マルセル・プルースト (1871-1922) の「失われた時を求めて」(1913-1927) を読み進めて ー途中経過その2 第4巻「花咲く乙女たちのかげに Ⅱ」から、第6巻「ゲルマントのほう Ⅱ」までー
(途中経過その1から続く)

Ken WADA, The sea of Normandy 3, 2009
Gouville sur mer, Manche, Watercolor on paper, 31.8×41.0cm
(ここまで読んでもまだ半分までも来ていないのか、え〜と、僕は以前市民ランナーとしてフルマラソン42.195kmを (日本の市民ランナーのレベルは異常に高いですので) そのタイムは論外といたしましても、とにもかくにも2回完走したことがあるのですが、その時の経験からしますと、この「失われた時を求めて」全14巻読破をフルマラソンに例えると軽く10回分くらいはありますね、すなわち421.95km、ということは、えー、僕はまだ現在180kmくらいの地点を走っているのかな?)
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」(岩波文庫版全14巻、吉川一義氏訳) の第4巻を、2024年11月14日に読み始め、その第6巻までを、2025年1月30日に読み終わりました。
この第4巻から物語の舞台はやや唐突にノルマンディーの保養地バルベック (1の289の注にありますが、カブールがそのモデルなのですね) に移ります。
ノルマンディーの海、とても懐かしいです。
フランス時代に、ル・アーブルやオンフルール、ドーヴィル、カーンなどに行きました。
なんと言っても舞台が海辺のリゾートホテルですから、華やかな若い女の子もぞろぞろ?登場してきますし、まあ、あくまでそこの部分だけを切り取れば、第4巻は確かに美しいです。
ちなみに、ノルマンディーに隣接する僕の大好きなマンシュ県もルグランダンの台詞の中にほんの少しだけですが出てきます。
「私がかような大気中の植物界についてここより多彩な観察ができましたのは、マンシュ県の、ノルマンディーとブルターニュの中間あたりです。・・・・」(1の288)
さて、この唐突な場面設定についてですが、以下でも改めて触れますが、プルーストは物語の全体を構成してくる能力が極めて高いですね。
プルーストが1922年に亡くなった時点では、この岩波文庫版で言えば、第10巻以降の部分がまだ出版されていなかったことを考え合わせますと、その傑出した特異な能力が改めて伝わってきます。
もちろん、偉大な小説家であるわけですが、なにかこう小説家というよりも、なんて言うのか、偉大な彫刻家であり建築家であるとでも言うか、一読するとまるで好きなようにこれだけ長長と書きながら、家全体を建てる時の要所、要所に肝心の太い柱を打ち立ててくるのが実に上手い。
プルーストには見通せるのでしょうね、それは、①物事の先を透視するような予知能力が高いのか、②あるいはまた、書き始める前に相当な時間をおいているからなのか、③さらにはまた、一度書き上げた後の納得いくまでの加筆、修正にあるのか、どうなんでしょうね、まあ、それら全部と言ってしまえば、それは確かにそうなのでしょうけれども。
あくまでこの第4巻から第6巻に限って言えばということになりますが、まあ、ものすごくざっくり言ってしまうと、語り手である「私」が祖母とともに、バルベックへ出発して、最後は祖母の死までという内容になるわけですが、相変わらず語り手である「私」の精神のドラマが展開され、もちろんそれが物語の軸となっていきますが、でもこれはあれですよね、目立たないですけれども、派手な台詞の一つもありませんけれども、いつも影から孫である「私」をそっと優しく見守り、「私」の芸術的な気質の成長をなんとかして促そうとしている祖母という温かい人間の存在が、絶えずその根底に流れているように思います。
やっぱり「昔と変わらず、私に与えるプレゼントには相変わらず芸術的性格を付与したいと願っていた」(4の34、35) この祖母は、ちょっとただものではないように思います。
「途中経過その1」の最後でも少しだけ触れましたが、祖母が「私」の誕生日に与えるプレゼントの一件 (1の96あたりから) からして、こんな祖母はどうみても普通いないです。
ところで、僕の頭では、プルーストの文章は多くの場合一回読んだだけでは意味内容がわかりませんので、同じところを何度も繰り返して読むことになり、すなわち前に進めずに停滞するのでどうしても時間がかかります。
それは、まるでオリンピックの体操競技の選手が鉄棒や跳馬で空中で何回転もしたあと着地するかのように文章をひねり回してきますので、そりゃ文章が装飾的だと言えば確かにその通りで、今日に至るまでその評価も極めて高いようですけれども、もう少し素直に誰にとってもわかりやすく着地してもいいんじゃないかなと、ここでまたぶつぶつ、これでは僕の毎日はなかば苦行ではありませんか。
それに加えてですね、なにゆえここまで複雑に入り組んだ、込み入った、絡み合った、なおかつ僕が思うにあてこすりや皮肉、意地の悪い箇所が相当散見される上に、物語の次の場面への展開があまりにもさらりと、特に新たな章を設けるどころの話ではなく、一行さえあけることもなく何事もなかったかのようにさらさらと流れていきますからね。
こちらがかなり集中していないと、まるでどこか遠くの山の雪崩をぼーっと見ているような感じに思わずなります。
それから、このあまりに複雑極まる「縁戚関係」(6の272) や「姻戚関係」(6の273) を、これらを一読した段階でしっかりと把握できる人が本当にいるのでしょうか?
まあ、物事には何事にも例外というものがあり、世の中には頭のいい人がたくさんいますから、おそらくは一読してすぐにきちんと把握できる人もいるのでしょうね。
僕なんかは「ゲルマント一族」の唯一の家系図 (5の11) を時々見ながら、もうしょっちゅうなのですが、なんとか公爵夫人にお会いすると「ところで大変失礼ですけれども、あなた様はどちら様でしたっけ?」の毎日なのですが。
じゃ、僕はどうして毎日プルーストを読み続けているのかという問題にここはどうしてもなるのですが、これはやっぱり考えますよね、これだけ読みにくいと (笑)。
そこで僕なりの結論になるのですが、結局、プルーストが主張し展開していることは、昨日と今日の読者は違うということにつながるのではないでしょうか?
プルーストを読むことによって、昨日と今日の自分はわずかに、なにしろ読書という地道な作業ですので、この本当にわずかなところであるというのが非常に肝心なところなのですけれども違うわけです。
プルーストを読み続けるということは、昨日と今日の自分の違いにつながります。
なんだ、つまりは、プルーストに関心があるのではない。
結局、プルーストを通して読者である自分に注意が向いているのですね。
しかし、それにしましても、プルーストは小説全体の構成は、そのあまりに特異であり異端でもある宇宙的空間のような広がりを見せる彼の頭脳の中でしっかりと組み立ててきますね、ここだけは決してはずさないなあと思いました。
これ、第4巻の始まりで「あれ、おかしいな?なんで私は祖母と (正確にはさらにフランソワーズとの三人で) バルベックに出かけるのだろう?」と思いました。
それまでの第3巻までの感じからしたら、やっぱりこれは通常であれば父母と、まあその結びつきの強さから言えば、ここはどうしても本来であれば母と出発するはずですよね。
そこに「ノルポワ氏とスペインに出かけるはずの父」(4の31) で、父はスペイン旅行に出かけて、父は母に「パリの郊外に一軒の家を借りたほうがいいと考え」(4の31、34) て、 母は新しく借りた家に用事で滞在しなければならないとかなんとか、まるでなにかいかにもとってつけたような?設定をしてきて、第6巻のラストに祖母の死をもってきている。
もうこれは明らかにどうみても最初と最後に祖母で二本の太い柱を建てて、その間を「貧しい孤児」(4の538) であるアルベルチーヌや、祖母が孫に「多くの知的恩恵」(4の410) を与えるのではないかと期待する画家のエルスチール、はたまた祖母が「プルードンの沢山の自筆書簡」(4の481) をプレゼントするサン=ルーなどなど・・・、ちょっととてもすべては書き切れませんが、何人もの登場人物でつないで明らかに意図的にもってきている感じがいたします。
なにか太い頑丈な二本の柱を建て、その間を紐で結んでいろいろな色の旗を吊るして飾っているそんな感じです。
まるで子供のころ、小学校の運動会の日になると、各国の国旗が紐で結えて校庭に吊るされていた感じ、かなり古いな。
この第6巻のラストの祖母の死の描写は圧巻です、すごいなこの文章は。
冒頭の「遠い昔、両親が夫を」で一気にもってきたなと思いましたが、「私」の祖母に対する愛が完璧なまでにこの文章に凝縮されていて、ここはプルーストは作家として完全に決めに入ってきている感じがいたします。
これはあれなのでしょうか、研究者や専門家の間では、文学史上に残る名文にすでになっているのでしょうか?
最後の「中世の彫刻家のように・・・」で、思わず2016年にイタリアのベルガモでヘルマン・ヘッセのエッセーめぐりをした時に観た横たわる乙女像を思い出しました。
ただしですね、とても気になることは、両親が選んでくれた夫と、純潔と従順を旨として生涯を貫いた祖母に対して、女性関係の絶えない「私」が、横たわる祖母を前にして、自らのこれまでの人生を省みる視点が欠けているように思います。
「遠い昔、両親が夫を選んでくれたときのように、祖母の目鼻立ちには、純潔と従順によって優雅に描かれた線がよみがえり、つややかな両の頬には、長い歳月がすこしずつ破壊したはずの、汚れなき希望や、幸福の夢や、無邪気な陽気さがただよっている。生命は、立ち去るにあたり、人生の幻滅をことごとく持ち去ったのだ。ほのかな笑みが祖母の唇に浮かんでいるように見える。この弔いのベッドのうえに、死は、中世の彫刻家のように、祖母をうら若い乙女のすがたで横たえたのである。」(6の377、378)
この極めて印象的なラストと、語り手である「私」が祖母とともに、バルベックに到着して、「グランドホテル」(その名前が最初に出てくるのは4の69) の部屋の「仕切りの壁」(4の81) の三つのノックの音が、ものの見事に呼応しているように思います。
仕切りの壁をノックしても、もう決して応答はありません。
もし間違っていたらごめんなさい、ここが祖母の最も長い台詞の箇所という認識でよろしいのでしょうか?
少し長くなりますが、ここは決して読み飛ばせない箇所ですので、全文引用いたします。
「かわいい子のノックをほかの人のと間違えるはずがないでしょ!どんなにたくさんのノックの音のなかからでも、おばあさんにはあなたのノックが聞き分けられますよ。あんなにおばかさんな、熱に浮かされたようなノックが、おまけに私の目を覚ますのではないかという心配と、わかってもらえないのではないかという心配とに引き裂かれたノックが、ほかの誰にできると思うの?だって、ちょっとひっかく音を聞いただけで、すぐに私のかわいいネズミさんだとわからないわけはないでしょう。とくに私のネズミさんは風変わりで、気の毒なネズミさんですからね。しばらく前から、ベッドのなかでもじもじとためらい、もぞもぞ身動きして、あれこれ策をめぐらしているのが聞こえてましたよ。」(4の82、83)
う〜ん、すごいな、これは、この人はすぐにでも童話作家にもなれそうだな。
細かい点になりますが、なにか妙に気になったことは、庶民がこの三人だけではないのですが出てきますよね、ここは注意です。
「牛乳売りの娘」(4の57)、再び別の「牛乳売りの娘」(4の172)、さらに「美しい魚釣り娘」(4の175)、まあ要するに「村の娘」(4の175) ですね。
これは、あれでしょうか、性欲が昂じた語り手である「私」の生きる意欲であり希望であると僕はとらえましたが。
つまりは、上流社会に囚われて生きている「私」が、そこを飛び出して流浪の民となりまったく別の人生を生きる、その時にこのような「村の娘」と一緒になって生きることができたらというような、決してかなうことのない「私」の心の奥底の願望であり夢想を感じるのです。
それから、「私」が海辺で「五、六人の少女」(4の325) を目撃した事件以来、彼女たちのことを「自転車競技選手たちのきわめて若い愛人」(4の334)、さらにもう一度「自転車競技の選手やボクシングのチャンピョンの愛人」(4の439) と思い込んでいたことが、職業名を具体的に出してきたことで、なぜかとても気になりました。
最後に非常に印象に残った場面をかいつまんで4点ほど、ご紹介させていただいて終わりにいたします。
1点目は完全にこの箇所は画家の眼で観ているなとでも言いますか、さらに言えば、映像作家としてのカメラワークであるとでも言うか、「窓ガラスに明かりのともる住まいがあると、私は闇のなかに長いこと立ちつくし、入りこめない神秘的な暮らしのくり広げられる真性なる情景を見つめた。こちらで真っ赤な画面に火の精が描き出してくれるのは焼栗屋の営むカフェ・レストランで、そのなかで下士官がふたり、かたわらの椅子に軍服の革ベルトを投げ出してトランプに興じているが、」(5の205) あたりから始まって、「とある小さな古道具屋」の古い絵のレンブラント化現象、「広壮な古めかしいアパルトマン」の「なかをゆっくり泳いでいる水陸両棲の男女」、ホテルの中庭を横切る「私」のブリューゲルの「ベツレヘムでの人口調査」を想起させる一連の流れ、ここは圧巻ですね、すごいです、比類ない美しさです。
ただし、この箇所だけなにかほかのすべての部分と文章のリズムが、多少異なっているように思いとても気になるのですが。
プルーストは51歳で亡くなりましたが、もし仮に50代から映画の世界に入っていたとしても、映像作家としてのその能力もおそらくは極めて高かったのではないでしょうか?
まあ、決して比較するような問題ではないとは思いますけれども、それでもゴーゴリの天才度にはかなわないように思います、ゴーゴリは眼自体がすでに魚眼レンズになっていますから。
ゴーゴリの話が出たついでに、やっぱり、ジルベルトが出てきても、アルベルチーヌが登場しても、まるで球体が転がり出てくるようなゴーゴリ の「死せる魂」(1842) のようなリズム感、はずむような魅力、スピード感がない、これはおそらくですが直感的になにかプルーストの運動能力的なものの欠如からきているのではないでしょうか。
2点目は、これもブリューゲルの農民画の延長になりますが、「なんとかサン=ルーのテーブルのある小さな部屋にたどり着いた」(5の213) 「私」が、サン=ルーやその数人の友人と夕食をともにしますよね。
サン=ルーの戦術をめぐる長広舌には多少閉口しますが、その直後の「凍てつく夜の闇はずっと遠くまで広がり、そこからときどき聞こえてくる汽車の汽笛はこの場にいる歓びをいっそう募らせるばかりだし、・・・」(5の254)、ここはすごいな、またまたゴーゴリになってしまい大変申し訳ないのですが、今度は「外套」そのままではないでしょうか。
3点目は、ポンペイですね、「私」が祖母と最後の外出をして、ようやく家に帰り着く場面、「陽は傾いて、どこまでもつづく壁を赤々と染めていたが、辻馬車が私たちの住む通りに着く前に沿うように進んでいくその壁には、赤味を帯びた地色のうえに夕日に映し出された馬と馬車の影が黒く浮きあがり、ポンペイのテラコッタに描かれた霊柩車を想わせた。」(6の323)、これは美しい、やっぱり、映画監督だ!
これはあれでしょうか、「霊柩車」とありますので、プルーストは最愛の祖母の生前最後の外出に、そっと花を供えたのでしょうか?
控え目に目立たぬように、供花をしたのでしょうか?
最後、4点目が新進作家の一件ですね、最初はこれ、プルースト一流の皮肉で書いているのかなとも思いましたけれども、そうではないことを確信しましたので、ご紹介させていただきます。
プルーストが読みにくいという方は、まずはこれを読んでから入ると多少読みやすくなるのではないでしょうか (笑)。
なんのことはない、プルーストにとっても、新進作家は読みにくいのです、ある程度その文体に慣れるまでは。
「ところがある新進作家が発表しはじめた作品では、ものとものとの関係が、私がそれを結びつける関係とはあまりにも異なるせいか、私には作家の書いていることがほとんど理解できなかった。」(6の339、340) と、このあとまだまだ続くのですが、赤裸裸な人だなあ〜。
わからないことを、「わからない」と公然と言えるってすごいことですよね。
以前、ピカソがプラド美術館のゴヤの「1808年5月3日、マドリード」を前にして、「二番目の光がどこからくるのかわからない」と言っているのを観て大変感銘を受けました。
これは少し考えてみてください、ピカソの立場からすれば、祖国の大先輩であるゴヤに対して「わからない」と言ってしまえば、格下に思われる懸念があるため、通常、なかなか言えないです。
「二番目の光ですね、それにはいろいろな解釈がありまして・・・」などと言える方は、そのあたりにも決して少なくはないように思いますが。
プルーストはルノアールやモネまでは実際に鑑賞しているようですので、プルーストがもし例えばですが、デ・クーニングやシャイム・スーティンを観たら、どのような感想を私たちにもたらしてくれたのでしょうか?
大変残念なことに、私たちはもう決してそれらを知ることがないわけですね。
すごくプルーストの文章はなにか生々しい、生理的な感じがします。
生理的に書いていれば、それは当然彼の文体が苦手な人も出てくるでしょうから、まあ、そういう意味では、とても正直な人であったのだろうなと思います。
長くなりましたので、手にあまる時事問題である「ドレフュス裁判」(詳しくは5の225の注) についての私見と、誰もが携帯電話をもつようになったこの現代において、非常に興味深い「私」と祖母の「電話」の一件 (5の288から) を、ご紹介できなかったのが大変残念ですが、プルーストの世界を堪能しました、楽しかったです。
(途中経過その2の番外編に続く)
2025年2月14日
和田 健
「途中経過その2の番外編」は、明後日2025年2月16日に掲載予定です。
なお、第7巻から第9巻までの「途中経過その3」は、僕の眼の状態にもよりますが、大体2025年5月下旬ごろを予定しております。
「途中経過その1」
https://kenwada2.com/2024/11/20/マルセル・プルースト-1871-1922-の「失われた時を求め/
「途中経過その2の番外編」
https://kenwada2.com/2025/02/16/マルセル・プルースト-1871-1922-の「失われた時を求め-3/
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