今後のこと

そもそもの出発点は、
「Cy Twombly は何故 scribble(殴り書き、走り書き) するのか」
「Cy Twombly は何故全体を見ないのか」
この2点をこの機会に一つ徹底して解明してみようと思い立ったことにあった。
結局、何としてもこの2点を解明しないことには、僕の無意識絵画は、
この先もうどこへも進めないという気がした。
すなわち、僕の作品が同じことを周期的に繰り返す勘に頼った線の細いものと
なり、そこに年月の経過とともに、ある程度の上達を認め得るものにしかなら
ないと感じた。
そこで、まずは国立国会図書館に行き、必要な資料をいくつか集め、
それらを全部読み込んでいるうちに、これは、フロイトとユングを通過しない
ことには、とてもではないが、この無意識の問題のハードルをクリアすること
は到底できないと感じ、以下の4冊を読んでみた。
1、精神分析入門上(日本教文社)
2、精神分析入門下(日本教文社)
3、ユング自伝1(みすず書房)
4、ユング自伝2(みすず書房)
これらの読書は、僕の頭では、かなりの集中力を必要とし、頭を抱えながらの
格闘となったが、読んでいて非常に楽しかった、だから途中でやめなかったの
だと思う。
周知の通り、フロイトの精神分析入門には、これまでに3回の大きな翻訳が
あり、最初が昭和44年初版発行の日本教文社版、次が昭和46年初版発行の
人文書院版、そして平成24年初版発行の岩波書店版である。
まずこの3冊を読み比べてみて、僕は自分のテキストを日本教文社のものに
決めた。
あとは、ノートを取りながら、人文書院版と岩波書店版で適宜訳語をチェック
しながら進めた。
例えば、夢判断(日本教文社)→夢判断(人文書院)→夢解釈(岩波書店)
濃縮(日本教文社)→凝縮(人文書院)→縮合(岩波書店)と言うように。
一番身近な患者である自分を題材として取り上げ、その自分の代理物、
代理満足であるところの作品の理解を通して、実に様々なことを学ぶことが
でき、それらと昨年以来続けている小林秀雄全集の読み込みとが混じり合って、
今、僕の頭の中で一つのものが形成されようとしている。
思えば、フロイトやユングも読まず、無意識絵画を押し進めていたこと自体、
無謀であったが、それはそれで読まずにどこまで独自に行けていたかという
到達度の確認のような一種の楽しさがあり、「絵画」という表現であり、
作為・人為であり、手腕であり、構図であり、構想であり、いかなる意味合いに
おいても利益を伴った自己主張であるところの「絵画」の否定へ、
つまりはそれらは、specialityであり、断じてoriginalityではないということ、
そこから、僕の考えてきた「表出」が次第に輪郭をもった形となって表れ、
人間の無意識的領域からその無意識的願望なり、潜在的思考なりを表出する、
これこそが描くことを通して唯一originalityに至る道であると確信するように
なった。
つまり、表出は人為であるのに無為であり、走馬灯には利益はなく、中心を
もたない。
小林秀雄さんが、全集の中で、現実に対する「注意力」(*1) と呼び、
講演の中で「注意」(*2)と呼んでいるもの、僕は個人的に「心の蓋を取る」
と呼んでいるが、そこからCy Twomblyが筆圧を解き放っている理由、
全体を見ない理由も判明する。
History Behind the Thought (*3) というCy Twomblyのインタビューを読むと
よくわかるが、Cy Twomblyは、制作の前、アトリエの中の海の見える窓辺に
座って2、3時間瞑想する、要はぼんやりする、静かな境地、これと小林秀雄さん
の「季」(*4)という素晴らしい散文との関係から、音を聞くこと、これが独創を
引き出すということ、つまりは独創とは思い出すということ、山の中で聞く
小鳥の囀る声は何の無理もなく音楽より明らかに美しい、音を聴いてはいけない、
すなわち音楽と絵画は人為という意味で全くの同義語である。

それでは、これに対して、例えばゴッホである、その絵画に漲る魂の問題をどう
考えるのか。感傷とか、情感などではない、万人が描く美しい風景画ではない、
ルーブルのあの夥しいイタリア絵画の大作群の嘘臭さ、真実らしさ、
それに加えて、吐き気を催す程の圧倒的なまでの徒弟制度の匂い、
真逆なまでに見事にそれらのない、僕が平身低頭したあの魂を、
オーヴェール・スュル・オワーズのあの独房のような最後の部屋を、
サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスのあの鉄格子の部屋を、
あれは再来なのか、燃焼できなかった人生の再来なのか、
であるとすれば過去の魂は満たされていたのか。

Cy Twomblyがscribbleする理由については、彼の「レパント」の海戦を観ても、
おそらくは何らかの形の母性回帰であり、母性への憧憬であり、scribbleすること
により、心の震え、飢えをその生涯に渡って執拗に満たしていたのではないかと
直覚する。
つまりは、成長過程における何らかの外傷ということになろうが、外傷のない人生
というものが存在するのだろうか。
1921年にわずか7試合に登板しただけの大リーグの投手であった父親との
父子関係はどうであったのか。サイ・ヤングのCyは名前として重かったのか、
それとも父と同じ名前であることは快かったのか、その幼児期において、
父とキャッチボールはしたのか、したのならその時、
父は何と話しかけてきたのか。
死後の世界で父子はキャッチボールをしたのか。
父は息子の自傷行為のようなscribbleを観て、何と話しかけてきたのか。

さて、ユングである。
自らが白人であることを俯瞰するこの巨人の述懐は、近年の中でも、比類のない
読書体験となり、僕の孤独を救う以上に破ってくれた。
この自伝の核心は、ユングのみた家の夢(*5)である。
夢の中で、彼は自分の知らない家の中にいたが、それは「私の家」だった、
と言っている。
ここへ来てようやく、この「私の」がプロローグで2回繰り返される
「私の神話」、「私の真実」と重なり、この人の思想のすべてが、
この「私の」の中に含まれていることを理解した。
この夢の中で、地下室からさらに狭い石の梯子段を降りて行った
岩に彫り込まれた低い洞穴を彼は、
「人間の原始的なこころは、動物のたましいの活動と境を接していた」(*6)
と書いている、震えた、ここなんだと思った、直覚的にここにすべてがある
と思った、僕が個人的に「地獄の底は上皿てんびんの皿だった」と呼んでいた
もの、僕が長い間探し求めていたもの、そのすべてが間違いなくここにある。

僕が、パリ時代に毎日アカデミーで大きな画布に向かって描いている時、
ふと浮かんだ疑問、どうしてこんなに毎日描いていて飽きないのだろう、
その時、咄嗟に心をよぎったこと、
「僕の先祖の中に、何らかの物理的な理由によって、絵を描きたくても
描けない人が、おそらくいたのではないだろうか」は、
数年の時を経てようやく、
「われわれの心は、身体と同様に、すべてはすでに祖先たちに存在した個別的
要素からなり立っている。個人的な心における「新しさ」というのは、太古の
構成要素の無限に変化する再構成なのだ」(*7) に出会った。

自分の生まれつきやくせと戦った、自分の個性と気違いと戦い抜いた、
37で死ぬまでの「ゴッホの日記」の中の魂の問題も同じことだろう。
ゴッホの気質の中に「新しさ」は全くない、
「新しさ」はゴッホの絵の中に魂の問題として、
自分の再構成はこれでしかないという悲しみの問題としてあるのだ。
それが「花咲くアーモンドの枝」(*8)だろう。
もう体に力が入らなくなった、
自分の人生が終わったことを誰よりも理解したゴッホの、
そしてそうなって初めて祖先の魂と和解できた、
低い洞穴の底へ辿り着いた因果の平穏なる永眠。

古の昔より、人間は一秒一秒時を重ね、現在までしかない、つまり明日はない、
ということ。希望という名のもとの明日という嘘臭さ、真実らしさにも決着が
つき、絵画については大きく前進した。
「逆行による改善」(*9)を求めよ。

無意識からの「表出」を理論的に体系づけていく中で、「表出主義」として
考えられるものにしていくことを今後の仕事としたいが、それはユングの言う
「努力をし困難と闘ってのみやりぬける超個人的な仕事」(*10)であり、
世の中がその答えを僕に求めなければ、僕はやり残したことを抱えて死に、
その無念さによって、再生することになる。
お前じゃないよと。

2014年5月19日
和田 健

(*1) 小林秀雄全集(新潮社)第13巻「人間の建設」2001, 所収
 「信ずることと知ること」p.401
(*2) 小林秀雄講演(新潮CD)第二巻「信ずることと考えること」より
(*3) Cy Twombly Cycles and Seasons, Distributed Art Publishers, Inc.,2008, 所収
(*4) 小林秀雄全集(新潮社)第12巻「考へるヒント」2001, 所収
(*5) ユング自伝1(みすず書房)p.228
(*6) ユング自伝1(みすず書房)p.231
(*7) ユング自伝2(みすず書房)p.51
(*8) サン・レミ・ドゥ・プロヴァンスの精神病院に入院していたゴッホは、
  外出制限のある中で1890年2月にこの絵を描いた
(*9) ユング自伝2(みすず書房)p.52
(*10) ユング自伝2(みすず書房)p.162

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