セルバンテスの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読み終えてーはたしてセルバンテスは、そもそもドン・キホーテの死をあらかじめ構想していたのか、あるいはまた、ドン・キホーテを死なせたものは、一体何だったのか?さらには、セルバンテスの空間を把握する傑出した能力についてー

皆様、こんにちは。
2023年4月28日に読み始めたセルバンテスの「ドン・キホーテ」(岩波文庫全六巻)を、2023年8月23日に読了しました。
その間、7月に「今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!」(https://kenwada2.com/2023/07/01/今、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んで/)
また8月には「トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んで」(https://kenwada2.com/2023/08/05/トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに/)
という2本の記事を書きながら、自分なりの考察をこれまで進めてきました。
ちょうど9月5日に、訳者の円子氏が言われるように「これはフランス語で書かれたもっとも精細浩瀚な」伝記である「セルバンテス」(ジャン・カナヴァジオ著、円子千代訳、法政大学出版局)を読み終えたこともあり、新たに判明した事実も加わりましたので、ここで、これまでに考察してきた事柄の核心部分について、「ドン・キホーテ」の読書感想文のようなものの三部作ではないですが、一度きちんと整理したいと思います。

なお混同を避けるために、今回もまたセルバンテス本人が書いたものは、前篇後篇と表記し、偽作者が書いた後篇は続篇とし、偽作続篇と表記いたします。

1. 偽作続篇が出版されたのは、1614年である。

2. 偽作続篇が出版された時、セルバンテスは、おそらく後篇の第五十九章を書いていた。
したがって、後篇の第五十八章までは、セルバンテスは、偽作続篇のことなど知らずに書き進めていたことになり、ドン・キホーテが当初のサラゴサ行きをバルセローナに変更した件も含めて、後篇が偽作続篇との差別化の方向に進んだのは、この第五十九章から俄然顕著になってくる。

3. 実際に、後篇の第五十九章で偽作続篇への憤懣を初めてぶちまけて以来、第六十二章、七十章、七十一章、七十二章、そしてラストの第七十四章と立て続けに、偽作続篇へのやり切れない思いがめんめんと続き、もうなにか爆発している感じがする。

4. セルバンテスが、後篇の執筆を終えたのは、すなわち、この壮大な物語を完成させたのは、1615年1月である。
「一六一五年一月、セルバンテスは創作を完成する。」(上記「セルバンテス」p.409)

5. セルバンテスが、あの見事なまでの後篇巻頭の名文「読者への序文」を書いたのは、脱稿後、なんと9ヶ月も経った1615年10月末である。
「一〇月末に、ミゲルは例のあつかましい学士に対する自分の心情の一片を含む序文を書いた。」(「セルバンテス」p.409)

逆に言えば、この9ヶ月の冷却期間がなければ、あれほどまでに自制された威厳に満ちた名文「読者への序文」は書けなかったのではないかと思う。
すなわち、ラストの第七十四章にみられる偽作者への憤怒をはらんだまま、その続きの第七十五章的に書いたのでは、あそこまで抑制された序文は書けなかったのではないだろうか。

ただし僕は、この序文の存在が、以降400年間の読者に、以下の2つの点で、結果的に大きな誤解を与えることになったと思う。
①あたかも後篇冒頭から、セルバンテスが、偽作者への怒りを根底にもって、執筆を開始したかのような誤解。
②あたかも後篇冒頭から、セルバンテスが、ドン・キホーテの死と埋葬までをあらかじめ構想した上で、執筆を開始したかのような誤解。

セルバンテスが、この序文を書き上げてきたのは、意図的に巻頭部分に配置するためにあると僕は思う。
意図的にと言う言葉に含意を感じるようで、ふさわしくないのであれば、強い願望。
これから始まる後篇は、ぜひこの序文というフィルターを通して読んでくれよ、というセルバンテスの願望が感じられる。

しかし、ここまで序文を練り上げたことで、結果として、作品としての巻頭が重くなり、このことによって、逆に光が当たり、明るみに出てしまうこと(巻末)があるということに、天才セルバンテスは、なぜ配慮しなかったのだろう?
僕も毎日、絵を描いているので、制作者の視点や立場からするとすぐにわかるが、ラストのドン・キホーテの死は、待って書いてはいない、さんざん待たされたあげくに書いてはいない。
もしこれが、後篇執筆開始時から、ドン・キホーテの死をあらかじめ構想した上で、書き進めたのであれば、このラストへ向かって日々ひたすら突き進んできた訳であるから、もっと密度の濃い、いろいろな意味で熱気を内蔵した重いものになると思う。
感情でものを言ってはいけないから、具体的に書くと、序文を磨き上げるための猶予期間の9ヶ月に対して、「彼がこの小説の最後の一五章を書き上げるのにほぼ六ヵ月が必要であった」(「セルバンテス」p.409) とあるから、これは、あくまでおおよその目安として3週間で2章くらい仕上げるペースになる。
もちろん、筆がのり、立て続けに書くこともあるだろうし、推敲の時間も必要であろうから、ここでは、あくまで大体の目安として。
そうすれば、これは待たされたあげくに書いてはいない。

6. したがって、僕の推測では、セルバンテスは、後篇第五十八章までは、ドン・キホーテの死を構想していなかった可能性は、決して少なくはないように思う。
僕が、その根拠としてあげることは、以下の7に示すように、後篇第五十九章からの物語の変調にあり、それまでは、ゆったりとした広大な大河の流れが、急に狭い支流に入り込んだかのような感じがする。
このそれまでのゆったりとしたスケール感は、セルバンテスが、ドン・キホーテの死を意識していなかったからこそできたことであり、自由に泳げたことなのではないだろうか。

7. この後篇第五十九章からラストの第七十四章までの流れは、なにかどうしても、個人的にとってつけたような感がぬぐえない。
「ドン・キホーテ」の物語を終わらせるために、一度負ける必要がある→《銀月の騎士》に決定的に敗北する→約束通り郷里の村に帰る→狂気から正気に戻り、狂人ドン・キホーテは、善人アロンソ・キハーノとなる→遺言状を作成して死ぬ。
前篇冒頭から、ここまでの言わば突拍子もない場当たり的な冒険の連続(失礼!)とは違い、極めて理路整然としていて、あまりにも筋が通り過ぎている。
実際に、それまでの言わば支離滅裂な出たとこ勝負のような物語の展開(また失礼!)とは違い、一つの集約点である死に向かい、物語のピッチやリズム、速度のようなものが、確実に上がっているように思う。
なにか手早く店仕舞いしようとしている感じが、どうしてもする。
したがって、偽作続篇の登場に動揺したセルバンテスが、後篇の第五十九章以降に、初めてドン・キホーテの死を構想した可能性は、やはり少なからずあると思う。

それでは、逆にもし、偽作続篇の存在がなければ、ドン・キホーテが死ななければならない必然性は、必ずしもなかった訳であるから、セルバンテスが、ドン・キホーテのこの雄大な物語の最後を、後篇執筆当初からどのように締めくくろうと、終えようと考えていたのかが肝心なことになると思う。
つまりは、セルバンテスは、死以外のどのようなエンディングを構想していたのであろうか?
大変残念ながら、その手がかりになるようなものは、これまでに読んだ文献からは得られなかった。

8. 後篇は、1615年11月末、ないしは、1615年12月に出版された。
「数週間後、一一月末、マドリードの市民たちは待望の本を手にした。」(「セルバンテス」p.409)
「一六一五年一二月、「ドン・キホーテ、後篇」が出版された。」(「セルバンテス」p.427)
セルバンテスが、この物語の結末にドン・キホーテの死を書いたことを、翌1616年4月22日に亡くなるまでのわずかに残された約5ヶ月間に、一作家として、どのように感じて振り返っていたのか、すなわち述懐していたのかは、これまでに読んだ文献からは判明しなかったが、おそらく総体的には肯定していた、すなわち、あの結末は、やはりあれでよかったのだ、あのようにせざるを得なかったのだと感じていた、あるいは自らを納得させていたのではないだろうか。

9. 「ドン・キホーテはただただわたしのために生まれ、わたしはドン・キホーテのために生まれたのだ。彼が行動し、わたしがそれを記述することによりわたしたち二人だけが一心同体になれるのであって、(以下略)」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.414)

偉大なる狂人、ドン・キホーテは、なにゆえ死ななければいけなかったのでしょうか?
機知に富んだ遍歴の郷士(前篇)、騎士(後篇)である、ドン・キホーテを死なせたものは、偽作続篇の登場なのでしょうか?
それともこれは、セルバンテス自身の心のなせる技、つまりは、ドン・キホーテを永遠に自分のものだけにして、閉じ込めて(封じ込めて)しまいたいようなある種の所有欲、独占欲のようなものなのでしょうか?
さらに突き詰めれば、セルバンテス自身の近づきつつある死の予感、早すぎる死への恐怖が、そもそもの背景として考えられるのでしょうか?

10. しかし、それにしても、「ドン・キホーテ」というのは、ものの見事に抽象画だなあ。
もちろん言うまでもなく、400年前に抽象画は存在していないので、そういう意味でも斬新だなあと思う。
物語が、非常に幾何学的である。
セルバンテス「なんだい、そのチュウショウガっていうのは?おれは、特別に腕のいい画家のつもりだけれども。」

11. 前篇に「愚かな物好きの話」や「捕虜の話」をはじめとする物語の本筋とはなんの関係もない短編が挿入されたのは、絵画だろうが文学だろうが同じことだと思いますが (と書いていて、自分で今思わず笑ってしまったのですが、セルバンテスも全く同じことを言っています*¹)、制作者側の視点からみると、これはやはり、書きためておいた作品を、適当な場所で披露したいという純粋な(ある意味単純な)欲求なのではないだろうか?
つまりは、作家としての力量を示したいので、これは、そのためのいい機会だぞというような感じで。
小品だろうが大作だろうが、制作者というのは、どうしても観て欲しくなるものです。
そして、後篇にはそうした短編がみられないのは、前篇出版後、あまりにそこの部分を批判されたので、いちいち心情を説明するのも馬鹿らしくなり、無益な労苦だと思い、(これもまたある意味単純に)やめたのではないだろうか。

12. これまでにみてきたことで、セルバンテスが、ドン・キホーテの死をどの時点から構想し始めたのかについてや、セルバンテスが、この物語を書き上げた後に、ドン・キホーテの死をどのように感じていたのかについては、多少なりとも考察が進んだように思いますが、冒頭でご紹介した7月、8月の2本の記事の中で、ともに触れてきたもう一つのテーマである、セルバンテスは、なにゆえに、これほどまでに空間の認識能力や識別能力とでも呼ぶべきものが発達しているのか?が、未解明のまま残されているように思います。

そこで以下は、このテーマについての僕の推測です。
まず、「ドン・キホーテ」の物語の全篇を通して、セルバンテスの空間の認識能力や識別能力(というような日本語があるとしてです)が、すなわち、空間を感知し把握する能力が、異様なまでに発達していることは、読んでいてもう明白な事実であり、その例を即座にいくつかあげることは、そんなに難しいことではありません。
冒頭の7月の記事の中で、すでに5例ほど、ご紹介いたしましたので、ここでは、例えば、後篇第五十五章のサンチョが落ちこんでしまった「まっ暗な深い穴のなか」をあげておきます。
僕は、最初、このテーマの解明について直感的に、セルバンテスが、1571年のレパントの海戦に従軍したことと、なにか関係があるのではないかと、その活路を求めてきました。
そこで、レパントの海戦や、ガレー船についても調べてみました。
それにしても現在の私たちからは、ちょっと想像もできないようなすごい時代があったものですね。
なんと言っても、まずは船が囚人による手漕ぎですからね、漕刑囚による。
このあたり、「ドン・キホーテ」の物語の前篇の第二十二章や、後篇の第六十三章にも登場してきます。
ここで合わせまして、僕の仕事柄、Cy Twombly の作品、Lepanto のシリーズも、この際、ぜひお忘れなく、この世にあり得ないくらい美しいですから。
しかし、セルバンテスが、レパントの海戦に従軍したことで、ものすごい体験をしたけれども、それでもなお、そのことによって、空間に対する能力が具体的に向上した、鍛えられたとはさすがに言えない、それには少し無理がある。
そこで、昨日、この問題をずっと考えていて夕方、ふっとわかったのですけれども、セルバンテスは、レパントの海戦で左手を負傷しますよね、名誉の負傷です。
「その負傷がもとで左手の自由を失い《レパントの片手んぼ》という異名をとることになった」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第一巻、訳注、p.429)。
ここにあるのではないか、つまりは、レパントの海戦にではなく、その後の障害を負った人生にあるのではないか。
障害をもったことで、それを補おうとして、それ以外の機能が異常に発達することは、世の中でたびたびみられる現象です。
例えば、今現在の僕の眼の病気のことも、なにか他のことに関係している気がしていますし、僕の丸7年間のフランス時代で、今思えばデッサンが一番うまかった人は、アカデミーに集まっていた各国の美大を卒業したようなすごい方たちではなく、もちろん、そうした方たちも素晴らしいのですが、夜学のアトリエに通ってきていた市井のパリ市民の中の障害をもったある男性の方でした。
裸体モデルのデッサンをしていたのですが、一発で線を取ってきますからね、隣で観ていてあぜんとしました。
「まるでラファエロのようですね」と話しかけたら、笑っていましたが、「現代のラファエロが、ここにいるぞ!」と、思わず叫びたくなりました。
つまりこれは、セルバンテスが、左手を失ったことで不自由になり、その後の人生において、両手が自由だった頃への空間に対する意識、希求、欲求、ないしは憧憬のようなものが異常に高まり、深まっていった。
その結果として、かくまで空間に対する能力が向上していったとは、考えられないでしょうか。
人間は、なにか損なわれた機能があると、それを他の機能で補おうとしますから、無意識的に。
ただし、事柄の性質上、本人がその能力に気づいていないということは、あり得るかもしれません。

最後に、皆様にセルバンテスの至言をお届けいたします。
「世の中には多くの珍しい才能が埋もれたままになっていてね、その持主が利用の仕方を知らないばっかりに、宝の持ちぐされになっているのさ。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第二巻、p.16)

以上ですが、なにか毎日こうして「ドン・キホーテ」について考えていることは、小中学生の頃に、面白い算数や数学の問題があると、「おっ、少し手応えがあるな」ってずっと考えていた、それにものすごく似ているなと思います。
つまりは、そういう部分は、おそらく僕はなにも変わっていないんだな、僕がまだ小さかった頃と。
つまりは、なにも成長していない訳だ、チャンチャン。

2023年9月7日初稿掲載
2023年9月8日、9日、10日加筆修正
和田 健

*¹「ところでサンチョよ、先ごろ上梓されて世に出まわっておる新しいドン・キホーテの物語を描いた、あるいは書いた、というのも、描く画家も書く作家も同じようなものだからであるが」(「ドン・キホーテ」岩波文庫後篇第三巻、p.374)

Leave a comment