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エスキースから考えたこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , , on 15 August 2013 by kenwada

Esquisse 1

Esquisse 1

Esquisse 2

Esquisse 2

Esquisse 3

Esquisse 3

Esquisse 4

Esquisse 4

現場に座ってのエスキース作りは、僕の創作活動の生命線である。
絶対に現場でなければならない。
パソコンに取り込んだ写真の前では不可である。
様々な気象条件に左右されながらの現場でのエスキース作りは、すごく楽しい。
目の前の自然から実に多くのことを教えられ、考えさせられながら少しずつ学ぶ。

上2枚は、アトリエから歩いて3分くらいのところに流れている
沢を描いた6枚のエスキースの中の2枚。
この沢の美しさを表現することは難しい。
Alberto Giacomettiが、
「本物の画家は美しい風景を求めて旅行など決してしない。」
と言ったのは、正しくその通りである。
アトリエの裏の沢で十分である。
Esquisse 1がその時の4枚目、Esquisse 2が6枚目。
ちなみに、Giacomettiの言葉は、この後、「どんな世界一周旅行よりも大きな旅行
が人の顔の中にある。」と続き、矢内原氏の顔と格闘するのだけれど、この話は
また今度。
いやまた今度ではなく、以下はこの話の周辺なのかもしれない。

下2枚は、自転車で付近の牧草地に出かけて、その回りの森林を描いた6枚の
エスキースの中の2枚。
Esquisse 3がその時の5枚目、Esquisse 4が6枚目。

さて今回考えさせられたことは、以下の2点である。
1、我々人間の脳は、ある風景なり、人物なりを見た時に、「主」に見えたもの、
感じたものが実は「従」で、「従」に見えたもの、感じたものが実は「主」
なのではないか、ということ。
2、言葉に依らない、ということ。

1点目は、Esquisse 1を描いていて、最初目を奪われた沢の上を覆う木や枝、
葉を表現していたのだけれど、4枚目に水の流れだけのEsquisse 1を描いて、
パン!と初めて風景が”見えた”。
あれ、どうしてなのだろう?と思い、描いたのがEsquisse 2でその発展系。

Esquisse 3の時も、この風景の前に大きな木が3、4本立っていて、
最初そこに目が奪われそれを表現して今ひとつの後、実は後ろの山なのでは
ないかと思い、描いたら一発で見えた。
どうしてなのだろう?

人間は普段朝から晩まで何かの風景なり、人物なり、机でも椅子でも何でも
いいのだけれど、何かを見ながら生活しているが、実はパッと見て「主」と
して見えているところが実は「従」で、パッと見た時に「従」に見えたところ
にこそ「主」たる部分が隠されているのではないかという仮説です。

無意識絵画の創造に取り組んでいる時に、描いている筆の先だけは見ない、
ということをやっていて、これを個人的に「四隅に目を飛ばす」と呼んでいる
のだけれど、それと何か関連がある気がする。
この訓練として、例えば相撲中継を観ている時に力士だけは見ない、
というのを取り入れていて、いつも画面の土俵の回りに座っている人の手の動き
だとか、何着ているとかだけ見るようにしている。
あるいは、そんなことばかりやっているからそうなるのかもしれないけれど、
見えたものの中の主が従で、従に見えたものが実は主であるというのは、
そこに一般的な何かが存在していると直感的に思えてならない。

2点目の言葉に依らない、というのは、Esquisse 1を描いた時に、頭のどこかに
沢を描いていて山を描いたらやっぱりまずいよな、というのがあるのだと思う。
こういうのは幼少時の学校教育とかがすごく関係していると思う。
山と答えなければいけないところを海と答えると×になるというような。
次の( )に当てはまる言葉を答えなさい、
で答えられると点数が取れてよいとされてきたような。
Esquisse 1を描いていて沢を描いて、ああ、それでよし、パッと見えたと思った
のかもしれない。
主も従もなく、( )に当てはまる言葉が描けただけなのかもしれない。

このことに初めて気づいたのは、ウィトゲンシュタインの「青色本」と
「哲学探究」を読んでいた時で、
『私が誰かを買物にやる。
かれに「赤いリンゴを五つ買ってきてくれ」(青色本では六つ)』
という紙片を渡す話に強い衝撃を受けた。
結局、沢を描いていて一瞬でもこれは沢だなと言葉で思ってしまった瞬間に、
もうこれは誰が何と言っても、あなたが描いているのは沢なんですよ、という
ある種の規制が入ってしまうのではないだろうか。
山を見て山という言葉に置き換えてしまった瞬間に山でしかなくなるのだと思う。
言葉の枠をはずすこと、そのためには、風景を見た時に言葉を用いずに、
いつも「一体これは何だろう?」と思う練習をするといいと思う。

このことに気づいたもう一つの理由は、「身ぶり」ということで、
昨年、大江健三郎氏と仏人作家のパトリック・シャモワゾー氏の対談を聴いた
時に、このキーワードが出てきた。
確かに7年海外にいてよくわかったけれど、言葉が不自由だと人間何とか
必死で伝えようとして、この身ぶりというのが出てくる。
風景を前にした時に、身ぶりでそれを表現する、それもできるだけ大きな
身ぶりで表現する、という練習を加えていこう。

Grenn Gouldが森の中の沢だか滝だかに向かって大きな声で歌いながら指揮の
ような動作をする映像があるのだけれど(動物園で動物に向かって歌いながら
指揮する映像もある)、
あそこは笑うところではなくて、あれも結局同じことなのだと思う。
自然のエネルギーを言葉に依ってではなく、身ぶりに依って吸収した方が、
得られるエネルギーがはるかに大きいということを、彼は実感して日常化していた
のだと思う。

先日書いたトルストイの「コザック」の再読を始めました。
僕の本は、中央公論新社版のものだけれど、あの32、33ページの
「あれはいったいなんだね?」
「山でさあ」
山々は・・・・山々は・・・・山々は・・・・
の表現には驚かされる。
超弩級の才能があるからできることなのだろうけれど、
でも言葉に依る小説家が言葉に依らないことが書けているのに、
もともと言葉に依らないはずの絵画の人が、言葉に依らないことが描けない
としたら、自分に対して情けないし悔しいと思います。

長くなりました。
以上です。

ニワトリが出て来て口々に何かを言う

Posted in Essay 2012-2026 with tags , on 4 May 2013 by kenwada

(僕は脈絡のない話というのが好きだ。話に脈絡があるというのは、その時点で
完結している、終わっている。従って、おそらく脳の発展には至らないだろう。)

テレビでマニー・パッキャオの幼なじみのトレーナーが言っていた。
パッキャオの試合でラウンドの間にコーナーの横からいつも顔を出して、
フィリピン語で話しかけるあのおなじみのセコンドだ。

俺たちは昔足にナイフをつけて戦う闘鶏のニワトリのようなもんだった。
そして今でもニワトリのようなもんだ。
これには驚いた。
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
赤いニワトリと白いニワトリ。
太ったニワトリとやせたニワトリ。
代々木上原のニワトリ、代々木八幡のニワトリ。
おしゃべりなニワトリ、シャイなニワトリ。
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ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
you can’t connect the dots looking forward. *¹
未来を見つめながら点と点をつなぐことはできない。
これには泣いた。
ロンドンのテムズ川沿いのニワトリとパリの屋根裏のニワトリ。
大群のニワトリ、一羽のニワトリ。
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ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
アップルの社債。
北青山のニワトリと南青山のニワトリ。
頭の禿げたニワトリ、毛のふさふさしたニワトリ。
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今わたしは、たえず魂の年金を楽しんでいます。
賑やかなニワトリと物静かなニワトリ。
街の中のニワトリ、山奥のニワトリ。
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写真家の撮った写真はつまらない。
構図に光量、必殺のノスタルジー、いかしたune oblique、決定的瞬間。
小説家の書いた小説はつまらない。
起承転結、希代のストーリー・テラー、暴力とセックス、市場調査。
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竹橋のフランシス・ベーコン。
I realized when I was seventeen.
I remenber it very very clearly.
I remenber looking at a dog-shit on the pavement and suddenly
realized, there it is—this is what life is like. *²
17歳で道端の犬の糞を見て、人生の何を悟ったのだろう。
犬の糞の中に死を見たのか、無が見えたのか。
未来を見たのか、宇宙が見えたのか。
その時、その道端にニワトリが歩いていなかったか。
列をなして何羽も何羽も大群のように、あるものは狂ったように
列をはみ出し、歩道に乗り上げ、人の家の戸口に勝手に入り、
あるものは何かをしきりにわめきたてながら苦しそうに
反対方向に歩いていなかったか。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
毎日のランニング。
腹の出たニワトリと腹の出ていないニワトリ。
金満家のニワトリ、物乞いのニワトリ。
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ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ、ニワトリ
俺たちは今でもニワトリのようなもんだ。
ニワトリが出て来て何かを言う。
ニワトリが出て来て口々に何かを言う。

            2013年5月3日

*¹ Steve Jobs, the Commencement address, 2005
*² Words from the interviews with Francis Bacon by David Sylvester, 1975

検証 ー「犬の爪跡」ー

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 3 December 2012 by kenwada

以下のエッセーは、今年の3月に書いて没にしていたものです。
12月1日に掲載したエッセー「クリント·イーストウッド方式」と
少し関連があるように思いましたので掲載します。
これを書いた後、5月の個展、11月の二人展と経過して、
少し思うところはありますが、原文のまま掲載します。
しかし今読むと、Pollock の When I am in my painting っていうのは
それだけでゾクゾクしますね。

無意識というのは、「記録」である。
無意識というものを隠れ蓑に、実は意識の集大成なっているのではないかという
問題に悶々としていたのだが、また無意識そのものを見つけた。
我家の台所の床は、32×32cmの正方形の床板が組み合わされて
できているが、これに愛犬がつけた爪の跡である。
これは全くの無意識である。
しかしこれを果たして絵画と言えるか?言えない。
それでは何か?「記録」である。
「記録」が絵画と言えないのなら、絵画というものをすべて排除したい。
何故なら無意識である記録の方が美しいから。

犬の爪跡、2012年3月
紙に墨、水彩、白鉛筆、32.0×32.0cm
The claw marks of my dog on the floor in the kitchen, March 2012
India ink, watercolour and white pencil on paper, 32.0×32.0cm

トレーシングペーパーでは無理なので、サランラップを用い正確に爪跡をなぞる。
そしてカーボン紙で水彩紙にこれまた正確に写す。
これを観ると、結局真に無意識的なるものは、絵にならないことがわかる。
ただの凡庸とした「記録」にとどまることがわかる。
これは絵画ではない。では何か。何度も言うけれども「記録」である。
逆に言うと、絵画になっているということは、そこに何らかの意識が働いている
ということになる。
どのようにして意識の枠をはずすか?
どのようにして構築の枠をはずすか?
どのようにして何らかの働く意図をはずすか?
すべて絵画にする以上無理なのか。
結局、無意識を隠れ蓑にした意識の集大成でよいのではないだろうか?
「無意識から湧き上がるイメージを重視したスタイル」くらいで満足すべきか。
そこに現実的な妥協という名目の一致点を見出すべきか。

Jackson Pollockが言っている。
「絵の中にいるとき、私は自分のしていることを意識していない。
「知り合う」ための時間を過ごした後、やっと私は自分のやっていたことを
わかるようになるのです。」
以下原文。
(When I am in my painting, I’m not aware of what I’m doing.
It is only after a sort of ‘get acquainted’ period that I see what I have been about. 
-My painting, 1956)
これは痛いほどよくわかる。
そうだよな、そうでなくっちゃ、そう来なくっちゃなと思う。

La Galerie de Ken WADAに載せたロンドンの壁の写真(10枚)のような
無意識の集結としての美しさは存在する、確かに存在する。
・苔むした樹皮の美しさなども無意識の集結である。
・目を閉じて描いてみたらどうだろうか。
・絵画制作時の枠外にはみ出した部分(枠外は美しい)を組み合わせる。
・これとギブロス疑似聖刻文字(前15~14世紀)、甲骨文字(前14~11世紀)等の象形文字。
(こんなものを3500年前に描かれていたら我々のすることなんか何にもない気がする。)
・自分へ「よく考えること」。

クリント· イーストウッド方式

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 1 December 2012 by kenwada

二人展をしている最中にクリント· イーストウッドの最新主演作「人生の特等席」
の記事を新聞で読みました。

パリのモンマルトルに住んでいた頃、日曜日になるとサン· ラサール駅の近くに
ある映画館にフランス語の勉強を兼ねてよく通っていました。
日曜日の一回目の上映に行くと、5ユーロ(当時)で観ることができたからです。
モンマルトルの部屋から、ほとんどのお店が閉まる閑散とした日曜日のパリの
街を映画館までぶらぶらと30分くらいかけて歩いて行くのが好きでした。

この映画館では一人で随分いろいろな映画を観たけれど、2004年に
クリント· イーストウッドの「ミリオンダラー·ベイビー」を観た時には強い印象を
受けました。
イーストウッドって若い頃はかなりの(失礼ながら本当にかなりの)
大根役者でした。
それが当時74歳にもなって何て演技が瑞々しいのだろう、いくつもの心の襞を
何でこんなにも優しく大らかに体現できるのだろうと思いかなり感動しました。
その後モンパルナスの映画館で2008年に妻と「グラン·トリノ」を観た時にも
同じ観点から「この人は全然違う」と感じました。

早くに独立して監督主演をしながら賞レースとは無縁の一種形容のつかない
B級のような映画を撮り続けることで、結局人生の最後になって役者としても
監督としても一番瑞々しいのは彼だったということは、僕に大きなヒントを与えて
くれました。

僕はこれを個人的に「クリント· イーストウッド方式」と名付け、早くに独立して
個展を繰り返す自分と重ね合わせて「制作ノート」にその概要をメモしたのは
2007年のことだったと思います。

作家は個展を繰り返すことでしか前に進めない。
でも個展を繰り返すというのは大変なことですので、そんな時は、
自分に「クリント· イーストウッド方式、クリント· イーストウッド方式」と
繰り返し言って自分を励ましています。

ところで「人は何故個展をするのでしょうか」
これは根本的な大問題です。
これについては日を改めて一度きちんと書いてみたい。
書けた内容云々ではなく、この問題には一作家として正面から取り組んで
みたいのです。

さて二人展の最終日、いつも応援して下さるアートディレクターのK氏がご来場、
弾む会話の中でさりげなく井上有一作品集を出されました。
わからないように気を使われながら、予め本をご用意下さったのは
明らかだと思います。
僕が二人展の最終日にこの本と出会ったのは単なる偶然ではないと思います。
浅学な僕は凄く恥ずかしいのですが、井上有一という方を知りませんでした。
作品集を観て、これは「世界レベル」だな「ワールド·クラス」だなと感じました。
「島国王者」じゃないということです。
島国王者とは別名「地域の名士」とも言います。
これについては話しがそれますので、また別の機会に書きます。

氏の一連のコンテ書作品を観て、自分のやってきたこと、考えてきたことの
方向性は間違っていないなと思いました。
要は思考の行き着く先は同じことになるということで、
地球をある地点から右回りに半周しようが左回りに半周しようが、
同じ地点で出くわすということです。
僕の場合はJean DUBUFFET からJean-Michel BASQUIATと来てこの考え方に
辿り着きました。
以前のエッセー「ドラクロアの三角形を回す」にも書きましたが、
DUBUFFETという人は凄い才能をもった人で、パリのポンピドゥーで街や公園、
すなわち地図なんか全部上から叩きつぶしてしまえばいいんだよな、
と彼の作品を観て衝撃を受け、そうだよなそう来なくちゃなと思い、
ロンドンのテート·モダンでも必死で観ました。
パリ市立近代美術館でBASQUIATの大回顧展を観た時、DUBUFFETの系譜を
はっきりとそこに感じポンピドゥ−ーでBASQUIATの作品を再度観て確かめて、
自分で独自に発展させてきた考えをもとに
「これは、いったいカ(か)なのだろうか、力(ちから)なのだろうか」という
作品を今年の3月に8枚作りましたが、それは、カの字を紙面いっぱいに
何個も何個も書きなぐった作品で、一連の無意識の問題は結局これですべて表せる
と思いましたが、常規を逸しているので、それをここに載せてもいいものかと
思い、載せなかった、自分のその気の弱さこそが最大の致命的なところなのだ
ということです。

今年の12月から来年の4月にかけての仕事は、今連作している「私の構図」です。
16まで描いたところで、これはとてもこれだけでは終わらないと思い、
次第に構想が大きく膨らみ始め、第2章「拡散」、第3章「溶解」として終わろう
かと思いましたが、そんな起承転結なんか新聞記者じゃあるまいし、
DUBUFFETみたいに上からぶっつぶして、とことんやってみようと、病い、暗黒、
地獄の底、再起、再生、、、などをテーマに描いてみようと思います。

今回の二人展の垣内さんの再出発は、まるでドストエフスキーの「罪と罰」の
最後の場面、最終ページそのもので、僕はちょうど先月、何度目かを読み終えた
ところなのですが、僕の目標はいつの日かソーニャを描くことなんです。
タイトルまでもう“Sonia Painting”と決めてあるんです。
「私の構図」が描けなければ、とても「ソーニャ」まではいけないだろうな。

ちなみに1866年の「罪と罰」から1880年の「カラマーゾフの兄弟」への
ベクトルで、総合小説、複合的な視点、小説としての完成度の観点から語られ
ることが多いみたいだけれど、僕のベクトルは逆方向で、僕はこの二作品から、
芸術は結局は「原石勝負」なのではないかということを強く感じました。
野球でいったら、とにかく足が速くて肩が強い、ということです。
ボクシングでいったら、ディフェンスは悪いし、フットワークはべた足、
でもとにかくパンチがある、ということです。
もちろんスポーツと芸術は違う訳だけれど、例えです、例え。

もう一つ12月から来年にかけての仕事は、
「マントノンの思い出 ーあるいは世の中の極めて胡散臭い物事に対する
自分なりのささやかな反論ー」と題する散文だかお話だかを書いてみたい。
実は少しもう書き始めました。
マントノンの生活から1年以上が経ち、書くにはもういい頃だと思います。

以上です。

最近思うこと

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 23 July 2012 by kenwada

1.  ゴッホの例を持ち出すまでもなく、「絵画」とは、要は人生のその時点における
その人の「純密度」のことである。
従って純密度が上がれば絵画の質も上がるし、純密度が下がれば絵画の質も
下がる。

2.  毎日描いているとつくづく感じることだが、
「デッサン」とは、要は「漢字」である。
「漢字」とは、要は「デッサン」である。
これは漢字の起源を考えてみれば、当たり前のことである。
数々の象形文字、とりわけビブロス疑似聖刻文字の美しさ。
こんな面白いものを紀元前15~14世紀に描かれていては、
すなわち3500年も前に描かれていては、
もう抽象画家のやることなど何もないのではないかと感じさせる美しさ。

3. そこで問題となるのは、漢字文化圏の人間である日本人には、
当然のことながら、漢字に対してイニシアチブがあるべきはずなのに、
どうしてFranz KlineやJoan Mitchell、またはPierre Alechinskyらが
やっているような仕事がなかったのか、あるいはまたは少なかったのか
ということは、ちょっと考えておかなければいけない。
実際に書道の手ほどきを受け来日して書道の映画作りもしたAlechinskyの例を
持ち出して比較しての話ではなく、彼らの仕事の中に漢字に対する
イニシアチブを、極「一般的」に感じる。

4.  最近、立て続けに「傾いた世界8」を潰した。
このところの調子自体は悪くないので、
自分にはできないかもしれないと思った。
「傾いた世界」なんて、自分には見えないのではないかと思った。
いくら線を引いても形が出てこない、見えてこない、
見えなければ、描けない。
当たり前の話しである。
見えなければ、どうなるか。
終わりである。The end.
これも当たり前の話しである。

この問題を考えていて行き着いたのは、
もっと大胆に試みたらいいのではないか、ということである。
もうそういう時期に来ているのに、それを相も変わらず塗っているから、
その義務感、自己に対するケチさから離れられないから、
一種の自家中毒のような矛盾を自分に対して起こしている
のではないだろうか。
何のことはない、苦しんでいたのは、自分に対して自分が吐き気を
催していることに、自分が気づかないという、間の抜けた話しである。
しかしながら、これらのことが無意識下で進行していて、
今日ようやく気づけたということ自体が、確実に一つの「傾いた世界」である。
「義務の中にいるな」ということは、ロンドンのMaggy ROBERT氏から教わった。
氏からは、抽象画にもっていくために色と形を変えることについての、
究極のエッセンスも学んだ。
感謝しても仕切れない。

5.  最近読んだ本で一番面白かったのは、
ジャン・ジャック・ルソーの「告白」(岩波文庫上中下巻)。
こんないい本が絶版だなんて。
最初、図書館で延長しながら借りて読み、さらにアマゾンで買って読んだ。
一人の男が徒手空拳で読書と出会った人々から受けた影響だけを頼りに、
18世紀最大のフランスの思想家に登り詰めるお話。
僕は、「どうやって仕事を作るか」という観点から読んだが、
何カ所もハッとするところがあった。
同じくルソーの「孤独な散歩者の夢想」(岩波文庫)も素晴らしい。
重要なヒントをいくつももらった。
それから、この一年で3回目になるヘルマン·ヘッセの「車輪の下」(新潮文庫)。
この中で主人公のハンス·ギーベンラートが神学校の試験を終え、
魚釣りに行く場面は例えようもなく美しい。
圧倒的に美しい。
これを読むといつも小川の岸辺で「川面」や「ユール谷の風景」のシリーズを
粘っては格闘しながら描いていたフランスのChimayという
まるで隠れ家のようなひっそりとした場所、僕にとっての自然の教室であり
道場でもあった大切な場所を思い出す。

6.  話しは変わるけれど、ある人が絵を始めた時点で、
絵の資質があるかどうかは、
結局は「色と形に反応するかどうか」だけだと思います。
これは、例えばその人と一緒に横に並んで絵を観ている時に、
絵を観ずに、集中してその人を見ていると比較的容易にわかります。
一緒になって目の前の絵を観ていてもわかりません。

7.  当たり前の話しになりますが、「子供の時から絵が上手い」ということと、
「作家として自分の作品の世界を展開·伸張できる」という能力は
全く別のものです。
ところが、ここの大切なポイントがどうも混同されているように思います。
例えば、どこの小学校にも昔から必ずクラスや学年の中に
字の上手い子がいます。
でもその子に向かって、
「すごく字が上手いね。きっと将来いい小説家になるね。」
と言ったら、その子も意味がわからないし、
周りで聞いていた人も???でしょう。
ところがどういう訳か、これもまた昔から必ずといっていい程、
どこの小学校の学年にもいる絵の上手な子に、
「上手な絵を描くね。きっと将来は画家になるね。」
と言うことはよく見受けられます。

8.  このことについて一歩進めて考えてみると、
確かに極まれに「子供の時から絵が上手い」、「作家として自分の世界を
展開できる」という両者を兼ね備えた人がいます。
この例の一番わかりやすい代表者は、何といってもピカソです。
でも天は二物を与えないので、例えば、マティスは法学部からの転向、
ボナールも法学部からの転向、ゴーギャンは株式仲買人から、
ゴッホは宣教師・教師から、カンディンスキーは法学·医学からの転向
というように(まだまだ枚挙に遑がありませんが)、
全く違う分野からの転向組が多いのも事実です。
この事実は何を意味しているかというと、簡単に言うと絵画にはかなりの知力が
要るということです。
少なくとも、マティス、ボナール、ゴーギャン、ゴッホ、カンディンスキーという、
この言ってみれば“オール・スター”5人が揃いも揃ってそうだということは、
そこに何か共通に含まれる要素があると考えた方がいいように思います。
以前、平山郁夫さんの本を読んでいた時に、
氏のおじさんが甥が絵が上手いのをわかっていたけれど、
大学受験の直前になるまで、(一般の)勉強をさせるために芸大受験を
勧めなかった、というエピソードを読んですごいおじさんだなあ、
と思ったことを思い出しました。
氏のおじさんはここのところが痛い程わかっていたのだと思います。

ドラクロワの三角形を回す

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 19 June 2012 by kenwada

今回は、色の勉強について書きます。

昨日、今描いている「傾いた世界3」の制作をしている時、
青色と金色の素晴らしく美しい対比に気づき感動しました。
特にスマルトブルーについては、際立って美しい対比をみせます。
断るまでもなく、青色の補色は橙色ですが、
この二色の対比については、今後研究してみる価値があると思います。

当たり前のことですが、絵を仕事にしている人で、色の勉強をしていない人は
一人もいないと思います。
ですが、この色の勉強をどのようにするか、進めるかというのは、
根源的な問題に関わる非常に大切なことだと思います。

僕の場合は、フランスのパリ時代に、毎日アカデミーに通って
裸婦のデッサンや油彩をしている内に、
やはりこの色の勉強をクリアーしておかないと、
勘に頼ってやっているだけではどうにもならない、もうこれ以上前には進めない、
という感じになりました。
これも当然そうなることで、めずらしくはない。
そこでまず、アカデミーの帰りにRennesの図書館で、
色の本をあるだけ7、8冊借りてきました。
それをモンマルトルのアパルトモンの部屋で、じっくりと一冊ずつ見て、
まず自分に一番合う本を慎重に一冊決めました。
そして今度はその本をパリの大きな本屋で買ってきて、辞書を使いながら
徹底して全部読み、さらに繰り返しては読み、基礎(原理原則)を頭に入れました。
「Manuel de la COULEUR」というSolar出版から出ている本で、
本当に素晴らしい本です。
こういうのは、学生時代の勉強と似ていて、何冊も問題集をやるよりも、
自分に合う一冊を繰り返した方が力がつく(効果がある)と思います。

基礎ができたところで、実地の応用に入りました。
僕はこの応用をHenri MATISSEの絵で勉強しました。
MATISSEを選んだことは、今でもいい判断(正解)だったなと思います。

話がそれますが、僕はMATISSEのことを天才と呼んではいけないと思っています。
MATISSEのことは、いつもきちんと大天才と呼ばないといけない、そういう人。
彼は天才ではなくて大天才。
ちなみにフランス絵画史の中で、Eugène DELACROIXという巨星がいるので、
時代をDELACROIX以降と限れば、
最大の芸術家は誰か?という問いに答えるのはとても簡単で、Claude MONETです。
最大の天才は誰か?という問いに答えるのも簡単で、Henri MATISSE。
では最も才能があったのは誰か?この辺りからが骨のある答えがいのある問いになると思います。
僕は晩年の作品をのぞき、ワイン商から画家に転じたJean DUBUFFETだと思います。

MATISSEはその晩年に至るまで、実に基本通りに、
これでもかというくらい几帳面に基本通りに色を使いました。
ですから色の勉強をMATISSEの絵ですることはとてもよいことだと思います。
初めは、Centre Pompidouの実物の作品や画集の絵を前にして、
赤だから隣は緑、黄色だから隣は紫、青の横だから橙、
・・・と一つ一つやっていく訳です。

この「読み解き」ができるようになった頃と並行して、ちょうどアカデミーの方でも、
Modèl vivant(モデルポーズ)を前に、制作が追いつかない、
昔学校の美術室に貼ってあったり、画家のアトリエによくあるあの円形の12色相環
ではとてもでないが、スピードが間に合わない、という問題が出てきました。
あのようなものは部屋に飾る分には見た目もよいのですが、実践的ではありません。
そこで、僕が使い出したのは、ドラクロワが手帳に書き留めていた三角形です。
これも確かパリの図書館で借りてきた本で見ました。
咄嗟に「あ、これはすごい、使える!」と感じました。
以降、個人的に「ドラクロワの三角形」と呼んで、今日まで僕の頭の中の宝物になっています。
ドラクロワの三角形を使用し始めてから、アカデミーのモデルポーズを前にした
あの緊迫した状態の中でも何とか対応できるようになりました。
ドラクロワの時代に、これを手帳に書き留め、実地の表現等にすでに使っていた
というのは、印象派の遥か先を行くすごいことだと思います。
その流れをたどっていくと、ベラスケスからやっぱりと言うべきかレンブラントに
たどり着きますが、この話はまた別の時にします。
ドラクロワには、この他にも、画家にとって大切なことは、毎日、庭の洗濯物を
見ることだという至言もありますが、これもまた別の時に。

ドラクロワの三角形について説明します。
正三角形ABCを書き、Aに赤、Bに黄、Cに青を置きます。
辺ABの中点が橙、辺BCの中点が緑、辺ACの中点が紫です。
また自分で、3本の垂直二等分線の交点が黒、
正三角形ABCの外周に大きな円を書き、円周外側が白と加えていきました。

MATISSEの絵の読み込みをしていると、
実はMATISSEは三角形ABCを微妙にスライドさせて、
三角形A′B′C′のような三角形をいくつも作っていることに気づきました。
すなわちAの赤、Bの黄、Cの青を何種類ももっていて、三角形をいくつもつくり、
線分A′Cのような新しい線分で組み合わせを増やしてくるのです。
この辺り、実際に紙や黒板上で図示しながら説明できないのがもどかしいです。
これを個人的に「チャンネルを回す」と呼んでいます。
このチャンネルを回すという感覚をつかめたことは、以降とても大きかったと思います。
昔のテレビのチャンネルのイメージで、
右回り、左回りにチャンネルを自由自在に回してくるのです。
これがわかってから、三原色の赤、黄、青の種類をできるだけ多くもつように、
すなわち三頂点の位置を少しだけずらしながらできるだけ多くの三角形を
書けるように準備しました。

MATISSEで勉強した後、次にPierre BONNARDの絵で色の勉強をしました。
MATISSEの生涯基礎基本原則通りに比べると、
BONNARDは補色の位置を微妙な距離をおいて離していたり、読み解きに時間がかかります。
どんなにすごい人でも、すぐにさっさとわかるという人は、僕はいないと思います。
でもこれに没頭して、少しは前に進めたかな。

以降は、美術館や画集でたくさんの新しい絵を観て読み解く、この繰り返しです。
でももう基礎ができているので、絵を集中して観ていて、読み解くことが
最終的にできないということはなかったように思います。
やはり最初の本で基礎を学ぶところ、
それをMATISSEの絵で実地に応用するところ、この辺りが大変でした。
僕は色の勉強をこのようにしてきました。

2012年6月16日(土)
和田 健

脳は「ズレ」を楽しむ

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 3 March 2012 by kenwada

僕が最近考えていることの一つに、絵画には様々な矛盾があってよい、
つじつまが合わなくてよいということがあります。
絵画のつじつま合わせをしない、つじつまを合わせると絵画がつまらなくなる
という考えです。

この考えに最初に気づいたのは、2008年11月にMusée d’Art moderne
de la Ville de ParisでRaoul Dufy展を観た時でした。
そしてこの気づきを出発点として独自にこの考え方を発展させてきました。
Dufyは、画業の初期や中期はHenri Matisseと共に歩んだと言うか、
明らかにMatisseの影響が感じられる絵を描いています。
また画集を観ていてもあまり伝わって来ないと思うのですが、彼の芸術が大きく
花開いた晩年の作品を目の前にして、言葉を失うくらい美しいと何度も思い圧倒され
ました。
その時に気づいたことは、彼は画業の後期になるにつれて、例えば鳥の羽根など
を半分くらいしか塗らないということです。
あとの半分ははみ出して勝手に羽根の外を塗っています。
明らかに意図的にそれを繰り返しているのを感じました。
それも執拗に繰り返しています。
普通は三角形でも、四角形でも線を引いたらその中を塗る訳です。
しかし彼は、その中を半分くらいしか塗らない、あとの半分は線からはみ出して
外側を塗っている。
一体これは何なんだろうかと考えました。
僕が出した結論は、どうも我々の脳には「ズレ」を楽しむというか、すき間を埋める、
足りないところを補う、そうした働きが脳の喜びとして存在しているのではないか
ということです。
つまり我々の脳は不完全さを見つけると、それを埋めようとして、喜んで活発に
動き出す、働き出すということです。
この時以来、我々の脳には不完全さを楽しむ働きがあるのではないかと
考えるようになりました。

これとは反対に完璧に塗られた絵を前にすると、もう脳がすることはあまりない訳です。
したがって脳が動き出さない、働き出さない、脳が喜びを感じないとなります。
「美人は3日で飽きる」なども脳のこの類いの例だと思います。
また完璧に塗られた絵を前にして、ホッとしたい、寛ぎたいなどの場合は、
脳のある種の停止状態を求めているとも言えます。

あの時、「脳はズレを楽しむ」ということを学んだことは、その後、ヨーロッパで
様々な作品を観た時に、その解釈にかなり役立ったように思います。

上手いデッサンに走らないためにわざと左手で描いた右利きのDufyは、意のままに
ならない左手のデッサンの中に、「意のまま」とのズレを見出していたのでしょうか。
そこに意識と無意識とのズレや矛盾を楽しんでいたのでしょうか。
今回当時の資料を見ていて、驚いたことが一つ。
あの時の大回顧展のタイトルが、「Le plaisir」(喜び)だったことです。
作り手の脳が喜んでいないでどうするのか。
僕は貴重なことを教えてくれ気づかせてくれたDufyに深く感謝しています。

変化を受け入れる

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 23 February 2012 by kenwada

僕の今現在の絵画のテーマを言葉にすると、
「無意識に根ざす何ものかの描出」ということに尽きると思います。
最近は、絵画に限らず広く生活全般にわたり、意識されたもの、構築されたもの、
何らかの意図が働くものに対する興味がほとんどなくなりました。
意識をできる限り排除し、無意識に根ざす何ものかを描こうとしても、
そう思う時点で「無意識に根ざす何ものかを描こう」という意識がすでに
入ってきている訳ですが、その壁を乗り越えるよりも、その壁の中を通ることを
目指して模索、思考錯誤する毎日です。

僕の描く絵は昨日掲載した「無題(時 -ナンバー1-)」まで変わってきましたが、
2002年11月1日に僕が絵を始めた時に考えたことの一つに、自分が今度する
仕事は、「自分が変化した時に、その変化を受け入れることのできる仕事」
という絶対に譲れない条件がありました。
通常人間は、その人の社会的なまたは家庭内の環境などから、
自分が変化しても、その変化を受け入れることができずに、変化を押し殺して
生きていることが普通であるというか、(特に日本人には)多いと思います。
自分の変化を受け入れてあげるとことのできる芸術家という職業に何の縁か
就いたのだから、自分の変化を受け入れてあげなくては。
世の中に何が不幸と言って、様々な状況によって自分の変化を自分で認めて
あげることができないくらい不幸なことはない。
理由は非常に簡単なことで、人間は時間とともに変化していくものだからだと思う。
芸術家が自分の変化を認めてあげなくて、一体世の中の誰が、他の職業の何が
認めてあげれるのだろう。
だから絵なんてどんどん変わればいいんだと思う。
僕の絵はもっともっと変わっていくと思うし、変わっていった時に、
その変化を自分で受け入れて、世の中で自分一人だけは認めてあげたい。
そんなに幸せなことはないのだから。
そして変化を受け入れることは勇気などというものでは決してない。断じて違う。
それはやっぱり「変化」なのです。
毎日の制作、研究、勉強による地道な試行錯誤の積み重ねによる「変化」
なのだとしか、言いようがないものだと思う。
あえて言うなら「必然」、そうせざるを得ない「必然」のようなものに近いと思う。
ですからスタイルを変えることに勇気は要らないと思います。

学んだ画家のリスト

Posted in Essay 2012-2026 with tags , , on 5 February 2012 by kenwada

フランス滞在中の7年間に僕が実際に美術館で絵を観て感動し、
その後美術館で何度も繰り返し観て確認したり、
画集などを使って集中して徹底研究した画家のリストを作りました。
Académieの学生証があるとMusée d’Orsayは無料、Académieの帰り道に
同じメトロの12番線で途中下車しては、その日疑問に思ったことを
Orsayで何回確認したか、途中までは回数を数えていましたが、
結局数えきれませんでした。
Maison des Artistesの会員になってからはほとんどすべての美術館が
無料。特にCentre PompidouとMusée d’Art Moderne de la Ville de Paris,
Grand PalaisのGalerie nationaleがただ なのは大きかった。
ロンドンへ行けば、誰でもTate Modernが無料。
National Portrait GalleryもNational GalleryもBritish Museumも無料。
特にTate ModernでRichterの6 Cage Paintingsと
TwomblyのBacchusを観た日の衝撃は忘れられない。
ロンドンに行く度に何度も観た。
パリもロンドンも勉強したい者にとってはまったくもって最高の環境だった。
画集は乏しい小遣いからまさしく身銭を切るように買い求めたり、
Académieの帰りにこれも同じメトロの12番線の Rennesにあった
パリ市立の公立図書館によく通いました。
カードを作ると5冊まで借りられるので重たい画集を5冊リュックに入れては
家まで運んでいました。
よく勉強したな。勉強以外は1分たりともしないと思ってパリに行ったからな。
空いている時間は、少しでも情感、情操を高めようと、ドストエフスキー、トルストイ、
ディケンズ、ユーゴー、カフカ、ゴッホの日記、カミュ、ランボーなどをよく読んでいた。
クラシック音楽も本当によく聴いた。
こんなリストもいずれ自分にとって何かの役に立つかもしれない。
この辺りで一回まとめておこうという気になりました。
こうしてみると大回顧展を観たのに、Joan MiróもWassily Kandinskyも入っていない。
やはり自分の心の中の何かの傾向や反応を表しているのだなと思います。

Pierre Alechinsky
Balthus
Jean-Michel Basquiat
Pierre Bonnard
Eugène Boudin
Bernard Buffet
Marc Chagall
Émile Claus
John Constable
Jean-Baptiste Camille Corot
Gustave Courbet
Honoré Daumier
Edgar Degas
Willem De Kooning
Eugène Delacroix
Jean Dubuffet
Raoul Dufy
Paul Gauguin
Alberto Giacometti
Thomas Girtin
Vincent Van Gogh
Francisco José de Goya y Lucientes
Edward Hopper
Johan Barthold Jongkind
Anselm Kiefer
Paul Klee
Gustav Klimt
Franz Kline
Henri Matisse
Jean-François Millet
Joan Mitchell
Amedeo Modigliani
Pieter Cornelis Mondriaan
Claude Monet
Edvard Munch
Julius Pascin
Carl-Henning Pedersen
Pablo Picasso
Bernard Piga
Camille Pissarro
Jackson Pollock
Barbara Rae
Auguste Renoir
Gerhard Richter
Diego Rivera
Harmensz Van Rijn Rembrandt
Auguste Rodin
Mark Rothko
Egon Schiele
Georges Seurat
Chaïm Soutine
Nicolas de Staël
Mark Tobey
Joseph Mallord William Turner
Cy Twombly
Hiroshige Utagawa
Leonardo da Vinci
Édouard Vuillard
Otto Zitko

以上です(ABC順)。