ディケンズ (1812-1870) の「荒涼館」(1852-1853) を読んで 第3回「「荒涼館」から「失われた時を求めて」へ」

(その2から続く)

(©︎The New York Times, The church of Saint-Jacques in Illiers-Combray)

最後に、ウラジーミル・ナボコフが「ナボコフの文学講義」(河出文庫上巻) の中で、ディケンズの「荒涼館」を取り上げていることを知り読んでみました。
ナボコフの著作はこれが三冊目で非常に面白かったですが (特にこの中の冒頭部分の「良き読者と良き作家」は必読です)、問題の解明にはついに至らず、なんだかせっかく買ったのだから、そのあとの講義のギュスターヴ・フロベールの「ボヴァリー夫人」も読んでみたら面白くて、早速新潮文庫の「ボヴァリー夫人」を買い、ちらりとのぞいてみたら、字も大きくて眼の悪い僕にはこれはとても助かるなと思い、さあ明日から読み始めるんだろうなと思ったら、なぜかそうはいかなくて、もう今ここで読まなかったら、なんだかんだと言いながら、間違いなく読まないで一生を終えるぞと思い、突如として、そうです、あの世界一長い小説で岩波文庫で全14冊あるんですか、よく知りませんでしたがそんなこと (でも調べたら確かにそうでした)、とにかく、2024年8月30日になって読み始めたのでした。
え〜と、ここで改めてお断りするまでもなく、その本とはもちろん、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」です。

そしたらなんと、いきなり物語の舞台が、ウール=エ=ロワール県 (Eure-et-Loir) のイリエ=コンブレー (Illiers-Combray) であり、その教会の非常にきめ細かなと言いますか、病的なまでの描写ですからね。

僕はフランス時代丸7年間の内、2年半を同じウール=エ=ロワール県のマントノン (Maintenon) で生活していましたので、もうこれはどうみても完全にジャストミートがまた来たな〜という感じです。

マントノンにアトリエ付きの住居が見つかったため、それまでのパリのモンパルナスの家から、思い切った決断をして妻と引っ越したのは、2008年9月1日でした。

長い間の念願がかない、ようやく買うことのできた、あの重くて頑丈なオランダ製のガゼルという自転車 (昔、僕らが子どもの頃、ラッパを吹きながら豆腐を売りに来た自転車に感じがよく似ています) のペダルを漕いでは、これまた重い画材をたくさん自転車に積んで、ああ、いったいどれだけ多くのウール=エ=ロワール県の町や村の教会を僕は実際に訪れたことだろう!

さらには、さすがにツールドフランスのお国だけあって、自転車をめぐる環境は日本とはまるで違い、日本のJRにあたるSNCFには自転車を置く専用のスペースまであり、でもまあ別にそれをあえて利用するまでもなく、ドアを開けたところに普通に自転車を置いても、誰も嫌な顔をすることもなく、それでガゼルを電車に積んでは目的地の駅で降りて、またペダルを漕ぎ出すというようなことをしていたものですから、行動半径が俄然広がりました。

並外れて美しかったアンシュ (Hanches) の教会の絵は、シリーズとなって始まり、「復活祭の週に私たちをパリから運んできた汽車の窓から見ていると」(岩波文庫第1巻、スワン家のほうへ、p.149) と書いてあるから、おそらくプルーストも車窓の風景として、その年によって一年ごとに交互に作付けされる麦畑や菜の花畑の中に、まるで浮かぶようなアンシュの教会を、エペルノン (Épernon) を過ぎたあたりで、その進行方向の右手に間違いなく観たのだろうな。
僕などは、この教会をよく観るために、パリのモンパルナスからマントノンへ向かう時には、決まって進行方向の右側の窓辺の席を、マントノンからモンパルナスに向かう時には、逆に進行方向の左側の窓辺の席を探しては座っていました。

でも、僕が一番強烈な衝撃を受けたのは、これは自転車ではなくて、自宅の大家さんが「ケンがそんなに地域の教会を巡っているのなら、一度連れて行ってあげよう」と車で回ってくれた3つほどの教会の中の一つ、ネロン (Néron) という小さな村の教会の (おそらくは手入れがあまりされていなかったがために) 草が生えっぱなしの敷地の裏側に回った時に、そこで観た無名の芸術家の名もない彫刻でした。
そもそも草が生い茂る中を教会の裏の戸口まで踏み込んで行く者などあまりいないだろうし、あの彫刻を観たのは、日本人では僕が初めてなのだろうか?
あの彫刻を観なかったら、僕は例えば、ヘルマン・ヘッセ の「ナルチスとゴルトムント」を読んでもわからなかっただろうな。

あとそれから、そうそう、マルカム・ラウリーの「火山の下」を読んだ時にも、シャルトルの大聖堂の描写が少しだけ出てきたっけ。

目標、なんとか1ヶ月に1冊、したがって14ヶ月後の2025年10月に読了!
そんな速読は僕には無理でしょう、どうみても(笑)。

Ken WADA, Saint-Nicolas Church 2, (The Old Church 20), September 2010, Maintenon, Eure-et-Loir, Watercolor and gouache on paper, 41.0×31.8cm

2024年9月10日
和田 健

追伸:「ナボコフの文学講義」の付録に、「荒涼館」についてのナボコフの試験問題の見本 (全部で21問) が載っているのですが、第1問を読んでおかしくて久々に心から笑いました。
その問題とは、
「1 なぜディケンズはエスターに三人の求婚者(ガッピー、ジャーンディス、それにウッドコート)を与える必要があったのか?」
これを大学生が講義のあとの試験問題として答えるのでしょうか?
ちなみに、あなたでしたらなんと答えますか?
こんなのはもう人生の黄昏に至った老人が、縁側でそれこそ夕暮れ時にでも、自分の豊かな人生経験を振り返りつつ考えてみても非常に難しい問題です。
それをまだ若い学生が・・・、でも出題するということは、それに対する採点基準のようなものが、ナボコフには明確にあったのだろうな、すごいな。
こんな講義や試験を続けていたら、それは当然、天才も生まれてきます。

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