Archive for the Essay 2012-2023 Category

My Drawing Photo on November 13, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 13 November 2022 by kenwada

My Drawing Photo on November 13, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

このシリーズのラスト2枚は、青地系。
さてさて、何もかもここから。

この時点までに、使用した11色は、
コンポーズブルー#2
コンポーズブルー#1
シェルピンク
ジョーンブリヤン
カドミウムイエロー
イソインドリノンイエロー
ビスマスイエロー
イエローオーカー
レッドオーカー
ローアンバー
カドミウムグリーン

この時点までに、使用して没になった3色は、
アイボリブラック→観ていてきつい。
濃い系のグリーン
グレイVー5→ビスマスイエローとのよい相性を活かせなかった。
ファッション系の人は、グレイVー5の下地に、ビスマスイエローの細いラインの入った服を作るといいのにな。

2022年11月13日
和田 健

My Drawing Photo on November 4, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 5 November 2022 by kenwada

My Drawing Photo on November 4, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

「詰む」まであと一歩のところまで来た。
左下のすみから右2のバイオレット、濃いグリーンに変えるべきか、否か。
ここのところの判断が、常に難しい。
脳が色と形を認識した上で、それらに馴染むまでには、どうしてもある程度の時間を要するから。
だからって、ここを引っ張り過ぎると、その時には、絵画が僕の中から、もう通り過ぎてしまう。
現時点では、僕はおそらく変えない。
それから、エッジなんだけれども、全部キレキレでいくと、観ていてきつい。
そこで、どうしてもボソッとしていると言うか、間が抜けているエッジの取り込みが、あえて必要になってくる、そこのところ。

2022年11月5日
和田 健

My Drawing Photo on October 26 and 28, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 29 October 2022 by kenwada

My Drawing Photo on October 26, 2022

左上のすみから右2の下2のバーントアンバー、センスない、明日そこから。

My Drawing Photo on October 28, 2022
Acrylic on canvas, Each 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

さてさて、左上のすみから右2の下2を濃いグリーンに変えて、その他いろいろ。
ここで、one more thing.
コンポーズブルー#2、もちろん切り返したい。
次いで、ローアンバー3つも、切り返したい。
おそらく、その辺りで、1回失敗して沈む。
ベタ塗りは、枠の中に単独の表情が少ない分、隣接部分で、一発で表情を変えてくるので、本当に難しい、けれども楽しい。
それにしても、絵画は速い!
そのめくるめくスピードから、圧倒的なまでの威力で、常に作家を翻弄し支配してくる!

2022年10月28日
和田 健

My Drawing Photo on October 11, 13 and 14, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 14 October 2022 by kenwada

My Drawing Photo on October 11, 2022

My Drawing Photo on October 13, 2022

My Drawing Photo on October 14, 2022
Acrylic on canvas, Each 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

10月10日、Untitled 2022 No.13、スタート。
以下、自分の率直な思い。
絵画は、本当に難しい。
結局、一つ一つ的確に物事を進めると、全体として重く淀んでしまう。
僕が思うに人間の仕事というものは、通常の場合、どのような仕事であれ、一つ一つ丁寧に物事を進めたのなら、全体として少しはよくなってくるはずなのだけれども、絵画やドローイングはそうはいかない、と言うか、そうはさせてくれない。
そこで、もう何年も前から、僕がここに何度も書いているように、「いい加減に、無造作に」をモットーにして、的確さ、丁寧さを意図的に、脳からはずそうとする*¹訳だけれども、それも人間だからなかなか大変だ。
なぜかと言うと、人間は心の拠り所をたえず必要とするから。
そこで、普段からずぼらだったり、それを図太いと言い換えてもいいけれども、そういう人の方が、結構、いい絵を描いたりすることがある。
ただし、単発的であり、コンスタントには生み出せないと思う。
まあ、今は人のことはいいです。
ええと、やはり絵画はどこかに軽やかさがないといけない。
風通しがよくないと。
上の3枚の写真を観て、「一番最初のがいい」と思う方は、結構、少なくないのではないか。
それであれば、その後の日々の制作は、何であったのかということになる。
先日ここに書いたように、色そのものの中の brut をつかめたので、あともう一つ、ここのところをつかめたのなら、もう一段上に上がれる。
つかめなければ、このままである。
結局、正解や答えがないので、もう最後は、執念というか、なんかそういう領域に、絵画は入っていくのかもしれない。
入っていくなどと言うよりは、もうどうしようもないくらい狂おしくなり、突入していくという感じに近い。
それも断言できませんけれども、なにしろ僕自身が、暗中模索ですから。

2022年10月14日
和田 健

後日記1:その後、昨日の夕方になって、下線部*¹の脳からはずす具体的な手段について、二つのことがひらめいたので、考えてみました。
ヒントを与えてくれた一つ目は、懐素の「自叙帖」で、いわゆる狂草ですね。
二つ目は、デ・クーニングと、ジョアン・ミッチェルのアトリエから考えられることです。
とても面白いところまで思考が進みましたが、長くなりますので書くのはやめます。

後日記2:今日の制作で、何か秘訣がつかめたように思う。

2022年10月15日
和田 健

My Drawing Photo on October 6, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 7 October 2022 by kenwada

My Drawing Photo on October 6, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

10月6日、Untitled 2022 No.12 を始めて、この写真の段階までで約40分。
昨日のドローイングは、自分にとって実に大きかった。
制作はストップし、つくづく考えさせられた。
そうか、色には、フランス語で言うところの brut があるのか。
ここで僕が言う brut は、アール・ブリュット(art brut) のことではなく、もちろん、それはとても大切なことだけれども。
なぜかと言うと、フランスから帰国して間もない頃、だからおそらくは2011年に、僕が帰国後、最初に印象を受けた展覧会は、有名な人のではなくて、世田谷区立梅ヶ丘図書館で偶然観た障害者展だったから。
それとは異なり、僕が昨日感じたことは、色そのものに色そのものの中に、brut があるということ。

どうして、眼を悪くした今になって、これがわかったのだろう?
逆に言えば、なぜ、眼のよかった時に、こんなにも大切なことに気づかなかったのだろう?
ああ、これで、これまでの研究の流れのすべてに、サッと一筋の光がさすようにわかった。
すべて brut で、もってきているのか。
今頃になって、神様は僕に何を言おうとしているのだろう?

翌朝になって、もちろんだけれども、brut はやや消え、sec になっている。
当たり前だ、絵の具は乾いて水分を失い、キャンバスの向こうに引いて行くのだから。
まるで、潮の満ち引きと同じだ。
でも、よく観ていると、やっぱり、brut が残っている。
その名残や痕跡が感じられる。
まるで、満潮の時に砂浜に打ち上げられたきれいな貝殻のようだ。

こうなれば、brut と sec の戦いだ。
brut を追え!brut を捕まえろ!そして、brut で描け!
brut と言えば、なんと言っても、まず真っ先に思い浮かぶのは、ゴッホと天才スーチンだ。
そうなれば、「ゴッホの日記」を熟読したことが役に立つ。
完全にわかった!
おそらくできるな、これは。

2022年10月7日
和田 健

My Drawing Photo on October 2, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 2 October 2022 by kenwada

My Drawing Photo on October 2, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

あと、ワンテンポ、ピッチを上げれば、サインに近づく。
左下の黄色の塗り替えと、どこかに紫色を入れて画面を落とす。

2022年10月2日
和田 健

My Drawing Photo on September 25, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 25 September 2022 by kenwada

My Drawing Photo on September 25, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

「さあ、またここからいくぞ!」っていう感じ。
Untitled 2022 No.9 と No.10 が、赤系のレッドオーカーの地色に、緑色や青色中心なので、今度は緑系のカドミウムグリーンライトの地色なら、補色の関係を逆にもってくればいい訳だけれども、事はそう理屈通りに簡単にはいかない。
とりあえず、明日、右下の紫の上に、コンポーズブルーの#1で横線を引いて、逆に上に切り返していくところからだな。
この段階で、色を「置きにいこう」とか、「決めに行こう」とか、お馬鹿なことを一切考えないこと。
人間は、自然に放っておくと、まとめることが本当に好きだからな。
その日の収穫や成果を思わず実感したくて、今日も締りがなくバラバラで終わるのが、やっぱりどうしても嫌だから。
僕たちの仕事は、今日もまとまりがなくバラバラで終わる、その日々の悔しさの堆積のようなものの中にこそ、何か言葉にはできない大切なものが含まれています。
まあ、それはともかくとして、色のせめぎあいと、塗り替えによるつぶしあいが続き・・・、今日のドローイングを明日になれば否定して、明日のドローイングを明後日になれば否定して、要するに賞味期限は1日か、せいぜい、いいところ2日で、また否定して、それを否定して、さらに否定を繰り返して・・・。
結局、どこまで行ってもエンドレスであり、果てしないな・・・、これは。
それでも最後に、一応、納得できた時のうれしさは、つまりは、サインした時のうれしさは、ちょっとこれはもうなんとも言えません。
「さあ、明日から、また新しいキャンバスや紙、いくぞ!」っていう感じです。

2022年9月25日
和田 健

My Drawing Photo on September 13, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 13 September 2022 by kenwada

My Drawing Photo on September 13, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

まずまず。
あと上のグレイと、下のオレンジ。

2022年9月13日
和田 健

My Drawing Photo on September 12, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 12 September 2022 by kenwada

My Drawing Photo on September 12, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)

制作前半、まずまず。
後半、リズムがとれず、ガタガタに崩れる。
でも、いい、いい、悪いものは全部出し切った方がいい。
その間にいろいろな可能性を試したことを、脳がすべて把握しているから。
自分の脳に「お前大丈夫か、ちゃんと覚えているか?」とか問いかけないこと。
今日のドローイングを最底辺にして、ここから必ず作品にもっていく。
とりあえず、お話にならないので、森の中を走ってきます。
今日で、連続147日ランニング。

2022年9月12日
和田 健

My Drawing Photo on September 9, 2022

Posted in Essay 2012-2023 with tags , , , , , on 10 September 2022 by kenwada

My Drawing Photo on September 9, 2022
Acrylic on canvas, 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)