Today’s Studio Photo No.3

Acrylic on canvas, 38.5×51.5 in. (97.0×130.3 cm)
February 10, 2021

2021年2月10日、F60号を2枚。
今日は、最後までかたくならずに、いい加減に、無造作に描けたので、まあ一応よいとしますか。
右上が抜けているけれど、まだあくまでまったくの途中経過ですから。*¹
結局、絵画は塗ってみるまでは、どうしてもわからない。
これまでの経験や引き出しから、ある程度、これこれこうなるというようなものはあっても、それはあくまでも予測であって、最終的には、色と形は塗って、出現したものを目で観て、直接確認してみるまでは、事前にはどうしてもわからない。
さらには、その新たに現れた色と形を脳が認識し、脳に定着させるのにどうしても時間がかかる。*²
そこでどうしたらよいかということは、その対策も含めて、Carolina Herrera さんの The New York Times の fashion 動画を観て、その中にヒントをつかみ、徹底して繰り返し観て、そのノウハウを学びました。
5分弱の動画でしたので、1日に2回は観ていたとして、あの頃、半年間でゆうに200回くらいは観たと思います。
この動画です。

https://www.nytimes.com/video/fashion/100000003103871/carolina-herrera-show-new-york-fashion-week-nyfw.html

Fashion を学ぶことが、Painting に直接役立つことを教えてくれたのは、フランス時代の2008年に Yves Saint-Laurent 氏が亡くなった時に、テレビで特集されていたドキュメンタリー映画を、偶然観たことがきっかけでした。
確か、テレビ局は Arte か France 5 だったと思います。
う〜ん、すごい人だなー、こういう風に一つ一つ丁寧に服を作り上げて行くのか、これは、絵画にすぐに取り入れられるな、役立つ内容が満載だな、すぐに勉強しないといけないなと思い、フランス語のフッションの本を一冊買ってきて全訳して勉強しました。
またあの頃は大好きだった今はなき、 International Herald Tribune 紙を定期購読していましたので、パリやミラノをはじめとした大きなコレクションの記事は必ずチェックしていました。
International Herald Tribune 紙を毎日読んでいる人と読んでいない人とでは、生涯にわたるアートのセンスがまるで違ってくるというのが、僕のささやかな持論です。
ただ観ているだけで、アートの素養が身についてくる新聞なんて他にありません。
ちょっと待ってください!
今これを書いていて、まさかな、もしかしてな、と思いました。
早速、検索。
信じられない!観れるんだな、まさしくこの動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=cOfg9HmHNqM

僕は1年365日、群馬県の標高1100mの森の中で生活していますが、改めて、もうこうなれば観れないものなどない、読めない本などない、勉強できないものなど何もない、という感じだな。
1月は、MITのOPENCOURSEWARE(OCW)で、すき間時間にずっと勉強していましたし(経済学と数学の講義を受講しました。これまでの経験から絵画と一見何の関係もない分野の方が、やがて巡り巡って絵画に結びつくことが身にしみてわかっているためです。この OCW については話したいことがたくさんあります。特に数学の Professor Strang について、素晴らしいというよりか、もうこうなれば愛ですね、愛、美しい!)、それには世界最高峰の大学ではどのような授業を展開しているのだろうという、純粋な知的好奇心のようなものもありましたが(特に大切な一般教養の部分において、どのような授業をしているのかという興味、ここが実は肝心、要でここで他校との差がついているのではないかという関心です)、もうこうなれば、と言いますのは、世界中の誰もがいつ、どこにいても、無料で、最高の講義が実にオープンに公開されていて勉強ができて、それであれば、少なくとも、少なくともですね、芸術家が、例えば森の中でもどこでもよいのですが、地方の自然豊かなところに住まない理由というのは、具体的に一体どのようなものなのだろう?
MIT の動画ではありませんが、コロナ禍などのずっと以前に、Strang 教授がこの動画の中で言われていることは、僕は非常に、もう一度繰り返します、非常に今日に通じる重要なことだと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=9IZfzPZ5k3A&gl=JP&hl=ja&uid=e0XEmlRAGRKnI3RxQSCP-g&app=desktop&warned=yes

さあ午後は「カラマーゾフ の兄弟」の再々読です。
初読は、2004年に新潮文庫の原卓也氏の訳で。
再読は、2009年に光文社古典新訳文庫の亀山郁夫氏の訳で。
11年2ヶ月ぶりの今回は、青空文庫で初めて知った角川文庫の中山省三郎氏の訳で、1月24日に読み始めました。
したがってタイトルも「カラマゾフの兄弟」に変わります。
この作品の入力や校正をしてくださった青空文庫の方に感謝。
青空文庫がなければ、この素晴らしい訳に出会うことは、まずなかったと思いますから。
上巻は、アマゾンで簡単に手に入りましたが、中巻と下巻を入手するために、メルカリに登録しなければなりませんでした。
今ちょうど、イワンの「大審問官」のところ。
相変わらず、難解。*³
でも久しぶりに読み返してみて、新たに気づくことだらけです。
特に、ニコライ・スネギーレフ二等大尉の部屋の描写と、彼が息子と毎晩大きな石のところまで散歩に行く、そして、その大きな石のところで決まって親子でUターンして戻ってくるところの偏向性。
初読はどうしても話の筋を追いますから、誰が犯人だろうかとか、そういうことです。
しかし改めて、この小説は面白すぎませんか?
生前、アルベルト・ジャコメッティが言っていました。
確か、アネット夫人と矢内原さんとの三人の会話の中であったと思います(間違っていたらごめんなさい)。
矢内原さんがバルザックの作品では、どれが好きかというようなことを訊かれて、最初に夫人が答えられて、次にジャコメッティが、確か「あら皮」と答えたあと、じゃあ「罪と罰」はどうかとさらに訊かれて、ジャコメッティが「小説はあまり面白くない方がいい」と答えた内容でした。
すごいことを言う人だなあ〜、と感じたことをよく覚えています。

後日記:
*¹ 翌日、右上詰まりました。
*² Yves Saint-Laurent 氏のこの film を12年半ぶりに観て、長年悩んできたこの問題が、信じられないことに一気に解決しそうです。
そうか、そういう風に運んで考えていけばよいのか、という感じです。
やっぱり偉大な人を撮った優れた film は時間をおいて、繰り返し観ないとダメだな。
その間に、僕も成長はしていないかもしれないけれど、多少は変化はしているので、観る視点、気づきが微妙に変わる。
この動画は、僕は人類の文化遺産だと思う。
*³「大審問官」を二日かけて読みましたが難しい。
でも少し取っ掛かりがつかめてきました。
この部分の全体構造をまず初めにガッチリと押さ込めばよかったんだな。
角川文庫版でたかだか36ページ分なのですが。
今日、もう一度読んでから、先に進もうと思います。
ここは何か、いい加減にしない方がいいと思います。

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