天才ゴーゴリ (1809-1852) の驚異的な自然描写力について、天才ゴッホ (1853-1890) に訊いてみる!

皆様、こんにちは。
今日、これからご紹介する文章は、名づけて「画家の眼の聖書」とでも呼ぶべきものです。

ゴーゴリについての理解を少しでも深めたいと思い、「ニコライ・ゴーゴリ」(ウラジーミル・ナボコフ著、青山太郎訳、平凡社ライブラリー) を読んでいましたが、2023年10月3日に読了しました。
この本の中で展開されるゴーゴリ論は、ロシアで生まれたナボコフが、ゴーゴリの原文を母国語として読み、それを英訳したものを、今度は青山氏が、さらに日本語に訳したものなのですが、その第Ⅲ章「われらがミスター・チチコフ」で、ナボコフが、「死せる魂」の中のプリューシキンの庭園の描写を引用しています(p.135, 136, 137) が、この荒れ果てた庭園の描写には、ちょっと度肝を抜かれました。

僕は、1年365日、森の中で生活していますので、自然がどれだけ実は不格好で、醜く、乱雑で、時として暴力的になるかと思えば、無慈悲でとても残酷でもあり、それでいながら、すべてを受け入れる包容力に、いかに満ち満ちているかを、四季を通じて実感しています。
自然は、決して、均斉のとれた整然としたものなどではありません。
均斉のとれた整然としたもの、それは例えば人為的につくられた公園です。
つまりは、自然は、決して、きれいごとではすまされない、自然は、実はなんでもありなんです。
なんでもありなのだけれども、同時に品がある、これはすごいことですよね。
なにゆえ、そのような両立が可能であるのかと言うと、ここが肝心なところなのですが、自然は、みだらではないからです、自然には、猥褻さがないからです。

僕は、このゴーゴリの文章の中に、我が家のまわりの景色を、何箇所も (そうです、実に何箇所もです!) 見つけ出しました。
そうだ、そうだ、それだ!という感じです。
そう、こなくっちゃな!
すごいなあ〜、いったい、なんなんでしょうね、この天才の眼は!
この自然描写力を自分一人だけの宝物にして、そっとしまい込んでいないで、この文章にぜひ一人でも多くの人に出会って欲しいです。
そうです、これは出会うという、もはや事件と呼んでもさしつかえないレベルなのではないでしょうか?

そこで、ここで少し、このゴーゴリの文章を、僕の仕事柄、僕なりに絵画的にみていきたいと思います。
最初は、まずはなんと言っても、このモチーフの選び方ですね、ここにゴーゴリ特有の特異な眼が、大きな特徴として、すでに十二分にあらわれています。
なんと言っても、ただの「樹木の生い茂るがままに荒れ果てている」庭園ですからね、モチーフが。
このあたりがまず、すごくゴッホ的ですね (ゴッホは、誰もが知っているような有名な作品だけではなく、ぜひとも全作品をご覧になってください、森の下生えや下草、ただの木の根っこなどもたくさん描いています) 。
この荒れ果てた庭園にも、かつては人の手が入っていたのでしょうね、でも、おそらくはそのまま放置されて、すでにもう何年も経っているのでしょう、そのことが文章の最後の方の「人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた末に」につながってきます。
まあ、この庭園=放置されっぱなしの雑木林のような感じなのでしょう。
これがゴーゴリの手にかかると、作品の立派なモチーフ「絵のような荒廃ぶり」になってしまう、まずはこの視点です、眼のつけどころ、これを題材に選んでくるのかというところです。
スノッブな画家たちは、もうこの時点で退散ですね、そんなの描いても売れないよ、ときますから。

さて、次は、出てくる色ですね、色をこれだけ観れているということ、これはちょっと尋常ではありません。
テキストの最初から順にいきますと、「緑の雲」、「白い幹」、「緑の密林」、「雪のように白い木肌」、「黝 (くろ) ずんでいるさま」、「黒っぽい鳥」、再び登場「緑の密林」、「灰色の小籔」、「緑の掌葉」で、色名が具体的に出てきているものだけで9箇所。
さらに、具体的な色名こそないものの、明らかに色を連想させる表現としては、これも最初から順に、主だったものだけでも、4度登場する「白樺」、「大理石の光り輝く円柱」、「斜めに鋭く尖った折れ口」、「帽子」、「ホップの蔓」、「細くしなやかな鉤を輪に結んで、風のまにまにゆらゆら揺れている」、「日もささない深み」、「暗い落とし穴」、「ぽっかり口をあけている」、「陰影に閉されていて」、「暗がりの奥」、「僅かに仄見えるもの」、「老い朽ちて洞ろになった柳の幹」、「透明に火と燃え立たせ」、「濃い闇」、「燦然と輝かせていた」、「鴉」、「枯葉」などといったところでしょうか。

さて、今度はこの色を実際に、今ここで、パレットの上に出してみましょう。
結局、パレットに並ぶ色は、緑色、白色、黒色、灰色。
「透明に火と燃え立たせ」や「燦然と輝かせていた」で暖色を1つか2つ、まあ、ここでは代表的な赤色と橙色にしておきましょう。
「枯葉」で大まかに言って茶色か黄色。
これって、実に美しいパレットです、絵画成立に向けた素晴らしいラインアップなのですが、ゴーゴリさん、3原色の青色系がない!
ご存知のように青色だけは作れませんので、これにはちょっと困ります。
灰色は黒色と白色で、橙色は赤色と黄色で、それぞれ作れますから、別になくても構いません。
まあ、一口に青色と言っても、様々な種類がありますが、青色があれば、赤色があるのですから、紫色も作れますし、3原色を全部混ぜて黒色も作れますので、白色さえたっぷりと確保しておけば、ここは、絵画的には、パレットの上に、青色系がどうしても欲しいところです。
画家であれば、おそらくは、なかば本能的に、もうすでにすっとパレットの上に、青色をチューブから出してきているところです。
それではここで、青色欲しさに、じゃあ空の青色でいこうとか、一般的に (単純に) もってくると、もうそれはゴーゴリの世界から遠く離れてしまい、ゴーゴリさんに激怒されそうです。
うん?わざと?故意に?
う〜ん、でも、ゴーゴリさんが、わざと青色を使わなかったのだとしましたら、この場合は、その理由が特にないように思いますので、ここはやはり、ゴーゴリさんのパレットの上には、今回は、青色系がなかったのではないでしょうか?
さあ、それでは、問題です。
あなたは、どこを塗りますか、青色で?
考えていただけましたか?

それでは、いよいよ (待ってました)、ゴッホさんに訊いてみましょう!
ここでは、彼の数ある「Sous-bois」 (森の下生え、下草くらいの意味です) 作品の中から、例として、亡くなる前月の1890年6月に、オーヴェル=シュル=オワーズで描いた作品を選びます。
画布に油彩、大きさは、50×100.5 cm です。

うぉ〜っ、そこで、きたかー、きれいだな、天才だな、本当にきれいだ、青色、青色、青色のまさにオンパレードじゃないですか!

それにしましても、ゴーゴリのこの豊かななどというものではないですね、異常に発達した色彩感覚は、いったいどこからきているのでしょうか?
ウクライナの高等中学校時代に絵画に熱中したことからきているのでしょうか?
それとも、サンクトペテルブルクで、週に3回美術アカデミーに、実際に通ったことからきているのでしょうか?
でも、僕は、そうしたことももちろん影響しているとは思いますが、19才くらいまででしょうか、多感な時期を過ごしたウクライナの村の風景や気候、風土、なにかそうしたものの方が、直感的には、ゴーゴリに強い影響を及ぼしているような気がしますが、とくに根拠がありません。
つまりは、わかりません、僕には。
しかし、このウクライナのヴェルィーキ・ソローチンツィという村、ウィキペディアで早速、調べてみましたが、なにかいかにも天才が生まれそうですね、これで幼少期病弱であったりすることが重なると、天才が出てくる典型的なパターンですね。
天才は、自然豊かなところで育たないと、なかなか生まれてきません。
都市部からある一定の比率で (と言いますのは、結局は、それが正規分布であるからですが) 生まれてくるもの、それは秀才です。

3つ目は、(他の箇所にもあるのですが) ホップの蔓が大変象徴的ですが、画面ではありませんね、紙面がもう揺らいで、波打ってきていますよね、蔓が螺旋状に渦を巻いて上へ下へと大騒ぎをしている、蔓は運動やエネルギー、所有や依存と言ったようなものの流れの象徴ですから。
このあたりも、ゴッホの渦巻く絵画の特徴とすごく似ている。

ここで、僕は思うのですが、なにゆえにゴーゴリは、リアリズムの租なのでしょうか?
僕は、すごく疑問に思うのです、この庭園の描写は、もっとなんて言えばよいのか、そう、すごくモダンですよね。
まるでゴッホの絵画のように、桁外れにモダンですよね。
彼が、これだけ色を観れるということ自体が、なによりもそのことを証明しているように思います。
「外套」を読んでいても思うのですが、例えば、モダニズムの先駆者とでも呼ばれているのでしたら、まだしもわかるのですが。
この件につきましては、自分なりの見解や推測があるのですが、今、ちょっとそれはやめておきます。

この庭園の描写の結論は、「一言にしていえば、何もかもが素晴しかった」の一文に、結局は、行き着ついてしまうとは思いますが、個人的には、濃い闇の中で、透明に火と燃え立ち、燦然と輝く楓の一枚の葉裏にこそ、究極の到達点があるように感じます。
いずれに致しましても、これだけの美しい文章が、ただそれだけで終わってしまうのであれば、非常にもったいないことですので、こうして、3点ほど考察してみました。

さて、おしまいに、実際の文章のご紹介です。
前半が、ナボコフの英訳を青山氏が日本語に訳したもの、後半が、まったく同じ部分の岩波文庫版で、平井肇氏の訳です。
ただし、現在の岩波文庫版の昭和52 (1977) 年に、横田瑞穂氏の改訳がなされる以前の、青空文庫に入力されている平井訳です。
この平井肇という方の訳がどれだけ正確ですごいか、「死せる魂」の初版発行は、昭和13 (1938) 年になっていますので、ロシア語から直接日本語に訳されているわけですから、当時の時代背景などを考慮に入れますと、どれほど驚異的なことか、合わせてご堪能ください。

2023年10月8日
和田 健

ナボコフ英訳→青山訳

 邸の裏手に始り、部落のうしろへずっとひろがって、末は野に消えている古い広大な園は、樹木の生い茂るがままに荒れ果てているが、どうやらこのだだっ広い村に生気を添えている唯一つのものらしく、その絵のような荒廃ぶりでひとり精一杯の美を放っている。勝手放題に伸び拡がり塊をなした樹木の梢は、緑の雲となって、また木の葉そよぐ不規則な円屋根の連りとなって、地平線に横たわっている。暴風か落雷にもぎ取られたらしく頭のない白樺の巨きな白い幹が一本この緑の密林から身をもたげ、ちょうど均斉とれた大理石の光り輝く円柱のように、すべすべした丸味を空中に曝している。天辺で柱頭の代りをしている斜めに鋭く尖った折れ口が、雪のように白い木肌と対照的に黝(くろ)ずんでいるさまは、まるで帽子か黒っぽい鳥のようである。ホップの蔓が下ではにわとこやななかまどや榛の繁みを窒息させたのち、棚という棚の天辺を這い回った挙句、最後に上へよじのぼって、折れた白樺の半ばあたりまで巻きついている。幹の中程まで達するやそこから下へ垂れ下り、今度は他の樹々の梢に絡みついたり、あるいは宙にぶら下り、その細くしなやかな鉤を輪に結んで、風のまにまにゆらゆら揺れている。日の光を浴びたこの緑の密林がところどころ両方へ分れて、その間から日もささない深みが、まるで暗い落し穴のようにぽっかり口をあけている。そこはすっかり陰影に閉されていて、暗がりの奥に僅かに仄見えるものといえば、細い小径、壊れた手摺、倒れかかった四阿、老い朽ちて洞ろになった柳の幹、その背後からあんまりひどく茂ったため枯れ萎びて縺れ合い絡み合っている葉と枝を密な剛毛のように突出している灰色の小籔、はては横合いから緑の掌葉を差し出した楓の小枝などだが、そんな楓の一枚の葉裏にどういう具合にか分からないが日光が入りこみ、この葉を思いがけなくも透明に火と燃え立たせ、この濃い闇の中に燦然と輝かせていた。いっぽう園のいちばん端れには、他の樹木とは不釣合いに背の高い白樺が数本、そのさやさやと揺らめく各々の梢に巨きな鴉の巣をのせている。それら白樺の中には、枝が引き裂けたまま幹からすっかり離れもせず、枯葉をつけたままだらりとぶら下っているのもあった。一言にしていえば、何もかもが素晴しかった。それは自然の風致も人工の妙趣もついに及ばず、ただ両者が結びついた時にのみ見られる佳さで、人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた末に、自然が最後の仕上げの鑿を揮って、重苦しい魂を崩し、赤裸々な構図の見えすいている野暮な正しさや惨めな欠陥を除けて、きちんと寸法を測ったように清楚なだけが身上の血の気のない人工に、いみじき暖かさを添える時、初めて生まれる美しさである。(第六章)

平井訳 

 邸の裏から始まり、部落(むら)の後ろへずっとひろがって、末は野原につづいている古い広大な園は樹木の生い茂るがままに荒れ果ててはいるが、どうやら、そのだだっぴろい村に生気を添えている唯一のものらしく、荒れ果てた絵のような姿で、ひとり精一杯の美を放っている。伸び放題に繁茂(はんも)した樹々の梢は、さながら緑の雲か、木の葉のさやさやと顫える不規則な円頂閣の形に群らがって、空高く浮かんでいる。緑の密林の中から、暴風(あらし)か落雷のためにぽっきり折れたらしく頭のない巨きな白樺の白い幹が一本、キラキラと光る形のいい大理石の円柱のように空中に聳えている。柱頭(カピテル)の代理をつとめる尖った斜めの折れ口は、雪白の木肌に対して帽子か、それとも黒い鳥のように、どす黒く見えている。蛇麻草(ホップ)の蔓が下では接骨木(にわとこ)やななかまどや榛(はしばみ)の繁みをすっかり枯らしてしまい、それから柵という柵の天辺を匍(は)いまわった挙句、上へよじのぼって、折れた白樺を半ばまでぐるぐる巻きにしている。幹の中ほどまで登ると、そこから下へ垂れさがって、今度はほかの木々の梢にからみつきはじめたり、または空中にぶらさがって、己れの細くて粘っこい巻蔓(ひげ)を輪にして、風のまにまにゆらゆらと揺れている。この日光を受けた緑の森がところどころで両方へ分れて、その間から日もささない空洞(うつろ)が、まるで暗い落し穴のように、ぽっかり口をあけている。そこはすっかり暗い陰影(かげ)にとざされていて、暗がりの奥に僅かに仄(ほの)見えるのは、真直ぐに走っている細い小径や、壊れた欄干や、倒れかかった四阿(あずまや)や、老い朽ちて洞ろになった柳の幹や、柳の後ろから濃い剛毛(あらげ)のように顔を突き出している白毛頭の雀苧(すずめのおごけ)や、あまりひどく茂っているため枯れ萎びて縺れあい絡みあっている木の葉や枝、さては横合いから緑の掌葉を差し出した楓(かえで)の小枝などであるが、楓の一枚の葉裏に、一体どうしてなのかは、まるで分らないが、不意に日光が映(さ)して、パッとそれを火のように透明なものに変えて、濃い闇の中で燦然と輝かせた。一方、園のいちばん端(はず)れには、他の樹木とは不釣合いに背の高い白楊(はこやなぎ)が四五本、そのさやさやと揺らめくおのおのの梢に大きな鴉の巣をのせている。その白楊の中には、枝が引き裂けたまま、幹からすっかり離れもせずに、病葉(わくらば)と一緒にだらりと下へ垂れさがっているものもあった。一言にしていえば、何もかもが素晴らしかった。それは自然の風致も人工の妙趣もついに及ばず、ただその両者が結びついた時にのみ見られる佳(よ)さで、人間がああでもないこうでもないと、ややもすれば無意味な苦心を重ねた後に、自然が最後の仕上げの鑿を揮(ふる)って、重苦しい塊まりを崩し、赤裸々な構図の見えすいている野暮な正しさや惨めな欠陥を除けて、きちんと寸法を測ったように清楚なだけが身上の血の気のない人工に、いみじき暖かさを添える時、初めて生まれる美しさである。

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