「ナボコフのドン・キホーテ講義」について

皆様、こんにちは。

「今でも思い出すと楽しくなるのだがね、メモリアル・ホールで六百人の学生を前にして『ドン・キホーテ』を、つまりあの残酷で粗野な昔の作品をずたずたに切り裂いたことがあるのだ」というナボコフ自身の言葉にひかれ、「ドン・キホーテ」関連の書籍である「ナボコフのドン・キホーテ講義」(ウラジーミル・ナボコフ著、行方昭夫、河島弘美訳、晶文社) を、現在読んでいます。
これは、ナボコフがアメリカのハーバード大学で、1951年から1952年の春学期に、600人の学生を前にして行った計6回の講義録なのですが、講義録の方は読み終わり、今は、後半のナボコフが、講義の準備のために作成した第二部の「ドン・キホーテ」の各章(と言いましても前篇52章、後篇74章、計126章もあります)の要約を、復習もかねて、のんびりと楽しみながら、一章一章読んでいます。

率直に言いまして、ナボコフの言う「ずたずたに切り裂いた」という感じとは、少し異なる印象をもちましたが、読みながら、主に以下の3つのことについて、いろいろと考えさせられました。

①やっぱり、まずは、この授業準備ですね、下調べ。
これへの熱意、情熱、パッション、まあ、言い方はなんでもいいのですが、これにはすごいものがある。
端的に言いまして、ここまで準備をするのかという感じです。
これは、講義の準備をするというこの仕事自体を、ナボコフ本人が好きなのでしょうね、やはり、まずはなんと言っても。
この熱意の持続は、文学に対するナボコフの深い愛情からきているものなのでしょうか、僕は、直感的にそのように思いましたが。

②物語を分析する際の全体構造の組み方とでも言いますか、分析の手法、分析の骨格・骨組みの作り方について、非常に勉強になりました。
なるほど、こういう風にして、分析という家を建てていくんだな、みたいな感じで。
これは、やはり、ものの見事なまでの分析の手腕であり、独創性なのではないでしょうか。

③時間的な制約のもとに行われる大学の講義、授業の限界ですね、これについて深く考えさせられました。
例えば、受講した600人の学生のうち、何人かでも構いませんので、連続講義を受けての感想文のようなものが読めると、僕の思考を進める上で、かなりありがたいのですが。
例えば、今からでも遅くない、当時の学生たちは、現在、90才くらいでしょうか、600人を追跡調査すれば、せめて2、3人くらいから、この講義の思い出や印象などを、収集できないものでしょうか?
それは、面倒くさいと言われるのなら、作ってしまえばいいんじゃないでしょうか、小説として。
5人くらい登場させて、語り手を替えて、最初は、現在ロードアイランド州在住のAさん(仮名)91才女性、「そうねえ、ナボコフ教授の思い出ねえ〜、あの頃はまだわたしも娘だったけれども、先生は、ホールに入って来られると、こう、パッと上着を脱がれてねえ〜、それがとてもかっこよくて、今でも印象に残っているのよ・・・」というような感じで。

技術的なことを伝えるような講義とは違って、ものを考えさせるようなこういう授業においては、この600人を相手にしているという点が、なにかネックになっているように思います、少人数のゼミとかなら、また違うのでしょうけれども。
やっぱり、学生を惹きつけて、飽きさせないようにするためにも、リズミカルにテンポよく、ダイナミックに講義を進めないといけない。
なおかつ、授業準備を入念にした分、伝えたいことがたくさんあり、急いでいる感がある。
つまりは、学生は、思考を一点に集中して、なかなか立ち止まれない。

第五回の講義のところで、ナボコフの脳がようやく制約を少し離れて?遊びだし、最後の場面で、偽作者が著した偽作続篇のドン・キホーテと、主人公のドン・キホーテを戦わせることができたという指摘には、思わずはっとしました、面白かった。
その対決は、僕にはちょっと思いつきませんでしたが、ここで、僕の疑問が出てきます。
この指摘は、成立しないのではないかということです。
ナボコフは、演劇で使われる「山場」(p.170) という言葉を持ち出しながら、つまりは、「ドン・キホーテ」の物語の最後の弱さを指摘してきている訳ですが、この最後の場面で、偽りのドン・キホーテと、本物のドン・キホーテが対決するのであれば、それは、セルバンテスとしては、「山場」であるこの最大の大一番で、絶対になんとしても本物が、憎き偽物に負ける訳にはいかない。
ここは、100%勝って、しかもこてんぱんに打ちのめして完全勝利しないといけませんよね、そうすると、この物語は、終われません。
実際には、ドン・キホーテは、「銀月の騎士」を名乗る学士カラスコに完敗し、サンチョとともに、とぼとぼと故郷に帰り、そこで善人に戻り死ぬ訳です、つまりは、手早く物語を終える訳です。
ですから、物語の最後が弱くなるのです。
そこで、本物がまた勝っちゃったら、これは、終われない。
まあ、最大の大一番に勝って、サンチョとともに、故郷に錦を飾るという手もあるでしょうが。

ところが、ここで、ナボコフが、実に面白い見解を述べる。
彼は、偽物が勝つと言うのです、本物に。
「私はアベリャネーダの騎士の方に賭ける。なぜなら、凡人の方が天才より幸運に恵まれるのが人生の面白さだからである。人生において、真の勇者を追い落とすのはぺてん師である。」(p.171)
まあ、これは、「ひとつわれわれの空想も自由にはばたかせてみることにしよう」(p.170) とありますように、ナボコフは、空想にふけっているのでしょうね。
確かに、そういう空想であれば、主人公のドン・キホーテが偽物に負けて、この物語は終われます。
しかし、上記しましたように、セルバンテスの気持ちを考えると、主人公のドン・キホーテが、偽りのドン・キホーテに勝つ以外の設定は、これはどう控え目にみても考えられませんので、ナボコフのこの指摘は成立しないように思います。
もちろん、そんなことと言うのは、セルバンテスが、主人公のドン・キホーテが、偽りのドン・キホーテを圧倒的にやっつけて勝つように書くだろうなということは、ナボコフにはわかりきっていた訳で、最後の軍配のところにだけ、ちょっとウィットに富んだ味つけをしてきた訳です。
でも、それであれば、学生がこの見解を聞いて、教授の才知に気づき、それが何人なのか何十人なのか何百人なのか、それは僕にはわかりませんけれども、少しニヤリとした、まさにその瞬間に間髪を容れずに、ナボコフは、ドン・キホーテが勝った場合のエンディングの有り様を、具体的に学生相手に提示するべき、披露するべきではなかったのかなと思います。

それで、ここからは、今度は僕が空想にふけりますが、セルバンテスは、この対決の可能性について、実際に検討したであろうか?
おそらく、考えたでしょうね、直接やっつけるまたとない機会だから、でもこの「山場」をやりたくなかったのではないでしょうか?
あまりにもそれは、露骨過ぎると言うか、えげつないと言うか、なにかの遠慮と言いますか、レパントの海戦に従軍して、火縄銃弾を三発(胸に二発、左腕に一発)受けたけれども、そこまでは、気が強くないとでも言いますか、他人の痛みがわかるとでも言いますか。
当時、スペインで、こうした偽作が横行していたという時代的な背景もあるのかもしれません。
偽作者に対して「しょうがない奴だなあ、叩きのめしてやる、でも本当に叩きのめしちゃいけないよ、奴だって生きているんだから」という感じかなあ。
その思いが、ラストの後篇第七十四章の「一つ。わたしがお二人の遺言執行人にぜひともお願いしたいのは、万が一にも、『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの武勲 続篇』という題で世に出まわっている物語の作者といわれる人物に会うような機会があったら、わたしになりかわって、できるだけ丁重に詫びていただきたいということです。(中略) どうか赦してもらいたいと、言ってほしいのです。(後略)」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.410, 411) というセルバンテスの文章につながっていくのではないでしょうか。

第六回のテニスの試合に例えた勝利と敗北のやりとりについては、リズムに乗って半分楽しんでと言いますか、面白がってやっている感じがしますが、これによって物語の的確な理解が、確かに進んでいくように思いました。

2023年9月16日
和田 健

いや〜、この第二部は、味わい深いですね。
ナボコフが、講義の準備のために作成した「ドン・キホーテ」各章の要約です。
それまでの第一部の講義録にみられる張り詰めたような肩の力が抜け、まあ、それは、そうでしょうね、1人で600人も相手にしているのですから、なにか、この第二部の方にこそ、ナボコフの人間性が、しみじみと現われているように思います。
具体的な例を2つほどあげますと、
「「いやフレストンと申したのであろう」という落ち着きはらった、趣のある調子は貴重である。大事に手にとって心して味わうべき果実と言えよう。」(p.248)
このあたり、また、このような記述もあります。
「この場面の記述は第一級の文章である。われわれは翻訳を通して読むだけなので、ここをスペイン語で味わい、純粋なカスティーリャ風の文体に親しむことができないのは残念だ。」(p.270)
まだまだ他にもあるのですが、ナボコフが、本を読むという行為をどれだけ愛しているのか、彼の文学に対する深い愛情が、とてもストレートに伝わってきます。

2023年9月19日
和田 健

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