ドストエフスキー(1821-1881)の「未成年」(1875)を読んで 補足「なにゆえ、ドストエフスキーの作品では、かくも多くの人が死ぬのか? 」
(最終回から続く)
やっぱり、これで終わりませんでしたね (笑)。
第三回で自分への課題のように残してしまったこの問題について、あのあとずっと考え続けているのですが、う〜ん、これは難しいですね、難しいのですけれども、それなりに、考えが少しだけ進んできたような感じがしているのです。
え〜と、状況を大まかに整理しますと、
①貧民救済病院の医師の息子として生まれたドストエフスキーには、その幼少期から病人や死者に接する機会が多かった。
②父が農奴たちに惨殺された。
③銃殺刑になる執行直前に皇帝からの特赦が出て死を免れた。人間として極限の恐怖体験があり、その後、シベリアに流刑された。
④持病の癲癇の発作のたびに死の恐怖を味わっていた。
他にも大切な愛娘を亡くしたことなどがありますが、主にこの四点がドストエフスキーの言わば原体験であるということは事実そのものだと思うのです。
それで、問題はその次なのですが、その原体験ゆえに、
①ドストエフスキーは自殺や殺人など人間の魂の言わば極限状態を通して人間存在のあり方を追求している。
②これは同時にキリスト教的な死と再生、救済のテーマでもある。
という、まあ、手短に言ってしまえば、要はそういうことですよね。
この世間一般に流布している通説が、もう一つよく理解できない。
その通説は当たり前のことなのではないかと思いますし、また専門家にとっては、大変なご苦労を伴うでしょうけれども、非常に魅力的な、同時にある意味で追求しやすいテーマでもあるのではないかと思います。
それで現在に至るまで、研究者の新たな解釈や発見が絶えないわけでもありますが、でも本当にそれだけなのかなあと思います。
あくまでも制作者側の視点からみれば、第三回で詳しく考察しましたように「未成年」において、死んだ人の数は17人ですよね、一作品で17回もそんなことできないでしょ。
つまりは、僕の言いたいことは、上述の通説二点に含まれていない死が明らかに存在していますし、それであればですね、通説のベースとなっているもの、すなわち通説の根本的な土台となってなっているものの中にこそ、総合的に考えて、ドストエフスキーにとってのこの問題の真実が含まれているのではないだろうかということです。
アンナ夫人と再婚して家庭的にも安定して充実した円熟期にあるドストエフスキーが、違うのではないのかなあ、これはもっと言わば日常的な問題で、死者を多く出すというのは、ドストエフスキーにとっては、もっと普通のことであり、心の拠り所となるものと言えば、ちょっと言葉が違うかもしれないけれども、心の底が反転、屈折したところにあるなにかの安心感、なにかある種の懐かしさにつながるようなものなのではないのか。
人間は心の中に本当につらいことがあると話しませんよね、それで何十年間も話さないでいた人が高齢になって証言されることもしばしば目にします。
あくまでも例えばということですが、戦争や原爆の体験などもそうですよね。
ドストエフスキーの作品で死ぬ人の数が多いことは、僕にはなにかそういうものに、むしろより近いものを感じるのです。
書けるという時点で、証言できるという時点で、それはやはり回帰ですよね、復元です。
若い後家に残された五人の子どもたち全員が死ぬというのは、挿入された短編の中の挿話とは言え、やはり異常です、読んでいて救いようがない、キリスト教的なテーマもなにもあったもんじゃない。
それが普通にできるということは、死を書くことによって、彼が心の中のなにかの平静、安定、バランスを得ていたのではないでしょうか。
ドストエフスキーが、毎日これを継続してできるというのは、死を書くことによって日々の精神の安定がもたらされていたのではないでしょうか。
文学的な使命を上回るとまでは思いませんけれども、ドストエフスキーにとって、それと変わらないくらいの同等に大切なものが、そこには多少なりとも含まれていたのではないでしょうか。
心の中の闇がもたらすところの、なにかの親密なもの、親しいもの、心を許せるもの、むしろそういうものにより近いのではないでしょうか。
ですので、死を書くことを苦にしていない感じが、僕にはするのです。
ですので、死を書くことを続けられている感じが、僕にはするのです。
この問題を考える時に、思考の切り込み口として非常に参考になるのが、僕の仕事の場合で言いましたら、ゴヤ (1746-1828) の「黒い絵」のシリーズです。
僕も実物を2002年にマドリードのプラド美術館で観てかなりの衝撃を受けましたが、彼はあの一連のシリーズの絵画を食堂に飾って食事をしていましたからね、日常の事実として。
(飾ってと言いますのは、正確には食堂の壁に描かれた壁画なわけですが、まったく同じことだと思います。)
それと極めて酷似してはいないでしょうか、つまりは、第一回でも詳しく触れましたように、ドストエフスキーは午前三時、四時まで仕事をしますから、若い後家の五人の子どもたち全員が死ぬという原稿を書いた日も、当然のことながらその中のどこかに含まれていたわけです。
それで今度は、その日の午後五時から自分の子どもたちとアンナ夫人と息子のばあやと一家団欒の賑やかな夕食をする、その時、ドストエフスキーは生き生きとした顔をしていたのではないでしょうか、晴れ晴れとした顔を、今日は充実した仕事をしたぞと、おそらくですが。
決して、後ろめたいような暗い顔をして、うつむいていたりすることなく。
僕には、ドストエフスキーの作品において死ぬ人の数が多いことと、ゴヤが「黒い絵」を食堂に飾り食事をする感覚には、極めて近いものがあるように感じられるのです。
2026年10月1日
和田 健
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