「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その8 最終回その2  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー

(途中経過その7から続く)

さてさて、いよいよこの「転職」発見の長大な物語も最終第14巻に突入し、語り手である「私」の「時」をめぐる極めて興味深い考察が続きます。
これなどは、小学校の同窓会にでも出席すれば、すごく実感するのだろうなあ。
おお!来年3月で小学校を卒業してちょうど50年だ、すごいぞ〜、みんなの顔がわかるかな〜、第14巻で繰り返されるところの「二十年」の比ではない。

しかしそれにしましても、第13巻のシャルリュス氏の「○○死んだ!○○死んだ!」の六連呼 (13の422) とは意味合いが異なり、「時」をめぐる興味深い考察と言ってしまえばそれまでですけれども、これは同時に老いの問題も扱っているわけで、プルーストも最後の最後にいたってよりによって禁断のとまでは言いませんが、ずいぶんとシビアでデリケートな領域に踏み込んできたなというのが僕の率直な感想です。
やっぱり、これにはなにかこのプルーストという人間の大変繊細ではあるのだけれども、同時におそらくは育ちのよさからくるなにか溌剌とした無邪気さも同居しているのではないかという僕の感触にもつながります。

ここで、一度状況を確認しますと、最終編「見出された時」の目玉である「ゲルマント大公邸の午後のパーティー」は、1925年頃と推定されているわけですよね。

プルーストもここはせっかくですから「二十年」なんて言っていないで、もう少し期間をあけて「ゲルマント大公邸の午後のパーティー」を描いてもよかったのかもしれませんね。
ゲルマント大公妃って、要はあの「少数精鋭」の元のヴェルデュラン夫人ですよね、なんだかとてもお元気そうですし、あと数年後でも大丈夫そうです、まあ、オデットは3年と経たないうちに、ということは、1928年頃にはすでに「少々耄碌」(14の90) してしまうようですが、このシーンは元「粋筋の女」であっただけに、なんだか身につまされますね。
アルジャンクール氏も「これは実際、アルジャンクールが自分の身体を御すことのできた最終の極限状態であり」(14の29) とありますから、このあとのパーティーには、おそらくですがもう顔を見せますまい。

仮に二十五年の期間をあけて、「ゲルマント大公邸の午後のパーティー」を、1930年頃の設定にでもしましたら、ゲルマント公爵夫人なんて、お得意の「才気」ももはや完全にきらめきを失い、もう誰も誰だかわかりゃしない、でもよろしいでしょうか、もう誰も誰だかわかりゃしないというところに、本物の愛があるわけですよね、本当の愛が。
つまりは、僕の言いたいことは、愛する人の面影があるのでしたら、そんなのは誰でも多かれ少なかれ愛せるでしょということ、だって、その方の面影が、姿・形が、現にそこにはあるのですから。

プルーストがそこまで描くとよかったのかどうかは非常に難しい問題ですし、また「二十」年後の変化なんてどこか中途半端だとまでは思いませんが、「私」がアルジャンクール氏を「この度外れな老いぼれを前にして、私は大笑いした。」(14の30) のはよくない、実によくない、これは全14巻を通して一番よくない表現なのではないでしょうか。
氏の描写に「手足はぶるぶる震え、(中略) 顔の目鼻立ちも今やたるんで、魔の抜けた恍惚のていでたえず微笑んでいる。」(14の29) とありますが、人は誰でも老いて、腰も曲がり、足元がフラフラするのですから。

もちろんこれは、プルーストは老醜を曝けだして「この午後のパーティーの紛れもない呼びもの」(14の28) になってでも、なおも社交界にしがみつこうとするアルジャンクール氏の言わば奴隷根性を指摘しているのではないかとは思いますが、その彼を見て大笑いするというは、どういうものなのでしょうか?
せめてもの表現として、例えば、失笑を禁じえなかった、だとか。

さて、物語は第14巻の終わりへと近づき、ここで「ジルベルトのかたわらにいる十六歳ぐらいの少女を見て」(14の266) 語り手である「私」が呆気にとられたサン=ルー嬢の登場です!
「途中経過その7」にも書きましたが、要するに彼女はオデットとスワンの孫であり、ジルベルトとサン=ルーの娘なわけです。

しかしそれにしましても、プルーストの「そもそもこの娘は、(中略) 森のなかにおいて、まるで異なる地点からやって来たさまざまな道が集まる「放射状 (étoile)」の交差点のようなものではないか?」(14の260) は、うまいたとえだなあ〜。

ジルベルトが「少し考えたあと、(中略) 私にはとうてい想いも寄らない大胆な解決策をとり出して」(14の258) 自分の娘を「私」に紹介してくるところもなかなか突拍子もなくて、ぶっ飛んでいて洒落ています。
このサン=ルー嬢に対しては、プルーストはもう自分の人生の残り時間が少ないことを自覚してか、「ずっとのちに娘が夫として選んだのは、名もない一介の文士だった。娘にはスノビスムのかけらもなかったからだろう。」(14の259) と、結論を先回りして書いてきています。

ああ、オデット、スワン、ジルベルトと親子2代して積み上げてきた「スワン家のほう」の上昇志向も、これにて万事休す、一巻の終わりもまたおおいに結構!なのですが、この「名もない一介の文士」が非常に気になります、ここだけプルーストは力みましたね、肩に力が入ったのでしょうか、あっ、リズムが違うなと思いました。

もうすっかり慣れましたが、プルーストは書き方が両性的であるとでも言いますか、なにごともなかったかのようにあっさりと構成し、なんでもなかったかのようにさりげなく書いてきますので、読解に非常に集中力が要りますよね、なのでここは要注意です。
小説家が要は同業者ですよね、同業者のことを書くときには、通常、気を使うのではないでしょうか。
これはおそらくですが、「名もない一介の文士」は「本能」で自らの「才能の実体」を掘り当てた、いまだ世に認められていない無名の天才で、プルーストは3代目の孫の代にいたり、ようやく「スノビスムのかけら」もない真の人生をサン=ルー嬢がその夫とともに生きたことを暗に祝福しているのではないだろうか、その示唆であれば、唐突に結論を先回りして書いてきたことも頷けます。

まあ、通常ですと、これはサン=ルーとの結婚により、れっきとした「ゲルマントのほう」の一員となったジルベルトの凋落と解釈されるのでしょうけれども、それではなにかあざけりのようで面白くもなんともないですし、それであればここは「名もない一介のプチ・ブルジョワ」できたように思うのです。

結局、こうしてみてきますと、要するに高級娼婦オデットとユダヤ人スワンの「スワン家のほう」が「ゲルマントのほう」をいかにも凌駕したかにみえますけれども、僕からみますとどちらも負けです。
まさしく、「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」そのものですね。

(ただし、ここで非常に気になるのが、言わば未完の構想とでも言いますか、プルーストが書きかけのまま放置している二点の短い言及についてなんですよね。
その一点目とは、ジルベルトが、
「やがて、あとで見るように、ゲルマント公爵夫人になる」(12の566) ことで、これには驚きました。
そしてその二点目とは、サン=ルーが、
「その後もジルベルトにつぎつぎ子供をつくらせることになる」(12の591) ことです。
いずれの言及にも、プルーストの事後報告が、まったくありませんので、読者にはこのあとどのようになったのかが不明ですが、いずれにせよ、プルーストがこのような構想を視野に入れていたことは、漠然とではあっても伝わってきます。
つまりは、「私」が「十六歳ぐらい」(14の266) のサン=ルー嬢に初めて会ったときには、すでにサン=ルーは戦死していたわけであり、なおかつ、サン=ルー嬢は第一子ですから、その時点でサン=ルー嬢には、弟たちか妹たち、もしくはそのどちらもがいたことになります。)

そしてここでもまた、「私」はサン=ルー嬢を前にして、いよいよ作品にとりかかる決意をするみたいな世間に流布しているようなイメージとは違い、「私」はサン=ルー嬢とは一言も会話を交わしていないじゃないですか!
すべては、このあと、鬼気迫るようなほぼ独白に近い形で、迫りくる死の脅威と自分の作品、書物に対する思いを、「私」が一人で語っていくではないですか!
やっぱり、なにごとも自分で読まないとだめだな。

ここから始まって、それこそ最終ページの最後の1行にいたるまで、すごいですよね、この独白は圧巻です!
恐ろしいほど真剣なのだけれども、同時になにかあれだなあ〜、プルーストは初めて少し解放されて楽になったような感じもいたします。
僕がそのことを感じたのは、いわばスーパー秘書役としてフランソワーズを出してきますよね、ここでフランソワーズできたか〜、プルーストもずいぶん粋なことをするなあ、この「紙切れ (papelard)」のフランソワーズの会話は最高です、正確にはフランソワーズがそのように言ったのではなく、彼女なら間違いなくこう言うであろうというプルーストの確信なわけですが。

ここは僕でしたら、祖母の夢三部作ではないですけれども、夢シリーズの締めくくりとして、祖母を出してきます。
その方が、物語の余韻のようなものが、確実に深まるように思うからです。
すなわち、最初の夢が、
①「私」がバルベックのホテルの部屋で、父親の先導のもとに見た祖母の夢でした。(8の359から)
そして、次の夢が、
②「私」がバルベックの「砂浜のなかの起伏のかげ」(8の399) で見た、やはりこれにも父親が登場してくる祖母の夢でした。(8の400から)

ここで少し脱線いたしますが、しかしそれにしましても、この父親は全14巻を通して、存在感が希薄でしたね。
下手をすれば、アドルフ大叔父などよりも、もっと少なかったかもしれませんね。
小説家の方は、書き終わったあとに、あくまでも結果として出てきてしまう登場人物たちの存在感のアンバランスの問題に対して、どのように対処しているのでしょうか、個人的に非常に興味があります。
プルーストは、死を目前にしていましたから、もう時間がなくて細部を絵画で言えば消してきていませんよね、そのまま消しあとが残ってしまった部分が感じられます、逆にそこに未完の魅力がありますね、未完成の魅力が。

そして、プルーストのこんな言葉も出てきます。
「このような偉大な書物には、建築家の構想自体が壮大であるがゆえに、下書きしか用意する余裕がなく、おそらくけっして仕上がらない部分がいくつも残るだろう。なんと多くの大聖堂が未完成のままになっていることか!」(14の268)
また、これとは矛盾するようですが、このような言葉もあります。
「というのも私は、(中略) なにも大聖堂を築くようになどと大それたことは言わず、ただ単に一着のドレスをつくるように自分の書物をつくることになるからだ。」(14の270)

これを小説家が逐一、アンバランスを矯正しようとして、登場人物たちの頭の高さを調整してきたら、魅力が半減します。
そういう意味で、プルーストは、Cy Twombly にすごく似ているとは思いませんか?

「私」が見た祖母の夢の話に戻りますが、夢シリーズの締めくくりに、三回目の最後の夢として、
③あんなに孫を心配して愛していた祖母が、ここへきてようやく仕事を始められた「加筆した紙片をあちこちにピンで留めながら仕事をする」(14の270) 「私」を前にして、満足そうにうれしそうに微笑む祖母の夢、ただし、今回の夢に父親は出てこないのはどうでしょうか。
それを描いておいて、夢が覚めて、さっと現実に戻し「私」は独白を続ける、プルーストの力量でしたらわけもないでしょうに。

ですので、これはプルーストは、長年付き添ってくれた、親身になって身の回りの世話をしてくれた我が家の老女中に、最後にありがとうと花を持たしたのかな〜。
もしくはあの諧謔に満ちた台詞である、
「すっかり虫食いになりましたね、ほら、ひどいもんです、このページの端なんか、もうまるでレースみたいですよ。」
「このページは修理できそうにもありません、もうだめですね。残念です、もしかすると旦那さまのいちばん立派なお考えが書いてあるところでしょうに。」(いずれも14の273)
が先にありきで、どうしてもこの挿話をここへ入れたかったのであろうか?
この言葉は、どこからどうみても到底祖母には言えませんから、これはフランソワーズにしか言えない。

「見出された時」の出版は、単純に年数を引き算すると、プルーストの死後5年が経過してからですが、いずれにいたしましても、この独白がプルーストから私たちへのラストメッセージなわけですね。

そのなかでも、僕の心のなかに一番食い込んできた言葉は、
「そんなふうに感じられる今、私にとって人生はなんといっそう生きるに値するものと思われることだろう!そんな書物を書くことのできる人はなんと幸せなことだろう!と私は考えた。だがその人には、なんと辛い仕事が待っていることだろう!(中略) なぜならその書物の作家は、ひとりひとりの人物を描くにも、その人物の立体感を出すために、そもそも当人の相反する面を浮かびあがらせようとするから、自分の書物を、まるで攻撃の準備でもするように部隊をたえず再編成しながら綿密に準備しなければならず、まるで疲労に耐えるように耐え忍ばなければならず、まるで規則のように受け入れなければならず、まるで教会のように築かなければならず、まるで食餌療法のように従わなければならず、まるで障害のように乗り越えなければならず、まるで友情のように獲得しなければならず、まるで子供のように充分すぎる栄養を与えなければならず、まるで世界のように創造しなければならず、おまけに、おそらくべつの世界でしか説明されることのない神秘、その予感こそ人生と芸術においてわれわれを最も感動させるあの神秘をも、なおざりにしてはいけないからである。」(14の268)

➡︎う〜ん、プルーストは持ってきましたね〜、引っ張ってきましたね〜、まさしくこれだよこれ!っていう感じの表現ですね、この「まるで・・・・・ならず」の九連打は、限りなく美しい!

「なぜならその人たちは、私の考えでは、私の読者ではなく、自分自身の読者だからである。」(14の269)

➡︎これに似た言及は、すでに第13巻でもみられました。

「なぜならどんなに大きな心配も、どんなに大きな希望と同じく、われわれの力量を超えたものではなく、われわれはついにはそうした心配を克服することができるし、そうした希望を実現することもできるからである。」(14の274)

➡︎本当にそうですね、乗り越えられないものなどないのかもしれない、僕もこの年になって、ようやく少しそう思えるようになりました、それはプルーストの言う「時」の概念ですね。

「人間は、まるで歳月のなかに投げこまれた巨人のように、さまざまな時期に同時に触れているのだから、そして人間が生きてきたさまざまな時期はたがいに遠く離れており、そのあいだには多くの日々が配置されているのだから、人間の占める場所はかぎりなく伸び広がっているのだ──果てしない「時」のなかに。」(14の303)

➡︎ただし、大前提として自殺さえしなければの話ですが。
若者よ、どんなに辛く悲しいことがあっても、プルーストを読むことによっても感じとれるように、「長い歳月」が苦悩に満ちた「時」を、今のあなたの切羽詰まった、追い詰められた、崖っ縁の刹那的な気持ちを少しずつ変形し溶解してくれるので、絶対に自殺だけはしないでください!
そのための対策の一つとして、意外と見落とされがちなのですが、お年寄りと、それも中途半端な高齢者などではなく、かなりの年齢の老人と、話したり接したりすることは、非常に有効なのではないでしょうか。
「時」がもたらす「長い歳月」を、お年寄りの方たちは、すでにたくさん穏やかに身につけていますから。
これに対して、同じ職場の方たちや、同じ世代の方たちとばかりいつも話すことは、有効であるとはあまり言えないような感じがいたします。

「私は山道を登る画家のように生きてきた」(14の274)

➡︎う〜ん。

「さきに書斎で構想したように、さまざまな印象を深く掘りさげることにあり、その印象をまずは記憶によって再創造することにあった。ところがその記憶がもう衰えているのだ。(中略) 私の年齢からすればまだ数年は猶予があるだろうと思えるが、死期は数分後に迫るかもしれないのだ。」(14の275)
「自分のためにではなく、私の書物のために死を恐れるのである。その書物の開花のためには少なくともしばらくのあいだ、多くの危険に脅かされているこの生命がどうしても必要なのだ。」(14の281)
「ところが私は執筆に邁進することなく、怠惰な放蕩三昧にふけり、病気や憂慮や妄想のために生きてきたので、作家としての修練も積まぬまま、死の間際になって自分の著作にとりかかるありさまだ。」(14の288)

➡︎プルーストの死の脅威、ああ、もう少し早く勤勉に仕事を始めていたら、ただし、物事はすべてコインの裏表ですから、同時に「怠惰が安易に書き流すことを防いでくれた」(14の294) のですね、いわば怠惰が身を守ってくれた。

➡︎そして、この直後に続く「草上の昼食」(14の281) はすごい!
まるで、T. S. Eliot の「East Coker」のなかに出てくる輪になった踊りそのものではないですか、あえて先祖たちの盆踊りと言ってもいい、あなたが今憩うその下に、古代人たちの、先人たちの屍が眠っている。

「しかし私にその鉱脈を採掘する時間があるのだろうか?それができるのは私だけだ。それにはふたつの理由があり、私の死とともに、その鉱石を掘りだすことのできるただひとりの鉱夫が消えてしまうばかりか、その鉱脈自体もまた消えてしまうからである。」(14の278)

➡︎これもその通りですね、死んだらその人が生前になにを考えていたか、もう永久にわからない。
こうしてプルーストのように芸術作品に昇華しておかない限りは。
しかし、そんなことは普通は無理なので、せめてもの慰めとして日記でもつけておかない限り、死とともに消滅する、なんとなれば唯一の鉱夫がいなくなるから。

「かつて出かけていたご招待の晩餐会と呼ばれる野蛮人の饗宴」(14の284)
「ご招待の晩餐に出席したことのある几帳面な野蛮人ならひとり残らずそうするように」(14の286)

➡︎死期を前にしたプルーストにとって、かつてあんなにもせっせと交流した社交人士たちは、もはやすべて「野蛮人」と成り果てました。
この「野蛮人」なる表現なのですが、ここまで言う以上、プルーストは、長らく社交界にいたことを、死を目前にして、後悔しているととらえられてもいたしかたありますまい。

「やがて私は下書きの一部を人に見せることができた。ところがだれひとりなにも理解してくれなかった。」(14の287)

➡︎このあとに続く、「私」が使ったのは、「顕微鏡」ではなく「望遠鏡」なのだの比喩は面白い!

「私が現代のエリートたちから讃辞を得ることに無関心なのは、自分の死後にこの作品が賞讃されるのを見込んでいるからではない。私の死後にエリートたちがどう考えるかなどその人たちの自由であって、私にはどうでもいい。」(14の288、289)

「書くのにも長い時間を必要とする。昼間は、せいぜい眠ることにしよう。仕事をするのは、夜だけになるだろう。それでも多くの夜が、もしかすると百の夜が、もしかすると千の夜が、必要になるだろう。」(14の292)

「私が書くのは、もしかすると『千夜一夜物語』と同じほど長い本になるかもしれないけれど、まったくべつの本になるだろう。」(14の293)

「だが私はまだ間に合うのか?もう遅すぎることはないのか?(中略) 「私はそうできる状態にあるのだろうか?」と思案した。」(14の294)

「なぜなら「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」からである。(中略) 病いはその怠惰に陥ることを防いでくれるかもしれない。」(14の294)

➡︎ここにいたって、ついに「ヨハネによる福音書」の一節の登場、プルーストの信仰が顔をのぞかせます。
第13巻の「マタイによる福音書」を踏まえた表現 (13の430) とは違い直接的です。

「私はある種の人たちを外側から描くのではなく、その人たちのきわめて些細な行為さえが致命的動揺をひき起こしかねないわれわれの内面から描くべきであり」(14の297)

「感受性の気圧」(14の297)

「せめて私はその転写において、かならずや人間を、その身体の長さではなく歳月の長さを備えた存在として、つまり、場所を移動するときにはわが身のあとに膨大な歳月をひきずってゆかなければならず、ますます巨大になりついにはそれに打ち負かされてしまう、そんな重荷を備えた存在として描こうとするだろう。」(14の298)

➡︎このあとに続く、第1巻のコンブレーの庭の門扉の呼び鈴の響きを、ゲルマント大公邸において「私」がまたしても聞く描写は限りなく美しい、圧倒的です!
最後は「そして「あの弾むような、鉄分をふくんだ、尽きることのない、けたたましい、ひんやりする、小さな呼び鈴の響き」(14の299) に収斂させてきましたね、この「鉄分をふくんだ」がすごい!

「まわりの仮面の人たちの交わすおしゃべりの声を聞かぬよう努めなければならなかったからである。あの呼び鈴の音をもっとよく聞くためには、私は自分自身の内部へふたたびおりてゆかなければならなかった。ということは、あの音はつねに私の内部に存在していたのだ。」(14の300)

➡︎つまりは、知性をふりかざす「野蛮人」たちのおしゃべりや、「うわべの流儀」の変装に目を向けるなということ。
そんなことをしている暇があるのなら、自分自身の内部へと深くおりていく辛い仕事をしなさいというプルーストからのラストメッセージ。

結局、こうして「コンブレーのプチ・ブルジョワにすぎなかった」(14の214) 語り手である「私」の要するにこの長大な物語は「遍歴談」(14の338) ですよね、その全14巻を読み終えて僕が思うことは、子どもでもわかる簡単な言葉であり、拍子抜けするような意外な感想かもしれませんが、このプルーストという人間は、実に正直な人ですね。
この人の真面目さが、いかにも聖人君子然としているような人はこの際おいておいて、自分の身の回りの自分が一番信頼できる誠実な人よりも、仮に上回っていたとしたら、われわれはどうするのだろうか?

人間って本当に難しいですよね、プルーストの説く「うわべの流儀」で、いくらでも変装することができる、ごまかすことができる、人生は仮面舞踏会の総合劇場のようなものだ、それは少し違うか(笑)、いや、実は違わないのではないだろうか。

でも、プルーストのように、なにしろ14巻も書いてきましたら、人間の本性は伝わりますよね、もうごまかせませんよ、いわゆる地が出ますからね、いくらなんでも、それは。
これもプルーストの説くところの「才能の実体」なるものですが、女好きの「私」の方が、仮に正直で、真面目で、誠実であったとしたら、その場合はわれわれはどうするのだろうか?

祖母に芸術家としての芽が出るように、プレゼントの本や絵の選択にまで実に細かな配慮をされ、愛され、期待もされ、母に心配されながら育んだ「才能の実体」なるもの、本人がなかなか自信をもって踏みだすことができずに、回り道を繰り返したところのもの。
ジルベルトへの切ない初恋、ゲルマント公爵夫人への狂おしいまでの恋焦がれ、そしてアルベルチーヌとの人生をかけた大恋愛。

やっぱり、ある意味、究極のところ、プルーストは謙虚なのではないでしょうか?
よくアルベルチーヌにあそこまで苦しみ抜きましたね、普通ならとっくに途中で投げ出していることでしょうに。

それから、どうしてアルベルチーヌにあんなに酷い死に方を、プルーストはさせたのでしょうか?
2013年に「小林秀雄全集」(新潮社) を読んでいたときに、別巻のなかで、石原慎太郎さんが、省線の吊り革につかまりながら、小林秀雄さんに訊ねる場面がありましたが、
「どうして、ランボーは詩作をやめてしまったのでしょうね。」
ちらっと石原さんをみた小林さんが、
「そうだな、彼は勤勉だったからね。」
というような問答であったと記憶しています。
これを読んだときの衝撃はいまだに忘れられませんが、プルーストはその勤勉さゆえに、アゴスチネリという愛する友であり恋人のためにも、アルベルチーヌのあのような死に方しか、プルーストには他に選択のしようがなかったのではないでしょうか。
(ちなみに、同じく別巻のなかの小林さんの「門を出ると、おつかさんといふ螢が飛んでいた」は生涯忘れられません。)

つまりは、「失われた時を求めて」全14巻の結論は、特技は限られた人しかもたないかもしれませんが、「才能の実体」なるものは、実はまったくもって驚くべきことに、誰もがプルーストの言う「時」という「長い歳月」を過ごすなかで、その程度の差こそあれ、本来所有しているものなのではないか、それを自分の内部へと深く深くおりていき「本能」で掘りだせるか否かという辛い作業をできるかどうかということに、もしかしたら尽きるのかもしれません。

そのときに「無意志的記憶」が手助けをしてくれる、活躍してくれる、でもそれはあくまでも補助であり、介助であり、手助けであり、ヒントであり、きっかけであり、入り口であり、そこから自分自身の内部へと深くおりていかなければならない、う〜ん、なにかすごくユングに通じるな。

結局、人間というものは、幼少期から形成されたところの「才能の実体」なるものを求めて、あまりにも回り道をし、時には道に迷い、さまよい、ある時は後戻りもし、迂回もしつつ、なんとか自分なりのよりよい人生を求めて、「本能」で必死に探りだしては失敗し、また懲りずに「本能」で探りだす。
と書いていて、今思わずダンテの「神曲」の冒頭部分、「人生の半ばにて、暗い森のなかで道に迷う」を思い出しました。

あくまでもその結果として、ある人の場合には、若いころはちゃらちゃらしていたただの女好きだったのが、年齢を重ねるにつれて、まあ、少しはまともな人間になり、別のある人の場合には、若いころは素晴らしかったのに、なまじ知性があったがために、余計なテクニック的なことばかりが身につき、それは社交や弁舌であったり、派閥やグループであったり、上司や部下の操作や操縦であったり、出世や上昇志向やそれに伴う転勤であったりと、そうした小手先のことにかけては極めて巧みになり、それぞれの経済状態に合わせて大なり小なり隙のないスノッブとして完成し、人生の後半から晩年にかけて急速に輝きを失っていく、なんとならば、それではプルーストの言うところの真の人生を生きたことにはならないから。
まあ、最初からちゃらちゃらしていて、そのまま軸がぶれることもなく生涯ちゃらちゃらしている人もいますが、うん?本当か、実はそんな人は一人もいないのではないだろうか、ここのところ。

結局、プルーストからのこのラストメッセージである「見出された時」(1927年) をどのようにとらえるかなのですが、再来年でちょうど刊行100周年になりますよね、でも大変残念ながら、「うわべの流儀」はますますはびこり、勢威をふるい、もうほとんど世界中を埋めつくすような勢いとでも言いますか、現にすでに埋めつくしている感がありますが、ここから各々の「才能の実体」なるものの「本能」による採掘作業に向けて私たちは頑張っていきましょうよと、それは現在のところ、大変残念ながら極めて少数派かもしれませんけれども、極めて大切なことだから、今すごく権勢をふるっているのは、「うわべの流儀」をただ単に物真似したところのレスペクトであり、ただ単に物真似したところのジェスチャーであり、ただ単に物真似したところの所作であり、ただ単に物真似したところの旅行や外食であり、ただ単に物真似したところの家や車の所有であり、ただ単に物真似したところの独特な話し方の抑揚であり、ただ単に物真似したところの集団になってのスポーツの大応援であり、僕はすごく思うのですけれども世の中が軽くなりました。

しかしその一方では、イベントに器用に合わせて、世の中が大変盛り上がるようになりました。
これはおそらくですが、自らの「才能の実体」を「本能」で探り当てていないだけに、盛り上がっていないと、不安でいられないからではないでしょうか?
仲間やみんなと一緒に盛り上がっていれば、一時的には忘れられるという、また明日から普段の生活に戻ろうみたいな。
ここでもまた、プルーストのあの手厳しい言葉である「友人なるものは、われわれが人生の途中でとり憑かれるあの甘美な狂気においてのみ友人となっているにすぎず、(後略)」(13の449) が迫ってきます。

このラストメッセージは、こうした世の中の大勢に対してのプルーストからの最終警告であり、残り少ない命をかけた本心からの絶叫であり、コンブレーの門扉の鈴の音がプルーストにひんやりと心の奥底からはっと思い出させたものは、究極的にはそこへつながるのではないでしょうか、油断するなよと、それには小さな鈴の音一つで十分であろうと。

ここまで書いてきたことだけからでも明らかなように、やっぱりプルーストの言葉は、極めて今日性をもっていますよね、僕はそう思います、すでに死後103年も経過しているのにもかかわらず!

また、語り手である「私」の「才能の実体」に関する僕の最終的な結論といたしましては、「三本の鐘塔」(1の386、ただし鐘塔の話自体は1の384から始まります) で、まだ少年であった「私」の心のなかに、その最初の萌芽がすでに形成され始め、「三本の木」(4の177) で再びチャンスがめぐって来たものの「私」はその天啓の意味を理解することができず、ようやく最終巻のゲルマント大公邸の中庭にいたってから、啓示をつかむという流れです。

「この動きの背後に、この明るく光るものの背後に、鐘塔に含まれていながら隠されているものがある気がしたのである。」(1の384) とは、まさしく、思考や文体と同じように「うわべの流儀」である「鐘塔」の下に隠されている「才能の実体」にほかなりませんので、この「三本の鐘塔」は極めて重要な挿話です。
ところが、それを掘りだしてこなければならない肝心の「私」の「本能」の方が、まだ「ひどく面倒なこと」に思えて、「あとで考えたい気分だったのである。」(いずれも1の384)
しかし、ここで「私」は、なにしろ「才能の実体」がすでに「私」には芽生えていたわけですから、言語化できたと感じた途端、ドクター・ペルスピエに「鉛筆と紙を貸してくれるよう」(1の386) 頼みさえした上で、普通そこまでして書かないと思うのですが、僕などは家に帰ってからまた改めてゆっくりと書けばいいのにとも思いましたが、揺れる馬車の中で即興のスケッチに入りますよね、普段はそんなに猛然と書いたりしている様子は、「私」にはまったく感じられないのに、この小文の導入はいかにも唐突で不自然ですが、プルーストにはおそらくこれを証文として残しておきたい意図があり、なんとならば「私」が「本能」で初めて採掘したところの文章であり、書き終えた「私はじつに幸せな気分になり、例の鐘塔とその背後に隠されていたものから完全に自由になったように感じられた」(1の388) からです。
と、ここまでが、「才能の実体」の「本能」による採掘作業形成の第一段階。

で、まあ、それはよいのですが、問題はこの小文を父親の仲介で、よりによってあろうことか少年の「私」はノルポワ氏に見せてしまうのですよね、そして「氏はひとことも言わずにそれを私につき返した。」(3の73)、要するに才能は認められない、「私」の天才を見抜いてくれることもないどころか、このあとさらに手厳しく酷評さえされます (3の113)。
それはそうでしょうね、ノルポワ氏は、言わば「うわべの流儀」の達人であり、大家であり、大御所でもあるわけですから、要するに彼はそれで生きてきたのですから、元大使として。
ここのところで、プルーストは、二人の間をとりもった父親に対しても、芸術家としての資質がまったくなかったことを暗示しているように思います。
この父親は、「「ルヴュ・デ・ドゥー・モンド」誌 」(3の40) の方に、なんと言っても関心がおありだから。

そして次に、めぐってきたのが、祖母の女学校の学友であるヴィルパリジ侯爵夫人のまたもや今度も馬車のなかであり、この馬車、馬車できたプルーストの意図ですが、どうみてもこれはたまたまではありませんね、その意図とはおそらくは移動であり、「私」の視点のアングルの変化をスピード感をもってもたらすには馬車しかないというものなのではないでしょうか。
つまりは「私」の思考を対象から変化をもって遠ざけること、悠長に長々といつまでも「本能」を使わせないためです。
そして、ここで「三本の木」(4の177から) の極めて重要な挿話が入り、「私」は集中力と注意力の限りをつくして奮闘するものの、結論から言うと「才能の実体」をつかめず、木々から言われたように「私」が感じた一節である、
「きみは今日ぼくらから学ばなければ、このことは永久に知らずじまいになるんだよ。この道の下からきみのところまで背伸びして行ってやったのに、そのぼくらをこの下に捨ておくのなら、せっかく届けてやろうとしたきみ自身の一部は永久に無に帰してしまうよ。」(4の182)
が聞こえてきます。
残念ながら「私」は天啓をつかむことができず、それが「神に出会ったのにわからなかったような悲しい気分だった。」(4の182) につながります。
ここまでが、第二段階。

そして、三段跳びのホップ・ステップ・ジャンプではないですけれども、これと見事に符合する第三段階が第13巻のゲルマント大公邸の中庭で「私」が敷石につまずいた時であり、今回は「私」のもうあとがないという背水の陣の固い決意ですね、
「きみにまだその力があるのなら、通りかかった私をつかまえてごらん、そして私がきみに差し出している幸福の謎を解こうとしてみたまえ。」(13の432)
で、今回は無意志的記憶をたぐりよせて啓示をつかまえる、「本能」による「才能の実体」の採掘はここに終わり、一人の天才が誕生する、まあ、そんな流れでしょうか。

ここで大変気になるのが、二つの会話で、「きみ」で「私」に呼びかけてくる同一の声ですね、問題はこの声の主は誰なのか?ということが、非常に興味のある課題となり、ここではおそらくは神の声であるということにして、一応スルーしてもよいのですけれども、これは「才能の実体」を掘り起こそうとする「私」の分身の声ですよね、天才よ、目覚めよと。
これが僕が昨年「途中経過その1」のなかで考察して書きました「失われた時を求めて」には、どこか『現実的には、もちろん作家本人であるプルーストが書いている訳ですが、なにかその背後にあるもの、具体的にはおそらくはプルーストの先祖のどなたかが書いているような、時を隔てた少なくとも二人以上の人物が複合的に重なり合って書いているような感じが、僕にはどうしてもするのですが。』につながります。

それから、この「三本の鐘塔」と「三本の木」の「三」と「三」に、プルーストは明らかに意味をおいてきていますね、プルーストが、それはただ偶然に一致しただけですなんてことは絶対にしてこない、なんなのだろう、この「三」の意味するものは。
そう言えば、以前にもバルベックで一シーズンに関係した女の子の数をいやらしく数え上げる時にも、「私」は「十三」をはずしたがっていたな (8の422)、それであれば直感的には、これはやはりキリスト教の教義に関することなのであろうか?
仮にそうであるとすれば、これは別に専門家ではなくても、キリスト教で「三」であれば、解明できそうですね。
なんだろう?死と復活の物語の「三」であろうか、まだ少年の時分から、そこになにか「本能」で「才能の実体」を、新しい命と希望をすでに感じとっていたという、年少ゆえにまだ自覚できないところの希望の象徴のようなものとして。

最後になりましたが、僕のような一般市民の独学の読者にとって、このような世界に類をみない美しい長大な物語を読了できたことに対して、誰よりもなによりも、まずはこの方に御礼をお伝えしないことには、一人の人間としてこのままでは終われないように感じます。
訳者の吉川一義氏、誠にありがとうございました。
氏の詳細極まる訳註や解説、またまるで美術解説書のような豊富な図版や資料をともなう御訳業、さらには毎巻本当に楽しみにしておりました計14回にわたる「訳者あとがき」、僕にはフランス語の細かいところまではわかりませんが、容易に想像されることとして、おそらくは前人未到のような御高訳に、心からの敬意と感謝を申し上げます。
本当に心からありがとうございました。

氏の書かれたことのなかで、唯一疑問を感じましたのは、「訳者あとがき(1)」のなかで、
「長いといっても、二日の休みがあれば一冊は読める。」(1の432)
「都合三十日ほどの読書で、居ながらにして人生のすべてを体験できるのである。」(1の433)
という一節でした。
もちろん、長大で難解だと思われがちなこの作品の垣根を少しでも低くして、読者の意欲を高めようと御配慮なされたことは十二分に伝わってきましたが、そこには各々の健康状態というものもありますし、氏がこうしたことを書かれたことで、逆に、おそらくは必ずや、僕/私は二週間で完読しましたみたいな手合いが出てきて、結果として速読を煽るようなことにならないか懸念するからであります。

最終回の今回も拙い文章を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

(おしまい)

2025年9月2日初稿掲載
2025年9月5日最終加筆、修正
和田 健

付記:昨年から今年にかけて、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」に関しましては、全部で9回連載いたしました。
掲載の順番は以下のようになっておりますので、ご参考までにご紹介させていただきます。
「途中経過その7」と「途中経過その8」にのみ、タイトルの冒頭に「「天職」発見の物語である」がついている理由は、「途中経過その7」の本文の最後に「お断り」として、説明させていただきました。

①マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み始めて ー途中経過その1 第1巻「スワン家のほうへ Ⅰ」から、第3巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅰ」までー (2024年11月20日掲載)

②マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その2 第4巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」から、第6巻「ゲルマントのほう Ⅱ」までー (2025年2月14日掲載)

③マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その2の番外編 第4巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」から、第6巻「ゲルマントのほう Ⅱ」までー (2025年2月16日掲載)

④マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その3 第7巻「ゲルマントのほう Ⅲ」ー (2025年3月10日掲載)

⑤マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その4 第7巻「ゲルマントのほう Ⅲ」ー (2025年3月21日掲載)

⑥マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その5  第8巻「ソドムとゴモラ Ⅰ」から、第9巻「ソドムとゴモラ Ⅱ」までー (2025年5月11日掲載)

⑦マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その6  第10巻「囚われの女 Ⅰ」から、第12巻「消え去ったアルベルチーヌ」までー (2025年7月18日掲載)

⑧「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その7 最終回その1  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー (2025年8月27日掲載)

⑨「天職」発見の物語であるマルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み終えて ー途中経過その8 最終回その2  第13巻「見出された時 Ⅰ」から、第14巻「見出された時Ⅱ」までー (2025年9月2日掲載)

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