Untitled Sketches No.42 —As an Attempt to Image Poem
無題スケッチ No.42 —「映像詩」への一つの試みとして
2017年11月
イタリア、アッシジ、ボルゴ・聖ピエトロ通り
映像、3分25秒
Untitled Sketches No.42 —As an Attempt to Image Poem
November 2017
Via Borgo S. Pietro, Assisi, Italy
Image, 3 minutes 25 seconds
Sans titre Croquis N°42 —Comme une Tentative de Image Poème
novembre 2017
Via Borgo S. Pietro, Assise, Italie
Image, 3 minutes 25 secondes
これまでの42本で一応ベスト。個人的には最も「映像詩」に迫れたと思う。ベストでこのくらいという人はどうぞ腹を抱えてお笑い下さい。
僕はこの時間にこのタイミングで聖ピエトロ大修道院の鐘が鳴るなんてことを知らなかったし、右下の猫も手足一本画面からはみ出さずによく頑張って?くれました。そして僕がストップボタンを押そうとしたまさにそのタイミングで鐘がピタリとやんだ。ノーカット、ノートリミングで掲載します。
運。
僕はこの映像をパソコンに取り込んで観た時に、T. S. Eliot のThe Dry Salvages を思い出した。
And under the oppression of the silent fog
The tolling bell
Measures time not our time, rung by the unhurried
Ground swell, a time
Older than the time of chronometers, older
Than time counted by anxious worried women
Lying awake, calculating the future,
Trying to unweave, unwind, unravel
And piece together the past and the future,
Between midnight and dawn, when the past is all deception,
The future futureless, before the morning watch
When time stops and time is never ending;
And the ground swell, that is and was from the beginning.
Clangs
The bell.
美しいですよね、恐ろしく美しい。
僕の頭の中で右上から鐘が鳴っている空間ができる。
もちろん大詩人と僕の映像では比べられない訳ですが、僕が言いたいのはそんなことではなくて、結局僕たちは本の中に頭を突っ込んで文字を読み取ることで詩を感じる訳です。同じように映像の中に頭を突っ込んで画面を観ることで詩を感じることはやはり可能なのではないかということです。原理的にはそうですよね。だって僕は別にThe Dry Salvages にいる訳ではないのだから。同じようにこの映像を観る人が今、Assisi にいる訳ではないのだから。だけれども作者はそれぞれの場所にかつていた訳で、その思いを文や映像で伝える、そしてそれを読んだ人や観た人が詩を感じる。う〜ん、あと少しのところまで来ているのだけれどな。頭が悪いので、この先が難しい。何かと何かを結びつければ、あとはできると思うんだよね。あと何かと何かを結びつければできるという自分の感覚が頼りです。観想でいけるのではないか。あとは何かを考えるというよりも、見つめる、という方に近いのではないか。
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