再び絵画日々のメモより

The trees in front of my studio
(アトリエの窓から見た風景)

このノートは、A4大。
1冊目の表紙に、
「一枚紛失したのを機に、すべてこのノートに整理・保管することにした。
なぐり書きでよいので、すべてここに書きなさい。」
とある。

1 緑と青のみでは、薄くて回せない。

2 大胆に切ることによって、樹木は倒立して回せる。

3 一つのつまらないコツのようなものとして、collageの切り貼りの組み合わせは、いいところを隠せば決まる。

4 樹木Aは、隣りの樹木Bの①種類、②樹高や枝の張り具合などの樹形、
③葉の色や形等を意識していない(例えば楢と山桜)。
なのに、全体としては、完璧に調和している。
何故か?
それは、一本一本を見れば、ゴツゴツしていて荒々しく、
極めて不格好だからである。
個々において不細工であると、全体として調和する。
まるで美しいモデルのある種の顔のように。
ところで、逆はどうか?
一本一本の樹木が美しいと、全体として不格好なものになるのか?
それともさらに美しいものになるのか?
ただし、人工的な例えばフランス庭園のような人為の塊のようなものは除く。
でき得る限り森の中で生活すること。
都会のビルから学べることは、地震の時にどのくらい揺れるかである。

5 collageは、要は、薪割と同じである。
丸切りした丸太を割る。
どういう風に割れるかは、
どこに亀裂としての半径が描かれるかは、割るまでわからない。
割った薪を薪小屋に積む。
積んだ後で、労働の結果として、日々変化していく薪小屋の断面の集積模様を眺める。
右回転、左回転、かすれ、「ブッコウ国師げ」そのもの。
薪割程、図形的訓練の要素に満ちたものはない。
我々は、庭仕事の中で、多くの制作上の鍛錬をしている。
それは、庭仕事の中に、制作上のヒントが含まれているというようなものではない。
もっと肉体労働のようなもの、直接的な筋肉の運動に近いものを感じる。

6 今年下半期の読書の流れ(上半期分は「絵画日々のメモより」の中に記述)
ヘルマン・ヘッセ「知と愛」(新潮世界文学、高橋健二氏訳)、7月1日着手、7月16日読了。
引き続いて、「ナルツィスとゴルトムント」(ヘルマン・ヘッセ全集14巻、臨川書店、青島雅夫氏訳)、7月17日着手、8月29日読了。
同じ本を違う訳で続けて読んでみた。
その間に、「ヘルマン・ヘッセ エッセイ全集6巻、臨川書店)を読む。8月23日読了。
「ニーナとの再会」、「隣人マーリオ」に強く心をうたれた。
また、アーダルベルト・シュティフターの作品の中から、
「花崗岩」「石灰石」「森ゆく人」(松籟社)を読む。
ヘルマン・ヘッセ「荒野のおおかみ」(新潮文庫、高橋健二氏訳)、8月31日着手、9月9日読了。
9月15日、フリードリッヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」(上巻、岩波文庫)を読み始める。
「ツァラトゥストラ」(上巻、ちくま学芸文庫)を参考にしながら読む。
9月24日、トーマス・マン「ヨセフとその兄弟Ⅰ」(筑摩書房、望月市恵、小塩節氏訳)を読み始める。
この膨大な長編物語全3巻を、今年中に読み終えることは難しいだろうが、圧倒的。
10月11日現在、第一部ヤコブ物語まで読了。
(6の今年下半期の読書の流れのみ、2015年10月12日に加筆)

薪小屋風景1
(薪小屋風景1)

薪小屋風景2
(薪小屋風景2)

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