Archive for the 和田和園の俳句 2025-2026 Category

第6回俳句『宇宙から彼らの愛が見えますか』などこの季節の17句

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1 宇宙から彼らの愛が見えますか

2 手をとればホールケーキのような愛

3 助け合い支え合ってのこの世かな

4 星空の夢見るような二月かな

5 春泥や轍直しの日課かな

6 ぬかるみに靴がはまれば春隣

7 土ゆるみ土の中から春の土

8 早春は土から匂う定めかな

家の近くの崖の上に立ちて
9 眺むれば谷底の雪溶けにけり

10 ぐちゃぐちゃのぐちゃぐちゃの庭冬終る

11 雌鶏が卵産み出す二月かな

12 絵描さん春のコガラのベレー帽

13 喪中です黒ネクタイの四十雀

14 朧月青に点打つ黄色かな

15 二月二十七日、国会中継をラジオで聞いて
  答弁が俗気に満ちて嫌味なり

16 我が辞書にディールほど嫌な言葉もなかりけり 
  ディール好きディールマニアの春となる

17 母の横に看病で泊まり込んで
  咳込んで咳に埋もれし二月かな

ここで、我の小さな決意表明のようなもの
俳句とは、名誉を求めぬものなり、
俳句とは、佳句を求めぬものなり、
俳句とは、入選を求めぬものなり、
俳句とは、この上なき真面目なものなり、
俳句とは、彼の人の気性ゆえのものなり、
ゆえに俳句とは、ある程度までは生まれつきのものなりし。

*1、2、3、15は無季俳句です。
*13の四十雀は、当地では通年見られますが、夏の季語です。
*森の中の泥濘は例年ですと3月末から始まりますが、このところの異常な暖かさで、今年は例外的にひと月以上早まっています。

2026年2月28日
和田 健

第5回俳句「冬五十句」(立冬より立春まで)『寒月や雌猫照らすかぐわしさ』『吹き飛んで生まれ変われや冬の森』

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 with tags , , , , , , , , on 5 February 2026 by kenwada

皆様、こんにちは。
こちら北軽井沢は、毎朝の愛犬喜久との散歩(と言いますか、現実的にはほとんど雪の中の行進に近い感じですが)の折に、降り積もった雪の上に、くっきりと残った野生動物の足跡を見る僕の一番大好きな季節を迎えております。
いくつもの足跡が交錯していて、種類もそれぞれ違いますので、朝から神秘的な光景が展開されています。
しかし、いいですねえ〜、何もかもが雪の下に埋もれたこの塵一つない清潔感、清涼感、しーんと静まり返った冬の森・・・。
このままずっと厳しい冬が続いてくれればいいのに、春なんか来ないでくれたらどれだけ幸せだろうかと、毎年のように切に願います。
さてさて、一句で構いませんので、どうか皆様の心に響きますように・・・。

▶︎「冬の生活」

萱の雪遠くの雲に烏鳴く
(冬の夕暮れの情景を詠みました。季語:雪、冬。)

いずまいを正して一羽寒鴉
(季語:寒鴉、冬。)

雪化粧天の玉座か浅間山

雪明かり闇を切り裂く猫の声
(季語:雪明り、冬。)

猫鳴けば冬となりたり縁の下
(今ではどの家も土台の基礎をコンクリートで固めて建てますので、そもそも縁の下のある家自体が非常に珍しくなりましたね。我が家は昭和5年に建てられた今年で築96年になる平屋です。その家を改修して住んでいますので、我が家には昔ながらの床下があります。季語:冬、冬。)

雪掻きや今ごろ熊はどこにいる
(季語:雪掻、冬。)

冬浅し熊を知らせる無線かな
(季語:熊、冬。)

無線なり熊鈴持って歩き出す
(昨年は町内の防災無線が本当によく鳴りました。我が家の近くでも熊の目撃情報が相次ぎました。)

粉雪や人にやさしくふりにけり
(一月の雪かきは本当に楽です。問題は三月、四月の湿った雪で、僕はこれでも結構体を鍛えている方なのですが、去年は特に重たくて幅1mくらいの手押し車のような雪かき用具、あれなんて言うのですか*、それを持ち上げられない時があり、普通のスコップで雪かきをしました。まあ、そうは言いましても、ニュースを聞いていますと、新潟県や青森県の方たちからみたら、こんなのは雪とは言わないとか言われそうですけれども。季語:粉雪、冬。)
*あれはスノーダンプと言うのだそうです、姉がメールで教えてくれました。

大雪や車を出せず孤立かな
(これは本当に冗談にならないのですが、我が家のまわりは除雪車が入りませんので、毎朝のように人力で必死に雪かきをしても、ほぼ毎年のように三日から五日間ほどは車が出せなくなります、いわゆる孤立状態です。季語:大雪、冬。)

除雪車のかすかな音の目覚めかな
(まだ夜明け前、あれは県道からでしょうか、どこか遠くの方から除雪車の音がまるで地鳴りのように枕元まで届きますと、ああまた雪が降ったな、朝から雪かきだな、どのくらい積もったのかなと思います。この音は雪国の人にとっては、お馴染みの音とでも言いますか、もはや冬の風物詩なのではないでしょうか。季語:除雪車、冬。)

厳寒や凍る窓見る湯浴みかな
(季語:厳寒:冬。)

焼酎と薪ストーブの至福かな
(季語:ストーブ、冬。)

薪はぜて真冬の夜は静かなり
(季語:真冬、冬。)

ストーブと犬の寝息の冬の夜

あるもので寄鍋楽し我家かな
(季語:寄鍋、冬。)

忙しや大雪前の枝作り

雌鶏や早く水飲めすぐ凍る
(季語:凍る、冬。)

木星とベテルギウスの枯木星
(季語:枯木星、冬。)

凍星や故郷戰の安青錦
(季語:凍星、冬。)

寒月や雌猫照らすかぐわしさ
(季語:寒月、冬。)

天に月地に雌猫の宵の冬

国芳の猫が来たりし冬の背戸

雪どけの軒のしずくが雪穿つ

吹き飛んで生まれ変われや冬の森

凩や森の剪定終えて去る

木枯よ森であばれて森つくる
(季語:凩、木枯、冬。)

大寒や朝から風の吹く日なり
(季語:大寒、冬。)

木漏れ日の冬の画室にひとりかな

冬ざれや泥濘に立つ牛五頭
(嬬恋村鎌原に牛を放牧している牧場があり、そこの冬ざれの荒涼たる風景はとんでもなく美しいです。思わずゴッホのオランダ時代の絵画に出てくる風景を思い出しました。季語:冬ざれ、冬。)

枯草の音が揺れてる日暮れかな
(季語:枯草、冬。)

廃屋の趣ふかし枯芒
(季語:枯芒、冬。)

牛小屋に舞ひて楽しや寒雀
(寒雀が舞うと言いましても、十羽や二十羽の話ではないのです。それこそ百羽、二百羽の雀がとても元気に忙しそうにしています。場所は第2回でもご紹介しました長野原町大屋原にある牛舎です。初案は中七「群れて楽しや」。季語:寒雀、冬。)

白鳥やふるさと想う避寒かな

白鳥の白き花咲く日暮れかな
(長野原町立浅間小学校の横にある応桑貯水池に毎年冬になると白鳥と鴨がやって来ます。ある年の冬には白鳥が五十五羽飛来して壮観でした。今年は四羽のみで少し残念でしたが、白鳥はシベリアを発って一旦北海道を経由してから渡ってくるそうです。白鳥にとっては、この地の冬がとても暖かいのですね。季語:白鳥、冬。)

ぎょっとして森も歯軋り冬木立
(これは実際に聞いたことがありますか?頭上高いところで木々が擦れ合って、静かな森の中でぎいぎいと突然大きな音を立てるのです。それから、森の中に住んでいると時々人の声がします、本当です。季語:冬木立、冬。)

青空に白い雲雪枯木道
(季語:枯木道、冬。)

赤松の赤みとろかす冬日かな
(季語:冬日、冬。)

瓜坊は吹雪く方へと逃げ去れり
(季語:吹雪く、冬。)

瓜坊よ通せん坊は妹のため
(無季俳句。)

猪の走り立てしや雪煙
(季語:雪煙、冬。)
(森の中に住んでいますので、猪との思い出は数限りなくあり、もうちょっとなんて言ったらよいのかわからないくらいなのですが、今までにどうみても、喜久との散歩の時を含めまして、少なくとも100回以上は猪に遭遇していると思います。
ある年の冬だけ回数を数えていたことがあるのですが、22回だったことをよく覚えています。
今年で13回目の冬になりますので、うん?100回なんてもんじゃないんだな、猪には春から秋にかけても当然出会いますし、猪も大きいのになると、それこそ子牛くらいは優にあります。
中でも忘れられないのが、厳寒期の瓜坊三兄弟との思い出で、ご存知のように野生動物の親は子どもを早く放しますので、この三兄弟には何度か出くわしましたが、冬なので食べ物もないし、もう生きていくのに必死な感じでした。
一度、道でばったり鉢合わせをしてしまったことがあり、瓜坊にもリーダーがいるのですね、僕に向かって低い声で唸って威嚇しながら体を張って、残りの二頭を逃がして、僕を睨みつけて目は前を向いているのに、妹や弟はもう十分逃げたな、距離的に大丈夫だなと察知した瞬間、パッと反転して彼らのあとを全力疾走で追った時には、こいつはすごい奴だなと思い感動しました。
そうは言いましても、ある夏に七日間連続でそれまで丹精込めて育ててきた庭の花壇をめちゃくちゃにされた時には激怒しましたが、猪は壊す時の節度が、本当に全くと言っていいほどないんですよね、完璧なまでにやられます(笑)。
それから、野生動物はすごく頭がいいですね、亡父が白い百合が好きでしたので、球根を50球植えましたが、47球食われました、チューリップも球根を食われますが、水仙は絶対に食べません。
レンゲツツジなどこの辺りで繁茂できるのは、有毒植物の場合が多いです。
まあ、僕はプロの農家ではありませんので、こうして呑気なことを言っていられるのでしょうが、それでも駆除してしまえとだけはどうしても思えません、冬の間の姿を見ていますから。)

銃声が五発聞こえた秋の昼
(季語:秋の昼、秋。)

親死んでこの雪踏みし親の子よ
子が死んでこの雪踏みし親の孫
親の孫つくりし命ひ孫かな
  昨日瓜坊に出会う
われ出会う瓜の命はひ孫の子

鷹下りて雌鶏やられ対峙する
(下五「対峙」に「退治」を掛ける。季語:鷹、冬。)

大鷲よ空の王者の泳ぎかな
(季語:鷲、冬。)

凍てついた雪の石段初詣
(季語:初詣、新年。)

狐きて雌鶏さわぐ午前四時
(季語:狐、冬。)

こんこんは真っ赤な嘘の狐かな
(狐の鳴き声を実際に聞いたことはありますか?)

味噌搗きやことしも妻をながめたり
(妻曰く、今年は結局、大豆九升分、重さにして約四十七キログラムの味噌を作ったそうです、すごいなあ、尊敬します。季語:味噌搗、冬。)

さみしけれいまわのでないおおみそか
(季語:大晦日、冬。)

湯屋帰り犬の散歩の湯ざめかな
(季語:湯ざめ、冬。)

犬を飼い大和撫子教えられ
(無季俳句。)

▶︎「猫の三兄弟」
(いずれも無季俳句です。)

上と下真面目純真敷地出ず
(兄のもみじと弟の雷は、朝、庭に遊びに出てから、夕方、家の中に入れてもらうまで、家の敷地の中でおとなしくしています。もみじは弟の雷の面倒を本当によくみます。雷にとって、もみじはかっこいい憧れのお兄ちゃんで、もう見ていておかしくなるくらい、とにかく何でもとりあえず、お兄ちゃんの真似をしようとします。そして夕方になると犬の喜久の散歩に二匹して必ずついてきます。)

まん中はおてんばむすめ五連泊
(真ん中の楢はもう子猫の頃から御転婆でした。また、三兄弟の中で体は一番小さいのですが、ずば抜けて頭がよく、人間の話していることは、ほぼ理解している感じがします。時々、何か一人?でぶつぶつと言っています。性格は非常に個性的で、何かと言うと「わたしは、ちゃんとした、じりつしたおんなだから。」が口癖です。また運動神経が抜群で足も速く、もみじは兄弟喧嘩をして追いかける時、この妹にかけっこで追いつけないのが腹がたってしょうがない感じです。
以下の話はこの楢に起きたことで、全て実話です。
以前から猫を飼いながら神秘的な動物だなとは元々感じてはいたのですが、このことがあってからというもの、人知でははかり知れないものが猫にはあるなと思い、認識をあらたにしましたと言いますか、少し怖くなりました。
ある日、夕方になっても楢が帰って来ないので、心配してこの辺りを探して回りました。
結局、その日、楢は帰らず初めての外泊で、二日目も帰らず、三日目、四日目も帰らず、この辺りには野生動物も多いので、僕は本当に気が狂うくらい心配して、もう足が棒になるくらい「楢、楢」と呼びかけながら、毎日森の中を探して歩きましたが、楢はついにいませんでした。
五日目は眼科の予約が入っていましたので、僕は早朝から高崎まで行かなければならず、まさに後ろ髪を引かれる思いでしたが、この時点で正直なところ、もう楢はだめかもしれないな、もう会えないかもしれないなと感じ、暗い気持ちで眼の治療を終え、いつもの高崎のホテルに泊まりました。
そして早めに寝た六日目の朝、午前4時頃だったと思うのですが、楢が夢の中に出てきたのです。
「お父さん、私はTさんちにいるからね、かならずむかえにきてね、Tさんちへのいきかたはね、かってぐちを出て、右へまがって、また右へまがって、こうこう・・・。」
そこで僕は「そんなこと言われなくたって、Tさんの家の場所ならよく知っているよ!」と叫びながら、がばっと起きたのです。
それからあとはもう一睡もできず、朝一番でホテルの朝食をとり吾妻線に乗って、午前11頃には我が家に着きました。
妻に楢が夢に出てきたことを簡単に話して、早速、飛び出すようにして、楢の言っていた道順で探しに行きました。
なんとなく、楢が順路を指定してきたので、その途中のどこかにいるような気がしたのです。
でも楢はいなくて、これはだめかなと思ったまさにその瞬間、楢の呼ぶ声が聞こえたんです。
楢はいたんです、まさしくTさん邸に!
正確にはTさん邸の隣の薮の中にいたのですが、この広い森の中で、それはわずか2、3mの違いです!
う〜ん、このピンポイントにはかなり驚きました。
もう思い切り抱きしめて、「楢、楢」って、「楢がいたぞー!」って叫びながら、抱き抱えて家まで走って帰りました。
「お父さん、ごめんね、わたし、すいじゃくっていうの、しちゃったのよね、いえでして、ちょうしにのってて、いちにちめ、ふつかめは、だいじょうぶだったんだけれど、みっかめから、きゅうにすいじゃくっていうの、しちゃって、うごけなくなっちゃったのよね。」と楢は言っていました。
その日から今日まで楢の外泊は一度もありません。
家出した理由については楢は後日「お兄ちゃんのあいが、あんまりおもかったのよ。」と言っていました。
兄のもみじは生まれた時から今日まで、もうこれは本当に徹頭徹尾、心から妹の楢だけが好きで、他の雌猫なんて、そんなもんは最初から女じゃない!という感じで、ついに今日に至るまで一切一度も振り向きもしませんでした。
まさに一瞥もくれないという感じです。
これは雄猫の世界ではかなりめずらしいことですね。)

2026年2月4日 立春
和田 健

マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」以降の読書について

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 with tags , , , , , , , , on 10 January 2026 by kenwada

2025年8月16日にマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を読了したあとに読んだ本について、時系列にまとめてみました。
結局、今になってこうして振り返ってみますと、「失われた時を求めて」を352日かかって読み終えて、あの時、本はしばらくの間はもう読みたくないなとでも言いますか、僕はもう少しどっと疲れてしまうと思っていたんですよね。
でも、自分でも非常に不思議でしたが、意外とそんなに疲れてもいない、どういうわけか年をとってきて、身体的な条件はかなり不利になってきているのに、読む方の体力は逆についてきている、それでしたらなにも休んでいることはないなと思い、またコツコツと読み始めたのでしたが、いったいどのあたりから、半年後には俳句をやるようになっていたのか(笑)、こうして書き出して整理してみると、僕なりにその流れがよくわかりました。
*印の本は現在読書中の本で、無印の本は読了した本です。

1「新編みなかみ紀行」(若山牧水著、岩波文庫)

2「みなかみ紀行」(若山牧水作、青空文庫POD、大活字版)
3「ガラン版千一夜物語 第1巻」(西尾哲夫訳、岩波書店)
4「白痴」(ドストエフスキー著、望月哲男訳、河出文庫全3巻)
5「オネーギン」(プーシキン著、池田健太郎訳、岩波文庫)
6「結婚」(ゴーゴリ全集 第4巻、野崎韶夫訳、河出書房新社)

7「スペードの女王 べールキン物語」(プーシキン作、神西清訳、岩波文庫)

8「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎著、岩波文庫)

9「月に吠える」(萩原朔太郎著、青空文庫)

10「猫町」(萩原朔太郎著、青空文庫)

*11「合本 俳句歳時記 第四版」(角川学芸出版)

12「測量船」(三好達治著、講談社文芸文庫)

*13「久保田万太郎俳句集」(恩田侑布子編、岩波文庫)

*14「輿謝蕪村集」(清水孝之校注、新潮社)
*15「蕪村俳句集」(尾形仂校注、岩波文庫)
16「萬葉集卷十六」(正岡子規著、青空文庫)
*17「西行全歌集」(久保田淳・吉野朋美校注、岩波文庫)
18「俳句の初歩」(正岡子規著、青空文庫)
19「たのしい万葉集 第一巻、第二巻、インターネット、このサイトは素晴らしいです!)

このあと、正岡子規の「仰臥漫録」(岩波文庫)は、以前読んでいましたので、以下の4冊に取り組む予定ですでに購入いたしました。
20「墨汁一滴」(正岡子規著、ワイド版岩波文庫)
21「病牀六尺」(正岡子規著、ワイド版岩波文庫)
22「俳諧大要」(正岡子規著、岩波文庫)
23「歌よみに与ふる書」(正岡子規著、岩波文庫)
以上です。

ところで、僕はずっと野球部でしたので、是非ともここは周知徹底、少し強調しておきたいところです。
そこで、一句。
打者走者投手に四球全部子規
まだまだありますが、直球、飛球・・・。

人間、生きている限りは勉強ですね。
あと10年くらいはなんとか健康な体でいてくれて、頭を使いながら絵を描いたり、本を読んだり、ものを考えたり書いたりできるのかな、わからない、その保証はどこにもありませんね。

2026年1月10日
和田 健

第4回俳句「家族の思い出の35句」『せのびして母とみあげた飾り棚』

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 with tags , , , , , , , , on 3 January 2026 by kenwada

生きていたみんなだれもが生きていた
(結局、みんな生きていたという事実、この事実だけは変わらないですよね。それでしたら、もう少し人の人生を尊重しましょう。金持ちも貧乏人も、有名になった人も無名のまま終わった人も、成功者も挫折した人も、努力が報われた人も苦労が報われなかった人も、幸せだった人も不幸だった人も、いつも笑顔だった人も暗い顔をして生きていた人も、気が強かった人も人前では話せなかった人も、金にだらしなかった人も吝嗇だった人も、結婚した人も独身だった人も、子どもがいた人も生まなかった人も・・・・・、みんな誰もが生きていた、そして全員亡くなったという事実だけは変わりありません。)

幾千の幾千万の記憶逝く

彼の人が語りし記憶無名人(びと)

あのよから百年たちし我家みる

▶︎「家族の思い出」

祖父母いてちちはは生まれわれ生まれ

なつかしや祖母と母屋の掘炬燵
(懐かしいなあ、世田谷区代田時代の母屋は昭和6年築の旧日本家屋で、もちろん平家でした。その茶の間には掘り炬燵があって、窓の下には横に細長い箒の掃き出し口がありました。今では珍しいお手伝いさん部屋や、祖父のための応接間もありました。僕の父方の祖父は、1901(明治34)年、祖母は1905(明治38)年の生まれです。この旧日本家屋の家で暮らしたことが、僕の情緒の形成にかなり大きな役目を果たしたように思います。そして、僕は祖父を今日に至るまで他の誰よりも尊敬して育ちました。季語:掘炬燵、冬。)

駒込の磯辺つくりし火鉢かな
(これも非常に懐かしい思い出です。僕の母は日本橋で生まれて神田で育ちました。母の実家はその後駒込に移り、この駒込の家から母は父のところにお嫁に行きました。駒込の家には玄関を入ったすぐのところに火鉢があり、この火鉢で祖母が正月などによく餅を焼いてくれました。祖母からは「磯辺がいいか、安倍川にするか」を訊かれました。祖母は姉と僕の二人の孫をとても可愛がってくれて、駒込から松戸の団地まで月に一度必ず会いに来てくれました。僕の母方の祖父は、1892(明治25)年、祖母は1900(明治33)年の生まれで、母が20才の時に祖父が亡くなり、その一回忌が終わるのを待ってから、母は21才の時に父と結婚しました。季語:火鉢、冬。)

なつかしき着物の匂いひざの上

手をひかれ五香駅までお供かな

蔵前のしろめし旨き相撲かな
(これも非常に懐かしい思い出です。松戸の団地に住んでいた一家四人の僕の家族は決して裕福な家庭ではありませんでしたが、祖父が切符を手配してくれたお陰で、当時の蔵前国技館の枡席で大相撲を観戦するという我が家の経済状態からみたら考えられない機会に何度か恵まれました。枡席ですと弁当がつくのですが、この白米を初めて食べた時の驚きと言ったら、世の中にこんなにうまいものがあるのかと思いました。今の若い人には何を言っているのかわからないと思いますが、当時の蔵前国技館には土俵の外の四隅にまだ柱が立っていて、勝負所になると柱の陰の席の人は右や左に身を乗り出すようにして見ていました。昭和の相撲には、出世するにつれて役に見合うように体が少しずつできてくる情緒がありました。僕は全盛期に突然亡くなった横綱玉の海がまだ玉乃島の四股名の頃からの大ファンでした。今は幕下の取的の頃から巨体と巨体がぶつかり合って風情も何もあったものではありません。)

半ドンの父が帰りて野球する
(「半ドン」という言葉は、今ではほとんど聞かれなくなりましたね。当時、土曜日になると父が「今日は半ドンだから」と言って、日本橋の会社から午後三時ごろには松戸の団地に帰って来て、そこから二人の野球が始まります。この話は「小中学校時代の思い出ー野球のことなどー」の中で詳しく連載させていただきました。)

▶︎「母の介護、母の思い出」

最愛の手をにぎりしめ食べさせる
(来月で妻と協力しながら、母の在宅介護をして丸15年になります。
また、母が寝た切りになってから、すでにもう2年以上が経過しました。
ところで「母」という文字こそは情緒の王者、季語の中の季語なのではないでしょうか?
そして、そう思えるということは、とても幸せなことでもありますよね。
母のことだけは思い出したくもないという方もおられることでしょうから。
在宅介護をする時、その人の手を握ってあげると1.2倍食べます。
これは毎日の介護の実践から得たまさに事実そのものですね。
つまりは、10食べるところを12食べます。
この一食ごとの2の差は大きいです、これを毎食毎食2ずつコツコツと積み重ねていきます。
人はいくつになっても手を握ってもらうと安心するんですよね、特に高齢になると心細くなりますので、その分、心強さも増すのではないでしょうか。)

最愛の母を見つめてつかれたり

介護してふるき写真をかざりたり

一ヶ月お宮まいりの母わかし

冬むかえ母に問いかけこたえなし


介護とは妻のおかげの三六五(さんろくご)


こうぶつをそろえし妻に感謝する



介護してパリとフランス遠ざかり

あしたはねゆっくりねてね日曜日
(大変残念ながら、もう今の母には曜日はわからないのですが、これは毎週末必ず言います。)

いちどだけ言ってみたいよ会社行く
(これも介護の現場の実感そのものですね。亡父がずっと会社員をしていましたので、僕ももちろん会社に行けばもっとずっと大変なことがいろいろと待ち受けていることはよくわかりますが、タイムとでも言いますか、一旦介護という目の前の現実から離れられるじゃないですか。ですので、僕も一度だけ言ってみたいんですよね、「俺は今忙しいんだよ、会社行くぞ、仕事だよ、仕事、遊びじゃないんだよ!」
まあ、在宅の仕事の身ではそれもかなわぬことだなあ。)

せのびして母とみあげた飾り棚

ゆくすえを暗示したのか飾り棚
(僕の母は手先が器用な人で、松戸の団地時代には長い間、内職として和裁の先生をしていました。ある時、母が縫った着物が仕上がり、当時、五香駅の近くにあった和服店のショーウィンドーに飾られているというので、母に手を引かれながら観に行った幼い日の思い出です。2005年にパリで初めての個展をしました時に、ギャラリーのショーウィンドーに飾られた自分の絵を観た時に、突然、この時の母との思い出がしきりによみがえりました。中七「暗示」に「案じ」を掛ける。)

梨もぎやぐるぐるまわし楽しけれ
(当時、松戸市常盤平のさくら通りの近くに梨園があり、母と何度か梨捥ぎに行きました。当時のことですから大らかなもので、地面に落ちている梨は拾って食べてもよくて、それをテーブルに備え付けの鉛筆削りのような鉄製のぐるぐる回す機械に刺して皮を剥いて食べるのです。みんながたくさん使うのでハンドルのところがゆるんでいたことを覚えていますが、あれは実においしかったなあ。季語:梨、秋。)

家計簿にそろばんはじくゆうべかな
(僕の母は非常に几帳面な人で、得意だった算盤を使って、毎日夕方になると決まって家計簿をつけていました。だらしないのが嫌いな人でしたので、それこそ1円でも合わないと、真剣な表情でずっとやっていたことを鮮明に覚えています。合わないのなら、もう合うまでとことんやるという感じでした。さらに年末になるとその一年の収支を計算していました。親が厳しく言ったことが子どもの身につくのかどうかは僕にはわかりませんが、例えば毎朝のお経ですとか、親が黙々と精を出していたことは、子どもも必ず同じことをしますね。僕も今年で日々の簡単な家計簿をつけるようになって28年目になります。)

川むこう空が赤くて怖かった
(僕の母は、千代田区立今川小学校(当時は東京市今川国民学校)の時に、埼玉県行田市の東福寺に担任の先生と級友たちと集団疎開しました。母から聞いたその当時の思い出を僕が俳句にしてみました。この後、母は親戚を頼って長野県長野市川中島領家に一家で疎開します。疎開中は親子で味噌蔵の二階に住まわせてもらっていたそうです。神田の実家は東京大空襲で全焼し、焼け跡に母の父が六畳二間のバラック小屋を建て、そこで家族五人の生活を始めました。僕は父、母から戦時中の話をだいぶ聞いて育ちましたが、もしかすると僕の世代が戦争の話を聞いて育った最後の世代になるのかもしれないですね。僕の一つ下の世代ですと、親自身がもう戦後生まれですから。親戚の誰に訊いても、これは意見が一致しているのですが、母はとにかくおとなしかった、おとなしい子だったそうです。)

焼け野原龍角散の焼け残り
(神田は何もかも、どこもかしこも焼けてあたり一面の焼け野原になってしまったので、母はそれほど悲しくはなかったと言っていました。おそらく僕が想像しますに、まだ10才だった女の子にとって、あまりの惨状に茫然自失してしまい、何をどうしたらよいのかわからなくなってしまったのでしょう。龍角散の本社ビルだけがコンクリート製であったために、家の近所でただ一つだけ焼け残っていたのが、とても印象的だったそうです。調べてみましたら、この龍角散の本社の建物は、現在も神田の同じ場所にあるのですね。戦後は学校から帰っても遊ぶものも何もないので、大工さんが墨付けをしているのを見たりして過ごしていたそうです。)

川にすむ友を訪ねたおさなき日
(これも母から聞いた話を僕が勝手に俳句にしてみました。子供の頃、友達から遊びに来てねと言われて、訪ねて行ったら、川に浮かぶ船が家だったという思い出です。僕も年をとりましたので、今でしたらよくわかるのですが、この方はきっとうれしかったでしょうね。今日は友達が訪ねてくるというので、キャラメルやお煎餅くらいは精一杯用意して、準備をされたかもしれませんね。地理的に川は神田川でしょうか、隅田川でしょうか。)

▶︎「その他」

真っさおな真っさおな秋湯のはたけ
(2025年11月に草津温泉の湯畑を妻の姪と訪れた時の思い出を詠みました。我が家から湯畑まで車で40分程です。)

政治家がウィンウィン言うは要注意

姪の子にのんでもよいといわれたり
(これは一応、その場では「ああ、そう」とかってカッコつけておきましたが、これには笑いました、心から笑いました。もしかしたら、僕の62年の人生で一番笑ったかもしれません。もう一昨年の夏になるのですが、我が家に来た当時まだ3才だった姪(姉の長女)の女の子が、当時61才だった僕に向かって絶妙なタイミングで「健おじさん、今日はお酒飲んでもいいよ」と言ったのです。毎日、こんなに苦しんでいる酒に、61にもなって3才の女の子から言われるのかと思ったら、もうおかしくて、おかしくて、今でも思い出すたびに笑えます。)

五年ぶり五年年記の五段あく
(日記をつけ始めて今年で28年目になります。ああ、また五年ぶりに五年日記が五段ともきれいに空いていることよ、また一段目からだなあ。)

ラジオきくテレビないからラジオきく

対角に三遊間の優勝旗
(僕が小学校5年生の時に、銚子商業が夏の甲子園の決勝戦で防府商業に勝って全国優勝して、もう千葉県中がわーっと熱狂して、僕はスコアブック(現存)をつけながら、テレビの前で「やったぞー!」と叫んで、ここからは僕の記憶に間違いがなければの話なのですが、防府商の最後のバッターが三遊間にゴロを打ったんですよね、それを当時まだ二年生で四番サードだった元巨人の篠塚さんが対角線に走り出てきて、カバーに回り込んだショートのキャプテンの宮内さんのだいぶ前でゴロを捌いてカットしてファーストに送り、そのままゲームセット!ピッチャーは中日に入団した大エースの土屋さんでした。)

人の世は補欠補欠の徳俵

2026年1月1日元旦、大安吉日
和田 健

追伸:このあと、第5回俳句は「真冬の句」の掲載を予定しております。

第3回「俳句の勉強」

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 with tags , , , , , , , , on 22 December 2025 by kenwada

皆様、こんにちは。
こちら北軽井沢はすでに雪も珍しくなくなり、完全に冬の季節を迎えておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
僕の方は、前回ご報告いたしました「合本俳句歳時記第四版」(角川学芸出版)の1日4ページずつの読み込みの方を続けています。
せっかくですので、この季節なのだからと、冬の部から進めていますが、読んでいますと、当然のことながらこの人の俳句はいいなあと思う人が出てきまして、最初が三好達治氏で「測量船」(講談社文芸文庫)を古本で買い読んでみましたが、この方の詩はすごいですね、知性がありますね、冒頭の「甃のうへ」でかなり驚き、二篇の「村」あたりで素晴らしいなあと思いました。

僕にとってこれまで詩と言いますと、なんと言っても断然T.S.エリオットで、その次にW.ブレークとA.ランボーが続き、さらにはW.B.イエーツ、W.H.オーデンと展開していき、彼らの作品の原文を辞書を使いながら掘り起こし解読する作業に熱中していた時期が長く続きましたが、そしてそこからインスピレーションを得て絵画化した作品もいくつかあり、特にランボーの詩を絵画にした作品は、今でもしばしばクリックされて観ていただいておりますが、大変残念ながら日本人の方の詩と言いますと、自分でもその理由はよくわかりませんが、これまであまり心に響いてきませんでしたので、ここからが勉強です。

三好氏の次が、久保田万太郎氏で、ご存知の方も多いと思いますが、と言いますか、知らなかったのは浅学の僕くらいなものでしょうが、
「湯豆腐やいのちの果てのうすあかり」
には驚きましたね。
皆様はこの句をどう思われますか、完璧ですね。
なにしろ今度は英語やフランス語ではありませんので、日本人が日本語を読むわけですから、解説は決して必要ないわけではありませんが、まずはともかくも読むことだけは、誰にでもすぐにできるわけです。
しかしそれにしましても、都会的で洗練されているとでも言いますか、ちょっと完璧過ぎる感じがするなあ、土の匂いがしないのです。
あと、初めて読んだ時に、直感的にこの「湯豆腐」は料理屋の「湯豆腐」だなと、つまりは外食だなあと感じたのですが、実際はどうなのでしょうか、直感です、その根拠は?なんて訊かれても僕にはありません。
そこで、「久保田万太郎俳句集」(岩波文庫)を、こちらは新品で買いましたので、これから読んでみようと思います。

さてさて、肝心の蕪村の方ですが、「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎著、岩波文庫)の再読は終わりました。
そこで、もう少し蕪村を研究してみようと思い、「蕪村俳句集」(岩波文庫)と、「與謝蕪村集」(新潮社)の二冊を古本で買い読み始めました。
この「與謝蕪村集」はすごいですね、世の中にこんなに詳しい解説付きの本があるのかと思いました。

そして、そうこうしているうちに、俳句のトレーニング方法を一つ思いつきましたので、ご紹介させていただきます。
まあ、僕が思いついたくらいですから、こんなのは俳句教室とかに行けば、ごく普通にどこででもやっているのかもしれませんね、もしかしたらそれは「◯◯練習方式」とか言われていて、すでに固有名詞さえついているのかもしれませんね、僕には全くわかりませんが。
え〜と、例えば、蕪村の
「冬ざれや北の家陰の韮を刈る」
で、これを本家本元と僕は呼んでいるのですが、これに対して例えば「韮」を同じく二音の「葱」に変えるのです、そうするとどのくらい本家本元に対して落ち度があるのか、落差はどのくらいあるのか、どのくらいだめになるのか、またなんで「葱」ではどこがどういけないのか、なんて考えていますと結構、これは練習になります。

また、例えば、同じく「葱」でいきましょう、
「葱買て枯木の中を帰りけり」
素晴らしいですね、この「枯木」を同じく三音の例えば「畑」に変えます、いいじゃないですか、収穫の終わった冬枯れの畑、実に美しいじゃないですか、で、なんで「枯木」できたのか、「畑」だとどのくらい味わいがなくなるのかと考えるわけです。

ところで、トレーニング方法とは関係ないのですが、この句を初めて読みました時に、まず僕が疑問に思いましたことは、「あれ?なんで韮は庭の片隅で育てているのに、葱は買いに行くのかな?」ということでした。
そこで、少し調べてみたのですが蕪村の江戸時代には確かに大名に献上するような例えば下仁田葱などは高級品だったようですが、普通の葱はやはり庶民の食べ物であり、僕はどちらも家庭菜園で作りましたが、葱は土寄せさえしっかりやっておけばできるわけで、なんで庭で韮は作って葱は作らないのかな、なんでわざわざ買ってきたのかな、ここのところがわからない。

もう一つは、「買て」(かうて)の部分の方言ですね、蕪村は京都に住んでいましたから、大阪も含めまして、この「買て」は生っ粋の関西人でないと、本当のところの関西文化のリズム感がちょっとわからない。
専門の俳人の方は、俳句の中に方言が含まれていた場合に、どのように対処されているのでしょうか?
僕にはなにか葱を買って思わず(実際にはしなかったでしょうが)スキップをするような、小躍りするような弾むような喜びの気持ちが伝わってくるのですが。

これはやっぱりあれですね、おそらくは困窮のなかに蕪村に臨時収入があって、それで葱を買った(買えた)のではないでしょうか?
葱の鮮やかな緑色と枯木との色の対比でもってきたのでしたら、庭で作っている葱であっても中七と下五を「葱のうしろの冬木立」とかなんとか、いくらでも作ってこれる感じがいたします。
蕪村は画家ですからね、赤色系でしたらともかくといたしまして、今の北軽井沢の森そのままの枯木の色では対比させてこないのではないでしょうか?
一応、家のまわりの森を改めて眺めてみましたが、赤松の樹皮の淡いオレンジ色くらいかなあ、赤系統は。
それからもう一つ、森の中に住んでいる身として、これはよく実感できるのですが、夏の間、緑色があった部分に冬の間、再び緑色を求めたがらないです、恋しがらないのではないでしょうか?
ここは実は色の対比ではなくて、そして、蕪村は庭でもその片隅で実際に葱を育てている、でもやっぱり、買った葱は庭で育てた葱に比べて立派なんでしょう、いかにも青青としていて。
それで、「ほら、葱買うたで」「見てみい、葱買うたんやで」ってなんか子どものように清貧の蕪村がはしゃいでいる、それで家に帰れば妻や子が「わあ、お父さん、すごい立派な葱やねえ」と集まってくる、そしてみんなで根深汁となる、その方が僕にはストンときます。

「うぐいすや家内揃うて飯時分」
これはやっぱり「飯時分」が洒脱ですね、秀逸です、「御飯時」ですとか「朝御飯」ならよくありそうです。
「家内揃うて」の「家内」も実に効いています、「妻や子」ではこないものなあ。

「三椀の雑煮かゆるや長者ぶり」
「やぶ入りの夢や小豆の煮るうち」

すごく蕪村はいいですね、貧困だけれども仲睦まじく一家団欒、一家和楽。
家族みんなで仲よくして、貧乏だけれども温かい、そして蕪村の句にはいつもどこかに明るい生命力がある。
どこか太平でしょ、大らかですよね、こそこそしていない、堂堂としています。
世の中にはその反対の家族も少なくはありません、お金持ちなのだけれども家の中は冷え冷えとしている、家族の会話はほとんどない、みたいな感じです。

それから、話はいきなり飛びますが、いろいろな俳句を読んでいる中で、杉田久女氏の
「谺して山ほととぎすほしいまゝ」
に出会った時には驚きました。
もうこの句は、どこからどうみても、下五の「ほしいまゝ」で勝負ありですよね、完全に決着がついています。
この下五は出てこない、僕だったら、まずは思いつきそうなのは「意のまゝに」かな、あとは「独り占め」だとか「好きなだけ」だとか、「思うまゝ」くらいまでなら出そうだな、う〜ん、「ほしいまゝ」はすごいなあ。
この下五はどこから出てきたのだろう、なんて言いますか、作為性を感じさせないのです、リアリティを感じます、実感がすごくこもっている、いかにも狙ってきたなという感じがまるでしない。

とまあ、いろいろと思うことはありますが、あくまで趣味で勉強している俳句ですので、これからも楽しんで作句していきたいと思います!

2025年12月22日冬至
和田 健

追伸:このあと、第4回俳句は「家族の思い出の句」、第5回俳句は「真冬の句」の掲載を予定しております。

第2回「俳句を詠んでみて」 晩秋から初冬にかけての33句『鳩の子よ冬が来るのが怖いのか』

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 with tags , , , , , , , , on 3 December 2025 by kenwada

皆様、こんにちは。
俳句の勉強をコツコツと続けてようやくのこと一ヶ月になりました。
今現在一番疑問に思うことは、俳句の専門家の方たちは、例えば、真夏にて真冬を思う、真冬にて真夏を思う、これらのことについていったいどのようにして表現しているのでしょうか?
つまりは、僕の言葉で言うところの反転ですね、それまで赤で塗っていたところに青を塗る、それまで青で塗っていたところに赤を塗るを、いったいどのようにして表現しているのでしょうか?
つまりは、僕らの世界で言えば、例えば、アンゼルム・キーファーの仕事であるひまわりを、俳句にて表現することは、そもそも最初から不可能なのでしょうか?
当たり前の話になりますが、ひまわりは咲いている夏よりも圧倒的に秋や冬の立ち枯れたひまわりの方が美しいです。
まあ、少しくらい美しいのでしたら、一応ともかくとしましても、圧倒的に美しいものを、季語の制約から表現できないということに関して、専門の俳人の方たちは、どのようにしてこの問題に対処しているのでしょうか?
僕はせめてもの反抗として前回「立ち枯れの秋向日葵に息をのむ」と、実際に目の前で経験した事実をそのまま詠みましたが、これは「向日葵」が夏の季語であるために、俳句としてはアウトなわけですよね。
また今回もそのあまりの美しさに庭の「姥百合」を詠みましたが、これも「百合」が夏の季語ですので、俳句としては没なわけです、ここのところ。
僕は一年三百六十五日を森の中で暮らしていますのでまったくわかりませんが、例えばですが、「秋向日葵」と「向日葵」の前に具体的な季節名を作者がつけた場合、そちらを優先するとかの新機軸、新たなルールがもうすでに確立されているのでしょうか?

さて、無季俳句を中心に作り続けていますが、伝統的な季語についても、一度きちんと基礎基本を学んだ方がよいと思い、「合本俳句歳時期第四版」(角川学芸出版編)を、2025年11月12日に古本で買いました。
これを辞書として使うのではなく、全文読了しようと思っています。
本文は941ページまでですので、1日に4ページずつ読んでいけば、8ヶ月あれば全俳句を読み終わりますので、来年の7月中旬頃には、まあ、少しは物知りにはなっているのかもしれません。
読み始める前から、すでに直感的に感じていましたことは(それで買うのをためらっていたわけですが)、これをいわゆる季語探しの辞典として使うと、数学の問題集やドリルの類いと同じで、それをいくら繰り返しても数学者には決してなれないのとまったく同じ理屈で、ちょっとどうなのかな、お題が出てその練習問題を解くみたいなことになり、成長が止まり危険なのではないのかなと思いました。
「季語言うて情緒情緒の情緒なし」
「季語入れていかにもらしき俳句かな」
になりかねません。
まあ、別に僕は専門の俳人になるわけでもなんでもありませんが、これはやっぱり俳句とは、とどのつまりは感性なのでしょうか?

それから、「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎著、岩波文庫)を、感銘をもって読み終わりました。
萩原氏の句解は、研ぎ澄まされていて平明で、冷静であり、客観性に富んでいますので、非常にわかりやすいですね。
なるほど、俳句というものは、このようにして噛み砕きながら読むものなのかと、目から鱗が落ちましたので、早速、再読を始めました。
例えばですが、ちょうど今の北軽井沢の季節にあたりますが、
「冬ざれや北の家陰の韮を刈る」
「冬ざれや小鳥のあさる韮畠」
「葱買て枯木の中を帰りけり」
には、確かに究極かつ無限のしみじみとした情緒がありますね。
また、二句目は天は万物を養うという観点からも鑑賞できますね。
この蕪村という人の俳句の絵画的なもっていき方には、ちょっと驚異的なものがありますね、僕の仕事柄、研究の価値大いにありです。
また合わせまして、萩原氏の「月に吠える」と「猫町」も読んでみました。

それから、もう一つ疑問に思うことは、季語の時期的なずれですね。
僕のように標高の高い寒冷地に住んでいますと、僕の大好きな蜩は7月下旬に、ほぼ毎年決まって十日間ほど鳴くのですが、そして僕はそれを何よりも楽しみにしているのですが、蜩は俳句の世界では秋の季語ですよね。
住んでいるところの気候によっては、季語に季節のずれが生じるというこの問題について、専門の俳人の方たちは、どのように対処しているのでしょうか?
あくまでも例えばの話ですが、寒冷地の方と温暖地の方が句会を催したとして、句の中に「蜩」が出てきた場合に、どのような対応をとられているのでしょうか?

僕の拙い人生を振り返ってみて、いつも思うことですが、初心者で未熟なため人から指を差されて笑われている時は、実は学びのチャンス到来です。
さてさて、皆様の心に響く俳句がたとえ一句でも構いませんので、以下の中にありますでしょうか、ないか、そんなもの。

▶︎「冬の生活、吾妻線、吾妻の村の墓や神社」

年終えて年が始まり年終わる
(これは生活の実感ですね、師走を迎え、年をとるたびにそう思うようになりました。若い頃はあまりそのような感慨はありませんでしたけれど。そんなにまだ年を迎えてもいなかったから(笑)。)

青筋や澄んで流れる冬の朝 (初案は中七「煙突洩れる」。どうしても「煙突」を入れたかったのですが、「煙突」を捨てて楽になれました。)
(これもまさしく生活の実感そのものです。僕は毎朝朝食の前に小一時間庭仕事や動物の世話をします。そんな時、冬の朝、煙突から青い煙が上がっていると、ああ、薪ストーブが順調に燃えているな、家に帰れば暖かい部屋と味噌汁が待っているなという小さな幸せの気持ちを詠みました。経験者はよくご存知のように、薪ストーブは一旦臍を曲げると、もう本当にとことんつかない時がありますから、これには本当にまいります。)

初雪や浅間に三度降りにけり
(地元には、浅間山に三回雪が降ると平地でも雪が降るという古くからの言い伝えがあります。先日、浅間山に三回目の冠雪があったばかりですので、ああ、今年もまたぴったりと初雪の降ったことだなあ。)

初雪や鶏もなにかを言いたけり
(自然卵を作ってみたくて、鶏の平飼いを始めてから丸10年が経ちました。鶏をじっと観察していると、実にさまざまなことを教えてくれますが、鶏って意外と雪が苦手なんですよね、たまに水分として食べていたりもしますが。そんな雌鶏たちの気持ちを詠みました。)

初雪や鶏小屋に毛布かけ

十度から手指が痛む庭仕事
(十度とはもちろんマイナス10度です。もう毎年の経験から、マイナス10度から庭仕事をしていると、手指が痛んでくることがわかっています。北軽井沢は、1月下旬にはしばしばマイナス15度を記録し、今までで最も下がった時でマイナス18度になりました。)

吾妻よああ美しき車窓かな
(たしか松尾芭蕉もあまりの松島の美しさに句が詠めなかったのでした。秋の連なる山々のあまりの紅葉の美しさに、ああ、僕も、季語なんて詠んでいられないなあ。この吾妻線に廃線の話があるなんて、どうかどうかやめておくれ。)

竹林は大津より先軽井沢
(これは以前よりかなり気になっていました。北軽井沢は寒過ぎて竹が生育しないのですね。でも僕は北軽井沢にも一箇所だけ竹の生えている秘密基地を知っていますが(笑)。大津や与喜屋の方に向かうにつれて竹が見られるようになることだなあ。)

祖母島(うばしま)の青竹囲む村の墓
(吾妻に定住するようになってから、都会の人にはちょっと考えられないくらいに、それぞれの集落の墓、村の墓、家の墓が点在していることに気づき、それらをだいぶ観て回りました。同じように、吾妻には大小さまざまの実に多くの神社があることにも深く考えさせられました。やはり日本全国津々浦々の草深きところには、まずは仏教よりも神への信仰が、先にありきだったのではないでしょうか。つまりは土着信仰ですね。ちなみに細かいことですが、祖母島は行政上は吾妻郡ではなく渋川市になります。)

寺に人神社の無人際立てり
(この地方の神社には人がいないんですよね、でもいつもきれいになっている、つまりは、地域の方の掃除であったり、草刈りであったりの奉仕ですよね、ボランティアな訳です。いつも思うのですが、何かそこに信仰の根源のようなものを感じます。つまりは、キリスト教であっても、イスラム教であっても、仏教であっても、結局、全部同じことだと思うのですが、宗教で飯を食わない、金を集めない。何かそこに非常に大切なものがある、我々現代人がとうに離れてしまったものが。
何て言いますかこう、それこそ伝統的な俳句の精神に含まれている大切なものから遠く離れて、神様が立派になり過ぎてしまった感じがします。神様が立派になれば、それは戦争も起こります。私たちの神様の方が偉いんだぞ、立派なんだぞ、教義はこれこれこうなんだぞと。でも本来はそうではない、神様というのは、もっとずっとずっと質素なもので、あくまでも自分にとっての神様です。お金は要らない、信者は増えなくてよい、従って布教はしなくてよい、神様というのは人に説明しなくていいんです、人に説明するものではありません、でも自分のことはしっかりと守ってくれる、これは決して自分に都合のよいことを言っているのではなくて神様は自分のことだけはしっかり守ってくれなくてはだめです、それが本来の神様なのではないでしょうか、僕はそのことをこの地域の神社にいるとしみじみと感じるのです。)

フランスの人形置きしかの祠

愛し子よ愛でし人形置きし人
(これも上記のことと関連致しますが、我が家の隣に位置する嬬恋村にある無人の神社を訪れた時、薄暗いひんやりした祠の中の人形を見て、僕は一瞬にして状況を察知し、絶句して涙が出ました。あの古びた人形は実に美しかった。みんなが口をそろえてマティスやピカソが美しいというけれども、それは僕も実物をたくさん観ましたから否定はしませんけれども、あの人形はマティスやピカソにも決して負けてはいなかった、問題はよろしいでしょうか、実にここのところなんです。「政治家が経済言うは金のこと」の国で暮らしている民として、日本人が日本で普通に暮らしていると、まさにこここそが次第に麻痺してくるところなのではないでしょうか。)

吾妻に古き神社の多かりし

朝日受け紅葉映えたる平家かな
(ああ、紅葉は二階建ての家よりも平家の方が映えることだなあ。きっと、樹木の高さと屋根の高さに高低差がある方が映えるのだなあ。)

山々よ落葉松の川黄がうねる
(毎年紅葉リレーのアンカーは、いつも決まって落葉松がつとめます。もう不動の最終走者といったところです。ああ吾妻の山々よ、まるで落葉松が山々をかける川のようだなあ。落葉松の黄葉した黄色が大きく波うっていることだなあ。)

落葉やみ樹木が魅せる幾何模様
(北軽井沢の森は、もう圧倒的にだんトツ冬が一番美しいです。次が春と秋でそれぞれ同じくらい、夏は醜いとまでは言いませんけれども、決して美しくはありません。特に落ち葉の季節が終わって樹木が裸となり、樹形もあらわになった今、木々が重なり合って作る幾何模様は限りなく美しいです。色々な図形がみてとれますが、その中でも三角形が一番多いですね、平行線や台形もかなり含まれています。)

冬めける木々に顔出す浅間山

立ち枯れの姥百合裂けて冬を吸う
(冬が来て森の樹木が服を脱いで裸になった。透けた木立の間から浅間山が顔を出した。家の裏手の鷹繋山がここにあるよと教えに来た。庭の夏の姥百合が立ち枯れて、大きな口をぱっくりと空に向けて開けた。その口の中から数えきれないほどの種がこぼれ落ちて地面に撒かれた。子孫を残し人生の役目を終えて解放された姥百合が直立不動のままさもうまそうに冬の冷たい空気を吸っていた。)

おもてなし終わりて犬が月に似る
(これはちょっと説明できませんが、現実に実感した事柄そのままです。)

▶︎「大屋原

丘ありて子らを見守る大屋原
(我が家から車で5分程のところに隣の集落の大屋原があります。そのお墓は、集落を見下ろす丘の上の一等地にあります。ここに日の光が当たった時の神々しさと言ったら・・・・。喜久を連れて何度もお墓のまわりを散歩しました。)

夕日背に燃え立つような芒かな
(そのままの情景です。お墓の向こうに夕日が落ちようとしている、お墓のすすきが燃えるように照り輝いてる。すすきの真っ白な尾花が光り輝くと、ちょっと直視できないくらいの眩しさです。季語:芒、秋。)

くうくうと秋をくすぐるサイロかな
(大屋原は戦後満洲から引き上げて来た人たちによって開拓され、満蒙開拓団の開拓記念碑と満蒙拓魂之塔があります。地域では酪農が盛んで牛舎が点在し、広大なりんご畑も存在する非常に美しい集落です。そんな大屋原の古いサイロに野鳩がたくさん住み着いて鳴いていることだ。ああ、いい声だなあ。これから厳しい冬に向かうのに、キリリとした晩秋をなんだかゆるめてしまうようなほっとする声だなあ。僕は鳩が鳴いている声を聞くと、いつも心がすっと落ち着きます。)

鳩の子よ冬が来るのが怖いのか

鳩の子よくるまれ温い母の胸
(ですがじっと耳を澄まして聞いていると、次第次第にこの声は最近生まれた鳩の子が初めての冬を迎えるのに、怯えているのではないかと思えてきました。
鳩の子「お母さん、冬ってそんなに寒いの?」
鳩の子の母「そりゃ、お前、ものすごいもんだよ、食べ物だって雪に埋もれてなんにもなくなってしまうんだからね。でもね、ありがたいことに、このサイロに住まわせてもらっているからね、なんとか春まで生きのびれるんだよ。」
鳩の子の父、じっと前を向いたまま、無言「・・・・・」
父を見た鳩の子、無言「・・・・・」)

サイロ貸す野鳩のねぐら優しけれ

飄々と秋を指揮する烏かな
(刈り入れの終わった秋の広大な畑の向こうに、雄大な草津白根山が聳えている。その前を烏が何羽も気持ちよさそうに舞っていることだなあ。)

大空の夫婦喧嘩は終わったか
(これも見たままの光景です。ああ、大空で烏のつがいが喧嘩をしている。かなりエキサイトして怒って追いかけ回していることだなあ、仲がいいんだなあ、面白いことだなあ。)

▶︎「再訪平塚の海、2025年11月」

空見えていいなあ空がよく見えて

平塚や夕日煙りて街浮かぶ

キャンバスを使い切りたる空の人

日が暮れて白黒青の抽象画

砂浜に打ち捨てられし君思う
(君は楽しかったのか、幸せだったのか、悔いはないのか、飛び方を教えてもらい、小さい頃はお父さんやお母さんとうんと遊んだのか、兄は常に頼りがいがあったのか、姉は絶えず微笑んでいたのか、弟や妹にはいつも優しくしてやったのか、海原を飛び回った時の風の匂いや音を今でも覚えているのか?)

いくたびも海を渡りし白き指

2025年12月1日
和田 健

第1回「俳句を詠み始めて」(処女作品) 初秋から晩秋にかけての55句『鶏三羽寄り添い語る在りし秋』

Posted in 和田和園の俳句 2025-2026 with tags , , , , , , , , on 11 November 2025 by kenwada

皆様、こんにちは。
突然ですが、今月に入り、俳句を少し作ってみました。
どうして突然俳句を作り始めたのか、その理由はよくわかりません。
ただ、俳句を作りたかったのだと思います。
なにしろ62才になって生まれて初めて作った俳句ですので、自分でもよいのか悪いのか全然わかりません (笑)。
一応、基本的な環境だけご説明させていただきますと、我が家は人里離れた標高1100mの森のなかにあり、庭は楢の高木に取り囲まれていまして、ちょうど今、大量の落ち葉の季節を迎えています。
これからの季節は薪ストーブが必需品で、冬の間、大活躍してくれます。
そんな我が家の庭の情景や日常生活を俳句にしてみました。
また、1匹の柴犬や、この森のなかで生まれた猫の3兄弟 (兄、妹、弟)、かつては15羽いましたが今は3羽になってしまった雌鶏たちも大切な家族です。
それでは、どうぞお楽しみくださいではありませんね、俳句歴10日のど素人です。
どうぞお笑いくださいませ。

楢紅葉風と旅する青い空

枯れ果てて黒き草木(そうもく)秋の霜

秋の葉に色の組み方教えられ

足裏でそっとあやまる楢の実に

庭の水ひねって出ない秋の朝

薪小屋を見るたび思う冬支度

台風に大枝小枝ただもらう

薪減りて妻と拾いし枯れ枝を

鶏三羽寄り添い語る在りし秋

雌鶏が飲み水飛ばす秋の雲


秋深し手を合わせては草を刈る

さあ生きよ飛べよ舞い散れ秋の野に

明日には役目を終える秋の草

政治家が説くより平和猫の暖

(毛色や性格も違い、その上、親までもが違うのに我が家の猫の三兄弟が、今日も小さな一枚の座布団に寄り添い合って仲よく寝ているなあ。それに比べると人間は、やれ人種だ、やれ宗教だと言っては、戦ばかりしているなあ。ああ、人間のなんて愚かなことよ。)

男前心優しき秋男
(我が家の猫の長男もみじは、かなりの美男子です)

小次郎にどこか似ているもみじかな

廃校のチャイム届けし秋の風

ざわざわと舞いさくさくと踏む落葉

立ち枯れの秋向日葵に息をのむ

秋烏浅間白根に耳すます

秋香る朝の味噌汁りごうぼう
(地元で、りごぼう、りごうぼう、じごぼう、じごうぼうと呼ばれている秋の森のきのこは正式名をハナイグチと言い、これをたっぷりと入れた毎朝の味噌汁は本当においしいです。我が家のソールフードといったところでしょうか。ちなみに味噌も妻の手作りです。)

森乾き喜久と拾いし秋終わる
(喜久は我が家の柴犬の名前です。落ち葉の季節になり、森が乾燥し始めると、おいしかったきのこの季節も終わりです。今年もいっぱいありがとう、家計をたくさん助けてくれました。春の山菜とともに我が家を養ってくれている森に感謝です。)

喜久姉(ねえ)と猫三匹の秋の道
(喜久の散歩に、猫三兄弟があとをついていくので有名です。)

はらはらとはらはらと秋散り積もる
(ああ、はらはらとはらはらと秋が散っては積み重なっていくことだなあ。)

▶︎先日、若山牧水の「吾妻の渓より六里が原へ」という紀行文を読んでいて、この非常に印象深いエピソードについて初めて知りました。
我が家の近くに位置する応桑の集落で、実際に当時起きた出来事を句にしてみました。

牧水に銭投げつけし秋の人

▶︎2025年9月に平塚の海を一人で訪れた時の思い出を詠んでみました。

秋告げるビーチバレーの乙女たち

流木と卵を食らう秋の浜

鰯雲蟹が顔出す袖ヶ浜

▶︎俳句を作りながら、次第にこの季語という制約や束縛に疑問をもち始めました。
まるでそれは、僕には檻に閉じ込められた動物の気持ちをまざまざと思い知らされるような感じがいたしました。
そこで、無季俳句も少し作ってみました。

「デュビュッフェへ」
公園をのしてたまえし絵画かな

「スーチンへ」
シャルトルの坂道描きワイン飲む

天才の女が揺れて立ち尽くす

神ありて蜂の巣開けた開けゴマ

「モディリアーニへ」
アフリカよ君の女の長き首

ショミエール君のアトリエ見上げた日

開けゴマ洗濯船の門も開け

「ゴッホへ」
君はただ描いたのだろう麦畑

君のテオ隣で眠る麦畑

君が見た病院の窓鉄格子

帰ろうよ黄色の家へアルルへと

君思う独房の部屋オーヴェルで

洗面器顔を洗いし君思う

アブサンを飲んでも酔わぬ君なれば

銭なくて女を求め月一度

病人に描かせてくれと頼みけり

十八区君のプレート手を胸に

今どこに君の魂今どこに

耳切りて包帯巻きし君の顔

ゴーギャンと交換しようヒマワリを

いくたびもテオに頼みし絵の具かな

星空に霊感やどり星回る

「ランボーへ」
ランボーのボロ靴ほどけ踊るパリ

「村山実さんへ」
プロ野球村山こそが投の華

サヨナラのグラブぽっけにしまいし日

十一よ投げる姿はプロの華

担がれて春のマウンド別れの日

2025年11月11日
和田 健