トーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んで

7月に「今、セルバンテスさんの「ドン・キホーテ」(前篇1605年、後篇1615年)を読んでいます!」という記事を書いたのですが、その後、「ドン・キホーテ」の読書は、後篇の第四十二章まできました。
しかし、それにしましても、この後篇の第四十一章は、この暑い毎日の中でも、思い切り笑えますね。
木馬クラビレーニョの話ですが、前篇の始まりから、ここまでの物語の全体を通して、一番笑えました。
これは、いくらなんでも遊んで書いていますよね。
これは、いくらなんでもふざけて書いていますよね。
そこに、抽象的な意味合いを求めるとか、あまりそういうことをしなくてもよいのではないでしょうか?
この部分は、単純に楽しめば、それでよいのではないでしょうか。

さて、本文の読書は、このまま並行して進めていくことにして、以前から気になっていたトーマス・マンの「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」(1934) を読んでみました。
まずは、基本的な情報になりますが、この作品は、トーマス・マン全集の第Ⅸ巻、評論(1)(新潮社)に含まれています。
高橋義孝氏の訳で、上下二段組の活字でp.340からp.379まで組まれ、そんなに長い作品ではありません。
内容は、1934年5月19日に始まり、1934年5月29日に終わるまでの11日間の一種の航海日誌のようになっていて、マン夫人とともに、大西洋を渡りニューヨークへと向かう豪華客船内での様子が綴られ、全部が全部、「ドン・キホーテ」関連の記述や考察という訳ではありません。
基本的な情報は、このくらいにして、僕は、自由に線を引きたいので購入しましたが、大きな公立図書館でしたら、おそらく、借りることができるのではないかと思います。

最初に、トーマス・マンは、「ドン・キホーテ」を「自分でも不思議だが、これまで一度も、その全部をまとめて読み終えたことがなかった。それをこの船旅でやってみよう。そしてこの物語の海を乗りきってみよう。丁度われわれが十日がかりで大西洋を乗りきるように。」(下線筆者、p.344)
マンは、1875年6月6日生まれですので、この乗船の時点で、58才ですね。
「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読むと、とてもよく伝わってきますが、時間というものに対して、非常に厳格なマンですので、ここで大体(ほぼ)59才です、なんていい加減なことを言うと、とてもしかられそうですので、ここはきっちり、誕生日前なので58才。
まあ、前後の文意を汲み取れば、いろいろな部分部分を、これまで繰り返し何度も読んできたけれども、全体を通して読んだことは一度もなかったという意味だとわかりますので、60才にして全くの初読の僕とは、全然意味合いが異なりますが、でも、これには、ちょっと驚きました。

次なのですが、僕が7月に書いた内容と、マンが述べていることとは、大方のところ一致している感触を得られましたので、とても励まされ、勇気づけられもしたのですが、一つ決定的に、僕が考えていたことと異なっていたことがありました。
以下、混同を避けるために、セルバンテス本人が書いたものは、前篇、後篇とし、偽作者が書いた後篇のことは続篇としてあります。
それは、例の後篇冒頭の「読者への序文」、これを僕は「これがすごいですね。なにか批判の文章は、このように書くものだという一つのお手本のようにさえなっています」と、7月に書いたのですが、つまりはですね、僕は、セルバンテスは、「読者への序文」を書いたことで、憎むべき愚劣なる続篇の作者に対して、一応、気持ちの整理をつけ、後篇の執筆を継続し、後篇におけるサンチョの爆発的なおしゃべりは、あくまで前篇執筆後の年月に、最高傑作であるサンチョを創造したという自負や自覚から、後篇では会話をもっと多くしてもよいかなという考えから展開したのだととらえたのですが、マンの解釈はどうも違うようです。
マンは、あくまで「愚劣なる擬作続篇「ドン・キホーテ」」(擬の字、原文ママ、p.347)、「『ドン・キホーテ」のすさまじいばかりの評判を見て誘惑された当てこみの能なし文士の手になった続篇」(p.347)、「かかる原作卑俗化に向けられた侮蔑に満ちみちた、そして嫉妬心をたたえた抗議」(p.347) などとありますように、愚作続篇の偽作者に対する「復讐欲、抑え難い憤怒、猛烈な憎悪」(p.347)、これらのものが土台となって続篇が書かれ、その結果として、サンチョがしゃべりまくるという、すなわち、サンチョが、しゃべればしゃべるほど、当たり前ですが、サンチョの台詞を展開していかなければならず、それは「能なし」作家には、とてもではないができない相談であり、そういった偽作との差別化の方向に進んだと、そして、その結果として、皮肉なことに、この後篇が前篇に比べて、
「第二部の方も、もしその製作に際して自作を模倣作と区別しようという名誉心がはたらいていなかったならば、あれほどにヒューマニズムや学識めいたものや無味乾燥の筆づかいなどによって害われるようなこともなかっただろう。」(害の字、原文ママ、p.348) とありますように、つまらないものになってしまったと、大局的には、どうもそのようにとらえているようですね。
「たしかにこの第二部は、前作の成功の名誉回復を計り、その台なしになった成功の詩的威厳を救済しようとしたものらしかった。しかしそこにはもう前作に見られたような新鮮さと妙を得た無邪気さとがない。」(p.348) ともあります。

人は憎悪や憤怒にかられて、例えば、短い声明文などを書くことはあるでしょうが、「ドン・キホーテ」の後篇などという長い物語 (たしかに長いですよね) を書くということが、果たしてできるのでしょうか?
僕には、サンチョという素晴らしい色と形を十分に使いきれなかったというセルバンテス本人の思いが、前篇執筆後の年月の間に熟成して、後篇の爆発的なサンチョのおしゃべりへとつながったと感じられるのですが。
しかし、それにしましても、後篇のサンチョは、いくらなんでもちょっとしゃべり過ぎているな。
やはり、マンのとらえ方を、根底に激怒ありきを、あくまで基軸にすべきなのかな?
それとも、これにはなにか国民性のようなものが関連しているのでしょうか?
すなわち、セルバンテスのスペイン人としての、マンのドイツ人としての、われわれの日本人としての国民性のようなものが。
ちなみに、マンが、ルートヴィヒ・ティータという方のドイツ語の訳文を、「「ドン・キホーテ」にその第二の正しい面を、すなわちドイツ的な面を与えた」(p.359) と、高く評価しているところ、実に素晴らしいですね。

次です、非常に勉強になりましたので、いくつかの印象に残った文章を、そのまま列挙してみます。
「『ドン・キホーテ』は、世界の書である。」(p.344)
「比類なき記念碑ではないか!」(p.346)
「この作品の堂々としたユーモラスな様式に接すると」(p.346)
「この「大規模にして注目すべき物語」全体を、あるアラビアの原典を注釈づきで校訂翻訳したものだと触れこむ悪戯からしてもう浪漫的・諧謔的な様式手段である。」(p.346)
僕が、7月の記事で、A→B→Cと記したところですね、マンは、悪戯だとしています。
「また、内容を要約して読者に吹聴するところの、章の標題の文句が実にユーモラスである。」(p.346)
これは、僕も感じました。マンは、二つほどその例をあげていますが、僕は、後篇第九章の「ここでは、この章で明らかになることが語られる」が、一番笑えました。そりゃ、そうだろう、どんな章もその章で明らかになることが語られるのですから。これぞ、セルバンテスの諧謔!
「残念ながら老セルバンテスの静かな叡智が窺われるとはいい難い。」(p.347)
う〜ん、こういう一文に出会うために、ひたすら毎日、読書をしている訳です、素晴らしい、なんという知性!
また、前篇が世間でベストセラーになって、後篇の登場人物が、ドン・キホーテとサンチョ・パンサのことをすでに知っているというくだんの立体構成につきましては、マンは、このように述べています。
「全く斬新で、前代未聞である。世界の文学中、小説の主人公がそんなふうに、いわば自己の評判の評判によって、自己の大衆性によって生きているような作品はまずこれ以外には見当るまい。」(p.353)
僕が、セルバンテスは、最初から文学的な金字塔を打ち建てたいというような、そんな野望をもってスタートしたのではないのではと書いた件に関しては、
「もとよりこれは、詩人その人も初めの間はそうはっきりと意識していなかったのである。自分が考え出した滑稽人物に対する作者の尊敬は、話が進むにつれて、次第に増大するー (中略) すなわち、この作品は元来どぎつい諷刺的な冗談として、大した野心もなく構想されたものであって、主人公の形姿がどういう象徴的・人間的位階へと成長して行く運命にあったかは初め少しも予想されていなかったのだ。」(p.356) とあります。
「そしてセルバンテスの思いきった残酷さを訝る。」(p.359)
「こういう着想のうちには、何か苦苦しいもの、そして諧謔的な粗暴な趣きがある。」(p.359)
カマーチョの婚礼や、驢馬の鳴きまねの冒険のことなど、まだまだご紹介したいマンの分析がたくさんあるのですが・・・。

おしまいに、僕は加齢黄斑変性症ですので、眼の事情が許せばですが、次は、ジャン・カナヴァジオの「セルバンテス」(法政大学出版局) に見当をつけましたので、それを読んでみようかなと思います。
フランスのトップクラスの知性が、著書の中でどのような主張を展開しているのか、是非知りたいからです。

拙い文章を最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。

2023年8月5日
和田 健

追伸 1:これは、やはり、根底に激怒ありきのマンの後篇説は、間違っているのではないでしょうか?
そのことによって、この文学作品の価値が、たとえわずかでも下がるような類いのものでは、まったくないと思いますが。
その後の「ドン・キホーテ」や、セルバンテス研究の進展等の要素も多多関与したと思います。
と言いますのは、その根拠として、「一六一四年、おそらくセルバンテスが「後篇」の第五十九章あたりを書いていたとき、タラゴーナ市で、偽作『ドン・キホーテ 続篇』が出版された。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第一巻、訳注、p.428) とあるからです。
つまり、偽作が出版された時、セルバンテスは後篇 (後篇は第七十四章まであります) のすでに終盤である第五十九章あたりを書いていた訳ですから、偽作者に対する憎悪や憤怒にかられて、後篇を書き続けていたということは成り立ちません。
それでは、後篇のサンチョの爆発的なおしゃべりは、前篇執筆後の熟成期間に・・・、という僕の後篇説が正しいものであるかどうかは、今のところ、なんとも判明しませんが、少なくとも否定する要素は一応ないように思います。
いずれにいたしましても、僕がわかっていなかったことは、作者セルバンテスは、後篇を書き続けてきて、第五十九章あたりになって、偽作続篇の出版を知り、おそらくは激怒し、そのあとで、後篇冒頭の「読者への序文」を書き、さらに続きの第六十章あたりから終わりまでを書いていったという順序と言いますか、流れになります。
この時、セルバンテスの心を深く傷つけたことは、マンが指摘していますように、この愚作続篇が、大衆に受け入れられたことで、これはちょっと立ち直れないと言いますか、ひいては、世間や大衆というものの愚かさ加減について、セルバンテスは、実際にかなり屈折した思いを抱くようになったのではないでしょうか。
マンは、このように書いています。
「セルバンテスは、彼の作品の続篇だと称する駄作が、彼の作同様に「世間に流布し」、熱心に読まれたことを知った。擬作は原作の好評を博した諸特徴を粗悪に真似た。すなわち打ちのめされる愚かさと百姓風の大食とのおかし味である。それが擬作の内容のすべてだった。原作のもっていた誠実、文辞、憂愁、人間的な深さ、こういうものは擬作に求められなかった。そして怖るべきことには、世間はこれを不問に付して恬としていた。どうやら世間はそういう点に頓着しなかったのだ。これは詩人の心を無残に打ちひしがずにはおかぬ。」(擬の字、原文ママ、p.347、348)

追伸 2:昨日、追伸 1 を書いたあとに、いろいろと考えていたのですが、追伸 1 に、マンが間違っていたと冒頭に書きましたが、間違えていたと言うよりは、おそらくですが、マンは知らなかったのではないでしょうか?
つまり、「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」は、一応、1934年の航海日誌の形式をとっていますが、やはり文学としての一作品ですので、その前後にわたって手を入れてきていると思います。
例えばですが、翌年の1935年にも少し文章に手を加え、最終的な仕上げをしてきたとか。
でも、まあ、仮に、ここでは1934年に原稿を書いたとしましょう。
その時点で、「ドン・キホーテ」の後篇は、1615年の出版ですから、1934-1615=319年、つまり、後篇が出版されてから、マンは319年してこれを読んでいる訳です。
ちなみに、僕は、今年2023-1615=408年して読んでいる訳です。
そうしたら、これ、わかりませんよ。
やっぱり、前篇ができて、偽作続篇が出版されて、頭にきて、後篇冒頭の「読者への序文」を書いて、後篇本文を書いていったと、通常誰でも考えますよ、流れ的に。
そんな、実は、後篇の第五十九章あたりを書いている時に、愚作続篇が発表されて、それも世間に大いに受けてしまって、激怒して「読者への序文」を書いて、また引き返してきて、残りの後篇を書いたなんて、そんなこと普通思いつきませんよ。
そこでですね、このことからわかることとして、僕は以下のようなことを考えました。
①読書の自由さです。
マンほどの知性の持ち主でも、知らないことについては、考えていくことが、ずれていく訳です。
つまり、文学でも絵画でも同じだことだと思いますが、原作からずれていく訳です。
以前、このエッセイ欄に何度も書きましたが、脳がズレを喜ぶからです。
脳が束縛を解かれ、生き生きと踊り出すからです。
これが何かを創造する、生み出す側の制作者にとっては、何よりも大切なことだと、本能的に感じるからです。
イメージとしては、紙の上に大きな円を描いてみてください。例えば、半径5cmとか、これが原作です。
その右横に、今度は少しずらして同じく半径5cmの円を描きます、これが多少ずれてとらえた自分だけの原作+(まあ、原作+αとか呼び方はなんでもよいですが)です。
そうして最初の円を白色で、その横の円を黒色で塗ります。
当たり前ですが、左から順に、白色、灰色、黒色になります。
その黒色の部分を脳が喜ぶ感じです。
これを、ラウル・デュフィは、そのまま絵画に応用して、例えば葉の表現とかに、見事なまでに使い切っています。
②なぜ、マンは、たとえ一度でもよいので、偽作続篇が出版された時点で、セルバンテスが、すでに後篇を書き始めていたかもしれない、その可能性もあるなということを考えなかったのだろうか?
わかりません。これほどの知性が、たとえ一瞬でもそのことに思いが及ばなかった、チェックしなかった理由は、僕にはわかりません。
僕などは、自然に、上記の前篇を書いた→偽作続篇が出版された→愚作者に「読者への序文」を書いて静かに抗議した→後篇を書いて完成させた、と思ってしまいましたが、だってテキストがその順番になっているから。
でも、そこはなんといってもマンですからね。
わかりません。
やっぱり、あれかな、脳がすでに創造者の脳になっているからかな、なにかその近辺にたぐり寄せることのできる解答があるような気がします。
つまりは、日々の積み重ねであり、日常の習慣の蓄積がもたらすところの脳の変化。

2023年8月6日、戦後78回目の原爆の日に
今朝、生まれた姪孫へ
大叔父である僕は、君が生まれた日の朝、まさにその同じ時刻に、このようなことを考えて書いていたんだよ。
今日から始まる君の人生が、どうか素晴らしい、実り豊かなものとなりますように!
和田 健

追伸 3:追伸 1 、追伸 2 と考察してきたこの問題を、ここで整理したいと思います。
その手がかりとなるのは、追伸 1 の終わりに引用したマンの文章で、ここで再度ご紹介したいと思います。
「セルバンテスは、彼の作品の続篇だと称する駄作が、彼の作同様に「世間に流布し」、熱心に読まれたことを知った。擬作は原作の好評を博した諸特徴を粗悪に真似た。すなわち打ちのめされる愚かさと百姓風の大食とのおかし味である。それが擬作の内容のすべてだった。原作のもっていた誠実、文辞、憂愁、人間的な深さ、こういうものは擬作に求められなかった。そして怖るべきことには、世間はこれを不問に付して恬としていた。どうやら世間はそういう点に頓着しなかったのだ。これは詩人の心を無残に打ちひしがずにはおかぬ。」(擬の字、原文ママ、p.347、348)
さて、この文章を一読する限りでは、マンが実際にこの偽作続篇をいかにも読んだかのような印象を受けます。
この場合、考えられるケースとしましては、
①マンは、実際にこの偽作続篇を読んだ。
②マンは、この偽作続篇を読んでおらず、上記の文章に書かれている内容は、なんらかの方法によって、例えば、誰かの論文等を読むことによって、または、文学的な会話の中で、間接的に知り得た事実であり、情報に基づくものである。
③マンは、①②ともに行った。
ここで、①②ともに行わなかったことはあり得ない以上、一応、想定されるケースとしましては、この3つでよろしいでしょうか。
なにゆえに、そんな枝葉末節にこだわるのかというと、このことが、大きな事実と結びつくように思われるからです。
それでは、順にみていきます。
①マンが実際にこの偽作続篇を読んだのであれば、読書人の常として、出版年を確認すると思います。
その段階で、これまでみてきたような認識の誤りは起こり得ず、「ほう、偽作続篇は1614年に出ていたのか、確かセルバンテスの後篇は、1615年の出版だったよな、それであれば、セルバンテスは、偽作続篇が出る前に、すでに間違いなく後篇を書き始めていたな、それもおそらくはだいぶ書き進めていたであろうな」と、同じ作家という仕事をしているマンは、すぐに考えたのではないでしょうか。
マンが、偽作続篇を読んで直に印象を得た上で、明記されていた1614年の出版年を、思わず失念したという可能性は、ほとんどないように思います。
②間接的に知り得た場合ですが、誰かの論文等にも、1614年の出版は明記されていたが、マンが失念したという可能性はあります。
もしくは、文化的なサロンのような場所で知り得た場合、そもそも出版年(1614)のことなど、会話にのぼらなかったのかもしれません。
したがいまして、マンが実際にこの偽作続篇を読んだのか、あるいは間接的にその内容を知り得たのかが、この問題を考える上での核心になってくるように思います。
駄作だ愚作だと世間で評されているものを、わざわざあえて読むような時間は、マンにはまったくないでしょうから、これはあくまで僕の推測の域を出ませんが、マンは、実際にはこの偽作続篇を読んではおらず、間接的に知り得た情報であり、それもおそらくは、会話によるものであったのではないでしょうか。
マンが作品制作のために集める文献や資料というのは、ものすごい桁外れの量なんですよね。
ですから、マンが論文等によって間接的に知ったのであれば、徹底的にその資料を探し出してきて、調べ上げたのではないかと思うのです。
以上より整理しますと、これまで追伸 1 、追伸 2 で考察してきたような、根底に激怒ありきのマンの後篇説は、会話によって、偽作続篇の内容を知ったがゆえに、その情報不足による誤った認識のもとに、マンが、「『ドン・キホーテ』とともに海を渡る」の中で展開したのではないかというのが、僕に考えられる推測です。

2023年8月10日
和田 健

追伸 4:後篇の第七十一章まできました。
もうあとは、残りの四章を楽しみながらゆっくりと読んで、この雄大な物語の全篇の読書を終えようと思います。
そこで、たとえ一人でもこの文章を読んでくださる方がいるのであれば、その方に対して、僕は、きちんと訂正すべきことはしなければいけないと思いました。
僕が、追伸 3 で考察したことは、間違えたのかもしれません。
すなわち、追伸 3 で引用した文章に対する可能性として、僕は、①②③の場合をあげましたが、そのいずれでもないケースが考えられるのです。
そのケースとはどのようなものかと言いますと、もしかすると、マンは、後篇第五十九章の本文から、偽作続篇の内容を間接的に知ったのかもしれないということです。
後篇のテキストそのものから偽作続篇の中身を知る、この可能性は正直、僕には思いつきませんでした。
と言いますのも、それ以前は、後篇冒頭の「読者への序文」をのぞいて、偽作続篇については特に触れられず、第五十九章にいたって、セルバンテスが、ここまであからさまに、突如として偽作続篇についての憤懣をぶちまけてくるとは思いもしませんでした。
その後、第六十二章のバルセローナの印刷所や、第七十章の悪魔たちのテニスにも、この偽作続篇への憤懣がぶちまけられていますが、う〜ん、さらに謎が深くなってしまいましたが、それであればなおさら、なぜマンは、セルバンテスが偽作続篇の出版を知ったのは、おそらく第五十九章の時点ではないのかと考えなかったのだろう?
この突然の変調から、なにゆえマンは、公爵夫妻の物語、そして第五十八章の似非楽園の人びとまでは、セルバンテスは、偽作続篇の存在を知らずに書いてきたなと判断しなかったのだろう?

やっぱり、結論として、セルバンテスが、後篇冒頭に「読者への序文」を置いたことが、こうした時系列の混乱をまねき、この序文を起点とした一連の認識の誤りのようなものを、結果としてもたらしたのではないでしょうか。
セルバンテスは、後篇冒頭から、偽作者への怒りをもって、書いているぞみたいな感じの混乱。

もしくは、さらに考えますと、セルバンテスが意図的にこの仕掛けを仕組んできている可能性も考えられます。だって、セルバンテスからしてみると、後篇の第五十八章まで書いてきて、突然、偽作続篇の存在を知り、いまさら、第一章に戻って書き直しもできないし、もうどうにもしようがない。
それであれば、後篇冒頭に「読者への序文」を入れておいて、色眼鏡ではないですけれど、このフィルターを通して最初から読んでくれよ、僕はとっても怒っているのだからね、みたいな。
その思惑に後世の読書人たちが、まんまともののみごとに、次々に乗っかってしまったということも考えられます。
セルバンテスの機知からして、その可能性は、少なからずあるように思います。

2023年8月22日
和田 健

追伸 5:えーと、これは、おそらくですが、セルバンテスは、偽作続編の登場に、かなり動揺したのではないかなと思います。
それこそどこにも「僕は実は動揺しました」なんて、意地でもそんなことは書いてはありませんが、明らかに大きな動揺がみてとれるように思います。
第五十九章で偽作続篇への憤懣を初めてぶちまけて以来、第六十二章、七十章、七十一章、七十二章と、いくらなんでも立て続けに、偽作続篇へのやり切れない思いがめんめんと続き、なんだかもう爆発している感じがします。
つまり、マンが主張するところの後篇が偽作との差別化の方向に進んだのは、サラゴサ行きをバルセローナに変更した件もしかりですが、むしろこの第五十九章から俄然顕著になってきます。
特に、いくら物語の中とはいえ、第七十二章の村長の前での法的な措置、宣言書の作成、ここに僕はセルバンテスの深い動揺がみてとれるように思うのですが、いかがでしょうか?
つまり、ここにいるドン・キホーテとサンチョ・パンサこそが本物だという精神的な安心を得たいがための衝動に突き動かされている。
そして同時にそれに対して、実に情けない二人だなというセルバンテス一流の皮肉が混じり、それが「ドン・キホーテとサンチョはすこぶる御満悦で、その様子といったらまるで、こうしたお上のお墨付きがぜひとも必要であって、自分たちの言動だけでは二人のドン・キホーテの相違を、また二人のサンチョの相違を明らかに証明することができないとでもいうかのようであった。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第三巻、p.384, 385)につながるように思うのですが、この一文の解釈は、ちょっと難しいです。
つまり、セルバンテスは、動揺している自分に対して、そのように思っているのかもしれません。
ここにはなにか、滑稽な二人の言動に託した上での、セルバンテスの自虐的な笑いが感じられるように思います。

さらに、引用した上記の文章ですが、これではまるでいかにもこれから第三部が書かれるかのようではありませんか。
つまりは、テレビドラマの水戸黄門の印籠ではありませんが、この公正証書のようなものを持って、また二人で、各地の冒険をめぐる旅に出るという。
それと、敗北を喫して、すっかり憔悴したドン・キホーテがバルセローナからの帰路、なんかやたらと熱を帯びて話す向こう一年間の牧人生活や羊飼いへの憧れ。
これは、偽作者の登場による人間不信からくる反動の現れであり、それに、キリスト者としての傷つけられた魂の救いを求める自然な気持ちが重なっているのではないでしょうか。
さらには、第六十九章で展開されるアルティシドーラの復活、これはいくらなんでも明らかに奇異ですよね。
もう公爵夫妻は出てこなくてもいいのに、再登場した上、なにか無理矢理、場面設定している感がある。
「あっ、これは伏線を設けているな」と、咄嗟に感じました。
これと新約聖書のラザロの復活との関連。

もう大体、これからのテーマが見えてきたようです。
①セルバンテスは、どこの時点でドン・キホーテの「死」を構想したのだろうか?
とどのつまり、究極のポイントになるのは、後篇第五十八章までは、考えていなかったのかどうか。
この問題を考える上でも、例の「読者への序文」が「後篇においてわたしは、後日のドン・キホーテの言動を縷々述べたうえ、最後には彼の死と埋葬にまで言及していますが、それは彼の生涯に関して新たな証言をしようなどという気が何人にも起こらないようにするためです。」(「ドン・キホーテ」岩波文庫、後篇第一巻、p.18)と、またしてもフィルターをかけてきて、その思惑に計画通りに、思わず乗りそうになりますが、これまでにもう何度も確認してきましたように、この序文は、後日に書かれたものです。
②1615年に後篇が出版され、翌1616年にセルバンテスは亡くなるわけですが、その間、ドン・キホーテを死なせたことについて、一作家として、どのような感慨をもっていたのだろうか?
まずは、単純に、後悔しているとか、いや、あれはあれでよかったのだとか、または、今は「ペルシーレス」ですか、そちらの方の執筆に忙しく、それどころではないとか、そのあたりから始めて。
③セルバンテスの空間認識能力の高さと、従軍したレパントの海戦との関連。
この問題を考える上で、今読んでいる「セルバンテス」(法政大学出版局)が、とても参考になります。
このあたりになります。

2023年8月23日
和田 健

追伸 6:今朝方、「ドン・キホーテ」(岩波文庫全六巻)を読了しました。
う〜ん、率直に言いまして、これはというのはラストの後篇第七十四章のことですが、蓋をしてきたな、物語を終わらせよう、店仕舞いしようとしてきたな、店をたたもうとしてきたなと思いました。
これはセルバンテスの本音で書いているのだろうか、文面通りに受け取ってよいのだろうか。
う〜ん、これは、400年間様々な議論を巻き起こしてきただろうな、このラストは、彼の本心なのだろうか。
ドン・キホーテが亡くなって、まわりの登場人物たちは、皆泣くわけですが、なにかあまり悲しくないですよね、究極的に。
あの偉大なる狂人ドン・キホーテが亡くなったわりには、荘厳さが感じられない。
別に比較するような問題ではありませんが、マンの「ヨゼフとその兄弟たち」におけるヤコブの「臨終の集い」にみられるような威厳や厳粛さが全く感じられない。
まあ、善人アロンソ・キハーノに戻って死んだのであるから、荘厳な感じなどしなくてもよいのだという反論は成り立ちやすいと言いますか、当然あるでしょうけれども。
でも、これではまるでラ・マンチャの一村民の普通の死ではないでしょうか。
ここのところ。
少し考えてみます。

昨日来、ずっと考えていたのですが、これはというのは再び「ドン・キホーテ」のラスト、終わり方のことですが、これはやっぱり、完全に防御ですよね、守りに入っている。
もちろん、作家が自分の作品を守ろうとする権利はありますし、とても自然な反応でもあると思います。
でも、なんかちょっとな〜、物足りない。
なんかとってつけた感がぬぐえません。
「ドン・キホーテ」の物語を終わらせるためには、一度負ける必要がある→《銀月の騎士》に決定的に敗北する→約束通り郷里の村に帰る→狂気から正気に戻り、狂人ドン・キホーテは、善人アロンソ・キハーノとなる→遺言状を作成して死ぬ。
理屈としてはわかるのだけれども、なんか割り切れないなあ。
つまりは、筋が通り過ぎている。
このかくも唐突に、狂気から正気に戻ったということにも、非常にいろいろなことを考えさせられます。
善人アロンソ・キハーノなんて、いったい誰が愛するのだろう?

これはやっぱり、現在の私たちからは、およそ想像もつかないほどまでに、セルバンテスは、偽作続篇の出版によって心を深く傷つけられ、身にしみてこたえてしまったのかな、決して立ち直れないほどに。
なんか、セルバンテスの「本音を言えば、本当はもう少し書きたかったんだけれどもよ、ろくでもない偽作者が出てきて、こんなことになってしまったから、もうそろそろこのへんで、おしまいにして、この問題にけりをつけようぜ、ちぇ、またしても人間の横槍かよ、面白くもなんともねえや」という感じが伝わってくるのです。

最後に、僕に一つだけ言えることは、この壮大な物語の究極の核心は、つまりは、セルバンテスの呻きが一番ストレートに伝わってくるのは、なんのことはない、ずっーと読み進めたところの、実は結局、ラストのこの後篇第七十四章にあるように思います。

2023年8月24日
和田 健

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