨匠でもあるプルーストは当然のごとく考慮に入れているでしょうから、これはやっぱりあれなのかな〜、プルーストは故意に「私」の魅力を引き延ばしている、意図的にそこの部分を続編へと引っ張っているだけなのかもしれないな、その可能性は確かに少なからずあると思うな、というあたりで番外編を終わりにいたします。

(途中経過その3に続く)


2025年2月16日

和田 健

第7巻から第9巻までの「途中経過その3」は、僕の眼の状態にもよりますが、大体2025年5月下旬ごろを予定しております。

「途中経過その1」
https://kenwada2.com/2024/11/20/マルセル・プルースト-1871-1922-の「失われた時を求め/
「途中経過その2」
https://kenwada2.com/2025/02/14/マルセル・プルースト-1871-1922-の「失われた時を求め-2/