Archive for 画家

Untitled 2020 No.22 ーfrom the series F Paintingsー

Posted in Works 2020 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 1 December 2020 by kenwada

無題 2020 No.22
ーシリーズ F ペインティングからー
2020年11月
北軽井沢 作品 No.415
画布にアクリル
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.22
ーfrom the series F Paintingsー
November 2020
Kitakaruizawa Works No.415
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.

Sans Titre 2020 Nº22
ーde la série F Peinturesー
novembre 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°415
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.21 ーfrom the series F Paintingsー

Posted in Works 2020 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 27 November 2020 by kenwada

無題 2020 No.21
ーシリーズ F ペインティングからー
2020年11月
北軽井沢 作品 No.414
画布にアクリル
91.0×72.7 cm

Untitled 2020 No.21
ーfrom the series F Paintingsー
November 2020
Kitakaruizawa Works No.414
Acrylic on canvas
36.0×29.0 in.

Sans Titre 2020 Nº21
ーde la série F Peinturesー
novembre 2020
Kitakaruizawa Œuvres N°414
Acrylique sur toile
91.0×72.7 cm

ARTIST OF THE FUTURE AWARD!

Posted in Exhibitions 2012-2020 with tags , , , , , , , , on 22 November 2020 by kenwada

皆様、こんにちは。
Contemporary Art Curator Magazine というオンラインのアートマガジンのArtist of The Future Award を受賞しました。
インスタグラムのフォロワーが42万人を超えるインターナショナルの現代アートの大きなサイトですので、アートがお好きな方は、もうすでにご存知だったり、あるいは一度や二度、サイトを観たことがあるかもしれません。
ありがとうございました。

2020年11月22日
和田 健

Dear friends,
I wish you and your loved ones are safe and well from the coronavirus (COVID-19).
As you might have already known well, CONTEMPORARY ART CURATOR is an online contemporary art magazine, it covers visual art, photography, street art, art events and art films.
It is my pleasure to inform you that I won the magazine’s Artist of the Future Award!
Thank you.

Warm regards,
Ken WADA

The following is quoted from the magazine’s article.

Contemporary Art Curator Magazine is proud to announce the Artist of the Future Award!

A highly-anticipated Award to the most outstanding and talented artists working in the art world now.

Artist of the Future Award honours most talented artists that will most likely shape the future of the art world and showcase the distinct voices of a new generation of artists.

Artist of the Future Award awarded to the talented artist who has shown extraordinary originality and the innovative and original style. Winning these Award is a mark of excellence at the highest level!

Follow the link to see the winner:
https://www.contemporaryartcuratormagazine.com/artist-of-the-future-award/ken-wada

http://www.contemporaryartcuratormagazine.com/home-2/artist-of-the-future-award

ブッデンブローク家の人びと

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 20 November 2020 by kenwada

この秋、渡邊一夫氏の「フランスルネサンス斷章」(岩波新書)を昭和25年発行の初版で読み、次にトーマス・マン、渡辺一夫の「五つの証言」(中公文庫)へと進み、アンドレ・ジードの序文を読んだ時に、そう言えばまだトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」を読んでいないなと思い、10月8日に読み始め、11月17日に読み終わりました。
これでトーマス・マンの3大作を読んだ順に、「魔の山」(岩波文庫、上下巻)、「ヨセフとその兄弟」(筑摩書房、全3巻)、「ブッデンブローク家の人びと」(岩波文庫、上中下巻)と今ごろになってすべて読み終わりました。
何事も非常に遅い僕の人生の歩み、そのものですね。
順番をつける問題ではありませんが、一番面白かったのは、「ヨセフとその兄弟」です。
「ヨセフとその兄弟」についての印象は、以前当サイトに少し書かせていただきましたので、ご紹介いたします。
https://kenwada2.com/2016/01/22/ヨセフとその兄弟/

「ブッデンブローク家の人びと」は、これは何と言っても、何故25才の青年がこのような親子4代にわたる物語を書くことができたのか、もうこの一点に尽きます。
このことだけを上巻、中巻あたりまで、メモを取りながら、ただひたすらずーと考えていました。
通常あり得ない、他のいわゆる文豪の方たちの若い時の作品に比べてもあり得ない、何か違和感すら覚える、異様な感じがする、天才だから書けた、それでは僕の疑問は解決しない。
そこで以前、マンの時間の使い方に焦点を当てて、「トーマス・マン日記」(紀伊國屋書店)を読んだ経験から、自分なりの仮説をたててみました。
以下、全くの初心者の私論です。
逆に世の中には、相当数のマンの研究者、専門家の方がいると思いますので、大学のドイツ文学の先生方の間では、当然数えきれないくらい議論が交わされ研究され尽くしたであろうこの問題について、現在どのような統一の見解が出されているのでしょうか。
仮説1は、「トーマス・マン日記」を読むと、主に夕食後に家族を前にして日常的な習慣として繰り返し行われる自作の朗読というキーワードが浮かび上がってきます。
おそらく幼少期から兄ハインリヒは当然として、兄弟間で、または家族で、毎日のようにこの自作の物語の朗読会を繰り返していたのではないか。
それによって、ごく幼い頃から物語を語る能力が養われ、25才にしてすでに十二分に熟成されていたのではないか。
このことは、「ブッデンブローク家の人びと」の中ではハンノの唯一の友人であるカイ少年の姿にも重なります。
仮説2は、このブッデンブローク家の物語がほぼ実話なのではないか、その部分の強みである程度書き進められたのではないか、そうであっても驚異的ですが、そんなことを思いながら読み進めてきたのですが、下巻の参事会員が妻が少尉といる階上の深い静けさに耳を澄ませるシーンなどは、やはり何か違和感がある、つまり仮説1+2では割り切れないものを感じました。
また中巻でフィシャー街に参事会員が華麗な夢のような邸宅を新築したあたりから、次第に精気を失っていく様子の細やかな描写も上手すぎる。
家を新築したあたりから人生が下り坂になっていくという現象は、世間でよくみられることだと思いますが、25才の青年がここまでこと細やかに、それを俯瞰して総合的にとらえられるというのは、何か少し不自然な感じがする。
そこで僕の仮説3が出てきて、マンは何らかの意味で、ものすごく早く社会に出た/接触したのではないか、というものです。
意味でというのは、例え家の中で生活していても、もう社会に出ているような何らかの意味合いが、そこに事実としてすでに生じていたのではないか、ということです。

後の「魔の山」への萌芽もたくさん感じました。
トラーヴェミュンデの全てのシーン、特に下巻で参事会員が激しい雨の中、療養ホテルで雑談にふける場面。
これだけ多くの登場人物がいて、主人公は誰だということになれば、さかれているページ数から言えば、一応、参事会員トムことトーマスになるのだと思いますが、僕がすごくひかれたのは、その妹のトーニことアントーニエです。マンはこの世に素晴らしい一人の女性を送り出しました。この女性は美しい、圧倒的に美しい。特に下巻でメング通りの実家が売却された後、「往来のまん中で、多くの通行人が見ているまえで、ぽいぽいと泣き出した。これからさえずろうとする小鳥のように頭を反り返らし、・・・通行人の姿は目にはいらなかったし、・・・流れる涙を拭こうともしなかった。トーニらしい、人目をはばからない、子供のようなすがすがしい泣きようであって、人生のたびたびの嵐と難船にも失なわなかった泣きようであった。」2度の離婚を乗り越えて、トーニだけは、いつどの場面で出てきても、いつだってトーニはトーニなんですよね。いつだって愛らしい上唇を少し突き出して、上半身を反り返らせて、感じやすい善良な心をもち、いつまでたっても少女のようなお転婆娘で・・・、現代の一人の女性として、これからの未来の女性像として考えても大変な魅力です。

そして読者にとっては、あれっていうくらい、トーマスが実にあっけなく亡くなり、まるで余ったページの付録のように、何故その後、ハンノの一日の話がだらだらと続くのかなと、正直なところ最初はそう思いながら、下巻の最後の部分を読み進めて、ところがところがですね、圧巻はここからでした。
これはその辺りの優等生や秀才には、間違っても書けない。
学校の授業のこのシーンはすごいですね。
マンは余程、劣等生と言うか、反抗的と言うか、学校、校長、教師、そういったありとあらゆる権威と名のつくものに対する憎悪、吐き気、敵対心、そして恐怖。
それとともに級友たちの実に生き生きとした描写。級友たちに注がれるユーモアに富んだ温かい眼差し。こちらは同級生の横の関係であり、同列だからですね。
この第11部の第2章は、並行してどこかに別に執筆しておいたものを、小説の構成上、最後になって、ここにどんと入れたのだろうか。
1901年の小説が2020年にまるで鮮度が失われていない、すごいなあ。

それで、どうしてハンノ少年までチフスで死ななければいけなかったのだろう。このマンの意図はわからない、これではちょっと救いようがないではないか。副題の「ある家族の没落」と言うよりも、壊滅、死滅のようなものに近くなってしまう感じがする。それ以前に、すでに「ヨハン・ブッデンブローク」商会は、精算して、解散しているのだから、何も死ななくてもよいのではないか。この少年は現実的な能力の乏しいままに、それでもなおピアノに寄り添いながら、ひっそりと生きていくという選択肢を何故取らなかったのだろう。

最後に、一番美しかったシーンは、上巻でトーニがトラーヴェミュンデの海沿いのシュワルツコップ家でモルテン青年と過ごす「たのしい夏の何週間」の日々でした。
一番絵画としてとらえられたのは、これも上巻でトーマスがフィシャー街にある「入り口のドアがせまく、小さなひっそりとした花の店」で、アンナと話す場面です。
中巻の記述では、「貧弱なショーウィンドーの緑色のガラス板の上に二、三の球根植物の鉢がならべられている小さい店」となっていて、この緑色のガラス板の上という描写にひかれます。
アンナは最後、弔問客としてトーマスに告別に来ますね。

リューベックには行ったことがありませんが、何故かトラーヴェミュンデの場面で、フランスのノルマンディーの海岸を、特に僕の大好きな Manche 県の静かな恐ろしく静かな海岸を思い出しました。

The sea of Normandy 3, 2009, Gouville sur mer, Manche, France
Watercolor on paper, 31.8×41.0 cm

これから気になったところ、印象に残ったところを、部分部分で読み込んでみます。
これこそ読書の醍醐味ですね。

2020年11月20日
和田 健

後日記:読後から10日が経ちましたが、何故ハンノは死ななければならなかったのかについて、未だに考えています。
日本語と英語の論文や分析を合わせて10本くらい読んでみました。
いろいろなことがわかりましたが、何故ハンノが死ななければいけなかったのか、そこに迫るものは日本語で一つだけありましたが、疑問は依然として残りました。
それとは別に、ハンノとカイとの関係は同性愛としてとらえられているのですね。
日本人では伊藤白さんという方がゼゼミに焦点を当てて書かれた論文が非常に面白かったです。
1959、1960年製作のドイツ映画「Buddenbrooks」も観てみました。よくこれだけストーリーを作り替えてマンの遺族の方が、了承したなというのが、僕の率直な感想ですが、トーニ、トーマス、クリスチアン、ゲルダと役者が皆素晴らしかったです。

©The Buddenbrooks (1959 film) – Wikipedia
向かって左からゲルダ父、ゲルダ、トーマス、クリスチアン、トーニ、コンズル夫人

イメージしてきたこととピッタリだったのは、トラーヴェミュンデでトーニがモルテン青年と過ごすシーンはやはり美しいなということ、おお!アンナの花の店に光が当てられて、アンナが重要な役をしているぞとか、主役ではないけれども、やっぱりこの物語はキャラクター的にトーニが主役になってしまうなとか・・・、そこでやめとけばよかったのですが、何故かこの物語を日本で作れないものかと突然奇妙なことを夢想して・・・、トーマスはなんといっても絶対に佐田啓二さんですね。亡くなったとか、そういうことは関係ない、佐田啓二さん。トーニは南果歩さん、クリスチアン役のために・・・、やめます。
もう一つトーマス・マンを読んでみようと、「ファウスト博士」を注文し、11月25日から読み始めました。同じ作家の46年後の作品ですね。今のところ奇抜な出だしで全体の状況がつかめない、けれども楽しい、「ブッデンブローク 家の人びと」のような違和感は読んでいて感じない、というところ。
岩波文庫の古書が高かったので、より古い岩波現代叢書の方の古書で、Ⅰ、Ⅱ巻合わせて650円でそろえられました。Ⅰ巻が昭和27年のうれしい初版で350円、Ⅱ巻が昭和38年第7刷の美本で300円でした。

2020年11月27日
和田 健

Today’s F Paintings!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 12 November 2020 by kenwada

2020年11月11日、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は75回まできました。
描いては全部消し、描いては全部消しを繰り返し、形が見えてこない期間が長く続きましたが、個人的には、途中から心が戻ってきていたので、気持ちが集まってきていたので、大丈夫だなと感じていました。
少し形が見えてきたな、絶望期間をくぐり抜けたぞ、よし、ここから作品にもっていけるぞっていう感じ。
見えないものは描けない、見えなきゃ毎日制作していても、何回やってもどうしても何としても描けない!
描けなきゃ白で全部消したらいいのです、この4枚も明日の朝、チタニウムホワイトで全部消しますが、でももう僕の中で見えています。
消すのは美しいです。
間違いなく絵画制作の醍醐味の一つです。
消し方は3通りです。
1. 前の跡が見えないくらい濃く厚く消す、前の跡が浮き出るように薄く消す、あるいはその中間で消す、すなわち濃淡を自ら意図してコントロールして消す。この時、あくまで基本は薄く消し、乾いた後で足りなければさらに薄く加えて消していく。キーポイントになるのは当然、水分の含有量です。パレットの中のと言うよりは、どちらかと言うと、刷毛の中の含有量です。
2. 消すことさえもいい加減に無造作に消す、すなわち自らの意図をはずし、さらなる偶発的な要素を引き出すために消す。
3. 1と2を混ぜ合わせたやり方で消す。
僕らの仕事はあきめたら終わり、その時点で、文字通り The End! です。
絵画の制作をされない方には、何を言っているのか、さっぱり伝わらないと思いますが。

2020年11月12日、4枚消す。
しかし消すというのは実に美しい。
これに対して、描くというのは、あるいは描くという行為は、歴史上のどんなに偉大なアーティストのどんなに偉大な絵画においても常にどこか醜い。
何故なんだろう?
そこに大きなヒントが隠されていると思う。
思考を大きく前に進めるための鍵が確実にそこに秘められている。
そこに必ずあることは本能で、言わば匂いでわかる。
でもそれが何であるのかが、どうしてもわからない。
Cy Twombly は Duino を持ち出すまでもなく、このことをはっきりと認識していた。
彼はどこから認識したのだろう?パリで学んでいた頃に、Alberto Giacometti の絵画をどこかで観たのだろうか。
あれは美しい、圧倒的に美しい、特に母親と Annette 夫人を描いた一連の絵画。
それ以前にはあそこまで一つの画面の中に消すという行為は見られなかったので、大胆な仮説にはなるけれども、Giacometti の絵画をそれ以降のこの「消す」という現代絵画の一つの潮流の始祖とみなすことはある程度可能だと思う。わからない、ターナーの晩年の絵画があるから、全く何の根拠もない。でもわからない時は、当てずっぽうで、いくつか声に出して言ってみることが大切で、そこから思考が繋がってくることがある。
もちろん彼はパリで、モネの睡蓮は当然観ただろうと思う。でもそれを言えば、モネの睡蓮は、僕ら抽象絵画のすべての源である偉大なる祖先だし・・・、たぶん教科書的にはカンディンスキーになっていると思うけれども。
結局こうしてわからないままである程度の年月が経過すると、消すという現代絵画の一つの潮流の始祖は、Cy Twombly だという認識が定着することになるのだろうと思う。必ずそこにはそれまでの先人の到達地点というものがあり、一気には到達しないのだけれど、例えば印象派には当然ドラクロアという巨大な先人の存在があったように。
2018年に、Gagosian で Cy Twombly を2画廊で同時開催していて、それこそ浴びるように大量に観たけれども(画家の作品を観る時には、できれば一人の作家の作品を浴びるように大量に観た方がいいです、いろいろなことがわかります。1点2点しか観れない時も食い入るように観た方がいいです、それでも観ないよりはずっといいです)、ニューヨークでは、Twombly はもう完全に大御所の扱いだった。これだけ現代絵画を押し進めたのだから当然だろうけれども。
あるいは彼は毎日の制作の中で、僕と同じように気づき、その後認識に至ったのであろうか。であれば気づくまでは、僕にもできるのであるから、誰にでもできることであり、その後、認識に至る、問題は、はっきりと認識に至る、その過程の一点なのだなと思う。
わからなければ前へ進めない。
どうして消すということは、描くということよりも美しいのだろうか。
わからない、わからないと言っていないで、徹底的に考えろと自分に。
わからない時は、しゃべっていれ、黙っちゃうとそこで終わってしまうからと自分に。
例えば、描くということは、あるいは描くという行為は、多かれ少なかれ人間のエゴイズムであり、消すとその人間性が消滅する感覚を味わうからだろうか、思わず喝采したくなるような、何かある種の清潔感のようなものをそこに感じるからだろうか。
あるいは例えば、描くということは誕生を意味するけれども、消すという行為は死を連想させるから美しいのだろうか。
違うのではないか、僕らは毎日制作している訳で、そうそう毎日死を連想させられてはたまらない。やっぱりこれは何か描いてあったところを塗られると、逆にその中を観たくなる、のぞきたくなる心理が働く、そういう人間の脳の働きなのではないか。例えば都会で毎日のようにどこかでやっているビルの解体工事、いつもは忙しく通り過ぎる人たちも、あれっ、ここにビルがあったんだけれどなと、ふと足を止める時のあの心理、壊されると逆にそこにあったものをとっさに復元しようとする脳の働き、何かそれに近いものなのだろうか。

後日記:フランスはパリ時代に、14区の 46, rue Hippolyte-Maindron にあった Alberto Giacometti のアトリエに入りたくて入りたくてどうしようもないくらい入りたくて、郵便受けの穴から中をのぞいて、うぉ〜、今日は少しだけ中を見れたぞ〜とか狂喜して叫んでいて、その日もアトリエの前でウロウロして、当たり前だけれど入れなくて、すぐ近くの角の本屋に行ったら、そこでの出会いから後日2007年9月29日に、所有者の方にジャーナリストの女性と一緒に正式に招待されて中を見せていただくことができたという、めちゃくちゃ面白い話があるのですが、こういうことも一度しっかり書いておかないと、やがて誰にも伝わらなくなりますね。
モデルを務めていらした矢内原さんはもちろん別格として、日本人であの中に入った人は、一体何人いるのだろう。
その後、2007年10月から2008年2月にかけてポンピドゥー・センターで Giacometti のアトリエの壁を本当にそのまま運んできて(復元した壁などではなく)展示して彼の展覧会の一部とするという企画があって、すごい大胆なことをやるなあ〜と驚きました。え〜と、ご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんね、何で壁なのかと言いますと、彼はものすごい量のデッサンを壁に、そうですあの美しいデッサンを壁に直接描いたのです。
Giacometti のあまりに美しい彫刻、絵画は無論のこと、芸術家としての生き方そのものが僕に与えた影響、彼から学んだことは計り知れないです。
同じアカデミーの大先輩でもありますが、この世が生んだ間違いなく最大の芸術家の一人だと思います。
若い方は「ジャコメッティ」「ジャコメッティ エクリ」(いずれもみすず書房)は必読です。
さらには18区のモンマルトルのゴーギャン、ピカソ、モディリアーニ等の洗濯船 Bateau-Lavoir、ああ洗濯船!モンマルトルに住んでいた僕は、とてつもない憧れと尊敬を胸に秘めて、文字通り胸に手を当てて、一体何度あの前を通り過ぎたことだろう。15区のモンパルナスのモディリアーニ、シャガール、キスリング、天才スーティン等の蜂の巣 La Ruche、どちらももうすでにと言いますかとっくに、歴史的遺産とも言うべき有名なアトリエですが、同じように前をウロウロしていて、結局どちらも中をきちんと見せていただく機会を得たこと、洗濯船のコロンビア人の画家の方とはその後も交流が続いて、僕のパリの個展には奥様といつも来てくださいました。奥様は日系移民の子孫の方でしたが、日本語は喋れなかったな。温かい質素な素晴らしいご夫婦だった。
これら三つのアトリエに入れた話をアラジンと魔法のランプになぞらえて、「開けゴマ」というタイトルで、いつか書きたいなと思いつつ、今日まで来てしまいました。
「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタ7 7-11)
フランスでは本当によく門をたたいたな、そしてその度に勉強したいのであれば、いつでも入れてくれた・・・。
それに対して日本では、同じように門をたたいても、あそこまでは開けてくれないな、その理由を僕ははっきりと理解していて説明することができる・・・やめよう、暗くなる。
やっぱり、これは後日記などではなく、単独に一つの記事として改めて書くべきだな、どうみても。
なんてお上品にかしこまっていないで、ガンガン行こうぜ、おう!
rue Hippolyte-Maindron のすぐ近くに、Square Alberto-Giacometti という小公園があるのですが、それを描いた2008年の絵を今でも時々クリックして観てくださる方がいます。名前からして、ここに彼のアトリエがあったのだろうと思われる方がよくいますが違います。

Square Alberto Giacometti, June 2008, Watercolor on paper, 22.0×30.0 cm

また、rue Hippolyte-Maindron と交差している通りに、rue du Moulin-Vert があるのですが、その通りに住んでいた友人の部屋の窓から毎日描かせてもらった絵が、2007年夏の「パリの屋根」です。

The Roofs of Paris, 2007, Oil on canvas, 100.0×73.0 cm

僕らもその当時、すぐ近くの Villa Brune に住んでいました。みんな14区のモンパルナスの同じ quartier 地区、界隈でした。

2020年11月14日
和田 健

「ライだよ、森の童話」の改訂第二版が完成し出版されました!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 9 November 2020 by kenwada

皆様、こんにちは。
2020年10月3日に「ライだよ、森の童話」の初版を発行してから、皆様から寄せられた貴重なご意見やご感想、時には手厳しいご批評をもとに、この度、改訂第二版が完成し、同じくアマゾンの Kindle から昨日電子出版いたしました。
本当に皆様のお陰で、ここに改訂第二版が誕生いたしました。
初版の全編ひらがなとカタカナの横書きのゴシック体で、ライがリズミカルにしゃべりまくり続ける、言ってみれば落語調の歌うような物語に対して、今回の改訂版では大胆に思い切って、縦書き、ゆるめの適度な漢字の使用、フォントは明朝体とし、これに写真も何枚か加え、同じ童話ながらまるで違った印象の本に仕上がりました。
皆様にそのイメージを少しでもおつかみいただくために、本文の40ページをご紹介いたします。
このページだけ見せられても物語の前後のつながりがわからないと思いますが、あくまで雰囲気を感じていただきたいという趣旨です。
また今回の改訂版では、これも皆様から寄せられたアドバイスなのですが、音読することの重要さを再認識し、原稿の音読を大きな声で繰り返し行い、リズム重視の観点から、改行や句読点等につきましても、自分なりに最大限の努力をいたしました。
その結果、かなり読みやすくなったと思います。
自分で納得、満足のいく仕上がりになりました。
絵画の個展をするくらいのエネルギーを使い、全力を出し切りました。
自分のデビュー作の大切な記念として、また、より実験的・前衛的な苦闘の一つの記録として、初版も同時に残すことにいたしました。
そのためわかりやすいように表紙の色をはっきりと変えました。
緑色の初版が本文54ページ、茶色の改訂第二版が本文86ページで、どちらも僕の絵が10作品掲載されています。

何故この夏以来、お前は突然書き続けているのかと問われますと、一言では言えませんが、執筆の動機や背景となったのは、まずジェイムズ・ジョイスの1939年の「フィネガンズ・ウェイク」です。
8月に Today’ Worst Paiting No.3 にも書きましたが、あのバババダ・・・の部分の文章の原文、
bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonner-
ronntuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthur-
nuk!
もちろんこれが各国語の雷の集積であることは後に学びましたが、でもそういう分析は大学の先生や専門の学者にお任せして、何と今では誰でも YouTube でジョイスのレコード音声が聴けるのです!
大変残念ながら別の箇所ですが、音源が残されていて、作家本人がどういうリスムで朗読するのか、これは非常に大切です。
作家本人が朗読する時は、朗読者やナレーターの朗読と違って、自作に対する絶対にごまかしようのないリズムが出ますから、これを何度も聴いて本来のリズムをつかみました。
やはり彼はあの部分を各国語の雷雷雷・・・だなんて書いていないで、バババダ・・・のリズムで書いています。
ああ、このリズムで新しい物語が創れるはずだという思いがまず一つ。
そして次に、そこからインスピレーションを受けて作曲されたジョン・ケージのラジオ劇「ロアラトリオ」です。
「ロアラトリオ」については、以前全編の言葉起こしをした際に、当サイトに書かせていただきましたので、その時の記事をご紹介いたします。
https://kenwada2.com/2019/01/05/roaratorio-1979-version-1%E3%80%80january-4-2019/
そして、この両者の融合から一つのリズムが湧いてきて、それを是非ともロックンロールのリズムでビートを刻んで書きたかったのです。
その時から1年半にわたり眠っていた僕の思いが、この夏ライが死にそうになって我家にたどり着いた瞬間に、ポンっと蓋が開いて、ほとばしり出たのでしょうか。
最後の第6話のフランス語の部分は、お経のように、呪文のようにとらえて欲しいのですが、お経、呪文、大切ですよね。
インドの天才数学者ラマヌジャンが育った要因は幼少期からのこれによります。
ヨーロッパで天才が育ってきた主な要因の一つに、僕は定期的に聴く教会のパイプオルガンの圧倒的な音響があると思います。
日本にも夕方になるとお寺の鐘が鳴るという切り札があったのだけれど、今じゃ隣近所から苦情が出て、除夜の鐘ぐらいです。
そこであえて故意にフランス語を繰り返すことによって、それがある種のお経、呪文のようなものに転化して伝えられないだろうか、そのような可能性を探ることはできないだろうか、と考えました。
そこには猫が繰り返しているお経を、現代のニンゲンというものが、それを直観的に把握・吸収できない、そういう大切な要素から、現代のニンゲンがすでに外れてしまっているという批判も込めました。
いずれにいたしましても、どちらの版でも一番訴えたかったことは、平和寛容です。
それから僕には、今回の創作にあたって、童話=子ども向けのお話という、お決まりの概念はありませんでした。
この夏以来の一連の作業を通して、文章や物語を書くことと、僕の日常である絵を描くこと、絵画を制作すること、この両者の共通点や相違点について、実に貴重な様々なことを学びましたが、これについて書くと非常に長くなりますので、改めてまた別の機会といたします。

最後に、今回の改訂版も妻の多大な協力がなければできませんでしたので、この場を借りて、妻に感謝いたします。

2020年11月9日
和田 健

以下のサイトからご購入いただけます。100円です。電子書籍が初めての方でも、Kindle の無料アプリをダウンロードしていただければすぐに読めます。

https://www.amazon.co.jp/s?k=和田健&rh=n%3A2275256051&__mk_ja_JP=カタカナ&ref=nb_sb_noss
後日記:これだと初版でどうしてひらがなとカタカナだけで書いたのかについての説明が欠けているな。
欧米人をはじめとして、生涯 abcde だけで生きている人たちへの、ひらがなとカタカナと漢字で生きている僕からの、実験的なと言うよりは挑戦的な意味合いがあったんだよな。
そう言えば、ジョン・ケージもキノコが大好きだったんだよな、キノコ研究家にまでなって。
著書の中で汚い服を着ていたから、レストランへの入店を断られた面白いエピソードを読んだな。
どの本だったかな、確か彼の服のために、一緒に行った仲間全員も食事できなくなった話だった。
僕も頑張ろう、森のキノコが大好きだし、服も靴下もボロボロだけれど。

大天才が大天才している!Henri Matisse’s The Swimming Pool!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 25 October 2020 by kenwada

もうこれについては、「大天才が大天才している」としか言いようがないです。
あとはもう何も言いようがない。
コロナで先の見えないこんな時代になってしまって、もうこうなったら Online だろうが、何だろうがいいじゃないですか。
それは実物を観ることには、もちろん全然かないませんけれど、そんなことはわかり切っていることですし、それに、もうそんなことを言っていられるような、のどかな感染状況ではないような気がします。
今日は日曜日、少しでも偉大な芸術に触れてください。
ただクリックするだけです。
そこに Online ではありますが、あなたが思わず目を奪われるような世界が広がっています。
英文も簡潔でわかりやすいです。
これが絵画=色と形の魅力ですね。
文学だと翻訳の問題もありますが、ここまで瞬時にダイナミックには伝わらない。
やはり絵画の方が文学より、より本能的、より原始的なのであり、より動的な力強い膨張を感じます。
絵画には基本的に世界中で一つしか言語がありませんから、それはもちろん大きな要因ではありますが、それにも増して、以前にも当サイトに書きましたが、絵画には脳の運動分野を司る部位を刺激するところがあります。
それをロジックで論理的思考で突き進むと、どこかで限界があるのではないでしょうか。
https://www.moma.org/calendar/galleries/5119?sc_src=email_57736&sc_lid=2046843&sc_uid=ipz0HfgJ5P&sc_llid=218120&sc_eh=b1697101d524ca3d1&utm_source=Emarsys&utm_medium=email&utm_campaign=MKT+-+Newsletter+General+20201022+NON-LOCAL

彼の晩年の集大成である南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂を訪れた後、マティス美術館を見学し、ニース近郊のマティスのお墓参りをした時のことを思い出しました。
皆の墓地から少し離れたところに、大きな白い長方形のお墓があって、お墓の回りに咲いていた白いお花を一つだけ記念にいただいて、パリの小さな部屋の机の前に、ずっと大切に飾っていました。
マティスの作品やその苦闘の痕跡にたくさん接して、僕が感じたことは、彼は本物の大天才ではありますが、同時に生涯基礎基本、原理原則の徹底に、大変厳格かつ忠実な人であったように思います。
その理想の追求や実現に向けて、異常な努力をしています。
例えば、線を一本決めるために、何本も何本もこれでもかとばかりに、納得がいくまで引いてきます。その大量の線はそのまま画面に残されていたり、大胆に消されていたりもします。
この肝心な点を、例のあり得ないくらいに、上品で美しくかつ素晴らしい(フランス語のmagnifiqueな、extraordinaireな)ひらひらっと描いてくる、特にどの時代と、どうしても問われれば、1940年代以降の晩年の婦人像のデッサンやポートレートなどから、やっぱりこの人は天才だから、こうして一発で線を決めてこれるのだなと思うと間違えます。
そこだけ真似をして、同じようなひらひらっとしたデッサンを描いてくる、何の独創性もない絵画を時折見かけます。
真似ができるだけに、絵の上手な方なのだなとは思いますが。
履き違えないためには、彼のキャリアの初期及び中期の戦いを、ポンピドゥー・センターで食い入るように見つめて、何度もしっかり確認しないといけません。
また例えば、画面の中の補色の置き方、これも以前当サイトに書きましたが、最後まで原則通りに、言わば教科書的に置いてきます(置くというのは塗るという意味です)。
広く知られていますように、盲腸炎で療養していた時に、母親から画材を与えられて開眼、それまでのコースから大きく転向します。
いわゆる子どもの時から絵が好きで上手くて、そのまま大人になっても描き続けたというのとは、かなり違う印象を受けます。
絵画史上に燦然と輝く大天才であり、同時に大変な努力の人でもありました。
一芸術家がこれだけの大きな仕事を遺したのですから、その影響は後世の芸術家へと、これからも末長く受け継がれると思います。

Today’s F Paintings!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 24 October 2020 by kenwada

2020年10月23日、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数23回。
これまでの経験から、4作品のペインティング総数100回を超えた頃から形が出てくる。
その保証はどこにもないけれど。
この段階で、きれいなものを求めようとするな!
まとめようとするなんて、馬鹿げている!

経済と芸術の比

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 22 October 2020 by kenwada

2020年10月21日、この画布の1回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は12回。

2020年10月22日、この画布の5回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は15回。

これは心の底から本当に思うのですが、この国の政治家や指導者たちは与党から野党に至るまで、経済の話しかしないですね。
もう経済、経済、経済、経済、ひたすら経済です。
それは確かに大切なことです、経済は。
でも芸術家の立場からすると、あまりに偏っていると思います。
芸術家の存在なんて、「あれっ、お前まだ生きてたの?」っていう感じです。
経済と芸術の比が、10対0か、よく言って、9対1くらいの感じがします。
日本人は本当に経済の話しかしなくなりました。
それは真のエリートの意味を履き違えてきたことや、国民が一般教養を軽んじるようになったことにもつながります。
さらにこうした日々日常のすり込み、洗脳ほど恐ろしいものはなく、僕はこの国の子どもが、いつだって、最優先されるべきことは経済なんだ=したがって、この世で一番尊い価値のあるもの、幸せにしてくれるものは、まずは何と言ってもお金なんだ、という子どもに育たなかったら、かなり驚きます。
長年にわたり、ひたすら経済最優先を唱え続けてきた結果、現にお金に関する犯罪が多発しています。
もはや多発しているなどという生易しいレベルではなく、各種の詐欺事件については、すでに常態化している感さえあります。
あくまで僕の知る限りにおいてではありますが、そういう異常な国は、日本しかありません。

日本国内にいてずっと暮らしていると、感覚が次第に麻痺してきて、経済の話をすることが、ごく当たり前の日常になってしまいますが(そしてこれはかなり危険なことです)、僕が若い人に是非伝えたいことは、世界中すべての国が決してそうではないということです。
そういう僕もフランスに行くまでは知りませんでしたが、フランスでは芸術家はかなり大切にされます。
何か大切なことをしている人だという、基本的なリスペクトがもうまるで違います。
この空気感の違いは生活してみないと(旅行では)わからないと思いますが、アカデミーに必死に通っていた駆け出しの頃から、制作・発表活動を繰り返すようになってからも、同じ地球上の国だろうかと思うほど、もうまるで別世界のように空気感が違いました。
そうですね、数字に置き換えるのは難しいけれども、経済と芸術の比が、4対6くらいでしょうか。

今日は上皇后美智子さまのお誕生日ですね。
美智子さまのように、そして美智子さまのようにまでは望めなくとも、芸術にご理解、ご関心、ご情熱をお持ちの方が、この国の政治家や指導者たちに、せめてもう少し増えてくれるとよいのですが。
そのことを熱望いたします。

このままでいくと、ますます治安は悪くなり、やがてどこかの時点で、こうしたひずみ、しわよせに社会が耐えられなくなるかもしれません。
と言いますか、すでに耐えられなくなっているような感じもいたします。
その時、僕が一番怖いのは、人々が自己の日々の不満や鬱憤を晴らすために、(相変わらず残念ながら芸術には縁のない)これまでにない新しいある種のタイプの政治家なり指導者なりの登場を次第に待望するようになり、ようやく登場したとなると、諸手を挙げてその人に熱狂することだと思います。

僕は昔の話をしているのでは決してありません。

2020年10月20日
2020年10月22日加筆
和田 健

I Started My New Series “F Paintings” This Morning!

Posted in Essay 2012-2020 with tags , , , , , on 19 October 2020 by kenwada

2020年10月19日、この画布の1回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は2回。

2020年10月19日、この画布の1回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は2回。

2020年10月20日、この画布の2回目のペインティング、シリーズ F Paintings 4作品のペインティング総数は4回。

しばらくエスキースを作ったりしてきましたが、今朝から本格的に新シリーズ「F Paintings」に入りました。
どのタイミングで本格的に作品制作に入るか、これは本当に大切で、これまでの経験から性急に勢い込んで入ると、ほとんど失敗します。
これについてはもう、何て言うのか、その日が来る、その日の朝になったらわかる、絵画が向こうから勝手にやって来る、としか言いようがないです。
絵画制作をされない人には、何を言っているのか、さっぱりわからないと思いますが。
これが例えば、その仕事は来週の月曜日の朝9時から始めます、だったらどんなにすっきりしていてよいでしょうか。
ですからその日が来るのを、ひたすら待っていなければなりません。
今回はトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人びと」(岩波文庫)を読みながら待っていました。
そして作品制作に入れた日は、つまり今日みたいな日は、やっぱりうれしいです。
これから大いに仕事ができる訳だから。
さあ、ここからまた長い戦いです。「よーし、始まったぞ」っていう感じ。
年内に何とかこの4作品(F30号4枚を同時進行させていきます)を完成させたい。
これが僕の今年最後の仕事になります。

今年はコロナで展覧会ができず苦しかった。
でも考えてみれば、僕の生活は、山奥で普段から誰一人として制作仲間や、行き詰まった時に相談する人もいなくて、これまでただひたすら一人で制作してきました。
たとえて言えば、かなり以前からコロナ禍のような、あるいはコロナ後のような生活をしてきた訳ですから、免疫というか耐性というか、個人的には何とか乗り越えられるのではないかと思います。
もちろん油断しちゃいけない、まあ何とかやっと乗り越えられるのではないだろうか、くらいです。
ただ世界を取り巻く全体の状況は、とてもそうはいかない。
現在の欧米の感染再拡大をみると、芸術家はもう展覧会が、しばらくできないかもしれない。
その点も考えておかないといけない。どうしたらよいのかはわからない。
こうして Online で作品を観ていただくだけになるかもしれない。
あと十年も二十年もして、世界が今回のコロナを冷静に振り返れるようになった時、おそらく2020年、2021年に数多くの芸術家がやめていったなということになるような気がします。
そしてその中には決して少なくない数の才能ある若い芸術家が含まれていると思う。
それはものすごく悲しいこと、人類の文化の大きな損失だと思いませんか。

2020年10月19日
和田 健