My Drawing Photo on October 11, 2022
My Drawing Photo on October 13, 2022
My Drawing Photo on October 14, 2022
Acrylic on canvas, Each 29.0×24.0 in. (72.7×60.6 cm)
10月10日、Untitled 2022 No.13、スタート。
以下、自分の率直な思い。
絵画は、本当に難しい。
結局、一つ一つ的確に物事を進めると、全体として重く淀んでしまう。
僕が思うに人間の仕事というものは、通常の場合、どのような仕事であれ、一つ一つ丁寧に物事を進めたのなら、全体として少しはよくなってくるはずなのだけれども、絵画やドローイングはそうはいかない、と言うか、そうはさせてくれない。
そこで、もう何年も前から、僕がここに何度も書いているように、「いい加減に、無造作に」をモットーにして、的確さ、丁寧さを意図的に、脳からはずそうとする*¹訳だけれども、それも人間だからなかなか大変だ。
なぜかと言うと、人間は心の拠り所をたえず必要とするから。
そこで、普段からずぼらだったり、それを図太いと言い換えてもいいけれども、そういう人の方が、結構、いい絵を描いたりすることがある。
ただし、単発的であり、コンスタントには生み出せないと思う。
まあ、今は人のことはいいです。
ええと、やはり絵画はどこかに軽やかさがないといけない。
風通しがよくないと。
上の3枚の写真を観て、「一番最初のがいい」と思う方は、結構、少なくないのではないか。
それであれば、その後の日々の制作は、何であったのかということになる。
先日ここに書いたように、色そのものの中の brut をつかめたので、あともう一つ、ここのところをつかめたのなら、もう一段上に上がれる。
つかめなければ、このままである。
結局、正解や答えがないので、もう最後は、執念というか、なんかそういう領域に、絵画は入っていくのかもしれない。
入っていくなどと言うよりは、もうどうしようもないくらい狂おしくなり、突入していくという感じに近い。
それも断言できませんけれども、なにしろ僕自身が、暗中模索ですから。
2022年10月14日
和田 健
後日記1:その後、昨日の夕方になって、下線部*¹の脳からはずす具体的な手段について、二つのことがひらめいたので、考えてみました。
ヒントを与えてくれた一つ目は、懐素の「自叙帖」で、いわゆる狂草ですね。
二つ目は、デ・クーニングと、ジョアン・ミッチェルのアトリエから考えられることです。
とても面白いところまで思考が進みましたが、長くなりますので書くのはやめます。
後日記2:今日の制作で、何か秘訣がつかめたように思う。
2022年10月15日
和田 健