「カラマゾフの兄弟」の再々読 その3

次に次男イワン。実はここが一番難しい!これは考えれば考えるほどわからなくなる。
まず第一部のイワンのこの病気ですが、「震戦性譫妄性」(下巻、p.252)です。おそらく現在の言葉でいう振戦せん妄のことだと思われます。調べてみましたが、アルコールの離脱症状(俗にいう禁断症状)のひとつで、長期間の飲酒歴のある重度のアルコール依存症者が、飲酒を中断または減量した際に生じるそうです。そこでまず、大酒飲みのミーチャがこの病気にかかるのでしたら少し理解できますが、たいした酒飲みでもないように思われるイワンが、何故この病気にかかっているのかということが解せません。ですが、まあその点はすっ飛ばして、現在イワンは、アリョーシャいわく、「いま一人のほうは瀕死の床にたっています」(下巻、p.511)と、ほとんど死にかけています。
ですが、イワンは死にません。そのことをドストエーフスキイは、きちんとほのめかしています。それは「彼はモスクワから帰ると早々、カテリーナ・イワーノブナに対する燃えるような、物狂わしい情熱におぼれきっていたのである。けれど、後日イワン・フョードロヴィッチの全生涯にその映像をとどめた、その新しい情熱については、いま物語るべき機会ではない。これはまた、別な小説の主題を形造るべきものである。が、その小説にいつか取りかかるかどうか、それは作者自身にもわからない」(下巻、p.204)とあることからわかります。
一体にドストエーフスキイという作家は、ほのめかす、におわすのが、本当に好きな作家ですね、僕はそう思います。「何はともあれ、あらかじめ何か先手を打っておこう」(上巻、p.12)という記述もあります。つまり、イワンはカテリーナと暮らしながら、グルーシャの言うその「傲慢な唇」(下巻、p.499)に翻弄され、「争ったときとかひどく怒ったときなどは(そんなことはたびたびあった)」(下巻、p.205)ように、喧嘩の絶えないカップルとして、次第に疲弊していくのではないでしょうか。
イワンを考える時に、僕にとって非常に鍵になるスメルジャコフの分析があって、それは一度目はスメルジャコフ本人の口からイワンへ、二度目はイッポリット検事の論告の中でスメルジャコフから聞いた話として出てきます。これは読み落としてはいけない箇所であって、明らかに意図的にドストエーフスキイは二回繰り返しているように思います。
一度目の分析であるイワンのスメルジャコフとの三度目の最後の会見では、「とてもだめなことですよ、あなたはあまりに利口すぎますよ、なにしろあなたがお金のお好きなことはよくわかっています、あなたは自尊心の強いかたで、このうえもなく名誉を重じていらっしゃます。それに美しい女はことのほかお好きなんです。が、なかでもあなたの一番にお好きなのは、誰にも頭を下げないで、安らかに、楽しく暮らすことなんです、ーそれが何よりお好きなんです、だからあなたは、永久に自分の生涯を棒に振ってまで、そんな恥さらしなことをわざわざ法廷へ出てなさるおつもりはありませんよ。あなたは三人の御兄弟のうちでもいちばんフョードル・パーヴロヴィッチに似ておいでですよ、ことに精神はあのかたにそっくりです」(下巻、p.248)とあります。
ちなみに、この後のイワンの言葉は要注意です。「「おまえはばかじゃなかったな」イワンはなにかに感動したようにこう言った。彼の顔は急に赤くなった」(下巻、p.249)です。僕の考えでは、イワンはこの時、生まれて初めて自分のことを正確に指摘されて当を得たのではないでしょうか。簡単に言うと、自分よりも頭のよい人間を初めて目の当たりに見たのかもしれません。これに対して、スメルジャコフはさらに、「わたしをばかだと考えていらっしゃったのは、あなたのうぬぼれですよ。」(下巻、p.249)と、本質をつく形で切り返します。
イッポリット検事の論告の中に出てくる二度目は、「つまり、「三人の息子たちの中で、その性質からいって、最もフョードルに似通っているのは、あのイワンです」と、彼はわたくしにこう言いました。」(下巻、p.373)です。
ところが、イワンは翌日法廷へ出てきます。
「ついでに兄ドミトリイ・フョードロヴィッチに対するイワンの感情について、ほんの一言だけ述べておくが、彼は全然ミーチャを愛していなかった。」(下巻、p.191)とありますように、全然愛していなかったミーチャのために出廷します。出廷前日には、出廷するという「堅い決心」(下巻、p.251)ができたことで、歓喜、幸福、快感さえ覚えます。
何故か?何故イワンは出廷したのか?僕の考えは、スメルジャコフの言う自尊心の強さを再認識できたからではないでしょうか。そのことが、「彼は自分の内部に無限の強さを自覚したのである。」(下巻、p.250)や、「だが、おれはなんという自己反省の力を持っていることだろう!」(下巻、p.251)につながります。
結論として、イワンは、前々回に書きましたように、完璧な芸術家になる素質はもっていながら、つまりその点は僕の意見は変わらないのですが、絵の具で自らの手を汚す芸術家にはならずに、ただし並外れた非凡な審美眼はもっている、ないしは育っていくと思いますので、芸術家を食い物にするという言い方は非常によくない、芸術家を使うという言い方もよくない、何と言ったらよいのでしょうか、今の言葉で言ったらアート・ディーラーとして頭角を表して成功し、富裕になるということは考えられると思います。何かをクリエイトする人間になるためには、もっと進んで恥をかけるマインドが必要だと思います。
長男、次男ときて、初回の僕の第二部の夢想は、ここへ来て今や完全に崩壊しました。

また長くなりましたので、アリョーシャは次回にします。

2021年3月16日
和田 健

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