母からの贈り物その2 ー小学校時代の植物のデッサンー

Ken WADA, My Plant Drawing from Elementary School Days, India ink and pencil on paper
和田 健、小学校時代の僕の植物のデッサン、紙に墨、鉛筆、21.3×15.0 in. (54.0×38.0 cm)
(その1から続く)
いいなあ〜、この子のデッサン。
この子は、これはなにを使って墨で描いているのだろうか、なにか割り箸か、母から使い古した菜箸でももらったのだろうか。
なかなかここまで小学生が、まるで歯ぎしりでもするみたいに、神経質にぎしぎし、ガシガシと、硬質に線を「散らせ」ないでしょう、線を「飛ばせ」ないでしょう。
とげとげしくて、痛々しくてまるでなにか有刺鉄線みたいだ。
普通、どうなんでしょう、子どもだったら、もう少し楕円形の葉っぱだとか、よくあるわかりやすい形をイメージして描くのではないだろうか。
または絵のうまい子でしたら、いかにも美術部ですというような、均整のとれたサラサラっとした感じのデッサンであったり。
おそらくこの子は、そのようなイメージが、いかにも嘘くさくて嫌だったんだろうな。
このデッサンの中に、この子の素直さと同時に、ある種の反骨心のようなものを感じます。
たどたどしいけれども、対象をよく観て無心で描こうとしているなあ。
結果として、ある意味子どもらしくないデッサンになっていますね。
思わずニューヨークでたくさん観た Ellsworth Kelly の植物のドローイングを咄嗟に思い出しました。
まわりの大人が、せめてたった一人でもよいから、日頃の図画工作の成績などには関係なく、この子の中に眠っている資質を見抜いて、「君は将来絵の勉強をして、本格的に絵を描いてみたらどう?」と言ってあげてもよかったかもしれませんね。
と言いますのは、いい加減なことを言っているのではなく、僕でしたらこの子に「おじさんが絵の基礎基本だけきちんと教えてあげるから、少しだけでも始めてみたら」と言ってあげたいと思うからです。
でもこの子はきっと「おじさん、僕は今とっても忙しいんだよ。これからやまぶき公園 (実在した公園です) にみんなで集まって野球の試合をするんだからね。絵を教えたいんだったら他の子にきいてね、上手い子がたくさんいるから」と言ってバットとグローブを持って一目散に駆け出して行ったことでしょう。
走り去って行くその後ろ姿がまるで目に浮かぶようです。
(その3へ続く)
2024年5月25日
和田 健
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