Archive for アーティスト

Untitled 2022 No.1

Posted in Works 2022 with tags , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , , on 3 April 2022 by kenwada

無題 2022 No.1
2022年3月
北軽井沢 作品 No.448
画布にアクリル
80.3×100.0 cm

Untitled 2022 No.1
March 2022
Kitakaruizawa Works No.448
Acrylic on canvas
32.0×39.5 in.

Sans Titre 2022 Nº1
mars 2022
Kitakaruizawa Œuvres N°448
Acrylique sur toile
80.3×100.0 cm

何とか現役を続けます!どうぞよろしくお願いいたします

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 1 April 2022 by kenwada

Photo : My desk in the studio, March 24, 2022

何度も何度も入念に確認しました。
そして最終的に、3月に2点の作品が仕上がったことにより、何とかぎりぎりのぎりぎりですが、現役を続行します!
この間、昨年末以来、皆様には、大変なご心配をおかけいたしました。
そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ただし、左眼にも加齢黄斑変性が出た場合、その日をもって引退しますので、何一つ大きなことは言えません。
大手を振って、道の真ん中を行くようなイメージは全くありません。
何とか道の端っこをとぼとぼと歩きながら、細々とでもよいので続けていけたら・・・、という感じです。
眼の状態が、日によってあまりにも不安定で、一日一日違うものですから、自信がもてません。
それでも、もしあと、5年描き続けられたら、かなりいろいろなことができます。
もしあと、10年描き続けられたら、こんなに幸せなことはありません。

昨年末から続いた息苦しいような長く暗いトンネルの中で、僕は本当にいろいろなことを考えさせられました。

①この機会に、絵のスタイルが大きく変わるように思います。
人間はどんどん変化していく生き物ですから、その自分の変化を、せめて自分くらいは認めてあげたいです。
自然な変化を受け入れて、チェンジして、また新しく作品を作り出していきたいです。

②作品数は、これまでのようにたくさんは描けません。
大幅に減ると思いますが、その分、一枚一枚を大切に丁寧に慈しんで描いていきます。

③それから眼の負担を考慮して、今月のニューヨークを最後に、思い切って展覧会を全部やめます。
作品は、基本的にこのサイトで観てもうらうだけにします。

④サインもこれまでの wada から、眼の負担の少ない w の一文字に変えようと思います。

⑤作品の写真につきましては、今までは納得がいくまで、何枚も何枚も写真を撮っては、その中でベストな写真を選んで掲載してきましたが、この一連の作業が長い期間の中で、だいぶ眼を痛めました。
これからは作品の掲載写真については、<大体やアバウト>を基本にします。
おおよそのイメージが伝われば、<それでよい>くらいにします。

日常生活では、できないことが増えて苦しい状況ですが、自分の仕事が続けられて、言葉にできないくらい本当に幸せです!
失ってしまったものはあまりにも大きいですが、変化を受け入れて、規模を縮小して、少しずつ何とか生きていけるように工夫していきます。

現代医学の進歩がなければと言いましても、そんなに昔のことではありません。
ほんの10年前まででしたら、完全に失明していました。
僕が、そのことをこれからの不自由な生活の中でも忘れることなく、イライラしたりせずに穏やかに生きていけるか、おそらくこの目標は高すぎて、僕には達成できないでしょう、でもそれに近づこうとすることはできる、何とかやってみようと挑戦することは、もしかしたら僕にもできるかもしれない。
ちょうど4月1日の今日、ここから自分が試される新たなスタートになりました。

もう一度、繰り返します。
はっきり言って、よく見えませんので、自信はありませんが、何とか続けてみようと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

2022年4月1日
和田 健

Photo : One day in the studio, March 17, 2022

STOP THE WAR! 5 「憎しみの家」

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 12 March 2022 by kenwada

©Evgeniy Maloletka/Associated Press

最重要関連動画2本:

War in Ukraine: Massive airstrike hits maternity hospital in MariupolUkraine says a Russian airstrike has hit a hospital in the besieged city of Mariupol, leaving children buried under rubble. No casualty figures have been released by authorities, but images showed injured pregnant women being taken away from the hospital. For the latest developments: https://qrcode.skynews.com …www.youtube.com
War in Ukraine: What happened on day 14?Ukraine’s President Volodymyr Zelenskyy said children have been buried under rubble after a Russian airstrike hit a hospital in Mariupol, warning the West that millions could die if the world does not act now. The governor of Donetsk region said 17 people, including women giving birth, were wounded in the airstrike …www.youtube.com

STOP THE WAR! 4

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 8 March 2022 by kenwada

©Lynsey Addario for The New York Times

0.03からの挑戦!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 7 March 2022 by kenwada

今年3回目の硝子体注射を、3月1日に受けてきました。
その時の診察で、右眼の視力が、裸眼で0.03、矯正で0.04でした。
2月1日の2回目の硝子体注射の時よりもさらに悪くなっており、ショックでした。

常識的にはもう無理でしょうね、でも僕はまだあきらめていないんです。
自分で言ってれば世話がないのでしょうが、僕は若い頃から、逆境になると結構、強いんです。
さすがにこの状況を楽しむところまではいっていませんが、自分でいろいろなリハビリテーションプログラムを考え出したり、意外と明るく前向きに生きています。

ただし、もし左眼にも加齢黄斑変性が出た場合は、その時点で終わりです。
同じ人間の眼であり、同じ体質や遺伝因子をもちますから、その可能性はあります。
病院に行くと、先生が、左眼にも出るのではないかと、懸念されている様子が伝わってくるのです。
それで、診察の時は毎回、両眼の瞳孔を開いて、眼底検査をしてチェックされています。

時々、僕は思うんです。
「これは、僕が見ている最後の景色なのかもしれないな」と。
だから、本当に毎日を大切に丁寧に過ごそう、生きようと思います。

2022年3月7日
和田 健

STOP THE WAR! 3

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 5 March 2022 by kenwada

March 5, 2022
Acrylic on canvas, 32.0×39.5 in. (80.3×100.0 cm)

STOP THE WAR! 2

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 3 March 2022 by kenwada

関連動画:
ロシア軍の砲撃で少女が死亡 ウクライナ東部マリウポリ(AP通信) – Yahoo!ニュース
ロシア軍砲撃で6歳女児死亡 ウクライナ東部 AP通信 | ウクライナ情勢 | NHKニュース

STOP THE WAR!

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 28 February 2022 by kenwada

関連動画:

「パパはキエフに残った」 涙こらえ国境目指すウクライナの少年(字幕・28日) | ロイタービデオ
「ウクライナはいまだ滅びず」砲撃を受けても屈しないキエフ市民(字幕・26日) | ロイタービデオ

僕の癖は、はたしてリハビリテーションプログラムになり得るか!?

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 19 February 2022 by kenwada

時々、自分の見ている風景は、もう決して以前のようには戻らないのかもしれないと感じると、そして、あと何十年も、このままゆがんだ失われた世界の中で、僕は生きていくのかと思うと絶望的になり、うまく説明することができませんが、何か実際に肺が喉の方へ突き上がってしまうような感覚になり、呼吸が深く自然にできなくなってしまい、ただ息を吐き出すだけの感じが続いて、言いようのない恐怖に襲われます。

そこで、たとえどんなに気休めではあっても、自分の生活を律するためにも、加齢黄斑変性からの心のケアも含めたリハビリテーションプログラムを、自分で新たに編み出して、毎日、続けていかなければいけないと思いました。

そうしないと、何の希望もなく、ただ悲しいだけの日々になってしまい、気持ちがさらにずるずると落ち込んでしまうような感じがしたからです。
そうなった時にはもう、自分で手を差し伸べても、自分を井戸の底から、引っ張り上げることが、とても深すぎてできない感じがするのです。

「人間は全く不幸になることはない、とママンはよくいっていた。」
(新潮文庫版、p.116)
“Maman disait souvent qu’on n’est jamais tout à fait malheureux.”
(Édition Gallimard、p.172)
これは、アルベール・カミュの言葉で、作品「異邦人」の中で、主人公ムルソーの母親の言葉として出てきます。
おそらく想像するに、この言葉は、作家本人の言葉ではなく、家族の誰かが実際に繰り返し話していた言葉なのではないでしょうか。
その根拠は、souvent という一語で、日常的な強い生活の匂いのようなものを感じます。
それはともかくとして、最初に読んだ時から、この箇所は、何故か非常に印象に残りましたが、病気になった今再び、この言葉が、心の中に強くよみがえってきました。

そこで先日来、自分で考案した4つのリハビリテーションプログラムを、毎日続けているのですが、その一つが絵画に関することで、F40号のキャンバス2枚に、白や黒をはじめ、様々な色の絵の具を塗っています。
これは、文字通りキャンバス全面に、ただ塗っているだけです。
そして、塗りながらキャンバス上の対象物を認識できるか確認しています。
今のところできませんので、落ち込む日が多くて、そういう日には、こんなことはいっそのことやめた方がいいとも思いますが、これがこんな眼の状態でも、どうしても描いてしまうのです。
もう、言わば本能ですね。
塗りたくってしょうがないんです。
楽しくって、うずうずしてしまう。
色に遊んでもらっている感じです。

それともう一つは、絵画はあくまで五感ですので、毎日、筆や刷毛を持ち、絵の具をつけ、滴り落ちる絵の具の水分量を把握し、絵の具の匂いを嗅ぎながら塗りあとを味わい、キャンバスのざらざらした肌触りを指で確かめ、最後に使った筆や刷毛をいつものようにきれいに洗って終わると、感覚が鈍りません

奇跡的に、いつの日か視力が戻るかもしれないじゃないですか。
その時に、こうした基本的な反復練習をコツコツと毎日継続していれば、すぐに元に戻れます。
基本的なことさえ、繰り返して準備していれば、そうしてブランクを作らなければ、すぐに絵画の中に入れます。
おそらくどのような分野でも同じでしょうけれど、基礎基本というのは、常に地道に繰り返し、繰り返し、細かく、細かくです。
大雑把であったり、派手な人目を引くような基礎基本というものはありません。

僕にはこういう風に、あまり意味もない、取るに足りない小さなことを毎日続ける癖のようなものがあって、今年で、日記を書くようになって23年目になります。
また毎日簡単な家計簿をつけるようになって、これも今年で23年目になります。
それから毎朝仏教のお経をするようになって、こちらは今年で22年目になります。
これらは何も僕に根気があるとかそういうことでは全くなくて、ただ単に習慣のようなもので、フランスにいようが、ニューヨークにいようが、どこにいようが毎日絶対にやります。
たとえばホテルに泊まっている時は、部屋の中のこの辺がご仏壇とか、自分で勝手に決めて、そこへ向かってお経をします。
ですので、F40号2枚の色塗りも、毎日続けられるように思います。

絵画というのは、どこまでも実践の仕事であり、頭の中の理論や理念ばかりで行動に移さず、ロジックでひたすら考えていても描けないと思います。
それは何故かと言うと、人間の脳は、色と形だけは実際にキャンバス上で観て確認するまでは、把握できないからです。
経験から予想はできるのですが、それはあくまでも予想であって、色と形だけは、実際に紙やキャンバスに置いてみないと、どうしても認識できないのです。

2022年2月16日
和田 健

部位

Posted in Essay 2012-2022 with tags , , , , , on 5 February 2022 by kenwada

眼を悪くして、つらい毎日が続きます。
今年2回目の硝子体注射を、2月1日に受けました。
その時の診察で、右眼の視力が、裸眼で0.03、矯正で0.06でした。
1月4日の治療開始時点よりもさらに悪くなっており、ショックでした。

「部位が眼でさえなければなあ」と、毎日のように思います。
実際に、僕には2011年以来、他にもヘルニアの持病があって、8年間、腸の痛みと戦いながら、苦しみ抜いた末に、結局、最後は嵌頓(かんとん)になり、救急車で運ばれて、2019年に緊急手術を受けたことがありました。
その時、手術してくださった先生に「何で8年間も我慢していたんだ」と叱られました。
朝からヘルニアが起きた日は、キャンバスに集中するのが、かなり大変でしたが、それでも、眼ほど制作に直接的な影響はなかったように思います。

それともう一つ感じることは、腸ですと、たとえ医学的に正しいことではなくても、根性だとか気合いだとかで頑張れる部分が少しはあるのですが、眼ですとそういった精神力で何とかカバーできる部分がないことです。
眼の病気というのは、何か物理的な現象のようなものです。
歪んで見えるものが、気力では元には戻りません。
つまり、何もなす術がない。
でも、何もなす術がなく、人生をいきなり理不尽にもぎ取られることは、世の中でたびたび起こることですし、そうしたまるで悪魔のような圧倒的な暴力や、不条理に耐えながら、残りの人生を静かに生きている人もたくさんいます。
だから、僕も自暴自棄になどなったりせずに、治療を続けようと思います。

病気になってよいことなどは、本当に何一つとしてありませんが、唯一、この病気の特徴は「誰にも迷惑はかけない」ということです。
つまり、眼が勝手に病気になって、ものが歪んで見えて、視力が落ちて、仕事ができなくなり、収入の道が完全に途絶える・・・。
これらはすべて自分の中で起こることです。
自分が沈んで行くのを、自分で静かに見ているという感じです。
誰にも迷惑はかけていません。
僕の今のこの心境については、ちょっとこれ以上は、言葉では上手く説明できません。

2022年2月5日
和田 健

追伸:悲しい時は、三姉妹の義理の姪の写真をみています。
先月、真ん中の子が成人式を迎え、三人で撮った写真をもらいました。
どういう訳か三人とも、幼い頃最初に会ったその日から、僕に懐いてくれ、とても優しい子どもたちです。
それにしても、みんな大きくなりました。